――ほう…… ほう…… ほう……
梟の鳴き声が深夜の帳に木霊していく。
辺りは一面闇に染められ、視界にはうっすらと獣道が写るだけ。
宿から抜け出した俺は散歩がてら近くの森林に、ほろ酔いにも少し遠い浮ついた気持ちで足を踏み入れる。
目的は特に無い。
あるとすれば、若干の酔い覚ましぐらいだろう。
昼間の立ち眩みの一件も含め、凪を始めとした仲間達に過度の心配をされた俺は、
療養も兼ねて、数日この宿に滞在することになった。
それならばとたんぽぽが発案した再会祝いの宴会が開催。病人であるにも関わらず、随分と飲まされてしまった。
まったく星もたんぽぽも意地が悪いよなぁ。痛がる俺に景気付けだとどんどん酒を飲ませるんだから……。
(あぁ、でも後半はあまりにも酒を強要される俺を庇って華佗が説教してたっけ)
「確かに酒は“百薬の長”と呼ばれるが本来はその後に、“ただし万病の元である”が付くんだ。
過度の摂取は毒になるに決まっているだろう」
本職に怒られてはさすがの星達も口を挟めず、一旦この場はお開きとなり俺は少し一人になりたい、と付いて来ようとする子を断り、宿を後にした。
(考えるべき事はたくさんあるからなぁ)
すでに呉のみんなに黙って出奔してから一週間が経過しようとしている。干吉の件やらで不安の種は消えず、一刻も早く帰りたい気持ちは大きいが、焦って体調を崩し、待ち受けているであろう肝心な場面で倒れちゃ元も子もない。
焦る気持ちは当然ある。無責任に残してきた彼女達には申し訳ないけど、それ以上に強く感じる違和感がどうも頭から離れない。
――干吉はいったい何を考えている?
華琳の記憶では左慈の仲間だったらしいが、洛陽で救出されて以来、俺の側にいるのにも関わらず彼女は特にアプローチをしてくる気配がなかった。
それは更なる布石か、それともこちらを侮っているのか。
どちらにせよ単なる害意だけで近づいてきたわけではないだろう。もしそうならあの段階で長坂橋の情報や魏の記憶を取り戻させたりはしないはずだ。
(恐らくあいつは俺が平原に帰還するまで待っているだろう。……何かを仕掛ける為に)
っと、ここで悩み過ぎても駄目だな。これ以上の推測は情報が少なすぎる。
割り切って華琳の宿題でも考えよう。
落ちた枯れ木を踏みしめて一人考えを纏められる場所を捜し歩く。
(左慈の思惑を越える為に必要な条件。それが俺の才覚とはな)
漠然としては分かるが、それを認めて良いものか判断に困る。もしそれを認めてしまったら、
俺の今までの努力は無駄になってしまわないだろうか?
そうやって悩みながらどれくらい歩いただろう。
いつの間にか通行を邪魔していた茂みは無くなり、水の流れる音とともに辺りが急に明るくなった。
俺は足を止め、見惚れるような光景に思わず息を漏らす。
(……小川、か)
空の頂点で月が輝き、数え切れない星の光が開けた小川を照らす。そのおかげで明かりも無いのにこの場所が一段と明るく見える。
川は幻想のように美しく流れ、きらきらと朧な月を反射させながら煌く、心地良い滝の音が耳に響く絵画のような世界――。
一歩踏み出し、月明かりに晒されると自然と過去の記憶が蘇り、無意識に言葉が出てきた。
「あぁ……ここは」
ここはまるで、あの時の場所じゃないか。
琥珀の月が青い光を放つこの光景は、細部こそ違えど大陸の覇王となった華琳との別れの場所に良く似ていた。
北郷一刀が泣かせた唯一の女性。
自覚してしまえば、押し込めていた切なさが加速度的に身を苛んでいく。
確かに再会は果たした。
けれどそれは自分の心奥底で望んだものではなく、互いの立場越しに交わされたやりとり。
当然だ。彼女はあの時の別れを覚えていないのだから……。
(それも割り切らなきゃいけないのかな)
ああして出会えただけでも奇跡なんだ。望み過ぎは贅沢かもしれない。
一人愚痴り、じゃりじゃりと川岸の砂利を踏みしめ、前進していくと微かに人が身じろぐような物音がした。
「……」
いや、まさかな。
音はちょうど死角から聞こえてきていた為、ここからでは姿は見えない。
思い切って近づくとそこには、月明かりより鮮明に映る女性の後ろ姿があった。
金色で独特の髪型が微かな風でふわりと揺れ、しゃんと伸びた背筋、均衡の取れたプロポーションで腕を組みながら佇んでいる。
無言であっても溢れ出るカリスマ。
間違いない、華琳だ。でもどうして?
