No.176601

真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~ 外伝

YTAさん

投稿十七作目です。
お恥ずかしながら、三部構成におさまりそうになかったので、章として改訂させて頂きます。
すみませんorz

いよいよ姑獲鳥の住処へと向かう一刀達。

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2010-10-05 20:30:56 投稿 / 全13ページ    総閲覧数:4165   閲覧ユーザー数:3453

                          真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~

 

                               外伝 姑獲鳥

 

                                 第三章

 

 

 

 

 夕刻、一刀は、張福が用意してくれた部屋の窓際で、今や、すっかり群青が濃くなった空を眺めながら、紫煙を燻らせていた。

 夜露が降り始めたせいか、庭に植えられた金木犀の甘い花の香が、昼間よりも濃密になって、窓際から部屋の中に漂って来ている。

 

「なぁ、一刀」

 

それまで、黙々と自分の愛用する戦斧、『金剛爆斧(こんごうばくふ)』を布で磨いていた華雄が、思い出した様に一刀に顔を向けた。

「うん?」

「そう言えばお前、馬車の中で妙な事を言っていたな。確か、本来の姑獲鳥がどうとか・・・・・・」

 

「あぁ、その事か」

 一刀は、縦半分の蝶の切り紙を、備え付けの卓の上で弄びながら、群青色の空から視線を逸らす事なく言った。

「おう、その事だ。あれは、未だによく解らんのだが・・・・・・」

「うむ・・・・・・。では、出来るだけ噛み砕いて話してみるか」

 一刀は、ゆるりと華雄の顔を見て言った。

 

「良いか、華雄。大凡(おおよそ)、この世に存在する鬼だの妖異(あやかし)だのと言ったモノは、人の心が生み出したものなんだ」

「う、うむ」

「つまり、姑獲鳥ならば、『子供が突然居なくなる』と言う出来事を、人々が“姑獲鳥”と言う名の妖異の仕業だと考え、人が、かくあれかしとその姿を想像する事で初めて、姑獲鳥と言う妖異が、“この世に存在する”事になる。解るか?」

「全く解らん!」

 一刀は、何故か腰に手を当て、誇らしげに胸を張る華雄を見て、「だよなぁ」と呟き、気を取り直す様に咳払いをして、再び口を開いた。

 

 

「つまりな、俺が言った、“本来”の姑獲鳥というのは、“人々に求められた”姑獲鳥の在り方と言う事だよ」

「おいおい、一刀。どうして人が、大事な子供を攫う様な妖異を求めたりすると言うんだ。おかしいだろう?」

 至極当然、といった様子でそう言う華雄に、一刀は小さく微笑んだ。

「そうだな。お前の言う事は、まったく正しいよ。じゃあ、お前、昼間の“男と女”の話は覚えてるか?」

「お、おう。覚えているが、それがどうした?」

 

「人間は、男と女が契りを結ぶ事を、“愛情表現”として、互いに対する信頼の証にした。しかし、“結果”は、他の生き物たちと何ら変わらない。つまり、お互いに愛し合っていようが、単なる生殖行為だろうが、結局たどり着くのは、“子を成す”と言う事な訳だ」

「ううむ。確かに、それはそうだ・・・・・・。だが、それと姑獲鳥が人に望まれていると言う事と、どう関係があるんだ?」

 

「それが、あるのさ。まぁ、最後まで聞けよ・・・・・・。これが獣ならば、親子の関係はもっと乾いている。何故なら、ごく一部の例外を除いた獣たちにとっては、子供はただ、“自分の血を残す為の器”でしかないからだ」

 一刀はそう言って、新しい煙草を取り出し、吸い差しから直接火を移して、再び話し出した。

 

「例えば獅子など、一人で獲物を狩る事が出来る様になった若い雄は、直ぐに群れを追い出されるし、新しく群れを率いる事になった雄は、自分の前にいた雄の血を引く子供をみんな殺してしまう。しかし、母親たちは、それに抗ったりしない。何故なら、父親が誰であれ、“自分の血を残せる”と言う事は、既に約束されているんだからな」

 

「成程な・・・・・・。しかし、何だか悲しい話だなぁ、一刀」

「それはお前が、“人間”だから、そう感じるのさ。つまり華雄、お前が獣たちに感じたその気持ちこそが、姑獲鳥を生んだんだよ」

「うぅ、やっぱりよく解らん・・・・・・」

 

