「それまでだ、尾崎。何も一年生相手に、お前がそうムキになる事もあるまい?」
延々と続くノックに終止符を打ったのは、穏やかな笑顔を浮かべ佇む、がっしりとした体躯の男であった。
「キ、キャプテン……。はぁ、すみませんでした」
素直に謝る尾崎に驚いていると、当のキャプテンと呼ばれた男は勇斗の方を向いてこれまた満面の笑顔で近付いてくる。
「君は新入部員、と言うことでいいのかな?」
「え? あ、はい。一年の杉村勇斗です。お世話になります」
「はは、そんなに硬くなる必要は無い。これからは同じグラウンドで汗を流す仲間なんだからね。それより、あの尾崎のノックに耐えるとは大したものだ」
「い、いえ、そんな……オレ、必死でしたし、マグレですよ」
「謙遜するな。マグレでどうにかなるほど、尾崎のノックは甘くは無い。そう考えれば、君の動きがそれ相当のレベルだと言うことになる。違うかね?」
自分と尾崎。どちらも同じように褒め称える大人の対応に、驚く勇斗。
そんな彼を見て、目の前のキャプテンは少し照れたように頬を掻く。
「いや、すまないな。こんなだから、周りからは年を誤魔化していると言われてしまうのかな。改めて、パワ高野球部のキャプテンを務めている石原だ。困った事があったら遠慮無く聞きに来なさい。出来る限りの協力は惜しまないつもりだ」
そう言って勇斗の肩を軽く叩くと、石原は新入部員たちへのキャプテン挨拶のためにその場を離れた。と、数歩歩いた所で何かを思い出したように彼は振向いた。
「そうそう、杉村。君の実力は認めるが、暫くは激しい運動は控えるんだな。受験勉強でなまった身体でのトレーニングは、怪我のもとだ。身体が慣れるまでは、基礎練習で体力を取り戻すように」
その後、集った新入生を前にしての自己紹介の後、早速練習が始められた。
とは言っても実戦形式の練習は二、三年のみで、一年生はランニングの後にみっちりと柔軟体操と筋力トレーニングをさせられていた。
さすがに尾崎は、二年生でありながら既にプロのスカウトからも注目を浴びているだけあって、その野球センスは抜きん出ていた。
石原も、尾崎ほどのセンスは感じられないが、それでもその存在感が、部員たちからの強い信頼を受けている。
何より、部員の全員が野球を楽しんでいる事は、誰の目から見ても明白であった。
そんな活気のある雰囲気に、一年生たち野球小僧の血が騒がないわけが無かった。
「う~、退屈でやんす。こんなことじゃ、オイラの折角の足が錆付くでやんす」
矢部の言う通り、練習も中盤に差し掛かる頃になると、さすがの一年生たちも緊張感が薄れ始め、掛け声にもどこかだらけた様子が感じられた。
「オラァ、テメェら!! しっかりと声を出さねぇか!!」
最初の頃は尾崎の一喝で緩んだ紐を締めることが出来たが、それにも慣れてくるとイタチごっこになってきてしまう。
「どうだろう、尾崎よ。さすがに彼らも退屈しているだろうし、硬球に慣れさせるためにも練習に参加させてみては」
「キャプテン。気持ちは分かりますが、初日目から甘やかしていたら一年に舐められます。ここはビシッと締めておかないと」
「心配するな。何も最初からオレ達と同じメニューでやらせようとは考えておらん」
「ですが、いきなり硬球ではすぐに怪我しますよ?」
「硬球を使っていれば遅かれ早かれ怪我はする。それならば、早い内に痛い目を見てもらって、これからの自分たちに必要なものに気付いてもらった方がいいとは思わんか?」
「まぁ、自分はキャプテンがそう言うのでしたら、これ以上は何も言いませんが……」
「なら決まりだ。早速一年を集めて来てくれ」
「分かりました」
そう言って一礼し、一年の方へと歩き出した尾崎へ、後ろから石原が声をかけた。
「尾崎よ。確か一年前も、同じようにだらけきっていたヤツのテストをしたような気が、オレにはするんだがな。その時の生意気なヤツは、いつしかこのチームの中心選手となり、プロにも注目を浴びるようになった」
「何が、言いたいんスか?」
少々引き攣った表情で訊ねる尾崎に、石原は茶目っ気たっぷりの笑顔で応える。
「あの一年の中に、そんな逸材がいるような気がしてならないんだ。そう。あの時お前から感じた『何か』がな。オレにはどう言う訳か、良い選手を見極める目を持っているらしい。皮肉な事に、オレ自身が大した選手じゃないのに、な」
「ふぅ、やっと十周かぁ」
勇斗は他の一年から離れ、一人黙々とグラウンドの外周をランニングさせられていた。
尾崎に挑発されたからと言って、まだ正式に部員として紹介される前の行動としてはいささか問題であった。
その罰として彼は、他の部員たちが自己紹介している間にランニングを命じられていた。
現在、それぞれパートナーとともに柔軟体操や筋力トレーニングをさせられている他の一年たちを横目で見ながら、「実はここからイジメが始まったりしないだろうな」などと、少し後向きになりかけていた。
「はぁ……」
沈痛な面持ちでランニングを続けていると、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえて来た。
「一年、集合!! 予定を変更して、これからお前らの体力測定をやる!!」
突如告げられた尾崎の言葉に、暫し呆然とする新入部員一堂。だが、そこは若さと根っからの野球小僧たち。すぐにテキパキと愛用の道具を手に動き出す。
一人、見事に取り残された勇斗であったが、尾崎に声をかけられてその輪に加わる事が出来た。
「おう、杉村。すまなかったな。オレのせいで一人ランニングだなんてよ」
「尾崎先輩。いえ、気にしてませんから。むしろ、お蔭でしっかり身体を温めることができました」
「ほぉう(きらーん)」
「(はっ!)い、いえ、別に声出しが嫌だとかそう言うんではなくてですね、ただ、いい汗流したなぁと思いまして」
「そうかい!!」
ゴッ!!
「あぐっ!!」
振り上げられた尾崎の拳が、見事に勇斗の脳天をとらえる。
「ってぇぇぇぇ!!」
涙目になって蹲る勇斗を満足そうに眺めながら、尾崎はマネージャーたちに声をかける。
「今のうちに保健室の加藤先生に応援を頼んどけ」
そう言って、未だ悶える勇斗を置いて、無常にも尾崎はその場を後にした。
その後始められた体力測定では、初めて硬球に触れる一年生たちの阿鼻叫喚の声が途絶える事はなかった。
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ここで予めお伝えしておきたい点について。
私個人としては、スポーツには割と詳しいほうと自覚しております。当然野球も好きなのですが、今作においてはあまり配球やら打順やらを、細かく表現はいたしません。
考えればキリがないし、無駄にキャラが増えると本筋から離れていってしまい、読むほうも疲れる。と、誰にとっても幸せな結果にならないからです。
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