No.191282

真・恋姫無双 ~美麗縦横、新説演義~ 第三章 蒼天崩落   第十二話 前夜

茶々さん

今年最後の投稿です。

2010-12-23 19:44:22 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:1581   閲覧ユーザー数:1429

常闇が落ちる部屋の中、司馬懿は僅かに差し込む光に瞼を開けた。

 

窓から零れ出る月明かりに誘われる様にして床から歩み出ると、彼は静かに窓辺へと寄り、白く輝く月に照らされる夜の都を眺めた。

 

 

「…………」

 

 

整然とした街と、それを静かに彩る月光はいっそ幻想的な音色を奏でているかの様に美しく、しかし彼の胸中にただ虚しさを感じさせるだけであった。

 

その身が嘗て為した業。

そしてそれに始まる無限の転生と破滅。

 

幾千の命を蝕み、幾万の命を喰らい、幾億の命を奪った自分と云う存在が、今再びその牙を覗かせる。

 

 

『だったらお前は俺の―――華琳の『敵』だ』

 

 

脳裏に過るのは、愛しき者の為に戦う嘗ての友。

 

 

『―――だが、貴様程度の矮小な野心に、我が覇道が屈する事はない。その誇大過ぎる妄信が、やがて自らを滅ぼすのだと、死して知るがいい!!』

 

 

対するのは、優しさを知った真の王者。

 

 

許される筈のない罪を。

抗いようのない運命を。

 

今一度、再び自分は犯そうとしている。

 

だが―――

 

 

(……不思議なものだ。また苦しみと悲しみの輪廻に堕ちるのだと知りながら、その負け戦を描こうというのだからな)

 

 

過去の自分が見れば、嘲笑を浮かべる姿が容易に想像出来る。「甘くなったな」と、侮蔑するかの様な視線を向けるだろうか。それとも、ただただこの身の愚かさを嘲笑うだろうか。

 

自ら『負け戦』を描く酔狂さに笑みを零し、しかしその笑みに一片の陰りもない。

 

むしろその笑みは――――――

 

 

「楽しそう……ですね」

 

 

ふと聞こえた声音の主は、光の差し込む窓辺へとゆっくりと近づいた。

 

薄衣を一枚羽織って身を覆い、首から上をスッポリ出した格好は何処か愛らしく、しかし纏う幻想的な雰囲気は身の丈以上の大人らしさと艶やかさを感じさせる。

 

 

「……そんな格好だと風邪をひくぞ、風」

「そしたら、看病をお願いするですよ~」

 

 

相変わらずの気の抜けた様な声と共に、風はスルリとその身を司馬懿の傍らに滑り込ませた。普段はその頭頂にある宝慧も今はなく、まるで申し合わせたかの様に司馬懿はその頭部に掌を乗せて撫でた。

 

 

「…………風」

「ん~?何ですか~仲達さん」

 

 

猫の様に目を細め、されるがままにそれを甘受する風がうっすらと目を開けると、司馬懿は微かに笑みを浮かべた。

 

             

 

「…………すまない」

 

 

酷く申し訳なさそうな、何処か慈愛に満ちた優しい声音。

 

 

「……今更ですね~」

 

 

呆れた様に風が返す。

だがその口調に、彼を責める意は欠片もない。

 

 

「こんな茶番、本来なら僕一人で演じなければならないのに……」

「客席で眺めるよりも、舞台に立った方が楽しいと分かっただけですよ」

「…………君といいあいつらといい、何時から『魏』はお人好しの集まりになったんだか……」

「仲達さんがそれを言いますか~」

 

 

今度は風が苦笑を洩らした。

 

 

 

 

 

 

「……けど、本当に宜しいんですか?」

 

 

静寂の中、風が問うた。

 

 

「―――それこそ、今更だろ?風」

 

 

何時の間にか雲が月を覆い隠し、世界に暗が降りる。その中で、風は司馬懿の表情を窺い知る事は出来なかった。

 

だが、風には感じて取れた。

 

 

彼が、泣く事も叶わぬ身でありながら泣きそうになっているのだと。

 

 

「華琳様や一刀達の創る未来は……きっと、きっと良いモノになる筈だ。だからこそ古きは、あらゆる柵は此処で全て断ち切らなければならない。彼らの望んだ未来が、願った平穏が永劫のモノになる為に」

