No.185764

虚界の叙事詩 Ep#.08「交錯」-1

巨大大国の裏で行われている、陰謀を追い詰める、ある諜報組織の物語です。
明らかになった陰謀の正体。その中心にいる者を捜索するため、主人公達は新たな任務を与えられます。

2010-11-21 14:10:26 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:328   閲覧ユーザー数:292

 

「真っ暗だぜ、何も見えねえ」

 

「待ってな、今、コンピュータの明かりを付けるからよ。ペンライトはあったんだが、さっき海に落

としたらしくてな」

 

「全く。こうも長い時間真っ暗の中にいたんじゃあ、たまったものじゃあないわね。闇に目が慣

れてしまって、突然明かりでも見たら、目がびっくりしちゃうわ。周りがどうなっているのかも分

からないし」

 

「ほらよ。だが、弱い灯りだ。それに、あまり大きな声も出すなよ。外に誰かがいるかもしれね

えからな」

 

「こんなに倉庫の奥の方までよ、一体誰が来るってんだ? 見回りの兵だっていやしねえぜ」

 

「何でもいいから、静かにしていなさい。うるさくしているとそれだけで、何が起こるか心配で仕

方ないわ。誰かに聞かれているかもって、思ってしまうからね」

 

「ああ、そうかい」

 

「コンテナの中ってのは、随分と狭いもんだな。荷物が一杯あるからそうなのかもしれねえが」

 

「ふう、とりあえず明かりは点けたぜ。だがよ、あんまり明るくはできねえ。誰かにこの場所がバ

レたりはしないようにしないとな」

 

「コンテナの中ってのは、無機質なものだな。別に面白いものも、何もありゃあしねえや」

 

「静かにしていなさいよ。そんな事の為に、この中に隠れたんじゃあないわ。そんな事よりも、こ

の中であと数時間も過ごさなければならないって事の方を心配した方がいいわよ?」

 

「そりゃあ、参ったぜ」

 

「どうする? 『ユリウス帝国』の情報でも集めて、気晴らしでもするか?」

 

「それは、気晴らしなんかじゃあなくって、仕事って言うわね?」

 

「それじゃあ、報告でもするか?」

 

「いつものように、盗聴やハッキングの心配でもしといたらどうだ? 『ユリウス帝国』の船だ

ぜ、誰かがここからのコンピュータ通信をハッキングでもしているかもしれねえ」

 

「そりゃあ、そうだが。俺の通信の暗号化は完璧だぜ」

 

「もしこの船でおかしな通信がされたって情報が回れば、わたし達が船の中に潜んでいるって

事がバレちゃうわね?」

 

「それも、そうだ」

 

「通信はお預けだ。前にいた街では、俺達がいたって事はバレたみたいだからな。その事自体

が、俺達の現在位置の報告になったかも」

 

「大事な事は、この船に乗り込んだのがバレないって事の方よ。それが大事、それが重要」

 

「確実に俺達が目的地に着ける事を、祈るしかねえって事か。疲れているってのによ、夜も眠

れもしねえ」

 

「さっきまで寝ていたのにか?」

 

「あんなの眠っているうちに入らねえぜ」

 

「とにかく、この中にいるのがバレねえようにしないとな」

 

「それだけか?」

 

「ああ、俺達が追っているって言う奴を見つけるって事だろ?」

 

「『ゼロ』、ね」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

エドモンセクター

 

11月21日

 

2:47 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

「それで、それで?あなた、その頭に来た人をどうしちゃったぁ?」

 

 絨毯の上にそのまま座っている沙恵は、人懐っこい口調で、同じような姿勢で座っている香

奈に尋ねていた。

 

「それで、あたし。凄く頭にきちゃったから、つい、手の平を焼いてあげちゃったの。かっとなっ

たから、思わずやっちゃったのかな」

 

 香奈の方は、少し答えにくそうな様子だった。

 

「あははは!それはやられた方も災難だったねえ」

 

 笑い声と共に沙恵は言った。

 

「でも、だって、沙恵も同じ立場だったら、同じ事をしていたと思う」

 

 すかさず香奈が答える。からかわれたかと思ったからだ。

 

「やれやれ、あれだけの任務だったってのに、今じゃあ、笑い話か」

 

 彼女達のやり取りを聞いていた一博は、独り言のように呟いていた。

 

 昨日、『NK』に戻ってきた、『SVO』の太一、香奈、一博と、登と沙恵を含めた五人は、一博

の自宅に集まっていた。

 

 雑誌やらが乱雑に置かれたリビングルームに五人は集まり、時を過ごしている。緊張感の無

い時間だ。彼らが任務についている時とは違う空気が流れている。尖らせ、張り詰めた空気で

はなく、リラックスした空気。

 

 それがたとえ、一週間以上も窓の開けられていないような、男の独り暮らしの部屋だったとし

ても同じだった。

 

 その空気を、ただじっくりと味わうかのように、ソファーに座り、くつろぐ一博。太一も隣にいた

が、彼は任務についている時とあまり顔が変わらないようだ。着ている服だって、ほとんど同じ

ようなもの。リラックスした隙というものを作りたくないかのようにも見える。

 

 やがて、

 

「ところで、一博君!あたし達、一体いつまで待っていればいいの?」

 

 突然、沙恵が一博の方に尋ねた。

 

 その一言が、緊張感の無い空気の流れを、少しだけ変えさせた。

 

「盗聴防止装置のセットが終わるまでさ」

 

 一博の代わりに、太一は沙恵に答えた。

 

「それって、一時間もかかったりするものなの?」

 

 そう尋ねたのは香奈だ。

 

「以前のものだったら、そうかからなかったさ。だが、それは『ユリウス帝国』に知られたし、盗

聴もされてしまった」

 

 リビングルームの中央に置かれていたテーブルの影で、まるで何かをあさるように動いてい

た登。彼は電話機をテーブルの中央に置きながらそう言った。

 

 一博の部屋に置いてあった黒い電話機は、配線やバッテリーなどのパーツが剥き出しのまま

取り付けられ、物々しい姿にされていた。その元が電話機だと言われても、それが分かるだろ

うか。かつての時代の無線機のような姿となっていた。

 

「なぜ、昨日の人達は、あたし達を放っておくのか、分からないものね。用心深く、かな?」

 

