真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~
外伝 姑獲鳥
第二章
一刀達が滞在している巴郡の街から程近い村の庄屋、張福夫妻の、今年の春に産まれたばかりの惣領息子に対する可愛がり様は、並大抵のものではなかった。
それまでに成した子が尽(ことごと)く女だった事に加え、彼自身が既に老境と呼べる歳に差し掛かっていた事、妻の歳から言っても、これが最後の子であろうと覚悟していた事などの全てが重なっていたのだから、その様は推して知るべしであろう。
娘たちは既に成長していた事もあり、一日の内の殆どの時間、夫婦のどちらかが必ず息子の傍(そば)に張り付いていた。
その日も、夕食が済むまでの間は、いつもの様に夫婦そろって息子の傍で過ごしていたのだが、張福はふと、息子を見つめていた妻のうなじに何とも言えぬ色香を感じてしまい、久方振りに夫婦水入らずで過ごそうと、息子を乳母に預けて、二人で寝室に戻った。
「ちょっと待った」
一刀は、華雄の話を、そう言って遮った。
「何だ、話の途中で藪から棒に・・・・・・」
華雄は話の腰を折られたのが気に障ったのか、不機嫌そうに杯を空けた。
「いや、その張福とか言う男、かなりいい歳なのだろう?若い女のお前に、そんな事まで喋ったのか?」
「あぁ。確か、じきに五十になると言っていたな。もしかしたら罵苦の可能性もあると思って、出来るだけその時の事を詳しく話せと言ったら、堰を切った様に喋り出したぞ。随分と憔悴していた様子だったから、仕方が無いと言えばそれまでだがな・・・・・・」
『人生五十年』と言う言葉が、その通りの意味であった時代である。
年齢が五十近いともなれば、既に現代人の七十歳前後に相当すると言っていい。
増してや、この時代の男の自尊心は、現代の男の比では無いのである。
赤の他人の、しかも年若い女である華雄に、五十歳近い男が夫婦のそんな情景を口にしたと言うその一点だけを見ても、張福の息子への溺愛ぶりと、それ故の憔悴の深さが窺いしれた。
「ふむ・・・・・・」
一刀は、顎に手を当てて華雄の言葉に頷くと、華雄の空いた杯に酒を注いで、話の続きを促した。
華雄は、少し頬を赤くしながらわざとらしい咳払いを一つすると、「まぁ、久し振りだったから、それなりに盛り上がったそうでな。寝入ったのは、深夜近くの事だったそうだ」と、言って、話を再開した。
甲高い女の悲鳴が張福の家に響き渡ったのは、夫婦が疲れ果て、互いに抱き合って寝入ってから暫くしての事だった。
張福夫妻は跳び起きて顔を見合わせると、寝巻を羽織る時間も惜しんで、愛息の部屋に掛け込んだ。
そこには、伝承に伝え聞く通りの姿をした女怪が居て、恐怖の余り半狂乱になった乳母を足蹴(あしげ)にしながら、愛おしそうに赤子をその胸に抱き締めていた。
女怪は、駆け寄ろうとした張福に対して、耳まで裂けた口を目一杯に開け、凄まじい金切り声を上げて威嚇すると、赤子を床にそっと置いて、裸の乳房が曝け出されるのも意に介さずに両翼を大きく広げ、羽ばたいて宙に浮いた。
夫婦がその羽ばたきで巻き起こった突風に身動きが取れずにいると、姑獲鳥は両脚の鉤爪で器用に赤子を“握り締め”、開け放たれた窓から夜空へと飛び去った。
「と、まぁ、こう言った事だったらしい」
華雄はそう言って杯を唇に当て、今度は飲み干そうとはせず、唇を湿らせただけで盆に戻した。
すると屋敷の奥から、華雄の話が終わるのを待っていた様に薄緑(はくりょく)が現れた。
その手には、新たな瓶子と行燈(あんどん)の種火の乗った盆を持っている。
華雄がふと気が付いて空を見遣ると、空には藍色が広がり始め、太陽は既に半分以上も落ちていた。
「む、随分と日が短くなったものだな。明るい内に暇(いとま)するつもりだったのだが・・・・・・。まあ良い。どうだ、明日、一緒にその件の村まで往く気あるか?」
