No.197719

ロッテルダムから香港へ

高宮さん

第1話です。よろしくおねがいします。

2011-01-25 03:05:07 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:307   閲覧ユーザー数:305

 

「通信1528号

 《香港》へ

 

 1509号決定の旅行は諸事情により中止。

 

                 以上

             ロッテルダム

              11/29 21:31」

 

「通信1529号

 《ロッテルダム》へ

 

 1528号の件承った。

 同件の理由の言及を求める。

 

                 以上

                 香港

    11/29 21:51 」

 

「通信1530号

 《香港》へ

 

 1529号の案件を却下する。

 

                 以上

             ロッテルダム

    11/29 21:53 」

 

「通信1531号

 《ロッテルダム》へ

 

 1530号の件について受け入れられない。

 詳細を報告せよ。

                 以上

                 香港

    11/29 21:54」

 

「通信1532号

 《香港》へ

 

 1531号の案件を却下する。

 

                 以上

             ロッテルダム

    11/29 21:57 」

 

日本、東京、某区。

11月29日21時59分。

彼は電子文書通信機に向かい合い、ため息をついた。

どうこう言われても説明はできない、と頭の中でタイピングをする。

彼の相手、すなわち《香港》の説得をどうしたものか、彼は思案を巡らした。

時計の針のみが無機質な部屋の音となる。彼の部屋の中は、ベッド・ソファ・本棚・ガラステーブル・クローゼット以外何もなかった。壁には時計がかけられている以外は目だったものはなく、モデルルームの一室のような雰囲気を思わせるものだった。

「まぁいい。」

そう呟き、彼はキッチンに向かった。

キッチンは恐ろしく汚れがなく、ステンレスのシンクが新品同様に光沢を放っていた。

黒いコーヒーポットから同じくらい黒いコーヒーをカップに入れる。

暖かい湯気がカップから立ち、苦味を沸き起こす匂いが立ちのぼった。

コーヒーの匂いが部屋中に立ちこめた。

一口、ロッテルダムはコーヒーを啜り、何とはなしに天井を見た。

時計の秒針の音が部屋に響き渡っていた。

 

 

突然だった。コーヒーの中身が空になり、ロッテルダムがソファから立ち上がったそのときだった。突然チャイムがロッテルダムの部屋に鳴り響いた。一回どころではない。深夜の来訪者には似つかわしくない、慎みや礼儀など一切ない連打だった。

静かに、しかし少し早足で、ロッテルダムは玄関に向かった。

鍵を開けて、ドアを静かに開けた。

そこには、ツインテールの黒髪の少女がいた。身長は140cm程度。黒いコートにミニスカートと黒いマフラーを身につけていた。童顔の彼女の大きな瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。

やはりな、とロッテルダムは脳内でタイピングをした。こんな時間にこんな非常識な訪問をする相手はまず彼女だったからだ。ロッテルダムはとりあえず、

「やぁ。」

と、いつも通りに彼女に挨拶をした。

「やぁ、じゃない。」

涙目の少女は、恨みがましい表情でロッテルダムに言葉の鏃を飛ばした。

頭を少し掻き、

「香港、仕方がないんだ。」

と、ロッテルダムは言葉を続けた。ある種の弁明の意味を持つ言葉にも関わらず、彼の発する言葉の温度は、どこか説得に近いものであった。

「ロッテルダム、理由を。」

間髪いれず、その少女、香港が返す。

180cm程度あるロッテルダムからすれば、ただでさえ背の低い彼女だったが、顔の角度が下向きのためその表情は夜の影に隠れていた。

参ったな、とロッテルダムは脳内でタイピングをした。任務のことは、口外してはならないという話だったからである。

必然と沈黙が生まれた。救急車のサイレンと車の走る音が響き渡る。

「…ったじゃない…。」

2人の沈黙を破ったのは香港だった。

「え?」

聞き返すロッテルダムに、きっ、と睨みをつけた大きな瞳が向けられた。そして

「言ったじゃない!一緒に旅行行くって言ったじゃない!ロッテルダムのうそつきー!!」

香港の感情が爆発した。

「あの・・・」

「うそつき!!うそつきぃ!!う、そ・・・うぅぅ~~・・・」

ロッテルダムの胸を両手の拳で叩きつけながら、徐々に力なく香港はうなだれていった。

深夜に人の家の前で大声で泣くなよ、そう思ったロッテルダムだが、目の前の少女は一向に泣き止む気配がない。

大粒の涙をぼろぼろとこぼし、すすり泣きをやめることのない香港を見て

「とりあえず、中に入って。」

と、冷静に中にロッテルダムは促した。深夜に女の子の泣き声がするとなれば、何事かと近所に思われかねない。

しかし、泣くことをやめることない香港だった。それどころか動く気配すらなく、ロッテルダムの胸元に寄りかかるような形となっていた。

仕方なしにロッテルダムが香港の右手を取り、部屋の中へ引き寄せた。とぼとぼと力ない歩みで、香港はロッテルダムの家の中に導かれていった。

 

 

香港をソファに座らせたロッテルダムはコーヒーを二人分もち、香港に近寄った。

相変わらず、すすり泣きを続ける香港だったが、先ほどよりは少し落ち着いたと見えるようになっていた。コーヒーを香港の目の前のガラステーブルに置いたロッテルダムだが、同じようにソファには座らず、立ったままうなだれた少女を見下ろしていた。もう香港は泣き止んでおり、若干その様子は落ち着いているように思えた。しかし活気や明るさを太陽のように放ついつもの彼女とはかけ離れていた。電池の切れかけの懐中電灯のような、そんな雰囲気を彼女はまとっていた。

