凪の説教もそこそこに寂れた宿から外に出る。
「んっ……」
空は蒼天。一切の雲も無く。
手をかざして見上げてみれば、視界一杯に青空が広がっている。
「んー、良い天気だ」
両腕を上に伸ばしてつま先立ち、三日間寝たきりだった体をほぐす。
どうせ今行っても華琳の事だ。遅れて叱られるのは確定してるし、ここは開き直って短い平穏を謳歌しよう。
場所指定されてないし、多分春蘭いるし、絶対命狙ってくるし。
若干ヘコみながらストレッチを開始する。
筋を伸ばして間接をパキパキ鳴らせると気持ち良いんだよな。
宿の庭先でしばらくそうしていると聞き慣れない男の声と見知った声が近づいてくる。
「おぉ! ようやく目が覚めたのか。良かった良かった」
赤い髪で白衣風の装いをした青年の後から軍師二人が顔を出す。
「まったく人騒がせな人ですね。……あまり心配させないでください。その……あくまで風がですが……。
か、勘違いしないでくださいね!」
「「ツンデレ乙」」
「二人とも!」
真っ赤になって怒る稟の前でしてやったりと二人でハイタッチ。
その勢いのまま風がぴとっと脇に張り付いてきた。
「お元気そうでなによりですお兄さん。無事目的を果たす事ができましたね」
上目遣いで目を細める風。うーん、最近ギリアウト勢によく懐かれるな。
「それもこれも君達のおかげだよ。……ありがとう、風、稟」
頭を撫でるかわりに顎をくすぐってやる。
「はふ……っ。なかなかつぼを心得てますねー。よきにはからえー」
ごろごろと嫌がる様子もなく喉を鳴らす。
「礼など要りません。私達は策を労しただけで命をかけるほど頑張ったのは貴方でしょう」
稟はまだ少し赤い顔のまま恥ずかしながらも褒めてくれる。
今回の働きのおかげか長坂橋に入る前の怯えた雰囲気は感じないな。
前回と違って種馬とかの妙な先入観が無い分態度が柔らかくなってるし。良い兆候だ。
照れ隠しにメガネの位置を直す仕草がすごく可愛い。
思わず笑いかけると更に首を背けてしまう。
「はははっ、仲が良いんだなお前達」
そんな俺達を愉快そうに眺める青年は一人頷く。
「? そういや聞き忘れてたけど君は誰なんだ?」
「おおっ! 俺も名乗り忘れていたな、すまない。俺の名は華佗。五斗米道を継承した流れの医者だ」
「もしかして卑弥呼が言っていた医者ってのは……」
「俺だな。気を失った君と負傷した夏侯惇殿を治療させてもらっている。あまりに起きないから心配したがその様子なら回復は順調のようだな」
安心したとばかりに片手でガッツポーズ。体育会系のリアクションだ。
そうか、この人が卑弥呼のダーリンだな。……かわいそうに。横文字の意味が分かったら卒倒するかもしれない。
「おかげさまで大事無いよ、ありがとう。それと悪いな迷惑をかけて、卑弥呼たちのせいで苦労してるだろう」
「なに、特に問題は無いさ。俺も医者として当然の行為をしているだけだからな」
まさに好青年といった健やかさで言い放つ。
「それと医者としての所見を言わせてもらうぞ。夏侯惇殿のケガはともかく君は疲労が重なって倒れたんだ、これからはあまり無理をしないように心がけてくれ。体力の低下は万病の元だぞ」
「そこはまあ、適当に折り合いをつけるさ。それより夏侯惇のケガってどの程度のものなんだ?」