「人間は、男と女が肌を重ねる事に、互いへの“愛情表現”と言う性質を持たせた。それはつまり、その成果である子供は、人間の親、特に、十月十日の間、腹に子を宿す母親にとっては、単なる“血脈の受け皿”以上の存在になったと言うことさ。・・・・・・だがな、華雄。都会なら兎も角、貧しい小さな村などでは、いかに両親が愛し合った結果に産まれた子供でも、その全てを育てる事は出来んだろう?」

 

 

「そうだな。未だに、“口減らし”をしている村もあると言うしな・・・・・・」

 どこか苦しげな口調でそう呟いた華雄に同意して、一刀も眉を寄せて頷いた。

「あぁ。産まれた赤子を抱く事すら許されなかった母親たちの苦しみは、言葉に尽くせぬ凄まじいものだったろう。だからある時、荊州のどこかで、子供を取り上げられた母親の、その嘆き様を哀れんだ誰かが、こう言ったのさ。『お前の子は、女の顔をした鳥の化け物が攫って行ってしまった。だが、その化け物は、子供を喰わずに育てるらしいぞ』とな・・・・・・。つまり、“本来の”姑獲鳥と言うのは、ある哀しい母親への免罪符として生まれ、同じ境遇の女たちを慰める為に喧伝(けんでん)された、“噂”なのだろうさ」

 

「ちょっと待て、一刀。じゃあ、姑獲鳥と言う怪異は、本当は存在しないと言うのか?」

「いや、そうは言わない。人の情念が形を成すと言うのは、ままある事だからな。実際に、荊州の山奥にそう言う怪異が誕生していたとしても、不思議はない」

「何だ、益々こんがらがって来たな・・・・・・」

 華雄は、手に持っていた金剛爆斧を寝台に横たえて、ぼりぼりと頭を掻いた。

 

「俺が言っているのは、今現在“居る”か“居ない”かではなく、その“成り立ち”だよ。何せ、どうして姑獲鳥が女児を喰らうのではなく、育てるのかは、どんな文献にも詳しい理由が載っていないんだ」

「おい。お前はさっき、姑獲鳥が女児を育てるのは後を継がせる為だと言ったではないか」

「確かに言った。だがそれはあくまでも、“理詰めで考えれば”、と言う話だ。でなければ、ただ子供を攫ってゆく事の説明が付かないだろう?」

 

「むぅ・・・・・・。つまりお前は、姑獲鳥が子を攫う事に、実は理由など無いど言うのか?」

「そうさ。母親たちにしてみれば、どんな形であれ、死ぬ筈だった我が子が、“何処かで生きている”と言う一事こそが大事なんだからな。女児を攫うと言うのも、短い期間で労働力になる男児よりも、女児の方が、口減らしの対象になり易いからだろうな」

「では、お前の言う“張福の子を攫った姑獲鳥”と言うのは・・・・・・」

 一刀は、更に何かを言いかけた華雄に対して、人差し指を口に当ててそれを制し、ちらりと扉に向かって目配せをした。

 

 華雄が頷いて耳をすますと、はたして、こちらに向かって廊下を歩いて来る足音が聴こえた。

 二人が、暫く黙って扉を見つめていると、足音は扉の前で止まり、女の声が投げかけられた。

「華雄将軍様、北刀様。主、張福の命にて、酒(ささ)などお持ち致しました。入ってもよろしゅう御座いますか?」

 華雄は、眼を合わせた一刀が頷いたのを見て、「おう、今、開ける」と言って腰を浮かせた。

 

 

 扉の前に居たのは、昼間に茶を入れてくれた、小柄な侍女だった。

 侍女は、小さな声で華雄に礼を言って入室し、一刀の前の卓に、持っていた盆を置いた。

「へぇ、茸ですか」

「はい。この辺りでは季節になりますと、茸を火で炙ったものに、同じく炙って焦げ目を付けた醤を添えて、肴に致します」

 物珍しそうにそう言った一刀に、侍女が静かに言った。

 

