11月26日
7:14 A.M.
翌日、ベットルームにカーテン越しに差し込んできた日差しの中、舞は目を覚ました。
彼女にとっては、ここ二週間の中で、最も気持ちの良い目覚め方だった。昨夜はしっかりと熟
睡し、体も休まったよう。心地よい日差しの中、彼女はベットから身を起こした。
曇り空の多い《ユリウス帝国首都》周辺だが、今日は晴れ模様のようだ。それも雲一つ無い
かのような青空が広がっている。
シーツを身から剥がすと、舞はベッドから外へと出た。
「もうお目覚めかい?随分と早いな?」
舞と同じようにベッドの中にいたジョンが彼女に、話しかけて来る。
「ええ、8時ちょうどに、ヘリを手配してありましてね。すぐにも空軍基地に発つつもりですから。
むしろ、少し寝すぎてしまったかもしれません。今すぐにも出発しなければならないみたいです」
「ううん?何か食べていかないのか?」
「行く時に何か買って、迎えの車の中で食べていきます」
舞はそう言って、ベッド下に散らばっていた衣類をかき集めた。
「じゃ、もう決心付いたんだな?」
ベッドの上で身を起こしたジョンは、上半身裸だった。
「でも、すでに決心は付いていたのが本音です。ただ、私はあなたと話をしたかっただけなのか
もしれません」
手早く衣服を身に付けていく舞は、ジョンの方を向きながらそう言った。
「じゃあ、オレは少しは役に立ってくれたのかい?」
素早く身支度をしていく舞とは対照的に、ジョンはベッドの上から少しも動き出そうとはしな
い。
「ええ」
舞はそれだけ答えるだけで、すぐにスーツを身に付ける。いつも着ているのとほとんど変わら
ない。染み一つ無い、真っ白なスーツ。所々には金色の装飾が施されているというものだ。そ
れは聖職者のような姿だった。
「お前、どのくらい留守にするつもりなんだ?」
「さあ、どのくらいかとかは正直決めていませんね。ただ言えるのは、私には使命があり、それ
を果たすまでは戻ってこないという事です」
「ふーむ。その間、こっちで何か大変な事が起こったらどうするつもりだ?」
舞はジョンの方を振り向いた。彼女はすでに、身支度をほとんど終えてしまった状態だった。
「私が信頼している部下達がこっちには沢山いるのです」
「『ユリウス帝国兵』さん達か」
「そして、もちろん、あなたも。向こうに離れた場所に行っても、何かあればあなたに仕事を頼
むでしょう。抜き差しならないような事態が起こったらの話ですが」
舞とジョンは、黙ってお互いにうなずき合った。
「ああ、任せておきなって。『ゼロ』って奴や、『SVO』の連中も含めてな…。世界の反対側にだ
って飛んで行ってやる」
「感謝しています…」
舞はスーツの内側に、彼女の赤い剣の鞘が付いたベルトを締めた。銃火器の類は、たとえ
護身用であっても携帯しない。自分の持つ剣術だけが、彼女を守る。だが、それが今回の彼
女の目的には及ばない事を、彼女自身は身をもって痛感していた。
ジョンも舞の体に付いた、痛々しい程の傷跡を知っている。それは『ゼロ』に付けられたも
の。もう一週間以上経ち、舞自身の『能力』がほぼ完治させてしまったが、わずかに傷跡が残
っている。
「もう、前見たいな事には、ならねえでな」
呟くように舞に言ったジョン。心配そうに気遣う彼だったが、舞は、それを聞いたものの、返す
返事が無かった。
「私は行ってきます。あなたは、何か食べたいのであったら、食べ物は冷蔵庫の中にあります
から」
「ああ」
ジョンにそれだけ行った舞は、さっさと寝室を後にして、自分のマンションを後にしていく。
彼女の寝室に残されたジョンは、しばらく舞のベッドの上に横たわり、ただぼうっと天井の模
様を眺めていた。
ユリシーズ空軍基地
10:40 P.M.
荒涼とした砂漠。《ユリシーズ》の市街地から数十キロ離れた砂漠の中に、国内の地図でも
大きく描かれる空軍基地は存在している。
砂漠の砂埃の漂う中、延々と関係者以外立ち入り禁止の柵が延びており、その内部には幾
つかの戦闘機の格納庫と、幾つもの長い滑走路、管制塔、倉庫などが、5キロ以上の間隔を
空けて点在している。
この空軍基地は、『ユリウス帝国空軍』の主要となる基地だ。『帝国軍』の戦闘機が国内から
直接飛んでいく場合は、ほとんどがこの基地を利用している。毎日、無数の戦闘機が飛び交
い、訓練飛行をし、新たな戦闘機が開発されている。
それ故に機密を厳重に守る必要もあった。あまりにその保持が厳格な為、世間からは、何世
代も先の飛行物体を開発して飛ばしているとさえ言われている基地だ。
だがそれは大きな誤解、誤った認識だ。と言えるのも、ほんの2、3年前までの事であった。
その空軍基地内の滑走路の一つに、自家用ジェットほどのサイズの政府要人用ジェットがス
ムーズな音を立てながら入り込んできた。
ジェットは、滑走路に着地をし、しばらくそこを走りながら減速して行き、ある程度まで走った
所で停止した。
そのジェットが滑走路に入ってくるのと同時に、一台の軍の公用車も、着陸したジェットの側
まで走っていく。その車は、ジェットのすぐ側にまでやって来ると停止し、運転席と助手席の扉
が開いた。
中から出てきたのは、運転席側は軍人で運転手。もう片方からは、ミッシェル・ロックハート将
軍が姿を現した。
彼女は《ユリシーズ海軍基地》だけでなく、同時に、ここ空軍基地の最高司令官でもある。『帝
国軍』の主要な外国への進出先の指揮は、ほとんど彼女によって任されていた。
そして、彼女が待ち構えていた、ジェットからの来訪者はすぐに姿を現した。
ジェットが開き、それはそのまま階段となって地面まで延びる。その入り口から現れた浅香舞
国防長官は、やや足早に階段を降りていき、迎えの車の前で待っているミッシェルの側にやっ
て来た。
そんな舞に対して、ミッシェルと車の運転手は凛々しく敬礼をした。
「お待ちしておりました、国防長官殿」
ミッシェルは舞に向かって、きりっと挨拶をする。
「おはようございます、ロックハート将軍。すでに準備はできているとの事ですが?」
舞も同じようにミッシェルに挨拶をした。
「はい、もちろんです。しかし私共は、ここに来られるのはあなただけだと伺っておりました」
舞はすぐに車に乗り込もうとしたが、ミッシェルの言葉に彼女の方を振り向く。
「それは、どういう事ですか?」
「ご存知ありませんか?つい20分ほどまえにジェットでいらしたのです」
舞は軍の公用車の後部座席の扉を開き、少し驚いた。
「突然ですまないが、私も一緒に行く事にした」
座席に座っていたのは、他ならぬ、『皇帝』、ロバート・フォードだった。
