公開処刑の日は、まだ決まってはいない。だが一刻も早く荀彧から話を聞きたい一刀は、恋とともにセキトで許昌に向かうことにした。ところが、霞も一緒に行くと言い出したのだ。
「また戻ってくるから、ここで待っていてよ。ね?」
「嫌や! うち……かじゅとと離れとうない……」
説得する一刀の服をぎゅっと握り、霞は涙目で訴えた。うろたえながら困った様子の一刀に、詠が言う。
「いいじゃない。もう一人乗れるんだし、連れていったら?」
「だって……」
「ここ数日の間、何度か恋と霞が練習試合をしているのをあんたも見たでしょ? 恋も全力じゃなかったけど、あそこまでやり合える相手はそうそういないわ。心は子供になっても、体に染みついたものは変わってない。昔からよく知っているボクが保証する」
すると、追従するように恋も口を開いた。
「霞、強い。昔、戦った時と変わらなかった」
「……かじゅと」
深い溜息で、一刀は降参した。最強の武人までが言うのなら、危険だから残れとは言えない。それに霞の、捨てられた子犬のような目に抗うのは困難だった。
「わかったよ。霞、一緒に行こう」
「かじゅと、大好きや!」
満面の笑みを浮かべて、霞は一刀に抱きついた。照れくさそうに微笑んだ一刀は、霞の頭を撫でながら恋に頷く。少し不満そうな顔の恋は、庭に出ると空に向かって指笛を響かせた。すると、どこからか風を切る音とともにセキトが舞い降りて来たのである。
呂蒙の屋敷が街の中心部から離れているとはいえ、赤竜が街中に舞い降りる姿は多くの人々に目撃されていた。
「呂蒙さん、華佗さん! お礼とお詫びは改めてまた!」
「気にする必要はないが、いつでも訪ねて来てくれ!」
セキトに乗り込んだ一刀は、早口で二人に叫んだ。それに応え、華佗が大きく手を振り、その横で呂蒙がぺこりと頭を下げていた。恋がセキトの首を軽く叩くと、激しく風を巻き上げて上昇する。そして華琳たち救出のため、まずは許昌を目指し飛び去って行った。
「さて、それじゃボクたちも急いで出発しましょう。のんびりしてたら、すぐにでも警備の役人が来るだろうし」
詠がそう言うと、華佗は少し眉をひそめて頷いた。
「役人は来ないだろうが、急いだ方がいいだろうな」
「役人が来ないって……?」
不審がる詠に、呂蒙が説明する。
「この街のお役人たちは、ほとんど中央……袁術様のところから派遣されているんです。ですからそれほど仕事に熱心ではないというか、みんな賄賂をもらうことばかりで肝心な時にはまったく動いてくれないんです」
「ましてや竜が来たなんて聞いたとたん、荷物をまとめて逃げ出す奴らばかりさ。わざわざ見に来る役人なんて、ほとんどいないのが現状だ。だがその代わり、もっと厄介な人たちが来るだろうが……」
何か含んだ様子で、華佗は通りの向こうを見つめる。騒ぎは確実に、知れ渡っているだろう。
「多少、顔見知りでもある。まあ、何とかなるだろう。君たちは裏口から出て、検問を始める前に街を出るといい」
華佗がそう言うと、詠は頷いて月を促し行こうとする。だが――。
「ちょっと待って欲しいのですー」
不意に、風が口を開いた。
「どうしました、風?」
「あのですねー、私たちがこのままお兄さんの後を追っても、きっと曹操さん救出には役立たずだと思うのです」
「どういうこと?」
「曹操さん救出には、処刑が行われる場所への潜入が必要です。兵を率いて行くのは、難しいですからねー」
「まあ、そうね」
「少数精鋭ですから、風たちでは足手まといになります。かといってあちらには荀彧さんもいますので、直接、助けを求められたお兄さんならともかく、風たちが作戦に余計な口を挟める状況ではないかと思うんですよー」
大いに不満はあったが、風の言うことは詠も何となく感じていたことだった。荀彧は曹操救出のため、必死に状況を分析して作戦を考えるだろう。仮にそれに対して自分が反対だと思っても、所詮は部外者の意見でしかない。しかしだからこそ、詠は不安だったのだ。
軍師の仕事は、犠牲を少なく成果をあげることだ。だが例外もある。詠にとって月がそうであるように、荀彧にとって曹操の救出はどんな犠牲を払ってでも成功させなければならない事だった。そしてその犠牲には、天の御遣いも含まれるだろう。
(あいつ自身も、自分を犠牲にするところがあるわ。だから!)
