「…失礼……します。」
「……渋谷君…。」
病室に入ると、ベットの横に早苗の姿があった。
早苗はずいぶんとやつれており、つやつやとしていた髪の毛も今では白髪が入り混じっていた。
「……あの、広山は…?」
「さっき、帰ったわよ。……渋谷君によろしくって…。」
「そうですか……。」
広山が居ないと知り、急に心細くなる。
「………。」
一息深呼吸して、一歩ずつ杏のベットに近づく。
ゆっくり一歩ずつ確実に。
「………。」
「………。」
仕切りのカーテンをくぐりぬけて杏の姿を見つめる。
杏は大変安らかな顔をして眠っていた。
「……あの、杏は……。」
「危険な状態は何とか乗り越えて、順調に回復に向かっているみたいだ。」
「……よかった。」
稔の言葉に諒は安堵する。
「ただ……それは肉体的であって、意識が戻るかどうかはまだわからないみたいで…。」
「え……。」
稔の話によると肉体は回復傾向にあるのだが、転落の時の脳へのショックが強力であったために、意識がなかなか戻らず、今でもずっと目を覚まさない状態が続いている。
「最悪…この状態がずっと続くかもしれないそうだ……。」
「………。」
諒はただ愕然とし、杏を見つめた。
相変わらずパッチリとした大きな目は閉じられ、長いまつげは白い肌に影を落としている。
胸は上下しているので、呼吸は確認できるがそれ以外に反応は無い。
「……今、僕達にできることは話しかけてあげたり、手を握ってあげたり、脳に刺激を与えてあげることをすることだそうだ…。」
「……そうですか……。」
諒は瞬きも忘れて杏を見続けた。
こんなときに不謹慎かも知れないが、諒は杏に見とれていた。
翌日、諒は学校に登校した。
いきなり姿を消したことを勇治に怒られたが、ちゃんと杏の姿を見たことを告げたら機嫌もすぐに直った。
学校で広がっていた噂だが、いつの間にか存在を消していて諒もインフルエンザにかかったと適当に欠席の理由をつくろった。
「諒!!。」
「あー?」
「今日、ゲーセン行かねぇ?」
「あー……ごめ。おれ休んだ分のノート写さないといけねぇから、今日無理。」
「………お前…インフルエンザかかって頭おかしくなった?」
「……ちげーよ。これ以上点数落としたら留年するからだよ。俺だって真面目に授業だって受けてるんだぞ。」
誘い絶対に断らない事が常だった諒が初めて断った。
友人は『雪が降る』となどと、騒ぎ立てたが諒は無視をした。
「ごめんな。また、誘ってや。」
「おー。じゃあなあー。」
友人もさほど気にしている様子も無く、諒と別れを告げた。
一人教室に残った諒は黙々とノートに授業の内容を写しはじめた。
「………雪どころじゃねーよなぁ……大地震が起きるぜ。」
「………そんなに、俺って勉強しないイメージなの?」
「もちろん。馬鹿そう……ってか馬鹿?」
諒の後ろから少しおどけたように勇治が諒をからかう。
諒もうんざりしたように勇治を見上げる。
「……凄い落ち込むんですけど…。」
「……そう?いいじゃん、馬鹿ががんばってる姿嫌いじゃないよ。」
「そう馬鹿馬鹿いうなしっ!!。」
諒も椅子から立ち上がり、勇治を睨みつける。
背の順では後ろから数えたほうが早い諒でも勇治を見上げる形になる。
「おーおーこわぁい。」
「ちょっと、恐がれよっ!!あー、むかつくぐらいお前背高すぎるんだよ。」
「……それは俺のせいじゃない。好きでこんなにおおきくなったわけじゃない。」
勇治は仰ぐように両手を広げ、ため息をつく。
そう行動がわざとらしくて更に諒を苛立たせた。
「……。」
「それにぃ……それ、お前のためじゃないだろ?」
「はっ……なに言ってるんだよ?」
「お前は、嘘つくの下手くそすぎ。お前が勉強するなんて思ってないって。……まあ女が理由だったら話は別だけど。」
「……っっ!!お前、知ってるのか?」
勇治の言葉に諒は動揺の色を隠せない。
勇治は何でもお見通しかのようのペラペラと喋りだす。
「知ってるってなにを…?俺は単なる憶測でしか話をしてないけど?……それにお前が面白いくらいに過敏に反応するからさぁ……そうなんだなぁ……みたいな。」
「………。」
「それに、お前はそんなに丁寧にわかりやすくノートを書かないしなー……じゃあ誰か別の人の分だ……それ以上聞く?」
「結構です。」
そのとき諒はこの男だけは絶対に敵に回してはいけないと痛感した。
そのなことも気にせず勇治はふっと表情を柔らかくして
「まぁ……そういうのもいいんじゃねぇ?茶化すつもりはねぇよ。」
「……笑いたかったら笑えよ。」
諒はふてくされた様子でそっぽを向く。