「うむ。気になる事が幾つかあるしな。往っても良い」
「気になる事?」
「まぁ、それは明日の道中にでもゆっくり話すさ。それより、早い時間に出立するなら、泊ってゆけ」
「貴様、まさか・・・・・・!!」
華雄は、一刀のその言葉を聞くなり顔を真っ赤にして後ずった。
「違う!俺はこの街の地理を殆ど知らんから、一緒に出た方が確実だと思っただけだ!」
「・・・・・・本当だろうな?」
一刀は、疑い深げな視線を送り続ける華雄を見遣って、呆れた様に溜め息を吐いた。
「お前な、そんなに警戒する位なら、最初から一人で、しかも酒なんか土産に持って来なけりゃ良かろう?」
「・・・・・・・・・・・・。ハッ、しまった!?」
結局、一刀の屋敷に泊まる事にした華雄は、せがまれるままに一刀が不在の間の蜀の人々思い出話を語りながら、したたかに酔った。
そしてその夜、華雄は、耳まで裂けた真っ赤な口を優しげに歪めた姑獲鳥が、愛おしそうに赤子を抱き抱えている夢を見た。
「だから、何もしていないと言っているだろう・・・・・・」
一刀は馬車の中で、その日何度目かになる台詞を呟いた。
華雄は朝起きてからずっと、一刀が酔い潰れた自分に何かしたのでは無いかと疑って大騒ぎしているのである。
自分が持って来た分ばかりか、一刀が買い置きしていた物も含めてニ升近くの酒を呑んで、翌朝にはけろりとしているのは流石と言えるが、この騒ぎには一刀も少々辟易としていた。
華雄が温床(オンドル)で寝入ってしまったので、一刀が抱えて寝台まで運んだのだが、どうやらそれが、華雄の不信を招いてしまったらしい。
「“大陸一の種馬”が、女を寝台まで運んでおいて黙って帰る筈がない」と言うのが華雄の言い分であり、それはまったく以て『お説御尤(ごもっと)も』であったが、実際に何もしていないのだからしょうがない。
「そんなに信用出来んのなら、湯浴(ゆあ)みの時にでも確かめてみろ・・・・・・。まだ、“証”は散っておらん筈だぞ?」
一刀がそう言うと、華雄の顔が見る見る赤くなった。
「きっ、貴様、どうして私が生娘だなどと思うか!!」
「今、自分で認めた様なものではないか。それに華雄、声が大きいぞ・・・・・・」
「むぅ・・・・・・」
一刀が、馬車の外の御者をが居る辺りを指差して窘めたので、華雄は渋々と口を閉じた。
この馬車が、如何に要人警護の為に特注された逸品でも、戦場で鍛え上げた華雄の怒声を完全に遮れる程の防音性能は無い。
「馬鹿にしおって・・・・・・」
「馬鹿になど、していない」
「しただろう。どうせ、男も知らぬ小娘と・・・・・・」
「人の価値は、そんな事では決まらんさ」
一刀は、ふて腐れて視線を逸らした華雄を優しげに見遣った。
「肌を重ねる事は、確かに生き物が成熟する過程で重要なものだ。しかし、人間はそれに、単なる子孫を残す為の生理的な行為以上の意味合いを持たせた。何だか分かるか?」
「いや・・・・・・」
「“愛情表現”だよ。人間は、肌を許し合う事に、相手に対する愛情と信頼を示す為の行為としての意味を持たせたんだ。その身に子を宿す事になる女は、特にな。それが単なる生殖行為である、他の動物達を見てみろ。雄は精を放つ事が出来る様になって直ぐ、雌は子を成せる様になって直ぐ、当たり前の様に繁殖期に異性を受け入れる」
「どうも、お前の話は難しいな・・・・・・。そうやって、私を煙に巻こうとしているのではないか?」
華雄そう言って、頭を抱えた。
兎も角、怒りは収まった様である。
「そんな事はない。つまり、人間と言う生き物にとっては、肌を許す事と子を成す事は、同じ様でいて微妙に意味が違うと言う事さ。だから、異性の肌を知らない事が、即ち未熟と言う事ではない。お前がたまたま、そう言う男にまだ会っていないだけさ」
