◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~
30:【幕間】 北の国から ~遥かなる幽州より~
洛陽で鳳灯があれこれと駆け回っている頃。
幽州に残る彼女の友らは、自分たちの足元を整えることに専念しつつ。
黄巾賊の騒乱後に訪れた平穏を満喫していた。
公孫瓉は州牧となり、幽州を一手に統べる長となった。
治府の置かれる薊に居を移し、治世を行っていくことになる。
遼西郡・陽楽の民たちは、彼女がこの地を離れることを惜しんだ。
だが太守の跡を継ぐのが公孫越ということもあり。
寂しさを見せつつも、皆一様に笑顔をもって公孫瓉を送り出した。
これまでの治世のなす業か。まことに、民に慕われている公孫一族である。
そんな公孫瓉を始めとして、彼女に関連する人々は皆、"平穏を求める気持ち"が押し並べて高い。
「戦なんて、やらずに済めばそれに越したことはない」
好戦的な部類に入る公孫範でさえも、そう考えている。
ましてや、新しく治世者となった公孫越や、鳳灯に大きな薫陶を受けている公孫続、はたまた他の文官ら一同らに至ってはいわずもがなだ。
軍部の存在を否定するかのような考え方だが、かといって将兵たちが萎縮しているというわけでもなく。公孫範を筆頭に、その補助をする形で趙雲と関雨が、日々鍛錬を行いそれを怠ることはない。
むしろ他の地域が抱える軍勢よりも、濃く厳しいものを行っているといっていい。
そうしなければならないほどに、幽州は戦の起こる頻度が高かった。また常に戦を意識しているがゆえに、平和を望む気持ちが高いといえるだろう。
幽州で起こる戦の原因。
その筆頭は、漢王朝の力の及ばない地に住まう民、俗に北狄(ほくてき)と呼ばれるものたちに対するものだ。
中でも烏丸族との対立が長く続いている。
公孫瓉らも直々に馬を駆り、幾度となく烏丸との衝突を繰り返して来た。
一方で、烏丸の現在の大人・丘力居との個人的な誼もあり、公孫瓉らと烏丸族との関係は比較的良好なものを築けるようになっていた。戦を繰り返すうちに、互いのなにかを認め合うに至った、といったところである。
そんな少なくないぶつかり合いと積み重ねを経て、公孫瓉と丘力居は互いに手を取り合うことになる。
好意的な点とそれ以外の妥協点の模索。
公孫瓉にしてみれば、それで争いがなくなるのならばそれに越したことはなく。
丘力居にしても、漢王朝に従うつもりは露ほどにもないが、公孫瓉らと友になることに抵抗はない。
互いに思うところはそれなりにあれど。烏丸族との同盟関係は正式に結ばれた。
ひとまずは遼西郡と結ばれた独自なものとなるが、公孫瓉が幽州牧に就くことによって、後にその関係は幽州全域に及ぶこととなった。
これまでも、治めていた遼西を発端とした治世案軍備案といったあれこれにより牽引していたこともあり。彼女の名は他地方においても広く知られていた。
此度また新たに、烏丸との平和的友好的な関係の維持が新しく謳われる。
これによって、公孫瓉の名はより高く知られることとなり。
彼女は、名実共に幽州を統べる存在となる。
公孫瓉にばかり良い様に進んでいるようにも見えるが、なにも彼女ばかりに都合がいいわけではない。同盟の相手、烏丸族にとっても得るものは多大にある。
丘力居らにとって、この同盟によって得た最も大きなもの。それは鐙だ。
もとより遊牧民としての気質を持つ烏丸族にとって、生活する上でも馬は日常的なものである。
公孫瓉との誼のきっかけになったものでもあり、騎馬に対する興味は甚だ高い。
そんな烏丸族に対し友好の証として、公孫瓉は鐙を送った。
丘力居を始めとして、彼ら彼女らはこれに非常に強く食いついた。
「これはすごいな。騎馬の歴史が変わるぞ」
教えを受け、自らの愛馬に鐙を取り付けた丘力居。
いざ乗ってみればこれまで以上に、労少なく意のままに馬を操れることに驚嘆する。
もともとは一刀が、いわゆる"天の知識"によって個人的に作ったものに過ぎなかった。
それを見た鳳灯、関雨、呂扶、華祐の四人が、同じく"天の知識"を用いて本格的なものに作り直し。
