「無関心の災厄」 -- 過去編 ヤマザクラ
第3話 キツネとネコとヤマザクラ
「ここ、ここだよ、昨日、ここで見たんだ」
梨鈴が銀色の尻尾を振りながら駆け寄ったのは、見事な満開を見せる、一本のヤマザクラの樹だった。
「ああ、綺麗だねえ」
「こりゃ……すげえ」
さしものオレも言葉を失った。
本物の文学者ならこの光景を素晴らしい表現で文章におこすのだろうけれど、残念ながら口先だけのオレにそんな才能はない。ただ、いくらか視界が開けた野原の真ん中、目の前に佇むヤマザクラが風に花弁を散らすさまを見ていた。
夙夜と梨鈴は並んでヤマザクラの幹に掌をあて、落ちてくるピンク色の花弁を捕まえながら、嬉しそうにはしゃいでいる。
「ふふ、梨鈴ちゃん、楽しそうなのです」
「先輩も一緒にどうですか?」
「ワタシはいいのです。もうサクラを見てはしゃぎまわるような子供じゃないのですっ」
「あーそうですか」
オレの返答に不服そうな顔をした先輩の頬を引っ張りながら(後輩のする事ではないが)、追いかけ合いながら無邪気に草むらを転がりまわる夙夜と梨鈴の姿を目で追う。
犬が二匹じゃれているようなその姿は、まるで本当に兄弟のようだった。
夙夜、とてもじゃないが男子高校生の晒す姿じゃないぞ。
さて、しかし、この場所で特に得る情報もないようなら帰ろうか……と思った時のことだった。
草の中に転がっていた夙夜が、突然ばっと起き上った。
いつも温厚なアイツの目が大きく開かれ、オレを睨みつけている。
「夙夜?」
オレ、何かしたか?
「マモルさん、こっち来て。できれば、振り向かないで」
その尋常ならざる様子に、座り込んでいた梨鈴も首を傾げる。
アイツは、真剣な顔でオレを、いや、オレの背後の空間を見ている。
先ほど一本のヤマザクラをあり得ない距離から発見した時のように、見えない何かが見えているとでも言うのだろうか?
「近づいてる。リリン、さっき俺が言った事、覚えてる?」
「え? シュクヤ、何の事だ?」
首を傾げる梨鈴。
「逃げるなら今だよ。この距離なら気付かれずにここを立ち去れる」
「――?!」
梨鈴は大きく目を見開いた。
やっぱりこいつはやたら目がいいのか?
それとも、野生動物並みに気配とかそう言うものに敏感なのか?
オレは言われた通り先輩と共に、振り向く事なく静かに夙夜たちの元へ歩み寄った。今の流れからすると、オレの背後の方向に、梨鈴の言っていた『異属』がいる。
しかし、なぜコイツにはそれが分かる?
先輩と梨鈴の表情から見て、その『異属』が視線の届く範囲にいない事は明白だ。
「おい夙夜。お前、何で……」
「いるんだ。それが分かる。ごめんなさい、今は緊急事態だから……それに、マモルさんが分からないなら、説明しても無駄だ」
なんだ、それ?!
