それは如何なる御業でしょうか。
“老黄忠”と呼ばれた私の目に映ったのは、自分の弓手としての自信を打ち砕くほど、繊細であり豪快な神域の一投でした。
まずはそこに至る前の話をいたしましょう。
皆を援護する為、蜀領側に陣取った私は突然現れた白装束に捕らわれてしまい、続いて指し示したように現れた袁招軍に引き渡されてしまいました。
彼らは前後左右、八人もの兵士で厳重に私の周りを取り囲んだのです。
誰もが手を出せないこの状況の中、唐突に現れた一人の小柄な兵士が遮るように立ち塞がりました。
顔は見えませんが背の高さからして少年兵でしょうか。随分と丸みのある体躯をしています。
その子はこちらを恐れず歩み寄り、声だけでも注意しようとしたところで袁招軍の兵士によって強制的に制止させられました。
彼らは私の首元に刃をつきつけ人質であることを主張し追い払おうとしたのです、ですが少年兵は意に止めずに武器を構え、一閃。
突風が巻き起こったと思ったら、ただの一薙ぎで彼らをなぎ払ったではありませんか。
それは四人をまとめて吹き飛ばし、続く残りの人間も反応する前に彼によって瞬く間に刺し、穿たれてしまいました。
周りには手が出せなかった私の部下達が唖然と立ち尽くしています。
「あなたは……」
よくよく見てみれば鎧からはみ出した赤い布と握られた巨大な武器に見覚えがありました。
だから私は彼を、いえ彼女に声をかけようとして手を伸ばしました。
―しかし。
「……………………!?」
いきなり橋の対岸に向かって走り出したのです。
「待って頂戴!」
私もすかさず追いかけようとしました。
とはいえ予想が正しければ桁外れの身体能力を持つあの子の速度に追いつけるはずはありません。
……けして私の体が鈍ったとか、身が重いとかそういった理由ではありませんよ?分かっていますね?
心配をよそに彼女はすぐに止まってくれました。
息を切らしながら視線の先へをやると、対岸に槍を振り被る星ちゃんの姿がなんとか視認できます。
(まさか……)
嫌な予感とは総じて当たるものです。
何か良くない事が起ころうとしているのでは、と。
心配して駆け寄ろうにも、声をかけるにしてもこの位置は遠すぎました。
長坂橋におけるこの橋はもっとも大きく、私の目を持ってしてもなんとか星ちゃん達が確認できる程度の距離が離れています。
加えて吹き上げる谷間風も激しく、声が届きそうになかったのです。
そんな見守るしか無い状況下でぐっと力を込めたように星ちゃんの体が少し沈んだ姿を見た直後。
あの子、そう恋ちゃんは諦めず自らの武器を振りかぶったのです。
……。
…………。
その結果は皆さんご存知のとおり。
投擲された戟は、流星のように真っ直ぐ飛来して星ちゃんの槍を跳ね除け、地面に突き刺さりました。
言葉にすると単純のようですが弓に携わる私から言わせて頂きますと、正直いって“デタラメ”の一言に尽きますわね。
だってそうでしょう? 矢と違って戟という武器は投擲にまったく不向きな得物です。
それが直進するだけですでにおかしいのです。しかも方天画戟という獣の顎のような形状を持つ巨大な得物が谷間風をものともせず飛んでいったのですよ?
