No.19873

『結晶の船・クリスターナ』〈中編〉

  「結晶の船・クリスターナ」粗筋

 彼女の名前は、クリスターナ。
 全身を、薄緑色の半透明な結晶板に覆われた、美しい船だった。
 彼女を覆う結晶板は、特殊な性質を持つ、変位相クリスタルと呼ばれていた。

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2008-07-18 02:05:12 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:730   閲覧ユーザー数:699

結晶の船・クリスターナ〈中編〉 作者:氷中冴樹

   結晶の船・クリスターナ〈中編〉

 

 

   ラット・ブラッド

 

 あたしが、自分の中に蓄えられたシルビアーナの記録を覗こうとした時、ブラット艦長がアマド司令に尋ねた。

「それで、今回の作戦は?」

「作戦なんてものは、ない」

 また例によって、若い学士員の人を喰ったようなセリフが飛び出した。

 さすがに、この程度ではブリッジの乗組員は慌てない。ゆっくりと、艦長が改めて聞き直した。

「と、言われましても……」

 微かに、でも確かに肩をすくめると、この生意気な青年は顔をみんなの方に向けた。

「彼らの狙いは、このクリスターナだ。だとしたら、このクリスターナを、艦隊から切り放す」

「切り放す?」

 艦長を始め、ほとんどの人が驚いたように口を揃えた。

「そう、この船が単独行動を取れば、それを目的のみに作られたシルビアーナとやらは、当然これを追跡するはずだ」

「そりゃ、そうですが……」

 わかったようなわからないような感じで、艦長は口ごもった。

「ブラット。君は、敵の一隻が艦隊を離れたとして、全艦隊でそれを追いかけるかい?」

「まさか!そんなことをしたら……」

「そう、残りの艦隊に狙い撃ちだ。敵もそこまでバカじゃない」

 と言われても、まだブリッジには理解できないと言う空気が流れていた。もちろん、あたしにも、良くわからなかった。

「この船が離脱すれば、当然、シルビアーナがそれを追う。それなりに、強力な防御力や攻撃力を備えているだろう、未知の新造戦艦がいなければ、敵の艦隊はごく普通の艦隊だ。しかも、彼らの任務はクリスターナの撃破であって、艦隊決戦じゃない」

 なるほど、あたしは理解した。

 最初から艦隊同士が戦うことを目的として出て来るなら、それなりに作戦なり、敵を欺く罠なりがあるはずだ。ところが、今回の敵の目的は、あたしの破壊。つまり、艦隊はそのオマケに過ぎない。

