両軍は対峙していた。
―――曹魏の軍旗と劉蜀の軍旗。
両軍の軍旗が叫ぶように、ごおっとたなびき、湿った風が曹仁に吹き抜けてゆく。
曹仁は腰におさめている鞘を握りしめる。
ここは五丈原。
敵軍大将は劉備亡き跡を継いだ北郷一刀。
「………」
曹仁は思った。たった一年足らずに色々な出来事があったな、と。
記憶を無くした自分を拾ってくれた華琳との出会い。その華琳様を守るために旅に出て司馬懿に出会ったことや反董卓連合で劉備、北郷と出会ったこと。そしてその二人が華琳様を傷つけ沢山の仲間を殺したこと。
改めて考えてるとすべては北郷が魏から去ったことから不幸は始まった。
「………」
過ぎ去った過去にもしもはない。
でも、しかし、もしも、もしも彼が魏を去らなければ、彼が華琳様を泣かせなければこんな事になっただろうか。
脳裏に『別の物語』が浮かんだ。
その『別の物語』のなかで、自分と北郷は互いに助け合いや喧嘩なんかしながらも華琳様と共に、この国に平和をもたらすために、大陸統一を目指していただろうか。そうだったらきっと、曹魏の仲間も誰一人欠けず、同じ夢を目指していたに違いない。
だが、それは夢でしかない。
「待っていてください華琳様。今度こそ北郷の魂を貴方に献上致します」
そこにあるのは絶望のみ。
彼は歩く。北郷一刀をこの手で斬るために。
第六話
『曹仁と北郷』
―――目眩がする。
重いまぶたをゆっくりと開けて、ピントの合わない世界をゆらゆらと見つめる。
「……うっ」
窓から、斜め向きに強い朝日が差し込んでいる。
遠くで、小鳥のさえずりも、聞こえる。
「おはよう。一刀」
窓辺に、女が一人、ぽつんと立って、微笑みこんでいる。
「……きみは?」
北郷は尋ねた。
女は魅力的な、大きな瞳をしている。
「私の名前は管輅」
「管輅さん? ……なんか管理人さんっぽい名前だな……うん」
北郷は、管輅の顔をあらためて、よく見つめる。
「……俺、前に君に会ったことがあるかな?」
「ないわ。貴方に会うのはこれが初めて……」
管輅は白く細い腕を組み、微笑んだ。
「……そ、そう? ……でも、俺、君に会ったような……」
「落ち着いて聞いて。一刀」
管輅は寝床に腰をかけると、一刀の顔を覗き込んだ。
「すべての世界が今とても危険な状況にあるの。貴方と彼が引き起こす歪みのせいで、正史が外史を飲み込んでいる。もう結末でしか修正することが不可能になってしまったの。そしてその結末で下す判断で世界が暗黒の物語に……」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。世界? 正史? 外史? とかって何?」
「いい? とりあえず、最後まで聞いて」
管輅のひんやりとした人差し指が、北郷の唇に押し当てられた。
「すでにこの物語は結末に向かっているわ。貴方と彼が戦って決着をつけるという結末に。そしてそのために物語は三国志の終わりの舞台へと動いているの」
「なっ!? 三国志の終わりって……」
北郷は息を飲んだ。
「そのために劉備も関羽も張飛、それ以外のみんなも最後の舞台に上がる者以外は消える」
「………っ!」
その瞬間、北郷は管輅の袖を掴んだ。
「嘘だっ! みんなが三国志の通りに死んで行くなんて!」
「もうすでにそこまできているわ。貴方が扉を開ければそこは最後の舞台よ」
「嘘だろ……冗談でしょう?」
「嘘じゃないわ。この物語はそう作られているの。だから貴方も彼にも止めれらない」
「………」
「そして本題はここから。これから向かう最後の舞台で、彼と対峙した時にどう対応するかで決まるのよ」
「彼って誰?」
「曹仁……って名乗っているけど、彼も貴方と同じ存在の人間よ」
北郷は混乱した。頭の中にどっさりと積み込まれた情報を解きほぐすように、髪をぐしゃぐしゃかみ乱す。
「曹仁だって!? あいつが俺と同じ人間!?」
「落ち着いて聞いて。一刀」
そう言うと管輅は北郷に口づけをした。
「……っ!?」
北郷の鼻に、ふわりと、薔薇の花の香りがした。
(この匂い……どこかで……?)