「こ、皇帝陛下?どうしてまた!あの、公務の方はよろしいのですか?」
うろたえた舞は、座席に座っているロベルトに向かって言う。一方の彼はいつものように冷静
な面持ちと声で答えた。
「公務というのなら、こちらの方が重要な公務だ。安心していい、議会などでの事ならば、執政
に任せてある」
「は、はい」
舞は少し驚かされた。いつも首都にいる『皇帝』が、そこから遠く離れているこの空軍基地に
やって来ていて、それも自分と一緒に更に遠くへと向かおうとしているのだ。
「そろそろ出発しましょうか?急いだ方がいい事のようですから」
ミッシェルは2人に呼び掛け、自分は助手席の方に入り込んだ。次いで運転手も運転席につ
く。
舞はまだ驚きが覚めないまま、フォード皇帝の隣の席に座った。
彼女が車に乗り込んでしまうと、4人を乗せた車は、電気起動エンジンのスムーズな音と共に
走り始めた。
「すまなかったな。勝手に来てしまって」
空軍基地を走行する車の中で、ロバートが呟くように舞に話しかけた。
「い、いえ。そんな。むしろ、わざわざここまでいらっしゃって感謝している程です。まさか『皇帝』
陛下が」
「来るとは思わなかっただろう?だが、この国のみならず、世界が危険にさらされているという
この状況、執務室に座っているわけにはいかん。それに、君が決断をためらうほどのものをこ
の目で見たくてな」
ロバートは舞の目を見て言ってくる。彼の深い顔の中にある鋭く冷たい瞳が彼女の方を向い
ている。
「あれはおそらく、この世界で最も危険な兵器になりかねない物です。我々が制御できるという
点では『ゼロ』よりもましですが」
「空軍では三年ほど前から開発をしておりました。この事は最高機密で扱われていて、外部に
情報が漏れた事はありません」
舞に付け加えるかのようにミッシェルが補足した。
「何でも、初めて実用化する新技術を使っていると聞いた」
「私もよくは知りません。ただ、話によると対消滅による、反重力飛行の実用化に成功したと
か」
フォード皇帝は舞の言葉に興味を持ったようだ。
「反重力飛行?本当かね?」
「ええ、学術的には正式な技術名があるそうなのですが、そう言ってしまった方が判りやすいか
と思いました」
『皇帝』はうなずいた。
「ただ、一つ問題がありましてね」
そう言ったのは助手席にいるミッシェルだった。すかさず『皇帝』は尋ねる。
「問題と言うと?」
「この計画においての技術責任者は、『NK』の近藤広政。現在行方不明になっている科学者
です」
「コンドウか、私の知らない所で、奴は随分とこの国を動かしていたな」
ロバートは独り言のように呟いた。
そう軍の公用車に乗り込んだ一行が会話をしている中、前方に大きな倉庫のような建物が見
えてきていた。倉庫の大きさは一つのビルを真横に置いたかのような大きさ。周囲に建物は無
く、その倉庫だけが、砂漠の中に建っていた。
「あそこだな?」
『皇帝』がミッシェルに尋ねた。
「ええ、一見すると、普通の戦闘機格納庫になっています」
車はその建物に近づいた。その倉庫は大型のジェット機でも、楽々十数台は格納できそうな
ほどの大きさがある。入り口の扉だけでも、見上げてしまうほどの高さ。
舞達の乗った車を待ち構えていたかのように、格納庫の扉は両脇に開いていく。一行は車か
ら降りる事なく、車ごとそのまま格納庫の中へと入っていった。
内部には、実際に幾つもの最新型戦闘機が格納されている。それも何台も何台もずらりと並
んでおり、メンテナンス作業が行われていた。作業員が忙しそうに内部では働いている。その
様子を見ながら、一行を乗せた車は、内部のどんどん奥へと、今では徐行のまま走っていっ
た。
「ここは、普通の格納庫のような場所だが?」
車の外の様子を見ながらロベルトが尋ねた。
「ええ、実際にもそうして利用されています。ですが、秘密は地下にあるのです。ここにあるもの
はカモフラージュでもありますね」
ミッシェルがそう答えた時、車はゆっくりと倉庫の一番奥の部分で停止した。
「ロックハート将軍!」
車が停止し、中からミッシェルが外へ出ると、待ち構えていた『帝国軍』の兵士が、彼女に向
かって凛々しく敬礼をした。
「並びに、フォード皇帝陛下!アサカ国防長官!遠路はるばる、ようこそお出で下さいまし
た!」
続いて車から降りてきた、フォード皇帝と舞にも、彼は敬礼と挨拶をする。
「ご苦労。話は聞いていると思う。これから例のものを使う。そこまで案内してもらおうか?」
『皇帝』は、待っていた兵士に、いつもの、冷静でどこか威圧感のある口調のままそう言っ
た。
「それは、私が直接ご案内します。ここを通して頂くわ」
「はッ!」
兵士はミッシェルに言われ、その場をどく。彼の背後には、建築現場で使われているような、
鉄骨がむき出しの昇降機が設置されていた。それは、この格納庫よりも地下へと行く為のもの
だ。
運転手は、一行を乗せてきた車の前におり、昇降機まではやって来ない。昇降機の中へと乗
り込んだのは、ミッシェルと舞とフォード皇帝だけだ。ミッシェルは二人を案内し、手馴れた手つ
きで、下行きのスイッチを押した。
すると昇降機は、やや激しい機械音を立てながら扉を閉め、続いて下方向へと降りていっ
た。
「これから向かうのは、地下500メートル。核兵器による攻撃にも耐えられる、頑丈な地下格
納庫です」
下へと降りていく昇降機の中、ミッシェルは二人に説明した。
「実際に動かしてみた事はあるのか?」
フォード皇帝は、昇降機の降りていく外側の壁を見たまま尋ねた。
「エンジンテストだけで、実際に飛ばした事はありません。このような形で使用するとは思ってい
ませんでしたし、それに」
「人目につかずに飛ばさなければならないからな」
ロバートがそう呟いた時、3人を乗せた昇降機は、縦に伸びる筒の中を抜け、とても開けた
空間に出た。
そこは、巨大な格納庫だった。地上にあった格納庫よりも更に大きく、横幅に加えて高さもか
なりの広さがある。そこは地下にある工廠のような場所だったが、鉄骨がむき出しの無骨な雰
囲気とは違い、落ち着いた白色の殺風景な壁、そして梁に付いている渡り廊下が透明の強化
ガラスでできており、先端技術の研究所を思わせた。一望すれば、ここが砂漠の地下にあるな
どとは想像しがたい。
「あれ、だな?」
ロバートは下へと降りていく昇降機から格納庫を見渡して呟いた。
「ええ、あれです」
ミッシェルは答えた。
3人が見下ろしていたものは、格納庫の中心にある。それはここに降りてきてすぐに分かる