脱出時もその後も気絶やらで結局どこにキズを負ったのかも知らなかった。
話し振りからして命に関わる問題じゃなさそうだけど嫌な予感がする。
「……外傷は深くなかったからすぐにでも直ると思うんだが……失った左目までは治療出来なかった」
「……そう、か」
的中してしまった。
場所と時期は違えど、彼女はまたも光を奪われ隻眼となった。
もっと早く俺が駆けつけていれば未然に防げたかもしれない。
後悔の念が胸中で渦巻く。
「落ち込まないでくださいーお兄さん。どうあっても阻止できない事態は必ずあるものなのですよ」
「風の言うとおりです。そもそも貴方がいなければ命自体無かったのですから、ここはむしろ幸運だったと無理にでも解釈したほうが良いでしょう」
傍に居た二人が落ち込んだ雰囲気を読んで慰めてくれる。
……そうだな。ここで悔やんでいても状況は変わらない。
俺は俺にしかできない事を成し得て彼女に報いよう。
「夏侯惇殿といえば、さっき異様に怒りながら君を探していたが何かしでかしたのか?」
「……心当たりはあるな」
「なら早く会ったほうが良いだろう。ケガを未然に防ぐのも医者の務めだからな」
このままいけば負傷確定か……嫌なお墨付きだな。
「……はぁ、覚悟を決めて会いに行くか」
いまだしがみ付く風をやんわり引き剥がして溜息をつく。
「頑張ってくださいねー。残念ながら風達はまだ華佗さんに稟ちゃんの鼻血解決のご用があるので協力できないのです」
「まあ自業自得だと割り切ってやってみせるさ」
「ご愁傷様でーす。やっぱり星ちゃんの言うとおり、お兄さんは良い意味でも悪い意味でも女性にモテモテですねー」
「同意。旅をしていた頃の沈着冷静な彼女があんなにも乙女な表情をこの人に向けていたんだから、それだけ器が大きいとも言えるわ」
過大評価な気もするなー。
眠っている間に顔なじみである彼女達の再会は終わったらしい。
「ではではお兄さん、命があったらまた会いましょう」
「ん、後でまたな……ってそうだ」
とっさの思いつきが頭に浮かぶ。
「私達に夏侯惇殿の相手はできませんよ」
「そっちじゃなくて……風、セキトのブリンカー……変装用の仮面持っていったろ」
凪の説教中そんな話があった気がする。
「はい。確かに持っていますが何でしょう? 格好いいので改造して風のにしようと思ったのですが」
「悪いけどさ、返してもらえるかな。ちょっと使いたいんだ」
首を傾げられるが特に抵抗も無く、懐から出されたブリンカーを受け取る。
「ありがとう。じゃあちょっと準備してから行って来るよ」
急がないといけないのは分かっているけど、一度宿に戻って細工をしておこう。
「いってらっしゃい北郷殿」
「いてらー」
「くれぐれもケガはするなよ」
三人の送り出しを受けてこの場を後にする。
うまくできればいいんだけど……。
小一時間ほどしてようやく準備と華琳の発見ができた。
宿からちょっと離れた木の下でセキトが繋がれ、向かって右側に華琳、春蘭、秋蘭がその反対側に恋がいる。
珍しい光景だな、恋と華琳が顔を付き合わせているのもとにかく、いつも一緒なねねがここにいない。
……あっ居た。しかも桂花といっしょに木の陰でなぜかビクビクと顔だけ覗かせている。
(もしかして怖いのか?)