一刀は言い終わってしまうと、唸る華雄から視線を外し、馬車の窓を開けて煙草に火を点けた。
「最も、だからこそ厄介なものなんだがな・・・・・・」
「何と言ったんだ?」
一刀の、どこか憂いを含んだ呟きに、華雄は頭を抱えていた手を離して尋ねた。
「姑獲鳥の話さ」
「おぉ。そう言えば昨夜、気になる事があるとか言っていたな。一体、それは何なのだ?」
「うむ。華雄、お前は、荊州に伝わる姑獲鳥の話を何処まで知っている?」
一刀の問いに、華雄は顎に手を当てて、考えながら口を開いた。
「まず、“人間の赤子を攫って育てる”事。それから、“羽毛を脱いで、人の様な姿になれる”事。あとは、“雌しかいない”、と言う事だったかな」
華雄がそう言って一刀を見返すと、一刀は小さく頷いた。
「おおよそは合っている。だが、抜けているところがあるな」
「そうなのか?」
「あぁ。良いか、本来、姑獲鳥が攫うのは“女児”なんだ」
「本当か!?」
一刀は、素っ頓狂な声を出して驚く華雄に微笑みを返した。
「よく考えてみろ。“子を攫って育てる”、つまり、やり方はどうあれ、“養子にする”と言う事だろう?普通、養子を取るのは何の為だ?」
「それは勿論、後を継がせる為だろう」
「そうだな。では、“雄”の姑獲鳥が居ると言う話はあったか?」
「お前、やはり私を馬鹿にしているのだろう?姑獲鳥には“雌しかいない”と今・・・・・・、あ!」
一刀は、華雄が一刀の言わんとしている事に気が付いたのを見て取り、満足そうに頷いた。
「そう。姑獲鳥に雌しかいないのは、“女児しか攫わない”からだ。最もそれが、“男が育てられない”からなのか、そもそも姑獲鳥が“そう言う在様(ありよう)のモノ”だからなのか迄は解らんがね」
「しかし、張福は息子を攫われた・・・・・・」
「そうだ。その一点だけを考えれば、張福の所に現れたのは“姑獲鳥ではない”と言う事になる。なにせ、姑獲鳥の定義から外れているんだからな」
一刀はそう言って、殆どフィルターだけになった煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「どう言う事なのだ、一体・・・・・・。一刀、お前には解っているのか?」
「解っているとも言えるし、解っていないとも言えるな」
「お前はまた、そうやってはぐらかす・・・・・・」
「はぐらかしてなどいない。言葉通りの意味さ。つまり、姑獲鳥が本来どんなモノなのかは解っているが、張福の子を攫った姑獲鳥がどんなモノなのかは、まだ解らんと言う事だ」
「解らん・・・・・・。姑獲鳥は姑獲鳥ではないのか?」
「その話は、今夜にでもするとしよう。村が見えて来たぞ」
一刀は窓の外を顎で示してそう言うと、それきり着物の裾の中で両手を組んだまま、黙って目を閉じ、馬車が止まるまで一言も喋らなかった。
「ようこそおいで下さいました」
村の最も奥まった所にある屋敷の前で、そう言って馬車から降りた二人を出迎えたのは、大柄な壮年の男であった。
華雄は男に向かって一刀を、「私の旧知で、高名な道士の北刀(ほくとう)殿だ」と紹介した。
一刀が馬車から降りる前に、華雄に自分の素情を誤魔化すように言い含めていた為である。
一刀は、「北刀です」と自己紹介をしながら、もう少し捻った名は考えつかなかったのかと、内心で華雄に苦笑した。
男は「張福です」と一刀に挨拶をして、繁々とその姿を眺めた。
肌寒かった事もあり、今日の一刀は、昨日と同じ白い着流しの下に黒いズボンを履き、足元は皮を鞣して作られた半長靴と言う出で立ちであった。
『道士』と言われば、確かに道士然とした服装に見えなくもない。
「華雄将軍、北刀様、態々(わざわざ)足をお運び頂き、真にありがとう存じます。何分(なにぶん)事が事ですので、どうして良いやら皆目見当も付かずに途方に暮れておりましたところで・・・・・・」