そばにいるべきだと、思った。しかしそれをわかった上で、風は残ることを主張した。
「可能性の問題を心配するよりも、確実な未来の障害に対して手を打つ方が、風は良いと思うのです」
「……ふむ、なるほど」
稟は風が言わんとすることがわかったのか、眼鏡を押さえて頷いた。
「曹操救出が成功した後の問題、ということですね?」
「そういうことですねー」
「あっ……」
ようやく詠と音々音も気づいた様子だったが、月だけが首を傾げている。それに目を細めた風が、華佗や呂蒙も見て説明した。
「何進が逃がした曹操を放っておくわけありません。再び、兵を率いて攻め込むでしょう。でも曹操軍はもはや、単独でこれを抑えることは不可能なんです。かといって、周辺の豪族たちをまとめたところで、微々たるものでしょう。だとすれば、残るは……」
「袁術ね」
「はい。袁術さんを動かすことが出来れば、何進にも対抗できると思うのですよ」
曹操と袁術が連合を組めば、様子見だった豪族も味方をしてくれる可能性が高い。
「でも、どうやって袁術を動かすつもり? そもそも、会う事だって難しいでしょ?」
「それに関してはたぶん――」
意味深に言い、風は華佗を見た。
「口添えして、もらいましょうかねー」
「……ん?」
全員の視線を受け、華佗はきょとんとした顔で首をひねった。
その日、いつものように本を読んで過ごしていた蓮華のもとへ、少し慌てた様子で思春がやって来た。
「あら、どうしたの?」
「それが……」
珍しく言いよどんだ思春は、部下が知らせてきた話をそのまま蓮華に伝えた。最初は冗談か何かかと思って聞いていた蓮華だったが、思春の真剣な様子に険しい顔で頷く。
「ともかく、行ってみましょう。こんな街中に竜が現れるなんて、事実だとしたら放っておけないわ」
「はっ!」
数人の私兵を伴って、蓮華は思春の案内で竜が現れたという場所に向かった。通りには話を聞いたらしい人々で溢れていたが、さすがに現場には近寄らないで遠巻きに眺めている。
「まさか、あの屋敷なの?」
「はい、そう聞いています」
そこは、蓮華も何度か足を運んだことのある屋敷だった。おそらく、この街に住む者ならば誰もが知っている華佗の診療所だ。こんなところにどうして竜が現れたのか。
蓮華は私兵に街の者が近寄らぬよう指示を出し、思春と共に門をくぐった。すると来るのがわかっていたかのように、華佗が入り口の前で待ち構えていたのだ。
「華佗! 街の騒ぎは知っているのかしら?」
「ああ。おそらくその件でそろそろ来るだろうと思い、待っていたのだ」
「竜が現れたと聞いたのだけれど、本当なの?」
「本当だ。だが、すでに飛び立って行ったし、再び現れたとしても街の者に害を与えるような事はない」
「どうしてあなたがそう言い切れるのかしら?」
「それについては、きちんと説明をしよう。会わせた者たちもいる。中に入って、茶でも飲んで行くといい」
華佗はそう言うと、さっさと屋敷の中に戻っていってしまった。
「危険です」
「でも、華佗は信用できる人物よ。それに私は、何だか予感がするの」
「予感、ですか?」
「ええ。何かが動き始める予感よ……」
袁術の下で、屈辱に耐えながらの生活を強いられている。気持ちに焦りがあるのかも知れない。けれど前に進むことで、独立という悲願に近づくような気がしたのだ。
蓮華は大きく頷いて、華佗の後を追った。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
とうとう50回目(+1)です。こんな長い物語にお付き合いいただき、ありがとうございます。
楽しんでもらえれば、幸いです。