 香奈が、盗聴防止装置が取り付けられているという電話機を見ながら言った。

 

「泳がせる為、他の仲間と接触するのを待つ為、色々考えられる。放って置くのには何か意味

があると考えて、間違いないな」

 

 と、太一。彼はいつもながらの口調だ。

 

「盗聴もされているって事? それなのに、良くあたし達、こんな風に皆で集まったりできるよ

ね?」

 

 と、沙恵。

 

「おれ達、とりあえずここにいる5人の正体はバレているのは、昨日の事で明らかさ。だけど、

ここは『NK』であって、『ユリウス帝国』じゃあないんだ。何かできるかって言ったら、できる事は

盗聴ぐらいのものさ…」

 

 そう言う一博は、自分の改造された電話機を、まるで自分のものではないかのような物珍し

そうな目で見ている。

 

 彼の話す口調は、心配などまるでないといった様子だが、香奈は心配した。

 

「でも、昨日は? 原長官はあんな目に」

 

「原長官は『能力者』じゃあない。だから拷問できたんだ」

 

 登が香奈の心配を遮った。

 

「もし僕らを捕らえたいって言ったら、彼らはどうする? 軍の一個中隊を差し向ける…、いや、

それでも無理だって思っているだろう? そんな戦争まがいの事までは、『ユリウス帝国』には

できない。僕らはテロリストって事になっているけど、それはマスコミがそう言っているだけだ

し。

 

『NK』政府も原長官との関係を否定している。いや実際にも、無いわけだ」

 

 登は、今朝見たのであろう、テレビや新聞などの話をしていた。今のテレビでも目玉となって

いるニュースはただ一つ。先日、《ユリウス帝国首都》に対して行われたテロ攻撃に対する、原

長官の関与だ。

 

「原長官に残された時間は少ない。だが、この時間に電話してくれって言ってきたんだ。だ。だ

から、おれ達は電話する」

 

 一博が言い、彼は通話スイッチを押した。

 

「あの人が指定してきた、盗聴防止装置を使って?」

 

 沙恵が尋ねた。

 

「ああ、こういった事は登のお手のものさ。逆探知も、盗聴もできない。但し、数分の間だけだ

けどな」

 

 一博は、彼女の方は見ないでそう答えていた。

 

「番号は、原長官が僕だけに指定してきてくれたんだ。だが、この番号も、使えるのは一度きり

だって話だけれども」

 

 登はメモを取り出し、そこに書かれている番号を、電話機にプッシュした。

 

「この番号は、現在使われておりません。番号をお確かめの上、もう一度おかけなおし下さい」

 

「あれ?」

 

 香奈が電話のスピーカーフォンから聞いたのは、その声だった。

 

 しかし、困惑する仲間達を、登は制止する。

 

「いや、これでいいんだ。ここで、これを押す。その後に、23445だ」

 

 慣れたかのような手つきで、登は操作した。

 

 すると、通話音が鳴る。

 

「これって、確か、コンピュータにサイバー攻撃をしかけたりするんじゃあなかったのか」

 

 と、一博は登に尋ねた。

 

「ああ、その合図になるやり方さ。だが、原長官はこれで電話をかけるようにと言って来た」

 

 通話音はしばらく続いた。それが、またも何かの間違いをおかしたのではないかと思えるほ

どの時間が経つ。

 

 と、相手が電話に出る音がした。

 

 そしてやって来たのは、強いノイズ音だった。

 

「登か?」

 

 どこからか声が聞こえてきている、といった状態の声。

 

「原長官ですか?」

 

 登が電話先に尋ねた。

 

 しばらくのノイズが続く。やがて、

 

「ああ…、そうだ。私だよ…。このノイズは、仕方が無い、我慢してくれ…。盗聴を避けるはず

だ」

 

 ノイズと共に原長官は言って来る。電波の悪い所で電話を掛けているのか。それともそうで

はないのか。聞き取りにくい。しかし、言葉の意味は聞き取れる。

 

「はい、それは承知しています」

 

「盗聴防止装置の方は、完璧かね…?」

 

「ええ、ちゃんと設置して置きました。以前のものよりも強力なものです。でも、これを盗聴しよう

としている者がいたならば、これ切りしか使えないでしょう」

 

 物々しく電話機に取り付けられた装置を見ながら、登は答えていた。

 

「皆、そこにいるのか…?」

 

「はい。とりあえず集まれる者達は集まっています」

 

「ところで、原長官? 体の方は大丈夫なんですか?」

 

 割入るように沙恵が尋ねた。ノイズと小声のお陰で、原長官の声は具合が悪そうにも聞えた

し、どうのようにでも受け取れた。

 

「…。沙恵…。私の事は心配するな…。それよりも、君達に与える新しい任務の事を心配して

おいた方がいい…」

 

 と原長官は言うものの、あれだけの拷問を受けた昨日の今日。無事だとは思えない。

 

「新しい任務、とは?」

 

 すかさず尋ねたのは太一だった。

 

「そうだ。だが、この任務は、すでに君達に与えられている。新しく与える事になるのは、登と沙

恵の二人だ」

 

「と、言いますと?」

 

「一昨日前、《検疫隔離施設》より脱走した、コードネーム『ゼロ』という者を捕獲する事。それ

が新しい任務だ」

 

「捕獲?」

 

 聞き返すかのように登は呟いた。

 

「そう。捕獲だよ。君達はあらゆる手段を使い、『ゼロ』と名づけられた存在を追い、それを捕獲

する。それも、『帝国軍』よりも先に、だ」

 

 電話機の前に集まっていた五人はお互いの顔を見合わせる。原長官の言葉に聞き違いが

無いか、お互いがお互いを確認しようとする。

 

 答えは、一致だった。全員の表情が一致した。聞き違いは無い。

 

 登が確認を取る。

 

「原長官、あなたは今、指名手配中なのではないですか? だというのに、そんなに危険な任

務を指示して良いのですか? 再び『ユリウス帝国』に対して妨害工作をする事になってしまう

…」

 

「ああ…。だが、私も立派な犯罪者だ。議会の呼び出しを無視したからな…。元から出されてい

たのだろうが、本日付で逮捕状が出たよ。国家反逆罪という奴さ」

 

 それがどれだけの罪であるかは、皆が知っている。

 