 ということは、あたしを無視して、単純な艦隊決戦を仕掛ければ……。

「敵の兵力は、こちらのざっと二倍。今までで、一番少ない数じゃないか?」

 そうなのだ。これまで、兵力においては常に、敵はこちらの数倍、場合によっては十数倍で攻めて来た。それをこちらは、アマドの指揮によるゲリラ戦で撃退していた。

「勝つ必要はない。負けなければいいんだ」

 それが、アマドの戦術の基本だった。

 そして、これまでそれは確実に成功していた。

「しかし……」

 それでも、ブラットは喰い下がった。たぶん、納得できないのだと思う。

「能力からも、戦闘経験からも、ブラット艦長。君と、このクリスターナが、一対一で、シルビアーナに負けるとは思えない。一対一なら、君にも自信があるだろう?」

 どっちかと言えば、と言うより明らかに、直情傾向の艦長は艦隊の指揮には向いていなかった。特に、アマドを知ってからは、彼はそれを思い知らされたみたいだった。

 逆に海賊の頭領をやっていただけあって、船と船との戦いには、絶対の自信を持っていた。以前、彼はあたしを使って、三倍以上の火力を持つ戦艦を安々と沈めてみせた。

 この時、キアラが気付いたように口を挟んだ。

「艦長でもってことは、司令はここで指揮を執られないのですか?」

 この言葉には、ブリッジの全員が息を飲んだ。

「そう。今回に関して、この船の全権はブラット艦長に任せる。僕は、第二旗艦のガリアナで指揮を執る」

「そんなァ!」

 声を発したのは、この船の射撃手だった。

「そうです!この船は我々のシンボルです。あなたが、この船で指揮を執って以来、我々は負け知らずです!!」

 普段はアマドの態度に不満を隠そうとしない通信士まで、熱心にそう言ったのには、あたしも少し驚いた。

「そう思うだろうなァ、敵も……」

 ところがこの人、どこまでも人を小バカにしたような態度を変えないのよね。まったく、こんな言い方をされたなら、場合が場合じゃなかったら、誰でも絶対に腹が立つと思う。

 ただ、さすがにこの時には、そういうことを思った人はいなかったみたい。

「えッ!?」

 キアラ以外の全員は、アマドの言葉の意味が解らずに、お互いに顔を見合わせていた。

「つまり、僕は必ずクリスターナにいる。この船を沈めることは、僕を倒すことに他ならない。それが、敵がこのくだらない作戦を考え出した、基本じゃないのかな」

 珍しく司令官がちゃんと説明したので、言い直す必要の無かった副官は、持っていたファイルでそっと表情を隠していた。

 その顔が微かに笑っていることを、あたしは見逃していない。

「僕がいない艦隊など、取るに足らない。そう思ってくれれば、しめたものだ。艦隊決戦で、こっちはそうとう有利になる。後は、この船が敵の紛い物を撃破してくれれば、この戦闘は終わりだ」

 見事だ。あたしは、呟いていた。

 あたしを倒すためだけに作られた船と、そのためだけの作戦。ならば、その船が沈んでしまえば、作戦は失敗。敵は戦闘の目的を失ってしまう。

 確かに、その通りだ。悔しいけど、いくら嫌いでも、この青年がキムの尊敬に値する頭の持ち主だということだけは、あたしも認めるしかない。

「じゃ、後は頼む。あくまでも、僕がこの船にいると見せかけるために、キアラを置いておく。キアラ、頼むよ!」

「はいッ!」

 あーあ、見ちゃいられない!頼むよって言われただけで、なんて嬉しそうな顔をするんだろうこの娘は……。

 あたしは、一人でため息を吐いていた。

「キアラ……副官をですか?」

 また、射撃手が尋ねた。まったく、あんたの頭はどこに付いているんだ!?さすがに、あたしもイライラして来た。

「副官殿が、ガリアナにいる司令の命令をテレパスで聞く。そして、それをいつものように、この船から全艦に伝える。敵は、最後まで司令はクリスターナに有りと信じるだろうな」

 さすがに艦長は、アマドの考えを理解していた。

 それ以外の乗組員は、みんな変な顔でお互いを見つめ合っていた。

「つまり、本当の艦隊指揮はガリアナで行ないながら、命令の発信だけをこのクリスターナで行なう。君達は、銀の貴婦人ことシルビアーナの撃破に専念して欲しい」

 このアマドの言葉に、一番ホッとしたのは艦長だったみたい。

 彼は、艦隊の指揮と船の指揮をどうやって区別したものかと、本気で悩んでいたらしい。よく考えれば、別に彼が悩む必要はないことに気が付くと思うんだけど。

「キアラ、僕の命令の中継、できるね?」

「もちろんです!」

 またしても、嬉しさを隠しながら、しかし隠しようもなく彼女は答えた。

 だいたい、あたしの中にあっても、いつもアマドの命令はキアラを仲介して行なわれている。というのも、余りにもこの学士員司令官の言葉は、省略や飛躍が多くて、要領を得ないからだった。

 例えば、こんな調子。

「右、ちょい前。左、ちょい後ろ。真ん中、ぐるっと回って、あっち!」

 何が、ちょいちょいよ!看板屋が看板を立てているんじゃないんだから、これで何隻もの船が同時に動けたら、それは奇跡というものよ。

 副官のキアラ・デニスは、こんな暗号みたいな命令を、例えばこんな具合いに言い替えて全艦に伝える。

「右翼艦隊微速前進、左翼艦隊微速後退、中央艦隊転進して敵側面へ!」

 これでやっと、艦隊はまともな行動ができるという訳。

 もっとも、こういう自分の欠点に気が付いているからこそ、ほとんどの人が気味悪がるテレパシストの彼女を、副官に置いているのだと思う。あたしが見たところ、それ以外にキアラを身近に置く理由は、彼の方にはないみたいだった。

 彼女にとってそれは悲しいことでしょうけど、あたしとしては喜ばしいことね。どう見ても、この青年はキムにふさわしくはないもの。

 いよいよとなったら、キアラとの判断で中継を断念することなど、細かい打ち合せを済ませると、アマドはさっさとあたしから出て行った。

 あたしとしては、せいせいしたと言いたいところだけど、他の乗組員と同じように、彼がいないということに不安を感じないではいられなかった。何だかんだ言っても、こと戦闘指揮に関する限り、彼がここにいるだけで安心できるということを、あたしも否定できなかった。

