No.20101

こはるびより探偵日記 第一話『黒板の裏側』後編

秋莉さん

『名探偵』は喫茶店の店主にして和装の魔法使い、ワトソン役は女子高生。ミステリらしきものと現代ファンタジーの混合物。
第一話、出会いは森の熊さんで、再会は殺人事件現場にて。

現在、サイトでメインに更新しているものの第一話(後編)です。四年前の作品。

2008-07-19 03:46:27 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:607   閲覧ユーザー数:593

第四章「猿と吸血鬼」

 

   1

 

 それから数日が過ぎた。あたしは言われた通りの調査をして、その結果をまとめた紙を持って、あの店の前に立った。

 

――何て言うか、入るのにものすごく勇気が要る。

 

最初にここに来た時には、こんな風な緊張なんてしなかったのに――……何か、心境とかって変わってるのかな、やっぱり。あたしはひとつ、ため息を吐いた。それからポケットに突っ込んだメモを取り出して眺めて、またため息を吐く。報告義務がある。やると言ったんだから、やった事はちゃんと報告しなきゃ。直実さんが困るだけじゃない、事件だって解決しないし、しいてはあたしたちの学校生活にだって関わるんだから。

 

 そしてあたしは、その店の扉を、ゆっくりと開けた。

「いらっしゃいませ――……、あぁ!こんにちは」

「こんにちは――」

この後に続く言葉が見当たらない。うーむ、こういう場合はあれかな、『結果報告に参りましたッ!!』とか叫んでみた方がいいんだろうか――……って、そんなはずがない。そんな事したら、直実さんに変人だと思われる。変な人に変人だなんて思われたらもう、最悪だ……。

 あたしはとりあえず、前回ここに来た時と同じ席に座った。直実さんも何も言わずに紅茶を淹れ始める。それが、当たり前の事であるように――……。

 

勿論それは、彼にとっては当然の行為なんだろうと思う。

仮にもカフェの、マスターなんだし。

 

 ついこの前まで、あたしはこの店の存在も知らなかった。ずっとこの近くに住んでいたのに、ただ通り過ぎるだけで――……気にする事もせず。2年前って言うと、中学の頃か。うーん、普通に生活してたと思うんだけどなぁ。

 でもとにかく、ここは全く知らない、未知の世界だった。そこにあたしは今居て、何だか不思議な人とか、妙な生き物とかと話している。偶然って、やっぱり凄いと思った。

 そんな、訳の判らない事を考えているうち――、紅茶が入ったらしかった。その間ずっと無言だったあたしの座っているテーブルに、あの小猿がちょこちょこと走ってきた。

「何だよ、元気ねェな。やっぱ気乗りしねェのか?」

「……え?な、何の話よ」

「ははーん、さては図星だ!サネ、この子嫌がってるぜ。あんまり客をこき使うのも良くないぞ、大人としてさ」

小猿が甲高い声で直実さんに向かって叫ぶ。当の直実さんは小猿……えっと、ハル君をあからさまに嫌がる顔をして、応答した。

「うるさい、小猿。その口塞ぐぞ」

「かッ、勘弁してくれよサネッ、俺そこまでの事したか!?」

「あぁ、してるな。――スミマセン、こういうヤツですから。紅茶、どうぞ」

あたしの目の前にスッとカップを差し出して、直実さんは微笑む。そういう仕草はさすがに客商売、慣れているんだろうと思う。

「――あ、ありがとうございます」

あたしは礼だけ言って、目の前の紅茶だけを眺めた。正面とか横とかを一切見ないようにして、ひたすら立ち昇る湯気を凝視した。そこに何か目的がある訳では、無かったけど。

 直実さんはカウンターから出てきて、あたしの正面の席――カウンターからは一番近い――に座ったらしかった。それから自分の紅茶をカップに淹れて、ポットをカウンターに戻した。

「――調査は、どうだった?」

前回よりも何となく、優しげな声に聞こえる。あたしはようやく顔を上げて、ポケットのメモを慌てて取り出す。あぁもう、こんな調子じゃ緊張してるのがバレるじゃない……。

「それだけで、いいんですか?普段の登校経路と、時間と……」

「守衛が確認していれば、尚更いい。覚えていただろ?」

「はい――……でもどうして覚えてるって」

「いや、それならいいと思っただけだ。生徒ならともかく、先生や助手の数はそんなに言うほど多くない。毎日様子を見ていれば、同じ顔が同じ時刻に来なくて奇妙しいと思うのも当然だと思うよ」

現実には、同じ顔は同じ時刻に来た訳だけれど――……。

 あたしが聞き込んだのは、家庭科研究室に居る3人と、守衛さんの4人。

「サネ、話聞かせてくれよ。俺まだ捜査の経過全然聞いてねェぞ?」

ハル君があたしと直実さんの中間に座って、あっけらかんとした口調で言った。直実さんは今の言葉には怒る事もなく、ただ「あぁ」とだけ言ってメモをあたしに返した。

「それじゃ――……証言を、まとめよう」

 今日初めて見る、彼の真剣な目だった。

 

   *

 

「まずは家庭科の教員、小杉夏江38歳。彼女は非常勤の講師だから、学校には毎日来る訳では無さそうだな。住んでいるのは学校の最寄駅近くか。いつもは自転車通勤で、守衛の話だと誰より先に登校すると。この日もいつも通り、7時10分頃に通ったのを目撃されているし、本人もそう認めている。研究室に行って……調理室にも、誰にも居なかったと証言しているか」

「その後、小杉先生は研究室から出ています……戻ってきたのは事件発覚の後だったと」

「何をしに行ったのかは?」

「事務室の方に用事があったとか……事務室の方にも聞いた方が良かったですか?」

「いや、今の段階では構わないよ。

――次、田宮一美26歳、家庭科助手。彼女は電車だな。で、駅からは徒歩。正門を通ったのは7時30分頃……守衛が挨拶されたのを覚えていたと。彼女は研究室へ行ってから昼食を買い忘れていた事に気付いて、近くのコンビニへ買い出しに行った、と。その時はもう守衛も見ていなかったか」