「おそらくこれは、私が君達に与える最後の任務となるだろう…。私が幾ら行方をくらまそうとし

ても、いずれは捕まるだろう。そうなり、君達にとって不利にならないように、私は可能な限りを

尽くすつもりだ。だが、限界はある…。君達と連絡を取ることができるのもこれが最後になるか

もしれない…」

 

「最後の任務、ね」

 

 そう香奈は呟いていた。

 

「やれやれ」

 

 一博はそうため息を付く事で、動揺する自分を抑えようとしている。

 

「君達の事を知っているのは、私と、ごく一握りの人間しかいない。そして、君達の事について

全て知っているのは私だけだ。これから先、私は可能な限り君達を支援して行きたいが、それ

もやはり限界がある…」

 

 重々しい口調の原長官。

 

「自分達で、何とかします」

 

 そう一博が言った。一瞬の間の後、原長官は説明を続けた。

 

「…任務の完了後。君達はリーダーの隆文の指示に従う。そうする事で、『ゼロ』を私が極秘の

方法で引き取る」

 

「それで、今、『ゼロ』はどこにいるのか、とか、全く分からないんですけど…」

 

 と、困惑した様子の一博。

 

「それならば今、隆文達が追跡している所だ。彼らから連絡を受ける事はできないし、連絡する

事もできないが、『ゼロ』を追い続けているのならば、『帝国軍』の動きを読めば分かる。今、お

そらく隆文達は『チャオ公国』へと向かっている所だ」

 

「『チャオ公国』ねぇ」

 

 沙恵が呟く。

 

「そう、それも、『チャオ公国』の、極南部。『帝国軍』が、内戦、干渉戦争後も未だ進駐をし続け

ている場所。そこだ。だから、ただ、の方法で行く事はできない。君達は、潜入を行わなければ

ならない」

 

「方法はありますか?」

 

 登が電話先に尋ねた。通話スピーカーから聞えてくる雑音は、さっきよりも酷くなってきてい

た。原長官の言葉も、途切れ途切れになっている。

 

「君達は、明日の午前四時、《ロッテ港》、七番埠頭へと、向かえば良い。私が、最後の任務の

為の、準備をさせた、人物に接触してくれ」

 

「人物?」

 

「あ、ああ…。だが、その者は、私の事は信頼しているはず、だが、君達の事は、詳しく知らな

い」

 

「分かりました。その人物に接触すれば良いのですね?」

 

 再度確認したのは太一だった。

 

 雑音が更に酷くなって来る。今にも電話が切れそうだという事を予感させる。

 

「そろそろ時間切れ、だな。これ以上の会話は危険、だ」

 

「原長官、ご無事をお祈りしております」

 

 沙恵は、今にも切れるという電話先に、そのように言葉を送った。

 

「ああ、君達も、気をつけてくれ…、そして、『ゼロ』を捕らえてくれ…」

 

 そして、原長官のその言葉を最後に、電話はプッツリと切れてしまった。

 

 後からやって来るのは、一定のリズムの通話終了音。スピーカーフォンからは、しばらくその

音が鳴り続けている。

 

 誰も、その通話終了ボタンを押そうとはしない。しばらくの間、それが鳴り響いている。無音の

中、その音が、余計に5人の沈黙の深さを強調した。

 

 だが、やがて、その沈黙に耐えかねたかのように、香奈は、

 

「原長官、逮捕されちゃうの?」

 

 心配と共にそう言っていた。

 

「確かにそう言っていたからな。いずれ、そうなるだろうな、だが、原長官の最後の言葉、思わ

せぶりだったな」

 

 と、一博が電話機の通話をオフにしながら答えていた。

 

「『ゼロ』を捕らえてくれって、まるで危険なものを阻止させたいかのようだ」

 

 登が一博に答えた。

 

「でも、逮捕されちゃうとなると、やっぱり、それは、気の毒というか、報われないって気がする。

ここまでして、あたし達を支援してくれているっていうのに。でも、そうなったら。そうだ! あたし

達、あたし達」

 

「どうしたの?」

 

 香奈が、何かを思い出したかのような慌てぶりを見せると、沙恵は心配した。

 

「あたし達、失業しちゃう!」

 

 どうでも良い事。彼女以外の皆が見せた表情だったが、思い返してみれば、その通りの事。

 

 だが、沙恵は、

 

「香奈、あんた、緊張感無さ過ぎ」

 

 と言って、彼女をあしらってしまうのだった。

 

 

ロッテ港 7番埠頭

 

γ0057年11月21日

 

4:13 A.M.

 

 

 

 

 

 

 

 人々がまだ起き出してこないくらい早い朝。日も昇って来てはおらず、『NK』の街並みはとて

も静かだった。とても人口が1000万を遥かに超える街だとは思えないほどに。建物のところ

どころに残業の明かりこそ点ってはいたが、それらは廃墟のような無機質さで静かだった。

 

 その街の中心街、中央省庁の建物や、大企業の本社ビルのある『NK』の中心部から南へ少

し行った所に、《ロッテ港》という港がある。

 

 毎日、多くの貨物船がここに来航、出港し、海の外からやって来る物資を荷降ろししていく。

飛行機が音速を超え、実用化と世界的な普及がされる事で、空の旅客需要は船のそれを圧

倒し、客船はほとんど見られなくなってしまった。だが、相変わらず貨物の大量輸送の部門で

は活躍を見せている。というのは『NK』であっても変わらなかった。

 

 そしてその港の一角、一つの埠頭に置かれている貨物コンテナ群に紛れて、『SVO』のメンバ

ー、太一、香奈、一博、登、沙恵の五人は姿を現していた。

 

「原長官はこの港のこの埠頭にある人物がいると言っていたが、どこだ?」

 

 五人の先頭を歩く登が呟いた。彼は上着のフードを目深くかぶり、後の四人を先導している。

 

「あの日、いつも肝心な所を言ってくれないからねぇ。どこのどこら辺のものを探して、だとか」

 

 沙恵は、少し大きな声で言っていた。

 

 遠くの方で、深夜に来航した貨物船の荷降ろしが行われでいる。だが、そこからは5人の位

置はコンテナの死角になっていて見えない。5人は港の一角の塀を乗り越え、不法にここに侵

入している。誰かに遭うわけにはいかなかったが、このコンテナ群の中に人影や気配はまるで

無かった。

 