張福はそう言って両手を眼前で組んで、深く頭を下げた。
一刀はその間に、ゆっくりと張福を観察した。
白いものが混じった豊かな頭髪と、細長く蓄えられた髭。地味だが品の良い、藍色の袍(パオ)。農作業で培われたのであろう引き締まった立派な体躯に、浅黒く日焼けした肌。
深い憔悴の為に眼は落ち窪み、肌は艶を失ってはいるものの、この時代の五十男にしたら、かなり若々しい部類に入るだろう。
張福は、妻が具合を悪くして臥せっており、出迎えに来れない旨を詫びて、二人を屋敷に誘(いざな)った。
広い客間に通され、籐で編まれた立派な椅子を勧められた一刀と華雄は、茶が出て来るのを待つ間に、改めて張福の話を聞く事にした。
「ところで、張福殿。その姑獲鳥の詳しい有様などは、どの程度覚えていらっしゃいますか?」
華雄から伝え聞いたのと粗(ほぼ)同じ話を張福から聞き終えた後、一刀は、労わる様な口調で張福に尋ねた。
「有様、ですか」
「えぇ。華雄将軍のお話では、口が耳まで裂けていた事と、上半身は裸で、足に鉤爪があったと言う事くらいしか解りませんでしたので」
一刀の言葉を受けた張福は、思い出したくもないと言う思いと、思い出さなければならないと言う思いがせめぎ合っているのか、顎を引き、腕を組んで、複雑な表情で暫く黙考した。
張福が口を開いたのは、たっぷり三分程経ったときの事だった。
「そうですな・・・・・・。両目は紅く光っていて、髪は黒く波立って胸まで伸び、振り乱れて半ば顔を覆っておりました。羽の色は濃い緑で縁は漆黒、両の乳房は豊かで、臍の下辺りまで青白く透き通る様な肌が露わになっており、股から太腿までが、今度は赫い羽で覆われておりました。膝から下はまるきり鳥の足で、尻の上辺りに、大きな尾羽があったと思います」
張福は、苦い薬を呑み下した様な顔で一息にそう言うと、脱力して俯いた。
「赫い羽・・・・・・。張福殿、疑う訳ではないのですが、その姑獲鳥の下半身の羽の色は、真に赫かったのですね?」
一刀が真剣な面持ちで尋ねると、張福は頭が重くて堪らないとでも言う様にのろのろと顔を上げ、小さく頷いた。
「はい。煤(すす)の混ざった炎のような、黒味がかった禍々しい赫でしたので、よく覚えております」
一刀が暫くの間考え込み、再び口を開こうとしたところで、大きな扉が静かに開き、小柄な女が、茶器を乗せた盆を持って客間に入って来た。
歳は三十絡み位だろうか。侍女らしく、長い髪を後ろに引っ詰め、大きな団子にして布で包んでいる。
取り分け美しいと言う訳では無いが、目鼻立ちの整った顔で、少し垂れ気味の優しげな眼の下には大きな隈を作っていた。
女は小さく「失礼します」と言うと、卓に盆を置いて、手際良く一刀と華雄の碗に茶を注ぎ、最後に張福の碗にも茶を注いでから、一礼して部屋を出て行った。
「あの御婦人も、随分と御令息の事を気に病んでおられるようだな」
華雄がそう言うと、張福は悲しそうな眼をして言った。
「あれは、麗儀(れいぎ)と言う名でしてね。私が一人っ子だったもので、数えで十二の頃に我が家に奉公に来てから、実の妹の様に可愛がって来たのです。妻との相性も良く、娘たちも姉の様に慕っております。あれも、男の子を“流した”事がありましたので、息子の事を随分可愛がってくれておりましたから・・・・・・」
「そうでしたか・・・・・・。では、麗儀さんの御亭主もこの家で働いていらっしゃるのですか?」
一刀の問いに、張福は小さく頷いた。
「ええ、以前は・・・・・・。あれの夫は働き者の、気の良い好漢でした。麗儀の腹に子が宿ったと聞いた時も、私も妻も喜んで仲人に立ち、祝言を上げさせたのです。生まれつき脚が悪く、少し右足を引きずっておりましてね。そのお陰で兵役に取られる事も無く、返って良かったと喜んでいた矢先、流行り病であっさりと・・・・・・」