「はい……さすがに全員覚えている訳じゃなさそうでした」

「そりゃそーだよ、サネ。守衛を天才だと思うなよ?」

ハル君の言ってる事は正論なんだけど――……直実さんが小猿の耳を引っ張った。

「いででででぇッ、何しやがるッ」

「別開口」

え?今何て言った?あたしには――聞き取れなかった。日本語じゃなかったのかな?代わりにハル君の声が聞こえなくなった。

 直実さんは平然と続ける。

「続いて初島小夜28歳、同じく家庭科助手。彼女も電車、駅からは徒歩。門を通ったのは7時40分頃か。研究室へ入ってからはずっとパソコンで仕事をしていて――調理室の方は見ていない」

「アリバイは全員無ェな」

ハル君がすかさず突っ込む。直実さんが頷く。

「そうだな」

「あの……この中に、犯人が居るんですか?」

あたしは恐々と尋ねた。だって、誰にしたってあたしの学校の人なんだよ?内部に犯人が居るってだけでも、嬉しくなんて無い。むしろ辛いし、学校のイメージだって下がっちゃうし。

 直実さんは少し考えてから、こう言った。

「――まだ判らない。でも、その可能性はかなり高いだろうな、残念ながら」

「……そうですか」

「他の科目の教員あるいは事務員が、家庭科室を訪ねるって言う理由が見つからないんだ。しかも朝だろ。それと、殺した訳も判らない。よく知った仲だと言うならともかく、この……何だ、松井先生か。この人は5年前にこの学校に来たばっかりだ」

「積年の恨みってヤツは無ェんだな」

ハル君はそう言うけど、直実さんは頷かない。5年でも充分、積年になる気がするから――……あたしも、頷けなかった。

「何だよー、賛同者ナシ!?俺って孤独ー」

おいおい、これだけで孤独になるな、小猿よ。

「で、アリバイは全員無い……」

疑わしいのは全員、って話か。何だか残酷。

「まぁ、何処から攻めるかは後の問題だな。それで――楓さんにひとつ、第一発見者として聞きたい事がある」

「? 何ですか?」

直実さんは少し考えるような仕草をしてから、静かな口調で、言った。

「――……被害者……松井さんは、どっちを向いて倒れていたか?」

どっちを――……向いて。

どう、だったっけ?あんまりよく、思い出せない――どちらかと言うと、思い出したくなかった。

 

でも、協力しなきゃ。あたしが協力者になるって、あたしが自分で言ったんじゃない。

思い出せ――……あたしは目を瞑る。

 

あたしが現場を見たとき、確か――そう、あたしは倒れてるのがゴジラだって事にすぐ気付けた。

って事はつまり、ゴジラの顔が見えたって事よね。

身体は半分調理台に隠れていて――要はうつ伏せで、顔を横に向けて寝てる状態って事か。

 

あたしはそれを説明した。

「……なるほど。犯人が素直かどうか、計画性の有無――……微妙な所だな」

直実さんはいつの間に取り出したのか、シャーペンをくるくると回しながら考えている。小猿状態のハル君がそのシャーペンの動きを止めたけど、その瞬間に直実さんに押し潰された。叫び声が耳につく。

「うるさい。人の思考を邪魔するんじゃない」

「お前なッ、何でもかんでも邪魔なら排除していいモンだと思うなよッ!!俺はな、これでも偉大なるドラキュラ伯爵の血を引いた――」

「はいはい判りましたよ。だからこそ猿にしてるのに、そう騒がれちゃ意味が無い。今度は店で一切喋れないように術を掛けておこうか?」

直実さんがハル君を睨みつける。結構怖い。あたしは傍観者としてその様子を眺めながら、笑いを堪えた。やっぱり端から見るだけだと――……人の不幸って蜜の味、なのね。

 ん?そう言えばさっき、気になる事言ってたような気がする。

「ドラキュラ伯爵……?」

ハル君が敏感に反応して、あたしの目の前まで走ってくる。

「そうッ!!楓サンも勿論知ってるだろッ、ドラキュラ伯爵――……」

「まぁそりゃ……名前ぐらいは。血を引くって、どういう事?」

自分の話だからかも判らないけど、ハル君の目が輝いている気がする。猿の顔で嬉しそうに笑いながら、「それはなぁ」と説明を始めようとする。

 そこへ直実さんが手を出して、小さな身体を摘み上げた。あー、小動物って無力だ。

「血を引いてる、ってだけだ。力も遠く及ばない、ただ血を糧とするだけの鬱陶しいヴァンパイアに過ぎない」

「鬱陶しいって何だよッ、俺だって頑張って生きてるんだぜ!?」

「じゃあ私の術に負けないように鍛えるんだな。毎日筋トレ3時間とか、やってみるか?」

それって術と関係あるんだろうか。すっごく、関係無さそうに思えるんですけれど?

でもあたしはそれを決して声に出したりはしないで、ただそのやり取りを眺めて、笑った。

 

何だかやっぱり、楽しい。

こうして傍観者で居られるからかも知れないけど――……でもやっぱりこの店、入ってみると不思議と落ち着ける。

 

入るまでは、やたらと緊張するんだけどな――。

 

そうか、ハル君ってヴァンパイアなんだ――……何だかホントに、お伽話の世界。

凄いトコに入り込んじゃったな、あたしってば。

それなのに、物凄く不思議な事なのに、何故か自然と受け入れられた。

普通だったら半端じゃなく驚くか、あるいは冗談と受け取るかのどっちかだろうな。

 

尤も――……もしここに来てなかったとしても、この2人には事件現場で出会ったんだろうけど。

 

うーん、そう考えるとやっぱり運命って酷ね。

 