更にその完成形を見てやはり興奮した公孫瓉の許諾の下、材質などを再検討した上で量産体勢が組まれ。
あれよあれよとあっという間に、公孫軍の馬すべてに装備させるにまで普及した。
以前の世界で実際に用い、戦場を駆けていた人間が監修した一品である。その有用さは折紙付きだ。
軍秘とまではいわないが、外部への喧伝はされていないので、その存在を知る者は少ない。
それを明かしたのだから、この同盟に対する公孫瓉の本気さがうかがい知ることが出来る。事実、丘力居もその想いに応えようと心を新たにした。
だがそれ以上に彼女は、鐙の性能にご満悦であった。それを使っての馬のあしらい方を早々に模索し出している。
「公孫瓉、素晴らしいなこれは」
「分かった、分かったから落ち着け」
興奮の程を隠そうとしない丘力居。
公孫瓉よりも七つは年上であろう妙齢の長髪美人さんが、満面の笑みを浮かべてはしゃぎ回っている。
一族の長がそこまで、と思いもするが。
丘力居の供としてやってきた人たちも、鐙装備の馬に乗って全員がはしゃぎ回っていた。
「どこのロデオ会場だよ」
と、思わず一刀は呟いてしまう。もちろん、それを理解できる者は誰もいなかったが。
なお鐙の発案者という扱いをされていることで、一刀もこの場に立ち会っていた。
それを知った丘力居が問答無用で抱きついて来て。
「お前、わたしの婿になれ」
情熱的な接吻を一方的に交わすという一幕が起こったりした。
関雨と呂扶がそれに反応。
僅かな差で先に動いた呂扶が丘力居に襲い掛かり、馬を使っての鬼ごっこに発展したりもし。
鐙を装着済みだったとはいえ、怒気を露にする呂扶の追跡から、丘力居は愉快そうに笑いながら逃げ切って見せたりもした。
呂扶から逃げ切るほどの技術を引き出すとは、恐るべき順応力。
潜在的な力は恐ろしいものがあると、公孫軍らに再認識させた丘力居であった。
ともあれ。
硬軟様々なやり取りを重ねていき、幽州と烏丸族はより厚く友誼を重ねていくことになる。
元より、公孫瓉率いる軍勢は"白馬義従"と呼ばれるほど高名な存在であった。
それが烏丸族との混成軍が作られたことにより、騎馬という軍編成においては、質も量も更に突出したものになっていく。
後に、同じく騎馬を好む将である張遼がこれを見て、
「いやいや、こんなん反則やろ。あんだけの騎馬があんだけの速さと正確さで駆け回ったら、敵さん敵わんで。
というかウチも混ぜろや」
などとこぼしたとかどうとか。
ちなみに。
この友誼の一端として、というよりも一刀絡みで怒らせてしまった詫びなのかもしれないが、丘力居は呂扶に対して個人的に馬を一頭送っている。
彼女曰く、「呂扶ならこいつも認めてくれるはず。気性はともかく地力は随一だ」という。
気性が荒いというよりも、敢えて誰もその背に乗せようとせず靡かないらしい。
そんな馬であったが、いざ呂扶と対面すると、互いに見つめ合い、やがて懐くように身を寄せた。
これには丘力居も驚きを隠せなかった。
その場で、名は"セキト"とつけられる。
呂布で馬、といえば赤兎馬だからか? という、"天の知識"ゆえの連想をした一刀であったが。
呂扶曰く、「セキトに似てるから」とのこと。
彼は知る由もなかったが、これは、以前の世界において彼女の家族当然の存在であった犬、セキトのことだ。
名をつけたといっても、セキトは決してかの"セキト"ではない。
当然それは分かっているのだろうが、なにかしらの感傷はあったのかもしれない。
後に関雨から、彼女の"家族事情"を聞いた一刀はそんなことを思いもした。
さて。
陽楽から薊に移動するに当たり、呂扶は当然のようにセキトに乗って移動する。
これがまた、水を得た魚といおうか、抑え切れない衝動のようなものが湧き上がったのだろうか、誰も付いて行けない止められないほどの勢いで駆け回る。
それが、向かうべき薊とは違った方向に駆け出したらどうなるか。
「れーーーーーーーーん!!」
あっという間に、彼女とその愛馬の姿は小さくなっていく。