張福はそう言って首を振り、静かに茶を啜った。
「では最後に、大変失礼な事をお聞きします。答えづらいでしょうが、重要な事ですので、どうかお答え下さい」
一刀はそう言って、張福を見つめた。
「はい」
張福は緊張した面持ちでそう言うと、姿勢を正す。
「失礼ですが、張福殿は過去、奥方以外のどこぞの女性に懸想(けそう)なされた事は御座いませんか?或(ある)いは、御子を産ませた事が?」
「は?」
張福は暫くの間、呆けた様に一刀を見ていたが、一刀が至極真面目に尋ねている事をその表情から察して、ゆっくりと首を振った。
「いえ、特定の女を囲った様な事はありませんし、子を産ませた事も・・・・・・、多分ありません」
「多分?」
「その、お恥ずかしい話なのですが・・・・・・」
張福はそう言って、訝しげな顔で自分を見ている華雄の方をちらりと見た。
「あぁ・・・・・・、“そういう事”ですか」
一刀は張福の様子を見て、その言わんとしている事を察し、微笑みながら頷いた。
「はい。と、言いましても、随分と若い頃、都会に出掛けた時に何度かだけですが・・・・・・、その後の事には確信は持てませんから・・・・・・」
「張福殿は、随分と生真面目に物事を考えられる方なのですね。その辺りの事は、除外して構いませんよ」
「だから、どう言う事なのだ!」
男二人が勝手に得心してしまった為に置いてけぼりになっていた華雄が、卓を叩いて文句を言った。
一刀が、『言っても良いのか』と言う眼で張福を見ると、張福は諦めた様に頷いた。
「つまりだ・・・・・・、ゲフンゲフン。つまりですね、将軍。張福殿は、若い頃に妓楼でお遊びなられた時の事を仰っておいでなのですよ」
一刀がそう言うと、華雄は顎に手を当てて暫く考えてから、「あぁ!」と言って頷いた。
「何だ、それならそうと言えば良かろう。紛らわしい」
「は?いえ、しかし・・・・・・、ご不快でしょう?」
張福が気遣わしげにそう尋ねると、華雄は「ふん」と鼻を鳴らした。
「私は軍人だぞ。四六時中ずっと男に囲まれていれば、そんな話は散々聞いている。つまらん気遣いは無用だ」
「張福殿。華雄将軍は、大変に“剛毅”なお人柄であられますから・・・・・・」
一刀は、込み上げて来る笑いに堪えながら、両手を腰に当てて胸を張る華雄を茫然と見つめる張福にそう言った。
「はぁ、左様で・・・・・・」
張福はどうにかそう答えたものの、未だ華雄を、珍しい動物でも見る様な眼で眺めていた。
無理もない。
『牧歌的』という言葉を絵に描いた様なこの村から殆ど出た事が無いであろう張福にとって、華雄の様な女傑は、それこそ龍や麒麟と大差ない、伝え聞くだけの存在であるに違いなかった。
「で、では、張福殿。最後に、姑獲鳥が現れたと言う部屋を見せて頂けますか?」
一刀は、凄まじい努力で真面目な顔を作り直すと、張福に向かってそう言った。
「ここで御座います・・・・・・」
恐ろしい事もあってそのままにしてあると言う部屋には、姑獲鳥が引き起こしたと言う怪異の跡が、生々しく残されていた。
一刀と華雄は、先程まで幾分か和らいでいた表情を元の沈痛な様子に戻した張福がそう言って開けた扉から、件(くだん)の部屋に入った。
調べ終わったら戻るからと言って張福を帰した一刀は、ぐるりと部屋を見渡すと、迷う様子も無く窓の傍にスタスタと歩み寄り、注意深く辺りを観察し始めた。
「むぅ・・・・・・」
華雄はそう唸ると、腰に佩いていた剣の鞘の先端でズタズタに引き裂かれた掛け布団を持ち上げ、そこにベットリと付いた赤黒い染みを繁々と眺めた。
「その“血”に触れるなよ」
華雄は、一刀が強い口調でそう言ったのに驚いて布団を離し、窓際からこちらに顔を向けている一刀を見た。
「それは、“姑獲鳥の血”だぞ。触ったり匂いを嗅いだりすれば、瘴気に中(あ)てられる」
一刀は張福が居なくなったので、いつもの口調に戻ってそう言った。