「それに今回の任務だって、具体的な事は何も言ってくれなかったしね」

 

 香奈は、沙恵に答えるかのように呟いた。

 

「静かに。そこの角に誰かいる」

 

 と、突然太一が言い、喋る2人を制止した。すると途端に5人は警戒心を強め、暗闇の中に

気配を隠そうとした。

 

 香奈は前方の気配を肌で感じようとした。すると暗闇の中にコンテナとまだ何か、さっきまで

は何もなかったように思えた場所に、人の気配がある。さらに香奈や、他の仲間達は警戒心を

強めた。

 

「君達が、『SVO』か?」

 

 前方の暗闇から男の声。あまりに突然で、しかも自分達の事を知っているので香奈は心臓

が止まりそうになった。

 

「そう言うあんたは誰?」

 

 香奈の側にいる沙恵が、暗闇の中にいるであろう人物に尋ねた。

 

「私は、あの方、原長官を支持する者だ」

 

「信用できないな」

 

 用心深く登が言った。

 

「そうは言っても、時間が無いぞ。早く私についてくるんだ」

 

 そう言って、男はコンテナ群の奥の方へと足早に歩いていく。5人はついていくのを少し躊躇

したが、全員が顔を見合わせて頷くと、同じように足早に彼の後についていった。

 

 男についていった5人は、やがてコンテナ群を抜けて、港の岸壁へとやって来た。そして岸壁

の縁に立った男は、5人の見ている前でゆっくりと、黒く光る海の上を指差した。

 

 その時香奈は、港の遠い所からの夜間照明の光で、男の横顔を見る事ができていた。

 

 彼は30代の男、短い髪に、真面目さと教養のありそうな顔立ち、身長は登より高く、太一よ

り低いくらい。原長官の支持者と言っていたから、彼の政治事務所ででも働いているのだろう

か、政治関係者を思わせる見事な背広を着ていた。

 

「それはバイクよりも操縦が簡単な潜水艦だ。目的地をインプットすれば、ほとんど自動的に連

れていってくれる」

 

 男によって指差された海面を5人は見た。そこには、マンホールほどのサイズの、蓋がされ

た金属の筒が水面下から突き出していた。色々な太さのパイプや、香奈にとっては意味不明

なものまで見えたが、それはすぐに潜水艦のハッチだと分かった。

 

「これを、俺達にくれるのか?」

 

 と、警戒心を少しも緩めない太一が尋ねる。

 

「ああ、そうだ」

 

「何の為に?」

 

「原長官からの任務を遂行する為に決まっているだろう?」

 

「潜水艦の操縦は久しぶりだから、そういうシステムだと助かるぜ…」

 

 太一と男との会話の中、ほっとした様子で一博が言った。

 

「あんた誰だ? なぜ僕達にこんな事をしてくれるんだ?」

 

 登が注意深く男に尋ねた。尋ねられた男は、背後にいる彼の方を向きもせず、港の遠くの方

で輝いている照明の方に目を向けたまま、

 

「私は、原長官の支持者だという事しか言えない。この潜水艦を用意するのだって、かなり危

険な事だった」

 

「という事は、あたし達は早くこの潜水艦で目的地に向かった方がいいってわけだね」

 

 沙恵がそう言うと、他の4人はうなずき、男が見守る中、全員が潜水艦でその場を後にした。

5人は彼にもうそれ以上、質問をしなかった。

 

 

 

 

 

メルセデスセクター NK国

 

5:28 P.M.

 

 

 

 

 

 太一達が潜水艦で『NK』を後にした、その1時間ほど後。

 

 『NK』の中心街、中央省庁や大企業の本社ビルが建つ、ビル街には、東の彼方から、まだそ

の姿を、完全には地上へと現していない太陽の光が射し込み始めていた。大通りにはぽつぽ

つと人が歩き始めていたが、まだ廃墟のように静かで、空気もひんやりとして清々しい。

 

 その曲線形の建物が建つビル街から少し離れ、海を望む事のできるエリア、マンションの並

ぶ新興開発地帯。そこにある一つの地下鉄駅の入り口から、ランニングウェアのフードを目深

く被った男が現れた。原長官である。

 

 いや、彼はもう長官ではない。彼は就任していた地位、防衛庁の長官からはすでに免職にな

ってしまっている。彼自身はその解雇通知のようなものを見ていないが、彼は今では、テロリス

トを従えて他国の利益を害したとされる、立派な大犯罪者なのだ。

 

 当然、防衛庁の長官は、代理を務めていたものが現在では長官職に就いているだろう。だ

が、そっちの事の方は彼にとってすでにどうでも良かった。防衛庁に保管してあった『SVO』の

全ての情報はディスクに移し、すでに持ち運んである。今も大事に肌身離さず持っていて、防

衛庁に『SVO』の情報は一つも残っていない。

 

 これからの防衛庁は、その引き継いだ者が引っ張っていけば良い。

 

 そして、『SVO』に関してはごくごく一握りの者にしか全ての真相を知らない。だからその点は

安心していいだろう。

 

 『ユリウス帝国』ですら、『SVO』について知っている点は暖昧な所が多い。彼らに辿り着くまで

はどれほどかかるだろうか。

 

 だが、彼のすべき仕事はそれで終りではなかった。彼には行くべき所があった。しかし、指名

手配中の彼は、外に出歩く事さえ危険だ。

 

 テレビのニュースでは大々的にこの事件が報道されている。彼はここまで地下鉄を使ってや

って来ていたが、その中吊り広告、今では光が織り成す画面がスライドしながら動いているハ

イテクの宣伝機器。の週刊誌の広告には、まるで彼が悪の王者であるかのような書き方をして

あった。敵は政府関係者や警察だけではなく、すれ違う全ての人々が敵なのだ。

 

 だが、彼には行くべき所がある。でも無闇に出歩くのは危険だから、このように一般の人間と

寸分違わない服装をし、普段は利用しない地下鉄を利用してここまでやって来たのだ。地下鉄

に乗るのは何年ぶりだろうか、いつもは運転手付きの政府の官車に乗っているから、とてもぎ

こちない気分だった。

 