追いつけないのを承知の上で、一刀は馬を駆り呂扶を追い駆けた。
だが馬どころか乗り手の腕にも雲泥の差があるのだから、もちろん追いつけるはずもなく。
たちまち姿を見失い、一刀はひたすら彼女の名を呼びながら走り回るしか術がなくなる。
声を枯らして途方に暮れて、挙げ句、一刀の方がはぐれかけ。
それを探しに呂扶が遣わされるという訳が分からない展開になった。
その余りの理不尽さに涙が出そうな彼であったが。
「ひょっとして、俺が却って迷惑かけただけ?」
思わずこぼした一刀の言葉に、傍らの関雨はただ力なく笑うだけだった。
走り出した気持ちは分からなくもないが、考えなしだったことには変わりない。
なんともいえない関雨だった。
軍の修練においては、一刀曰く"鬼軍曹"振りを発揮している関雨。これは薊に移ってからも変わることはない。
大の男が泣き喚くことも一度ならずあるという、キツい内容を課す彼女であったが。
そうする理由はもちろんある。
以前にいた世界で起こった、袁紹による幽州の併呑。それに伴う公孫勢の崩壊。
これを防ぐことが、関雨の臨むもののひとつだからだ。
いざそうなったときのために、対抗出来るだけの戦力を蓄え、その質を少しでも上げる。
そのための労など惜しまない。
平穏を望みはするが、だからといって武力を忌避するわけでもない。
そんな公孫軍の気質は、関雨にとってとても好ましいものだ。
ゆえに、彼女の"鬼軍曹"ぶりにも力が入る。将兵たちも、武力と兵力の後ろ盾があってこその平穏であることを理解しているがために、その底上げを促す修練に対しても、いいたいことは多々あろうがしっかりとこなしている。
公孫軍の地力向上は、関雨にとって実にやりがいがあり。彼女の日常は実に充実していた。
そんな関雨であるが。修練中の厳しさを持ち越すかのように普段から身を引き締めている。
怖いということはないにしても、迂闊に近づくことが躊躇われるような雰囲気を、常日頃から醸し出していた。
だがそこがいい、痺れる憧れる、という者も多く存在する。
そのブレのない心の在り方に憧れ、男女を問わず、華祐とはまた違った人気を公孫軍の中に築いていた。
凛とした佇まいが時折崩れるところも、また人気を集める理由になっている。
関雨の佇まいを崩す存在、というのは限られている。
筆頭に、趙雲。時折、公孫瓉。さりげなく華祐、鳳灯。そして、北郷一刀。
趙雲は、なにも関雨に限らずとも、すべての公孫軍将兵にとっての天敵であるといってもいいだろう。
主に精神的な理由で。
実に巧みに、思考の死角から突いて来る精神攻撃。
ひとつひとつは大したことのないものであっても、確実に心の柔らかいところを撫で上げて来る。
槍で突かれた方がマシだ、と心から叫ぶものも少なからずいる。だがそれでも然程憎まれないというのは、趙雲の性格ゆえの人徳なのか。弄られた方もなぜか憎みきることが出来なかったりする。上司であろうと同僚であろうと部下であろうと、その接し方が変わらない辺りがキモなのかもしれない。
公孫瓉は逞しくなった。主に精神的な意味で。
これまでの彼女は、ただ趙雲に弄られ続ける立ち位置にあった。
臣下将兵その他の面々にも通じる共通の認識だったのだから、よほど繰り返し弄られ続けて来たのだろう。
だが関雨の登場によって、公孫瓉は、趙雲の補佐的な位置で他人を弄るという技術を取得している。彼女自身が意外に思うほどに、その才を見事に花開かせていた。
もっとも、弄られる関羽にしてみればたまったものではないが。
周囲の目から見ても、公孫瓉と趙雲の組み合わせによる弄りは相当に強力なものらしく。
ふたりの世間話に口を挟むときは気をつけろ、という、暗黙知が広がるほどであった。
その辺りから心の余裕でも生まれたのか、普段の治世や業務にも、締めるところは締めつつも肩に力を無駄に込めない姿勢が表れている。
誠に、なにが幸いするか分からないものだ。
幽州の平穏に一役買っているのならば、弄られる関雨にしても甲斐があるというものだろう。
華祐と鳳灯はいわずもがな。
今は共に幽州を離れているとはいえ、本当の意味で心を許す友である。いい意味で油断してしまう。