尚且つ狙いも正確で、後で聞く限り敵将すら手傷を負わせるほどの精度を誇ったらしいのです。
それはさながら流星のように一瞬の出来事。
邪魔立てする空気抵抗さえ、かっ喰らう超速度による遠距離狙撃の一投は、まさに神業といって差し支えないものでした。
……さすがにここまでやられてしまうと、昔ご主人様が仰っていた天界の言葉“チート”を思い出しますわ。
ズルイとか規格外の性能とかそんな感じでしたでしょうか……。
まさにそういった表現が適切だと思うほどでしたね。
まぁチートといえば夜のご主人様も、ですが……ふふっ♪
「恋ちゃん。来てたのね」
ひとしきり感動と若干の嫉妬を整理した後、私は彼女の横に並びました。
「…………………………」
相変わらずの無表情、でも少しだけ安堵しているのが分かります。付き合いは長いですからね。
「どうして黙って着いて来ちゃったのかしら? お留守番は寂しかった?」
「…………………………違う」
「じゃあ、どうしてかしら」
「…………………………」
無言で戟の着弾場所、橋の対岸を指差されました。
「?」
そこには星ちゃん、鈴々ちゃん、それに夏侯惇さんかしら……それともう一人いるのは、白装束。あの者達の仲間かしら。
最低限の言葉しか喋らなかった彼らと違い、どこか違う印象を受けるわね。
「でも、それがどんな理由になるの?」
疑問に思って再度尋ねてみると恋ちゃんの指が少しずれているのに気がつきました。
「…………………………もう少し、右」
「右?ええっと……あぁ、あれね。なんだか随分と大きい……馬……が……」
視線の先―そこには赤い巨躯を持つ馬に跨る一人の青年の姿が見えます。
見覚えのあるおかしな仮面を被ってはいますが、見間違えることなど有り得ないほど、強く心に残る横顔。
心なしか精悍さの増した尊顔は記憶とぴったり合致しました。
あの方こそ、天の御使いとして我らの御旗となった心優しき主……。
今は確か十文字の北郷として活躍なさっていましたね。
(ようやく……ようやくお会いできました……ご主人様……)
あまりの感動に年甲斐もなく涙が溢れそうになる私。
目元に指を添え、ぐっと堪えていると同じ気持ちのはずの恋ちゃんは表情を変えません。
そこで、はっとなって気がつきました。
朱里ちゃん達の話によれば洛陽での一件で恋ちゃんとねねちゃんはすでにご主人様と再会を果たしていたはずでした。
ですがどういうわけか口を噤むばかりの彼女達にやがて愛紗ちゃん以外の人間が質問を止めましたが、
もしかしたら恋ちゃんはご主人様となにか密約をしていたのではないかという疑問がここにきて浮かび上がってきました。
「もしかして知っていたのかしら? ここにご主人様が来る事を……」
首をふるふると振って否定しています。
「…………………………匂い」
「……えっ?」
「…………………………違った、気配」
「あまり、意味が変わらないわね……」
どっちも不確かな表現だから違いが分かりにくい……というか恋ちゃんの感覚はよくずれてるから。
「……………………?」
「そこで不思議そうに首を傾げられても困るのよねぇ……」
とりあえず他意が無いことだけは分かります。
恐らく野生の勘でこの状況を嗅ぎ取ったのでしょうね。
苦笑してあまり難しい話を続けるのもなんなので、取り合えず自分の無事を伝えようと橋の対岸へ移動しようと歩き出したとき。
さっと、恋ちゃんに腕を掴まれました。
「? どうしたの恋ちゃん」
「…………………………まだ、駄目」
「まだ?」
「…………………………ご主人様は、まだ頑張らなきゃ駄目」
この子なりに必死に言葉を選んでいるのが伝わってきた私は焦る気持ちを抑え、しっかりと耳を傾けます。
聞き逃す事や間違えないように確実に。
たどたどしい説明は要領を得ないものばかりでしたが、伝えたい内容は理解する事が出来ました。
――ご主人様の意思を尊重し、私達から何か強制するような事があってはいけない――
本来なら先の投擲もしてはいけないそうらしいのですが、恋ちゃん曰く、
「ご主人様から助けてって、言われた気がした」 だそうです
先の言葉には恋ちゃん以外の誰かの意思が混在しているのは明らかですが、この子が信じているのです。私も納得する事にしました。
この状況で別段すぐいなくわけでは無いでしょうから。お話と、そうね一夜を過ごすくらいはいいでしょう。
そもそも何故ここにご主人様がいるのかも分かりません。
なぜ天の御使いではないのか。国家間の問題があるにせよ、なぜすぐにでも私共の元へと来て頂けなかったのか、と疑問も尽きませんが。
まずは成り行きを見守ろうと思います。
……とはいえ……。
「気付いてないのね……あの二人」
「…………………………それは、恋も同じ感想」
どういうわけか仮面をつけただけのご主人様に気付かない様子の星ちゃんと鈴々ちゃんを見て溜息をつく私達。
(決心してすぐだけど、何か取り返しのつかない事態だけになるのは避けてね)
もう一度、祈るような気持ちで手を合わせます。
ただやはり、嫌な予感とは総じてよく当たるもので。
結局のところ、この場における私達の再会は果たされることはありませんでした。
しかも、この事件が終わった時には、四人もの仲間と袂を分かつ事態になっていたのです。
惨劇は回避された。
何時の間にか涙で霞む視界にそれが確認できたのはどうしようもなく嬉しい。
全力の跳躍での影響か、がりがりとトロンベ(旧セキト)は勢いを殺しきれずに地面を滑走してしまうその振動も、今は気にもならない些細な出来事だ。
突き刺さる“方天画戟”は間違いなく恋のもの。
(どこにいるか分からないけど、心配して来てくれたんだな……ありがとう、恋)
感動で更に目が滲み、ぐっと手で拭き取ると、
「……ん?」
いまだ振動は止まらず、どんどんと近づいていく犯行現場といまだスライドし続ける俺達。
あぁ、あれか!車は急には止まれないってか♪HAHAHA☆
……。
…………。
「って、退いてくれェェェェ!!?」
「にゃーー!?」
「なんと!」
「……」
驚きのあまり動こうとしない彼女達に危機が迫る!