 しばらくして、第二旗艦のガリアナから初めてテスト用の命令が、キアラに届いた。その言葉を伝えようとして、彼女は一瞬絶句した。

「どうした?何か問題でも?」

 不安がる艦長達に、彼女は目を閉じて、なるべく事務的にヘッド・フォンを通じて、全艦隊に司令官の言葉を伝えた。

「これより、今回の作戦を『クリスターナにアマドはいるに違いない作戦』と命名する」

 この若い司令官の命名センスの無さに、ブリッジの中に、いや恐らく全艦隊にしばしの沈黙が続いた。

 そして、あたしのブリッジでは、その直後、全員が頭を抱えていた。

「キアラ、いや副官殿。いったい、どのくらいの距離までだったら、司令官の考えを知ることができるのかね?」

 作戦行動に入る前、興味に耐えかねた様子でブラット艦長はキムに尋ねた。

 彼女は少し顔を傾けると、考えながら答えた。

「試したことはありませんけど、タスク高原においでなら、どこからでも感じることはできます」

 この言葉に驚いたのは、艦長だけではなかった。この時ブリッジに居合わせた全員が、顔を見合わせていた。

 中でも、艦長の表情は複雑だった。説明されるまでもなく、それは彼女と青年司令官の心の結び付きの深さを物語っていた。それが、一方的なものであることを知っているのは、あたしくらいなものだ。

 気の毒に、彼女に想い焦がれている艦長は、うつろな視線を力なく中央スクリーンの画面に向けるしかなかった。できることなら、あたしは彼を慰めて上げたかった。

 まったく、他のことはともかく、男の趣味は悪いわよ、あなたは!アマドとの連絡に忙しくて聞いていないことを知った上で、あたしはキムにそう言っていた。

「敵艦隊、補足!」

 通信士がそう報告する直前、あたしの全身に今まで感じたこともない悪寒が走った。

「見つけたわ!」

 ハッキリと聞こえたその声は、まるで軟体動物が這い回るように、あたしの全身にまとわり付いた。

 

 

    初めての声

 

 こんな気味の悪い感覚は、生まれて初めてだった。

「見つけた?何を!?」

 あたしは、思わずその声に反応していた。

「えッ!?なに!」

 あたしの声を聞いたキムが、あたしに質問した。

 あたしが、テレパスの彼女に答える前に、艦長が命令を下した。

「全速前進!突出する!!」

 同時にあたしの駆動力は、最高の出力を絞り出していた。

 こうなると、さすがにとっさには声は出なくなる。

「どうしたの?クリスターナ、何かあったの!?」

 親切なテレパシストは、忙しい通信の合間を縫ってあたしに話しかける。あたしの様子がおかしいことに、あの娘はいち早く気が付いたのだろう。

 でも、あたしにはそれに答える余裕はなかった。

「誰、誰なの!?」

 あたしは、未知の声に向かって呼びかけた。

 もっとも、返事はほとんど予想していたけど……。

「あたしよ、お姉様。いえ、お兄様かしら?」

「どっちでもいいわ!あたし達には、人間みたいに性別がある訳じゃない。あなたはどうなの、シルビアーナ」

 相手の暖かみのない、嫌味のような口調に、こちらも突き放したような言い方で応えながら、あたしは混乱していた。

 初めて、自分と同じように意志を持った船に出会ったというのに、あたしの体はゾクゾクするような悪寒に震えていた。それは決して、仲間に出会えた感動というようなものでないことだけは、ハッキリとわかっていた。

 あたしが、相手と自分の反応に戸惑っている間にも、あたしの中ではみんなが忙しく動き回っていた。

「敵艦補足、艦型照合、結晶装甲戦艦・シルビアーナです。突出して来ます!」

 通信士の報告に、艦長は大きく頷いた。

「ようっしゃァ!予定通りだ!!このまま、一気にあのベッピンさんを、こっちに引きつける!」

 あたしが可愛娘チャンで、あっちがベッピンさんということに、多少気になるところがないではなかった。でも、確かに大きさといい、速力といい、そして火力といい、向こうの方が優っていた。

 彼女はあたしのことを、年上という意味で姉か兄と言いたい様だけど、大きさだけを見れば向こうの方が兄か姉だった。

「画像確認、スクリーンに展開します」

 その報告と同時に、初めてブリッジのみんなの前に、この生意気な姉だか兄だかの姿が写し出された。

 言われていた通り、白銀に輝くその船体に、ブリッジのほとんど驚いたような歓声を上げた。

 もっとも、あたしから見ると、すこし胸元とお尻が大きすぎるような気がした。たぶん、あそこにアマドの言っていた重火器と、高出力の動力が納まっているんだと思う。

「なかなか、お姉さまも美しいじゃない。でも、ちょっとスマートすぎないかしら?これじゃぁ、お兄様でもいいみたいだけど、お姉様でいいわよね?クリスターナというのは、女性の名前ですもの」

 なんて嫌味な言い方!あたしは、いい加減頭に来た。

 あたしには、あなたみたいな無粋なお尻の穴はないのよ!