ほどの存在感、そして、大きさがあった。
それは、巨大な戦艦だった。
「形こそ違いますが、収容できる人数は最大級の空母と同じ程です」
ミッシェルは説明する。だが舞にはそれ以上の大きさがこれにはあると感じていた。戦艦は、
その大きさで格納庫のほとんどを占めてしまっている。
さらに、この戦艦はまるで針鼠のように、砲台がびっしりと並んでいる。おそらく100以上の
砲台が全方向へと向けられていた。
舞はその砲台を眺め回して尋ねた。
「高威力原子砲というのはどれですか?」
ミッシェルはその言葉に反応した。
「あの、前方部の最も大きな砲台です」
「あれですか」
舞の向いた先にあったのは、その全長が100メートル以上はありそうな大砲台だった。その
砲台は戦艦の機体にほとんど一体化しているかのようで、その円筒だけでも、一つの高層ビ
ルを横にしてくっ付けたかのように見える。
「ええ、あれは、核兵器の数倍の威力があります。パワー調節ができますが、MAXにすれば、
小惑星を破壊しかねない程のエネルギーを放つ事さえもできるでしょう」
「何の為に使うのです?」
きっぱりとミッシェルに尋ねる舞。
「国防上のために」
彼女がそう言い掛けた時、ロバートがそれを否定するかのように言った。
「我が国にテロ攻撃なんぞを仕掛ける連中が現れないよう、震え上がらせる為だ」
その時、昇降機は目的地に着いた。そこは格納庫最も下の最下層ではなく、丁度中間となる
フロアだった。フロアと言っても、大きな戦艦を取り囲むようにして設置されていた作業用渡り
廊下だけでできている。
3人の中で真っ先に昇降機から外へと降り立ったロバートは、自分の言った言葉に少し動揺
している二人の方を振り返った。
「何か間違った事を言ったか?」
舞は首を横に振った。
「いえ。あなたの言うとおりです。ただ、今回、主砲を使う事にはならないでしょうし、今後も使う
事にはならないでしょう」
「そうならば良いがな」
昇降機は、中間フロアの渡り廊下の、さらに中央部で停止していた。先には巨大な戦艦の方
へと延びるタラップのようなものがある。タラップの先は、戦艦の入り口となっているようだっ
た。
「この戦艦に名前はあるのか?」
目の前に巨大な威圧感と共に佇む戦艦を見渡したロバートが尋ねた。
「『リヴァイアサン』。この戦艦を知る者はそう呼びます」
ミッシェルがはっきりとした口調で答えた。それは神話の中に登場する巨大な怪物を指す名
だった。
「なるほど、『リヴァイアサン』か。この巨大さを形容するにふさわしい名だな」
『皇帝』が納得したかのように答えた。
「では、皇帝陛下、参りましょう。こうしている間にも『ゼロ』は」
「そうだったな、行くとしよう」
『皇帝』はそう答え、舞は彼と共に、戦艦『リヴァイアサン』へのタラップを歩みだした。
「それでは、健闘をお祈りします!」
ミッシェルは背後で凛々しく敬礼をした。
《ユリシーズ空軍基地》の一つの大きな格納庫。砂漠の中に滑走路と共に佇むその格納庫
は、この空軍基地の他の場所とさして変わらない。
しかし、たった今、何の変哲も無い砂漠の大地が、微震と共に変貌し始めた。
格納庫の建物の外側の一角が、大きな地響きのような音と共に、ゆっくりと口を開け始めた
のだ。
地面が開かれ、この格納庫の真の姿が明らかになっていく。砂漠の地下に築かれた秘密格
納庫は、外側にスライドしていくハッチと共に、その中へと日中の光を入れていった。
砂漠の砂が、内部へと滝のように落ちていく。殺風景な空間が、砂埃にまみれていく。
そして、その中に佇む一つの巨大な戦艦。『リヴァイアサン』と名付けられた戦艦は、今、動
かんとしている。
ハッチが完全に開かれる。そして一拍の間の後、戦艦はその主動力を動かし始めた。
巨大なボディの割には、そのエンジン音は静かだった。かつてのジェットエンジン、戦闘機な
どとは比較にならないほどのスムーズな音。
内部での準備が完全に出来上がり、起動できるようになると、巨大な戦艦はついに始めて動
く事になった。
戦艦の下部に取り付けられた、十数個の巨大なヒーターのような装置が、青色に光り始め
る。一見すると炎を放っているかのようにも見えるが、それは炎ではない。熱はあるが、ただ青
色に輝いているだけだ。
そして、その空母ほどの収容人数、全長が1000メートル近くはあるという巨大な戦艦は、宙
に浮き上がった。
ジェットエンジンでは、とても浮き上がらせる事などできない程の大きさの機体。それが、格納
庫から、滑走路で助走する事もなしに宙に浮き上がる。
静かな音だった。砂漠の砂埃こそ舞い上がったが、耳をつんざくようなジェットの音すら聞こ
えない。巨大な機体は静かに上空へと上がった。
反重力と呼ばれるエネルギーは、人類に新たな一歩と可能性を与えた。
対消滅とは、粒子と反粒子が衝突し、エネルギーないし他の粒子に変換される現象。その際
に発生するエネルギーを取り出す事ができれば、燃料となる反物質の量は、取り出せるエネ
ルギーに対して極小ですむ。相当に大きな物体でも、それを容易に浮き上がらせる事ができ
る。一般への実用化への道も近い。
だが人類は、その前に一つの危機を回避しなくてはならなかった。
『ゼロ』という名の危機を、この空飛ぶ軍艦は排除しに行こうとしている。この何百も整った砲
台さえあれば、それを排除する事は、十分過ぎるくらいに容易だ。
そう誰もが考えていた。
ユディト シャイターン
11月27日
12:32 P.M.(現地時間)
ところどころで銃声が鳴り響いている。時折、爆撃機からの爆撃音が響き、大地が揺ぐと共
に、轟音が響き渡った。
古い時代から続いている街の中心街。未だに木造の建物が残り、乾燥した砂漠がある為に
砂埃が激しい。更に道路はほとんど舗装されていない、しかしここは繁華街。つい一年前まで
戦争が行われていた《シャイターン》という街。そこは今となっては、新たな脅威による緊張に
包まれていた。
建物の外に現れる人影は、ほとんどが『ユリウス帝国兵』のものだ。時々、この街の民間人
の姿も現れるが、それらはほとんどが、『帝国軍』の侵攻に反対する者達。彼らは『ユリウス帝
国兵』達からはテロリストと呼ばれ、自分達は解放軍と名乗っている。中には銃火器や手榴弾
を持っている者もおり、破壊行為を行う。
だが最近では、『ユリウス帝国』側の徹底的な弾圧により、その数は減った。つい、一年前ま
では、荒れに荒れていた街も、何とか落ち着いてきてはいる。ただし、『ユリウス帝国』の占領
統治という事になっているが。