怖いよなあ。
確かにこの場にいる全員が特Aクラスの闘士レベルだし、気持ちはよく分かる。
……そこに今から突入するんだけどな。
「おーい、探したぞ曹操」
覚悟を決めて手を振りながら近づく。
「……あら」
「む、北郷殿か」
「貴様っ!今頃のこのこと来おってからに!」
「……………ご主人様」
四者四様の反応が返ってくる。
片目が包帯で覆われた春蘭なんかはすでに戦闘態勢だし、正直このまま逃げ出したい。
「華琳様をお待たせするとは何事だ! さっさと来い!」
ほらね。逃げたらもっと酷い目に合わす、そんな気配がビンビンする。
諦めて歩み寄っていくと、誰よりも早くアプローチしてきたのは春蘭ではなく恋だった。
「……………ご主人様」
恋が俺めがけてダイブ。
セリフは変わらないけど口調は重く噛み締めるように、ぎゅっと抱きつきながらの一言が胸を打つ。
「また会えたね、恋。長坂では助かったよ」
「ん………………役に立てて良かった」
感謝の気持ちを真っ直ぐ伝える。
この子と触れ合うのも随分と昔な気がする。
頭の触覚ごと髪を撫でつけるともっとしてくれと言わんばかりに更に密着してきた。
本当、甘えんぼな娘が多いな。
思わず癒されているとなぜか感心するような驚きの声がかかる。
「……あの呂布がこうも懐くとは……先程までの態度が嘘のようですね」
「……北郷だからではないかしら。女の扱いは得意らしいじゃない」
どうやらさっきまでの恋は華琳達に良い印象を持っていなかったらしい。
以前は敵同士だったし、当然といえば当然か。
出来れば仲良くしてもらいたいんだけどな。
「なにをイチャついておるか! 貴様は華琳様に呼ばれて来たのだろうが!」
春蘭が激昂した口調で指摘してきた。
「分かってるって。そう急かさないでくれ」
諦めの境地からかぞんざいな言葉が出てしまう。
当然それを春蘭が聞き逃すはずはなく、彼女の怒りが瞬間沸騰する。
「それが遅れてきた者の態度かっ!」
「うおっ!?」
こちらに食ってかかろうと手を伸ばすが、それは一瞬で阻まれてしまう。
「うぐっ!?」
「やめろ………」
手を掴んだのは恋。同一人物とは思えないほど冷たい声色で、顔も振り返らずに受け止めてみせた。
「ぐっ、離せ呂布!」
「だまれ。ご主人様に、手を出すな……」
ぎちぎちと掴んだ手を捻り込む。
「あぐっ!」
「スッ、ストップ! やめるんだ恋! 大丈夫だから危害を加えないでくれ!」
「………………でも」
「守ってくれるのは嬉しいけどさ、ここは遅れてきた俺が悪いんだ。彼女に非はない。だから離してやってくれ、な?」
「……………………………分かった」
若干の間を経て、ようやく掴んだ手を開放してくれる。
「すまないな夏侯惇。うちの子が粗相をして、ほら恋も」
撫でていた手で恋の頭を緩く押さえつけて謝らせる。
「……………………………………………すまん」
言葉だけとはいえ恋の謝罪は珍しい。
「……チッ、とやかく言うつもりは無いが部下の手綱くらいキチンと握っておけバカ者!」
許してくれたのか怒気を収める春蘭。
でもそのセリフは如何なものだろう?
君の上司が耳が痛いといわんばかりにこめかみを押さえつけている。
秋蘭は姉を傷つけられたおかげか目線がかなりキツイ。
のっけから雰囲気が悪いな……よし、いきなりだが用意してきたモノを渡して空気を濁そう。
「夏侯惇。おわびってわけじゃないがコレを受け取ってもらえないか」
「おわびだと? ……何だコレは?」
手渡したのは眼帯。
蝶をモチーフにしたブリンカーのアクセサリー部分を外して紐で結わえた品だ。
完成品はちょうど過去の春蘭が付けていた眼帯とほぼ同じ意匠で我ながら良く出来た偶然だと思う。
「眼帯。似合うと思ったんだけど、どうかな?」
「な、なぜこんなものを都合良く……いや、悪くはないんだが……」
「じゃあ貰ってくれる? 良かった。手作りだからボロはあるかもだけど一応不器用なりに頑張ったんだ」
