No.190555

紅魔館と向日葵と門番と

東方の二次創作

紅魔館の紅美鈴が主役?
東方で二次を初めて書いてみた。書いたのは一年前。
う~む、ラストがやっつけだっただろうかと反省。

2010-12-19 19:43:07 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:949   閲覧ユーザー数:893

 

 空には厚い雲が広がる。

 重く大粒の雨が降りしきり、世界は灰色に塗り潰された。

 そんな中、紅美鈴は深くスリットの入った深緑のチャイナドレスに身を包み、門柱に背を預けた格好で立つ。その門の奥には紅い花々が咲き乱れ、そして更に奥には窓の少ない、紅い建物がそびえ立っている。

 編み笠を軽く上に上げ、美鈴は空を見上げた。太陽がどこにあるのかも分からない。今が何時なのかということは、それから窺い知ることは出来ない。

 雨が冷たい。これが雪に変わるのも、そう遠くない話だろう。

 美鈴は軽く溜息を吐いた。

 寒い。視界は悪い。雨音でそれ以外のほとんどの音も掻き消える。門番をするには最悪だと感じる日だ。

 ただ、だからといって周囲への警戒を怠る様な真似はしない。紅魔館の外周すべては彼女の領域であると言わんばかりに、彼女は気を張り巡らせている。それは彼女にとってあまりにも日常的で、意識すらせずに行える作業だ。むしろ、悪条件だからこそ彼女は神経を研ぎ澄ませる。

 ふと、美鈴は視線を空から地平へと戻した。視界の左下隅に何かが入ったような気がした。

(……人間?)

 いや、気のせいだろう。

 紅魔館は人里から離れた湖の畔にある。しかもここは古くから妖怪が闊歩している場所だ。そんなところを人間が訪れることなどほとんど無い。こんな天気の日ならば尚更だ。

 瞬きをして、改めて目の前を見てみる。森の中にいたと思った人影は消えていた。

 それとも、妖精か何かだろうか。以前、妖精メイドの一人から、光を操って姿を隠すことの出来る妖精の存在を聞いたことがあった。もっともそんな妖精ならばこの館にとってさして驚異にもならないだろうが。

 だが、自分がたかだか1町(約109 m)程度先のものを見間違えるというのも少々腑に落ちなかった。

 しかしどれだけ目をこらそうと、雨で霞んだ視界の中に人影は見付けられなかった。

 やはり気のせいだったのだろうか?

 軽く頬を掻いてそう思い直す。

(え?)

 水しぶきの音に、美鈴は目を見開く。

 人間だったなら、雨音に紛れて聞き取れなかったかも知れない。しかしそれは間違いなく水たまりを踏んだ足音だった。

 しかも、それは門柱を越え館へと続く庭園の中から聞こえた。

 あり得ない話だった。

 この館の主人は吸血鬼。夜行性のため日中に起きていることはほとんど無い。しかも流水を弱点とする彼女はこの雨の中を出ることはない。

 主の友人である魔法使いもまた、年中地下図書館に篭もりっきりで、館から出るなどという真似はしない。

 妖精メイド達も外に出る用事は無いはず。

 しかし、それよりももっと徹底的にあり得ないことがある。

 邸内にいる気配は、館の住人のそれではない。

 つまりは、それは侵入者だということ。

(馬鹿なっ!?)

 だが、そんな疑問を考えている状態でもない。

 美鈴は振り向いて館を見る。

 その入り口へと向かって、銀髪の少女が足を進めていた。

 美鈴はその場を蹴る。そして門柱へと跳んで次は門柱の角を蹴り門の中へと飛び入る。

 その勢いのまま、彼女は己の最速で飛翔した。紅く長い髪が宙に舞う。見る者がいれば、それはまさしく雨を切り裂く紅い疾風だった。

 背後から迫り来る気配に、少女が気付く暇もない。

 美鈴が少女に気付いて、彼女は果たして何歩進むことが出来たかどうか。

 ものの数秒後には、美鈴は少女の背後に降り立っていた。

「止まりなさい」

 美鈴が右肩に手を置くと、少女がびくりと震えるのが彼女の手から伝わった。

 それもそうだろう。ついさっきまで無人だったはずの庭園で、突然肩を掴まれたのだから。それも気配もなく。

「申し訳ありませんが、お嬢様の許可無く紅魔館への立ち入りはご遠――」

 警告は最後まで言えなかった。

 長年の経験から、予感じみた反射で美鈴は上半身を捻る。

 その直後、つい数瞬前まで美鈴の眼球が存在していた空間を銀の刃が貫いた。

(しまった)