「どうして、これが姑獲鳥の血だと解るのだ。乳母か赤子のものかも知れんだろう?」
「臭いさ」
「臭い?」
「あぁ。血に混じった瘴気が、先程そばを通った時に強く臭ったんだ。姑獲鳥は、自分の血で夜、外に干してある子供の服に印を付け、病をもたらすと言う説がある。最も、子供が服に着いた血の瘴気に中てられた、と言うのが本当のところだろうがな」
「む、それは知らなかったぞ。どうして教えてくれなかったんだ?」
「そちらは、今回の事に関しては余り重要じゃないと思ってな。赤ん坊は攫われたんであって、病気にされた訳じゃないだろう?」
「むむむ・・・・・・」
一刀は、華雄の文句を笑顔で一蹴すると、再び窓際の周辺の家具や棚の影を調べ始めた。
「お、あったぞ」
一刀が床に屈みながらそう言ったのは、華雄がいい加減に飽きてきて、つま先で床をカツカツと叩き始めてから暫く経った頃の事だった。
「何があったのだ!?」
華雄が“おあずけ”を解かれた犬の様な顔で近付いて行くと、一刀は、衣装棚の下の隙間に右手を突っ込んでいた。
「これだ」
隙間から出された一刀の手には、深緑色に黒い縁取りの、大きな一本の羽が摘ままれていた。
「おい、一刀。これはまさか・・・・・・」
「そのまさか、さ。これは、“姑獲鳥の羽”だよ」
一刀は事もなげにそう言うと、その羽を顔に近づけて、鼻をひくつかせた。
「おい、瘴気は大丈夫なのか!?」
一刀は、心配そうにそう言う華雄に向かって微笑んだ。
「俺は、少し耐性があるからな。しかし、妙な・・・・・・」
「妙だと?」
「あぁ。これはやはり、薄々は感じていたが・・・・・・」
一刀は、じっと羽を見つめて、独り言の様にそう呟くと、懐に手を入れて、何かを取り出した。
「む?蝶か、それは?」
華雄が眉間に皺を寄せて訝しげに尋ねると、一刀は小さく頷いた。
それは、切り紙で作られた蝶だった。
一刀はそれを縦に折ると、その折り目に沿って舌を這せて濡らし、慎重に裂いた。続いて、二つになった蝶を両手で挟み、目を閉じて唇を寄せ、何事かを呟く。
一刀が再び手を開いた時、華雄は思わず「おお!」と声を上げた。
一刀の右の掌に“片羽”の揚羽蝶が現れ、その羽を、呼吸をする様にゆっくりと動かしながら、大人しく留っていたのである。
一刀が左手で姑獲鳥の羽を近づけると、その蝶は右側の二枚の羽だけでひらひらと飛んで、姑獲鳥の羽の先に静かに留った。
「これも、お前の言う式神と言うやつなのか?」
「その様なモノだが、式神ほど“強く”はない」
一刀は、興味深げに片羽の蝶を見つめる華雄にそう答えると、「頼んだぞ」と言って、姑獲鳥の羽を軽く振った。
すると、片羽の蝶は宙に舞い上がり、ふわふわと飛んで、窓の外の空に消えた。
「あれに、何を命じたんだ?」
「救えるかも知れない」
「は?」
「此処に来るまでは、手遅れかと思っていたんだが・・・・・・」
「もしかして、赤子の事を言っているのか?」
一刀は、蝶の飛んで行った空に向けていた視線を華雄の顔に戻して、静かに頷いた。
「助けられるのか、赤子は!?」
「まだ解らん。だが、少なくとも、赤子“は”まだ、助けられる可能性がある」
「いずれにしても、今日は長い夜になるぞ」
一刀はそう言って、蝶が飛び去って行った茜色の空を見上げた。
あとがき
今回のお話、いかがでしたか。
相変わらず、恋姫ssにあるまじき、暗い感じですね。すみませんwww
でもまぁ、折角の“外伝”ですので、これはこれで、本編とは別の視点で楽しんで頂ければと思います。
では、また次回、お会いしましょう!
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投稿十六作目です。
姑獲鳥が現れたという村に向かった一刀と華雄が見付けた物とは・・・・・・。
では、どうぞ!