「とりあえず、細かい証拠物品は警察を頼ろう……純が何とかしてくれるだろう。

さて、考えないとな――……外向き、か」

直実さんは自分の世界に入りそうな感じ。

ハル君はハル君でため息を吐いて、あたしの方に寄って来た。

「……ったく、俺を何だと思ってるんだか……」

「そういえば、いつから一緒に居るの?ハル君たち」

あたしが訊くと、ハル君は自分と直実さんを交互に指差した。あたしは頷く。

そしたらまたハル君、ため息。

「サネが子供の頃からだぜ。まぁ俺も……子供っていうか、赤ん坊だったけどな。25年間でニンゲンの10歳程度成長したんだから……ヴァンパイアとしちゃ速い方だ」

「え……何、どこで会ったの?街角でバッタリ、って訳じゃないでしょ?直実さんだって子供だったんだし、」

「あいつの家ン中さ。俺が偶々入り込んだところで―――ちょっとした、事故があってさ」

「ハル、その辺にしておけ。赤の他人に無駄な話をする必要は無い」

直実さん復活。

何だかちょっと、怖い感じがする。

これまでも何度か感じた事はあるけど――……やっぱりこういう顔を見ると、この店の雰囲気が一気に変わる。主人のイメージの問題なのかな、店の雰囲気って。不思議。

 ハル君が身体全体を使って反論した。

「何だよ、楓さんは俺らに興味持ってくれたんだぜ!?ちょっとぐらい言ってもいいじゃねぇかよッ」

「お前は『ちょっと』の程度を判ってないよ。どの辺りまで話していいのかを理解してないな。だからまだ子供扱いされるんだ。ハル、今年でいくつになる?」

「お前と同じだよ、悪かったなチビで!」

会話が錯綜してる…………この中にあたしが居てもいいのか、正直よく判らなかった。

 あたしはまだ残っていた紅茶を飲みながら、2人のやり取りを眺めた。一見、一方的に直実さんが色々言ってるように見えるけど――ハル君もそれを全部跳ね返して、ちゃんと会話が成り立っている。それが凄い。さすがに25年も一緒に居ればそうもなるか、やっぱり。

 

 そんな事を考えていたら、会話があたしに関わる方向に逸れていた。

「大体サネ、ケーキの1つくらい出しゃーいいのによ。茶だけ飲ませてハイサヨウナラ、か?協力してもらうんならそれなりの誠意を持って接しないとな!」

「……ハルの言ってる事は的を得てたり得てなかったりするから嫌だよ……」

そう言いながらも直実さんは立ち上がって、店の奥の方へ向かった。

 

「不器用なんだよ」

不意にハル君が真面目な顔で、呟く。

それ以上は、何も言おうとしなかった。

 

誰に向けられた言葉なのか。

 

誰の事を言っているのか。

 

それすらも、彼は話そうとはしなかった。

多分、ただ独り言を呟いただけで――……あたしの事は、考えてなかったんだと思うけど。

 

ハル君はそのまま机の上で寝転がって目を閉じると――……すぐに寝息を立て始めてしまった。あたしは彼を起こさないように、なるべく音を立てないように努力した。

 

店の中が、静かだった。

人が居ないんだから当たり前だけど――、静かで、穏やかで、ゆったりとした空気。

家とか学校じゃ考えられないような、雰囲気。

 

こういうの、人間って求めてるのかなぁ。

にぎやかなのはそれはそれでいい。でもやっぱりほら、『癒し』って流行ってるじゃない、随分前から。そういうのもきっと、必要なんだろうね。

少なくともあたしは、今のこの状況が、気に入った。

 

 そんな事を考えている内に、奥から直実さんがお盆を持って戻ってきた。

「何がいいのか判らなかったので――……とりあえず、先日と同じモノで。――代金は要りませんからね」

そう言って、直実さんがあたしの前にチーズケーキを置いてくれた。

「え、あ、ありがとうございます!スミマセン、ケーキまで奢ってもらうつもり無かったんですけど」

「いえ――……こいつの助言ですから」

苦笑しながら、直実さんは寝ているハル君の耳をつついたりして遊んでいた。当のハル君は睡眠中ながらもその辺りの事には気付いているようで、何とも言えない、辛そうな表情をしている。そんなところが何だか面白くて、あたしはつい、声を出して笑っちゃった。そしたら直実さんも気付いてくれて、一緒に笑ってくれた。

 ハル君はそれにもすぐ慣れて、またすぐ気持ち良さそうに寝入ってしまった。結局、2人で笑ったのは数秒だった。面白い事があったから笑う、ごく当たり前の事なのに――それが何故か、嬉しかった。

 何だろう、こういうの――……あたしにはまだ何も、判断できない。

「――とりあえず……明後日、だったかな。土曜日。ここに純……この前の刑事が来る予定なんだ。だからもし都合が良ければ、その時にも来て貰えるか?」

「えっと、明後日の……いつですか?時間が」

「あぁ、そうか――午後、午後なら大丈夫だろう?土曜の午後まで授業があるなんて学校は生まれてこの方聞いたことが無い」

「あー、そうですね。午後……それじゃ、食事してからすぐ来ます。それでいいですよね?」

あたしはそう言いながら、チーズケーキを口に運んだ。

やっぱり美味しい。えっと、全部直実さんが作ってるんだよね?そうか、和服着てるけどいわゆるパティシエなんだよね。そう考えるとやっぱり変かも、この人。

 当の直実さんはあたしがそんな事を考えているのに気付いているのか居ないのか、微笑みとも苦笑ともつかない、微妙な顔で笑って答えてくれた。

「そうですね。それでお願いします。警察を交えればもっと話が進めやすくなりますから」

「はい――」

頷きながら、ふと思う事があった。

チーズケーキ、最後の一口。

これを飲み込んだら、言おう。言わないと、いけない気がする。

 

ケーキを飲み込んで――……最後の紅茶を、飲む。

 

「あの――……犯人、絶対見つけて下さい。

あたし、ゴジラの……ま、松井先生の事、そんなに好きだったって訳じゃないけど、でも殺すなんて――……酷すぎると思うから。前にもウチの学校の先生で事件に巻き込まれて死んじゃった先生が居て、その人の事件はまだ解決してないんです。あたし、それ聞いて――……警察の事、疑い始めたんです。あんな人たち、信用出来ないんだなって」

「そういう事もあるんですよ。信じられなくなっても仕方の無い事――……その事件は多分、まだまだ解決しないでしょうね」

「……ご存知なんですか?」

「何となくあの事件だろうと、想像はついています。――貴女はその先生が好きだったんですね」

「……え?ど、どうしてですか?」

それから直実さんはニッコリと微笑んで、答える。

 

 

 

「随分哀しそうに話すから――……そう思ったんですよ」

 

 

 

穏やかな口調。あたしに同情しているのか、否か。

 

全然嫌らしくなんて無くて、ただ――……右の瞳が、薄っすらと碧く色づいたような気がした。

 

それが何だったのかは、よく判らない。ただ単に光の加減、かも知れない。

 

 

とにかくあたしは店を出て、帰路についた。

歩いている内にあの先生の事を思い出して、少し辛くなった。

 

ただ、それだけ。

あたしはまだ、諦めてはいないの。

 

 

   2

 