 その僅かな虚をついて、少女の肩が美鈴の手から外れる。

 ついさっきまで、少女は確かに無手だったはず。それが、無いと思っていたナイフを投げつけられ不意を突かれた。手品にしては質が悪い。

 死角という意味では脇腹を刺してきた方が成功率は高かっただろう。しかし、少女は躊躇無く声だけを頼りに背後の顔を狙った。

 美鈴は妖怪だ。眼球を貫かれたくらいなら、時間は掛かるが再生できる。だが人間ならば? 間違いなく致命傷だ。

 つまるところ、少女は相手を殺すことに躊躇が無い。そして、その技術に不安も無い。

 まるでナイフを避けることそのものが一連の動作であったかのように、流れるように美鈴は少女に対し半身になり構える。

 美鈴に振り向くのと同時、少女は彼女に腕を振るう。

 初撃で美鈴を仕留めることが出来なかったことが気に入らないのだろう。少女の軽い舌打ちが美鈴の耳に届いた。

 いつの間にか、少女の右手にはナイフが握られていた。

 下段から、美鈴の腕の隙間を縫うように彼女の胸部――心臓を目指して刃先の狙いが定められ、そして弾かれるように突き進む。

 しかし、正確な狙いであるということは読みやすいということでもある。

 美鈴の腕が少女の腕に触れる。

「っ!?」

 美鈴の狙いが分かったわけではない。しかし、少女は理由もなく恐怖を感じて腕を引っ込める。

 勘に過ぎない行動だったが、それは正解だった。あと一寸も腕を伸ばしていれば、美鈴は少女の腕を外に弾き、そのまま左腕を伸ばして拳を彼女の顔に叩き込んでいたことだろう。

 事実、右腕が僅かに逸れ、少女の鼻を美鈴の拳がかすった。

 それでもなお、少女は攻撃を続けてくる。

 そして、美鈴は少女の繰り出す突きをすべて捌いてみせた。捌くだけではない。多くの武術の動作がそうであるように、美鈴の繰り出すものもまた攻防一体。少女の攻撃はそのままカウンターとなる。

 正直、美鈴は目の前の少女を大したものだと思った。

 大抵の人間ならば、最初に拳を交えた瞬間に勝負は決する。例えそれを回避できたとしても、数回も打ち合えば力量の差に心が折れる。精神が擦り切れて隙を生み、その隙を突かれて敗北する。

 美鈴の守りは鉄壁。破ることが出来ない。それどころか僅かな隙で致命的なダメージを返されることになる。そんなイメージを叩き込む。打ち合えば打ち合うほど、勝てる気が失せていく。

 美鈴は特別な力を使っているわけではない。まさしく、人間という短い生では到底到達出来ない錬磨と習熟の差に過ぎない。

 得物の有無など、少女と美鈴にとっては無いに等しかった。

 しかし少女は、気付けば一分以上は美鈴と渡り合った。そして、ぎりぎりのところで美鈴の攻撃を避け続ける。綱渡りの連続の様な攻防。分かる者ならば、それを短いとは思うまい。

「ふ~っ。ふ~っ」

 唸るかのように低く荒い息が少女の口から漏れる。顔も青白い。

 少女の攻撃を受け流しながら、美鈴は少女の瞳を見る。長い時を経た氷のように蒼い。それは狂犬の瞳だった。自分以外に誰も信じていない、冷たい瞳。

 美鈴はふとそこに、折れない心の理由を垣間見た気がする。

(でも流石に限界……かな)

 息の荒い少女に対し、美鈴の呼吸は全く崩れていない。

 それは僅かな隙だった。少女が一呼吸息を整えるという、たったそれだけの隙。

 だがそれだけで美鈴を相手にするというには致命的な隙だった。

 少女の瞳が驚愕に染まる。

 それまでは主に受け手に回っていた美鈴が、踏み込む。

 巨岩が落下したかのような衝撃が美鈴の足下から広がった。

 それが瞬きも出来ないような刹那の瞬間の出来事だと誰が信じられる?

 美鈴の拳を少女の柔らかい感触が包み込むのと同じく、少女の体がくの字に折れ曲がる。

 そのまま、少女は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。焦点を失った眼を開いたまま、ぴくりとも動かない。

 冷たい雨が少女に降り注ぐ。

 美鈴は改めて少女を見下ろす。それはまだ、成長期に差し掛かったかどうかというくらいに幼い……人間の少女だった。

 空は雲一つ無い青空が広がっている。

 森の切れ目の奥では澄んだ湖が輝いていた。

 紅魔館。湖の畔にひっそりと佇む、吸血鬼達の紅い住処。

 その門柱の前で、紅美鈴は項垂れる。

 彼女の目の前で、銀髪の少女が目を釣り上げていた。

「美鈴? あんたって娘は……また……」

「あ~う~」

 そんなことで許してくれるわけが無いというのは分かっているのだが、それでも美鈴は苦笑いを浮かべる。

 あまりにものどかな天気だったので、ついうとうとしていたところ、おやつを持ってきてくれた咲夜に見付かってしまった。

「これでもう、今月に入って何度目だと思ってるの?」

「すみません」

 咲夜は心底呆れたと言わんばかりに、大きく溜息を吐く。

「何かあったの?」

 少しだけ心配するような視線に、美鈴は曖昧に笑う。

「……いえ、何もないです」

「ならいいんだけど。……というか、ある意味全然よくないんだけど」

 じろりと、より一層鋭くなった視線を咲夜は美鈴に突き刺した。

「しっかりしなさいよ? 次また居眠りしてたら、おやつ抜きにするからね?」

 そう言って、咲夜は手に提げたバスケットを美鈴に突き出す。今日のおやつはスコーンだった。

「はい、すみませんでした」

「それじゃ、門番の仕事よろしくね」

 美鈴は咲夜からバスケットを受け取り、彼女手を振って館へと戻るのを見送った。

 何度もおやつ抜きとか言いながら、結局今日もこうしておやつを作って渡してくれる辺り、優しいというか甘いというか……。美鈴は苦笑する。

 