 やがて、かつては原長官と呼ばれていた男、今ではただの原隆作という男は、ある高層マン

ションの玄関口ヘと入って行く。そこで彼はエレベーターに乗り、29階、このマションの上層階

まで登った。そして誰もいない廊下を、ある一室の前までやって来ると、さっきからずっとせわし

なく小走りさせていた足を止めた。

 

 原隆作は、その部屋の扉の前で一呼吸置き、辺りを見回して見る。自分以外にそこには誰も

いない。何の物音も聞こえず、空気の流れる深い音だけが聞こえていた。そのせいか、高層マ

ンションの廊下が、彼の目にはとても無機質な空間に映った。

 

 やがて彼は、自分の足を止めた部屋のインターホンを押す。扉の横には島崎という表札が

掛かっていた。

 

「はい、どなたでしょう?」

 

 少しして男の声がスピーカーから聞こえてくる。隆作は自分の深く被っているフードを少しだけ

頭から脱がせ、答えた。

 

「私だ」

 

 インターホンの先の男は何も答えず、代わりに少し時間が経ってから玄関の扉が外側に小さ

く開いた。そして中から一人の男が、注意深く顔を覗かせる。

 

「さあ、早く中に入って下さい」

 

 言われた通りに隆作は、速やかに扉の中に入った。彼が入ると、中にいた男は廊下の様子

を少し伺った後、玄関の重い扉を、ほとんど音を立てないように閉める。すると、隆作は少し安

心したように、ジャンバーのフードを脱いだ。

 

「島崎君。私の頼みごとは済ませてくれたか?」

 

 島崎、と呼ばれた男は、フードを脱いだ彼の方を見たまま、

 

「ええ、無事に終えました。しかし原長官、そう言った話はコーヒーでも飲みながらゆっくりとしま

しょう」

 

 と言って、隆作を部屋の奥、ソファーセットの置かれたリビングルームまで案内して行った。

 

「どうぞ、お掛けになって下さい」

 

 島崎という男は、隆作を一つのソファーに座るよう促した。

 

「随分と、良いマンションに住んでいるな?」

 

 ソファーに座りながら隆作が言った。

 

「これもあなたのおかげですよ、原長官」

 

「島崎君。その長官と私を呼ぶのは止めてくれ。私はもう防衛庁の長官ではない。ただの人

間、いや、正式には犯罪者なんだからな」

 

 隆作は否定的に言う。だが、島崎と言う男は彼の手を取ると、彼の目を尊敬のまなざしで見

つめた。

 

「長官、私にはそんな事はとてもできません。私はあなたの事を、とても尊敬しています。私は

かつてあなたにお世話になった。あなたが今の私に至るまでを導いてくれたんです。あなたの

している事を、たとえ他人が非難するような事があっても、それは正しい事だと言う事ぐらい分

かります。ここまでするのには何か理由があるんでしょう、私などに話せないような理由が。で

も、あなたのする事は今までいつも正しかった。そして、これからも。長官、あなたはいつまでも

私の原長官です」

 

 島崎がそう言ってしまうと、隆作も彼も、何か話しにくそうな様子だった。だが、やがて、

 

「コーヒーを入れてくれるんじゃあなかったのか?」

 

 隆作の方が話の矛先をそらした。

 

「そうでした」

 

 バツの悪い顔をして島崎は隆作の手を放し、リビングルームの奥にあるキッチンヘと入って

行った。残された隆作は、フード付きのランニングウェアを着たまま、座り心地の良いソファー

に深く身を埋め、ガラスのテーブルを見つめた。彼はそこに今朝の新聞があるのを見つける。

 

 隆作はそのディスクを手に取り、ソファーの肘掛けの側にあったスロットにそれを入れた。ソ

ファーの目の前、丁度いい位置の空間に画面が現れ、今朝届いたばかりのニュースが表示さ

れる。

 

 空間のアイコンを叩いて画面をスクロールさせて行く。トップニュースはここ数日変わらない。

『ユリウス帝国』で起きた一連の事件だ。ただ、隆作が中吊り広告、と言っても画面が宙にあっ

て吊っているわけではないが、その週刊誌の広告よりも幾分客観的でまともな書き方ではあっ

た。

 

「酷いでしょう?まるであなたが悪の限りを尽くしているかのようだ」

 

 キッチンから、コーヒーが入って湯気の立っているカップを二つ持った島崎が戻って来た。

 

「予想はしていたさ、こうなるだろうって」

 

 空間の画面を、アイコンをタッチして消す隆作。彼の前にはカップに注がれたブラックコーヒ

ーが置かれた。

 

「砂糖とミルクはいかがですか?」

 

「いや、このままが一番いい」

 

 島崎は隆作と向かいのソファーに座り、隆作はコーヒーのカップを手に取って、それをゆっく

りと飲み始めた。

 

「昨日の夜から議会では大騒ぎでした。あなたが欠席なされたので。長官寄りと思われる人は

皆片っ端から尋問をされましてね、私みたいに特に関係の深い者は、おそらく尾行を」

 

 コーヒーを入れた島崎自身は、それに手を付けようとしない。

 

「議会の調査はいずれ君の所に辿り着くさ。重要なのは、それまでに彼らが何とかしてくれるか

という事だな」

 

「それは、そこまでに、あなたが政治生命を賭けてまで重要な事なのですか?」

 

 隆作はコーヒーの入ったカップを両手で持ったまま、テーブルの向かいにいる男に目線を合

わせない。

 

「私からは何も言えないな。言えるのは、事が落ち着くまで私を匿って欲しいという事だけさ」

 

 

 

 

 

グランド海

 

1:16 P.M.