 翌々日、土曜日。午前授業を何事もなく終えて、あたしは家に戻ってきた。そういえば、家庭科の担当は別の先生に代わった。この前調査した、小杉って人。まぁ授業は気楽だけど、まだまだどういう人なのかは判らない。これから、ってところかな。

 ん。そういえば直実さん、あの人たちの中に犯人がいる可能性が高いって言ってたよな――……もしあの先生が犯人だったら、ウチの学校どうなるんだろう。急遽講師募集でもするのかな?あともう少しで今年も終わりだって言うのに……大変そう……って、そんな不吉な事考えちゃいけないよ、楓。

 昼食――ラーメンだった――を軽く食べて、私服に着替えて、財布の入った鞄を持つと、あたしは兄さんに挨拶もしないで家を出た。さすがに3回目だから、今度は自腹でお茶飲もう。

 

 いつもの店の前で、立ち止まる。そして見上げる。そういえば、あたしがこの店に居る間に、他のお客さんが入ってるのを見た事が無い。そういうのを突っ込むのは嫌だけど――……でも、やっぱり入りにくいんだろうな。主人はちょっと変だけどケーキも紅茶も美味しいし、入って損は無いかな、ってところだけど。やっぱり場所かな。駅から少し遠いし。

 あたしはドアを開けた。

 

そこでは直実さんと純さんの、物凄い死闘が繰り広げられていた。

「だからないいかサネ。研究室にずっといたって言うこいつが犯人に決まってるんだよ。動機だってそもそも全員にあるんだ」

「動機だけで犯人が決められるんなら苦労はしないさ」

「だーからさ、他の2人は外に出掛けてるんだぜ?絶好のチャンスじゃないかよ!1人で黙って研究室に居る方がおかし……あれ?この前の第一発見者さん」

「こ……こんにちは」

開けていきなりこの惨状を見せられて、挨拶なんて出来るはずがなかった。

あたしは苦笑しながら、端から2人の会話を眺められそうな席に座った。

「純、チャンスがあったってだけで人が殺せるんなら、今頃世の中は殺人犯だらけだよ。もっと複合的な原因が無いと、そこまでは踏み切れないさ――特にこの場合は女性だ」

「男女は関係ないっつーの!いいか、この事件はな、被害者も加害者も女で、心臓一突きにして即死させられるほどの体力は無くて、結果何度も何度も刺して抜いてを繰り返してるんだよ、惨い事にな。関係者に男は居ないし、犯人が女なのは確定事項で」

「第一発見者の前でそういう事を平然と言うな、純。……刺して、抜いてるのか」

「あぁ、抜いてる。当然返り血は浴びてるな。現場も血の海だったし……そうでしたよね」

え、あたし?いきなり訊かれて戸惑いながら、あたしは必死に頷いた。

 確かにそうだった。だからこそあたしは気を失ったんであって――……ただ倒れてるだけだったら、別に何てことは無い、普通に救急車を呼んだだろうと思う。

「浴びた服をどうしたか、だな」

「あぁ。ゴミ捨て場に棄てたんじゃねェかとは言われてるぞ。あの辺りはゴミ収集が8時で早いからな、既に証拠は隠滅されてるってトコだな」

「…………どうしてそれを言わなかったんだ」

直実さん、明らかに嫌悪感が表れてるんですけど。でも純さんはそんなこと全然気にせずに話を続ける。やっぱりこの2人、さすがは幼なじみ。

「嘘だよ。収拾業者の方が、血のついた服があったつって警察に通報してたさ。証拠品は今、署の中で眠ってるぜ」

「眠らすな!!ちゃんと調査に使わせてくれよ?」

「判ってます判ってます、名探偵直実サマ。頼みの綱なんだからさ」

「お前で解決出来るんなら、私は店に集中できて良いんだよ。事件を持ってくるなら、それなりの報酬を貰うって前から言ってるだろう?」

「あぁ、だからちゃんと払ってるじゃねーか。それでご不満なのか?」

「不満って訳じゃなくてな……あれお前まさか、経費で出してないだろうな?」

「ご名答!俺が自腹切るワケ無いだろ直実君」

直実さんがため息を吐いた。

「前々から純がどういうヤツか知ってはいたけどな――……」

純さんがニヤリと笑った。

「あぁ、お前がどういうヤツかも判ってるよ。伊達に20年も付き合ってないさ。桧村家の御曹司が、何をまぁ大都市東京で寂しい茶店開いてんだかってのが不思議だよ」

御曹司?御曹司って言った?

「実家が何だろうと関係無い話だ。勘当されてるも同然だしな」

「おぉ、可哀相な直実君。でもお前が本当に離れたら、実家は困る訳なんだろ?」

話が判らなくなってきた。

あたし、退席した方がいいのかな――……。

「困るから、今度の話だってあるんだ――……こんな家に兄弟2人プラスハル、3人で生活なんて出来る訳が無い」

「出来ないんなら何で受けたんだよ」

「……仕方ないからな」

直実さんが小さな声で呟いて、話しながらも淹れていたらしい紅茶をあたしに差し出してくれた。

「あっ……スミマセン、あたし」

「いいんです。来て頂いたのに構いもせずにこんな話をしていた方が悪いんですから」

申し訳なさそうに微笑む。笑っていれば、全然怖くなんて無いんだけどな――……。

「いい加減に――……何とかしないと。こんな事件を長引かせる訳には行かないでしょう。

――話を、進めましょう」

「やっと本気になりやがったな」

純さんが嘲笑する。直実さんもそれに応じて、少しだけ、笑った。

 あたしには、意味が判らなかった。

 旧い友達って――……それだけで、不思議なモノ、なのかも知れない。

第五章「雪が雨に変わるとき」

 

   1

 

 真剣な顔になった2人を前にしながら、あたしはテーブルの上に次々と出されていく資料の多さに気が滅入りそうになった。写真……容疑者の顔写真、プロフィール、タイムテーブルなどなど。

 もしあたしが、この事件に一切関わってなかったとしたら――……きっと、さっさと解決しやがれ役立たずの警察め、なんて考えていたかも知れない。こんな事件速く解決しないと、学校の評判、って言うか――とにかく、色んなところに影響出てきちゃうんだからさ。