 

 

その身に絶対の使命を背負いながら―――

 

 

「全てを終わらせる為、決着を付ける為…………そう表向きにいくら謳おうと、詰まる所『僕』が『僕』で在る為でしかないのだけどね」

 

 

その魂に永劫の呪縛を刻みながら―――

 

 

「何れにしても、間もなく全てが終わる。後漢も、名族も―――呪も、縛も、何もかも」

 

 

幾度となく輪廻の中で彷徨い続けたその旅路に疲れたのだろうか。

それとも、今まで何度も彼に滅亡への道を取るに至らしめたこの世界に嘆きを覚えたのだろうか。

 

 

その『役割』を終えて――――――その先は、どうなる?

 

 

また最初から全てをやり直さなければならないとでも言うのか。記憶を勝手に消され、勝手に戻され、何度も何度も。死にも勝る苦痛と絶望を味わい続けた彼に。

 

世界はまた苦しみを、痛みを、悲しみを味わわせようと云うのだろうか。

 

          

 

―――止められるものなら

 

繰り返さずに済むというのなら、どんな手を使ってでも止めたかった。風にとって司馬懿という存在は――その正体を明かされ、顛末の全てを唯一人聞かされた今でも変わる事無く――例え残滓の積み重なった果ての想いなのだとしても、掛け替えのない大切な、とてつもなく大きな存在となっていた。

 

 

傍に居て、幸福でいられる。

隣に居て、安らかでいられる。

 

 

そんな幸せはしかし、決して叶う事のない願いだと風は知っていた。

どれだけ願おうと、彼の身に迫る運命の刻は止まる事はない。

 

 

そして、その身が焦れる程に愛おしき人への想いも、また――――――

 

 

 

 

「……風?」

 

 

気がつけば、風はその小さな体躯を司馬懿に寄せて、腰の後ろにまで手を必死に伸ばして抱きついていた。

 

 

「…………謝らないで、下さい」

 

 

彼の温もりを。声音を。存在を。

その全てを覚え、刻み、二度と忘れぬ様に。

 

やがて『筋書き』という名の運命に全てを奪われるのだとしても、今、この刹那だけは奪わせぬ様に。

 

 

「……最期まで、傍に居させて下さい」

 

 

届かないと分かりきっている想いに蓋をして、風は必死に声を振り絞った。

 

背に感じる彼の掌の、人より少しだけ冷たく感じるその体温に。

全身を包む様に覆う、彼が『彼』であるという存在の全てに。

 

風はその身を静かに委ねた。

 

 

「夢の、終わりまで…………」

「……ああ」

 

 

どうして、出会ってしまったのか。

どうして、話してしまったのか。

 

どうして―――どうして、焦れてしまったのか。

 

 

風は、己の身の運命を、輪廻という縛りの全てを呪いたかった。

 

 

彼に出会わなければ、自分はこんなに苦しむ事はなかった。

彼と話さなければ、自分はこんなに悔む事はなかった。

彼に焦れなければ、自分はこんなに辛くなる事はなかった。

 

 

だから、風は目を閉じた。

 

 

「―――ありがとう」

 

 

最期の最後。

全てが終わるその刹那まで、彼と共に在る為に。

 

彼と云う存在の全てを、己の魂魄の全てに刻みつける為に。

 

 

重なる温もりに、伝わる温かさに抱かれて―――

 

 

 

 

少女は、意識を手放した。

 

          

 

許昌を数里先に捉えた連合軍は、一度小休止を取る事となった。

明朝、総勢二十万近い大軍が都へと攻め上がる。

 

 

「…………」

 

 

明日の決戦に備え、各陣営が慌ただしい中で、俺は一人手持無沙汰に、手近な所にあった木箱に腰かけていた。

 

目の前を慌ただしく兵士達が行き交い、春蘭や秋蘭はその指示に追われている。

 

樊城で壊滅的な打撃を被った魏軍で明日動けるのは、春蘭達が率いていた部隊三万余りと、稟が指揮していた大凡七千あまりの部隊。

主将であった菫と、その直属の部隊は殆ど全滅で、取り分け菫自身の傷が凄まじかった。

 