「ありがとうございます。この茸、あなたが採った物なんですか?ええと、麗儀殿?」

一刀は、手早く瓶子と杯を配している侍女に向かって、優しく笑いかけた。

「はい。左様で御座いますが・・・・・・。でも、どうして私の名を、北刀様が?」

「昼間、張福殿が教えて下さいました。しかし、良かった」

 胸を撫で下ろした様子の一刀に、小柄な侍女、麗儀は首を傾げた。

「はぁ。何が、でしょう?」

「私も、疲れている時などにたまにやってしまうのですが、話に上った人物の真名を知らない相手に、思わず真名を用いて話をしてしまう事がありますので・・・・・・。張福殿は大変にお疲れのご様子でしたから、無意識の内にあなたを真名で呼んで私たちに紹介してしまったのでは、と、ふと思ったもので」

 

 麗儀は、一刀に釣られて控え目に微笑みながら、小さく首を振った。

「そうで御座いましたか。御安心下さい。私の真名は“萩(はぎ)”と申しますから」

 一刀は頷き、ふと真面目な表情になって、再び麗儀に話しかけた。

「あなたも、張福殿の御令息を随分とお可愛がりになられていたとか。さぞお辛いでしょう」

「はい・・・・・・。旦那様からお聞きになったやも知れませんが、私も男の子を“流した”事がありましたので。恐れ多い話ではありますが、坊ちゃまの事は、息子の生まれ変わりの様に思えまして・・・・・・」

 

「さもあろうな・・・・・・」

 思わず溢れて来た涙を服の袖で拭う麗儀を見ながら、瞳を潤ませた華雄が呟く様に言うと、麗儀は袖で眼を押さえながら頷いた。

「はい。旦那様と奥さまも、そんな私の気持ちをお察し下さり、よく坊ちゃまを抱かせて下さいました・・・・・・」

 

「麗儀殿。あなたも、この屋敷にお住まいなのですよね。姑獲鳥が現れたという夜、何か気付いたり見たりした事はありませんでしたか?どんな些細な事でも構わないのですが」

 優しく尋ねる一刀に、麗儀は無念そうに首を振った。

 

 

「残念ながら、何も・・・・・・。私の部屋は、ぼっちゃまのお休みになっていた部屋とは反対の庭にある、離れで御座いますので。お恥ずかしい事に、旦那様が朝方に私を起こしに来て下さるまで、ぐっすり寝入っておりました・・・・・・」

 麗儀は、吐き出す様にそう言うと、その形の良い唇を、白くなる程に強く引き結んだ。

 その無念が、滲み出ている様な表情である。

 

「そうですか・・・・・・。どうも、辛い事をお聞きして、相済みません」

 一刀は、そう言いながら立ち上がって、麗儀の肩に手を置きながら、扉の方へ誘(いざな)った。

 扉を開けて麗儀を外に送り出そうとした、その時、一刀は、思いついたように麗儀に尋ねた。

「そうだ、麗儀殿。茸を取りに山に入られるのは、大体、何日置き位です?」

「はぁ、五日に一度位の割合になりますでしょうか。その茸は、坊ちゃまが攫われる前の日に取って来た物です」

「その時、山で、何か妙なものを見たり、聞いたりはしませんでしたか?」

 麗儀は眉を寄せ、暫く考え込んでいたが、一瞬、頭痛にでも襲われた様に顔を歪めて、首を振った。

 

「いいえ。特には・・・・・・。お役に立てず、申し訳御座いません」

「いえ。こちらこそ、辛い事を思い出させてしまって」

「北刀様」

 麗儀は、扉を出るなり振り向き、一刀に対して深く頭を下げた。

「坊ちゃまを、どうか宜しくお願い致します」

 

「最善を尽くします」

 一刀はそう返して、引き返してゆく麗儀の背中を暫く見つめたあと、眉間に皺を寄せて振り向き、茸の載せられた卓に、ゆっくりと引き返してきた。

「やはり、随分と辛いのだろうな。麗儀殿は」

 華雄が溜め息混じりにそう言うと、一刀は上の空で「あぁ」と返事をし、元の椅子に腰を下ろした。

 

「何だ、一刀。一体どうした、妙な顔をして?」

「うむ。これはやはり・・・・・・」

 一刀はそう言ったきり、暫くの間、何やら考え込んでいたが、やがて「ほぅ」と息を吐いて首を振ると、華雄に向かって微笑んだ。

「さぁ、折角だから、暖かい内に頂こうか」

 