 でも――実際こうして関わってみると、何とも言えない感覚になる。警察の事馬鹿になんて出来ないし……第一、あたしの頭じゃ犯人なんて判らないし。

「それで、サネ。お前は誰が犯人だと踏んでるんだよ」

「いきなりそれを訊くのか、お前は……」

「あのな、それを聞かない事には話が始まらねェの。判る?俺はさっき言っただろ、だからお前に訊いてんだ」

なるほど、そういう論理ね。

直実さんは一呼吸置いてから、答える。

「――……説明はここでしない方がいい。まだ私の考えも……確証が取れた訳じゃないんだ。説明は全ての容疑者の前でやった方がいいだろう。学校へ行けるかどうか……そうだ、楓さん。君にお願いがあるんだが」

「何でしょう?」

簡単な事ならいいんだけど。

「時間を測って欲しい。どれくらいの時間で行けるのかが知りたいんだ」

「時間……ですか」

「そう」

直実さんはカウンターに備え付けられていたメモに、あたしが調べるべき内容をスラスラと書いた。そしてそれを破って、あたしに渡す。

 あたしはそれを受け取って、眺める。

 少し恥ずかしいっちゃ恥ずかしいけど――……出来ない事じゃなさそうだ。あたしは頷いた。

「よし……ハル!明日1日、彼女に付いていってくれないか?計測は誰かが手伝わないと行けないしな、お前なら時計なんか無くても正確に測れるだろう」

ハル君が――……付いて来る?

ちょっと待て、それは今日明日ずっと、あの小猿と一緒に居なきゃいけないって事?嫌だとは言わないけどさ――……何でまた、そんな事になるの?

 小猿がちょこちょこと走ってくる。

「へいへい……そんじゃ今日1日の寝床よろしく、しげるさん」

「ち、違うっつってんだろがぁあッ!!

――…………ッ、紅茶ゴチソウサマでした、さようならッ」

あたしは小猿を引っ張って店から出た。

扉を閉めて、すぐにそこから走り去った。

 

何だか判らないけど――……妙に、腹が立った。

 

名前をいじられたからとか、そういうんじゃなくて――……もっと、別のところで。

 

一気に走って疲れ、立ち止まったあたしの後ろに、子供が立っていた。

小猿、じゃなくて――本来の姿なんだろう、ハル君が居る。

この前とは違う銀色の髪、襟元には長いリボンを結んでいる――現代日本って事を考えると、かなり変わった格好。

 

「…………あんたも不器用なんだな」

 

ハル君が呟く。

 

「当たり前の事言わないで。――行くよ」

 

あたしは後ろを見ずに答えて、すぐに出発し直した。

 

ゆっくりと歩くあたしの後ろを同じペースで追う子供の影が――……妙に、切なく見えた。

 

 

   *

 

 

「……行っちまった、なぁ」

 

純が呟くように言った。

 

「あれじゃ目立つから術を掛けてやろうと思ってたんだが」

 

「へぇ、どんな?」

 

「鳥か鼠か……辺りにしてやろうかと。虫じゃ潰されかねないし」

 

「…………サネお前、実はかなり腹黒いだろ」

 

「さぁな。それは純が一番よく知ってるんじゃないのか」

 

直実はいつもと変わらない調子でそう言って、紅茶のポットを片付けた。

 

それからカウンターに戻って、静かにため息を吐く。

 

純が、カウンターの目の前に立つ。

 

そして直実の顔に向かって指を指した。

 

「その<RUBY>瞳<RP>【</RP><RT>め</RT><RP>】</RP></RUBY>。見事に碧になってんじゃねェか。

 

――……何掛けた?」

 

純は不敵な笑みを浮かべる。

 

直実は碧色に染まった右眼の瞼を閉じ、数秒手で覆ってから再び開けた。

 

虹彩はまだ、透き通ったエメラルドグリーンをしたままだ。

 

そして静かな口調で、質問に答える。

 

「ハルを……彼女以外の人間には、見えないように」

 

「! そりゃ大技だ、瞳の色も戻らないはずだな。掛けてるのに全然気付かなかったよ。

 

しっかし、彼女が大恥かく事になりかねないぞ?いいのか?」

 

「―――彼女はそこまで馬鹿じゃない」

 

「おーおー、そりゃ大層な事で」

 

会話はそこで、終わった。

 

純は自分の荷物を持って、帰っていった。

 

直実は1人、店の中に残って――……また1人で、紅茶を飲んだ。

 

 

――……それから少し事件の事も、考えた。

 

 

   *

 

 翌日、あたしはハル君と一緒に学校へ来ていた。

「……本当は入っちゃいけないんだからね」

「判ってる判ってる。要は騒がなきゃいいんだろ。どうせ俺は人には見えねェんだからなッ」

見えなくたって聞こえるっつーの。

でもまた何で――……これが、見えないんだろう?もしかしてこれも、直実さんの術、なのかな。あたしには判断できないけど。

 

 昨日、家に帰って驚いた。ハル君の事を何て紹介して泊めようかと真剣に悩んでいたのに――……家族はどうやら、ハル君の存在にすら気付いていないようだった。あたしはハル君をあたしの部屋に留まらせて、喋らないように命令した。さすがにあたしが他人だからか判らないけど――……言う事は、聞いてくれた。

 長い長い授業中、ハル君は構内を散歩していたらしい。それならそうと、朝の内に言ってくれれば良かったのに――……何処で何してるか、気が気じゃなかったんだから。そう言ったら、ハル君はケラケラ笑ってこう言った。

「そんな事気にするなんて、オバサンの前兆か?」

 

……ってね。

さすがのあたしも頭に来たわよ、そりゃ。

 

それから、メモに書いてあった内容を全てこなした。

ひたすら校外を走り回ったりしていたから、コンビニに入ったときには思わずアイス買っちゃった。

「食べる?」

ハル君に聞いたけど、彼は首を横に振るだけだった。

「――俺、ニンゲンの食い物は受け付けないから」

「そっか、人間じゃないのか」

「あんたに話すとさ……色々言われるかも知んないけどさ。俺、ヴァンパイアだって言っただろ。主食は血でさ……でも、サネみたいに事情知ってるニンゲンは少なくって。血なんてくれる人は居ねェし。しょうがないから俺、サネの仕事場くっついてってよ。事件現場で……掃除屋やってんだ」

「……掃除?」

「ホントは……俺だって辛いんだけどさ。床とかの血をひたすら飲むんだよ。残った汚れに関してはしょうがない、洗剤で拭くしかねェけど。いつ身体壊すかと思ってよ」

現代の世に生きるヴァンパイアって大変なのね。

「人の……身体からは吸わせてもらえないの?ちょっとぐらいなら死なないでしょ、献血献血」

「……サネは低血圧だし、純の血は不味いし」

「床から飲むぐらいだったら美味しい不味い言ってられないでしょ」

「ならあんた、くれるのか?」

え――……言われて、戸惑った。

血を吸われるって、どういう感じなんだろう。

あたしには予備知識が全然無いから、想像吐かないけど。

「直接は吸えねェんだ、色々弊害あるからな。それに、普通のニンゲンは――……そう簡単には、承諾しちゃくれない」

淋しそうな顔で、ハル君が呟いた。

あたしは、どうすればいいんだろう?