「落ち着いた?」
「……あ、……うん……」
管輅は微笑み、北郷は、ぽかんと管輅の顔を見ていた。
「大丈夫。貴方なら、きっといい判断を下すわ。そして彼も救えると信じている」
管輅の顔が離れていく。
「頑張れ、この世界の創造主さん。期待しているぞ」
「えっ!?」
二人の会話はそこで終わった。
銅鑼の音が、けたたましく鳴った。
魏軍の戦列が大蛇のようにうねりだす。
「敵襲―――ッ! 敵襲―――ッ!」
蜀軍の将兵達が騒ぎ始める。
「敵襲? 敵って、魏軍が攻めてくるってこと?」
北郷は思わず、横にいる少女につぶやいた。
「はわわ……」
少女は震えた声で答える。
「五丈原の戦いって、睨み合いの戦いだと思ってたんだけど……」
管輅の予言通りこの戦いは正史通りにはならないということらしい。それとも彼がそう望んでいるからなのか。
そうこうしている間にも、敵の軍勢は目の前へと押し寄せてくる。
「ご、ご主人様。指示を……貴方のお声で皆さんはすぐに動けます」
「………」
「ご主人様っ!」
北郷はつぶやいた。
「なぁ……朱里」
「はい?」
軍師諸葛亮は答えた。
「どうして、俺達は戦わないといけないのかな?」
北郷の顔の横を、血塗られた槍刃がシュッと横切った。
「答えてやろうか?」
声で、すぐにわかった。
その微笑み。憎しみにつつまれたオーラ。
「貴様が華琳様を殺したからだ」
騎馬が疾駆し、刃が北郷の首筋に近づく。
「曹仁っ!」
「殺しにきたぞ。北郷」
バキッと剣と剣の音が交じり合う。
しかし、北郷は剣を抜いていない。寸前で馬超が槍で守る。
「ご主人様はやらせないぞ……」
「………ちっ、またか」
曹仁の刃と馬超の刃が激しく重なりあうが、すぐさま曹仁の方から距離をおく。
「貴様はいつもそういう男だな。自分の弱さをいい事に他の人間を使う」
「ご主人様はそんな人間じゃない!」
馬超の叫びに曹仁は笑みを浮かべた。
「劉備も関羽も張飛さえも殺した人間が?」
「それは貴方がしたことですっ! 貴方が孫権さんの弱みを握って同盟を……」
「………違うな」
人差し指を北郷に指す。
「貴様は知っていたはずだぞ? 彼女達の運命を」
「………」
北郷は答えない。ただ、まっすぐ曹仁を見つめる。
「罪を償え北郷。貴様は天の御遣いでもないんでもない。ただの人間……いや、争いを引き起こす元凶者だ」
その時、今度は曹仁の顔の横を、矢がシュッと横切った。
どうやら時間切れらしい。
「………今日で決着がつくとは思ってはいないさ」
フッと笑みを浮かべると騎馬を走らせる。
「曹仁っ!」
今度は北郷が呼ぶ。
「……俺は一度たりとも、天の御遣いだなんて思ったこともなければ……桃香達を見殺しにしたつもりもない」
「………たわ言だ。反逆者」
曹仁は北郷を見ることはしなかった。
―――曹仁軍・陣営。
がしゃんとコップが割れる音がした。
「……うっ!」
口から赤い塊が吐き出される。その量は誰が見ても異常な量。
「貴様……」
傍にいる兵士は冷たい目線で彼女を見た。
「すべての『呪い』を受け取ったな?」
「曹仁さんが受ける呪いを全部受け取っただけです」
彼女は口をぬぐい、目隠しを取った。
緑の瞳がくっきりと開かれ、兵士を見る。
「……愚かな女だな。程昱」
程昱は微笑んだ。
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前回のお話
司馬懿は呉と同盟しようと持ちかける。
その一方では、曹仁と北郷は己の無力になげくのだった。