Color5
「………。」
寺内陽介は今日、一つ嘘をついた。
朝はいつも通りに目覚めて、トーストを口に詰め込んだ。
制服に身を包み、いつもより少し早く家を出た。
寺内陽介のいつもの朝が過ぎていく、筈だった。
陽介は学校の最寄り駅に行く電車には乗らず、むしろ反対方向へ行く電車に乗り込んだ。
「………。」
行き着いた先はあるマンションだった。
陽介は迷うことなくそのマンションの一室を目指した。
その間、学校に電話して体調不良で欠席すると担任に連絡した。
陽介はズル休みをしたのだ。
学校に行くことは好きな事の部類に入るはずなのだが、今日はなんとなく気が向かなかった。
紗羅と顔を会わせたくなかったのかもしれない、とぼんやりと考えながら陽介は部屋のドアを開けた。
「………。」
陽介が行き着いた部屋は必要最低限のものしか置かれていない殺風景な部屋だった。
しかし一つだけ、その部屋に似合わないモノが一つだけあった。
リビングのど真ん中に大きなグランドピアノがどっしりとその場に構えていた。
陽介はそのピアノを愛しそうに撫で、ピアノ椅子に腰掛けた。
譜面板に置かれているのは来月に開かれるリサイタルの楽譜だ。
陽介はぼんやりとその楽譜を眺め、適当に一つ音を鳴らす。
静寂に満ちた部屋にポーン、と音が生まれる。
「………。」
陽介は次々と旋律をつむぎ始めた。
それは、かつての大事な人へ向けた旋律であった。
愛らしく、甘い旋律のはずなのに、切ない響きがその場を支配した。
「………。」
陽介は感情に任せてありとあらゆる曲を音にした。
彼の周りには沢山の楽譜が散らばり、積み重なっていく。
それは今までの彼が音楽にしてきたもの全てであり、彼の全てといっての過言ではなかった。
身震いするほどの寒さなのに、陽介の額には汗が滲む。
気が済むまで指を動かし続けた結果、学校の授業を受けるよりもどっと疲労感が彼を襲う。
「………。」
手当たり次第引きずり出した楽譜達を丁寧に本棚に戻していく。
その間、彼の頭の中では昨日の屋上の出来事が渦巻いていた。
目の前から姿を消した少女の笑顔。
去っていく後ろ姿を追うこともできなかった自分の姿。
「………。」
作業する手は完全に止まり、頭の中では目の前で紗羅が去ってゆく光景が何度も繰り返された。
「…やめろよ……やめてくれっ!。」
頭を左右に振り、無理矢理脳裏からその光景を追い払おうとするが、一向に失せる気配は無くただ疲労が増しただけだった。
「……!!。」
そして、その瞬間携帯がタイミングよく着信した。
『…俺にも待ってくれる人がいるんだな…って。』
「………。」
孝宏は最初から立ち聞きするつもりは無かった。
部屋のインターホンを押そうとした瞬間に、部屋の中でこういった言葉が聞こえてきて仕方が無くその場に立ち尽くす結果になってしまった。
仕事の帰りで、以前陽介を送っていったマンションの横を通った為、もし部屋にいるのであれば話をしたいと思い車から降りた。
マンションからは微かにピアノの音が漏れていた。
少々荒っぽい所もあるが、間違いなくこの音は陽介が奏でるものに間違いなかった。
「……管理人さん、居るかな…。」
このマンションの管理人とは、陽介を送り届けた後話し込んですっかり顔なじみの間柄になっていた。
「…お、小鳥遊くんじゃないか。」
「哲さん。」
管理人である名内哲郎はすぐさま孝宏の姿に気づき、手を振る。
「今日はどうしたんだい?…陽介君に用かな?」
「ええ、まあ。…ちょっと話したいことがあって…。」
その後も一時間ばかり哲郎と話し込んで、ようやく本題を持ち出した。
そして、哲郎に陽介の部屋を教えてもらって今ここに居る。
「…気まずいな…。」
このまま踵を返してかえることも考えたが、自分の手にしているケーキの箱がそれを邪魔をした。
本当は家で食べるつもりだったのだが、一人で食べるよりは陽介と二人で食べたほうがよりおいしくなるだろうと思い、ここまで持ってきてしまった。
『俺のこと、待っててくれる?』
部屋の中では会話がまだ続いている。
どうやら電話で誰かと話しているようで、この会話から想像して陽介はおそらく彼女と会話をしているのだろうと孝宏は考える。
「…陽介君はかっこいいから、彼女の一人や二人はいるか……。」
返答が無いのも分かっているのに、ぶつぶつと孝宏はぼやき続ける。
「………。」
「………。」
そして、目の前であきれる陽介と焦点がばちり、とあった。
「何……してるんですか…。」
「あ、いや、…ちょっと近くに来たから寄ってみたんだけど。」
突然の想像もしなかった人物の登場に陽介の心は平静を保っていられなくなった。