 

 紅魔館の庭園には、冬を除いて常に薔薇が咲き乱れている。色はほとんどが真紅か、赤系統の花だ。これは館の主人の好みということになってはいるが、ひょっとしたら主自身が吸血鬼は紅いものを好むものだという考えに囚われているだけではないだろうか、などと美鈴はたまに思うことがある。

 門番の仕事もそうだが、それらの薔薇の世話もまた美鈴の仕事の一つだ。むしろ、一日中ただ立っているだけの門番より、日々成長していく薔薇の世話の方が彼女にとって充実感を与えていた。

 荒事を好まない性格というのも、花の世話の方が性に合っている気がする。

 館の入り口近くの花壇に、如雨露で水を遣る。

「あーあ、咲夜さんもなあ。どうしてこう頭が固いんだろ」

 ちょんちょんと、開きかけの蕾をつついてぼやく。

「……まさかあの子がこんな風になっちゃうなんて」

 咲夜が物取りに紅魔館へ押し入ったのが数年前。確かにここが普通の館だったなら、彼女の持つ時を操る能力によって、昼も夜も関係なく金品を盗むことは容易であったことだろう。だが、ここは吸血鬼の住む館で、門番もまた規格外の存在だった。咲夜はあっさりと美鈴によって取り押さえられた。

 身動きの取れなくなった咲夜を美鈴が看病する生活が続いた後、咲夜は行く当てもないというので館にメイドとして住み着くことになり、今に至っている。

「美人に育って、でもって紅魔館の中を切り盛りできるようになったのはいいんだけど……もうちょっとこう……うん、真面目すぎじゃないかなあ」

 人里では紅霧異変と呼ばれている、主が起こした異変。その後、紅魔館も広く知られるようになった。それはつまり紅魔館という場所が持つ力の強さも知れ渡ることになり、紅魔館に手出ししようという存在、つまりは野盗や低級な妖怪が手出ししなくなってきたという結果を導いた。

 ここが紅魔館だと知っていて、それでも手を出そうというのはよほどの命知らずか馬鹿以外に他ならなかった。

 つまるところ、美鈴にとって敵はいない。美鈴に敵う相手が襲ってくるなどということはもはやあり得なかった。

 博麗霊夢や霧雨魔理沙といった人間は美鈴にしてみれば格上の相手ということになるのだろうが、彼女らもまた美鈴の敵ではない。レミリア・スカーレットやパチュリー・ノーレッジの友人だ。

 スクープ狙って突撃してくる射命丸文なども、それはそれで排除する驚異であるが、紅魔館が壊滅するような類の驚異ではない。

 それでなくとも、仮に……美鈴が敗れることがあったとしても、館には彼女以上の実力者達が控えている。美鈴が多少居眠りしたところで、紅魔館はどうにかなるような場所ではないのだ。

「別に、いいじゃない。こんなにもいい天気なんだから……あんなに睨まなくても」

 咲夜は人里に出れば何人かは見とれるような美貌ではあるが、いかにもクールビューティ然とした印象が強いだろうと思う。実際のところは、優しく温かいところもあるのだが……そう、おやつを作ってくれたりとか。だけど、やはり睨むとその顔の作りと物腰も相まってかなり恐い。怒ると本気で恐い。

「咲夜さんも笑うと可愛いと思うのになあ」

 頭の中で咲夜の笑顔を想像し、美鈴は苦笑する。にこやかな笑顔と怒った顔のギャップが面白かった。

「美鈴。花の具合はどう?」

 不意に背後から声を掛けられ、美鈴は振り向く。

 漆黒の日傘を差したフランドールが立っていた。

「おや、妹様ではないですか。まだ陽も高いですけど眠ってなくてよろしいのですか?」

「うん。ちょっと今日は眠れなくてね。散歩」

 そう言って、フランドールはにかっと笑みを浮かべる。どうやら今日はご機嫌がよろしいらしい。

「そうですか。花の具合は見て頂いた方が早いと思います」

「うん」

 花壇の脇に近寄り、フランドールは美鈴が水を与えていた薔薇に目を向ける。

「もうすぐ、咲くのかな?」

「そうですね。この様子ならあと二、三日というところだと思います」

「きっと綺麗に咲くわね」

「だといいのですが」

 苦笑を浮かべる美鈴の下で、フランドールもまた先ほど彼女がそうしたように蕾を軽くつつく。

「ううん、絶対に綺麗に咲くよ。だって、美鈴が手入れしているんでしょ? 雑草とか虫も付いてないし、葉っぱも綺麗だし」

「そうですね。花は手を掛ければそれだけ応えてくれるので、私も世話のし甲斐があります」

「うん、見れば分かるよ。美鈴がここの花をとても大切に世話しているって」

 花を褒めて貰うのは、素直に嬉しかった。

 美鈴にとっても、この薔薇の園は誇りであったから。

 花に興味を持たない人間であったとしても、ここの庭園の薔薇には、少なからず心が揺れ動くことだろう。それほどにまで、ここの薔薇は生気に溢れていた。

「妹様も、花はお好きですか?」

「うん。花はここのものしか見たこと無いけど、美鈴の花は綺麗だから」

「妹様?」

 笑みを浮かべるフランドールの表情に、僅かに寂しさが混じるのを美鈴は見逃せなかった。紅魔館から外に出ることを許されない少女は、長く生きてはいるけれど、まだ薔薇しか見たことがない。

