「そか。蒔さんたち、うまくやれたか」
「はい。青州に跋扈していた賊達はすべて降伏。そのうちおよそ五万を、向こうでの労働力にあてがうとのことです。で、残りはすべてこちらへと連れて来ました」
南皮城、謁見の間。玉座に座る一刀の少し手前に、徐庶が報告書をその手にし、青州での戦の顛末と、その後の降兵たちについての報告を行っていた。
「しかし一気に十五万の戦力補充か。まあ、すぐには使えんとしても、これでかなり楽にはなるな」
「……その分、維持費のほうもかなりかかりますが」
李儒の言に対し、張郃がそう懸念を示す。十五万もの人間が増える以上、それにかかる経費や食料も、当然その分一気に膨れ上がることになる。張郃は、それについてはどうなのかと、一刀に問いを投げかけた。
「そこについては、特に心配は無いですよ。ここでもようやく、今後の食糧生産や、税収のめどがついてきたしね。とはいえ、実際にそれを使えるようになるまでは、もう少し時間がかかるから、それまでは鄴からいくらか送ってもらうことで、まかなうことになるけど」
一刀の本来の本拠地である鄴郡では、ここ最近食糧の生産が一気に増大したため、糧食が少々有り余っている状態である。なので、その余剰分を南皮に回し、増えた戦力分の当座の維持に使用する。そしてさらに、
「輝里、その降兵たちのうち五万ほどを、鄴の方へと移送するよう手はずを頼むよ。何しろ向こうには、一万しか戦力が無いからね。早いうちに送って、早いうちに使えるようにしておいた方がいいから」
十五万すべてをここにとどめるのではなく、その三分の一ほどを鄴へと送り、守備のための戦力に割り振っておく。そうすることで、南皮と鄴、それぞれの負担を均一にできる。それが、一刀の考えであった。
「わかりました。……残りは、”例の”部隊として、訓練を施せばいいですか?」
「ああ。……命、あの部隊に使う装備のほうは?」
「技術的なことは一応解決出来た。しかし、数が数じゃしな、もうちっと時間がかかると思う。それに、これでまた、その必要数が増えたわけだしの」
実は現在、一刀の発案によって、ある部隊の設立が進められていた。それはおそらく、この時代ではかなり突拍子も無いものであろう。そして完成すれば、それはとんでもない戦力になりうることは、想像に難くない。……今後の北郷軍における、中核的な存在となるその部隊。
その部隊の詳細については、また後に、ご紹介する場を設けたいと思う。
「職人さんたちも頑張ってくれてるわけだし、それを無駄にはしないようにしないとね。……沙耶さん、狭霧さん。訓練のほう、よろしく頼みます」
『御意』
「さて、と。……輝里、并州のほうはどんな感じだい?向こうは匈奴が進攻してきて、ほとんどその支配下になってる、みたいな報告は聞いてるけど」
「はい。……晋陽郡、上党郡、双方ともに、半分以上が匈奴によって抑えられています。あちらの総大将の名は劉豹。……匈奴の、族長です」
ざわ、と。
一刀をはじめ、李儒も張郃も高覧も、徐庶のその報告に驚愕した。匈奴の族長自らが、この漢の地に出張って来ている。それは、彼らが本気だということ。本気で、漢土を、大陸を自らのものにしようとしている。
その戦力は強大である。おそらく、その気になれば百万からの軍勢すら、彼らには揃えることが容易なはずである。北の地には、それだけのことが出来る、広大な地が広がっているのだから。
「……なんとか、彼らと手を携えることが出来ないかな?」
『え?!』
一刀の発したその一言に、一同は思わず、その顔に驚愕の表情を浮かべた。無理も無い。元来、匈奴を始めとした異民族-通称五胡の者達とは、敵対こそすれ、支配することはあっても、協力関係を築いたことなど皆無である。事実、過去のどの王朝も、力による支配か、物品による懐柔程度しか、五胡の民たちのとの交流は一切して来ていない。
「……それはあくまでも、過去の話、だろ?……住んでる土地が違っても、こっちも向こうも、人であることに違いは無いんだ。……難しいのは分かってるけど、何とか実現にこぎつけてみたい。で、そこでなんだけど」
「駄目です」
ばっさり。
とある提案を口にしようとした一刀の言を、徐庶は一言でぶった切った。
「……あ、あの、さ?輝里さん?まだ何も言って」
「駄目ったら駄目です!……どうせ一刀さんのことですから、自分であっちに乗り込んで、直接交渉してみたい、とか言おうとしたんでしょう?」
「いや、まあ、その」
自身の考えを完全に読まれ、一刀はばつの悪そうな感じで、もごもごとその口を動かす。
「……一刀よ。前から言いたかったのじゃが……おぬし、馬鹿じゃろ?」
「あう」
