「はふぅ」
思わずため息をつく、その人物。その原因は目の前の光景にあった。
贅の限りを尽くした、豪勢な料理の数々。同席している者たちは皆、杯を片手に大騒ぎをし、その部屋の中央では、華やかな衣装を身に纏った、見目麗しい少女たちが、華麗な舞を披露していた。
(こんなことをして何が楽しいのやら)
他にもっとすべきことが在りはすまいか、と。その人物は、お下げに結ったその自慢の黒髪をいじりながら、中ばあきれつつ、その情景を眺めていた。
「これはこれは殿下。楽しんでいただけておりますかな?」
「……そこそこにはの」
「ははは。これは手厳しい。お噂どおり、この手の席は苦手のご様子で。も少し、趣向を凝らせばよろしかったですかな?」
肉の塊。
そんな表現が、この男ほど似合うものは他にいないだろうな、と。その人物はそう、頭の中で思考する。
韓馥・字は文節。
その男は、最初の対面の時にそう名乗った。ここ、冀州は鄴郡にて、その人物の父から命じられて、太守を務めている人物である。
「……すまぬが、余は少し酔うたようじゃ。少々風に当たってくるゆえ、皆は気にせず宴を続けていてくれ」
そう言って、その人物は席を立ち、窓際のほうへと歩いていく。
「いや、これはこれは、殿下は下戸にございましたかな?では、誰ぞお傍に」
「よい。それよりほれ、あちらで誰ぞ呼んどるぞ」
「おお。これはお教えいただきかたじけない。それでは」
いそいそと走っていく韓馥の背を、冷たい目で見送りつつ、窓の外のバルコニーに出る。春先とはいえ、夜も遅い時間である。冷たい風が、酒で火照った体に染み込んで来る。
「……よい月じゃな。闇夜にありて、世を煌々と照らす、か。……人の世の闇も、同じように照らしてはくれぬものかの」
「……殿下」
「そなたか。して、調べはどうであった」
「は。事前の調べとも一致しました。……こちらを」
いつの間にか、そのバルコニーの陰に現れていた女性から、一本の竹簡を受け取り、目を通していく。
「……苦労であったな、彦雲。そなたにはいつも助けられておる」
「もったいなきお言葉」
「して。司徒はなんと言っておった?」
「……お早いご帰還を、と。それから、その」
「俗世など気にかけるなとでも、言うておったのだろう?いつものことじゃ」
ふふ、と。ためらいがちな風のその女性の変わりに、その台詞の先を読み、笑顔で言葉をつむぐ。
「ですが、叔父の言葉も一理あると思います。あなた様はいずれ、この国を背負う立場におられるのですから。……皇太子殿下」
皇太子、と。その女性が恭しく呼んだその人物。今上帝、後漢の十二代帝である劉宏の嫡子にして、次期皇帝たるその人。
劉弁、字を白亜。
今年で齢十八になる彼は、現在巡検使-皇帝の変わりに、大陸各地の様子を視察する役職-として、現在この地を訪れていた。
本来なら、皇太子ともあろうものが、そんな危険な役目を行うことは決してない。だが、彼の強い要望と、父である皇帝の、見聞を広めて来いという命(こちらはほとんどだまし討ちのような手で、綸旨を賜った)により、河北一帯のみという条件付のもと、例外中の例外として認められたのである。
「おぬしにも迷惑をかけるの。それに、父上にも悪いことをした。なにせ、泥酔中のところに、この話をもちかけたわけだしの。じゃが、余はどうしても、この目で大陸の現状を確かめたかった。漢朝も、高祖による成立より、すでに四百年。衰退期に入っているのは、誰の目にも明らかよ」
途中で言葉を区切り、劉弁は欄干にその背を預け、天を見上げる。
「じゃが、だからこそ、現状を何とか乗り切らねばならん。そのためにも、人づてではなく、自分の目と耳で、世間を見てみたかった。……じゃからの、彦雲」
そこでその視線を、彦雲、と彼が呼ぶ女性――漢の司徒・王允の姪である、王淩――に向け、
「も少しだけ、余のわがままにつきおうてくれ。このとおりじゃ」
と、その頭を下げた。
「……かしこまりました」「……すまぬ」
臣下に頭を下げる皇太子、などというものを、世間の者が見たらそれこそどう思うか。と普通ならば言うところであるが、この二人は幼いころからともにある、無二の親友であった。そういった垣根とは、正直無縁といって良いほどに。
「さて、と。そろそろ戻るとするかの。いつまでも席を外していては、太守めも」
と、言いながら歩き出そうとしたときだった。
「気でも違いおったか、貴様ら!!ここは貴様らの来ていい所ではないぞ!!」
韓馥のそんな怒鳴り声が、二人の耳に届いた。
「……何が起こった?……彦雲、そちは」
「は。”備えて”おきます」
「よしなにな」
フ、と。王淩の気配がその場から掻き消え、劉弁は宴席の場へと早足で戻る。そこでは、三人の女将が、数名の兵を引き連れ、韓馥に対して、今にも飛び掛らんとする勢いで、詰め寄っていた。
