No.19848

季球妖物語・第一幕「桜鬼~後日談」

柊らみ子さん

「桜鬼」エピローグ。

2008-07-18 00:05:33 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:722   閲覧ユーザー数:705

「結局、タダ働きだったワケだなァ」

 勝手に住処にしている荒寺の縁側にぼけっと座りながら、雷封がぼそっと呟いた。いつもの、毒がある口調では無い。誰に向けて言っているのでも無く、ただ気がついたら口に出していたという程度の呟きだったのだが、仕事を頼んだのが自分な手前、草雲には酷く耳が痛かった。

「まァ、しょうがねェッちゃアしょうがねェしなァ」

「……すみません」

「アア、いや? 別に先生にどうこう言ってるワケじゃねェンだけどさ」

「……はぁ」

 流石の俺も、仏さんだらけの村の家を勝手に家探しするってェのは気が引けるしよ、と、それこそ草雲が考えてもいなかった事をさらりと言い。

「それで? 今日は一体何の用で」

 矛先を、変えた。

 心の中でほっと胸を撫で下ろし、霜雪さんは? と問う。

「あいつは紫音寺に居るぜ。仕事が無い時ァ大体あそこに籠りっきりさ。まァ、今のあいつにゃあそこが家なワケだから、何も不思議はねェワケだけどよ」

 紫音寺。首都の外れにある小さな寺だ。何故か無駄に、こういう事だけは良く覚える質なのである。

「――で」

 ちりん、と鈴を指で弾き。

「何が、聞きたい?何だかいなくてほっとしたって顔に見えるんだが」

 興味が無さそうに鈴を指で弄びながら、彼の方を見もせずにぼそりと言った。だが、その行動とは裏腹に、問い掛けた声音には探るような響きが伴われている。

「言っておくが。あいつに何かあいつ自身の事を聞いたって全くの無駄だぜ。あいつは自分の事を話すのは嫌いだし、そもそも話そうとしても話せないのさ」

「……話せない?」

 兄弟同士、お互いの事を聞くなとは同じような事を言うと頭の片隅で考えながらも、丁度上手い具合に話が進んでくれた事に密かに感謝する。

 これを逃す手は無い。少々緊張しながらも、慎重に質問をする。

「話せないとは、どういう事です?」

「あいつァ……霜雪には、記憶ってヤツがねェンだよ」

「は……?」

 何処か、遠くを見るような目をして荒れ放題の庭を見つめながら、雷封が言う。そういえば今日は、草雲の方を全く見ようとしていないという事に、彼はふと気が付いた。

「あいつにゃ他人に語るだけの昔がねェ。過去ってヤツがねェんだ。だから、あいつにあいつ自身の事を聞いたって分からない――そういう、事さ」

 だから、なのかねェ――。

 およそ彼らしくない、覇気の無い声で言い。

「あいつが、強引にでも沙雪を封印する芝居を打つと言い張ったのは」

 過去が無い人間には。

 過去に縛られて生きている人間の感情が、解らないのでは無いか――。

 多分、この青年はそう言いたいのだろう。彼は彼なりに、弟を止められなかった事を悔やんでいるのだ。

 だけど。

「……それは、違うと思いますよ」

「違うのかねェ」

「ええ。違います」

「珍しいねェ。草雲先生がそんなにはっきり断言するなんて。こりゃア、明日の天気は雨だろうよ」

 淡々と、抑揚の無い憎まれ口。

 彼が草雲の方を見ないから、草雲も彼の方を見ずに色々思考を巡らせる。

 霜雪が。

 あの少年が、ムキになったのは。

 ただ――。

 ――兄に対する、劣等感(コンプレックス)。

 普段はおちゃらけている兄の、いつも不真面目に見えるこの赤毛の青年の中に時折見え隠れする、一本きちんと筋の通った部分。それはある種の、覚悟のようなもの。

 そんな部分に負けたくなくて。

 しばしば感じる、霜雪の余裕の無さは確かに自分で自分の事が解らないという事も関係しているのだろう。だが、それより何よりも、この兄の存在の方が大きく関わっていると、何故か草雲には思えるのだ。

