「……ふぅん。雷封が、あたしにコレを?」
手渡された手紙を何度もじっくりと読み直した後、椿は怪訝な表情を浮かべてそう呟いた。
「何だか急な用事だから、あたいに返事返して欲しいって」
「……ふぅん……」
目を細め、まるで値踏みでもするように目の前の白髪の少女を見やる。じろじろと上から下まで見つめられ、沙雪は少し気恥ずかしくなった。ぎゅっと膝の上で握った拳に力が入る。
そんな少女の様子に気が付いたのだろう。椿はすっと視線を窓の外へと移し、ふぅっと煙管の煙をゆっくり吐き出した。窓の外の、今はまだ静けさを保っている煌びやかな世界がほんの少しの間だけ、霞が掛かったように鮮やかな色を失い、酷く曖昧な薄ぼんやりとした世界になる。
「まぁイイさ。あの甘ちゃんにあたしも付き合ってあげるよ」
その答えを聞き、ほっと安堵の表情を浮かべた少女に向かって。
「ただし、あんたにも付き合ってもらう事になるからねェ。覚悟は――出来てるかい?」
予想外の台詞だったのだろう。固まった沙雪に向かって、そうと決まったら忙しいよォと楽しそうに言い放つと椿はすっと立ち上がる。いつも通りの紅い唇にはこれもいつも通り心の読めない不敵な笑みの他にほんの少しだけ、懐かしむような淡い色が重なっていたのだがそれも一瞬。
もう一度深く煙管の煙を吸い込んで、椿は心の中で呟いた。
――全く。
結局はあたしだっておンなじ甘ちゃんじゃアないか。
そんな遣り取りより少し時間が経った頃。
夕暮れ間近の首都外れで、種田草雲と千花の兄妹はある人物を待っていた。都の外れなどそもそも人通りが多い場所では無い上、かなり陽が傾いているこんな時間にもなるとほとんど通る人はいなくなってしまう。その為、かなり閑散とした雰囲気が漂っていた。
「こんな所に呼び出して、一体何の用だってのよ」
妹がこの台詞を口にするのはこれで三度目だ。呼び出した相手が相手だけに、お目当ての人物が到着するまで一体何度同じ台詞を聞く羽目になるのだろうと草雲は内心苦笑する。
「わざわざ格好まで指定するなんて。本当、何考えてるのかしら」
続くこのぼやきも三度目だ。最初の疑問はともかくとして、後者の疑問は別に構わないのではないかと草雲は思う。
今日の妹の格好は普段の赤い袴姿ではなく、桜色を基調に白で雲の模様が入った大人しい着物姿だ。髪の毛もいつものように無造作にゆるくお下げにしてあるのではなく、着物と同じ色の結い紐で高く結い上げてある。つまりは、同じ年頃の少女達がしているような、普通の女の子然とした格好なのだ。草雲などから見ると、それに取り立てて腹を立てるような問題があるとは全く思えない。
「普通の格好をする事に何か問題でもあるんですか?」
「無いわよっ。普通の女らしい格好、って指定された事がムカつくの」
しかも、何であたしだけなのよ、と隣で苦笑いを浮かべている兄を見上げる。草雲の方はいつも通りの少し草臥れた色の上下に浅黄色の陣羽織を羽織っている見慣れた格好だ。
「まぁ……私に、女らしい格好と言われても困りますから」
「そういう事を言ってるんじゃないわよっ」
かっと頬を紅潮させて言葉を叩きつけるとぷいっと横を向いてしまった。これで余計な事は話さずに済むと、草雲はほっと胸を撫で下ろす。
……全く。
千花にバレないようにだなんて無茶な注文ですよ。
実の所、草雲は雷封から何をするつもりなのか全てを聞かされた上で妹を連れ出したのである。赤毛の青年が仕掛けようとしている事に異論は無かったし、むしろ大賛成でもあったので彼は青年に言われたままの台詞を妹に伝えたのだ。その中に確かに件の台詞はあったし、それを気がつかずにそのまま伝えたという事も今考えてみればそれぐらいどうとでも言いようがあったのだと思ったりもするのだが、今更考えたって後の祭りである。妹の機嫌が直るわけもない。それにそもそも、千花の機嫌が悪いのは呼び出したのが雷封である、というところに起因しているので着物云々というのは後付けの理由であろう。
まぁ、何にせよ。
理由が分かるまでの辛抱ですから。