「命様のおっしゃるとおりですな。主君自ら敵地に乗り込むなど、愚にもつかぬ行為です」
「あうあう」
李儒と張郃の二人からも、立て続けに駄目出しをされ、一刀は完全に縮こまる。だが、それでもあきらめきれず、何とか自分の意見を聞いてもらおうと、顔は少し伏せ気味にしたまま、上目遣いになって話をしようとした、そのときだった。
「申し上げます!幽州牧、公孫伯珪殿より使いのものが参っております!いかがいたしましょうか!?」
と、公孫賛からの使者の到来を告げる、兵士のその声が謁見の間に響き渡った。
「公孫……はて?一刀よ、公孫某とは……誰だったかの?」
「……あのさ、命。君も一度会ってるはずだろ?ほら、いつだかの連合戦の時に」
「そうだったか?……いまいち思い出せん」
う~む、と。本気で頭をひねり、何とかその人物のことを思い出そうとする李儒。……一向に出てこないようであるが。
「ほら、劉備さんの傍にいつも居た人だよ。赤い髪の」
「……おお!あれか!まっっっっっったく、存在感の感じられんかった、あの者か!」
ぽむ、と。手をたたいて、件の人物をようやく思い出した、といった感じの李儒であった。……何気に酷い事をのたまいながら。
「……そこまで影薄かったっけ、あの人。まあ、どことなく映えない人ではあったけどさ」
「一刀さんも何気に酷いですよ?……使者の人、お通ししていいんですか?」
「あ。あ、はは……お願いします」
少しして。
一刀の前に、その女性が拱手をして頭を下げていた。真っ白な髪だけがやたらと目立つ以外、これといって特徴の無い姿をしたその女性-単経が。
「お初にお目にかかります。幽州の牧、公孫伯珪が配下、単経、いいます。以後、お見知りおきのほどを」
彼女独特の、そのしゃべり方。そのイントネーションは一刀にとっても、あまり聞き覚えの無い話し方だった。……テレビなどの中で、舞妓さんなどが話すぐらいしか、まず、日常では聞くことのなかった、いわゆる京都弁というやつである。
(……由と張遼さんの関西弁もそうだけど、この世界って、一体どういう言語で成り立ってるんだか)
そこは言っちゃあいけないお約束です(笑。
「……どうかしはりましたか?」
「あ、いえ。……失礼しました。はじめまして、北郷一刀、です。冀州、及び青州の……」
「?」
自己紹介の途中で、一刀はその言葉を突然に途切れさせた。その理由は、自分の立場をどうなるべきか、と悩んだためである。
一刀の今の立場は、公的には無位無官、である。すでに漢との袂を分かった以上、その漢の役を名乗るのもどうかと、一刀は躊躇したわけである。とはいえ、実質、今現在両州を統治しているのが、一刀であることに違いは無い。そんな状況にある者が、己をどう名乗ればいいのか。
そんな一刀に気づき、助け舟を出したのは李儒であった。
「……どうされましたか?”刺史”殿?」
「!?……いや、刺史……か。うん。……単経さん、重ね重ね失礼をしました。改めまして、北郷一刀、冀州及び青州の刺史、です。よろしく」
李儒は一刀を刺史と呼んだ。今の一刀の立場であれば、それが一番、当てはまるものだと判断したからだ。たとえ、漢から離れたとはいえ、その為すべきことは同じところ。それ故、刺史と名乗るのが現状最もふさわしいと、彼女はそう考えたわけである。
「まあ別に、あの時点で王を名乗っていても、それはそれでよかったとは思うがの」
と、後に一刀に対して、李儒がそう語ったという。もっとも、その時点で一刀にその気が無いことは、彼女らにもよく分かってはいたが。
「……何かと複雑な立場でありんすな。……それはそれとして、北郷はん、本日は主である公孫伯珪から、援軍の要請をお伝えに参りました。……烏丸の地に、攻め込むために」
『な……っ!?』
烏丸の地に攻め込む。そのために援軍を送って欲しいと、単経はそう言った。しかし、である。
(……まあ、白蓮はんはほんなこと、一言も言うても、おりまへんけどな)
そう。
彼女の主である公孫賛は、一刀たちに、”烏丸攻めの”、協力を頼んだというわけではない。公孫賛自身は、并州の匈奴たちへのけん制を、一刀に頼むつもりで居た。そうすることで後顧の憂いをなくし、”自分たちだけ”で、烏丸の地に入るつもりなのである。そしてそのことは、単経にもはっきりと伝えていた。
だが、単経はあえて、烏丸攻めの援軍を、と。一刀に言って見せたのである。それによって一刀がどう出るか。北郷一刀という人物が、安心して主の背を任せられる人物であるか。それを確かめるために。そして、一刀の判断次第によっては、懐に隠し持った短刀を使うことに、彼女はなんのためらいも無かった。
(さあ、どうしはりますか?天の御遣いはん?生半な答えじゃ、うちは納得しまへんえ?)