い、いったいどうしたらいいんだ!?
(ザ・ワールド!! 時よ止まれッ!!!)
変な声が耳に響いてきた。
(諦めては駄目デース。こんな時こそ落ち着くのデース。一刀ボーイ)
(あ、、あなたは一体誰なんだ!?)
突然視界が白で覆われ、自分以外の人間が消えてしまう。
(怖がらなくて大丈夫デース。ナーイスチューミーチュー、もう一人のボク。ワタシは華蝶に宿るユーの分身デース)
(俺か!? しかもよりによって俺の方が王様側かよ!?)
口調はミレニアムなアイな人なのに……。あと実は英語苦手だろ。
(さすがは千日華蝶仮面に選ばれた勇者なのデース。素晴らしい推理力と褒めてあげまショー)
(歴史浅っ! ギリ三年かよ!)
(そんなミーにナイスな策を授けてあげまショー)
(……一応注意しておくが、ミーじゃなくてユーな)
(……)
(いじけんなよ!?)
(オー!アフターケアーはしっかりとしてくだサーイ。傷付きやすいもので……)
こいつ絶対、オーとかアハンとか言えば外人っぽいと思ってる口だな。
本当にこいつはもう一人の俺なのか?
(―――嫌がる強気な彼女にコスプレをさせてたあと、なぜか水を被って服が透けてしまい真っ赤になって恥ずかしがりますがそこから動こうとせずに何か訴えかけるように上目遣いになる姿が萌えデース。衣装はブルマとメイド服、反論は認めまセーン)
(間違いねえ! こいつ俺だ!?)
(納得してもらえて幸いデース)
ギャップ萌えの同士よ!
姿は見えないが硬く拳を握り締める。
帰ったら凪とかに頼んでみよう。衣装はすでにあるしな(私財を投げ打ってますね。分かりマース)
(それはそうとまずは直下の問題を片付けるのが先デース)
(む、そういやそうだ)
このままだと大惨事になりかねないからな、何かいい案でもあるのか?
(おまかせくだサーイ。ワタシの特殊装備“ボンゴレダブルオーリング”を使えば普段の思考能力が二乗されマース!」
(手広くパクるな)
(死ぬ気で頑張りマスから許してくだサーイ。ちなみに発動時は“卍解”と叫びマース)
(全然真剣さが伝わってこない口調だし、さらにパクんなよ頼むから……きっと読みはマンジカイ。他に一切の意味など無いはずだ)
(……む、むむむ……)
(どうだいい案は出たか?)
(……止まるのが駄目なら飛べば良いじゃない)
(なんで女王口調?)
(勢いを逆に利用するのデース。今ならまだ人を飛び越える余力が有りマスから)
(おお、結構まともな意見だ。こういう時って大概中途半端な案だったり、役に立たなかったりするんだがやるじゃないか)
(ところがギッチョン、問題がありマース)
(あ、急に不安になってきたぞ)
(嫌な予感とは総じてよく当たるものデース。この話の前半でも言ってましたからネ)
そういうメタはいいから、早く問題を教えてくれ。
(すでに張飛さんが反応しだして蛇矛を構えてマース)
(死んでしまう!?)