 

 

 

 

 

 潜水艦内の狭い空間の中、心臓にまで響いてくる重厚なエンジン音に包まれながら、『SVO』

の5人は海の中を突き進んでいた。だが、すでに8時間以上も、意味不明なパイプと、何かの

数値を示している計器類に囲まれて狭い船室にいるから、香奈は閉所恐怖症になりそうな気

分だった。

 

 船室は、中央に丸テーブルが置かれており、それを香奈、登、沙恵が取り囲んでいた。船の

進行方向の先端には操縦席があり、そこには一博がずっと座っている。彼は小さな丸い小窓

から、照明で照らされている暗い海中を眺めていた。太一はと言うと、4人から少し離れた所

で、椅子に腰掛けて読書に耽っている。部屋はそれだけで、後は船尾に洗面所があるだけだ

った。

 

「ねえ、一体いつになったら着くんだろう?」

 

 香奈は、いい加減痺れを切らし、そわそわしたような様子で沙恵の方を見ていた。

 

「さあね、そろそろ着くんじゃない?」

 

 沙恵も退屈そうな様子だった。

 

「暇でしょうがないな」

 

「だったら着くまで寝ていれば?寝ちゃったら知らない間に目的地についているって」

 

「さっきさぁ、沙恵が皆にコーヒー入れたよね?それ飲んじゃったからとても寝れないよ」

 

「あ」

 

「一博君、いつになったら着くの?」

 

 香奈は言った。すると、操縦席に座って彼女に背を向けている一博は、その顔をこちらに向

かせた。

 

「これでも、この潜水艦は速い方なんだ。ジェットでも数時間かかる距離を潜水艦で行こうって

んだ。し、仕方ないだろ。まあ安心していいと思う。もう半分以上は来ているから」

 

 彼の言葉は、まるで自分を擁護するかのように弱気な言い方だった。

 

「あたしは、いつになったら着くかって聞いているの」

 

 いらだった沙恵の声、それは香奈が聞いて、彼女らしからぬ驚くほど不機嫌そうな声だった。

 

「ねえ沙恵。ちょっと落ち着いたら? 何か変だよ」

 

 香奈は注意した。すると、沙恵は目を瞑り、首を振った。

 

「分かっている。落ち着いている、落ち着いているって。ただ、何かこう、変なの。ずっとこんな

狭い所にいるからかな? 変な感じなの。言葉では言い表せないけど、嫌な予感みたいなのを

感じちゃって。第六感って言うのかな。あたしのそれが過敏に反応しているみたいで」

 

 沙恵は自分の額を指で押さえて、まるで頭痛でもして、それを訴えるかのように長々と呟い

た。

 

「あなたもそうなの?何か重苦しい空気に苦しくなりそうな感じがする?」

 

 と、香奈は言った。

 

「そう。頭痛でもしちゃいそうなくらい周りの雰囲気が変なの。ええッ?香奈もそうなの?」

 

「さっきからずっと、かな」

 

「これは、何かの予兆だよ。虫の知らせってやつ」。

 

 自信ありげに言う沙恵をよそに、香奈は別の方向に目を向けていた。

 

「もしかして登君も?さっきから何も喋らないけ…」

 

 香奈は一緒に丸テーブルに座っている登の方に目をやっていた。彼は、もともとが色白の顔

をさらに青くさせ、下をうつむいていた。それは自分達の言っているように、頭痛がしているとい

う風ではなく、気分が悪そうに見えた。

 

「ねえ、大丈夫?」

 

 心配した香奈は登を気遣った。

 

「この揺れ、この狭さ、この音。僕、もう限界なんだ」

 

 一緒に彼の顔を見る香奈と沙恵。

 

「我慢しないほうがいいと思うけどなあ、こらえているのが一番辛いって聞いた事があるし」

 

「無理しない方がいいって」

 

 香奈と沙恵は交互に言った。

 

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらう」

 

 冷静そうに無理に振る舞って、登は椅子から立ち上がり、少し急いで船尾の方にある洗面所

へと向かった。途中、太一が、読んでいる本の電子パットから顔を上げて、彼の方をチラリと見

たが、気にせずに登は洗面所に入り、その扉を閉めた。

 

「登君。そう言えば揺れるの苦手だったんだ。大丈夫かな」

 

 沙恵はその方向を見て言った。

 

「乗り物酔い、辛らそう。それに比べて太一と言ったら」

 

「本まで読んじゃってる!乗り物に乗っている時に、何をすると一番酔うかって言ったら、字をじ

っと見る事なのに! あんな事していたらあたしだって酔っちゃう!」

 

「ああ、そう」

 

 沙恵は大声で言った。だが、太一は小声で軽くあしらっていた。

 

「多分ね、本の方に集中しちゃっているから、酔わないんだよ」

 

 小声で香奈は言った。

 

「彼の冷静さには脱帽するよ」

 

 船内に響くエンジン音の中とはいえ、太一には2人の会話がよく聞こえていたはずだ。にも関

わらず、彼の目は手に持った電子パットの中に向いている。彼女達の方は気にもなっていない

のか、チラリとも見ようとしなかった。

 

 彼が何時間もずっと読んでいるもの、手に持つ電子パットの画面に表示されているものは何

だろう?以前に、彼が読んでいる所を香奈は覗いた事があるが、あれは確か、海外の純文学

だった。今も多分、同じジャンルのものを読んでいるのだろう。彼らしい、教養を深める為にあ

るような本だった。

 

 香奈は読書に耽っている太一へと、その焦点の合っていない視線を向けたまま、残りの時間

を過ごすのだった。

 

 

 

ヘン・ガップライ・シティ近郊 チャオ公国

 

4:25 P.M.

 

 

 

 

 

 100年以上も昔から『チャオ公国』は、今では『ユリウス帝国』と対を成すと言われる強国、

『ジュール連邦』の植民地下にあった。そして、57年前の世界大戦の時、『チャオ公国』は『ユ

リウス帝国』の進駐を受けた。終戦のγ0000年に当時の統治者が独立を宣言したが、『ジュ

ール連邦』はこれを認めず、『ユリウス帝国』側の軍事介入により、戦争が勃発する。

 

 γ0006年の国際会議で『チャオ公国』は、北部と南部に分裂、20年以上の緊張の後、『チ

ャオ公国』は革命政府軍で、2つの強国を退けた。だが、戦争は終結せず、現在も南部の地域

には『帝国軍』が進駐したまま、革命政府と緊張が続いている。

 

 そんな『帝国軍』が特に押さえている地域、海岸の熱帯雨林の森林に、『NK』から潜水艦で旅

立った『SVO』の5人は上陸していた。

 

 一番先を行くのは登。彼は森の草木をかき分け、周囲の様子に注意深く警戒しながら、素早

く進んでいた。

 

「誰にも、気付かれていないか?」

 

 登は言った。

 

「海中ではソナーで探査されてるもんだから、レーダーとは違う。あの潜水艦だったら平気だ。

軍は『ゼロ』の事で頭が一杯のはずだからな」

 