意識を張り詰め緩ませようとしない関雨が、鳳灯や華祐を相手にしているときに、ふと、素の顔を見せることが多々あった。
それがまた、普段の彼女の印象の格差を生む一端となり。"鬼軍曹"振りは敢えて憎まれようとしているのだ、といった思いを将兵に抱かせるようにまでなる。
与り知らぬところで信用度信頼度が上がっていることを、もちろん関雨は気付いていない。
そして、北郷一刀。
関雨に対して、印象の格差というものを生む人物としては最も大きな存在である。
彼女は類まれなる才を持った、幽州が誇るべき将のひとりである。
少なくとも、関雨を慕う将兵らはそう信じている。
そんな彼女が、傍から見て分かるくらいに好意を向けている。
かつては少なからず隠す素振りを見せてもいたが、いつからかそういった抑えが見られなくなっていた。
嫉妬する者も中にはいたが、それ以上に"なぜ彼なのか"という点に疑問を持つ者が多かった。
傍から見れば、彼は料理人でしかない。ただの、料理人である。多少は武が立つといっても、しょせんは一般兵の目からみての"多少"でしかない。
彼女が一刀に向ける感情、好意。そこに至るまでの気持ちの経緯や、彼と彼女らの底にある共有点など、そういったものに気づくことはない。思い至ることは決してない。だからこそ、疑問に思う。
分からないなら知ればいい、とばかりに。一部の将兵は、関雨と一刀の観察に走ったり、はたまた彼の店に入り込み内情を知ろうと動いたりした。
まず前者。すでに知られていることだが、関雨は一刀の店の手伝いをよくする。そのときの彼女はウェイトレス姿である。そんなものを目にして遠目に観察などで満足できるはずもなく。観察に走った者は早々に店内へと突貫していった。
そして後者。前者も含めて店内に入り込んだ者たちは、まずは普段と違う関雨の姿に目を楽しませた後、運ばれた料理に胃を掴まされる。
これは美味い、と。
いつしか関雨そっちのけで食べることに集中し。一息つくと関雨の姿を目にして心を潤す。
彼ら彼女らは、そのとき至福を感じていた。
彼が提供する、食事、酒、つまみ、そして空間などなど。
その味と目新しさに気を取られ、自然とまた足を運ぶようになり。
気がつけば、彼の料理とその人となりを受け入れていることに気がつく。
ヤツは人誑しだ。
誰がいったかは定かではないが、その評価は概ね正しい。
挙げ句それさえも、まぁどうでもいいか、と、思わせてしまうのだから相当だ。
そんなことが繰り返され。いつの間にか一刀の店は、公孫軍の将兵たちがたむろする場所になっていた。
気がつけばそんな状況になっていることに、一刀自身はいぶかしみながらも深くは考えず。
繁盛するならそれでいい、と、今日も料理作りに励む。
そしてまた、胃袋から人の心を誑し込んでいくのだった。
一刀の店が売りにしている物は、もちろん料理だ。
だがもうひとつの名物といっていいもの。それは、関雨の給仕服、ウェイトレス姿である。
これがあったからこそ、将兵たちがたむろするようになったといっても過言ではない。
とはいえなにも男性ばかりが注目しているわけではなく、意外と女性客にも好評である。
キレイなものカワイイものに興味を持つ、という意識は、どの時代でも共通するものなのだろう。
一度だけ、興に乗った趙雲が戯れに、関雨のウェイトレス服を身に纏い店内に立ったことがあった。
好んで着る物から白や蒼という印象がある趙雲だったが。
このときの彼女が纏う雰囲気はまた違ったものがあった。
黒を基調とした全体のシルエット。ブラウスの白が胸の部分だけ強調する一方で、腰に巻かれたエプロンが緩みを許さないとばかりに見た目を引き締めている。また普段とは異なるロングスカートの裾を翻す様は、どこか落ち着いた清楚さを醸しながらもなにかを開放しているかのようにも見えた。
そんな予想を超えた変身を見せてくれた趙雲に対して、一刀は思わずサムズアップ。非常に満足する。