「いったい何の真似か、お前たち!?恐れ多くもここは、皇太子殿下をもてなす為の宴席の場ぞ!お前たちごときが、その足を踏み入れていい場所ではない!」
女将たちに対し、激昂してみせる韓馥。だが、
「そんなことは百も承知の上のこと。いえ、だからこそ、無礼を承知で、この場に参じた次第」
「せや。殿下に、ウチらの話を聞いてもらう為にな」
「そうです、韓馥どの。あなたと、そしてその側近の者達が行ってきた、非道の数々。それを殿下に知っていただく。今ほどその好機はないのですから」
そんな韓馥のことなど、一切気にも留めず、彼女たちはさらに詰め寄っていく。そんな彼女たちに対し、宴席に参加していたものたちは、ただの一人として阻止行動に出るものはいなかった。
そこに、
「これは一体、何の騒ぎか?」
劉弁がその姿を現し、そう問いかける。
「お初にお目にかかります、皇太子殿下。私は、徐晃。字を公明と申します」
「ウチは姜維。字は伯約にございます。殿下には此度の無礼、平にご容赦のほどを」
「私は徐庶。字は元直にございます。まずはこちらに、お目をお通しくださいませ」
三人が揃って劉弁に対して拱手をし、それぞれに挨拶を行い、それが済むや、徐庶が数本の竹簡を、劉弁に対して差し出す。
「……これは?」
「私どもが、ここに仕官してよりの一年間。必死になってかき集めた、太守・韓馥と、その側近たちによる不正、および罪状をまとめたものにございます」
「これを今日、この場に訪れることになっておられた殿下に、じっくりと目を通していただくべく、われらは行動を起こしました」
「そしてその上で、殿下に裁きを下して頂くために。……我々の、”罪”も含めて」
竹簡を徐庶の手から受け取り、その彼女たちを見据える劉弁。
「今まで、この者達の罪を知りながら、何もしてこれなかったウチらにも、大きな”罪”があります。その贖罪の一端に過ぎませんが、その証とも言うべき物。……是非に、お目通しを」
「……よかろう。ならばその”贖罪”とやらの中身、見させてもらおうかの」
「殿下!!このような下賎の者どもの言葉を、信じなさるのですか?!お父上より、この地の太守を直々に任じられた、この私を信用していただけないのですか?!」
劉弁に、必死の形相でそう叫ぶ韓馥。だったが、
「だまらっしゃい!余は、その父上より任じられた、巡検使である!疑わしきは調べ、真実を明らかにするのが、余の務めである!そなたは暫し、引っ込んでおれ!!」
その一喝で、韓馥は小さくなって、すごすごと引き下がる。その様子を、兵の中に紛れて見ていた、”彼”は、
(……凄いな。劉弁って言えば、確か次の皇帝だっけ?けど、暗愚な皇帝として有名だったと思ったけど、大したものじゃないか。……やっぱ、この世界じゃ、俺の常識は通用しないかもな)
と、劉弁のその覇気に、感心をしていたのであった。
そして、
「……なるほどの。これほど酷いとはな。税は通常の十倍。必要外の過酷な労役。物品の横流しに始まり、挙句の果ては罪無き者たちを囚人とし、その彼らに殺し合いをさせて、それを見物か。……あきれ果ててものが言えぬわ」
憤怒、憎悪、そして、嫌悪。
それらの入り混じった表情で、韓馥を睨み付ける劉弁。
「そ、そのようなことはすべて身に覚えのないこと!こ、こやつらのでっち上げに決まっております!!」
と、自己弁護をする韓馥であったが、
「……おまけに、往生際も悪いときたか。……ほれ」
ぽん、と。彼の前に、一本の竹間を劉弁が投げ捨てる。そこには、
「……こ、これは……?!」
「余のほうでも独自に調べさせた、お主らの罪状のごく一部じゃ。証拠もすべて、余の部下が抑えておる。……もはや言い逃れは出来ぬぞ?覚悟せい、文節よ」
「クウ……ッッッ!!……ならば、その覚悟とやら、してやろうではないか!!」
『何?!』
その目に邪悪な光を浮かべ、韓馥が不適に笑い出す。そして、その懐から一本の短刀を取り出し、
「この場で貴様を殺し!その罪をこの場にいる者全てに、擦り付けてやるわ!そうすれば、わしの地位は永遠に安泰よ!死ね劉弁!!わしの為に!!」
『しまっ……!!』
それは、慢心といってもよかったかもしれない。
皇族に刃を向ける―――。
まさかそんな行動に、韓馥が出るなどとは、徐晃たちは露ほども思っておらず。そして、刃を向けられた当人である劉弁と、彼を陰から見守っていた王淩にとっても、完全な油断。そして、失策だった。
「”これ”が、わしの覚悟じゃあーーっ!!」
劉弁が、韓馥の凶刃に倒れ―――、
る、ことは無かった。
「あ、あ、あ」
ぽた、と。
赤いしずくが床に落ちた。それは、血。流したのは、劉弁の前に躍り出て、韓馥の短刀を掴んだ、一刀だった。
「一刀!」「カズ!」「一刀さん!」
「そ、そなたは……?」
(うっそお~!?まさか、もう会えちゃったのお?!)