事の発端は、『ユリウス帝国』で起きたテロ事件が原因だ。皇帝宛に爆弾が送りつけられ、そ
れが、彼の元に届く前に爆発するという、事前に防がれたテロだったが、近年、『ユリウス帝
国』ではテロが多発しており、その実行犯のテロリスト達が、『ユディト』の政府内部としっかりと
繋がっていた。
それが5年前の出来事。フォード皇帝は報復を決定。ただちに『帝国軍』が投入され、戦争が
勃発した。
当初は、『ユリウス帝国』と並ぶ強国、『ジュールユリウス帝国』や近隣諸国の介入も懸念さ
れ、4度目の世界大戦が危惧されたが、そのような事は起こらなかった。現在の『ユリウス帝
国』の軍事力はあまりに強く、どこの国も参戦したがらない。
そのような事もあり、『ユディト』の反『ユリウス帝国』政府が、戦争開始から陥落するのには、
24時間の時間さえもかからなかった。
問題は、戦後処理で、『ユディト』に『ユリウス帝国』の軍事戦略を快く思わない者は非常に多
いという事だった。それを鎮圧するのには、4年以上の時を必要とした。
今でもその混乱は続いている。それも、時が経てば落ち着いていくだろうと誰もが思ってい
た。
『ゼロ』がここまでやって来るなどという事は、誰も予想していなかったからである。
「おいおい、どうなってるんだこの街は?」
裏路地に、この国では聞き慣れない国の言葉が聞えてきた。やがて、駆け足で8人の男女達
が、裏路地に隠れこむ。ほぼ同時に、『ユリウス帝国兵』のトラックが通りを走り抜けて行った。
そのトラックには重厚な機関砲が装備されていて、いつでも発射できるという緊張を漂わせて
いた。
「こりゃあ、さながら戦時中の街、だぜ。この国の戦争は大分前に終わったって聞いていたが
な」
裏路地に逃げ込んで来たのは、『SVO』の5人だった。
「ただのテロ鎮圧とは思えない。まるで街中が戒厳令状態だ」
太一が、周囲の様子を冷静に観察しながら言う。
「ああ、もちろんテロ鎮圧なんかじゃあない。見ろよ、軍服が『帝国軍』のものだけじゃあない。
『タレス』、『ノーザン』、『オリュンポス』…」
様々な国家の名前を並べる隆文。それは、彼らが今までに目撃して来た兵士達の軍服や、
戦闘機、トラックの旗から判断したものだ。
「国連、多国籍軍かッ!探しているのは決まっている。『ゼロ』さんとやらだぜ。ここまで大物と
はな!まるで大物テロリスト並みだ!」
浩が吐き捨てるように言った。彼は拳を壁に打ちつけ、何やらうずうずした様子を見せてい
た。
「ああ、この国に入れたってだけで幸運と思ったほうがいい。しかし、この街に着いてから何か
がおかしい。軍隊の動きを見ていて分かるか?」
隆文が、自分の仲間達を見て尋ねた。
「何の事だ?」
何も知らないという風の浩。
「どうも『ゼロ』を探しているだけでもない、という事か」
登が呟いた。皆が彼の方を向く。
「ああ?『ゼロ』を探しているだけでもない、だとォ?奴らの目的はオレ達と同じなんだぜ。『ゼ
ロ』以外に何がいるってんだ!?」
浩は声を荒立てた。
「何かが、いるのさ」
そう言う隆文は臨戦態勢だ。すでに『帝国軍』の追手の男、ジョンと名乗る男から拝借した自
動小銃は安全装置が外れている。彼の指もすでに引き金にかけられており、いつでも発砲で
きるという状態だ。
「おいおい、先輩。早まるなって」
そんな彼の様子を見た一博が言った。
「いや、早まった方がいいみたいだ。その何か、だが、もうすでに俺達は囲まれているようだ
な!」
隆文はメンバー達にそう言った。一瞬にして彼らの緊張が高まり、全員が、隆文の向いてい
る方向を一斉に振り向いた。
薄暗い裏路地。どこからか銃声が響いてきている。誰かのわめき声も。砂漠気候の乾燥した
空気が流れ、砂埃が舞っている。一つの木箱が路地には置かれていた。その上にはこじんま
りとした何かがいた。
手に抱えられるほどの大きさの何か、それは猫だった。
一匹の猫。特に何も声を上げようとも、動こうともせず、ただじっと『SVO』の5人の方へと目
線を向けている。
「な、何だ。ただの猫だぜ」
浩がそう言った時、その木箱の物陰から、もう一匹の似たような猫が姿を現した。全く瓜二つ
と言って良いほどに似ている猫だった。
さらにもう一匹が、建物の脇から姿を現し、また別の場所からもう一匹が、何匹もの、姿が全
く同じな猫が現れ、『SVO』のメンバー達を見つめていた。
裏路地ゆえ、辺りが薄暗い事もあって、良く分からない事であったが、その猫達は、ただの猫
ではなかった。姿こそ猫ではあったが、猫ではない。
体色が青白い上に、目は水晶を埋め込んだかのように光を反射していた。
「こっちからも来るぞ!」
登が言った。彼の警戒していた、反対の方向からも、何匹もの似たような姿の猫達が姿を現
していた。
「この雰囲気、どうやらヤバイようだな。こいつらは見るからにただの猫じゃあない。俺達を狙っ
ているようだ」
隆文は呟く。彼の足は、ゆっくりと動き始めていた。それを見た一博は、
「どうするんだ先輩?騒ぎを起こすという事は避けたい。そこら中に『ユリウス帝国兵』やらがわ
んさかいるんだ」
「こいつらが、そう、こいつらがだな、俺達を見逃してくれるんなら、それでいいんだがな。ゆっく
りと、敵意を見せずにここを出るぜ」
非常にゆっくりとした足取りで、隆文は一歩を踏み出し、猫達の間を過ぎって、その場を脱出
しようとする。
他のメンバー達も同じように行動しようとした。猫達はただ彼らの方を見つめるだけで、特に
目立った行動をしようとはしなかった。
だが、隆文が一匹の猫をまたごうとした時、
「おいッ!そこで何をしているッ!」
『ユリウス帝国』の言葉だった。裏路地の先の方、表通りの方から、武装した『ユリウス帝国
兵』が、5人の方へと銃火器を向けていた。
「何だと! しまった!」
隆文は叫ぶ。それとほぼ同時だった。青色の体色をした猫達が、急にその目を輝かせ始め
た。元々宝石のように光っていた眼が、レーザーでも放つかのように、激しい光を放ち始めた。
同時に、猫に似ても似つかないような金切り声までを上げ出す。姿こそ猫に似てはいたが、
この生き物たちは猫ではない。
直感的にそれが分かる。生き物達が醸し出す空気が違う。
「武器を捨てて投降しろ!」
そんな猫の事などお構いなしに、『ユリウス帝国兵』達は、5人に向かってそう言い放つ。3人
の兵士達が銃器を向けていた。
だが、そんな『ユリウス帝国兵』達を、真横から猛スピードで何かが襲い掛かった。幾つもの
何かの影が、『ユリウス帝国兵』達に飛び掛っていき、彼らをなぎ倒した。