 側を行く一博は答えた。

 

「それって、憶測じゃない。そりゃあ、海からこっそり行く方が一番バレなさそうだけど」

 

 そんな2人のすぐ後ろには沙恵がいた。

 

「ここ暑いよ、とてもマフラーなんかしていらんない!」

 

 と、小声でボヤくと、首に巻いていた黄色いマフラーを巻き取っていた。

 

「確かにそうだな。僕は揺れていないだけ、随分ましだが」

 

 そう言う登は、上半身裸の上に上着を羽織っただけだったから、彼女に比べると涼しそうだっ

た。沙恵のすぐ側にいる香奈も、半袖にスリット入りのスカート、しかも光をよく反射する真っ白

な生地だった。

 

「沙恵も冷気の『力』が使えればいいのにね」

 

「香奈が羨ましいよ」

 

 一博君の格好は、とても涼しいね。

 

「それに比べて太一と言ったら、あんな黒くて暑そうなコートを着ていて暑くないの?」

 

 首を振りながら沙恵が言った。すると、すぐ前にいた一博が振り返ってくる。

 

「あいつのコートは特別製の素材でできているんだ。優れものの合成繊維で、暑いところでは

空気を通し、寒い所では空気を塞いで、暖かい空気を逃さないようにできている。大したもんだ

よ」

 

 その後、5人はしばらくの間、登と太一を先頭にして森の中を進んだ。海岸からは離れて行

き、森はどんどん深くなっていく。木々の間から差し込んでくる夕日と、うるさく鳴いている虫の

鳴き声と、鬱蒼と茂っている木々に包まれて、30分は歩いただろう、突然に登は足を止めた。

 

「おかしい、僕達は『帝国軍』の特に進駐しているこの地帯の真ん中にいるんだ。なのに、兵士

を1人として見ていない、しかも、人の気配さえしない」

 

 4人の方を振り返って彼は言った。

 

「言われてみれば、そうだね」

 

 沙恵が答える。

 

「さっきからもう、何十分も歩いているよ。何か場違いな所に来ちゃったんじゃあ…」

 

 香奈は少し心配していた。

 

「いや、そうでも無い。隠れろ」

 

 と、それを太一が制止した。彼は木の影に隠れ、コートの内側から警棒を取り出し、前方へ

の警戒心を強めていた。彼は仲間に向かって隠れるよう手で合図をしていた。

 

 香奈、一博、登、沙恵の4人はとっさに死角となる場所に隠れた。

 

「何、何、何?」

 

 そわそわした小声で、茂みに隠れた沙恵は香奈に言った。

 

「何か声がするよ」

 

 沙恵は続けて言った。香奈も彼女と同じように、地面に生えた植物の影に隠れながら、じっと

耳を傾けてみた。すると、虫の鳴き声に紛れて、人の声が聞こえて来る。そう遠くはない、十数

メートルほど離れた所からだった。

 

「全く、大した激闘だったぜ。ここまで逃げて来るのはよォ」

 

「でも、また中に入っていかなきゃあいけないのよ。例の人を探すためにはね」

 

「じゃあ、情報収集と行くか」

 

「七つ道具の出番か?」

 

 誰かが会話をしている。それは香奈にとても聞き覚えのある声だった。

 

「ああ!」

 

 茂みの影から飛び出し、沙恵はその方向を指差して声を上げた。

 

「絵倫達だ!」

 

「あん?」

 

 沙恵の声にこちらを振り返ったのは、自分達がしていたのと同じように、草の茂みの間に身

を隠してしゃがんでいる浩だった。側には隆文と絵倫の姿もある。3人は背を向けてこそこそと

何かをしているみたいだった。

 

「おお!どっかの誰かさん達じゃあねえか?」

 

 びっくりしたように浩が言った。彼は隠れていた茂みの中から身を起こして、こちらの方にや

って来る。その様子を見た太一や登や一博も、警戒を緩めて隠れていた木の影から出た。

 

「何だってまたお前らがここに来たんだ?」

 

 一博の目の前に立った浩が言った。この2人が並ぶと、一層、彼らの巨体が強調されて見え

た。

 

「原長官の要請でな」

 

「はるばると、潜水艦でわざわざここまでやって来たわけさ」

 

 一博が答えて登が付け足した。登は、長い間潜水艦に揺られていた事を不快に思っている

ようだった。

 

「あの人も、随分とおせっかいね。わたし達だけで十分任務を達成できるって言うのに」

 

 浩の後ろから絵倫が姿を見せる。

 

「それで、そう言う絵倫達は何をしていたの?」

 

 香奈は彼女に尋ねた。絵倫は振り向く。

 

「『ユリウス帝国』からここまで、軍艦の中に潜んでやって来たわ。わたし達が捜している『ゼロ』

とかいう人がここに来たっていうからね。それで、上手い具合に来る事はできたんだけど、ここ

は思った以上に厳戒体制でね、命からがら包囲網から脱出して来たってわけ」

 

「包囲網って、何のだ?」

 

 一博が質問した。

 

「『帝国軍』が『ゼロ』とかいう奴をつかまえる為の包囲網だとよ」

 

 それには浩が答える。

 

 一人の人物を捕らえるために包囲網?でも、ここに来るまでに、『帝国軍』らしい人どころか、

人を一人も見なかったよ」

 

 沙恵が言った。すると奥の方で何かをしていた隆文がぬっと立ち上がり、こちらの方を振り向

いた。

 

「そりゃあ、お前達、潜水艦で来たって事は、海の岸壁の方から来たからだろ?もっと森の奥と

か、船が停泊している辺りにまで行ってみろ、そりゃあ、わんさかと『ユリウス帝国』の奴らがい

る」

 

「それで、先輩方。何か進展はあったのかい? その、『ゼロ』とかいうやつの捜索の方はよ」

 

 話の方向を変えて、隆文や絵倫に質問する一博。

 

「彼がここに来たっていう情報だけね。まあ、情報だけじゃあなく、今では確実にいるって事が

分かるけど。でも『ユリウス帝国』側もやっきになって追跡している。だから、何とか彼らを巻け

ないかと、策を練っているんだけどね」

 

 絵倫が言った。

 

「どういう策だ?」

 