一刀のその行動に、思わず血相を変えて叫ぶ徐庶達と、思わぬ闖入者に、あっけに取られる劉弁(プラス一名)。そして、
「き、貴様は何者だ!?面妖な服を着よってからに!!この……?!ぐっ!?う、動かん!?」
握られているその短刀を、一刀の手から離そうと、韓馥が思い切りそれを引く。だが、それはピクリともしなかった。
「……あんたさ、今、覚悟、っつったよな?それは、人を一人殺すことに対するものか?それとも、その結果によって起こることに対しての、ものなのか?」
短刀の刃を掴み、うつむいたまま、一刀が、ゆっくりと言葉を紡いで、韓馥に問いかける。
「け、結果だと?」
「そう。皇太子を殺害したとなれば、その事実は隠そうと思ったって、隠しおおせるものじゃない。いずれは事実が発覚し、朝廷から討伐軍が送り込まれるだろう」
「……そうじゃな。いかな叔母上とはいえ、余が殺されたとなれば、必ずや真実を突き止めようとするじゃろうな。そして」
「事実が発覚した後、連座の刑が適用されて、この街に住む関係のない民たちが、巻き込まれることになるかもしれない」
連座の刑。つまり、犯罪を犯した者のみならず、家族や関係者も、同罪に問われる法。ましてや、被害者が皇太子ともなれば、事件の起こった場所に住む人々も、それに巻き込まれるかもしれない。
一刀のその考えに気づいた徐庶が、劉弁に続いて、その可能性を口にする。
「その時あんたはどうする?民を守るため、その身を犠牲にする覚悟があるのか?……俺が言いたいのはそういうことだ」
「ふん!何を言うかと思えば。そんなもの、わし一人で逃げるに決まっておろうが!!民などという雑草のことなど、なぜわしが気にせねばなら(ドグオッ!!)ごはあっ!!」
人間が、”縦回転しながら”飛んでいくという光景を、このとき始めて見た、とは、徐晃たちの言。
韓馥は、一刀のその拳で顎を砕かれ、部屋の扉のほうまで、吹き飛ばされた。その飛距離、およそ十メートル、といったところだろうか。
「……こんな奴が現実にいて、街を、人を治める立場に居る、か。これが、この世界の現実なんだな」
砕かれた顎を押さえてのた打ち回る韓馥を、まるで汚物を見るかのような目で見ながら、一刀はその手の中の短刀を、その場に投げ捨てた。
「一刀さん、血が」
「いいよ、輝里。このくらいの痛み、今まで街の人たちが受けてきた痛みに比べれば、蚊に刺されたほども感じないよ」
「一刀さん……」
自身に駆け寄り、その血が流れている手に包帯を巻きつけていく徐庶に、一刀が優しく微笑みかける。
「……殿下」
「……なにかの?」
劉弁の前にひざまずく一刀。その一刀を”あえて”、無表情のまま見下ろす劉弁。
「まずは、自己紹介を。私は北郷一刀、と申します。姓が北郷で、名が一刀にございます。字はありません。……巷には、”天の御遣い”と、そう呼ぶものも居ります」
「!!……そうか。そなたが、あのうわさの」
ざわっ、と。室内にざわめきがおきる。
「静まれ一同!……北郷、と申したな。なれば問う。そなた、自らが天の使いであること、証明できるか?」
その周囲のざわつきを、劉弁は一喝して治め、一刀に対して天の使いであることへの証明を求める。それに対し一刀は、
「明確に、それを証明できる証はありません。強いてあげるのであれば、私が着ているこの『ポリエステル』の制服ぐらいでしょうか」
と、頭を下げたまま、自身の服の袖にその手をやり答えた。
「ぽりえすてる、とな?ほう。確かに見たことの無い生地じゃな。ではさらに問う。仮にそなたが天の使いであったとして、だ。なぜ、この地に降り立った?民の苦しむ地であれば、他にも数多あろうに」
「それこそ、”天意”、としか申しようがありません。ならば今度は、こちらから問いかけたき儀がございます」
「……遠慮はいらん。申してみよ」
劉弁はこのとき、一刀の声の”質”の変化に気づかなかった。そしてその問いを、一刀はゆっくりと口にした。
……怒気の篭った、地の底から響くような、その声で。
「何ゆえ朝廷は、そして今上帝は、民の為に何の処置も講じてくださいませぬか?……私は、この地に降りてまだ、三日しか経って下りません。ですが、それでも民の窮状は十分に、痛感することが出来ました」