先回りや待ち伏せなんてのはまず考えられない。
俺は行き先も決めずここまで辿り着いたんだ。偶然、彼女と鉢合わせするなんてどれだけ確率が低いことだろう。
昼の一件による後ろめたい気持ちも相まって口から言葉が出ない。
気がついているはずなのに互いにしばらくの間無言で静止していると、どこからか聞こえてくる梟の鳴き声がやけに大きく耳の中で反響する。
思考する事も、喋りかける事も無い静寂の時。
なぜかは分からない。けど昼間と違い、彼女と二人きりのこの時間はとても尊いものに感じてしまう。
それは不快ではない違和感が冷たい空気を通して伝わってくるからだと思う。
……どれくらいそれが続いたのだろう。
更に時間が経過し、無音の世界に侵食され耳鳴りがしはじめたとき、最初に口を開いたの華琳だった。
「そういえばまだ正式に礼を言っていなかったわね」
ポツリと一雫の水滴のように清涼な一言。
「――礼って、昼に思いっきり“憐み”だとか叱られた気がするんだけど?」
「違うわよ。そっちじゃなくて、私が話そうとしているのは春蘭の件。あの子の命を救ってくれたでしょう?」
振り返らずにそのままの姿勢で語りかけてくる。
「確かに貴方のしたことは私の誇りを傷つけた。……でもそのおかげで、切り捨ててしまったはずの部下を失わずに済んだもの……当然の行為よ」
「……でも」
「言いたい事は分かるわ。けどね、命そのものと比べれば安い取引じゃない。片目が無くともまだ共に道を歩めるのだから」
「……うん。君ならそう言ってくれると思ったよ」
「当然でしょう? 私の掲げる覇道は果て無き王へと至る道。勝ち続けるには多少の犠牲は止むを得ないけど、共に来る者は最大限の寵愛を授けているの。……だから失ったら悲しいに決まっているわ。助けられて礼を述べるのは当然」
少しだけ背筋を伸ばした華琳が、手だけを腕組みから下ろす。
「北郷一刀。貴方の働きで部下の命が救われた。故にこの曹孟徳、最大限の礼と感謝を貴方に贈ります」
「……あ、ああ……」
以前こちらに顔を向けてはくれないが、気持ちは伝わって来る。
ただ、彼女から褒められるなんて久しぶりだから、若干声が裏返って咄嗟の反応がおかしくなってしまった。
以前の関係だったら、偶に褒められるぐらいでこんな態度は取られなかっただろうからな。
予想外の展開に息を呑んでいると、華琳は更に言葉を続けた。
「だから、礼として貴方に問いかけたものの手がかりを教えてあげましょう」
「……良いのか? あれって自分で気付かないといけない感じだったろ? だれかに指摘されてどうこうだと問題あると思うけど」
「それで悩み続けて判断が遅れては元も子もないでしょう。それに私は手がかりをあげると言っているの。勘違いしないで、答えを見つけるのは私じゃないわ」
出題者がそれでいいなら問題無いのか?