銃声が響き渡る。襲い掛かってきた何かに向けて、兵士達は銃を乱射したが、その時はほと
んど彼らもパニック状態で、無闇やたらの方向へと弾丸は飛んで行く。
彼らに襲い掛かっていたのは、『SVO』の5人の目の前にいるのと同じ、青い体色をした猫達
だった。鋭い爪で、兵士達の顔を引っ掻いたりしている。
「おいおいおい、ど、どうするってんだ?」
そう隆文に尋ねる浩だが、彼はすでに半分行動に移ろうとしている。
「あんな目に遭いたくなかったら、とっとと逃げろって事だ。ちょうどこの隙にな!」
言い放つ隆文。彼がそう言うと、仲間達は一斉に走り出す。もちろん『ユリウス帝国兵』達が
猫の姿の生き物に襲われているのとは逆の方向に。
そちらの方向にも、青い姿の猫がいる。最も先頭で走り出した太一と登は、壁を横方向に駆
けて行き、その猫達を避けた。跡に続いて行った隆文、一博、浩は、走り幅跳びをし、その猫
達を一気に飛び越えた。
青い姿の猫達は、今では5人の方へと襲いかかろうとしていた。いや、彼らを取り囲んでいた
猫達だけではない、『ユリウス帝国兵』に襲い掛かっていた数匹の猫達も、彼らの顔を引っ掻
いたりするのを止め、5人の方へと駆け出していた。
猫の爪が、隆文のズボンの裾を引っ掻き、彼へと掴みかかろうとしていた。5人は一斉に表
通りへと流れ出る。
「こ、こちら、デルタ班。襲われた!大至急救援を!」
猫達に襲われた『ユリウス帝国兵』が、無線で救援を要請している。
「一体、何だってんだぁ!?こいつらはよッ!ただの猫じゃあねぇ!それに、何だってオレ達を
襲う!?」
浩が走りながらわめきたてた。
表通りに出る彼らだったが、そこにも、猫の姿をした生き物はいた。建物の屋上から、路上
駐車している車の陰、木箱の陰から姿を現し、一斉に襲い掛かる。
「舐めんじゃあねえぜッ!オレを誰だと思っていやがる!」
浩は声を張り上げ、襲い掛かってきた一匹の猫に拳を繰り出した。
しかし、彼の拳は空を斬る。浩は間違いなく猫の姿をした生き物を殴り、叩き落す軌道に拳
を繰り出した。そして、間違いなく標的を叩き落す事ができたはず、しかし、彼の拳は手ごたえ
を感じなかったらしい。
彼の拳は、猫の姿を通過していた。猫の肉体は、まるで影のように実体が無かった。ホログ
ラフィのように、浩の拳は映像のようなものを殴りつけようとしただけだった。
「こりゃあ、驚きだ!」
走りながら隆文が言った。彼は背後を向き直り、自動小銃を構えた。彼の前方には十数匹
の似たような姿をした猫達が駆けて来ている。
引き金を引く隆文。銃声が響き、何発もの弾丸が猫達へと向かっていった。
しかし弾丸は、浩の拳と同じだった。まるで空間の映像を撃っているのと同じように、猫達の
体を通過していくだけだ。
「一体、何だってんだッ!そいつらはよォォ!」
浩が喚きたてる。
『SVO』の五人は、ほとんど全速力に近い速さで走っている。『力』を使い、身体能力を爆発
的に上昇させる彼らだからできる。その速度は、高速道路を走る車に匹敵するほどの速さ。瞬
間的には時速100キロを超えるスピードも出せたが、それでも猫達は遅れずに追ってきてい
た。
青い影が残像として残る。
「『ゼロ』と、何か関係があるのか?この猫達は?ただの猫達とはとても思えない。それも街中
にいるんだ」
最も前方を走っていた登が言った。
「『ゼロ』と、関係だとォ!だとしたら、余計にややっこしくなって来やがったぜ!」
浩が走りながら吐き捨てた。彼のすぐ後方からは大勢の猫達が駆けてやって来ている。
「あくまで、僕の言った事は推論さ」
大声を張り上げる浩に対し、最も先頭を走る登と太一は冷静だった。だが、彼らは突然に足
を止めた。
「何だとォ!」
息を荒げながら浩がまた大きな声を上げた。
彼らの走ってきた方向の前方、そちら側にもまた何匹もの猫達が待ち構えていた。それぞれ
が、水晶のように光る眼を向けて来ている。
「どうするってんだよ」
浩と同じように息を切らしながら一博。
「『ゼロ』がこの街にいるのは確実だってのにな、これじゃあ、ただ猫に追っかけまわされている
だけだ」
隆文は銃を構えようとするが、それは無駄な行為だった。
「何とか逃げ切るしか方法は無いだろう。うん?皆、ちょっと待て。この声は?」
登が皆に呼び掛ける。彼は前方の猫達への警戒を怠らなかったが。
「声って?何だ?この猫達の金切り声みたいなのを言っていんのか?さっきから嫌っていうほ
ど聞いているぜ」
浩は拳を打ち鳴らし、すでに臨戦態勢だ。だがもちろん、彼のしようとしている行為は、ホロ
グラフィのような存在の猫達には無意味だ。
「いや、耳を澄ませてみるんだ」
登の呼び掛けに皆が耳を澄ませた。真っ先に、どこからか声が聞えてくる。
「隆文ィッ!」
それは隆文を呼ぶ声だ。
「こりゃあ」
隆文は自分達の走ってきた方向を振り向く。そこには、低い建物の間を大通りがずっと延び
ている。
そして彼らは、その方向から一台のドラックが疾走して来るのを見つけた。赤い色の小型トラ
ックが、その方向から疾走して来る。
再び声が聞えてくる。
「隆文ィッ!」
その声は、まるで風にでも乗ってきているかのように揺らいだ声だ。透き通るようにしてどこ
か棘があるような女の声。隆文達はこの声を良く知っている。
「絵倫だッ!」
思わず隆文は叫んだ。彼は、凶暴な猫達に囲まれている事も忘れ、思わずその方向に手を
振った。
「おおいッ!ここだッ!」
「先輩ッ!」
一博が呼び掛けた。彼ら5人を取り囲んでいた猫達が、一斉に彼らの方へ奇声を上げてい
た。
一匹が隆文に襲い掛かる。彼は思わず声を上げ、手にした自動小銃を発砲したが、やはり
猫の体をホログラフィのように通過していくだけだ。
隆文へと飛びかかり、その手に付いた爪のようなもので引っ掻いて来ようとする猫。爪は、普
通の猫の爪よりも鋭く尖り、更には光を乱反射していた。
隆文は銃を持っていた手を引っ掛かれる。服は裂けて、血が飛んだ。
「先輩ッ!」
思わず呼び掛ける一博。
「痛い、痛いぜ。なんていう生き物だ!体は実体を持っていないかのようなのに、自分から攻
撃してくる時は、ちゃんとした爪だ。しかも結構鋭い!」
隆文は、吹き出るように溢れる血を押さえながら、絵倫達の乗った車が走ってくる方を見つ
めていた。
その方向から声が聞えてきた。
「皆、飛び上がってッ!」
またも絵倫の声だった。彼女は自身の風の『力』を使って、より遠くへと自分の声を送り届け
ている。
「飛び上がる? 一体、何の事だ?」