「では妹様は、他にはどのような花がお好きですか?」

 美鈴の質問に、フランドールはしばし虚空を見上げる。

「うーん、好きっていうのとは少し違うかも知れないけど。……向日葵を見てみたい」

「向日葵ですか?」

「そう、前に魔理沙が遊びに来たときに言ってたの。ちょっと前まで花があちこちで咲いていたことがあったって。それでそのときに花を操る妖怪のところで一面の向日葵が咲いていて、とても綺麗だったって。私の髪の毛を見ていたら思い出したとか言っていたから、どんな花なんだろうって……図書館で絵は見たんだけど……」

 それを聞いて、美鈴は軽く頷く。

「分かりました。では今度から向日葵も育ててみますね」

「え? いいの?」

 フランドールは振り向いて美鈴を見上げる。その視線の先で、美鈴がにこにこと笑顔を浮かべていた。

「ええ、楽しみにしていて下さい」

「うんっ!!」

 フランドールは目を輝かせて頷いた。

 

 

 今日もまた、青空が広がっていた。

 穏やかな風と時間が流れていく。

 森の奥で輝く湖を眺めながら、美鈴は大きく欠伸する。

「……平和だなぁ」

 春から夏へと移っていくこの季節。絶妙な陽気が美鈴の眠気を誘った。

 虚空を見上げると、鳶が優雅に舞っていた。

 軽く嘆息する。

 庭園の世話もある。しかし、今日もまたこうして無為に時間が過ぎて、一日が終わるのだろう。

 そんな日が何日繰り返されてきたのか。そして自分は、そんな日をこれからどれだけ繰り返していくことになるのだろう?

 日がな一日、こうして毎日門の前に立っているだけ。

 その役目も、紅魔館を脅かす脅威が存在しない以上、無意味だ。

 外敵の存在を望むつもりはない。平穏な日々こそ、かつて自分が求めていたものでもあった。

 けれども、目の前に映る光景が……流れていく時間が酷く色褪せていくように感じてしまう。

「何やってるんだろ? 私」

 そんな呟きに、誰も答えない。

 静かに風と時間が流れていくだけ。

 ふわりと美鈴の細く長い髪が宙に舞う。耳に掛かったそれを彼女は軽く直した。

 ふと、フランドールの顔が思い浮かぶ。

 長い孤独の時間を少女は過ごした。その境遇に自分を重ねるのは不敬だろうか。

「そう言えば、向日葵が見たいって言っていたっけ」

 今日はレミリアも咲夜もいない。主は博麗神社に遊びに行き、従者はその共をしている。彼女らが出掛けるときはいつもそうであるように、今日もまた夜にならないと帰らないのだろう。

 拳を握り締め、軽く湧き上がる罪悪感に別れを告げる。

「……別にこれくらい……いいよね」

 彼女は守るべき門を離れ、足を人里へと向けた。

 ほんのちょっとの暇潰しのつもりだった。

 けれど、久しぶりに覗く人里……その繁華街は活気に溢れていて、つい長居してしまった気がする。

 喧噪の中にいる。たったそれだけのことに心が躍った。

 八百屋に並ぶ野菜や魚屋に並ぶ魚を眺めるのが楽しかった。

 色々と売り物を眺めて歩いた。結局、目的のもの以外には何も買いはしなかったけれど。

 移動は主に空を飛んでいたので、そこにそれほど時間は掛けていない。街にいる間もなるべく早足で移動していた。一応、出歩く時間は短くするつもりだった。

 持ち場を離れたのは大体一時間半くらいだろうか。

「……え?」

 紅魔館の上空から庭園を見下ろすと、館の入り口近くで数人の妖精メイドが集まっていた。何をするわけでもないが、どこか慌ただしい。

「何これ?」

 庭園の一角が凍り付いていた。

 何があったのかはよく分からない。けれど、自分が目を離した隙に何かが起こったことは確かだ。

 逃げ出したい気持ちを抑え込み、美鈴は慌てふためく彼女らの傍へ降り立つ。

 その足音に妖精メイド達はびくりと震え、美鈴に目を向けた。その視線が彼女を非難しているように感じて、美鈴もまた罪の意識に苛まれた。

 改めて花壇に目を向ける。入り口から門柱へと続く花壇の薔薇がいくつも氷漬けにされている。それどころか土に霜柱も立っていた。

「これ……どうしたんですか?」

「美鈴さんこそっ!! どこに行っていたんですか? 湖から氷精がやってきて、花壇を滅茶苦茶に。……見かけた私達が取り押さえようとしたけど、歯が立たなくて……。美鈴さんを探したけどどこにもいないし」