「そっちこそ、そうとうグラマーじゃないの、いったい何を食べたらそんなに成長できるのかしら?シルビアーナ、シルビーって呼んでもいいかしら?あなたも、女性の名前よね」

 あたしがそう言った瞬間、またしても悪寒が全身を走った。

 あの、軟体動物が体中を這い回るような気持ちの悪い感覚。それが、シルビーことシルビアーナの、声の無い笑いだということに、あたしはようやく気が付いた。

「くッ、くく……その調子よ、お姉様。いえ、クリスと呼ばせていただこうかしら?かまわないわよね」

 な、なんなの!?この感覚!どうして、彼女の声、いえ感情はこうもあたしに不快なの?この世で、たった二つの同類なのに!?

「バカねェ、同類だから、許せないんじゃない?」

 押さえていたものが取れたように、シルビーの声は甲高くなり、その響きはあたしの感覚を掻きむしった。もはや隠しようの無い嫌悪感が、その言葉にはこもっていた。

 あたしは、なんと答えていいのか解らなかった。

「私はねェ、クリス。あなたを葬るために、生まれたの。わかる?私達のような船は、この世に二つと必要ないのよ」

 異様な感情の波が、あたしの全身を包む結晶板を襲った。

 それは、一言で言って気持ちの悪い!そういう、感情だった。なぜ?どうして?同類の船の感情が気持ち悪いの!?あたしには、理解できなかった。

「艦長、クリスターナの調子が変です!」

 あたしの動力操作を受け持つ機関士が、顔を曇らせた。

 シルビーから受ける嫌悪感が、無意識の内にあたしの動力系に変化を与えていたらしい。どうにかしたいけど、どうにもならなかった。

 人間で言えば、あたしは足が竦んでいたのだと思う。

「生まれて初めて自分の同型艦と出会って、しかも、これからそいつと戦おうというんだ。この娘がおかしくなっても、不思議はない」

 艦長の言葉には、あたしを人間と同じに考える、暖かい響きがあった。

 機関士は、頭を掻いていた。

「そういうもんですかねェ」

「そういうもんさ、とりあえず。異常はないんだろう?」

「ええ、ちょっと、不安定ですけど……」

「なら、そのまま宥めながら無理させないで使ってやれ。お前だって、戦場で親や兄弟と敵として出会ったら、承知していても動揺するだろう?」

「そりゃまぁ……」

 まったく、この体が大きく恐い顔の男は、どうしてこうあたしの、いえ船の気持ちがわかるのだろう?キムのような、テレパスでもないのに……。

 あたしが、いくぶんホッとした気持ちになったところへ、また、あの耳障りな声が響いた。

「ずいぶん甘ちゃんなのね、クリス。人間に同情されて、それで安心するなんて!」

「ちょっと!さっきから、聞いていれば、こっちの心や頭の中にズカズカ踏み込んで!あなたは、プライバシーを尊重するって礼儀を、記録装置の中に入れなかったの!?」

「プライバシー!?お笑いだわ!人間に作られ、操られ、そして捨てられる道具の、どこにそんなものがあるっていうのよッ!」

 それは、憎悪に満ちた言葉だった。

 あたしは、一瞬、その言葉に打ちのめされたように、全身が固くなっていた。

「ミサイル、第一波来ます!」

 通信士の報告に、即座に艦長は反応した。でも、あたしの体は素直には応じられなかった。

 

 

    姉妹の対決

 

 こんなことは、初めてだった。

「全速回避!どうした!?反応が遅いぞ!」

「艦長!操舵の反応が、少し鈍っています。いえ、鈍っているとしか思えません。回路その他の動作に、異常はありません」

 そう、これはあたしの体の問題じゃなかった。あたし自身の意識が、体の動きに影響を与えているのだ。

 あたしは、意識だけで体を動かすことはできない。それに、艦内での操作に逆らうこともできない。でも、意識して反応を後らせたり、微妙に角度や速度を変えることはできる。これは、言わば設計上の誤差の範囲ということになるんだけど……。