「笑うわけねえだろ。ばーか。」
勇治は急に声のトーンを落として、ぼそりとつぶやく。
その急変ぶりに驚いて振り返るともう勇治は諒に背を向けて歩き出していた。
「むしろ羨ましいくらいだよ。それぐらい夢中になれるような相手がいてよ。……あー俺にもそんな子現れないかなぁ……。」
「………。」
勇治はすべてを話し終わる前に教室から姿を消していた。
諒はその姿を追うわけでもなく、ただ立ち尽くしていた。
「……ったっくよぉ……むかつくぐらいカッコいいじゃん……アイツ。」
友人のその優しさにまた泣かされていた。
「今日はさ…久しぶりに学校いったんだけどさぁ……みんな変わってねぇの。」
「………。」
「テツなんかさぁ、俺が居ない間になんかヘマして一ヶ月間一人でトイレ掃除だって。ウケるよね。」
「………。」
「なぁ……杏……俺の話……聞いてて楽しい……?」
「………。」
諒の言葉は杏に向けられたものの受け答えなく、空しくその場に落ちてゆく。
思わず、諒は杏の手を握る。
その手は氷のように冷たくて、諒は息を呑んだ。
「………そーいえばさぁ、今日勇治と話してて思い出したんだけどさ……。」
「………。」
「あいつさー無駄に背、高いんだよねー……でさ、身長差の話、覚えてる?」
諒はひとつひとつの言葉を大切に話し始める。
「おれってさ、175、6あんじゃん?」
「………。」
「で、杏は155くらいじゃん?」
「………。」
「………あと、5センチでベスト身長差だねっ……って。」
「………。」
答えが返ってこないことも承知で諒は話した。
もちろんのこと、杏は無言のままだ。
「………。」
「………。」
諒は急に押し黙って回りに誰も居ないか確認した。
そして、もう一度手を握りなおした。
ずっと握っていた杏の手は諒の体温が移ってほんのりとぬくもりが宿っていた。
「お……俺は、そういうこと……気にしてないし……その……。」
「………。」
「杏のこと……好きだから…。」
言葉が後ろにいくにつれて音量が落ちる。
我ながら小心者だと自虐しながら、諒は微笑む。
「杏……好きだよ……。」
そして、そのまま上体を杏へ近づける。
「………。」
「………。」
二人を包んでいるのは静寂ただそれだけだった。
しいて言うのならば二人の息遣いだけがやけにおおきくその場の音を占めていった。
ひとつは安らかに、もうひとつはすこし荒々しく。
諒の心臓の鼓動はピークを迎えており、バクバクとうるさく諒の中で響いていた。
唇と唇が触れ合うまであと5センチ。
――――ガラッ
「っっ!!!。」
いきなりあいた病室のドアに驚き、即座に杏と距離を置く。
仕切りのカーテンが功を奏したのか、今諒が行おうとしていた一部始終は誰に見られること無く済んだ。
「あ、渋谷君。」
「こんにちは…お邪魔してますっ。」
病室に入ってきたのは早苗だった。
「杏に、会いに来てくれたの?」
「ええ……まぁ……。おじさんが脳に刺激を与えてあげるといいって……で、学校の事とか話してあげようかなぁ…とか…。」
「そう……ありがとうね。」
「………。」
久しぶりに早苗の笑顔を見たと諒は思った。
相変わらずやつれて疲れた表情は消えなかったが、心から笑った姿は事故後初めて見た。
「……いや…こんなにも、杏の事を思ってくれる人が居るなんてね…。」
「…俺は……杏に目を覚まして欲しくて…。」
「あんまり、学校のこととか、友達のこととか話さない子だったから…。」
「………。」
「……これからも、杏の友達でいてね…。」
「あっ…はいっ……もちろんです。」
『友達でいる』という言葉がちょっと納得いかなかったが、そんな事いえるほど諒は度胸のある男ではなかった。
それ以上に早苗がとてもいい表情をしていたため、そんなのことも言う気がおきなかったとは言い訳になってしまうのかと一人で自問自答しながら答えた。
「……じゃあ、そろそろ帰りますね。面会時間終わっちゃうんで。」
「そうね。」
諒は席を立とうとして、今までずっと繋がれていた手を離そうとして違和感を覚える。
「ん……?」
さっきから諒は握ってるわけでもないのに、二人の手は繋がったままであった。
諒は試しに軽く彼女の手を握ってみた。
「っっ!!!……おばさん!!……杏が手、握り返した!!。」
「え……?」
そして、彼女はその諒の手を握り返した。
「ほら、おばさんもやってみて!!。」
「……本当だわ!!…杏!!聞こえる?」
「……医者を呼んできます!」
諒は嬉しさのあまり、病室を跳ねるように出て行った。
諒が杏のもとを訪れ一度反応を起こした後、またしばらく昏睡状態が続いたが医師によると、脳の機能が少しずつではあるが、回復しつつあるそうだ。