「いい? まずは貴方の求めるものが何なのか、今までのように他者の情報に踊らされず、自分で立脚点となる目標を明確にしなさい。……そのために質問するわ、この世界で今迄貴方は何をしていたの?」
言われるままに、自分の今までの行動を思い返す。
この世界に再臨し、過去の記憶とともに生きたこれまでの道のりを――。
最初は世界に害を及ぼそうとする左慈を倒すという目標を立てた。けど、どこにいるのか、どんな手段を用いてくるのか、情報はつい最近まで耳に入らず仕舞いで、その間、再会した女の子達と思い出を反芻する日々を送っていた。
……それは以前、過去の世界で生きた北郷一刀と同じ生き方だったはず。
半分近く、魏においては全てを思い出した俺の記憶の中ではどの国においても似たような行動目標を抱いていたからだ。
天の御遣いとして拾われた俺は庇護された勢力の中で与えられた職務を果たし、天下を目指す。
……。
ああ、そうか……。
今までの俺は“いつも誰かに”目標を立ててもらって生きてきた。
王の配下に登用されたり、軍師の才があるからとそれに従った。
けどこの世界では誰も俺に何かを強制したり、願ったりはしていない。
だから俺は無意識の内に、自分の道を示してくれる存在が出て来てくれるまで、躍起になって行動する事がなかったんだ。
北郷一刀は一人では何も出来ず、左慈を倒すという朧な目標に甘えていたから……。
自覚すれば、あまりの不甲斐なさに怖気が走る。あれだけの期待を受けて尚、俺の中身は空っぽだ。
朝方、星たちに宣言した言葉が無責任なものにしか感じれない。
こみ上げる思いに身動いでいると、華琳はもう一度、口調は変えず、励ますように、優しく言葉を重ねる。
「理解出来たかしら? 今の貴方には“自身の理想”が無いの。ただ漠然と目標に向かう走狗のように愚かしくも真っ直ぐに歩き過ぎた。それが私の知っている北郷との違いよ」
なら、以前の、最初の俺はもっと偉大だったのだろうか?
記憶の無い自分には判断が付かなかった。
「あの時の一刀は天の御遣いという肩書きを最大限に活かし、大陸を平らげていったわ。始めこそ関羽達に望まれて立志したようだけど、その後の行動は貴方の判断によるものが多かったはずよ。でなければ理由はどうあれ、負けた私は殺されて当然だったもの」
「え? いくら何でもそれは無いだろ。勝ったからって命を奪う理由にはならないと思うんだけど」
「大有りに決まってるでしょ! ……まったく。敗残の将を生かしておく発想自体がおかしいの。殺して当然、それを誇りにしてこそ勇名が高まるというもの。それを疑問に思う言葉が自然に出せるなら、なぜ分からないの?」
「そう言われても困るんだが……」
「元は同じ人間でしょうに。なら考えつく行き先も同じはずよ。いい? 素直に答えなさい。天下を取るのに邪魔になる相手を保護した理由は何だったのかを」
「それは――」
「もう少し手がかりをあげましょうか。貴方にもっとも近いのは劉備。義を持って大陸を統べようとしている王。けれどあの子は足元が見えていない。いいえ、見ること自体を避けているわ。一度目に留まってしまえば犠牲となった人を思い、立ち止まってしまうのが分かっているから。だから理想だけを見据えて、現実を直視しない傾向があるの」
ふっと溜息を一つつく。
「それは決して悪い事ではないわ。理想は高いほど素晴らしいもの。でもね、優しさと理想だけでは物事はうまくいかない。……それは貴方も自覚しているでしょう?」
「……ああ」
「それを踏まえて考えてみなさい。……もうここまで言ったのだから、はっきりと答えなさい。己の理想を」
今の俺と過去の俺
北郷一刀と劉備元徳
その違いは?
……。
…………!
「まさか」
刹那の閃き。
この場所に来るまでに浮かんだ、漠然とした発想。あれが答えだとでもいうのだろうか。
確かにあれなら華琳の出したヒントに該当している……どころか、万能な答えになってしまう。
「思い当たった? ならそれを己の口で宣誓しなさい。想いは言葉に、形にして始めて世界に認識されるのよ」
どこか自信に満ちた声色で華琳は先を促す。
「俺は」
「……俺は?」
弾んだ声、俺の出す答えなど始めから決まっていると言わんばかりの態度だ。
ああもう! こんな子供染みた答えが正解なのか!