右腕と両足が深々と抉られ、あれから二ヶ月余りたった今でも歩く事は儘ならない。

 

 

「…………」

 

 

あれから―――あの雨の離別から、二ヶ月。

この二ヶ月の間、各地で慌ただしい動きがあった。

 

 

旧魏軍の内、司馬懿に同調したのは長安と洛陽の部隊が丸々。次いで漢中前線の主将で、長安都督であった司馬懿指揮下の張郃。それに河北の残留部隊も殆ど接収されていた。

 

 

そして合肥に居た筈の霞―――張遼も、司馬懿の元へ馳せ参じた。

 

そうして、司馬懿は手に入れた部隊を動かし、自らに反抗的と見なした官吏や郷村を次々と襲った。

 

 

伝え聞いた噂では、先ず手始めとして自分の生まれ故郷を火と血の海に変えたという。

己の生まれた土地ですらその有様なのだから、他の村々は聞くに及ばず。

 

 

「……ッ」

 

 

分からなかった。

どうして司馬懿が反乱を起こしたのか。

 

あの夜、彼を無理やりにでも引き止めていれば、ひょっとしたらこんな事は起きなかったんじゃないか。

 

 

整理のつかない思考がぐるぐると脳内を駆け廻り、何一つ手に付かなかった。

 

 

 

 

 

 

「―――し、もし、そこの御仁」

 

 

つと、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。

真っ暗だった視界が明けた瞬間、俺に目に飛び込んできたのは―――血が滴り、白く染まる自分の両手だった。

 

あの日の、憤りにも似た感情が駆け巡った時の傷が開いたのだろうか。

 

 

「酷くやつれておられるが、大丈夫か?天の御遣い殿」

 

 

その様な事を、目の前の女性―――超雲が知る筈もないと知りながら、俺は顔を上げた。

 

             

 

「ささっ、まずは一献」

「…………」

 

 

あの後、呆けた様に何事も喋らない俺を見て何を思ったのか、超雲は俺の血がべっとりと染みた手を掴み何処かの天幕の裏へと引っ張って行った。

 

傍に小川が流れる木に寄りかかり、何処からともなく取り出した朱色の杯を握らせると、向こうが透けて見える程に透明な酒がトクトクと注がれる。

 

 

「先だって都の商人が持ち込んだ代物でして、これが中々に美味でしてなぁ……」

 

 

言いながら自分の杯にも並々と注ぎ、これまた何処からか取り出した壺の中に箸を突っ込むと、やがて随分と懐かしい代物が顔を覗かせた。

 

 

「メンマ……」

「む?御身もこの味が分かる方でしたか?」

 

 

では折角ですから一つ差し上げましょう、と言って超雲は箸でつまんだメンマを杯の縁に置いた。

僅かに浸かるメンマの波紋が酒の水面を揺らし、そこに映る月が波間に見え隠れする。

 

 

「…………何やってんだろうな、俺」

「む?」

「天の御遣いとか、乱世の奸雄を支える者とか……勝手にご大層な尾ひれがついて、それに引っ張り回されて」

 

 

自嘲にも似た声が、喉の奥から零れた。

 

 

「愛した女一人守れず、信じた友一人止められず…………バッカみてぇ」

 

 

華琳は無事なのだろうか。

桂花は、流琉は、季衣は、真桜は、沙和は、天和は、地和は、人和は。

 

この世界で知り、愛し合えた人達の姿が浮かんでは消える。

 

 

自分の無力さに、怒りを通り越して呆れを覚える。

 

 

「ホント…………何やってんだろ、俺」

 

 

未来を知っているからって、いい気になっていたのだろうか。

みんなに認められたからって、自惚れていたのだろうか。

 

これは、この顛末は、その驕りに対する罰ではなかろうか。

 

 

そんな考えさえ浮かんできた。

 

 

 

 

「―――北郷殿」

 

 

凛然とした声音が、鼓膜を揺らした。

 

 

「――――――失礼」

 

 

何に対しての謝罪なのか、呆けきった脳がそれを理解するより前に。

 

頬に、鋭い痛みが弾けた。

 