言葉を一度きり、一息吐く。そして、不遜を承知でその顔を上げ、劉弁にその瞳を向ける。
「街はあれ、人心はすさみ、怨嗟の声は増すばかり。……そんな世になってしまった、いえ、してしまったその”理由”が、一重にどこにあるか。……お答え、願えますか?」
「そ、それは……」
沈黙。
劉弁には、それを答えることが出来なかった。その答えは、”誰でも”知ってはいる。知ってはいるが、口にすることは出来ないのだ。
それは、己の父を、ひいては、漢そのものを、非難することになるのだから。
(……もしや、余を試しておるのか?……答えるか否かで、余に”器”と、”覚悟”があるかどうかを。……じゃが……)
どれほど時が経ったか。
劉弁が、一刀のその、蒼みがかった瞳をしばらく凝視した後、意を決して、その口を開いた。
「……その問いへの答えは、”今この場にいる余”では、答えることは出来ぬ。じゃが、これだけははっきりと誓おう。……余の代となった時、その時は必ずや、その理由を正す、と」
それが、今の劉弁に出来る、精一杯の返事であった。
「……御心、確かに承りました。無礼の段、ひらにご容赦のほどを」
す、と。一刀は再び平伏した。劉弁のその言葉に、一切の偽りの無いことを、一刀は確信をした。その、揺ぎ無い信念が篭った、彼の瞳を見て。
そして、その翌日。
巡察使としての権限を以って、劉弁は韓馥の冀州牧、および鄴郡太守としての地位を剥奪。百杖の棒罰ののち、洛陽へと送られることになった。
「おそらく、都で死罪が言い渡されるじゃろう」
と、劉弁は一刀にそう語った。……少々、複雑な表情で。
なお、韓馥同様、これまで散々やりたい放題にしてきたその側近達は、劉弁の配下である王陵の調べで発覚した、もろもろの罪により、その日のうちに、全員が極刑に処された。
そして、都から新たな勅が下るまでの間、一刀を鄴郡の太守代理に任じると、公に宣言した。
代理ではあるといえ、一刀は晴れて、鄴の新たな指導者となった。むろん、やるべきこと、解決すべき問題は、それこそ山積みではあるが、その先に待つ未来を平穏なものとするために、その心を改めて一つにする一刀たち。
そんな彼を、陰からこっそりと見守る、一人の人物が居た。
「……よかったわね、”ご主人様”。……いつか必ず、私もその輪に入って見せるわよん。……オトメの名に懸けて、必ず、ね。うふふふ。楽しみに待ってね♪」
そう言って、にっこりと微笑む、王淩であった。
「(ゾクッ!!)……なんか、すっごい寒気がしたような?」
「……風邪ですか?気をつけてくださいね、一刀さん」
「そーそ。何とかと、ねえさん以外は、気ぃつけんとな?」
「……由。後で覚えてろよ?」
~続く~
てなわけで、今回も恒例、あとがきコーナーです。
「ども~!輝里で~す!」
「由やで~!っと。さてと、んじゃ、いってみよか?」
さて、今回はどうだったでしょうか?
「まさかまさかの、命さん登場!ちょっとだけびっくりした」
「せやな。曹操はんあたりでも出てくんのかとおもとったけど」
後々の複線張りです。でもなー、うーん。
「どうかしました?」
いやね、ずいぶん先の話だけど、連合編をどうすっかなーと。以前のまんまってのも、芸がないしなー。う~~~~~~~~~~~。
「あ、自分の世界に入っちゃった」
「ま、作者はほっといて、次回予告と行きましょか」
「ついに一国一城の主なった、一刀さん」
「さまざまな目の前の問題に、これからどう立ち向かっていくのか?」
あ、次回は一応、半分拠点みたいな風になりますので、ご承知の程を。
「(あ、帰ってきた。ま、気にせずに)次回、真説・恋姫演義 ~北朝伝~ 序章・終幕」
「『運命始動(仮)』に、ご期待ください」
それでは皆さん、たくさんのコメント、お待ちしています!
『再見~!!』
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北朝伝、四話目です~。
輝里達の仲間になった一刀。
そして、鄴の街を訪れる、ある人物との出会い。
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