 透明な氷に包まれた薔薇の花は、見ようによっては花の美しさをそのまま閉じ込めたようで、ある意味では綺麗だと感じる者もいるかも知れない。おそらくチルノもそんなことを考えてこんな真似をしたのだろう。

 しかし、同時にこの花々はもう死んだのと同じだ。この花壇は全滅と言っていいだろう。

 美鈴は妖精メイド達に目を向ける。

 彼女らの服もあちこちが凍り付き、それどころかところどころ破れていた。

 チルノはもういない。歯が立たないという話だったが、多勢に無勢ということで逃げ出したのだろう。

 だが実際に、チルノは妖精の中では力量は上位の存在だ。湖一帯に住む妖精の中では彼女に敵う存在などいないと言っていいだろう。妖精メイド達が苦労したのは想像に難くない。

「……ごめんなさい」

 美鈴は俯き、彼女らに謝罪する。

 

“ねえ、どうして薔薇が凍ってるの?”

 

 その声は小さく、しかしその場にいた誰の耳にもはっきりと届いた。

 いつの間にか館入り口の軒下に、フランドールが立っていた。目を見開いて、彼女の顔もまた凍り付いたかのように無表情だった。

「誰が……誰がこんなことしたの? ここの薔薇は美鈴が毎日一生懸命にお世話しているんだよ? それなのに、こんな真似して……」

 抑揚の無い声に、沈痛な面持ちで美鈴は答えた。

「申し訳ございません妹様。私が目を離した隙に侵入者がやってきまして、そいつにやられました」

 きゅっとフランドールは両手を握り締め、俯く。

「何よそれ。そんなの酷いよ。だってこの薔薇は美鈴が大切にしていたんだよ? 私も大好きなんだよ? それなのにこんな真似するなんて、許せない。美鈴が……美鈴が……大切に……っく……してた……のに……」

「……妹様」

 ぽたぽたとフランドールの双眼から涙がこぼれ落ちた。

 幼い少女の肩が震える。

「酷い……許せない。ふぅっ……くっ……うぅ。許さ……ない。絶対……許さない。美鈴の薔薇を滅茶苦茶にして……許さない。そんな奴、私も滅茶苦茶に……許さない、許さない、許さないっ!! 絶対にっ!! 許さないっ!! 私もっ!! 滅茶苦茶に……滅茶苦茶に、滅茶苦茶にっ!!」

「妹様?」

 フランドールを除き、ぞわりとした悪寒がその場にいる全員の背筋を駆け上る。

 大気が震え空間が歪み、色彩が反転したかのような錯覚を覚える。

 フランドールの息が荒い。

「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」

 膨大な魔力の本流がフランドールを中心に渦巻き始める。

 その様子に美鈴、そして妖精メイド達の血の気が引いた。

「ユルサナイソイツバラバラメチャクチャユルサナイバラバラメイリンバラユルサナイバラバラユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイバラメイリンバラメチャクチャユルサナイユルサナイユルサナイメイリンユルサナイバラバラ……バラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 狂気が爆ぜる。

「駄目ですっ!!」

 吹き飛ばされそうな魔力の暴風に美鈴は跳び、フランドールを抱き締める。

「そこのあなた、急いでパチュリー様をお願いっ!!」

「は、はいっ!!」

 美鈴に指を指された一人が館の中へと消える。

「ぐ……ガ……あ、あ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「駄目です。お願いですから落ち着いて下さい妹様っ!!」

 悲鳴混じりの美鈴の腕の中で、フランドールが藻掻く。

「駄目です……駄目ですよ。妹様。私のことなら……」

 靴が地面を擦る濁った音が響く。

 それが意味するものに、美鈴は戦慄する。

「妹様、まだ外は陽が高いんです。そのまま出たら、灰になってしまいますっ!!」

「美鈴さんっ!!」

 その場に残った妖精メイド。あと四人。彼女らも慌てて美鈴の背後に手を当てる。はっきり言って彼女らの力では焼け石に水のようなものだが、それでも無いよりはマシだ。

 破壊、殺戮……それは妖の本質として吸血鬼が悦びを得るところだ。それ故か、ありとあらゆるものを破壊する能力を持つフランドールは、その本質へと精神が振れやすい。その情緒不安定さのため、彼女は生まれてから何百年も地下に閉じ込められてきた。

 だが、それだけが彼女の一面ではない。

 大抵は花を愛で、姉を慕い、遊ぶことが好きなごく普通の……心優しい少女だ。

 しかし今、その情緒の安定が崩れてしまった。

「くっ…………うううぅぅぅっ!!」

 ざりっという音と共に、再び美鈴達は後退する。同時にフランドールは一歩足を進めた。

「お願いです。お願いですから……落ち着いて下さい」

 美鈴は確かに、そこらの妖怪に比べれば一線を画した力を有している。だが吸血鬼に比べれば格下の存在に過ぎない。生まれ持ったものが違う。

 力のすべてを出して美鈴はフランドールを押さえ込むが、足止めとして……どれまで保つことか。

 ゆっくりと、だが確実に美鈴達はフランドールによって押されていく。一歩、また一歩とフランドールは、決して出てはならない陽の下と進んでいく。

 行き場のない力のうねりが荒れ狂い、館の壁にヒビを生んでいく。少しでも気を緩めれば美鈴も妖精メイドも瞬時に粉々になってもおかしくはない。

 あと何秒保つことだろう?