呼び出された訳が分かれば妹の機嫌は直ると、草雲には自信があった。何をするにしても自信を持てない彼にしてはとても珍しい事であるが、確信があると言い切っても良いぐらい、確りとした自信があったのだ。だからこそ、機嫌が悪くなると分かっているのにも関わらず、妹を連れ出す事に協力したのである。
……それに。
見てみたいものも、ありますし。
理由が分かれば、千花は笑ってくれますよねぇ。
ひょっこり再会してからというもの、以前より妹に会う機会は格段に増えた。その事自体はもちろん嬉しいのだが、いかんせん草雲と居る時の妹は怒ったような(実際怒っている事も多い)怖い顔をしている事が多く、常にぴりぴりしているように感じられる。それもまた、ついさっきの着物と同じ所に原因があるのは分かり過ぎるぐらいはっきりと分かっているのだが、草雲としてみればそのお陰で妹と会う機会が増えているという事実もあるので心苦しい事この上無い。
つまり。
赤毛の青年の仕掛けを手伝う事によって千花と会う機会は増えたものの、妹がその青年を毛嫌いしている為、青年と仲が良い(ように見える)草雲にもツンケンした態度を取るという悪循環なのだ。お陰で妹の不機嫌な顔ばかり見る羽目になってしまい、嬉しいんだか悲しいんだかよく分からない気分にまでなってしまう。
――それにしても。
雷封さんがいない時まで、不機嫌な顔をしていなくたって良いでしょうにねぇ。
ふいっと横を向いたまま自分の方を見ようともしない妹にちらりと視線を走らせた後、諦めたように小さく頭を振ると都の方へと視線を移した。
「……あ」
視線の先に見慣れた人影を二つ見つけて、思わず声を上げる。
一人は、いつも通りの黒い法衣を細身の身体に纏った茶色い髪の少年。
そして、もう一人は――。
少し恥ずかしそうに俯き加減で歩いて来る少女の姿を確認し、知らず知らずのうちに草雲は微笑を浮かべていた。一生懸命怒った顔を続けているように見える妹の肩をトントンと叩く。
「……ほら。待ち人が到着しましたよ」
「何よ、人をこんなに待たせて。全く良い御身分じゃ――」
刺々しい響きを持った千花の台詞は最後まで吐き出される事は無かった。少年と一緒に到着した少女の姿を見、千花の瞳が大きく見開かれる。肩に掛かった髪を払おうと手を掛けた体勢のまま、固まっていた。
「……沙雪、ちゃん?」
目の前の少女を確かめるように何度か瞬きを繰り返した後、やっとの事で喉の奥から搾り出した声は小さく掠れていた。他に、どんな言葉を掛けていいのか上手い言葉が見つからないから名前を呼んだ、そんな風に聞こえる棒読みの呼び掛け。
小さく頷いた少女の格好は、いつもの見慣れた活動的な着物とはかけ離れた浴衣姿だった。紺色の浴衣に黄色い帯が映えている。髪型も多少いじっており、高い位置で束ねたものをそのままお団子にしていた。何故だか、今にも泣き出しそうな顔をしているように見えるのは草雲の見間違いだろうか。
千花が目を見張るのも無理は無い。予め、計画を聞かされていたはずの草雲ですら、法衣の少年と一緒に現れたのが沙雪だとは一瞬思わなかったぐらいなのだ。少女の特徴である尖った耳を確認するまでは、実は違う人物なんじゃなかろうかと考えたぐらいである。
女の子は化けるって言いますからねぇ。
「……やっぱり……似合わない、よね」
沙雪は俯いたまま、やっと聞き取れるぐらいの小さな声で言った。沙雪も沙雪で、一体どんな表情をしていたら良いのか分からないから下を向いている、そんな心境なのだろう。その心境を察し、千花は慌てて首を左右にぶんぶんと振る。
「そ、そんな事無い。ただ一寸、吃驚しちゃっただけ」
あたし、違う奴が来ると思ってたから、と続けると千花はにっこりと優しい笑みを浮かべて言った。
「浴衣、凄い似合ってる。可愛いよ」
「……そう、かな。あたい、こんな格好した事無かったから……」
分かんなくて、椿さんに選んでもらったの、とぽつぽつと話す。
「今日は、八頭(やず)村で龍神様を祀るお祭りがあるんですよ。あまり大きなお祭りではありませんが、炎をまるで龍のように自由自在に操る火芸が有名でしてね。その火の粉を被った者は龍神様の恩恵が得られ、幸せになれると言われています」
「ですからね。兄さんが言い出したんですよ。沙雪は今までお祭りに行った事が無いだろうから、うんとおめかしして連れて行ってやろうって。全く、自分は龍神様を毛嫌いしてるって言うのに、一体どういう風の吹き回しなんだか」