それが眼前の彼女によるビンタなのだと理解した時、見れば、彼女は先程までの飄々とした雰囲気を霧散させて、鋭い空気を纏った武人のそれと化していた。

 

 

「……北郷殿。何故、私が御身を叩いたかお分かりか?」

「…………」

 

 

身体は動かなかった。

けれど俺の何かが、その言葉に『否』と返したのだろう。

 

彼女はその瞳に俺を映して、静かに云った。

 

 

「北郷殿」

 

 

ギュッと、超雲は俺の手を取った。

 

            

 

「己の内に全てを閉じ込めて、何になりましょうや?」

 

            

 

「憎いなら憎い、悔しいなら悔しいと、そう叫べば宜しいでしょう?涙を流し、怒り、笑うは人の摂理にして常。であれば、内に閉じ込め続ける事に意味はありますまい。

 

御身は誰に遠慮し、泣く事を拒まれるか?

御身は誰に遠慮し、怒る事を拒まれるか?

 

―――御身の抱きし『感情』は御身だけのモノ。他の何者にも犯す事は叶わず、何者にも指図される謂れはありませぬ。

 

それを、どうして御身は拒まれる?」

 

 

深い赤紫の双眸が、ジッと俺を睨む。

 

 

「一人で苦しいなら周りを頼られよ。辛いなら、厳しいなら、手強いなら、助けを求められよ。御身は―――一人ではありますまい?」

「分かってる…………」

「分かっておられぬ。だから御身は―――」

「分かってるッ!!!」

 

 

意識せず、言葉が荒げた。

 

 

「ああそうさ!!俺には仲間がいる!!華琳や春蘭や秋蘭や桂花や、みんな―――みんなが居る!!そんな事分かってる!!

 

だけど、だけどあいつはずっと……ずっと一人で全部抱え込んで!!何でも自分一人で全部片付けようとして!!

 

ムカついてるんだよ!!頭に来てるんだよ!!つかもうキレてんだよ俺は!!!

 

俺達は仲間だろ!?友達で、親友で、同志で……なのにアイツは!!あの大馬鹿野郎は!!自分だけで勝手に!!」

 

 

ギリ、と奥歯が噛み締められる。

言えば言う程に、沸々と溜まっていた怒りが、鬱憤が―――ありとあらゆる想いが吹き出した。

 

 

「どうして……頼ってくれなかったんだよ?」

 

 

視界が、滲む。

 

 

「俺は、俺達は…………そんなに、頼りねぇのかよ?」

 

 

膝が力なく、折れる。

 

 

「なぁ、仲達……」

 

 

止めどなく、零れ落ちる。

 

 

「どうして、こんなになるまで一人でずっと……ずっと抱え込んじまったんだよ?」

 

 

たった一人で肩を震わせる、孤独な闇に堕ちる彼の姿が。

 

 

 

 

「過ぎた事を、過去を悔もうと、それは最早意味を成さぬ」

 

 

ややあって、超雲が俺に手を差し伸べた。

 

 

「だからこそ私達は前へと進み、ひたむきに歩まねばならない。それが私達の……『変えられる者』の使命なのだから。

 

後ろを振り向くなとは云わぬ。

前だけ見ろとも云わぬ。

 

 

だが、立ち止まってはならない。

 

私達は、進まねばならない。その先がどれ程過酷であろうと―――どれ程、残酷であろうと」

 

             

 

朱里は一人、大天幕にあった。

 

奥の床に腰かけ、その膝に一対の羽扇を置いて、まるで眺める様にしてずっと見つめていた。

 

 

一つは師・水鏡より賜った白羽の扇。

そしてもう一つは、それと対を成す様に黒い羽扇。

 

 

すぅっと撫でると、絹地を滑る様な滑らかさと共に指が羽を走り、柔らかな冷たさが肌を通して伝わる。

柄に誂われたのは、金字で彫られた『龍』と『虎』の刻印。

 

 

嘗て水鏡が自分と司馬懿に与えた、唯一無二の一対の品である。

 

 

 

 

『―――貴方方二人はこの門下にあって、取り分けて才に恵まれながらそれに驕る事無く研鑽に励みましたね』

 

 

そう言って司馬徽は奥の棚を開けて、中から一対の羽扇を取り出したのだ。

 