またその日の店に訪れた客たち、ことに修練明けに屯する公孫兵に多大な衝撃を与えた。皆軒並みサムズアップである。足に纏わり付く布に慣れず、戸惑いながらロングスカートを押さえる様などは、男どもにとって非常に眼福な光景であった。普段の彼女の言動を知るならば尚更である。
だが、彼らにとっての天国はここまでだった。
関雨の真似事とばかりに、料理を運び、注文を取り、店内を歩き回る趙雲。
そのうちに彼女は、思わし気な流し目をやりつつ、余分な注文をせびり出した。
「この酒など、私、興味があるのですが」
「ここのメンマは絶品ですぞ、なんにでも合う、是非」
「ふふ、いい飲みっぷりですな、ぜひともお相伴にあずかりたいものだ」
主に酒を、そしてつまみを所望する。
そんな言動を見た一刀などは、「どこのキャバクラだよ」と突っ込んでしまったが。
もちろんその言葉の意味を解する者はいない。
だが気をよくした男どもは、趙雲のいわれるままにあれこれ振舞いだす。
趙雲の掌で踊るばかり。実に悪女である。
ひとしきり騒ぎ楽しんだ彼らは、会計の際になって一様に顔色を変えることになったのだが。
申し訳なさを表情に乗せつつも背後に呂扶を配し、きっちり請求する一刀。
彼を前にしてどうすることも出来ず、みな素寒貧になって店を去っていった。
その後しばらくの間、この店に近づくことはなかったという。
これはなかなか楽しいですな、と、妙にやる気を出していた趙雲であったが。以降、一刀は趙雲の手伝いの申し出を頑なに断り続けている。
店の風評に係わる、ウチはキャバクラじゃない、というのが彼の主張する理由であった。
最後まで、キャバクラという言葉は誰にも解されなかったが。
丘力居から馬を譲り受けてからというもの、呂扶は、セキトと共によく遠乗りをするようになった。
関雨や趙雲なども時折同行することもあったが、彼女がことに誘い出すのは一刀であった。
彼にしてみても、薊に移動する際に置いてきぼりにされた記憶が甦り、馬術を習いたい気持ちもあって極力付き合っているのだが。
やはり店を構える人間である以上、そうそう町を離れるわけにもいかない。
呂扶の誘いを断る。
そのときの彼女が浮かべる哀しげな表情などが、一刀の心の柔らかい場所を問答無用で突き抜く。
目に見えない痛みに悶えること必死なのだが、だからといって店を放り出すわけにもいかない。二律背反に苦しみながら説得を試みる。
「いいかい、恋。
恋と遠乗りに出るのは楽しい。俺だって出来る限り付いて行きたい。
でも、俺には店がある。そう度々、店を空にするわけにもいかないんだよ」
優しく、それでも毅然と、彼は彼女にいい含める。
「俺の料理を楽しみにして、お客さんが俺の店に来てくれる。
想像してみてごらん? 恋が食事をしようとして、そのお店が休みだったらどう感じる?
そしてそれが何日も続いたら、恋のお腹はどうなる?」
自分自身に置き換えるようにして、自分のすることがどんな影響を及ぼすか。彼女に説いてみせる一刀。
残念がりながらも、呂扶は納得してくれたようで。
それ以降は無理に誘い出すこともなくなり、単身、周辺を駆け回るようになった。
聞き入れてくれた呂扶に安堵を得ながらも、どこか寂しい気持ちが沸き上がる。
難儀なものだ、と、一刀はひとり苦笑いをしたりする。
薊に異動するに当たって、関雨は正式に公孫瓉に仕えることとなった。
客将というこれまでの立場から、名実共に直属の臣下となる。公孫軍の面々はこれを大いに歓迎した。
だが、これを受けて少しばかり躊躇した人物がいる。
誰であろう、公孫瓉その人だ。
勢力の長としては、関雨の正式な仕官は諸手を挙げて歓迎すべきことだろう。
だが公孫瓉個人の想いとしては、即応することに躊躇いを感じていた。
「本当にそれでいいのか、関雨」
正式な仕官を申し出ると同時に真名も預けた関雨。
そんな彼女を前にして、敢えて真名を呼ばずに問いただす公孫瓉。
「自分でいうのもなんだが、私は自分の器のほどを弁えているつもりだ。
関雨、お前が恭順の意を示してくれることは素直に嬉しい。
だがお前は、私程度の輩に従って、その才を発揮できるのか?
お前の才は、それで満足できるのか?