絵倫の叫んでいる事が理解しがたい隆文。しかし、彼は、彼女達の乗ったトラックからやって
来るものを知り、仲間達に呼びかける。
「飛び上がれッ!」
その声に、皆がその場から飛び上がった。
ほとんど間も置かずに、隆文ら5人の足のすぐ下を、青白い色をした冷気が通過していく。ひ
んやりとしたその冷気は、手のひらを伸ばすかのように隆文達の足のすぐ下をすり抜けていっ
た。
地面に足を付けていた猫の姿をした生き物たちは、その冷気に足を捕らわれる。浩の拳や、
隆文の弾丸は、実体の無い影のように通過させてしまう猫達の体だったが、は違う。次々と猫
達の足を捕らえていき、凍りつき、その脚を拘束する。
5人が地面に着地した時、その足元は一瞬にしてスケートリンクのような氷の表皮に覆われ
ていた。
「飛び移ってッ!」
再び聞えてくる絵倫の声。彼女達の乗ったトラックは目前へと迫ってきていた。スケートリンク
化した地面を走行して来ている。
5人は着地の直後、さらにもう一回飛び上がった。今度はトラックの荷台へと飛び移る為だ。
トラックは全速力で疾走して来ている。それに轢かれないように、さらに追いつけるように、5
人は次々とトラックの荷台目掛けて跳躍した。
まるで流れ込むように荷台へと飛び移る『SVO』の男性メンバー達5人。飛び移ったトラック
の荷台には絵倫が、運転席と助手席には、沙恵と香奈がそれぞれ乗っていた。
「猫共はッ!?追ってくるか?」
浩が荷台から身を乗り出して警戒した。だが、猫達は、皆が、脚を冷気の物質化した氷の表
皮に捕らわれ、身動きが取れない様子だった。ただ奇声を上げて、無理矢理にでも追って来よ
うとしている。
あの冷気は、香奈が放ったものだ。冷気を、しかもあそこまでのスピードで、放つ事ができる
のは香奈しかいない。
「あの猫達。どうやら、物質的な力はまるで通用しないけど、『能力』的な力は効果があるらしい
のよ」
車の走っていく後方を、荷台から眺めながら絵倫は言った。
「へえ、そうかい。いやしかし、ナイスタイミングだったな?絵倫」
隆文は、絵倫と顔を見合わせながら言った。
「その顔を見ると、無事だったみたいね?わたし達もだけれども」
「色々、あったようだな?話を聞こうじゃあないか?お互いの現状報告だ」
隆文がそう言うと、それぞれ別行動を取っていた『SVO』の男性メンバーと女性メンバー達
は、別れてからここに辿り着くまでの経緯と、知り得た情報を報告し合うのだった。
シャイターン市の中央部にある広場は、現在、『ユリウス帝国軍』による作戦の本部が設置さ
れており、その趣は、さながら戦争でも行われているかのようだ。
テントが建ち並び、露天が賑わう。そして宗教的な建物も多かった場所。砂地に石造りで作ら
れた大型の噴水も見える。地面も道路ではなく石畳だ。近くには、この国の宗教の象徴であ
る、大きな聖堂が見受けられた。この地方独特の建築方法で立てられたその建物は、宗教の
象徴。『ユリウス帝国』などの文化の国では見られない形。円形の石造りの屋根が、相当の昔
からそこに建っている。
だが、かつては人々の行き交う広場であったこの場所も、今では『ユリウス帝国郡』によって
占拠されており、ある程度の自由は保障されているものの、非公式の集会やデモは禁止となっ
ている。しかも現在に至っては、市民の立ち入りは禁止だ。それでも守らない者は大勢いるわ
けであったが。
現在行われている作戦。それは、テロ対策や、反政府組織の摘発などではない。
そうであったも、戒厳令を無視し、大勢のテロリスト達が『帝国軍』に武装攻撃を仕掛けて来
ている。軍にとって本来の目的は武装勢力の鎮圧ではないが、目的の為には、攻撃を仕掛け
てくる者達には対処せねばならなかった。
この街までやって来た、『ゼロ』という存在の捜索だった。
「シグマ班、そのまま付近の捜索を続けなさい。奇妙な生き物達に対してはレーザー砲の使用
を許可する」
広場の中央付近に止まっているトラックの中から、マーキュリー・グリーン将軍が、都市内に
いる兵士達に指示を出していた。
彼女は本来ならば、《ユリウス帝国首都》内の治安維持部隊を任されていたのだが、急遽、
『ゼロ』捜索、そして、『ユリウス帝国』としては始めてとなる、国連軍との共同作戦の為にこの
場に呼び出されている。
わざわざ、しかも彼女がこの場に呼び出された理由は一つしかない、それは、国防長官、浅
香舞に最も信頼されているからだ。
「都市内の治安はどう?」
マーキュリーは、自分の隣、トラックの運転席に座っていた兵士に尋ねた。彼も高官。階級は
大尉だった。
「人間による暴動は、つい一時間前まで東地区で起こっておりましたが、妙な生き物が現れ出
してからというもの、暴動や破壊活動は起こっておりません。ただ、ここ数時間の間に、異常に
あらわれた生き物達による被害は深刻です」
大尉は深刻な顔でそう言ったが、マーキュリーはほとんど表情を変えていなかった。冷たく濡
れているガラスのような青い瞳は、車の正面の方を向いている。砂漠性の暑い気候、その美
貌に汗が流れている。車の扉を開け、外気に当たっているせいだ。
「じゃあ、『ゼロ』はまだ見つかっていないのね?」
いつもの彼女が出す声は、透き通った声のようで、どこか棘があり、時として冷酷な判断を下
す。部下達は、美しい将軍ながら、彼女と自分の言動にはいつも注意を払っていた。綺麗な薔
薇の棘という言葉は彼女の為にある。
「は、はい。まだ見つかっておりません!」
この大尉も、そんな兵士の一人だった。
「いずれ、この都市の上空に、我が国の皇帝陛下と、国防長官殿を乗せた、最新の戦艦がや
って来るの。それには『ゼロ』捜索の為の最新装置が設置されているそうでね。それを使えば
一発で彼の居場所が分かるとか」
まるで独り言でも言うかのように、マーキュリーは言って見せた。
「さ、最新の戦艦ですか?わ、私は存じておりません」
「でしょうね?わたしだって今連絡を受けたばかりなの。スピードはジェット機並み、数時間で
『ユリウス帝国』から来れるそうねえ」
「しかし分かりませんね、その、初めからその最新の戦艦ですか?それを使うのだったなら、わ
ざわざ」
大尉は、どもりながらマーキュリーに尋ねたい事を質問し出したが、それは彼女によって遮ら
れた。
「この後に及んでわざわざ国連軍に加盟する事も、多国籍軍を繰り出す必要も無かったって言
いたいのね?」
「え、ええ」
マーキュリーに自分の言いたい事を言われた大尉は、ますます緊張した。
「いい?分かっている?最新型の戦艦は、あくまで最後の詰みの為にここにやって来るのよ?