 と、太一は尋ねた。

 

「隆文が『帝国軍』の無線を傍受するんだ。そして奴らの動きを探り、先回りして標的を捕らえ

るってわけだ」

 

 浩が絵倫の代わりに答えた。

 

「随分と、古典的な作戦だな。それに、無線を傍受するって事は、こっちが傍受している事が、

バレるかもって考えないとな」

 

 と、登。

 

「登よ、俺の逆探知防止アダプターをなめるなよ。それに『ユリウス帝国』側は、『ゼロ』の事で

頭が一杯さ。そんだけ奴が凄い奴だって事を俺達は掴んでいる」

 

 少し微笑し、勝ち誇りながら隆文は言った。

 

 彼らは茂みの中の、黒いスーツケースの上に置かれている隆文のコンピュータデッキと、

 

 設置されているスピーカー、立てられているアンテナに目をやった。コンピュータが空間

 

 に表示している光学画面には、何やらデータが、グラフや数字の羅列となって表示されてい

る。

 

 やがて、そのスピーカーからは、雑音と共に、人の声が流れて来るのだった。

 

 

帝国軍進駐本部

 

4:47 P.M.

 

 

 

 

 

 『帝国軍』の進駐地帯の本部は、海岸から内陸へ約3キロ、森林地帯の空き地の中にある。

まだ自然の残っている地域を切り開き、50年前の戦争の過渡期の後に設置された進駐地帯

だ。そこでは、『チャオ公国』の政府と領土の境界を隔てて、何十年もの間、『帝国軍』と、公国

の独立政府軍とがいがみ合っている。

 

 ただ今は違う。たった今も停戦状態になっている事に変わりはないが、今の『帝国軍』の目的

は別にある。本国からやって来た国防長官によって、戦争さながらの厳戒態勢が進駐地帯に

しかれ、外部からの出入りは完全に封鎖。重武装した兵士が森の奥深くを警戒している。

 

 その目的は、この地帯で前日、『ユリウス帝国兵』が目撃したという、『ゼロ』を捜索する事だ

った。

 

 そして、本部の建物の通信室では、今朝この地に上陸した、国防長官である舞を始め、数人

の『ユリウス帝国兵』が、森の中に入った兵士達と通信している無線機を前にしていた。そこで

は近寄りがたいほどの緊張が流れていた。

 

「α班、応答せよ。異常ないか?」

 

 無線機の前にいるのは、軍服を着た通信技士だった。

 

「異常なし」

 

 雑音と共に声が返って来る。その声は、無線機の周りにいる者達よりかは落ち着いた声だっ

た。

 

「β班も異常ないか?」

 

「異常ありません」

 

 と、通信技士の後ろにいた舞が身を少し乗り出した。

 

「あれはすぐ側にいるはず、決して注意を怠らないようにしなさい。そして発見しても、それには

手出しをせず、報告だけをするように」

 

 通信技士は舞の方を見た。周りにいる他の兵士も同様だ。

 

「しかし、捕らえるのは誰が?」

 

「最後の詰めは私がやります」

 

 舞は、緊張の中で冷静に答えた。彼女は腰に赤い鞘に入った剣を吊していたが、無意識の

内か、それにそっと右手がかかっている。表情と彼女の声は、周りにいる者達よりも落ち着い

ている。周りの者達は何かを恐れ、彼女は何も恐れないといった風だった。

 

 しばらくの沈黙。舞は無線機の乗った机に手を乗せ、じっとスピーカーから来る雑音を待って

いた。周りの者達も同じように、無線機の方に集中している。

 

 そして、ほんの数分の後、だしぬけと言わんばかりにスピーカーから音が漏れだした。

 

 それは、漏れたと言うより、破裂したのかもしれない。とてつもないほどに不快な音が鳴り響

きだし、無線機の周囲にいた者達は、反射的に耳を塞いだ。

 

「何事だ!?何かあったのか!?」

 

 無線技士が叫ぶ。

 

「どこの班からの通信です?」

 

 舞が冷静に聞いた。

 

「この信号は、α班です!」

 

 舞は無線技士よりも前に身を乗り出し、彼が持っていたマイクを取る。そして、不快な高音

を、スピーカーのボリュームを下げて押さえると、マイクに向かって大きな声で言った。

 

「α班どうしました?何があったんです?」

 

 すると、無線の先からは即座に返事が戻って来る。

 

「上空に!上空に紫色の光が浮かんでいます!あれは、あれは何だ?光の中に何か見える

ぞ!あの影は?あの影はもしかして人間か?」

 

 身はマイクに向かってさらに身を乗り出した。

 

「今すぐその場から離れなさい!その光に構わないで!」

 

「何だ?別の光が迫ってくるぞ!凄いスピードで迫って来る!…」

 

「α班!?どうしたんですか!?無事かどうか応答しなさい!」

 

 無線からは沈黙が返って来る。不快な雑音も止んでいた。それどころか、α班からの通信だ

という信号さえも、表示板から消えていた。

 

「β班!今、あなた達の近くにα班がいるはずです!何があったか、急いで確認しなさい!」

 

 β班に無線がつながる。すると、そこからも不快な雑音がやって来た。

 

「何だ、これは一体!?まるで何かが爆発した見たいだ!そこら中の木が燃えている!うわっ!」

 

「何!?何!?一体どうしたんです!?報告しなさい!」

 

 舞の表情は、こわばって緊張している。

 

「まだ爆発している。ここは危険です!」

 

「確認はそれだけで十分です!急いでその場から離れて!」

 

「何かが迫ってく!」

 

 無線はそこでとぎれた。停電でも起きたかのようにとぎれてしまった。

 

 しばらく待っても、無線機からは何の反応も無かった。舞は、マイクから手を離し、頭を押さえ

ると、近くの椅子に力なく座り込んでしまった。

 

 そんな彼女の様子を見た無線技士は、彼女が手放したマイクを、少し決まりが悪そうながら

も手にとり、

 

「あー、γ班、聞こえるか?」

 

「聞こえます」

 

 彼は自らの判断で指示を出そうとしていた。だが隣でそれを見ていた舞は、ふっと顔を上げ

る。

 

「いえ、γ班はその場で待機しなさい」

 

 そして彼女は立ち上がる。

 

「私が、直接行ってきます」

 


 
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