 

「お、見つけたか!」

 一刀が突然そう声を上げたのは、焼き茸を肴に二人が酒を呑み始めてから、半刻(約一時間)程した頃の事だった。

「な、何だ、藪から棒に!」

 チビりチビりと杯を舐めていた華雄が、驚いて一刀を見た。

 

「これを見ろ」

 華雄が、素直に一刀の指が差す場所を見遣ると、そこには紙で出来た蝶に片半分が置いてあった。

 しかし、それだけではない。

「おぉ!!」

 華雄が見ている内に、それは徐徐に厚みを持ち、色を持って、片羽の揚羽蝶へと姿を変えてゆく。

 やがて、揚羽蝶はゆっくりと羽を動かし始め、ひらひらと宙を舞い、窓の外へ飛んで行った。

「さぁ、往くぞ。華雄」

 一刀はそう言うと、素早く椅子から立ち上がった。

 

 それから暫くして、一刀、華雄、張福の三人は、小振りな松明の灯り一つを頼りに、夜の山の中を歩いていた。

 まさか黙って出て往く訳にもいかなかったので、張福に出掛ける旨を告げたところ、『どうしても』と泣き付かれてしまったのである。

 

「暗う御座いますね・・・・・・」

 張福はそう言って、腰布に突っ込んで来た鉈の柄を握りながら、唾を飲んだ。

 無理もない。

 月明かりさえ入り込まない、鬱蒼とした山林の中である。

 松明の灯りの外は、真の闇であった。

 

「辛抱なさいませ。今から引き返したのでは、間に合わなくなります」

 一刀は、一定の距離を保って自分達の前を飛んでゆく片羽の揚羽蝶から眼を離さずに、張福にそう言った。

 不思議な事に、揚羽蝶は闇の中で薄ぼんやりと、まるで、その羽に燐でも付いている様に、青白く光っている。

 張福は、殿(しんがり)を務める華雄に、「さぁ」と優しく促され、それに頷いて、再び道なき道を歩き出した。

 

 

 それから、どれ程の距離を歩いたのか。

 先頭を歩いていた一刀が不意に立ち止まり、顔を半分程後ろに向けて、

「着いたようです」

 と、二人に言った。

 

 華雄と張福が、一刀に並んで前を見ると、山肌にポッカリと口を開けている洞窟の前で、二匹の片羽の蝶が、互いにじゃれあう様にひらひらと舞っていた。

 一刀が近づいて行って手を差し伸べると、蝶たちは空中でピタリと一つになり、一刀の掌に舞い降りた。

 

 華雄が一刀の掌を覗き込むと、蝶は、始めて見た時と同じ、一枚の切り紙になっていた。

 一刀は、「帰りも頼むよ」と呟いて、蝶の切り紙を懐に仕舞い、松明を洞窟に向かって掲げた。

 

「でかいな・・・・・・」

 その洞窟は、高さ約十丈、幅約六丈程で、大人でもゆったりと歩ける程の、かなり大きなものだった。

 華雄の呟きに、張福が頷く。

「この辺りには昔、山小屋代わりに使われていた洞窟が幾つもあったと、父から聞いた事がございます。この洞窟も、或(ある)いはその一つかも知れません」

「間違いないでしょう。人工的に切り拡げられた跡があります」

 一刀はそう言って、洞窟の壁に手を這わせた。

 その断面は、刃物で削り取られた様に滑らかだった。

 

「北刀様。本当に、ここに息子が、兼常(けんじょう)が居るのでしょうか?」

 張福が、緊張と期待を込めた声で一刀に尋ねると、一刀は小さく顎を引いた。

「しかし、姑獲鳥が居るかも知れんだろう。素直に入って大丈夫なのか?」

「大丈夫。今は居ないよ」

 一刀は、何故か憂いを感じさせる微笑を浮かべて華雄にそう断言すると、松明をかざして洞窟の中に歩を進めた。

 

 どこからか、水滴の落ちる、

 ぴちょん、

 ぴちょん、

 という音が、絶え間なく三人の耳に届いて来る。

 山肌から吸われた水が、この洞窟の天井まで降りて来て、床に滴っている為だ。

 