 

『この扇は、私が嘗て朝廷より賜った品。―――これを、貴方達に譲ろうと思います』

 

 

その言葉に自分は元より、普段は怜悧で表情を滅多に崩さなかった司馬懿も随分と驚いた様な面持ちだったのを記憶している。

 

 

『名を上げよとは云いません。自分の才を存分に生かせ、そして自分自身が充足出来るのなら……己が己に誇れる様になれたのなら、例え僻地の小役人であろうと恥じる事は何一つありません』

 

 

『ですが』と司馬徽は続けた。

 

 

『もし誰かに仕え、その支えとなるのなら、これだけは忘れないで。

 

―――彼を知り、己を知りて、常に百戦の戦場にある心持を保つ。

 

それが、私からの最後の教えです』

 

 

その時の司馬徽の笑顔を、朱里は今でも忘れる事はない。

 

 

 

 

 

 

それから幾月か過ぎて司馬懿が出奔し、やがて師が司馬懿破門を告げ、その内自分も雛里と共に私塾を出て。

 

桃香に出会い、愛紗に出会い、鈴々に出会い……多くの出会いと別れの中で、再び彼に相まみえた。

 

 

天の与え給うた奇跡、とさえ思った。

 

再会を焦れた彼に再び会えた。喜びに胸が躍った。

 

でも、彼はそうではなかった。

 

 

 

 

成都の夜、彼は叫んだ。

自分を拒んでおきながら、捨てておきながら、今更とさえ朱里は思った。

 

だが、それでも心の何処かで別の感情が顔を覗かせていた。

 

それは確かに嘗て彼に向けて抱いた想いで―――そう、『思慕』と云う名の、『恋慕』と云う名の、恋心だった。

 

          

 

今、自分は何を抱いているのだろうか?

 

 

憤怒?

愛情?

侮蔑?

 

 

違う―――違う。

 

そんな言葉じゃない。

そんな感情じゃない。

 

自分にも分からない。

この想いがなんなのか。

 

 

だけど、だけどと朱里は思う。

 

 

会いたい、と。

今はただ、無性に彼に会いたかった。

 

 

 

 

 

 

「―――報告します。連合軍が国境を超え、この許昌に向かって進軍中です」

 

 

玉殿に優雅に座す司馬懿の前に、恭しく頭を垂れた一人の斥候が告げる。

 

その言葉が終わると共に、司馬懿はニヤリと笑んだ。

 

 

「来たか……」

 

 

ただ一言。

そこに込められた思いを、その言の葉から慮る事は叶わない。

 

だから、彼の周囲に居並ぶ文武官は内心で静かに感嘆の意を示すより他なかった。

 

 

―――この境地を、むしろ愉しんでいる。

 

 

覇者としての器を持ち、王者としての才を持ち。

兵も、将も、何一つ欠ける事無く彼の前に揃った。

 

 

「歓待の支度をせよ。盛大に持て成せ。

 

―――血沸き肉躍る、戦争と云う名の殺戮の宴を開こうぞ」

 

 

腕を広げ、カツンと踏みならす音が響いた。

 

 

「次代に抗い、旧世に固執せし愚かな者共に、我手ずから引導をくれてやろう。

 

さぁ――――――集え、数多の英傑よ。幾多の業と共に。

 

その全てを抱き、喰らい、奪い。

我が、我こそがただ一人それを有し、貴様の頂点に君臨してやろう」

 

 

彼が『それ』を演じる事も。

彼が『それ』と戦う事も。

 

全ては予定調和。

定められた、筋書き。

 

 

「フフフ……フハハハハ」

 

 

だからこそ、最期まで演じ切る事を彼は決意した。

 

せめてそれが、願わくばそれが、最も大切な友の祈りとなる様にと。

 

最大の理解者であった彼の悲願が成就する様にと。

 

 

「フハハハハ!!アッハハハハハ!!!」

 

 

打倒されるべき『悪』は『悪』らしく。

滅びゆく『悪』は『悪』らしく。

 

手向く花はしかし、届かないと知りながら。

 

 

「フフフ……クッ、フハハハハハ!!!」

 

 

司馬懿は、狂気に歓喜しただ哂った。

 


 
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