──地底で私は始めて孤独を知った
キィーン・・・・キィーン・・・
耳鳴りがする
いつからだろうか
その音と暮らすようになって
昨日からだったようなそれとも何年も前からだったような
今ではもうよくわからない
少なくとも、古明地さとりにとって無音と暮らす生活は
ノイズと暮らす生活と何も変わらないのだから
地上にいたころ、ただ一人の家族と暮らしていたころ
彼女たちがただの妖怪でいれたころを思うと
もはや今の暮らしなど無と同じなのだから・・・
地底に落ちてからの彼女たちの暮らしはあまり変わり映えはしなかったと思う
忌み嫌われた妖怪の中のさらに忌み嫌われた妖怪
心を読み、見透かし、想起する彼女たちは妖怪にとっても気持ちのいいものではなかった
どんなに力が弱くてもどんなに体が小さくても、彼女たちには何も通じないのだから
読まれてかわされ、隙をつかれる
彼女たちが歩けば自然と地下街は静寂につつまれた
それでも彼女たちにはうるさい地下街に変わりはなかった
少なくとも古明地さとりにとっては地上となんら変わらなかった
古明地さとりにとっては・・・
あるとき二人で橋をわたっていると橋姫が物憂げにこちらを見ていた
緑眼の先には読まなくてもわかるくらい嫉妬の炎でゆれていた
彼女は縁切りの神様でもあるらしい。地上にいるころは悪縁を切るためにと橋を渡るものも多かったのだろう
ただし彼女は嫉妬の妖怪でもある、良縁も切ってしまう。
彼女たちは縁が切られる前にとそそくさと渡りきる
橋姫はやはり物憂げな瞳で彼女たちの背中を見送っていた
手をひく彼女の手が暖かかった
あるとき地下街で鬼に絡まれた
完全に酔っ払っている
鬼がこれほどまで泥酔してるのも珍しかった。
なにやら支離滅裂なことを口走りながら、私たちに饅頭を持たせた
酔っ払っているので思考もめちゃくちゃだった
その饅頭の名前が「芋饅頭」というもので自分でこさえた、彼女の大好物だということだけは辛うじてわかった
その雑な形状をした大きな饅頭を彼女たちは二人でわけて食べた
大雑把な味付けなそれを彼女は「おいしいね」といった
あるとき古明地さとりは強烈な頭痛で眼が覚めた
壁を隔ててもわかるくらいの悲鳴が脳を直接刺激した
そういう時はきまって彼女が錯乱を起こしていた
地底に降りてから、彼女は時折こうして言い知れぬ不安感に襲われ発狂することがあった
しかし今日の様子は何かいつもと違った。
いつもはただ暴れるだけですぐ落ち着く彼女が今日は明らかに古明地さとりに助けを求めてきたのだ。
「声がやまないの!嫌だ!お姉ちゃん!お姉ちゃん・・・!」
彼女の周りを強烈なノイズが支配する
耳を押さえながら部屋の真ん中で震えている彼女を
古明地さとりはただ抱きしめることしかできなかった
古明地さとりの声は、届いていなかった
一人で渡る橋は意外と長かった
そして、とても静かだった
聞こえてくるのは橋姫の嫉妬心だけ
橋姫はいつもどおり物憂げな瞳でこちらを見つめながらこういった
「今日は一人なのね、妬ましいお嬢さん」
地下街で鬼に絡まれた
相変わらず酒臭い鬼が笑いながら手をふった
「今日は一人かい?この間のあれどうだった?よかったらまた食べておくれよ」
あの日から彼女は部屋から出なくなった
食事を運んでいっても口をつけることもなかった
部屋に入ると彼女がベッドの上でただ虚空を眺めていた
その心には誰ともつかない聞こえてるはずのない声ばかりが見えた
ある夜
派手にガラスの割れる音がした
彼女の部屋からだ
何者かが侵入したか、はたまた彼女が暴れてるのか
どちらにしろ古明地さとりは彼女のもとへと急いだ
たった一人の家族なのだ。
なぜだか胸がざわついた
部屋には彼女だけだった
しかし一瞬、古明地さとりは
彼女を彼女と認識することができなかった
そこに彼女がいるのかも
───そのとき私ははっきりとその声を聞いた
「ごめんなさい」
割れた窓から部屋を飛び出そうとするあの子を、輪郭がぼやけてあの子と識別しづらいあの子を
ただ呆然と見つめながら
それでも私ははっきりと見たのである
古明地こいしは私が今まで見たこともない顔で笑っているところを・・・
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