半ば自暴自棄な勢いで宣言する。
それは誰もが一度は妄想する物語。
そこに至るまでに誰もが諦めてしまうような戯言こそが北郷一刀の理想。
つまり、だ。
「北郷一刀は全てを望む! 世界と全ての人を救って、思いを繋げた者たち全てを幸せにしてみせる! そのために犠牲が必要であろうとも、俺は諦めないし認めない。
たとえ零れ落ちてしまう命があったとしても、それを理由に妥協などしない! ……全てを救い、全てに責任を持つために!」
静寂の小川に響き渡る一刀の声明。
そう、左慈を倒すのはあくまで目標だ。
一番重要なのは、数多くの人々を救い、思いを繋げた全員を幸せにすること。
天下を取る理想は空っぽでも、この思い、理想は俺の中で満ち溢れている!
例えどれだけ世界と人生を繰り返そうとこれだけは変わらなかったんだ!
皆が笑って暮らせる世界こそが、北郷一刀の願い。
それを見失っていた……!
「……正解よ。一刀」
その言葉と同時に彼女はようやくこちらに振り向いてくれる。
月明かりに照らされたその表情は儚さを含みながらも微笑を浮かべ、懐かしむように少しだけ目が細められていた。
「この私でさえも諦める、北斗を望むような果てしない理想。それを実現するために貴方はここにいるの」
ゆっくりと歩きながらこちらに近づき、言葉を紡ぐ。
「戯言? 妄言? そんな事は百も承知よ。でもね、それをかつての一刀はそれを成し得たの。桃香と同じような道を進みながらも、誰を排除する事無く、世界を救ってみせたわ。しかも新しい世界を創世してね」
「……すごいな、俺」
「今回も頑張れば良いだけじゃない。応援してあげるわよ」
一歩手前まで近づいた華琳は、昼間に見せた威圧感のある態度と違って、過去の、男女の仲になった頃に見せてくれた悪戯好きな表情に良く似ていた。
「曹操」
確認するかのように字で呼んでみると、明らかに不快な顔を向けられ、ようやくここで思い当たった。
なぜ、結論を急いたのか―
なぜ、こうも心配してくれるのか―
まさかという気持ちに突き動かされ、一度だけ唾を飲み込んで、再度目の前の彼女を呼んでみる。
「……華琳」
「……正解。真名を預けたのだからそれで呼ぶのは当然でしょ?」
「でも……どうして? 昼間は全然そんな素振りがなかったのに」
「思い出したのはその後よ。……いえ、正確には思い出せてもらったと表現した方が適切ね。……はぁ、あの時は驚いたわよ、突然脳内であの筋肉達磨が喋りかけてくるもの」
ぶるりと身を震わせながら顔を引き攣らせる。
それだけで犯人が特定出来てしまった。
(貂蝉お前……本当、顔と、体付きと、性格と、存在で損してるよな。同情するよ)
「おかげで記憶が戻ったのはいいとして、もう二度とあんな真似はお断りよ。一応貴方の配下でしょう? せめて迷惑を掛けないよう、手綱くらい付けておきなさいよ」
「今回だけは勘弁してやってくれ。大分世話になってるんだ」
一度くらい奴の頼みを聞いてやってもいいかも知れない。内容によるが。
若干の雑談で互いの間にあった微妙な隔たりが取り払われ、ようやく感動の再会といったところで、華琳は焦らす様に頬を緩め、右手の人差し指をこちらに向ける。
「良いわ、許してあげましょう。でもその代わりこれから言うことを実行してみせなさい」
微笑みながらも真剣に彼女は告げる。
「国を作るのよ、一刀。己の意思を貫きたいのなら」
「まあ、そうなるよな」
「あら? 予想出来てたかしら」
ならなんで先の問いが分からなかったの?みたいな表情をされるが、ここに来るまでは流石にそこまでは考えてなかっただけで、ちょっとした妄想が広がっただけの回答なんだけどな。