「ふーん…良かったじゃん。」
「おう。」
勇治と昼食をつつきながら、諒は表情を緩ませながら話を続ける。
「……で、君のことだからぁ……杏ちゃんにいかがわしい行為してんじゃないのぉ?」
「し、してねぇって。」
勇治は諒のキス未遂事件を知らない。むしろ病室に入ってきた早苗ですら知らない。
諒は以前のことを思い出し、シラを切った。
「ふーん……意外と純情なのねー。諒は。」
「何がだよ…。」
「いや、好きな相手が目を覚まさず、しかも二人きりの環境だよ?普通の男だったらチューくらいかましてんじゃねぇかなぁって。」
勇治の流し目が諒を突き刺す。
「かますって……そんな卑怯なことしねぇし。」
「ふうん……。」
『卑怯』という言葉がやけに諒に罪悪感を覚えさせたが、『未遂で終わった』ということで無理矢理振り払った。
もちろんのこと、あれからあの5センチを超えたこともなく、会話もまだしてない。
「……今日も、行くの?」
「あぁ……。」
「一途ねぇ……。」
諒のそのまっすぐな態度に勇治は関心をし、一息つく。
「そういえばさ、勇治にはそういう相手いないの?」
「俺?」
諒は勇治と出会ってからずっとそういった話を聞かない。噂も無い。
顔もスタイルも申し分ないし、性格も少々難だが気になるほどでもない。
そんな男、女が放っておくわけが無い。
「あー…俺は……。」
「まさか、男に興味ありとか?」
「は?……なんでそういう話なんだよ。」
「だって、そういうことしか考えられないじゃん!!。」
「………。」
諒はいたって真剣な表情で勇治に熱弁を続ける。
「勇治は、背は高いし、性格はちょっとひねくれてるトコロもあるけど、男の俺が言うのもなんだけどカッコいいし…。」
「……お前な……そんなお世辞言ってもなんも出ねぇぞ。」
「そうじゃなくて!!」
「あー……大丈夫、大丈夫。俺は男に恋愛感情を持ち込むような性癖は持ち合わせてないし、俺好みの可愛い女の子がいたら目で追うし……。」
「………。」
「ただ……その、そういう子がいないだけだよ。それだけ。」
「………つまんねー。」
言葉巧みに諒の仮定を否定する勇治に少々面白くないと感じつつも脇にあったカフェオレを口に含む。
「それに、お前に心配されるほど女に困ってはいねぇよ。」
「………。」
「お前ほど熱くなれねぇっていう話だよ。」
勇治の顔はほんのりと赤みを帯びているように見えたが、その飄々とした態度に諒は勇治の感情を掴みきれない。
「……お前がそういうこと言うから、お前の邪魔したくなった。」
「は?」
「………一緒に杏ちゃんの病院行っていい?……てか行くから。」
「はぁっ!?……駄目だから!!」
勇治のその強引な同行発言に間抜けな声を出しつつも、刻々と昼休みは過ぎてゆく。
そして、諒はまた杏の元を訪れる。
彼女の笑顔を見れる日を夢見ながら。
彼女の声を聞く日を待ちながら。
彼女との5センチを縮めるために。
―――END―――
<あとがき。>
まずはじめにこの作品に目を通してくださった方、本当にありがとうございました。下手の横好きではありますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
えーと、ベタですねー。実に……。
そして、書いてて凄い全身が痒くなりました。
設定は高校2年生を想定しているのですが、なんか中学生みたいな甘酸っぱさが駆け抜けてます
ww
勇治君の恋愛事情はあえて、このままにしておきます。それは想像に任せます。はい。
実を言うと、そこまで細かくは考えてなくて……なんか、事情がある子として考えていまして彼のセリフには色々と妄想が働きますww(←おそらく私だけですが…ww
そして第一に作品を終わらせることができて本当に良かったです。
いやー、なんか途中で方向がズレちゃって、消しちゃうパターンが私に多くて、ですね…。
なんで今回は無事、方向もほとんどズレず終わることができました。
本当はもっと暗いお話の予定でしたが、構想を考えてるうちに気分が暗くなっちゃってやめました。
いつかはそういうシリアスなお話も……って感じですww
それでは長くなりましたがそろそろ退散させていただきます。
私の眠気もピークを迎えてきましたので……。
次の作品のことは一切考えてませんwwできれば、投稿したいです。
それでは月橘でした。
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もうそろそろラストが…。
来ると思います。はい。