「……単経さん。公孫賛さんは、本当に烏丸の地に攻め込むつもりなんですか?」
「……今のところ、うちらの対烏丸への備えは、全部後手後手に回ってしまっておりますよってに。ここらで攻勢に転じておかないと、後々厄介やおますさかいな」
少なくとも、烏丸に対して何がしかを仕掛けることに、間違いはない。ただ、公孫賛本人の考えでは、一刀達に戦力自体を提供してもらおうとは、微塵にも思っていないだけである。
「……ふむ。となると、やっぱりさっきの話をやることになるかな」
「一刀さん!」
「……何のことですやろか?」
「いえね。今、并州に出張ってきている匈奴の人たちなんですが、どうやら、族長の劉豹という人が、直接出て来ているらしいんです」
「何ですて?……ほんまですか?」
「ええ。だから、この機会に一度、彼らと直接話し合って、対等の立場で同盟を組めないかなと、さっきそんな話をしてたんですよ。……まあ、思いっきり反対されてますけど」
自嘲気味に、そんなことを言いながら笑う一刀を見て、単経は思い切り呆れていた。
(何を考えてはるんやろか、この男は)
それももっともな疑問だった。異民族である彼らとは、自分達も幾度か交渉を持ったことは確かにある。だがそれは、あくまでも彼らのご機嫌取り程度のものでしかなった。対等な立場で手を組むなんて、考えたこともなかったことだ。それを、この男は事も無げに言って見せたのだ。しかも、その表情を見る限り、成功する可能性のほうを念頭においている。
-危険すぎる。
と、単経はそう思った。……この場合の危険、とは、一刀の身の事ではもちろん無い。そんな、誰もが為そうとすら思わなかったことを、あっさりと思いついてしまう、一刀のその柔軟な思考。それは、”常識”に捕らわれていないということを、示している。
過去に一度も無かったことでも、今という時に必要とあれば、ためらい無く実行に移せる。それは、並大抵の器の持ち主では、決してできないこと。一刀のその器は、間違いなく並大抵の大きさではない。自身の主である公孫賛など、とても及ばない器の持ち主だと。
単経は、一刀をそう見定めた。主のためには、存在していてはいけない人物だと。この男がいる限り、公孫賛が王になることなど、天と地がひっくり返っても、ありえはしない。ならば-。
す、と。
周囲に気づかれぬよう、単経はその懐へと手を入れる。その中に入っている短刀をぎゅっと掴み、”その機”を伺いつつ、再び一刀に問いを投げかける。
「……ほなお聞きしますが、もし、仮に彼らと手を組んだ場合、北郷はんは今後、いかになされるおつもりどす?……彼らの戦力を使い、大陸を我が物にでもする気ですか?」
「……え?」
「え……って。…いや、けど、五胡と協力するいうことは、彼らの戦力を取り込む、いうことになりはしませんか?」
きょとん。
そんな表現がぴったりの顔を一瞬した後、単経は思わずそう問いかけていた。それに対し、一刀の反応はというと。
「あー……いわれてみればそうですよね。はは、そこまで考えて無かったですよ。俺が彼らと手を携えたいと思ったのは、彼らと対等に交易なんかが出来ればいいなと、そう思ったからですよ。そうすれば、向こうにもこっちにも、相手を襲って物を奪う、なんてこと、する必要がなくなりますからね」
そうなれば勿論、戦も回避できて、無駄な死人も出なくて済みますし。と、一刀は笑ってそう返したのである。
「……」
「その上で、彼らにはこちらへの不可侵を、約してもらおうと思ってます。むろん、こちらからの不可侵も条件にです。……こっちのことはこっちだけで済ます。だからけして、介入はしてこないようにと、ね」
一刀のその言葉に呆然とする単経。その状態でも、彼女の脳はしっかりと判断を行っていた。
(……格が、違いすぎる……)