「まあ、昼の段階で王っていう前振りもあったし、だろうとは思った程度だよ。まさか本当に正解だとは思わなかったけど」
「過小評価は止めなさい。貴方には充分な人徳と縁があると過去の世界から見てもそれは証明されているでしょう。やってやれない事ではないわ」
「いやー……でもなあ」
一度気が抜けてしまうとつい、対応が鈍くなってしまった。
いや、やらないわけじゃ無いんだけどね、こう、いきなり話のスケールが大きくなり過ぎて戸惑っているというか……。
「じれったいわね。……なら私がキチンと援助してあげるわ、だからもっと自信を持ちなさい!」
「………………………………えっ?」
華琳はおもむろに腕を組み、顔を明後日の方向へ逸らせる。
分かりやすい照れ隠しだった。
「本来なら兵を再編して独自に麗羽を叩くつもりだったけど、せっかく再会した貴方に野垂れ死なれても困るもの。だから出来る限りは側にいてあげるわ」
「華琳」
「あくまで同士、同盟の類よ。恭順するわけじゃないわ。……か、勘違いしないでほしいわね!」
月明かりに晒されたこの場でも、横顔にほんのりと赤みが差しこんできたのが分かった。
「そして貴方はいつか―――――のよ」
「……え?」
提案と更なる指標に驚き、腑抜けた声が出る。
全てを救うなんて大言の後に、それはあまりにも大きすぎる。
「い、いくらなんでもそれは………国を作ること自体、うまくいくのかさえ解らない状態のにそん……っ!?」
思わず反論しようとした瞬間、俺の口元が華琳の突き出した人差し指で遮られる。
形の整った端麗な指の感触にどぎまぎしていると、呆れたような溜息をつかれた。
「……はぁ、言ったばかりでしょう? 誓いは覚悟を決めてから口に出すべきだと。自信が無いのなら今は胸の内に秘めて、来るべき時にこそ言葉にしなさい。……それに」
指が離された瞬間、間近で彼女を見た緊張で気を抜いてしまった俺は、突然の彼女の行動に対処できなかった。
「んっ……」
「っ!?」
口づけ、口吸い、接吻。
俺の胸の中に納まるように滑り込んで来た華琳から問答無用なキスをされてしまう。
啄ばむように重なり合った唇同士が体温を交換し合い、ついと顔を離した表情はいたずらっぽく微笑んでいた。
「今はもっと、言うべき事があるのではなくて……?」
それは年相応の、少し小柄な彼女本来の表情、かつて俺だけに見せてくれた少女の顔。
こみ上げる愛しさに身を任せ、問いに答える前に今度は自分から華琳の唇を奪う。
「ちょっ……んっ……もうっ……っ……」
最初こそ若干の抵抗はされたが、一度興が乗ってしまえば彼女からも催促するようにキスをせがまれて抱きしめ合う。
それはありきたりの恋人同士の逢瀬のように情熱的だった。
やがて触れ合うだけでは満足できず、舌を絡めて互いを求め合っていると次第に華琳の頬が上気していく。
「華琳……」
一旦、唇を離して向き合うと、真っ直ぐな視線が俺を射止める。
「…一刀」
彼女の背中に回した腕をぎゅっと竦めて体を今まで以上に密着させると、華琳もまた、同じように体重をこちらに傾けて離れないように身を乗り出してくる。
顔を背ける事さえ出来ない近距離で、互いの瞳に相手が写り込み、世界にまるで二人だけしかいないような錯覚が押し寄せる。
徐々に彼女の瞳が潤み、剥き出しの感情が露わになっていくのが分かる。
―――華琳。
名は曹操、字は孟徳。
三国の時代に覇を唱え、大陸統一を成し得た王であり、治世、戦技に長けたかつての主君。
天の御遣いなんて怪しげな俺を拾ってくれた彼女と共に乱世を駆け抜けた。
犠牲を厭わない覇道に反発する者は多かったが、志の崇高さに惹かれてそれ以上に心強い仲間も集まっていった。
「ただいま、誇り高き王」
「………………………………一刀」
