Color4
時が流れ、季節は変わる。
しかし日常は変わることなく陽介達の間を通り過ぎてゆく。
「……お前、なんか変わったな。」
「そうかな……?」
悠一がふとつぶやく。
「うん。……なんか明るくなった。」
「…そんなに俺って根暗だったの?」
「ほら。自分のことも『僕』じゃなくて『俺』に変わってるし。」
「………。」
陽介は今まで気づいていなかった自分の変化に驚きを隠せないでいる。
サンドイッチを頬張りながら悠一は口をもふもふさせながら話を続ける。
「あれ…気づいてなかったの?」
「……うん。」
「まー、“灯台下暗し”って言うし?」
悠一はそこまで気にしている様子は無く、そんなこと忘れたかのように次の話題に転換する。
「そういえばさ、紗羅ちゃん元気?」
「え……?」
即座に華奢な後姿が陽介の脳裏に浮かぶ。
「いきなり…どうしたの?」
「いいや…お前の恋人がどうしてるか気になっただけさ。」
紗羅は今まで恋というものを知らなかった陽介に恋心を芽生えさせた少女だ。
そんな彼女を悠一が気に掛けること自体気に食わない。
「……なんでお前が、俺の彼女事を気にしないといけないわけ?」
「だってさ、最近会ってないだろ?」
「………。」
痛いところを突かれ、黙り込む陽介。
「忙しいのはわかるけど、気を遣ってやれよ。彼女なんだろ?」
「………。」
恋愛に関しては悠一の方がはるかに先輩なので、陽介はその言葉に従うことにした。
そして運命は廻りだす。
「………。」
屋上で一人の少女が長い髪を風になびかせながら、夕焼けに染まるビル街を眺めていた。
彼女の脳内には一人の少年がいて、こちらに笑いかけていた。
「………。」
橋口紗羅は完璧主義者だ。
そして恋人である陽介はそんなこと一切気づいていない。
「……最近、元気ないけど……なんかあったの?」
「ううん……大丈夫だから…。」
陽介の中で紗羅は〈可憐な少女〉で通っているらしく、何かと気に掛ける。
紗羅も紗羅で、そのキャラクターを演じ続けている。
「…ところでさ……。」
「ん……?」
陽介はいつもの様子からは想像つかないくらい会話にキレがなくなっていた。
陽介の恋愛のレベルは下の下に等しいものであった。だが、そんなことは彼女は気にしない。
紗羅は焦らずに言葉を待つ。
「…今度、演奏会があるんだけど……。」
「うん。」
「来ない?……あ、忙しかったらいいんだ。」
「………。」
紗羅は陽介の積極的な態度に敏感に反応する。
神憑り的な音楽感覚に、素晴らしいセンス。それだけでもなく、何をやらせてもそつなくこなしてしまう―――これこそ紗羅が探し求めていた存在だ。
そして、それ以上に自分に自信が無いというところも彼女は買っていた。
完璧な人間が自分の掌のうちで舞っている優越感がたまらなく愛おしかった。
それが今、崩されようとしている。
「……ごめん、忘れて。」
「………。」
何も返答がないことに慌てて陽介は言葉を訂正した。
そんな様子、紗羅にとってもうどうでもよかった。むしろ陽介のことなんて一瞬にしてどうでもよくなった。
彼女はほんの些細なことでも自分の思い通りにならないと気が済まない。そして一気に熱が冷める。
「……紗羅……?」
陽介もようやく紗羅の異変に気付いたのか、振り返って紗羅を見た。
とっさに紗羅は冷めた表情を作り変えて陽介の中の〈紗羅像〉を演じた。
「……え……っあ、ごめん。」
「…やっぱり、なんか変だよ?どうしたの?」
「なんでもないよ……。」
「嘘だ。…なんかあっただろ?」
「っっっ!!。」
いつもだったら一言二言で引き下がるはずだったのに、今日は様子が違った。
いきなりの陽介の変化紗羅の心がついていけなくなった。
「……ねえ、陽介……。」
頭の中から陽介の存在を抹消する。
名前から、声から、すべて。
「……私たち、もう終わりにしよう。」
「……何を……?」
陽介の顔がみるみる内に青ざめていくのがわかる。
でもそんなこと紗羅にとってはどうでもいいことだった。
目の前にいる人は知らない人、何も知らない、そう自分に言い聞かせて彼との最後の会話をした。
「前から思ってたんだけど、私と陽介は釣り合わないんだよ……だから…。」
「………。」
「ごめんね……我儘言っちゃって……。」
そう言い残すと紗羅はいきなり駆け出した。