真っ直ぐに彼女を直視し、見つめる。
眼帯に寄せた視線は俺の注視に気がつき、目と目が合う。
サプライズに余程驚いたのか、ゆっくりと頬が明るい朱に染まり、口元がふるふると波打つ。
「て、手作りだと!?」
「あぁ君の為を想って作ったんだ」
「わ、わたしの………………っつ!」
慌てふためきだした春蘭はあちこちに視線を彷徨わせた後、咳払いを一つしてから眼帯を装着してくれた。
「ま、まあ貰って困る代物では無いし、おわびというなら致し方ないな、うん、仕方ない」
何度も位置を直しながら一人頷く。
良かった。喜んでもらえたみたいだ。
ここで変に過去の記憶を出したり、引き目を感じた発言をしたら、怪しまれて素直に受け取ってもらえなかったかも知れないからな。
「秋蘭っ、どうだ!」
バッとにこやかな顔のまま振り返り、秋蘭に見せ付ける。
「あ、ああ……似合っているぞ姉者……」
「そうか! 似合っているか! うむ、主にどのあたりだ!」
「いや、その……なんだ。……姉者なら何でも似合うと思うぞ……?」
「そういうのを聞きたいんじゃない! もっとこう……色々あるだろ!」
「む、むう……難しいな」
「さあっ!」
ご機嫌な春蘭は怒りも忘れて秋蘭に詰め寄り、細かい感想を聞き質している。
うーんあんなに喜んで貰えるのとは嬉しい誤算だな。
夏侯姉妹が眼帯談義に花を咲かせていると、彼女達の主である華琳が、はぁ……とあからさまな溜息をついた。
「北郷……あなたはこの子まで自分の傘下に引き入れるつもりなのかしら」
「? どういう意味だ?」
「どうもこうも目の前で春蘭を口説いているのはあなたでしょう」
「くどっ!? そんな気は無いっての!」」
「信じられないわね。そういう思わせぶりな態度で色んな女を泣かせてきたのではなくて?」
顎を上げ、ほんの少し見下したような視線が突き刺さる。酷い言いがかりだ。
幸い渦中の人物は妹との会話に夢中でこちらに気がついていない。
もし聞かれていたら間違いなく斬りかかってきたはずだ。
「これ以上、私が目をつけた人材を取られるのは癪なのよ。ここに居る呂布もそうだけれど、郭嘉も程昱も物好きというか男の趣味が悪いわね」
「……あれ? 風と稟は君に仕官したがってたから、連れて行けば喜ぶと思うんだけど……」
「とっくの昔に断られたわよ。世界が変わっても相変わらずの女殺しね。ある意味安心したわ」
「世界って………えっ?」
「あら? 驚いたのかしら。貴方の行動と新しい退却進路を知らせに来た楽進達や趙雲の話を推測したのよ、私が以前見た夢は過去の記憶だろうと。そう信じていなければ趙雲や呂布を野放しにするはずないじゃない」
「……」
時期はともかく、以前って事は長坂での一件ではすでに俺の存在に気がついてるんだよな。
だったら何であんな態度を取られたんだろう。
魏の一員として生きていたあの頃からは考えられない拒絶ぶりだったぞ。確かに俺の言い方が悪かったのはある。
彼女の誇りを傷つけてしまったのは俺の落ち度だ。でも何だろう、この違和感は……?
本質は変わっていないのに、まるで彼女を知らない誰かに感じてきた。
衝撃の告白に暫し放心しながら物思いに耽っていると、華琳は痺れを切らしたように口を出す。
「……じれったいわね。貴方にも過去の記憶があるから、わざわざ私を助けにくるなどと言い出したのでしょう?
でなければ顔も合わせた事の無い相手を救う理由に説明がつかないじゃない」
「え……? いや、だってさ……それにしては態度が辛辣過ぎやしないか? 前はもっと柔らかかった気がするんだけど……」
「あのね……分かって言ってるの? 以前のような捕虜ではないのだから恭順を示すはずがないでしょう。いつまでも大陸の覇者気分でいないでくれるかしら」
ふんっと鼻を鳴らして、顔を背ける華琳。
(……ますますもって話が分からなくなってきたぞ?)