ことによっては、お前は幽州の地で埋もれることになる。それでいいのか?」
関雨の中での、公孫瓉の人となり。
締めるべきところはしっかり締めるが、案外ヌケているところがある。
そしてなにより、お人好し。そんなところだった。
この応対にしても、彼女のお人好しなところが見て取れる。
自ら仕えようとする将を前に、その意気を挫きかねないことを問う。
有能な人物を自ら抱え込もうとするのではなく、その才をもっと活かせるところがあるんじゃないのか、と。
名の知れた勢力の長としてではなく一個人として、公孫瓉は、関雨の立つべき場所を案じてみせる。
お前ほどの将が、自分如きに仕えて満足なのか、と。
以前の世界での"白蓮"、そしてこの世界での公孫瓉と、共に接して感じられた人となりに齟齬は見られない。
となれば、こういった類のことをいってくるだろうと。関雨は予想していた。
「あまり、ご自身を卑下なさらない方がよろしいですよ?」
とはいえ実際に耳にしてみると、そのあまりといえばあんまりな聞き様に苦笑を禁じえない。
自分から仕えたいといっているのだから、素直に受け入れてくれてもいいではないか、と。
「これより先、戦乱の時代がやってくると思います。
朝廷や司州どころか、この幽州にまで戦禍は広がってくることでしょう。
その中にあっても、私は死ぬつもりはありません。生き抜いてみせるつもりです。
戦は、いずれ終わる。戦乱の中を駆け抜けた後、どうするのか。
私は、"普通"に過ごしたい。
そしてそれが成るならば。おそらく、戦乱の時代よりも長い時間を"普通に"過ごすことになると思います」
要は、誰と共に長い時間を過ごすか。今の関雨は、そこに思い至る。
今の彼女にとっての第一は、一刀。そして鳳灯、呂扶、華祐の三人。
それに次ぐのは、公孫一族、そして幽州の民だ。
望むものは平穏。ならばそれを求める者と共に歩もうとするのは当然のこと。
「貴女は、永く共に過ごすに値する人物だと私は思います。
そして共に泣き、笑い、汗をかいていきたいとも、思わせてくれます。
主従がご不満であれば、同じものを臨む友として、傍にあろうと」
州牧という身分にある公孫瓉。共に歩むのならば主従と形になる、とばかり考えていた彼女にとって、その申し出は予想の範囲外のものであった。
共にいて欲しい、しかし関雨の才は自分にはもったいない。
そんな思いの板挟みにあった公孫瓉に対して、受け入れやすい、それでいて断りにくいようないい方。
それが関雨の気遣いであることが察せられて。思わず公孫瓉は笑ってしまった。
腹の底からおかしく、涙を流すほどに。
やがてその表情は、可笑しさよりも嬉しさの色に変わり。
公孫瓉は、関雨と同じ高さに立ち。その手を取る。
「真名は、白蓮だ。私の足りない分は、遠慮なく頼ることにする」
頼りっぱなしにならないよう、努めることにするよ。
そう告げる公孫瓉は、関雨の目にはまったく変わりがないように見えて。
しかしどこか頼もしくも見えた。
関雨は思う。かつての自分は、主従、という形にこだわっていたのかもしれないと。
それは転じて、自らが臨むものが見えていなかったがために、それを他に依存しようとしたことに繋がる。
そんな彼女の前に現れたのは、劉備。
彼女の在ろうとした姿は関雨にとって眩しいもので。自分を賭けるに値する理想像として、それを掲げる劉備を主と仰ぎ、彼女の矛となり盾となり戦乱を駆け抜けた。
それが間違っていたとは思わない。ましてや悔いているなどということは断じてない。その頃の自分があって初めて、今の自分があるのだから。
なんの巡り合わせか、新たに武を振るう場を得た。この世界で、自分はなんのために武を振るうのか。
誰かの想いに従い再び駆けるか? だがその気持ちは既になりを潜めている。
自ら立つ? そんな気概は起きないし、将にはなれても主の器ではないと思っている。
ならば、自ら思うところを御旗として、下に立つのでもなく、上に立つのでもなく、その者の横に立つ。
言葉遊びの類かもしれないが、関雨の意識の上では、そんな例えが最もしっくりときていた。
そして、いずれ青龍刀を置くことを臨み武を振るうと決めたことに、我がことながら驚いた、と。
新しい、主君であり友でもある者を得た関雨は、嬉しそうに語る。