 自分で限界だと思っていたところなんて、とっくに越えていた。そんなものをとっくに越えたところで、自分の力が底を尽き始めているのを美鈴は自覚する。

 それでなくとも、あと数歩でフランドールは外に出てしまう。

 また一歩フランドールが前に進む。

 とうとう、美鈴の左脚が日光の下に出てしまった。

 暖かい日の光を感じて、美鈴の目から涙が零れる。

 状況はもう、絶望的だった。

 あとたった一歩か二歩でフランドールはこの世から消滅してしまう。もう二度と美鈴達に笑顔を見せてくれることもなくなってしまう。

 人里で向日葵の種を買ってきた。背の高いもの、背の低いもの、いくつもの花を咲かせるもの。色々な向日葵を見て貰いたくて、何種類かを買った。それを見せることが出来なくなってしまう。

「お願い。妹様……お願いですから……っく……。嫌……嫌あああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 涙、絶叫と一緒に美鈴は残り少ない妖力すべてを放出する。

 そしてまた、フランドールは一歩足を踏み出していく。

 そこで、美鈴の意識は闇に溶けた。

 目を開けると、銀髪の少女の顔がそこにあった。

 蝋燭の明かりが部屋の中を照らしている。

(私の……部屋?)

 何故自分かここにいるのか、よく分からない。それに、どうして咲夜もここにいるのだろう?

 体が妙に軽い。軽快に動くという意味ではなくて、自分の体が空気か何かになったかのように希薄に感じられる。力が入らない。

「気が付いたのね。よかった」

「咲夜……さん?」

 名前を呼ぶと、ほっとしたと咲夜は息を吐いた。

 何があった?

 ここに至るまでの話が、自分の中で繋がらない。だってついさっきまで自分はフランドールと一緒にいたのだから。

(妹様?)

 そうだ、ついさっきまで自分はフランドールと一緒にいたはずだった。自分が持ち場を離れた隙に氷精が庭園を荒らして、それを見たフランドールが暴走して……。

 美鈴の瞳が大きく見開かれる。

「妹様っ!! 妹様はっ!? 咲夜さん、妹様をっ!!」

「妹様は無事よ美鈴。安心して」

 慌てて起きあがろうとする美鈴の肩を押さえつけ、咲夜ははっきりとそう告げる。

「……無事? 無事なんですか?」

「ええ、間一髪だったそうよ。妹様が外に出る寸前のところで、パチュリー様が魔法で妹様を眠らせたの。気を失ったあなたと、妖精メイド達が勢い余って押し倒したものだから、後頭部にたんこぶが出来ちゃったけどね」

「それ、本当ですよね?」

「ええ、本当よ」

 フランドールが無事。

 無事だった。そのことを何度も頭の中で繰り返す。十回も繰り返したところで、ようやくそれを事実だと認識できた。

「無事……だった……んですね? よ……かった。よかった……です」

 深く……深く美鈴は息を吐いた。

「あの。……妹様のご様子は?」

「さっきも言ったたんこぶ以外に、何も問題ないわ。パチュリー様の魔法で明日まではずっと眠ったままでしょうけど、起きたときには全部元通りでしょうね。今はお嬢様が様子を看ているわ」

「そうですか」

「あなたも明日は休むといいわ。お嬢様もそう言ってる。妖力を使い果たして動けないでしょうから」

「…………はい」

 力無く、美鈴は頷いた。

 安心するのと同時に、自分がしでかしたことの大きさを実感する。

 涙で視界がにじんだ。

「何か食べる? リンゴでよければ剥くわよ?」

「いえ、いいです」

 とてもそんな気分にはなれない。

 職務怠慢で妖精メイド達に迷惑を掛けて、あまつさえフランドールを危険にさらしてしまった。

(本当に自分は……何やってるんだろ?)

 情けない。

 こうして咲夜にまで迷惑を掛けてしまって……。リンゴを剥いて貰うとか、休みを貰うとか、そんな優しさが心を苛む。いっそ罵倒された方が気楽な気がした。

(私なんて、そんな価値無いのに)

 それに比べて咲夜はどうだろう? 彼女が紅魔館に来たのは数年前。人間として十~二十年程度しか生きていない。それなのに、いつも完璧に仕事をこなし続け、紅魔館の中を切り盛りしている。

「咲夜さんは……凄いなあ」

「何が? というか、突然何を言い出すのよ?」

 目の前の少女が、美鈴には眩しかった。

「私みたいに仕事をさぼったりしないで、いつだって完璧で瀟洒で……」

「そうかしら? 魔理沙を捕まえられなくて、私もパチュリー様には猫度が足りないって言われるんだけど。それに、お嬢様にもいつも何か変なことしているとか言われるわよ?」

 咲夜は苦笑を浮かべる。

 けれど、それもまた美鈴には謙遜にしか見えない。

「どうして、咲夜さんは毎日そうやって手を抜かずに仕事が出来るんですか?」

「そうね。きっとそれは……私にとって紅魔館のみんなが家族だから……でしょうね」

「家族、ですか?」

「ええ」

 咲夜は頷く。

「ねえ、美鈴は覚えている? 私がここに来たときのこと。立場は逆だけれど、あのときもこんな感じだったわね。私がここに盗みに押し入って、美鈴にやられて、身動きが取れなくなって看病して貰って」