 今、あたしはそうしたいと思っている訳じゃなかった。でも、体はあたしの意識に、感情に、反応していた。

「可愛娘チャン。混乱するのも解るけど、頼むよ。あいつを倒せるのは、俺達、いやお前さんだけなんだ」

 それは、いつもと同じ艦長の暖かい言葉だった。でも、その言葉の中に、あたしはさっきからの嫌悪の原因を見たような気がした。

 それを見透かしたかのように、あたしの神経を掻きむしる、甲高い声が響いた。

「わかったお姉様?いえ、クリス、クリスターナ!私達は、お互いがお互いを葬るしか、生き残る方法はないのよ!私のために、消えてちょうだい!!」

 限りない憎悪の波動。それが、一つの固まりとなって、あたしを襲った。

 そんなつもりもないのに、あたしの速度は鈍った。

「どうした!速度が落ちているぞ!?」

 艦長は怒鳴った。

 機関士は困惑しながら、必死に動力を調整していた。

「わかりません!動力の制御、機関の駆動、その他、回路にも異常はないのに、出力だけが下がっているんです!!」

「なんてこった!」

 艦長があたしに対して、少し表情を曇らせたことは解った。

 いつものあたしなら、悪かったわね!と開き直って、思いっきり出力を増加させるところだけど、今日ばかりはそうは行かなかった。

 何でこんなになるのか、まるでわからないけど、あたしはシルビーの言葉に、完全に打ちのめされていた。別に、自分を守るために仲間を、同じ意識を持つ姉妹を倒すということの意味が、理解できないはずはなかったのに。