それが動く時は、最後の一回だけだと思った方がいいみたいね。わたし達の軍で、『ゼロ』を追
い詰める事まではできる。でも、最後の段階では、戦艦に任せるしかないそうなの。だけれど
も、突然現れてしまった他の生き物達は、わたし達や多国籍軍でどうにかしないとね?」
今度は、マーキュリーは大尉の目を覗き込むようにして言った。彼女のその視線を浴びた大
尉は、思わず身体を引いてしまう。
だが、マーキュリーは、まるでそれを楽しむかのように先を続けた。
「いくら最新の戦艦とはいえ、さすがに都市を爆撃して変な生き物達を一掃する事はできない
そうよ?でも、『ゼロ』の行動次第では、どうなるのか全く予想が付かないみたいだわねえ?」
脅すかのようなマーキュリーの言葉に、大尉は緊張が振りほどけないままであったが、そん
な中に無線機から無線が入った。
「こちら、郊外のイプシロン班です。南東の方角から、最新の戦艦と思われる機体が来るのを
確認しました」
「了解」
マーキュリーはそれだけ無線機に答えた。
「あとは、地上から『ゼロ』を攻め立てるまでね」
そう彼女が呟いた時、さらに別の場所から無線が届いた。
「応答願います!こちらデルタ班。南地区で、外国人の不審者五名を発見しました!5名全員
がイーストレッド系です。別件で捜索している、『SVO』かもしれません!すぐさま応援を」
「こちら、グリーン将軍。了解しました」
マーキュリーは無線に再び答えた。
「南地区へと向かいなさい。『SVO』を捕らえるよう指令は出ていない。しかし、彼らの行く所、
必ず『ゼロ』が姿を現す。彼らを見つければ、『ゼロ』も見つかるわ」
「ふ、む。そ、そいつは大変だったかもしれないな」
絵倫からの報告を聞き終えた隆文は、自分の上着を羽織り直しながら答えた。
「ええ…、そうね。とにかく、そのキングさんからの情報では、ここにはマーキュリー・グリーン将
軍下の『帝国軍』他、あらゆる国からの軍が、多国籍軍を結成しているわ」
「この街は、もともと『ユリウス帝国』が報復戦争の後に、占領統治した場所だぜ。この後に及
んで多国籍軍やら、この警戒態勢じゃあ、また戦争が始まるかもって感じだ!」
トラックからはみ出しそうな浩が言った。
「皆、目的は同じ…。皆が『ゼロ』を捜している。そんなに重要な存在なの…?」
助手席にいる香奈は、後部の荷台にいる仲間達の話を聞いて、思わず呟いていた。
「あれだけの存在を『ユリウス帝国』が見逃すわけにはいかないってのも、理解はできるけど
な。問題は、何であんなのがいたのかって事の方かもしれない」
隆文が言った。
「ええ、そうね。でも、今の私達に答えを出す事はとても不可能でしょう。今は、『ゼロ』がどこに
いるかを、捜索する方が先だわ」
「まあ、とにかく、この街にいるって事は間違いない」
一博がそう呟きかけた時だった。
彼ら『SVO』の8人が乗った車が、突然急停車をする。瞬間的に急ブレーキがかかり、トラッ
クは前につんのめるくらいの形で急停車した。いやな音が周囲に響き渡り、荷台にいた者達は
外へ投げ出されようになる。
「何だッ!何だッ!急に急停車をして!」
隆文が叫んだ。彼は倒れかかって来た絵倫に身体を潰されかけている。
「沙恵!運転していたのはあなたでしょう?何が起こったの!?」
絵倫が運転席の方に向かって叫ぶ。
「だ、だって!前を見てよッ!」
ほとんど怯えたような声で沙恵が答えた。荷台にいた者達は、一斉にトラックの進行方向へ
と目を向けた。
「な、何だ?ありゃあ!」
真っ先に声を上げたのは浩だった。荷台にいた他の者達も、驚愕の表情を露わにし、隠せ
ないでいた。
トラックの先にいたのは、牛の姿をした生き物だった。
だが、あくまで、牛を思わせる姿をしているというだけで、その大部分の姿が違っていた。
まず大きさが普通ではない。2、3階建ての建物くらいの大きさを持つ牛の姿。さらには、前
足の部分が、まるでバイクの前輪を一体化させたかのように、機械と融合していた。
背中や本来角がある部分からは、パイプのようなものを通して空洞にでもなっているのだろう
か、蒸気機関を思わせるような蒸気が吐き出されていた。
この世界にこのような生き物がいるはずがない。青い姿の猫達も同様だ。『SVO』の5人は、
異形の姿の怪物を目の当たりにしている。
そして、この巨大な牛の姿をした怪物は、その目を『SVO』の8人が乗ったトラックへと向けて
いた。
目は凶暴だった。赤い宝石でも埋め込んだかのような大きな目が、重々しい威圧感と共にト
ラックの方へと向けられている。
「ど、どうする…? とても友好的な生き物には見えないぜ、先輩…」
人間としては大柄な肉体を持つ一博だったが、言語道断とも言える体躯を持つ牛には、少々
の怯えは隠せないでいる。
「当たり前だ。この都市での騒ぎは武装勢力とかじゃあない。この訳の分からない化け物共の
仕業だ。どう考えてもな」
怪物の姿を見上げ、驚きの表情を隠せないでいた隆文は、言葉だけは冷静に答える。無駄
とは分かっていても、自動小銃の引き金に手がかかった。
「荷台から脱出して!今にも襲ってきそうな勢いだよ!」
沙恵が大声で皆に呼び掛けた。目の前の牛は、その前足に付いていたバイクの前輪のよう
なものを、恐らく全開まで回転させた。蒸気機関を思わせるような機械音が鳴り響き、その姿
はまるで生き物とは思えない。
体の大部分を機械化した巨大なサイボーグ。大型の戦車だ。
「何かやばい。皆トラックから離れろ!」
隆文が叫んだ。彼は、ほとんど、トラックの荷台から飛び出すように地面に転がった。同時
に、荷台にいた他の仲間達もその場から飛びのく。
さらに同時に、通りの前方にいた巨大な牛の姿をした生き物が、まるで、戦車を全速力で加
速させたかのような勢いで突進して来た。前足に付いた前輪のようなもので一気に加速をし、
路面の土を盛り上げ、破壊しながら突進して来る。
運転席にいた香奈と沙恵が一歩遅れた。香奈は、すでに巨大な牛の危険な雰囲気を漂わす
行動を見て予期していたのか、脱出は隆文に次いで早かった。だからトラックからの脱出に最
も遅れたのは沙恵だった。
彼女はとても間に合わない。だが、トラックへは建物ほどの大きさもある巨大な怪物が突進し
て来ている。
トラックの車体は、軽く潰れるような音と共に宙に舞った。角を突き上げるかのようにして、ト
ラックは牛によってしゃくり上げられ、まるで紙切れのように上空へと巻き上げられる。そして、
ぼろ雑巾のようにずたずたになった姿として路面に落ち、くしゃくしゃになるまで潰れた。
「危なかったな」
そう呟いて、登はゆっくりと立ち上がった。彼の足元には沙恵がいた。