この男は、己の栄達などまったく考えていない。ただ、人々が苦悩しなくていい、血を流し合う事をしなくていい。そんな世の中を、その瞳の先に見据えているだけ。だからこそ、五胡の者をも対等の存在として見ている。……今の大陸の、誰も到達していない、その視界の高み。彼は、そこにいるのだと。
己が主を王にする。そのためならなんでも出来ると、単経は今まで思ってきた。だがそれは、なんと狭い視野での思考だったのか。
単経は、己も気付かぬうちに、その双眸から涙をあふれさせていた。
「ぜ、単経さん?!どうしたんですか急に!?ど、どこか具合の悪いところでも……?!」
「いえ、何でもありまへん。……己の小ささがあまりに情けなさ過ぎて、少々涙腺が緩んでしもただけどす。……どうか、お気に無さりまへんよう」
ぐい、と。涙を袖でぬぐい、単経は改めて、一刀に対して膝をついて礼をとる。
「お見苦しいとこお見せしました。……北郷様、改めまして、わが主よりの”本当の”言葉をお伝えいたします」
「え?」
「……わが主は、北郷様との”同盟”を望んでおります。そのお話のため、是非に北平の地にお越し願いとう思います。どうか、お聞き届けいただきますよう、この通り、伏してお願いいたします」
深々と。単経は床に、頭をこすり付けて懇願した。先の言には間違いが含まれていたこと。そしてそれは、自分が自分の判断で行ったことを、包み隠さず話して。
(……一国の主をたばかったんやし、これでうちも終わりやな。……白蓮はん、後はあんじょう頼みます)
罵声とともに、自分の首に剣が振り下ろされる。単経はその瞬間を、脳裏に公孫賛の姿を思い浮かべつつ待った。だが、その時は一向にくる気配が無かった。
「……北郷様?……なぜ、ご自分を騙した者を、手打ちにされないのですか?」
「……それに、何の意味があるんです?」
「え?」
玉座から立ち上がり、一刀は床に頭をつけたままの彼女に近づく。そして、ぽん、と。その肩に手を置いて、顔を上げるように促した。
「……貴女のしたことは、公孫賛さんのことを思ってのことでしょう?そりゃ、まったく怒ってないとは言いませんけど、そんな忠義の士を手打ちにするなんてこと、俺には決して出来ませんよ」
「で、ですが」
「貴女はもう、十分に反省しているのでしょう?なら、それでもういいです。それに、あなたを斬って、同盟の話を白紙にするわけにも、いきませんから。……ね?」
にっこり。
いつもの落としの笑み(本人無自覚)を、やさしく単経に向ける一刀。
「……は、はい!ありがとうございます!!」
(……こんな、優しゅうてええ男、初めて会うたわ……///)
ぼ~っと。顔を真っ赤にして、一刀のその笑みに返す、単経。そして、それを見ていたほかの四人が、呆れた口調でこう話していた。
「……また、被害者が出た」
「……抑えられんのかの、一刀の”あれ”は」
「……無理でしょう、多分」
「無理だと思います」
はあ~、と。
思い切り肩を落として嘆息する、徐庶と李儒の二人であった。
それから三日後。
兵の調練を行う張郃と高覧の二人を残し、一刀と徐庶、そして李儒の三人が、単経の先導によって南皮の地を発った。
目指すは勿論、公孫賛の治める北平の地。
途中、一刀の要請を受けて、青州から駆けつけて来た姜維率いる一万の兵と合流し、三万の蒼き軍団は、北へとその歩みを進めていく。
風を受けてはためく『十』の旗を先頭に、一行は幽州へと入った。
五胡と呼ばれる異民族。
その彼らとの、初の邂逅。
共存か。
それとも、争いか。
運命のときは、刻一刻と、彼らの前に、その姿を現そうとしていた。
~続く~
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はい、皆さんこんにちわ。
北朝伝の四章・二幕目をお届けです。
一刀の下に、公孫賛の使者としてやってきた単経。
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