 

掛けられる言葉を探したけど――……見つからなかった。

それから店にハル君を返しに行くまで――結局雑談だけで、その話は、しなかった。

 

――何だか気分がちょっと、沈んだ。

 

   2

 

 私立蒼杜高校――……特別棟2階、家庭科研究室。あまり広いとは言えないその部屋に、今実に8人もの人間がひしめいていた。あたしはその中に交じりながらも、傍観者として進むやり取りを眺めた。あたしの隣では、同じく傍観者のハル君が居る。

「――そろそろだな」

ハル君がそう呟いたかと思うと、普段と違うスーツ姿の直実さんが、声を発した。

「さて――……それじゃ、始めましょうか」

彼の目の前には、家庭科教員と助手の2人、更にはその日居た守衛さんも居る。証言した人が全員揃ってるって事ね。

「早く、犯人を教えて下さい!この事件解決しないと、私たち、どうにもならないんです」

助手さん、えっと――初島さんが言う。それを受けて、直実さんが不敵な笑みを見せた。

「えぇ――それをこれからお話するんですよ。総てね」

うーん、何て言うか――……裏に何かありそうな笑顔、って思ったのはあたしだけじゃないと思う。家庭科の3人が3人とも、一瞬顔が強張ったのが判ったぐらいなんだもの。

 

 そんな事には構わず、直実さんは話を始めた。

「第一に、被害者の松井先生は調理室のあちら、黒板側……まぁ、入り口の方に顔を向けて倒れていたと聞いています。調理室は広いですから、これだけで細かい事を決定する事は出来ませんが――……少なくともその状況下に居たら、犯人でなくとも早く部屋を出たいと考えますよね?まぁ死体マニアでもない限りは、ですが。――調理室に、扉は2つ。1つは廊下に繋がる扉、もう1つは――……研究室に繋がる扉です。この時、松井先生が向いていたのは廊下に出る入り口の方――……普通犯人が逃げるなら、廊下に逃げるかな。犯行中に研究室に人が来ていたら、話になりませんしね。それに、研究室までは遠い。そんな危険を冒す人はそう居ないでしょう」

「でもそれが――何の情報になるんですか?」

田宮さんが訊く。気弱そうな人だと思った。いつもそうだけど、今もずっと、不安そうな顔をしている。

 直実さんはまた微笑んで、静かな口調で答えた。

「さて、犯人は逃げた後何処へ行くのでしょう?すぐ平然と研究室へ戻るでしょうか?――この場合、それはありませんね。もしこの事件で、被害者が別の……例えば首を絞められて殺されていたらまた別なんですが。現場は、血の海でした――それは第一発見者の彼女も証言している事です。そんな中で、服を一切汚さずに居られる訳がありません。少なくとも、それを処理してからでないと研究室へは戻れないでしょう。

――純、死亡推定時刻は何時だった?」

「7時15分から30分……だったはずだ」

突然話を振られた純さんだったけど、すぐに反応して正確に答える。さすが、そこら辺は刑事さんらしい。

そこで一同が全員、誰より早く来ていた小杉先生に視線を向けた。

「な……何ですか?私が犯人だとおっしゃるんですか?待って下さい、私は事務室に用があって、」

「落ち着いて下さい、小杉先生。私はまだ、貴女が犯人だなんて一言も言っていません」

直実さんの口調は、妙に穏やかだった。小杉先生はそれ以上話すのを止めて、うつむいた。他の人も、再び直実さんの方に視線を戻す。

 話は元に戻る。

「この学校には裏門があります。そこから入れば、守衛さんに見つからずに校内に入る事は容易です。同様に――出る事も、容易です。裏門に守衛は居ませんからね。現実に――……血の付いた衣服は、裏門近くのゴミ捨て場から発見されています。犯人はそこを出入り口に使用したんです」

「じゃ、その服の持ち主を調べれば判るじゃないですか!犯人」

初島助手が言う。でも直実さんの表情は冴えない。

「残念ながら、そう簡単なものではないんですよ。ゴミ捨て場に棄ててしまうものなんです。普段から着ているものだったら、それこそすぐにバレてしまうじゃないですか。――だから犯人は、普段着ないものを選んだはず。皆さん方はそれほど体型も変わらないですから、服を見ただけで犯人は判りません」

「それじゃ、どうするんですか?犯人……判るんですか?」

不安そうに田宮助手が尋ねる。

「それを今、説明してるんですよ。もう犯人は判っています」

直実さんがそう言うと――3人が3人とも、表情を変えた。

うーん、いかにも怪しげ。

「だから、犯人は誰なんですか?それを早く話して下さい!」

またも初島さんが叫んだ。

直実さんはニヤリと笑って、あっさりと答えた。

 

「犯人は田宮さんですよ。それと――……」

田宮さん、って――……タイムテーブル上じゃ、一番忙しそうにしてるのに。

どういう事だろう?

 

それに――……『それと』って、どういう事?

 

あたしの考えを読むように、直実さんは次の言葉を発した。

「――小杉先生も共犯ですね」

 

その場の空気が凍ったような、気になった。

共犯、って――……じゃあ関わってないのは、初島さんだけって事?