「そうでしたね。……あのときはごめんなさい。咲夜さんが人間離れしていたので、ちょっと力加減を間違えてしまいました」

「それはあのときにも謝って貰ったからいいわ。元はと言えば私が悪かったわけだしね。確かに、子供も生めない体になっていたらどうしようって、ちょっと恐かったけど」

「ほえ? 咲夜さん、誰か好きな人でもいるんですか?」

「どうしてそういう話になるのよ? ……いないけど」

 人間がそもそも彼女だけ、そして女しかいない紅魔館に入り浸ったままで、そうそう浮ついた話が生まれるはずもなかった。もっとも、咲夜も特に出会いだとかそんなものを望んでいたりはしないのだが。彼女自身、自分はまだ花より団子だと思っている。それでなくとも、自分の能力を……生い立ちを顧みれば、そうそうそんな相手などいるはずが無いとも思う。そんな期待はしていない。

 彼女が人里に買い出しに出掛けるとき、彼女の姿に見とれる男達はそんなこと知らないだろうが。……知ったなら、どれだけ勿体ないと思うことだろうか。

「あのときも言ったと思うけれど、私は……ここに来るまで、ずっと独りだった。人の中で生きていくっていうことに見切りを付けてたわ。信じるものなんて何もない。ずっと独りで生きていって、そして死んでいくって思ってた」

 警戒心の強い野生動物が捕らえられても餌に手を付けようとしないように、その当時の咲夜も美鈴の出した食事になかなか手を付けようとしなかった。

 それほどまでに、少女は心を閉ざしていた。

「美鈴の口添えで小間使いとしてここに住むようになって、私は初めて他人と一緒に住むっていうこと……家族と一緒に住むっていうことの温かさを知ったわ。だから私は、ここに住むみんなのために、私の出来る限りのことはしていきたいって思ってる。ただ単に私がここのメイドだからとか、そんなのじゃなくてね。美鈴から見て、私が真面目に見えるのはきっとそれが理由じゃないかしら」

 照れくさそうに、咲夜は微笑む。

 その微笑みとは対照的に、美鈴は表情を翳らせる。

「あのとき、私もまだ小さかった咲夜ちゃんに言ったことがありました」

 美鈴は力無く、布団から右腕を抜いて手の平を額の上に置いた。咲夜に視線は合わせない。天井を見上げる。

「私もそうでした。ここに来るまではずっと独りで……ここに来て初めて他人と一緒に暮らす温かさを知ったんです。そんなことも忘れてました」

 美鈴は唇を歪め、どこまで自分は落ちたのだろうかと、暗く自分を嘲笑う。

「咲夜さんは、どうしてこんな事になったのか知っているんですよね?」

「妖精メイド達に聞いた程度のことはね」

「……チルノがここに来たとき、私は人里に行っていました。昨日、妹様が向日葵の花を見てみたいって仰っていたので……どうせ誰も来ないだろうから、少しくらい大丈夫だろうって思ったんです。どうせ私なんかがいなくても紅魔館には何も問題は無いって。確かにフランドール様の喜ぶ顔が見たかったという気持ちもありました。でも、それも言い訳ですね。休みを貰って、そのときに行けば良かっただけの話です」

 たとえどんな理由があったとしても、持ち場を離れていい訳がない。無論、美鈴もそんな事は分かっていた。自分でもどうかしていたと思う。

「妹様、薔薇の花を見て凄く悲しそうな顔をしていました。私は……私は、紅魔館を脅かす敵とかそんなのじゃなくて…………そうじゃなくて……まだまだ、他にも守るべきものがあったんですね」

 そんな簡単なことにも気付けなかった。

 そんな当たり前のことを忘れていた。

 どこまでも自分が嫌になる。

「私は……紅魔館の門番として、失格ですね」

 哀れみや慰めを誘うつもりではなく、本当に心の底からそう思う。

 そんな美鈴に咲夜は溜息を吐いた。

「ねえ美鈴? あなたは紅魔館のことをどう思っているの?」

 その問いに美鈴は答えられない。

 言いたい言葉はある。しかし、それを口にする資格は自分にはない。それが口惜しくて美鈴は唇を噛む。

 いつまで経っても答えようとしない美鈴に、咲夜は彼女の本心を抉りだした。

「胸を張って言いなさい。『紅魔館のことを大切に思っている』って」

「そんな……こと。言えるわけない。言えるわけ無いじゃないですか。本当に大事に思っているなら……いたならっ!!」

 堪えていた涙が、頬を伝う。

「言い訳だとしても、あなたは妹様のことを思っていたから向日葵の種を買いに行ったんでしょ? 妹様のことが大切だから、今こうしてベッドで横になるほど体を張って止めたんでしょ? それが紅魔館のことを大事に思っている証拠じゃなくて何だって言うの?」