 劣等感(コンプレックス)とは、強い憧れを抱かねば生まれない感情だから。

 ああなりたい、こうなりたいと願う、憧れと羨望の裏返しの感情。

 そんな、単純だが底の見えない深い感情に惑わされ、あの聡明な少年は判断を誤ったのだろう。雷封が、そこに気が付いていないとは正直思えないのだが彼の事だ。案外、誰でも気が付くような簡単な事を見落としたりする可能性は無くもない。

 だから、草雲はその考えを自分の心の中だけに押し留め、代わりに別の答えを口にした。

「霜雪さんも記憶が無いのなら、確かに過去に縛られて生きている人間の気持ちは分からなかったかもしれません。でもそれは逆に、記憶が無い人間、過去が無い人の気持ちなら分かる、という事になるのではないでしょうか」

「……沙雪の気持ちなら分かったと、そういう事かい?」

「ええ。私は、そう思います」

「なるほどねェ」

 見方が違うって事か、と黒衣の青年は呟いて顎を撫でた。

「……ま。今更あれこれ考えたって、どうしようもねェ事だァな」

 そう、何かを吹っ切るように言い。

「で、先生。霜雪に対しての疑問は、解消されたのかい?」

 と、さらりと訊いた。別に何も悪い事をした訳では無いのに、思わず反射的にびくりとする。

「え? あ、はい、まぁ」

「あいつが何でもかんでも首を突っ込みたがるのも、他人が触れられたくねェって思ってるところまでずかずか踏み込んでいくのも。ありゃア記憶が無いからってェ好奇心じゃなくて、元々のモン、生来の性格ってヤツだと思うンだがなァ」

 本人が聞いたら、一体何と言って三倍返しを食らわせる事か。

 そんな事は、考えるだけで恐ろしい。

「性格なんてよ。そんなに簡単に変わるモンじゃアねェだろ」

「簡単って言いますけど。記憶が無くなるっていうのはあちらこちらに転がっているような事じゃ無いと思いますよ。私だって、まさかそんな理由だと知っていたら――」

「……知っていたら?」

 そこで雷封は、初めて草雲と視線を合わせた。にんまりと、してやったりとした表情が、そこには浮かんでいる。

「そんな事ァ、あいつに面と向かって訊けやしねェわな。あいつの質問攻め、容赦無かったンだろう?」

 いッつも、容赦ねェンだよ。

 ――残念ながら。

 大袈裟にため息をつき。

「見た目があんなンだろ? アレで油断させておいて、いざ仕事になると自分が納得するか相手が干からびそうになるまで容赦しねェわけよ。ありゃア、質問される方は勿論、見てる方だってびっくりするわなァ」

「じゃあ、いつも」

「ああ。いつも、あの調子だ」

 だからよ。深い意味はねェと思うぜ。

 そう続けて。

 雷封はすっと右手を草雲の方へ差し出した。真意を量りかねて、草雲は首を捻る。

「あいつの記憶がねェ事は、あいつにとって誰にも言えねェ最高の秘密なんだよ。そんな事、勝手にぺらぺら喋ったと知れたらどうなるか……。考えただけでおっかねェ」

 わざとらしく、ぶるぶる震えて見せたりしながらの、台詞。

「……つまり、えーと」

 何となく、彼が言いたい事は予想がついた。予想はついたが、自分からは言い出したくは無い。自分で口に出してしまったら、それこそ逃げ道が無くなってしまう。

 それぐらいは、多少なりともこの青年……否、この兄弟と付き合いがあれば分かるというものだろう。

 雷封は不自然ににこやかな笑みを浮かべて、草雲を上目遣いに見た。

「そんなおっかねェ思いをしてまで教えてやったンだ。これでタダってェのは、虫が良すぎるンじゃアねェのかい、草雲先生?」

 教えてやったも何も。はっきり訊きもしないのに、勝手にぺらぺら喋ったのは雷封さんじゃないですか。

 その台詞は残念ながら、心の中でのみ綴られる事となった。

 ――やっぱり。この人達と関わりを持ったのが間違いだったんだろうか。

 付き合えば付き合うほど軽くなる財布を抱え。

 でもまぁ、これも運命ってやつなんでしょうかねぇ、と口の中で呟いて、草雲は苦笑いを浮かべたのだった。


 
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