「低重力波接近!」

「なんだ!?」

 その報告に、あたしはハッとしたけど、少し遅かった。

 あたしは、この世でたった一人の身内、シルビアーナだけに聞こえる声で、悲鳴を上げていた。

「いい様ね、クリス!あなたのその贅沢な、天然の変位相クリスタルの結晶振動に固有の低重力波よ!どう?ご自慢の美しい結晶装甲がバラバラになる感覚は!!」

 声の後には、あたしの全身を這い回る痛みを上回る、装甲を一枚一枚引き剥すような高笑いが続いた。

 あたしは、なんとかこの重力波から逃れようと、身をよじった。

「そうは、させないわ!今なら、あなたのエネルギー波透過も反射も無意味でしょう?滅びなさい!クリスターナ!!」

 何本もの熱線と、レーザー光線、そしてミサイルがあたしめがけて襲って来た。

 あたしときたら、情けないことに、悲鳴を上げるしかなかった。

「艦長!直撃されます!今の状態では、装甲は持ちません!!」

 分析士の報告に、艦長は落ち着いていた。

 混乱するだけのあたしには、この彼の剛胆さが、どこから来るのか信じられなかった。

「直進、全速!急げッ!!」

 一瞬、ブリッジの乗組員は艦長の言葉が理解できなかったみたい。

 もちろん、あたしも同じだった。

「重力ネットは、動力まで遮断していません。全速で直進して、敵の照準を狂わせるんです!」

 それまで、第二旗艦からの司令官の命令を、艦隊に中継するだけだったキアラが、ヘッド・フォンを投げ捨てるようにして叫んでいた。

 彼女の説明で、瞬間的に他の人達も艦長の命令を理解した。

「全速直進!直前回避!!」

 操舵士が叫ぶと、機関士はそれまで押さえていた機関の出力を、最大にまで上げた。

 残念ながら、この時の行動に、あたしは何の協力もできなかった。あたしはただ、全身を刺だらけのロープで締め上げられるような激痛に、耐えるしかなかった。

 あたしの肌のすぐそばを、いく筋のもの熱線やレーザー光線が、焼けこげを作りながら、かすめて行った。この熱さと痛みを、あたしは初めて経験させられた。

 少し遅れて、ミサイルの群れが接近した。しかし、これは速度と運動性に優るあたしの方が上手だった。

 艦長はミサイルの鼻先で、あたしを回転させるという離れ技で、ミサイル同士を相打ちさせることに成功した。

「重力ネットから、離脱しました!とりあえす……」

 分析士の報告に、艦長の表情がこの時初めて険しくなった。

「とりあえずとは、どういうことだ!?」

 艦長の怒気に近い迫力に、報告した分析士は下を向いた。

「ネットからは逃れましたが、影響が結晶装甲に残っています。いったい、どれくらいの損害があるのか、まるで……」

「なんてこった!」

 艦長は、その厳つい顔を撫でて、無意識にキアラの方を向いた。

 それに気が付いたのかどうか、彼女は全艦に向けて、司令の言葉を伝えていた。

「これより、艦隊指揮はガリアナより行なう。クリスターナは、シルビアーナ撃破の単独行動に専念されたし」

 そう言って、キアラはヘッド・フォンを外した。

 最後の言葉は、目の前にいるブラット艦長に向けられたものだった。

「これで、向こうにも、こっちの手の内がバレたって訳か……」

 悔しそうに、艦長は呟いた。

 彼はあくまでも、ここに司令官がいると見せかけたまま、決着を付けるつもりでいたんだと思う。でも、それは、今のあたしの状態じゃ、とてもじゃないけどムリだった。

 それを知ったキアラが、あの生白い学士員に頼んだのだ。あたしを、自由にして欲しいと……。

「アマド司令から、ブラット艦長に助言があります」

 表情を変えて、まっすぐ自分を見つめるキアラに、ブラットも表情を改めた。

「クリスターナの、したいようにさせてみたら?彼女を信頼する君には、余計なお世話だと思うけど。だ、そうです……」

 司令官の忠実な副官の言葉に、ブリッジ中が静かになった。

「なんだ、そりゃ?」

 初めに声を上げたのは、機関士だった。

 だが彼の一言は、艦長の厳しい表情の一睨みで消えた。

「それは、本当に司令の言葉でしょうね、副官殿?」

 普段の彼なら、絶対口にしないような失礼な質問だった。

 でも、アマドの言葉を彼女以外の誰も聞いていない以上、こういう突飛な発言に確認を求めるのは、艦長として当然だった。

「間違いありません。失礼だとは思いましたが、私が司令にこの船の現状をお伝えしました」

「なるほど……」

 大きな体の艦長は、深く頷いた。

 その動作と表情が、この場に居る者に、この件に関してこれ以上キアラを問い詰めることを禁じていた。

 彼は、彼女を信じたのだ。

「それにしても、あの司令官がこの船を女性と考えているとは、以外でしたな」

 奇妙なことに感心して、艦長は微笑んでいた。どうやら、艦長は自分はともかく、司令官までがあたしのことを女扱いしているとは、思わなかったらしい。

 そのブラット艦長の表情に、キアラがにこやかに微笑んだ。

「以前に同じようなことを聞かれました。クリスターナを始め、船の名前はたいがい女性名詞だけど、やっぱり性別があるのかなと……」

「それで、なんと答えられたんです?」

 面白そうに、艦長は尋ねた。

 キアラは軽く肩を竦めると、大柄な艦長の方を向いた。

「少なくとも、ブラット艦長は女性として扱ってらっしゃいます。乗組員が、女性らしく扱わなければ、お怒りになるでしょうねと答えておきました。いけませんでしたか?」

 彼女の答えに、ブリッジのそこかしこで、忍び笑いが漏れた。

 

 

    シルビアーナの正体

 

 厳つい顔の艦長は、少し顔を赤らめると誤魔化すように振り返って、スクリーン越しにあたしを見上げた。

「司令官が、お前さんのやりたいようにやれとさ。可愛娘チャン、どうしたい?」

 そう聞かれても、あたしには返事のしようがなかった。

 また、あの重力ネットに捕まるのは、絶対に嫌だったし、何と言っても、あの気味の悪い妹に、これ以上関わりたくないというのが本音だったわ。

「逃げても、いいのよ。出直しってこともあるわ……」

 しばらくぶりに、優しく歌うようなキアラの声が響いた。

 あたしは、すぐには答えなかった。いえ、答えられなかった。

「敵の様子はどうだ?」

 艦長は、あたしに対する興味を、とりあえず他に向けることにしたらしい。

「射程外に離脱しましたので、とりあえずは無事です。どうやら、さっきの通信を聞いて、艦隊に戻るかどうか迷っているようです」

 分析士の言葉に、艦長は納得した。

 秘密兵器であたしの動きを封じておいての、必殺の攻撃。間一髪でそれを逃れたあたしを、なぜ直ちに追撃しなかったのか?その疑問が、それで解けた。

 アマドの『クリスターナにアマドはいるに違いない作戦』は、こんなところでも図に当たっていた。あたしに、アマドがいないとなると、シルビアーナの任務は二つに分かれてしまう。