その気高さは誰もが羨む王の気質、あの時彼女に仕えられて本当に誇らしかった。
「ただいま、……寂しがり屋の女の子」
「……一刀」
激動の時代を共に生き、仲間達と喜びを共有する中でもう一人の彼女に気が付いた。
それは彼女自身、どこかに置いてきた少女として当たり前の気持ち。
孤独な時に伏せられた、誰かを好きになるという気持ち。
一度はそれを裏切ってしまったが俺はまた彼女の前に存在できている。
もう二度と華琳を悲しませない為に俺は宣誓しよう。
――想いは言葉に、形にして始めて世界に認識される。
「……ただいま。――――愛しているよ、華琳」
「一刀ぉっ!」
赤らんだ顔は一瞬でくしゃくしゃに歪み、次から次へと涙が溢れ出てくる。
頬は濡れ、畳まれた腕は俺の服を力強く掴んだまま離さない。
「一刀っ!一刀っ!!」
耐え切れなくなったのか、顔を胸元に押し付けたまま嗚咽を繰り返す彼女に、無言で頭を撫でる。
「……ばか!………………ばかぁっ!……」
艶やかな髪のほのかな香りに身を委ねて、壊れ物を扱うように優しく髪を梳く。
「……もう……勝手に消えたりしないでよ………ずっと側にいてよ……もう、約束を破らないで……」
―――お願いだから……。
その言葉が告げられる前に撫でていた手で彼女の頭を上に引き寄せる。
いつもとはまるで違う、感情を爆発させた顔。
俺は安心させるようにゆっくりと、ここにいる事を証明するように、口付けを交わす。
空には琥珀の月が見守るかのように佇み、闇のしじまが二人の邪魔をしないよう辺りを包み込む中で。
覇王と呼ばれた少女と、全てを救うと決めた青年が互いを求め合う。
時代を越え。
歴史を越え。
運命さえを乗り越えて。
二人は真の意味で、再会を果した。
湖で一戦を終えたあとの睦言。
華琳は俺の胸の上で息を荒げている。
「……なぁ、華琳。なんであんなに辛辣だったんだ?」
「はぁっ……なに?」
「いや、だから……」
「ああ……あれはね」
「あれは?」
「私を倒した覇者が他勢力の下で甘んじていたこと、私を救うなどとふざけたことを言ったこと……まだまだあるわね……」
「うぇ。藪蛇だったか」
「でも、記憶が無いのなら仕方がないわよね。……私だって、“あの”一刀をここまで愛していたなんて知らなかったもの……」
「華琳……うぉぉぉぉ!!華琳、うぉぉぉぉぉ!!!!!」
「きゃっ、ちょっと……あっ♪」
夜はまだ、長い。
<完>
無印華琳
生粋の覇王気質。他者に舐められたくない。降るくらいなら死ぬわ!
え?北郷、私を殺さないの?え?裏切るわよ私。え?信じてる?え?え?
ふ、ふんっ、裏切るわけないじゃない!(ツン8割デレ2割)
真華琳
覇王サマ。厳しい王様に私はなる。
……消えないでよぉ……ずっと一緒にいるって……言ったじゃない……ばかぁ……!(ツン7割デレ3割←黄金比率)
前話の華琳さまはいわば無印華琳さまなの。
んでんで、筋肉によって記憶が戻って“真”の頃のことも思いだしたの。
助けるんじゃないわよ?いいわね。絶対よ?という振りがあったにも関わらず助けちゃった一刀さんに反発するのは無印華琳さまじゃぁー仕方ないとおもいますぅ。
真華琳さまなら「余計なことをしてくれたわね……でもおかげで助かったわ」くらいのことは言ってくれるしね♪
前回の華琳さん、わたしも不満でした。
おみゃー、助けられた側なのにそれってどうなのよー。でも好きだよそういうところ。
華琳さまの魅力を拠点とかで書いていって、読者の皆様に分からせてやりたいと思ってます。
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第二十六話をお送りします。
―ツンツン覇王が、進化する―
開幕