 

 三人が暫く無言で歩いていると、不意に、今まで身体に纏わり付く様に感じた空気が、ふわりと軽くなった。

 奥行きのある、広い空間に出たからである。

「これは凄いな・・・・・・」

 華雄はそう言って顔を上げ、、松明がぼんやりと照らすその空間の上方を見遣った。

 

 今までも十分な高さだったが、この空間はその倍、凡そ、二十丈はあるのではないだろうか。

 天井から氷柱(つらら)状になって垂れ下がっている大小の突起は、その先端から、松明の火で光る無数の水滴を滴らせ、まるで旋律を奏でる様に、それを床に落としている。

 ここが怪異の住処であると知らなければ、いつまで見ていても飽きないであろう程にその光景は、幻想的であった。

 

「兼常!!」

 張福の叫び声が、うっとりと洞窟の天井を眺めていた華雄の思考を遮った。

 華雄が視線を戻すと、ちょっとした大広間程の広さのある、この空洞の奥に向かって駆けだして行く、張福の後ろ姿が見えた。

 一刀の白い着物が、その後をゆったりとした足取りで追っている。

 

 華雄は、慌てて一刀の横まで追いつくと、その横顔を見遣った。

 松明の灯りの加減で男らしい骨格が見え辛いからか、その横顔はまるで、女の様に滑らかだ。

「赤子は、無事かな?」

 華雄の、どこか戸惑った様なその質問に一刀が口を開きかけた時、張福が、悲鳴の様な声で二人の名を呼んだ。

 

「こ、これは・・・・・・!」

 張福の元に駆け付けた華雄は、その腕に抱かれた赤子を、顔を背けるのも忘れて凝視した。

 薄汚れた布に包まれた兼常は、その小さな身体中に、膿を含んだ瘡の様なものを張り付かせて、泣く事すら出来ない程に衰弱していたのである。

 松明を近づけて見れば、その瘡は、まるで別の生き物の様に醜く蠢いていた。

 

「北刀様・・・・・・!!」

 一刀は、張福の縋(すが)る様な眼差しを受け止めて小さく頷くと、自分の松明を華雄に渡し、兼常を張福の腕から優しく取り上げた。

 一刀はまず、兼常の首に、労わる様な手つきで人差し指と中指を当てて脈を確かめると、続いて、布の中で苦しげに悶える小さな身体の数カ所に、同じ様に触れてから顔を上げた。

「大丈夫。陰気を直接吸わされてかなり衰弱していますが、然るべき処置をすれば、まだ間に合います」

 と言って、張福に微笑んだ。

 

 

「本当ですか!?良かった、本当に良かった・・・・・・」、

 一刀は懐から、複雑な文様が書かれた長方形の紙を取り出して唇を寄せ、何事かを呟いて、それをそっと兼常を包んでいる布の中に差し入れると、脱力して膝をついていた張福の肩に手を置いた。

 

「さぁ、まだ、一刻を争う事態である事に変わりはありません。急いでこの子を――――」

 一刀は、そこで言いかけていた言葉を止め、小さく舌打ちをして、来る時に通って来た通路を見遣った。

「感づいたか。このまま帰らせてくれていれば、少しは穏便に出来たんだがな・・・・・・」

「かず・・・・・・、北刀。まさか――――」

「あぁ、“来る”ぞ。張福殿、この子を抱いて、私と華雄将軍の後ろへ。将軍、二人を頼みます」

 

 華雄が、金剛爆斧を構えて一刀の言葉に頷くのと、瘴気を含んだ、獣臭い風が吹き込んで来たのとは、ほぼ同時であった。

 三人が、息を殺して通路を見つめていると、やがて、禍々しい二つの光が暗闇に浮かび上がった。

 続いて、槍の石突で石を叩いたような、カツン、カツン、と言う鋭い足音が次第に大きくなり、ソレは、松明の灯りの元に、ゆっくりとその姿を現した。

 