 

「ちょっと待って下さい!私……私が学校に来たのは7時半なんですよ!?守衛さんだって証言して下さってるじゃないですか!半に来たのに、それより前に松井先生を殺せる訳がありませんッ」

田宮さんが必死に反論する。

それまでずっと沈黙を守っていた守衛さんも、口を開いた。

「そうですよ。――わたしゃ確かに確認しましたよ、この方がいらしたのは丁度、7時30分でした」

「えぇ――……正門を通ったのは確かに7時半なんでしょう。でも私さっき言いましたよね。この学校には裏門がある、って」

そう、ここには――というか、大概の学校には門は2,3つある。ここも例に漏れず、正門の反対側に裏門が存在する。そっち側から通ってくる生徒が、主な利用者って訳。

 裏門から入れば、守衛さんに見つからずに特別棟に入れる、って訳ね――……誰でも考えつきそうで、でも気にしていなかった。

「貴女が最初にここまで来たのは恐らく、小杉先生と同じぐらいかな。その時着ている服は、ゴミ捨て場に棄ててあったモノでしょうね。後は荷物を置いて、調理室で松井先生が来るのを待つ」

「松井先生が調理室にいつまでも入って来なかったらどうするんですか?偶然を待つとでも?」

小杉先生が反論する。それにも直実さんは表情を変えず、冷静に答えた。

「――そこで貴女が登場するんですよ、小杉先生。貴女は登校してから、松井先生が来るまで研究室に居るんです。松井先生が登校してきたら、そうですね――……調理室の田宮さんを手伝ってあげてくれ、とでもお願いしたんでしょう。自分は手が離せないと言ってね。松井先生は怒りながらも調理室へ――……簡単な事でも手伝わないといけないくらい、田宮さんが使えない助手だと思っていたから。私は知りませんけど、普段からそんな感じだったそうじゃないですか――……生徒が、気付くくらいに」

そこで直実さんはチラッとあたしの方を見る。あたしは静かに、頷いた。

 家庭科研究室は仲が悪い――……あたしたち生徒の中でも評判の噂だった。生徒の中には、結構先生の所へ遊びに行く人も少なくない。特定の先生と仲良くなって、放課後雑談をしに行ったりもする。特に家庭科の先生なんかは、日常生活に一番近いところに詳しい訳じゃない?女子なんかだと結構、研究室に入り浸ったりしてるみたい。

 助手さんって言うのもまた特別で、先生たちよりも自分たちに年が近い訳で。だから尚更、話しやすかったりする。多分――この場合も田宮さん辺りから、噂が広まったんじゃないかな、と思う。

 

 直実さんは3人の反応を見ないまま、話を続ける。

「田宮さんはそこで松井先生を殺害する。凶器の包丁に指紋が無かったのは恐らく、貴女が手袋か何かをしていたからでしょう。もしかしたら布巾か、ハンカチ辺りだったのかも知れない――……それだったらもう、処分してしまっているかな。それからすぐに、隠しておいた荷物を持って教室を出て、近くの特別棟トイレに駆け込み、そこで着替えた。その時点で恐らく、7時20分すぎくらいかな」

反応はない。ただ、話を聞いているだけの様子。もしかしたらもう、反論する気も無いのかも知れない――。

「さぁ、そこから先は時間との勝負です。田宮さんは再び特別棟を出て、裏門へ走ります。そこで近くのゴミ捨て場に汚れた服を棄て、正門まで急いで行きます。そこで――楓さんが測ってくれた時間が役に立つ」

「え……っと、裏門から正門、ですよね?」

「そう」

ハル君が言ってくれた時間を書いたメモ――生徒手帳に挟んだんだ。あたしはそれを見ながら答えた。

「歩いて13分37秒。あたしのペース、ですけど」

「走ると?」

「……8分、14秒」

「この学校の敷地が広いとは言え――……走れば充分、10分以内で戻って来られます。荷物を持っているから、多少遅いかも知れませんけどね。と言う訳で、田宮さんはめでたく7時半に正門をくぐる事が出来る」

――完璧だ。

あたしはため息を吐いた。

 でも直実さんは、まだ話を続ける。

「貴女はこれでもまだ不安だった。自分の姿を校内の誰かに見られていて、覚えられていたら困る。まぁ実際には誰も覚えては居なかったんですが――……貴女は小杉先生に、更なる工作を持ち掛けたんです。昼食を買いに、近くのコンビニへ――……行ったのは、小杉先生のはずでず」

「!! だから、私は事務室へ――」

「事務室の記録によると、貴女が事務室を訪れたのは7時50分頃だと聞いていますよ。それまでの間、貴女は何処にいらしたんですか?田宮さんが着替えている間にでも出発して、コンビニまで歩けば――レシートの時刻も7時40分になるでしょう」

あれ?何か奇妙しい。

あたしは直実さんに言った。

「正門からコンビニまでは5分も掛かりませんよ?20分過ぎに出発したら、早すぎるんじゃ」

「裏門から走れば丁度それぐらいじゃないかな?正門を出る姿を、守衛さんに見られちゃいけないからね」

あたしはメモを見直す。裏から走ると、コンビニまでは丁度――15分。買い物をして、レシートを貰えば、7時40分くらいになる。

 守衛さんに、見られちゃいけない。

「それじゃここで、守衛の加藤さんにお尋ねします。7時30分から8時までの間に、正門から出て行った人は居ましたか?」

「いや――……生徒は沢山入ってきたが、出て行ったのは自転車に乗ったおじさん1人だったですよ、えぇ。女の人は出て行きませんでした……覚えていないだけやも知れませんがねぇ」

「――ありがとうございます。多分、それで間違い無いと思いますよ――……本当に田宮さんがコンビニへ出かけたんなら、寧ろ加藤さんに見られたほうが良かったはずなんです。それなのに、見られていない。それはコンビニへ行ったのが、田宮さんではなく小杉先生だったからですね」

「そんなの……そんなの判らないじゃないですか!生徒さんとすれ違っていて、守衛さんに見られていなかっただけかも知れないじゃないですか……」

田宮さんが訴えかける。

「それだったら良いんですよ。でも証拠はちゃんとあるんです――……コンビニの、防犯カメラという」

決定的、だよね。

そこに小杉先生が映ってるんだったら、まず間違いなく今言ったような工作が行われてるって事なんだし。

「松井先生を殺してでもいなければ、わざわざそんな仕掛けをする必要は――……ありませんよね?田宮さん、小杉先生」

数秒間――……その場に、沈黙が流れた。

 

次に口を開いたのは、田宮助手だった。

 