一刀はそれを聞きながら、おぼろげな"天の知識"を思い返す。
三国志正史において、公孫瓉という人は有能な人材を周囲に置こうとしなかったという。
ひょっとすると、それは有能な人材を嫌ったのではなく、有能であるがゆえに自分の下を去らせたのではないだろうか。
幽州で燻るのではなく、お前にはもっとその才を生かすべき場所があるはずだ、と、発破をかけて。
もちろん、その真意は分かるはずもないし、測る術もない。
だがこの世界の公孫瓉は、今回の件を聞く限りにおいては、自分よりもいい主君が居るはずだ、と、相手の才を慮っている。
「例えそうだったとしても、やっぱり公孫瓉様は向いてないね」
「そうですね。失礼ながら、王という印象は持てない」
「でもあの人はもっと、がっつくべき立場のはずだよ」
「しかしこの時勢に、あのような人はなかなか貴重ですよ?」
確かにそうだ、と、彼と彼女は笑い合う。
仮にも、自分の仕える主君と、自ら居を構える地の長に対する寸評。
あまりといえばあんまりな物言いではあったが。
その笑いは、混じり気のない、好意の色に満ちていた。
「関雨に対して、お前はどう思っている?」
その日の業務も一通り終えた後、公孫瓉は、酒を付き合えと趙雲を誘っていた。
珍しいこともあるものだと思いながらも、趙雲に断る理由などなく。喜んでお付き合いしましょうと、ふたりは互いに杯を傾け合い雑談に興じる。
しばし時間が過ぎた後、これが本題だとばかりに、公孫瓉は切り出した。
「あいつを客将に迎える際、お前はあいつを否定していた。
そんな関雨が正式に私に仕えるようになって、お前はどう考えているんだろう、と思ってな」
「なるほど。お心遣い、痛み入りますな」
彼女らしい気の使いよう。その相変わらずな様に、思わず趙雲は笑みを浮かべる。
その口元を杯で隠しながら、彼女はしばし考えをまとめる。
「ふむ。確かにあのときは、関雨殿のことは気に入りませんでした。
才はあるにもかかわらず、その基点となるものがぶれていた。そのように不安定な将の下で、戦働きなど出来はしない。そう思いましたからな」
「なら今は、どうだ?」
「今の関雨殿、いや、もう愛紗殿と呼んだ方がいいのでしょうな。
今の愛紗殿ならば、自分の背を預け、戦場を共をするに異存はありません。理由はともあれ、武を振るう切っ先が鈍らなくなった。
そうなれば私としては、武人として認めるどころか、教えを請うことにもなんの痛痒も感じませぬ。
兵を率いる将としても、鍛え導く者としても、あれほどの御仁はそう現れるものではない。なにをしてでも引き止めるべき人物でしょうな」
なのに貴女はわざわざ放出しようとする、なにを考えているのか。
趙雲の目はそう語っていた。公孫瓉にもそれは重々読み取れている。
「いや、そうなんだけどなぁ。
分かるよ、分かる。お前がいいたいことも、本来私がすべきことも。
それでもな、もったいないと思うんだよ」
「己を知る、というのも、程度の問題だと思いますが」
「そうはいうけどな趙雲。私の指揮で関雨が戦働き、なんて想像できるか?」
絶対持て余すぞ、と、悪い意味で自信満々にいい切る公孫瓉。
実際にはすでに何度も、将のひとりとして関雨を戦場で使っている。それでもなお、使いこなしている実感が得られないと彼女はいう。
「まったく。もっと真っ当な意味で自信を持てばいいものを、逆の意味で胸を張ってどうなさる。
そんなことですから、いいように弄られるのです」
「いや、それは関係ないだろ?」
「関係ありますな。隙を突かれるという意味で」
「じゃあ愛紗はどうなる」
「彼女は別です。どれだけ気を張っていても弄りやすい」
「まぁ私でも弄りに参加できるくらいだからなぁ」
意識してのことかは分からないが、話の矛先が微妙にずれる。
酒を飲むにも美味しくなくなりそうな流れでもあったため、ふたりは強いて戻そうとは思わない。
「それにしても。今まで弄られるばかりだった私が、まさか弄る側に回るとは思いもしなかった」
「意外な才能の発芽、という奴ですな」
「同じ才能なら、もっと違うものが芽吹いて欲しかったけどな」
ひとしきり笑った後。
声色を改めて、公孫瓉は呟く。
「あいつらは、不思議だ」
特に、鳳灯と、関雨。
まるで自分のことを古くから知っているかのように、意思の疎通を図り、最善となるものを与えてくれる。