華琳が捕虜? 俺が大陸を制した? ……まさか……。
「なあ、確認なんだが君の記憶だと俺は一体どんな立ち位置だったんだ? 警備隊長だったり軍師だったりしてないか?」
俺の質問に眉をしかめて「何言ってるの?」なんて返してくる。
「貴方は王でしょう。自らの名を冠した『北郷』の国主。今で言う劉備の立場になるのかしら……北郷?」
「……詳しくその話を聞かせてくれ」
違和感の正体はこれだったんだ。
そこから俺達は互いに持つ記憶を擦り合わせていった。
天の御遣い・外史・三国・大戦の終結。
そのどれもが俺の記憶とは異なる事実を含んでいる。
俺は劉備のいわば代役として蜀軍を率いて、孫権や華琳と大陸の覇権をかけて争い合ったらしい。
間違いない。
華琳の記憶はこの外史に降り立って直ぐ貂蝉から説明を受けた、経験したはずの四つの記憶。その内突端となった始まりの物語だ。
「……なるほどね。こちらの予想以上に入り組んだ問題のようね。でもまあ……ふふっ、あの北郷が私の配下として働いていたなんて。
だからここまで来ていたのね、随分な忠犬ぶりじゃない。それに免じてこの前の無礼は不問にしてあげましょう」
彼女曰く、怨敵ともいえた俺が恭順を示していた事がいたく気に入ったらしい。
だが機嫌が良くなってきたと思いきや、またも表情が曇っていく。
指を口元に当て、なにかに思いを巡らせている。
「これで話は理解できたけど……なるほど。私達はいまだ左慈の掌で踊らされているという事ね。ふんっ、忌々しい。前の決戦でしっかり止めを刺しておかないからこうなるのよ」
「それに関しては記憶が無いから、素直に謝れないけど……もう一度確認させてくれ、干吉は左慈の仲間なのか?」
一番気になった疑問は俺をこの場にけしかけた人物の詳細だ。
「間違いないわ。あいつはこの私に怪しげな道術をかけて魏を崩壊させた張本人。……あれがなければ運命はいくらでも変わったでしょうに……」
忌々しげに唇を噛む華琳を尻目に、ふつふつと俺の胸中に焦燥感が浮き上がってくる。
平原に残してきた孫権。
彼女は今もっとも干吉の側にいる。
(華琳の救出が成功しても、あいつらの狙いはまだまだ終わってないって事かよ!)
考えたくも無いが最悪、怪しげな道術とやらで操られていたとしたら……っ!!
「悪いっ曹操! 俺はすぐに行くよ!」
「………………ご主人様?」
居ても立ってもいられなくなった俺は胸で大人しくなっている恋の腕を掴んで、帰還の準備をしようとした。
今回だって間に合ったとは言い難い。出来うる限り早く彼女の元に―――
振り返る視界がぐらりと歪む。
平衡感覚が機能を失い、天と地があべこべになって足場を安定させてくれない。
一瞬のブラックアウト。
足がもつれてみっともなく腰から滑り落ちる。
臀部と、遅れて頭の中にも鈍痛。こんな時に!? くそっ!
「……当然でしょう。心労と過労が重なって倒れたのよ。その上三日も動かなかったのだから急にまともな活動が出来るわけないじゃない」
「そんな事言ってられ……ないんだっ!」
異常信号を発し続ける体に鞭打ち、立ち上がろうとするが膝が笑って体重を支えきれない。
恋が慌ててフォローしてくれるがそれでも体はいう事を聞かず、視界はいまだどろどろと濁ったままだ。
「……」
「行かなくちゃいけないんだ! 俺は彼女の元に! 左慈達の思い通りにさせない為に!」
「……それが理由?」
「そうさっ! たとえ俺がどうなろうとも、嫌われたってもいい。だけど誰も傷つけさせはしない。それがこの世界での俺の役割なんだからっ!」
こみ上げてきた吐き気さえ無理に押し込んで膝に力を込める。
そうだ、俺は!!