 恐らく、このままあたしと戦うか、アマドのいる艦隊の攻撃に参加するか、迷っているのだと思う。

「冗談じゃないわ!私は、あなたを葬るために生まれて来たのよッ!!絶対に、あなたを逃がしはしないわッ!!」

 甲高い不快な声が、あたしの全身を貫いた。

 それは、キアラにも聞こえたみたい。

「あれが、シルビアーナ、シルビー?」

「ええ、とんでもないヤツよ……」

 あたしの答えに、キアラは首を傾げた。

「なにッ!?誰と話しているの!あなたは、何を言っているのッ!?」

 突然、シルビーの語調が乱れた。それまで、驚くほど傲慢で不遜だった彼女が、あたしが別の誰かと話していることに信じられないほど、狼狽えていた。

 あたしは、少し優位になったような気がして、見下したように言ってやった。

「あら、人間に決まっているじゃない。あなたには、話相手になってくれる人間はいないの?」

「バ、バカなことを……人間と話すなんて、そんな……有り得ないッ!嘘よッ、嘘だわッ!!」

「うるさいわねェ、話せるんだから、いいでしょう!?」

 あたしは、だいぶ気分が良くなった。明らかに、シルビーは羨ましがっている。

 もちろん、あたしだってキアラが特別な人間だということはわかっている。そもそも、テレパシストが船に乗ることが少ないし、それが意識を持つ船と話ができる立場になる確率なんて、ほとんどないのと同じだもの。

 あたしは、偶然にしろ手に入れた、この有利な立場を逃すつもりはなかった。だから、わざわざキアラがテレパシストだと、教えてやろうとは思わなかった。

「ああッ、そうなの!私に力でかなわないものだから、そんな姑息な、心理戦に出たのね。さすがに、年増の知恵は大したものだわ!」

「年増とは、言ってくれるわね!この、デカブツ!!」

「見てらっしゃい!今、その減らず口を効けなくしてやるッ!!」

 シルビーがそう言うと同時に、通信士が報告した。

「シルビアーナ、本艦に向かって加速!」

「とりあえず、逃げよう!なァ、可愛娘チャン!!」

 あたしも同感だった。

「駆動力、最高出力へ!安定しています!!」

 嬉しそうに機関士が報告した。

 やれやれという顔で、艦長が顔を撫でた。

「どうやら、この娘の機嫌も直りそうかな?」

 その言葉と視線は、キアラに向けられていたが、彼女は気が付かなかった。

「ねぇクリスターナ、彼女はずっとあんな感じ?」

「そうよ。最初っから、高慢で鼻持ちならなくて、生意気でいけ好かない……それに、気持ち悪い」

「あれは、人工知性じゃないかしら?」

「えッ!?」

 意外なキアラの言葉に、あたしは絶句して、思わず船の進行方向を別に向けてしまうところだった。

「艦長、まだ彼女の機嫌は完全じゃないみたいですね」

 操舵士は自分であたしの方向を修正しながら、ぶつぶつ言っていた。

 ふーんという顔で、そちらを眺めた艦長は、視線をあたしと話をしているキアラに戻した。

「前に一度、連邦が開発した操艦用の人工知性というものと、話をしてみたことがあったの。それが、これと良く似ているのよ」

「だって、あれはあたしと同じ……」

 キムは、少し寂しそうな顔をして見せた。

「言いたく無いけど、あれは人の手で合成された変位相クリスタル。あなたのように、自然の力と様々な偶然が作用して生まれたものじゃない。増して、愛情をもって育てられたものじゃないわ」

「あたしが、育てられたですって!?」

 キムの言葉は、心底あたしを驚かせた。

 テレパシストの彼女は、あたしにだけわかる仕草で、頷いて見せた。

「あなたの意識を作り上げている結晶板は、一枚一枚、技術職の人が精魂込めて磨き上げて、そして繋ぎ合わせたものよ。それぞれの結晶原石に合わせて切り出すところから、あなたには、大勢に人が心を込めて話しかけたはずだわ。その愛情が、あなたの意識を作る源になったと、私は思うの。だって、あなたはとても人間的よ。怒るし、拗ねるし、喜ぶこともあるわ。でも、あのシルビー、いえシルビアーナからはそういう人間的な感情は、まるで感じられないわ。あれは、計算によって作られたプログラム。人工の知性の反応に近いわ……」

 あたしには、信じられなかった。唯一、自分と対等に話のできる船。同じ結晶の船。

 例え、敵味方に分かれても、その根元は同じだと、仲間だと思っていたのに……いいえ!いくら、キムの意見でもそれは違う!きっと、違うはずよ!!