そして此度、主君としての器の小ささを自覚する公孫瓉に対して、器の大きさなど関係ない、武を振るう形はなにも主従ばかりではないといってのける。
事実、その言葉のお陰で、公孫瓉は関雨を手元から離さずに済んだ。
州牧としての彼女は、その事実にひどく安堵を覚えている。
一方で、彼女個人としては、この上ない喜びを感じていた。今の自分を肯定してもらえたことが、嬉しかった。
「主従が嫌なら友として傍に置け、といわれたぞ。
そこまでいわれて突き放したら、どれだけ人でなしなんだと思われるか」
これって結構ひどい話だよな。
くっくっ、と、肩を震わせて笑ってみせる公孫瓉。だが俯いた彼女の表情は、窺うことは出来ない。
そんな姿を見て。
趙雲も、魔が差したのかもしれない。
「確かに、より高みを目指そうというのであれば。伯珪殿は、主君としては物足りないかもしれません」
つい、口に出た言葉。
だがもう、それを戻すことは敵わず。
「ですが、友として、共にあろうとするならば。
……伯珪殿は、十分なものをお持ちかと。それは私も保証しましょう」
二度といいませんからな。
最後に小声で、なにかを誤魔化すかのように呟き。照れ隠しなのか、手にした杯を一気に傾け飲み干してみせる。
そんな、らしくもない彼女の言葉を受けて。沈黙。
公孫瓉は、真剣な表情を趙雲に向けていた。
「……どうされました」
「なぁ、趙雲。お前は、どうなんだ」
思えば長い間、客将として公孫瓉の下にいる趙雲に対して。
主君ではなく、ひとりの武人として、なにより友として。公孫瓉は問いかける。
「お前の槍が求めているものは、幽州にあるのか?」
ふたりの間に、沈黙が流れる。
だがそれは決して、苦しく感じるものではなく。
聞こえるものは、時折触れる杯の音ばかり。新しい言葉もないままに、その夜は更けていった。
慌しい日が続いた、ある日。遼西から、幾ばくかの護衛を伴い公孫越がやって来た。
薊にある政庁を訪れた彼女は早速、公孫瓉に面会を請う。
「ご無沙汰してます、瓉姉さん」
「よく来たな、越。確かに久しぶりなはずなんだけど、なんだかそんな気がしないな」
姉のそんな言葉に同意しつつ、公孫越は笑みを浮かべる。
太守就任と同時に、引継ぎや周辺地域への対応などのあれこれをこなしていた公孫越。
それらも一区切りつき、烏丸族との同盟も周知のものとなった。
そこで、朝廷に対して烏丸との現状の報告と合わせて、遼西郡太守就任の挨拶に、と、彼女らは洛陽へと赴くことにしていたのだ。
現在、中央がキナ臭いことになっていることは十分に承知している。だが漢に仕える者として、こういったことをないがしろにすることは出来ない。かといって、代理のものを遣わして済ませられることでもない。
結局、公孫瓉と公孫越のふたりが直接、洛陽に赴くことになるのだが。
この律儀さが、中央の騒乱に巻き込まれるきっかけになるとは。ふたりは想像もしていなかった。
・あとがき
白蓮さん前に出すぎじゃね?
槇村です。御機嫌如何。
そんな白蓮さんにフラグ立ちましたー。
ひとまず、洛陽に絡む前振りを書きたかった。
ちなみに上洛する面子は、白蓮さん、星さん、それに越ちゃんです。
愛紗さんはあれだけやっといてまたお留守番。不憫な。(お前がいうな)
今回のお話は、小話をいくつかまとめたような体裁。
実はもう二つくらい入れようとしたネタがあったんですけど。
長くなりすぎるのでカットしました。
個人的にすげぇ残念。
一刀と恋さんの出番が中途半端なのはそのせいです。無理に入れると流れが滞ると判断した。
それにしても、今回の幕間は妙に書きやすかった。
また洛陽編なんだぜ。
もっとテンポよくしないとなぁ。
当方の安否に気を揉んでくださった方もいらっしゃったようで。ありがとうございます。
東京在住の槇村は、これといった被害を受けておらず。すでに日常モードに入っております。
今の槇村には、花粉のせいでハナが止まらない方が辛いです。
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スキャットは、さだまさし。
槇村です。御機嫌如何。
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