オレは腹を立てかけたが、先輩はくすくすと笑った。
「なるほどですねぇ。見えないヒトに見えるモノを説明するのはひどく難しかったりしますです。でも、シュクヤくんには見えるのですねぇ。さすがなのですっ」
だから、いったい何が見えて、何が分かるのか、オレのような凡人にも分かるように説明してほしい。
「どうする? リリン」
無自覚で残酷なオレの同級生は、硬直してしまっているキツネ少女に再び尋ねた。
「あたしは」
震える声。
握りしめた小さな手も震えていた。
「逃げたいなら、今すぐ逃げよう。でも、もし壊(コワ)したいならここに残らなくちゃいけない。もしリリンがいいなら、俺は破壊を手伝うけど」
梨鈴は、唇をぐっと噛みしめた。
そして、隣にいた先輩の手をとった。
「行こう、スミレ。すぐ、山を降りよう」
一番足の遅い先輩を先頭に、梨鈴は唇を真一文字に引き結び、夙夜は相変わらず何を考えているか分からない表情で、オレはしんがりを務めて山を下って行った。
下手に慌てて駆け下りたりすれば余計な怪我をしかねない。
オレは背後からずっと夙夜を観察していた。
コイツは、おかしい。以前からうすうす感づいていた事ではあるのだが、どうも変だ。
今だって、まるで木々の隙間に何かを追い求めるかのように視線を動かしている。何も聞き洩らさないと主張するかのように耳を欹(そばだ)てる緊張感が素人のオレにも伝わってくる。
そして、オレは気づいた。
ソイツが一瞬視線を一点に集中した事に。
「夙夜」
何を見つけた、と聞く前に夙夜の指がとん、とオレの胸の真ん中をついた。
言わないで、と伝えるように。
夙夜の一つ前を歩いていた梨鈴も気づいたようだ。敵と遭遇した獣がそうするように、夙夜と同じ方向に耳を向けた。
その様子を見て、オレは確信する。
もう一つの珪素生命体(シリカ)が、すでに逃れ得ぬほど近くまで来ている事を。
「先輩、ちょっと先、行きましょうか」
「どうしたのですぅ? マモルちゃん」
「いいから、はやく下りましょう」
オレは、先輩を促して山を下りていった。
背後に、ケモノのような同級生と、ケモノを模したイキモノを残して。
ふよふよ揺れる先輩の髪を見ながらも、オレの心はあのケモノたちのところにあった。
気が騒ぐ。
行かなければ、と心が叫ぶ。
「……先輩」
「いいのですよぅ」
言う前に、先輩が先手をとった。
「ワタシは一人でダイジョウブなのです。マモルちゃんは、戻ってもいいのです」
「……」
全部、分かっているかのように。
「すみません」
オレは軽く礼をして、再び山道を駆けあがった。
ソイツは、満開のヤマザクラの下で待っていた。
梨鈴以外では初めて見る珪素生命体(シリカ)。よく見れば、梨鈴が持つのと似たような耳と、彼女より細長い尻尾が飛び出ている。梨鈴がキツネなら、あれはネコだ。美しい銀毛のネコ。
見た目は同じでも、梨鈴はオレたち有機生命体(タンソ)――珪素生命体(シリカ)が発見されてから便宜上つけられたオレたちの区分だ――と違い、珪素をベースに創られたモノ。オレたちとは根本的に創りが違う。今から100年以上前に初めて発見された彼らは、オレたち有機生命体(タンソ)から離れ、いわゆる人里離れた山奥で暮らしている。
当時は、世紀の発見と同時に大問題になったらしいが、実は珪素をベースに創られたそれらの生命体が、たった一人の人間の手によるものであったと分かった。
また、彼らに生殖能力はなく、珪素生命体(シリカ)にもこちら側にちょっかいを出す理由がないことから、オレたち有機生命体(タンソ)からは完全に隔離している。
もっともこの姿だ、愛玩動物として捕えられたりすることもあるのだが……またそれは別の問題だ。
まあ、いうなれば希少動物、天然記念物のような扱いになっているのが現状だった。確か珪素生命体(シリカ)に関する法律もあっただろう。
珪素をベースに創られた彼らの髪は、瞳も、総じて銀に近い色だった。
そのネコ少年は微笑んだ。
「来たんだね、『異属』」
「『異属』って呼ぶな! あたしには梨鈴(りりん)って名前があるんだ!」