「…………そんなの……別に……。でも……それだって、そもそも私が……悪いんですから」

 頑なに自分を責め続ける美鈴に、咲夜は優しい口調で続けた。

「確かにそうかも知れないわね。でも美鈴? 妹様はどうしてあなたが世話した薔薇が荒らされてそんなに悲しい顔をしたと思う? 妖精メイド達はどうしてチルノに立ち向かっていったと思う? 一歩間違えればあなたごと消滅させられかねないのに、あなたの背中を押して妹様を抑えるのに協力したと思う?」

「それ……は……」

「決まってるじゃない。みんなあなたのことが大切だからよ。そしてそれも、あなたが紅魔館の家族だから……あなたが紅魔館のみんなのことを大切に思っていることを知っているからよ。紅魔館に相応しくない門番だったなら、誰もそんな真似はしないわ」

 美鈴に反論は出来なかった。

 自分で自分を苛むための理屈を頑なに固持しようとするけれど、その言葉が思い浮かばない。咲夜の優しい言葉に流されていく。

 流されてしまうのは、咲夜の言っていることが正しいからではないか。そんな考えが思い浮かぶ。それに流されるのは悪いことだろうか? 肯定と否定の感情が鬩ぎ合う。

 自分は甘いのかも知れない。けれど、このまま自分を苛み続けて得るものが何も無いというのも確かだ。

 自分のしたことを忘れるつもりはない。けれど、それに囚われ続けていくことも間違っている。フランドール、妖精メイド達、咲夜。彼女らの思いを否定することも出来ない。

 ゆっくりと、咲夜の言葉が……美鈴の心に沁みていく。

「…………はい」

 美鈴は小さく頷いた。

「ねえ美鈴?」

「何ですか?」

「寂しい思いさせて、それに気付かなくてごめんね」

「……え?」

「さっき言っていたじゃない。『どうせ私なんかがいなくても』って」

 そんな言葉が出るのは、自分の存在が揺らいで価値が見出せなくなっているときに他ならない。

「そうですね。自分でも、こうして咲夜さんに言われるまでは気付いてませんでした。本当に私ったら、気付いてなかったことばかりですね」

 美鈴は自嘲混じりの苦笑を浮かべた。

 簡単な話だった。何もかもが本当に単純な話だった。

「でも、もう大丈夫です」

「そう?」

「ええ、私が咲夜さんやみんなのことを想っていて、みんなも私のことを想っていてくれてるっていうこと。……ちゃんと、思い出しましたから」

 涙を零しながらも、それでも久しぶりに心から美鈴は笑顔を浮かべた。

 青いワンピースを着た氷精は唇を尖らせる。

「ちぇー。どうしてあたいがこんなことしなくちゃいけないのさー」

「何言ってるの。この前うちの花壇を滅茶苦茶にした上に妖精メイド達にまで迷惑掛けておいて。無駄口叩いてないで手を動かしなさい」

 花壇が滅茶苦茶になったその二日後、美鈴は朝の早いうちから湖に行きチルノを捕まえた。

 勿論抵抗したが、美鈴に敵うわけもなくチルノはあっさりと御用となった。

 そういうわけで、チルノは自分が荒らした花壇の土をせっせとシャベルで掘り起こし、ならしている。

 結局、全滅させられた薔薇はすべて刈り取られた。当分は紅茶やお風呂、その他諸々で薔薇尽くしの日々が続きそうである。せめて有効活用はせねばなるまい。

「そうそう、さぼったりするとどっかーんってバラバラにするからね? こんな具合に☆」

「分かった。分かったからー」

 美鈴の横で漆黒の日傘を差したフランドールが白い歯を浮かべ、持っていた小石を粉々に砕く。それはどちらかというと、猫がネズミを見付けたときに浮かべるような笑顔だった。

 美鈴がチルノに責任をきっちり取らせるというので、それならいいかとフランドールの気も落ち着いた。

 それまで薔薇が植えられていた花壇は、今度から代わりに美鈴が買ってきた向日葵が植えられることになった。それもまたフランドールの機嫌がいい理由の一つだろう。

「美鈴、妹様。お茶が入りましたよ」

 館の中からお盆とティーセットを持って咲夜が現れる。

「わーい」

 花壇の前で、汗を流しながらチルノが歓声を上げる。

「言っておくけど、あなたの分は無いわよ?」

「えー?」

 一瞬、喜びの表情を浮かべたチルノだったが。美鈴に言われてあっさりとその希望は打ち砕かれた。不満いっぱいに頬を膨らませる。

 まあ、だだをこねて仕方ないので、結局ちょっとだけおやつを分けることになったのだが。

「ねーねー、咲夜。今日のおやつは何?」

「稀少品ですよ」

「わーい。私の好物ね」

 姉と同じく、妹も稀少品が好物だった。ちなみに、咲夜が持ってきたクッキーは黄色だった。美鈴には何が入っているかは分からない。妖怪でなかったら食べられるのだろうか?

 フランドールが喜んでいるので、ならそれでいいやと思うが。

 美鈴は空に視線を向ける。

 今日も青空が広がっていた。

 紅魔館は今日も平和だった。夏にはきっとこの花壇の一角はいっぱいに向日葵が咲き誇ることになるだろう。

 

 ―END―

 

 

 
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