 身の丈は、凡そ一丈余りもあろうか。

 緩やかに波打った黒髪で半ば覆れ、爛欄と輝く双眸だけが、その漆黒の滝の中からこちらを見据えている恐ろしげな顔。

 深緑色の羽毛から見える、艶めかしい乳房となだらかな腹部は、白粉を叩いた様に白い。

 その下半身には、張福が言った通りの黒味がかった羽毛が太腿まみっしりと生え、膝から下の関節は、人のそれとは逆に折れ曲がって、猛禽類その物の鋭い爪を持った、鳥の脚へと続いていた。

 

「恨めしいなぁ。一度ならず二度までも、我が子を取り上げようとするかよ」

 その怪物、姑獲鳥は、耳まで裂けた大きな口から、緑色の炎をちろちろと吐きながら、地の底から響いて来る様な不気味な声で、三人を見つめながらそう言った。

 

 

「これは人の、それも男(お)の子ぞ。陰に属する女(め)の子ならまだしも、陽たる男の子では、お前の乳では育たぬであろう。親の元に還してやらねば、死んでしまうよ」

 一刀は、まるで諭す様に、自分を睨む女怪に向かってそう言った。

「道士風情に何が解るかよ。それは我が子ぞ、うぬ等なぞには渡さぬわ!」

 姑獲鳥が、一刀に向かってその毒々しい色の翼を広げた瞬間、一刀の斜め後ろで両脚に力を溜めていた華雄が、疾風の如く姑獲鳥に向かって駆け出した。

裂帛の気合と共に打ち下ろした金剛爆斧が、姑獲鳥の肩を袈斬りに両断しようとした、その時、

 

「動くな、“華雄”」

 

 姑獲鳥は、大きな口を歪めて、確かに華雄の名を呼んだ。

「何!?う、ぐっ!?」

 次の瞬間、華雄は、金剛爆斧を姑獲鳥の肩の手前で止めたまま、ぴたりとその動きを止めた。

 華雄は、どうにかして止まった身体を動かそうとするのだが、まるで強い力で押さえ付けられた様に動かない。

 声すらも、喉から先に出す事が出来なかった。

 

「動くな、北刀。動くな、張福」

 姑獲鳥は、全身の毛が太くなる様な恐ろしい嗤いを上げながら、残った二人の名を呼んだ。

「どうし、て!?」

 華雄の耳に、後ろでそう言っている張福の声が聴こえた。

 気配から察するに、やはり華雄と同様、動きを封じられたらしい。

 

 姑獲鳥は、「うぬ等は、後でゆっくり喰ろうてくれよう」と言って華雄と一刀を睨むと、カツ、カツ、という音を立てながら、張福に、いや、正確には、その腕に抱かれている兼常に向かって、歩き出した。

 

「まぁ、そう慌てるなよ」

 姑獲鳥が、後方から聴こえたその声に驚いて振り返ると、白衣の道士が“振り向いて”、悠然と微笑んでいた。

「おのれ、謀(たばか)ったなぁ。北刀!」

 一刀は、微笑んだだけで答えない。

 姑獲鳥が羽を戦慄かて一刀に飛びかかろうとした、その刹那、

 

「動くな“萩”」

 

 一刀が静かにそう言うと、半ば翼を広げたまま、姑獲鳥の動きが止まった。

 

 

 一刀は、哀しそうに「やはりな」と呟くと、華雄の傍に歩み寄った。

 一刀が額に手を当てて何事かを呟くと、ふっと華雄の身体に自由が戻った。

「一刀、これは一体・・・・・・!?」

「名と言うのはな、この世で最も単純で、最も強い呪(しゅ)なのさ。お前も張福殿も、姑獲鳥に呼ばれて返事をしてしまったろう。だから、奴の呪に掛ってしまったんだ」

「一刀。お前、こうなる事が分かっていて、私に名を誤魔化せと言ったのか?」

「まさか。偽りの名であっても、呼ばれて答えれば呪には掛るさ。最も、縛りその物は随分弱くなるがな」

 一刀は、静かにそう言って張福の元に行き、華雄と同じ様にして金縛りを解いた。

 

「北刀様。あ、あれは、あれは、萩なのですか!?」

 張福は今にも泣き出しそうな顔で一刀の両の腕を握り締め、懇願する様に言った。 

その眼が、『違うと言ってくれ』と、一刀に語りかけている。

「はい・・・・・・。あれは、麗儀殿です。間違いなく」

「そんな、どうして・・・・・・」

「麗儀殿はよく、山に入って山菜や茸をお取になられていたとか。恐らく、その時に鬼(き)に憑かれてしまったのでしょう。兎に角、今は此処を出なくては」

 