「リリン、ねえ。僕は『イズミ』だよ。名前を持つ珪素生命体(シリカ)に会ったのは僕以外で初めてだ。それは、誰かに付けてもらったのかな? その、隣の有機生命体(タンソ)あたりに」
「うるさい黙れ、このネコ!」
それまで穏やかな表情だった少年は、ネコ、と罵られた事で表情を一変させた。
緩やかに左右に振っていた尻尾がぴん、と立ち、耳も心なしか立ったような気がする。
「何だ、従順なら見逃してもいいかな、なんて思ってたのに……やっぱりキツネはキツネか」
「キツネって呼ぶなよ、このネコ」
物騒な空気が周囲を取り巻いた。
梨鈴は鋭い水晶の爪をあらわにし、尻尾の毛を逆立てて完全に戦闘態勢だ。
落ちつけようと梨鈴の名を呼ぼうとしたオレは、隣の夙夜に制止された。
「ダメだよ。『異属』と出会った珪素生命体(シリカ)はその本能に逆らえないんだ。どうしても、牙をむき、互いを消す事しか考えられなくなるように出来てる」
「なっ、お前……」
なぜそんな事を知っている、と聞こうとしたのだが、その瞬間に凄まじい金属音が響き渡った。
はっとそちらを見ると、梨鈴が腕を押さえて飛び退ったところだった。
なるほど、今の金属音は珪素生命体(シリカ)が傷つけられた音。
「梨鈴っ!」
叫んだオレの声なんて届かない。
「何で珪素生命体(シリカ)は『異属』を見つけると排除しようとするんだ?!」
その問いに、夙夜はオレの袖をつかんだまま答えた。。
「それは、朽ちる事のない珪素生命体(シリカ)に活動停止をもたらす為、彼らに付属された『唯一の命令』だからだよ」
「あの、ナントカって博士が100年以上前に製造した時にか?」
「そう。珪素生命体(シリカ)の創造主は彼らに何ら行動の規定を付加してない。ただ、ヒトに近い姿でヒトに近い思考を持つ『カタチ』を作っただけなんだ。でも、俺たち有機生命体(タンソ)と違って、珪素生命体(シリカ)は長命なんだ。何しろ、その辺に転がっている石なんかと同じ素材なんだからね」
100年以上も前に珪素生命体(シリカ)を生み出したのは、たった一人の人間だったのだという――発見された時すでに博士は故人、その目的も意図も不明のまま数万体と言われる珪素生命体(シリカ)だけがこの世に遺された。
「でも、彼らは『マイクロヴァース』と呼ばれる終末プログラムを持つ。その起動条件は、一定以上の損傷を受ける、もしくは自らの意志での発動」
マイクロヴァース。
それは、朽ちない珪素生命体(シリカ)を自然に還すため、彼らが持たされた爆弾だ。
発動すればその体は塵以下にまで分解され、存在は無に帰す。
信じられないほどに淡々と、無表情に夙夜は語った。
「『異属』を見つけたら排除、その戦いに敗れれば待つのは『無』。その淘汰の先にいったい何がしたいのかは、全く分かんないけどね」
「……同感だ。そんなくだらない命令で梨鈴が危険な目に遭うのもな」
珪素生命体(シリカ)について、分かっている事は少ない。おそらくそれは、彼らの人間に似た容姿から、調査と称する実験が虐待を思わせてしまうから。社会的反対は多く、今もなぞに包まれた珪素生命体(シリカ)は山奥に存在し続ける。
死を迎えた――活動停止を便宜上こう呼ぶ事にしよう――彼らを無に帰すマイクロヴァースについても知られている事は少ないはずなのだ。
それなのに、夙夜はなぜこんなにも珪素生命体(シリカ)について知っているんだ?
「なあ、夙夜……オマエ……」
「聞かないで」
問う前に分断された。
「俺自身にも分かんないからお願い、聞かないで、マモルさん」
その言葉に抑揚はなかったけれど、ふと見た横顔はどこか寂しげで、オレは不覚にも、同級生の男相手に言葉を失った。
それを見て気付いてしまった。
おそらくずっと感じていた違和感は勘違いじゃなかった。
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オレにはちょっと変わった同級生がいる。
ソイツは、ちょっとぼーっとしている、一見無邪気な17歳男。
――きっとソイツはオレを非日常と災厄に導く張本人。
※「無関心の災厄」シリーズの番外、過去編です。
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