「・・・・・・え、と。」

彼女一人入ってきた部屋だ。にもかかわらず、その空気は石灰を含んだかのようにどこか濁って沈殿するように彼には思えた。

救急車のサイレンが響く。ただただ響く。

「その、悪い。」

彼が口を開ける。

「急に仕事で都合がつかなくなって。」

無難な言葉を彼は口にした。それでも沈黙のリズムは変わらず、晴れることのない凝り固まった空気がざわめく。

「わかるだろ、香港。お前だってこういうことあっただろ。」

「ない。」

「あぁ、そうですか・・・。」

力なく彼は笑った。

「次は、必ず。埋め合わせはするから。」

彼女を見下ろしながら、彼はそう言った。

本心だった。一切偽りのない、本心。しかし、彼女は何も言わなかった。

仕方なしに、その空気をもてあましてか、彼は視線を天井に移した。手元のコーヒーが湯気を立ち上らせていた。

彼は手元のコーヒーに目を移し、それを啜る。口に苦味が広がった。

「あの女と旅行とかそういうことじゃないよね?」

「あの女?」

思い当たる人物が見当たらず、ロッテルダムは眉をひそめた。

そんなロッテルダムの様子から、少しいらついたように

「ブランデンブルク。」

と、ぽつりと「あの女」の名前を香港は口にした。

「あぁ…。いやそんなことはないけど。」

ロッテルダムにしてみれば、その女性を知っているには知っていた。しかし彼は、ただの同僚の一人に過ぎなかった。どうしてブランデンブルクが、と、彼自身に疑問を投げかける。その結果、彼の答えは

「というかお前、なんか勘違いしてないか?」

「…何が?」

「ブランデンブルクとはそういう仲じゃないし…。」

香港の誤解であるに、とどまった。

しかし当の香港はそうは思ってはいないようだった。

おまけに彼女との旅行の急な中止だ。このまま秘密のままではさすがに香港も引き下がらないだろう。ロッテルダムは仕方なしに口外禁止の任務を守りつつ、説得に回るのが最良と判断した。

「とりあえず、急な機密事項でな。仕事の内容に言及は禁じられてるからできない。ただ、その、仕方ないことなんだ。」

香港の答えはなかった。2人のコーヒーを啜る音だけが、部屋に響いた。

 

 

不意に香港が

「苦い。」

と、呟いた。

「コーヒーだからな。」

ロッテルダムが、そう返す。

「砂糖とミルク、ほしい。」

「はいはい。」

牛乳はともかく砂糖は最近高いんだぞ、と頭の隅で彼は考える。キッチンから砂糖の入った瓶と牛乳を取って戻ってくると、彼女は言葉を

「ブランデンブルクは」

一区切りして

「ロッテルダムのこと、好きなんだよ。」

そう放った。

その言葉に、不意をつかれたロッテルダムは、彼らしくもなく目を丸くした。

「…は?」

何を言ってるんだ、と彼は思った。それだけしか思えなかった。

「それはないと思うけど。」

「ロッテルダムが鈍いだけだよ。」

否定の言葉も、香港には届かない。

香港の目の先にはコーヒーの色が写りこんでいた。黒い色だった。手の微動に合わせ波紋を形作る黒いそれは、香港にとって重苦しく、必要以上に苦々しいものに思えた。

「うん?」

「あの人が雑談するのって、ロッテルダム相手くらいしか私見たことないもん。」

そんなことで、とロッテルダムは思った。

呆れたようなため息をしたが、香港の真剣な様子は純度が落ちることのない様子だった。

ロッテルダムは、頭の中でブランデンブルク17号のことを思い浮かべた。

何事にも卒のない、天衣無縫という言葉が似合う女性。この前、買い物のときに偶然会ったことを思い出した。そのときも彼らは二言三言他愛のないことをしゃべったが、特に香港が言ったような感情はないように思えた。

第一、雑談くらいなら誰でもするだろう。香港はブランデンブルクとは別の職場だ。彼女の誤解を解くため、ロッテルダムは少し思案をめぐらせた。

 

 

そんな刹那、

「…ねぇ。」

香港が、不意に話しかけた。

「ん?」

ロッテルダムが、香港のほうを向く。

「キスして。」

「は?」

突然の香港の要求にロッテルダムの顔がしかむ。

「いいから。」

その一方で香港の表情は真剣そのものだった。

なんだそれは、と脳内でタイピングするロッテルダムだった。一方、この要求を断ったら、比較して落ち着きかけている香港の感情がどうなるかくらいこの朴念仁にも察しがついたようだった。

静かにロッテルダムは香港に近寄った。香港も香港で、ソファから立ち上がった。

ロッテルダムが香港の両肩に手を掛け、香港はロッテルダムの背中に手を回した。

二人の唇が重なった。

「……ぅん」

香港が、どこか甘美な息を漏らす。

時計の針の音が、絡み合う舌のゆったりとしたリズムと奏楽を奏でていた。

二人の唇が離れた。

香港はそのままロッテルダムを話さず、彼の胸元に顔をうずめた。

「…苦いよ。」

香港が、どこかかすれた声でそう言った。

「…コーヒー飲んだ後だからな。」

ロッテルダムはどこを見るわけでもなく、そう返した。

 

 
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