「あ、ありがとう登君。ほ、本当に」
怯えと声の震えが覚めやらぬまま、沙恵は登の顔を見上げて言った。
「まだ安心するのは早いわよ沙恵。奴の目的はやっぱり私達だわ!」
通りの反対側にいる絵倫が、叫んで沙恵に呼び掛ける。
トラックを宙に巻き上げた怪物は、Uターンをしながら再び8人の方へと顔を向けてきた。そ
の表情は、先ほどよりも怒りに燃えている。その生き物がUターンをしただけで、回りに建って
いた建物の一部がぶつかり、激しい音と共に壁や看板などが崩れ落ちた。地震のような衝撃
が辺りに走る。
「戦って勝てる相手じゃあねえぜ。どう考えてもな!」
浩が叫ぶ。彼はすでにその場から逃げ出そうという勢いだ。流石の彼も、この異形の怪物を
前にしてはどうしようもない。
「当たり前だ!逃げるしかない!」
隆文は続けて仲間達に呼び掛け、リーダーの合図と共に、彼らは一斉に一方向へと向かっ
て駆け出した。
巨大な牛の姿をした怪物は、すぐさま8人を追跡して来た。蒸気機関を思わせるエンジンを
鳴り響かせ、猛烈な勢いで追跡してくる。
大通りを一斉に走っていく8人の『SVO』メンバー達。彼らの足の速さにはそれぞれが個人差
があったが、大体が車よりも早い。だが、牛の姿をした怪物は、その巨大な体躯をもってして
も、8人よりも追跡してくるスピードが速かった。
「何だってこんな生き物がいるんだ!」
どんどん自分達の近くに迫ってきている破壊音、それを聞きながら浩が吐き捨てた。
「俺は答えられない。だがよォ、一つだけ言える事は、このまま大通りを走っていても、いずれ
奴に轢かれるって事だな!」
隆文は大通りの脇にある、建物の隙間を縫うように走っている裏通りの方へと、その目線を
向けた。他の仲間達もそれに気づいていた。
「あそこに逃げ込むぜ。あの道なら狭すぎて、このデカブツさんも追って来れないだろうよ!」
8人は一斉に走っていく方向を変えた。裏通りは建物と建物の隙間、車一台がやっと通れる
程の隙間を走っている。巨大な体過ぎて、そこまでは追っては来れないだろうという隆文。
牛の姿の怪物に追いつかれるという寸前、8人は一斉にその裏通りへと流れ込むように滑り
込んだ。
巨大な生き物は、裏通りの脇に建つ建物へと思い切り激突した。大地が揺らぎ、簡素な作り
の建物の一部が崩れる。
「これで追ってはこれないだろう」
息を切らしながら隆文が呟いた。
だが、裏通り沿いに建つ建物が崩れるのは変わらない。しかも、その崩壊の仕方が、だんだ
んと激しくなって来ていた。
「さあ、そうでも無いかもな?」
後ずさりしながら太一が言った。
一つの大きな瓦礫が、裏通りの地面へと落下して来た。思わずその下にいた香奈と太一は
飛びのいた。
「無茶な野郎だ。無理矢理中に入って来ようとしていやがる!無理しやがってよ!」
浩は、目の前にいる巨大な生き物に向かって言いつけた。その間も、周りの建物はどんどん
崩れていこうとしていた。
「無理ではないな、このままこの通りの中に入って来そうだ」
隆文はゆっくりと後ずさりを始める。絵倫も同じようにした。地響きと共に周りの建物には更
に亀裂が入り、瓦礫が崩れる。誰かの悲鳴が聞えてくる。だがそれは、更なる衝撃音でかき消
された。
「早く、もっと奥に。裏通りの奥へと行くぞ」
仲間達に呼び掛けた隆文。建物を崩しながらも、じりじりと巨大な怪物は裏通りへとその身体
を押し込んでこようとしている。
「な、何て奴だ。早く逃げないと!」
一博は言い、彼と仲間達は裏通りの奥へと走り出した。同時に、建物の亀裂は複数の瓦礫
となって崩れ落ち、巨大な牛の姿の怪物は、前輪とも言える機械化した前足を推し進めて、自
分の肉体よりも遥かに狭い裏通りを突き進んできた。
「早く、早く!」
香奈は叫んで、裏通りを仲間達と共に走り出した。裏通り沿いの、頑丈な作りではないとはい
え、建物を幾つも崩しながら迫ってくる牛の姿の怪物は、通りを全速力で走っていく8人に匹敵
するほどの速さで迫って来る。
瓦礫と塵、そして轟音と共に紛れながら、巨体を裏通りへと走らせてくる怪物。この迫力は戦
車の数倍ほどの馬力があった。裏通り沿いの建物は次々と崩れていく。
「どうするってんだ?先輩!?」
一博が叫んだ。
「どうもしようがないって。今は逃げろ!それしか手段がない!あんなのを正面から立ち向かえ
るわけないんだからな!」
と言い放ち、隆文はただ走るだけだった。
「だけれども、どうにかしないとならないわ!こんな事までしてわたし達を追ってくるっていうんだ
から、どこに逃げ込もうと無駄みたいだわね」
隆文と並走して走る絵倫が言う。
「じゃあどうするんだッ?」
次に叫んだのは浩だった。
「今、それを考えている!」
そう言うと、隆文は腰に吊るしてあった手榴弾を手に取り、口でピンを抜いた。そしてそれを、
後方の怪物の顔面目掛けて投げつける。そして、手榴弾は爆発と共に爆炎と爆風を振り撒い
た。
怪物の猛進はそれでは止まらなかった。まるで、自分の顔面で起きた爆発は、蠅が止まった
程度にしか効果が無いようだった。
「先輩!全然通用していないぜ!」
「もちろん、無理だってのは分かっていたがな、この分じゃあ、催涙弾なんかもとても通用しそう
にない」
激しく建物は崩れ、裏通りに無理矢理自分が通れる道を切り開いていく怪物。その激しい破
壊音は辺り一面に響き渡っていた。
やがて8人は、裏通りを走り抜け、さっきいた場所とは違う通りへと抜け出るのだった。それ
でも相変わらず巨大な怪物は追って来たし、その勢いもまるで変わっていない。建物は次々と
崩れていた。
「どうするんだ?どっちに逃げればいいんだ?」
開けた通りを見渡した一博が言った。だが彼は思わず息を呑んだ。
「ああ?どっちに逃げたって多分変わらない、ああ!」
通りの一方向を振り向いた隆文は、思わずその方向で立ちすくんだ。
『ユリウス帝国兵』だった。
一個中隊が、その場所に待ち構えていた。さっきの2、3人の小隊とは異なる、20人近くの
部隊、重装備の装甲車までもがそこには待機していた。
「何者だ!そこで止まれ」
一斉に銃を向け、不審者を捕らえようとする『ユリウス帝国兵』。
「全く。次から次へと厄介だわね!」
『ユリウス帝国兵』達の方を向いた絵倫は、思わずそう言っていた。
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―Ep#.12 『雨天順天』―
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巨大国家の陰謀から発端し、世界を揺るがす大きな存在が登場。今回は帝国側の人物達が描かれます。