不覚にも喜んでしまうところだった。
「……外だと寒いから…どうぞ…。」
「どうもー。」
相変わらずの屈託の無い様子で孝宏は陽介の部屋に転がり込んだ。
「…ん?…自宅じゃないの?」
「…練習場。」
緊張で言葉の端々が強張っているのが分かる。慌てて取り繕うともうまくいかない。
そんな陽介の心情を何の気なしに孝宏は読み取ってしまう。
「…なんか、あった?」
「っっ……別に無いです。」
今回のことは陽介自身の問題であり、孝宏には関わりの無い話だ。
そして、それ以上に社会人である孝宏に高校生の失恋話なんてぶちまけたところで何になるのだろか、むしろ迷惑はかけたくなかった。
「………そっか…。」
その気持ちを孝宏は察したのか、それ以上は何も言ってこなかった。
ただ一つだけ、陽介の頭に自分の掌を乗せた。
「………。」
それがとても暖かくて、優しくて、今にも泣きそうになった。
「…ちょっと、いいですか?」
「ん?何?」
テーブルを挟み、ケーキに夢中になる孝宏に陽介は声をかけた。
深刻そうな声のトーンに孝宏は何かを感じたのか、急に顔つきを引き締めて陽介と向かい合った。
「…友達の話なんですけど……。」
「………。」
単に大人の意見を聞きたくなった好奇心で陽介は自分の話をし始めた。もちろん、自分の話をするのは恥ずかしかったので、友達の話として話し始めた。
「フラれてすごい落ち込んでるときって、どうしますか?」
「………。」
孝宏もこの質問に大変驚いた様子で言葉に詰まる。
「………。」
「………。」
でも、その顔つきはとても真剣でまじめに考えてくれている様子で陽介は大人しく言葉を待った。
「…んー、難しいなぁ……。」
孝宏は唸り頭をがしがしと掻く。
「俺って、結構フラフラしてんじゃん?だからそういう相談されないんだよねー。」
「……そうですか…。」
「ごめんねー。…でも今考えたんだけど、そいつの側に居てフラれたことも忘れちゃうくらい楽しい事すればいいんじゃない?」
「………。」
「…あとはねー、付き合っちゃう…とか?」
「はぁっ!?」
突拍子も無い孝宏の発言に思わず陽介は身を乗り出してしまう。
「どうして、そういう思考になっちゃうんですか?」
「いやー、そういうことも多くない?近くに居ると好きになっちゃう…とか?」
「同性だったらどうするんですか?」
「んー、いいんじゃない?」
「………。」
相談する自分が馬鹿だった、と陽介は後悔した。時々見せる真面目さは嘘なのではないかと目の前の人間を疑う。
「まあ、でも相手が受け入れてくれないとどうしようもないけどね…。」
「………。」
「その友達も陽介君のこと受け入れてくれるといいね。」
「………。」
おそらく孝宏はこの話の主人公は陽介だと見破っている。でも、陽介は最後まで気づかない振りをした。
「……そうそう、店長がまた暇なときにアルバイト頼みたいって。」
雰囲気が重くなった事を敏感に反応した孝宏はわざとトーンを少し高めに話し出した。
「ファンみたいな子が居るらしいし…。」
「…その話…嬉しいんですけど……俺、来月リサイタルで…。」
「うそっ!?…どこでやるの?」
前の会話なんてもう忘れてしまったかのように、孝宏は陽介のリサイタルの話に食いついてきた。
その瞳はきらきらと輝いていて、宝物を見る子供のようなまなざしだ。
「…小鳥遊さんって、音楽、興味あるんですね。」
「まあね、ちょっとピアノやってたし。」
「………。」
「…なんだよ、俺がピアノやってたら意外なのかよ。」
孝宏は少しむくれたようにそっぽを向いた。
陽介は慌てて謝ったが、孝宏の機嫌は直らなかった。
「………。」
「…聴きたいな…。」
「………。」
沈黙が続く部屋の中で陽介はポツリと呟く。
孝宏がどんな演奏をするのか興味津々だったが、思い切ってお願いすることもこの雰囲気じゃできなかったので、誘うように言葉を選んでみた。
「……じゃあ、条件付で。」
「……何?」
その言葉に孝宏も反応し、気持ちがこちらを向く。
「…俺の演奏聴いたら、学校に行くこと。」
「ぅ……。」
孝宏には陽介がズル休みしていることとっくに判明していた。
「いいね。」
「………。」
ニコリと笑う孝宏をどついてやろうかと陽介は思ったが、大人しく頷くことにした。
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こんばんわ。お久しぶりです。
学校の卒業考査も今日終了して、久々の更新です。
女性向け作品です。
…いやー、BLって難しい…っすね。
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