「――随分と小さく纏まったものね、北郷」
眼前に立ち塞がる少女は怒りと、失望に満たされた瞳で屈む俺を見下していた
あまりに唐突な発言のおかげで頭が真っ白になる。
「前言を撤回するわ。今のお前はかつて私に勝った北郷ではない。まったくの別人。忠犬どころか、ただの野良犬にも劣る“畜生”よ」
「なっ……」
「おまえ…………!!」
一刀が侮辱されるや否や、恋は目の前の少女に掴みかかろうとするが、その手が首にかかる直前、圧倒的な迫力が押し寄せる。
「下がれ下郎ッ!!」
「!?」
裂帛の怒気。
天下無双の武が思わず身を竦めるほどの迫力は王だけが纏う覇気に違いなかった。
盛り上がっていた春蘭や秋蘭、陰に隠れていたねねや桂花、セキトさえも全ての動きを止めて傍観するほかない程の威圧感が場を支配していく。
「……ぐっ」
「真に主の身を案じるのならばそのまま話を聞け」
一歩前に出た覇王は高らかな声で叱責する。
「まだ理解できていないか。貴様のそれは“憐み”だと言った意味が! 相手の尊厳も考えず、ただ助けるだけの無遠慮な慈悲。それが憐みでなくて何と言う! 何が思い通りにさせないだ。何が役割だ。悲劇を気取るな!! いまだ自立出来ていない半人前の分際で!」
俺の髪を掴み、無理矢理視線が合わせられる。
「違わないだろう。貴様は何の権限も無いただの将。与えられた情報に翻弄され、駆けずり回る道化だ。それが人を救うだと? ……笑わせるな。とどのつまり、全てはあいつらの手中に収まったまま。与えられた役割をこなしているだけの状態で世界など救えるものかっ!!」
迫る互いの瞳に相手が写り込む。
「忠告は一度きりだ。よく聞くがよい」
「華琳……」
「そのザマではいずれ誰かを失う。そうなりたくなければ己を変えよ。以前、この曹孟徳を倒した北郷一刀に届く程に!」
「……今の俺は以前より劣っているのか」
「そうだ。ただしそれは能力云々の問題ではない。……思い出せ、貴様を王にたらしめた才覚を。答えはそこにある」
絡み合う視線は万感の意を込めて見つめあう。
長坂と同じような叱責。
だけど俺の心には以前と同じ気持ちは無く、満たされるような心根が湧き上がる。
だって、そうだろう?
口調は変わらないけど、華琳は俺を励ましてくれているんだから。
記憶や立場、世界が変わっても、彼女は変わらず道を示してくれた。
その期待に応えてみせたい。
その一心で、俺は自然と頭を下げていた。
「――ありがとう」
「……礼は答えが見つかってからにしなさい。これ以上、私を幻滅させないためにも……ね」
華琳は身を翻し、歩み去る。
「か、華琳様!?」
状況を良く理解できていない春蘭達は一刀との会話を怪訝に思いながらも、慌しく主君の向かった方向に続いていく。
覇気が遠ざかり、残された恋と一刀の元にねねが恐る恐る近づく。
急変した雰囲気について疑問をぶつけようとするが、恋はいまだ華琳の去った方角を見据えて視線を外さず、一刀はしばらく目を瞑ったまま動かなかった。
「―――一体、何なのですか……」
答える者はおらず、呟きは空を切る。
かつての主であり、天の御遣いであった北郷一刀と治世の能臣・乱世の奸雄と呼ばれる曹操孟徳。
蚊帳の外にいたねねには二人の間にどんな心持ちがあったのかは知りようも無かった。
あの叱責は単なる非難中傷にはとても見えない。
ただ自分の与り知らぬところで互いが特別な関係を持っているだろうという直感だけが胸の中で燻っていた―――。
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第二十五話をお送りします。
―ツンツン覇王に、一刀の想いは届かない?―
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