† 桜鬼 †
ヒラヒラ、ヒラリ。
舞い散る踊る。
狂い咲きの血桜と、
季節外れの雪化粧。
ヒラヒラ、ヒラリ――
「……鬼ィ?」
半信半疑の声だった。あからさまに、「お前、それ本当か?」という響きを伴っている。種田草雲(たねだそううん)は、少々興奮気味に首を縦に振った。
「当たり前ですよ! 私が嘘を言った事など、今まで一度も無かったでしょう?」
「今まではな。でも、これからはあるかもしれねェだろ」
そう、目の前の人物は素っ気無い。まぁ、彼の事だから、タダ単に面倒なのでしょうね、と考えて草雲は苦笑をもらした。それが分かる程には、草雲は彼のこういった態度を何度も目の当たりにして来ている。目の前の赤毛の青年が、かなりの面倒臭がりであるという事に気付く程には。
「それに、どーせタダ働きだろ、今度も」
「そりゃあ、私は雷封(らいほう)さん達とは違って、依頼としてお話を聞いているわけではありませんからね。ただ、気になる話があったから、こうして頼みに来ているだけで」
ふむ、と雷封と呼ばれた青年が呟き、唐突に座り直した。彼の黒い法衣の胸元に下げられた鈴が揺れ、ちりんと澄んだ音を響かせる。
「じゃ、依頼人は草雲先生だって訳か?ちゃんと報酬を払ってくれるなら、受けてやらないでもないぜ?」
真顔で言われ、一瞬答えに詰まった。自慢ではないが、財布の中身は木枯らしが吹き荒れてしまいそうな状態である。どう考えても、雷封の言っている事を承諾するのは無理な相談だった。
「……それは……」
「それは?」
「お話を聞かせて頂きましょうか?」
唐突に、草雲の後ろから掛かった穏やかな声。その声の主を認めて、身体を乗り出していた雷封は、またやる気無さげにそっぽを向いた。それとは対照的に、草雲の方はほっとしたように声の主に話し掛ける。
「ああ、霜雪(そうせつ)さん。聞いて下さいますか?」
「ええ。貴方の持ってくるお話は結構興味があるものがありますし。もちろん……」
とたとたと部屋の中を進み、雷封の隣までやって来ると裾を払って腰を降ろす。
「兄さんにも、お手伝いさせますよ」
にこやかに言っているのに、何処か逆らえない威圧感がある。尤も、それは言われた雷封にだけ、感じたものなのかもしれなかったが。彼にとって、この血の繋がらない弟は唯一と言っても過言では無い程自分が口で勝てない相手であると認識しているから、余計なのかもしれない。可愛い顔をしている割りに、言う事はキツイのだ。
「お前……よっくいつもいっつもタダ働きする気になるよなァ……」
ったく、財布の中身を確認してから話聞けってんだ、とぶつぶつ言っている雷封に、霜雪は盛大にため息をついて見せた。
「兄さんのお財布の中身がすっからかんなのは、私の所為じゃありませんよ。普通に使っていれば不自由しないぐらいの稼ぎはしっかりとしているじゃありませんか」
「しっかり、だァ?」
どっこがしっかりなんだよ、と半ば呆れたような声で反論をする。しかし、この弟が自分の反論程度で言い包められるような人間では無いという事が分かりきっているため、彼のそれはほとんど形的にやっているだけに過ぎなかった。何となく、癪だったから。
さっくりとそんな雷封を綺麗に無視して、霜雪は草雲に話をするよう促した。
「ここから少し行った所に、赤月(しゃくづき)という村があるのをご存知ですか?」
草雲の話は、こういった問い掛けから始まった。その問い掛けに対し、霜雪は少しだけ小首を傾げて考えているような表情をしたが、すぐに頷いた。
「ええ、名前ぐらいは」
「その村に、鬼が出ると言うんです。何でも、厄介な鬼で、人を食いかねない、と。で、そんな被害が出る前に、退治して欲しいと頼まれたのですよ」
「頼まれたァ? 先生、あんた物書きだろ? 一体いつから退治屋に転職したんだよ」
聞いていない振りをしながらきっちり聞いていたらしい。雷封のいじわるな質問に、草雲はしどろもどろになりながら答えた。
「いえ、その……つてがあると……つい言ってしまいまして」
確かに草雲はただの物書きである。雷封と霜雪の兄弟のように、不思議な事件を引き受けて調べるなどという事はやろうと思っても出来ない相談なのだ。
その答えを期待していたのだろう。雷封は両手を広げて肩を竦め、あーあ、とわざとらしく大きなため息をついて見せた。
「何だよ……。それじゃァ、最初っから俺達をアテにしてたんじゃねェか」
草雲が言葉に詰まったのを良い事に、つまりさ、と赤毛の青年は言葉を続ける。彼に唯一待ったをかける事が出来る彼の弟も黙っているという事は、多分、兄の言う事にも一理あると思ったからなのだろう。「最初っから俺達をアテにしてたんじゃねェか」という、その台詞に。
「それって、先生はもう話を受けちまってるって事か?」
選択権はねェって事か? と、彼は言葉を置き換えた。
草雲は、小さくなりながら「ええ、まぁ……」と蚊の泣くような声で返事を返す。
「だって……断れるような状況じゃ、無かったですし……」
もごもごとした言い訳。兄と弟は一瞬顔を見合わせ、同時に肩を竦めた。
「あのよ……。一つ聞きたいんだが、先生に報酬は入るのか? それなら、鬼退治ぐらいすぱーんと引き受けてやっても良いぜ?」
雷封の言葉に、草雲の顔がぱぁっと明るくなった。誰がどう見ても、その表情だけで充分彼の言葉に対する答えになっていると分かる。
草雲はダメ押しのように、こくこくと一生懸命頷いた。
「ええ、それは、もちろん。受けて下さるのなら、六:四で貴方達に報酬をお渡し出来ますが……?」
「……さっきはそんな事、一言も言わなかったクセによ。隠してたから、七:三、だな」
「そんなぁ~! わ、私だってかつかつなんですよ!?」
「へっ。知るかそんなん。俺よかマシだろうが」
「無意味に胸を張らないでくださいよっ!!」
思わず叫んで、救いの眼差しを霜雪に向けてみる。彼の綺麗な紫の瞳は、そんな草雲の視線を真正面から受け止め、にっこりと笑いかけた。
「……そうですね……。七:三では、割り切れません。八:二で手を打ちましょうか」
「……え」
あまりにも素直な笑顔でさらっとこういう事を言う。それこそ、雷封が弟に勝てないと思う最大の理由なのだった。相手を油断させておいてぐさっと鋭い一言を放つという攻撃方法は、あまりにストレートな彼には持ち得ないものだったから。
ほとんど泣き出しそうな顔で固まっている草雲と、にこやかな、まるで邪気の欠片すら感じられない優しい笑みを浮かべている霜雪を見比べながら、自分の弟の手腕をうむ、流石だ、などと今更ながらに考えてみたり。
「じゃ、決まり――だな?」
にやりと、してやったりとした顔をして言った雷封の台詞に、もうどうにでもなれ、と言ったような気持ちで頷くしかない草雲だった。
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――妖とは、人の心が映し出すもの。
和風な島国、季球を舞台にした物書きの青年種田草雲と、祓い屋を生業とする兄弟の織り成す、少し不思議で少し哀しい物語。
鬼が出るという村、赤月村。
その話を聞きつけた種田草雲だったが――