「間違いありません――……私が悪い事をしてしまったのは、事実です」

「田宮さん……!」

「ゴメンなさい、小杉先生。これ以上隠していても、仕方ない気がしますし……」

「…………そうですね。確かに今回の事は私たち2人で計画して行ったものです。間違い、ございません」

またも、沈黙。

初島さんだけがうつむいて、掛ける言葉を探しているように見えた。

「それじゃ――……詳しい事は、署でお聞きしますかね。2人とも、来て下さい」

純さんが声を掛けて、それから2人に手錠を掛けて――……その部屋から、出て行った。

 

その場に、あたしとハル君、直実さんと――初島さん、守衛さんが残された。

 まず直実さんが最初に、声を発した。

「――さて……初島さん。どうしてまた、言って下さらなかったんですか?貴女……全部判っていらしたんでしょう」

ずっとうつむいていた初島さんが、ようやく顔を上げる。

判っていた、って――……どういう事なんだろう。

「自分は犯人じゃない。外部犯とも考えられない。他に犯人は誰が考えられるか……それぐらい判るでしょう。ご自分が、利用された事も」

「言える訳ないじゃありませんか!!ずっと……ずっと、一緒に仕事してきたんですよ?」

「……貴女の証言が足りなかったんですよ。恐らく貴女は、わざと情報を隠したんでしょう?いけませんよ、あまり度が過ぎると犯罪になってしまう」

「…………ッ」

「まぁ、ここから先の事は私にはどうしようも無いですから……ご自分で、判断して下さいね。それじゃ、私たちはそろそろ帰りましょう――加藤さん、わざわざありがとうございました」

そしてあたしたちは半ば無理矢理――……研究室から、外へ出された。

 

 

 

――それから一週間後、家庭科研究室はもぬけの殻になって――……残りの家庭科の授業は、他の科目の女の先生が仮に受け持つ事にしたらしい。尤も、どこのクラスもあと1回とか2回だったから、何とかなった話らしいけど。

 

 あたしは今、小春茶屋の前に立っている。

真剣に、考えて、決めた事なんだから――……自分で行かないと。

 

 あたしは扉に、手を掛けた。

第六章「小春日和?」

 

「こんにちは」

あたしが中に声を掛けると、いつもの指定席――カウンターに座っている直実さんが、笑顔で応じてくれた。

「こんにちは。――学校、落ち着きましたか?」

「はい――……おかげ様で、何とか。多分、4月までには何とかなると思います」

「それなら良かった」

あたしはカウンター近くの、いつもの席に座る。直実さんに、紅茶とチーズケーキを頼んだ。

「純に、聞いたんですけどね」

「? 何ですか?」

直実さんは紅茶をカップに入れながら言った。

「普段から田宮さんが松井先生に虐められていたのは周知の事実です。でも――田宮さんが小杉先生の、歳の離れた妹だと言う事は誰も知りませんでした」

「い……妹!?え、だって名字が」

「小杉先生は既婚ですよ」

「……あ」

そういえばそうだった気がする。

「あまり似ていないようでしたから、気付かなかったんでしょうね。――でもとにかくあの姉妹は、松井先生の仕打ちに耐え切れなくなったようです。それが、動機だったと」

単純と言えば単純な動機かな――。

虐められて、自殺するんじゃなくて――相手を殺した、それだけの事か。

人間って、哀しい。

 あたしは紅茶を飲みながら――……言い出そうと思っていたことを、切り出した。

 

「あの、話逸れるんですけど――……ここで、バイトさせてくれませんか?」

 

さすがの直実さんも目を見開いて、驚いたような顔をしていたかと思うと――……笑い出した。

「ほ……本気で言ってるんですか?この店に、従業員雇えるほどお金があると思います?」

「う……で、でも!!あたし、直実さんのケーキ、美味しいと思いますし……今お客さん居ないのは多分、宣伝力だけの問題だと思うんです!だから……少しでも、力になれればいいかなって、思ったんです。キッチン待機のハル君も店じゃ小猿で……大変そうだったから。あ、あたしもまだ学校ありますから、土日だけでいいんです!ダメ……ですか?」

「ケーキの事はありがとうございます。でも――貴女はずっとここに居ると、身体に支障を来たしかねません。あまり私には、近付かない方が」

「どうしてですか?『術』ってそんなに危険なんですか?あたしが……『力』が強いから?大丈夫ですよ!あたし、ホンットに健康なんですから!!ちょっとぐらい調子悪くても大丈夫です!」

そう答えると――……直実さんは、少し寂しそうな笑顔を見せた。

 

何か、あったのかも知れない。

あまり、触れない方がいいのかな――。

 

そんな事を考えていたら、彼はまた、笑い始めた。

笑っているけど――でも顔はやっぱり、寂しそうだった。

「そこまで言うのなら、判りました――……学校はまだあるんでしょうから、土日だけですよね?」

「は……はい、いいんですか!?」

「えぇ、私はまぁ……でも、テストとかあるんじゃないですか?」

「え。あ……大丈夫ですよ!あたしちゃんと普段から勉強してますから!それじゃッ、今度の土曜日からですね!?」

「開店は9時です、時給は――800円も出ませんけど、いいんですか?」

「はい――……お金の問題じゃありませんから!」

あたしが笑顔でそう答えると、直実さんはやっと普通に笑ってくれた。

「それじゃ、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

あたしが右手を差し出すと、直実さんはすぐに握り返してくれた。

 

やっと、落ち着けた気がする。

 

ホント、不思議な店。

 

よし、今度から頑張るぞー!!絶対音上げないんだから!

 

「しげるさん、ウチで働くのか?うるさくなるなッ」

ケラケラ笑う、ハル君の声がする。

「違うって言ってんでしょーが!!今度こそ許さないからねッ、出てきなさい小猿ー!!」

「あはははッ、出てってやるもんかー!!」

それからしばらく、2人――?――の死闘が続けられた。

 

 

 

穏やかな、晩冬の2月末――……小春茶屋。

 

それは郊外の街にひっそりとたたずむ、

世にも不思議な――……、探偵事務所でした。

   Epilogue

 

――幼い頃から18年間、慣れ親しんだモノ。

 

 

その裏側に何があるのか、貴方はご存知?

 

もしかしたら、予想もしない落書きがあるかも知れない。

 

もしかしたら、考えられないほど汚れているかも知れない。

 

貴方にそれを、見抜けるかしら?

 

何があっても、貴方は――……それを、信じ続けられる?

 

 

 

 

そう――……きっと貴方は、可哀相な人。

 

私なら、そうね――……見ようとは、思わないかもね。


 
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