 張福が、尚の一刀に言い募ろうとしたその時。

 止まっていた筈の姑獲鳥が奇声を上げ、その身体を僅かずつ、錆び付いた機械の様なぎこちなさで、動かし始めた。

「真名を用いた“縛り”を、こうも容易く・・・・・・。張福殿、急いで下さい!」

 

「お急ぎを、旦那様、北刀様。もう、長くは持ちません・・・・・・」

 一刀と張福が姑獲鳥の横を通り過ぎようとした瞬間、姑獲鳥は、麗儀の声でそう言った。

 二人が思わず眼を遣ると、苦しげに息を吐く麗儀の顔が、そこにあった。

「麗儀、お前!!」

 

 麗儀は、悲痛な声で自分を呼ぶ張福に向かって、眼に涙を浮かべ、哀しそうに微笑んだ。

「旦那様、申し訳ありません。北刀様、旦那様と坊ちゃまを、早く・・・・・・」

「約束は、守ります」

 一刀がそう言って、麗儀の名を呼び続ける張福の肩を抱いて走り出すと、麗儀の口が、血を流しながらメリメリと裂け、再び双眸が紅く輝き出した。

 

「二人とも、急げ!!」

 通路への入口を確保していた華雄は、走って来た二人を先に通すと、哀しそうに姑獲鳥を一瞥し、再び殿になって二人の後に続いた。

 張福は、出口への通路をひた走りながら、何度も何度も、後ろを振り返っていた。

 

 

 華雄が洞窟から走り出た瞬間、洞窟の奥から、恨みの籠った叫び声が、空気を揺さぶる振動を伴って響いた。

「おのれぇ、哀しやなぁ。我が子は必ず取り戻してくれようぞ。うぬ等の血肉も、必ず喰ろうてくれようぞ」

 華雄が洞窟の暗がりを見つめながら、茫然とそれ聞いていると、いつの間にか横に立っていた一刀が、華雄に話しかけた。

 

「将軍、斧の刃を、少しこちらに傾けて頂けますか?」

「?お、おう」

 華雄が言われた通りにすると、一刀は、差し出された金剛爆斧の刃に自分の指を滑らせた。

 続いて、その傷口の血を洞窟の入り口の地面に数滴垂らして跪き、右の掌をその上に当てる。

 

「オン・キリク・シュチリ・ビキリタナダ・サルバ・シャトロ・ナシャヤ・サタンバヤ・ハンハンハン・ソワカ」

 

 一刀が静かにそう唱え終わると、地面に青白い光が走った。

「一体、今度は何をしたのだ?」

「大威徳明王大心咒です。本来なら調伏の為のものなのですが、結界として用いました。これで、暫くは持つでしょう」

 一刀は、「ふぅん」と、曖昧な返事をしている華雄に僅かに苦笑を洩らすと、洞窟の闇に顔を向けた。

 

「おう、来るがいい!しかし、明日の晩までに来なければ、我等はこの子を、お前の目の届かぬ所に隠してしまうぞ!」

「北刀様!?」

 一刀は、当惑して自分を見つめる張福に向き直って微笑んだ。

「良いのです。どの道、放っておいても“あれ”は御子息を奪いに来ます。予め迎え討つ準備が出来た方がマシだ」

 

 一刀はそう言って、二人に『帰ろう』と、身振りで示した。

 その先には、いつの間にか、淡い光を纏った蝶が一匹、静かに舞っていた。

 

 

                      あとがき

 

今回のお話、いかがでしたか?

いやぁ、本当は、今回でオチまで行けるかと思っていたんですが、無理でした。

すみません。

 

因みに、作中に出て来る『呪』と言う概念については、本家本元の夢枕先生が、『陰陽師』シリーズの中で毎回取り上げていらっしゃるので、敢えて言及しておりません。

興味を覚えられた方は是非どうぞ。

また、マンガ版も出ており、こちらも原作者お墨付きの完成度ですので、お薦めです。

 

次回を以て、外伝は一応完結になる予定です。多分・・・・・・。

 

では、また次回お会いしましょう!

 


 
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