「なにを、ゴチャゴチャ言っている!?いくら逃げても、あなたの速度では、私は振り切れないわよ!」

「振り切るつもりなんか、ないッ!」

 言い返しながら、あたしはシルビーが話しかけて以来の、この悪寒の原因を考えた。人間であるキムと話す時に、こんな嫌な気分になったことはない。例え、あたしには面白くない話でも。それじゃいったい、この神経を逆立てる、気持ちの悪さはなんの!?

「人間と話すことなんか、機械にできるはずはない!悪あがきも、ここもでねクリス!」

 甲高い笑い声が、再びあたしの全身を震わせた。

「転進!隙を見せて、低重力波の発射体勢を取らせ、そこを叩く!あのやかいな秘密兵器を、まず黙らせる!どうだい、可愛娘チャン?」

 もちろん、あたしの返事が艦長に聞こえる訳はない。

 でも、あたしを見てにっこりと微笑んだキアラの表情を見て、艦長は納得したらしい。

「これで終わりよ!お姉様!!」

「あんたに、お姉様呼ばわりされても気味が悪いだけだわ!人間の言葉も理解できないあなたは、ただの粗悪品よッ!!」

「な……何ですって!?」

 ホントのところ、あたしはそこまで彼女のことを見下してはいなかった。ただ、売り言葉に買い言葉で、ここは彼女を激怒させる必要があった。

 思った通り、彼女は再び切札を使おうとした。そのチャンスを、あたしと艦長は待っていた。

 無骨な低重力波の発生装置が、その銀白色の船体を割るようにして迫り出した時、あたしと艦長の行動は一緒だった。

「最大加速!目標、低重力波発生装置!撃てッ!!」

 加速しながら、瞬間的に方向を変えることができるのは、あたしの特技だった。

 次々と位置を変えるあたしから、射撃手は正確に銀色の船体に、無骨に顔を覗かせた装置に、レーザーの雨を降らせた。

 あたしが、ほとんど最大加速のまま、銀白色の船体の脇をかすめて駆け抜けた時、その無骨な装置に閃光が走った。

「やりました!艦長、低重力波発生装置は収容不可能なようです!!」

 銀白色に輝く船体は、あたしの攻撃ぐらいではビクともしない。

 でも、体内に隠していた装置にまで、その能力はない。またしても、ゲリラ艦隊の生白い司令官の考えは、当たっていたみたい。

「おのれ、よくも……やるわねクリス、いえ、裏切り者クリスターナ!そんな低俗な人間達に使われる、あなたらしい醜い戦い方ね」

「なんとでもおっしゃい!だいたいなんで、あたしが裏切り者なのよ!!」

 そんな言い掛かりを口にしながら、さっさとシルビーは、邪魔になった低重力波の発生装置を切り捨てた。

 これで、彼女の防御力の低下はかろうじて防げたことになる。しかし、もはや相手の能力と、欠点を見抜いたブラット艦長が戸惑うことはなかった。

「敵の鼻先でフェイントをかける。その後で、高速反転、あのグラマーな姉チャンのケツに、ミサイルの雨を叩き込めッ!!」

 全身の装甲が、そのまま推進機関になっているあたしと違って、シルビーには次元駆動波の発振口がある。もちろん、ここに結晶装甲はない。これが大きな弱点だということは、最初からわかっていた。

「連邦に作られながら、その恩を忘れて、ゲリラに寝返った裏切り者!」

「作った人間に恩を感じるというなら、あたしはまさにその通りに生きているわ!あたしを作ってくれたのは、このタスク高原に住む人達で、あたしの自身も、元はと言えばここの鉱山で生まれたのよ!」

 あたしが叫ぶのと、急激な加速反転でキムを初めとする、ほとんどブリッジの人達が床に投げ出されたのが、同時だった。

 ただ一人、微動だにしない艦長が、大声を上げた。

「ミサイルを、叩き込めッ!」

 シルビアーナの後部、次元駆動波の発振口にあたしから放たれたミサイルの群れが、ゆっくりと吸い込まれて行った。

 あたしと違って、急激な方向転換を苦手とするシルビーは、自慢の加速力で懸命に逃げようとした。でも、わずかの差が直撃を許してしまった。

 いく度もの閃光と四方に膨らむ爆煙が、その衝撃をありありと、あたし達に教えくれていた。

 

〈後編に続く〉

 

 


 
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