二人の説明を聞き、千花はぽかんと口を開けた。
……それじゃあ。
「それでですね。一人だけおめかしじゃあ気まずいだろうから、千花もなるべくそれらしい格好で合わせて欲しいって頼まれたんですよ。やっぱり男より同じ女の方がいいだ――」
「それなら! 最初ッからそう言ってくれれば良かったじゃない! あたし、一人で怒って一人で訳分からなくて――」
あたし一人、馬鹿みたいじゃない。
その台詞はおろおろしながら千花を見ている実兄に叩き付けられる事無く飲み込まれた。これでは本当にただの八つ当たりだと気がついたからだ。
すぅっと一つ。深呼吸をした。夜の帳が下りようとしている曖昧な時間のひんやりとした空気をたっぷりと胸に吸い込むと、不思議と気分が落ち着き頭の中が鮮明になる。
「――つまり。あたしにも内緒にしろって言われたわけね、兄様」
「ええ、はい、まぁ、えーと……そういう事で……」
「何も言わないのはいつもの事、なんでしょ」
ほっとしたように情けない笑みを返す草雲を一瞥し、ため息をついた。そのまま、小さな身体をもっと小さく縮めてしまっている沙雪へと視線を泳がし、ふぅっと大きくため息をつく。
「分かったわよ。あいつの提案に乗るってのは気に食わないけど、仕掛け自体は悪い事じゃないから乗ってやるわ」
認めたくないけど。
「あたしだって――同じ事をすると思うから」
何回言っても言い足りないぐらい癪だけど。
そんな心の声は多分、草雲にしか届かなかったに違いない。が、とりあえずでも何でも乗ってくれると言う妹の機嫌をまた損ねる事も無い。だから草雲も聞こえなかった振りをする事に決め、影でほっと安堵のため息を漏らした。
「……それで。その言いだしっぺは何処にいるのよ」
「そういえば、見当たりませんねぇ」
「ああ、兄さんは来ませんよ。龍神様を毛嫌いしているって、言ったでしょう」
何だッて龍神を祀る祭りなんかに行かなきゃなんねェのよ。お膳立てはするけどよ、沙雪を連れてくのはお前らの役目だぜ。
真逆、俺がいねェと祭りで盛り上がる事も出来ねェわけじゃねェだろ。
いつも通り淡々と、でも何処かしら血の繋がらない兄の口調を真似ながら彼の台詞をなぞってみせた少年の言葉を聞き、千花は呆れた、と呟いた。
それを耳にした少年も、兄さんの行動で呆れるのはいつもの事です、と淡々と返す。
毛嫌いしているという事実も確かにありますけどね。
「あれは――単純に顔を出すのが恥ずかしいだけですね」
「何よそれ。恥ずかしがってる事自体恥ずかしいじゃない」
「俺カッコいい事したなーとか勝手に思ってるんでしょう」
「……うっわ。ホンット恥ずかしい」
「ええ。本当に恥ずかしいです」
そんな二人のやり取りを見つめながら、草雲は未だ居心地悪そうにもじもじしている沙雪の肩にぽんっと手を置いた。小さな肩が一瞬びくりと強張るのが手のひらに伝わってくる。
「何も、遠慮する事は無いんですよ。お祭りぐらい、誰だって行くんです。お祭りに行って楽しむ事ぐらい、誰だってして良いんですよ」
「でも……あたいは」
「いいんです。お祭りっていうのはそういうものなんですよ」
しゃがみ込んで沙雪の深い緑色の瞳を覗き込む。
そしてほわっと、少し情けない見慣れた笑みを浮かべた。
それにつられたのか、沙雪もようやっと笑みの形に顔を歪める。
「……分かった。楽しむ事にする」
「そう、それでいいんですよ」
もう一度ほわっとした笑みを浮かべて肩をぽんっと叩くと、草雲は立ち上がった。いつの間にやら妹と少年の話は終わっていたようで、二人は少し離れた場所から彼らを眺めている。草雲が立ち上がったのを見、千花が彼らに向かって手招きをしていた。
まぁ。
妹の、満面の笑顔は見られませんでしたけどねぇ。
それが一寸心残りだなと心の片隅で考えながら。
「――それでは、お祭りに出掛けましょうか」
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
季球日常読みきり短編です。
なるべく本編をご覧になってからの方が、登場人物など分かりやすいと思います。