(このままなら間違いなくミート。痛恨の一撃してしまいますヨ、お気を付けくだサーイ)
(そこの対処も考えろよ!! 諦めんなよ! どうしてそこで諦めんだよ! 頑張れ!頑張れ!出来る!出来る!)
(オウフ、まさか炎の妖精が出てくるとは思いもよりませんデシタ。さすがはもう一人のボク、やりますネー)
(だから頼むよ!)
(仕方ありまセーン、今回だけのサービスですヨ?)
(キターーーーー!!)
(……勝利のキーは、“恥じらい”デース)
……はっ?
(これ以上はナッシング。それでは御機嫌よう~!シーユートゥモロー、バイバ~イ)
(なんでラジオ調!? 待て! 意味がわかんないですけど!)
声は届かなかったのか、次第に視界が戻っていく。
(くっ、このままじゃ!)
焦ったところに小さい声がまだ聞こえていた。
なんというツンデレさんだ。
(最後に一言。デースって何度も言ってると梨花ちゃまの気分になってくるのデース。にぱぁ☆)
―心にA・Tフィールドがあれば、俺はもう二度とこいつを中に入れないだろう。
そんな決心をよそに戻る世界。
(そして時は動き出すってか!?)
眼前にはすでに蛇矛をフルスイングで構える張飛ちゃんが控えている。
飛ぶにしたってこのままじゃ打ち落とされてしまうぞ!
くそっ恥じらい……恥じらいだって?
それはあれか、それで気を逸らせという事なの?
見る限りこの子そんなのと無縁な気がするんだが!
なんかこう芽生えてないというか、ギリギリアウトの領域というか。
あぁ!もう駄目だ!張飛ちゃんの上半身がこれでもかってぐらい体が引き絞られている!
畜生……もうどうとにでもなってしまえ!
「あああぁぁぁ!? パンツ丸見えだぁぁああ!!!」
……最悪だ。
我ながら最悪だ。
大事過ぎるので三回言おう。最悪だ。
よりによってパンツって。小学生かよ。
―俺、この戦いが終わったらアグネスに捕まるんだ―
なんかそんなフラグを立てたくなってきたぞ。激しく自己嫌悪に包まれる。
けれど、
「にゃ?……ふにゅうぅ!?」
いきなり蛇矛を手放し、顔を真っ赤にして下半身を押さえつける張飛ちゃん。
(効いた!? しかもパンツで意味通ったんだ!)
驚きもそこそこに急ぎセキトへ合図する。
「もう一度飛ぶぞぉぉ!」
「ヒヒーーン!!」
「……ちょっ、ちょっと待たん……か……ぐふっ」
なにやら背中で呻き声がするがセキトはもう止まらない。
大地を踏み締め、勢いを活かしたまま跳ね上がる。
持ち上がった巨体はまたも人の身長を大きく超える跳躍を見せつけ、短い浮遊感の後、再度着地した。
相変わらず地面を掘削しながらの減速だったが、もう要領を得たのか体重を後ろにずらし力を込めるセキト。
本当、ハンパないスペックだな。俺には勿体無いくらいだ。
ようやく停止した頃には、目の前に腰が抜けた兵士が並んでいた。
セキト越しの上から目線で彼らと目が合う。
(貴方達さっき対面にいませんでした?)
ぷるぷると首を振って否定する兵士さん。
(あぁそっか、モブさんはみんな顔いっしょだったね。リアクション同じだったから勘違いしてしまったよ)
一昔前のゲームだったら俺も多分顔なしグラだったから気持ちは分かるつもりだ。許してくれ。
謝罪もそこそこに反対側へセキトの向きを変える。
そこに並ぶのは蜀の武将である趙雲さんといまだ顔を顰める張飛ちゃん、そして救出対象である春蘭がおかしな体勢で平伏していた。
……ここから先は俺の出番だな。
おちゃらけた雰囲気を飛ばす為、自分で頬をひっぱたき気合を入れ直す。
「セキト、事が済むまで袁術を頼むぞ。それと後の事を考えて足を休めといてくれ」
「……ブルル」
頷くような鳴き声で返事が返ってくる。
俺はセキトから飛び降りゆっくりと空けた空間、彼女達の前に歩を進めていく。
あえて思考の外に追いやっていた“奴”と対時する為に。
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第二十二話をお送りします。
―悲劇は回避された。一刀は女と対峙する―
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