絶望に満ち溢れた陽介は彼女を追いかけることもできず、その場に立ち尽くす。
紗羅は一回も振り返ることなく全力で走った。
次にその足が止まる時、彼女の脳裏には先程の少年はもういない。
里中雄一は高校生になってから一度も彼女を作ったことはない。
時々馬鹿っぽいことはするが、勉強も運動も人並み以上にできてそしてなにより人がいい。
そんな人間が高校3年になるまで彼女の一人や二人作らないなんて、陽介の失恋をきっかけに学生内に話題が広がる。
「……俺の話はもういいだろ…?なんかお前も話せよ。」
『………。』
時は昼休み。
悠一は珍しく学校を欠席した陽介と連絡を取っていた。
もちろん陽介が欠席した理由も承知の上、こうして携帯を耳に当てる。
「(…初めての恋が終わった時が一番最悪なんだよな……。)」
『俺…もう駄目かも……。』
「おい!!何言ってるんだよ?これが最後の恋じゃないだろ?」
恋愛経験者として、初めて実った恋が終わった瞬間の辛さをしる男は全身全霊を込めて陽介を説得する。
「(…しかも初恋だし……尚更ヘコむよな…。)」
『なあ…悠一…。』
「ん?なんだよ?」
少しづつだが、元気を取り戻しつつあることを噛みしめながら悠一は慎重に言葉を選ぶ。
『俺、お前と友達でよかった…。』
「っっ!!…なんだよいきなり。」
いきなりの言葉の内容に息をのむ。
『だって、悠一が電話してくれなかったら俺駄目になってたかも…。』
「今も全然、駄目駄目だろ?」
『うぅ……。』
「あー!!ごめん、ごめん!今の訂正!!…立ち直れてきてる。」
少々冗談を交えつつ、かつ傷を抉らないように緩急をつけて会話を続ける。
『…俺にも待ってくれる人がいるんだな…って。』
「何をいきなり…。」
『いや、素直にそう思っただけ。』
電話越しに苦笑が聞こえ、悠一は少し安堵した。
「……お前、やっぱり変わったな。」
『え……?』
「うん……。変わった。大人になったよ。」
『………。』
「まあ、本質的なところは相変わらずだけどな…。」
悠一も素直に今の気持ちを素直に陽介にぶつけた。
『………。』
「………。」
二人の間を沈黙が埋め尽くす。
ひゅう、と風が悠一の間をすり抜けてゆく。
『なあ、悠一……。』
「ん?」
『俺のこと、待っててくれる?』
「ああ。」
『友達でいてくれる?』
「ああ。もちろん。」
二人の会話はもうこれで十分だった。
周りから見たら少なすぎるかもしれないが、二人にとってはもう十分だった。
「俺は、いつまでもお前の帰りを待ってる。……お前がいないとつまらない。」
『………。』
「……もう、昼休み終わるから切るけど……大丈夫か?」
『………。』
「切るぞ。」
『……うん。ありがとう。』
その言葉を最後に会話を終了させた。
陽介の『ありがとう』には力がこもっていて、悠一はもう大丈夫だ、と安心した。
「……いつまでも、『友達』か……。」
その言葉に少々納得がいかないのか、ぶつぶつつぶやきながら悠一は教室へと戻っていった。
「なあ、悠一。」
「あんだよ?」
午後一の気怠い雰囲気漂う教室で、悠一は背後から声をかけられる。
声の主はクラスメイトの藤堂彰だ。
「お前ってさ、彼女作らないの?」
「はあ……?」
「だってさ、お前のことだから告白とかされてんじゃねぇの?」
「んー……。」
悠一は記憶を探り、そういったことがあったと思いだす。
しかし、自分がどう対処したかまでは覚えていない。
つまりはどうでもいいことだった。
「されたような記憶はあるけど……断ったと思うよ。」
「……思うよ?…だと?」
「ん、あんまり覚えてない。」
「………。」
彰の羨ましげな視線は無視して悠一は言葉をつなげる。
「確かに俺は高校生活で彼女いたことねーよ。恋愛のピークは中学生かな……。」
「……ウソだろ?お前、好きな奴いるから断ってるんだろ?」
「………。」
「いんのか…?」
「好きな人ね……。」
悠一は窓の向こう側の景色をぼおっと眺めながら思考を巡らせる。
「かなうといいんだけどなぁ……。」
どこか他人事のようなその願いは誰に聞こえるわけでもなく、空しく空気中に分散した。
「……なんかいったか?」
「いいや。……ま、俺の理想の女性はいないかなあって……。」
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