「善為すに武を以って為す、其は悪為すと同義」
「……義兄上、それは?」
軍議の最中、ポツリと呟く一刀に関羽が問いかける。
「俺のお師匠がよく言ってた言葉でさ。もうほとんど口癖になっていたな。どんなに良い事だって、力づくで事を為せば、その瞬間に悪い行いになる。……今の俺たちがまさにそうだなって、思ったんだ」
腕を組み、一刀は天井を見上げる。
「深い言葉だな。しかし、的を射ている」
「だね。……後悔してるの、お兄ちゃん?益州取りを決めた事」
「それこそまさかさ。後悔はもうしないって決めたからな。俺が言いたかったのは、桔梗さん、焔耶、蒔、早矢、美音。あなたたちの覚悟。それをもう一度聞きたかったんだ」
厳顔、魏延、張翼、雷同、李厳。
それぞれの顔を、見渡していく一刀。
「……お館さま、それこそ今更というものですぞ」
「そうです!私はお館、いえ、一刀さまにこの身全てを捧げます!」
厳顔が一刀に答え、魏延もそれに続く。
「私もです。一刀様達のお覚悟、この魂に響きました」
「私もなう。あのときの一刀さま、とっても格好良かったなう」
「せやせや。とはいえ、うちはどっちかつーと、蒼華姉さんに惚れたんやけど」
「な、何だと?!」
李厳の告白に、華雄が驚き戸惑う。
「その装束で焔耶と戦う姿、めっちゃ綺麗やったもん。も、うち一発でやられてもうたわ」
華雄が身に纏う、白と赤の装束を見ながら、うっとりとする李厳。
「ていうか蒼華、あんた、いつまでそれ着ているわけ?」
どっか逝っている李厳を無視し、賈駆が華雄に問う。
「……いやな。戦っていて思ったんだが、この装束、やはり少しだけ違和感があってな。しばらくは普段から着て、慣れておこうと思ってな」
「いっそのこと普段着にしたら?うん。なんかこう、えもいえぬ色気があって、蒼華に良く合っているしさ。てか、ぜひそうしてくれ」
「か、一刀がそう望むのなら、そうしてみても良いが……」
一刀にそう褒められ、顔を赤くしながらもじもじと照れる華雄。
(か、可愛い……)
その華雄を見て、そんな感想を持つ一刀だったが、
「……お兄ちゃん?鼻の下が果てしなく伸びてるよ?」
「……義兄上……。貴方という人は……」
「一刀様……」
「……ど助平」
劉備、関羽、魏延、そして公孫瓚から、氷のような目で殺気を向けられる一刀。
「……あの。オシオキは、また後ほどでも、ヨロシイデショウカ?」
『(にっこり)……イイワケアルガーーーーッ!!』
「アッーーーーー!!」
「……いい加減、懲りないよね、カズ君も」
「いつもああなのか?」
「大体あんな感じなのだ」
「……ちょっとだけ、かっこ悪いなう」
劉備と関羽、魏延の三人に追いかけられる一刀を見て、半ば呆れている一同であった。
丁度その頃、益州の州都、成都では。
『…………』
町の広場に造られた特設舞台。その上で、時に激しく、時に優雅に舞う一人の少女がいた。
左へ右へ。右から左へ。時に跳躍し、くるりと回る。その表情は憂いを帯び、人々を虜にして離さない。
曲が終わるとともに、舞台中央に少女が立ち、その両腕を大きく開く。すると、
『わああああああっっっっ!!』
数万には達するであろう観客から、盛大な歓声が巻き起こる。
「朔耶さまーーー!素敵ーーー!」
「朔耶さまーーー!愛してるーーー!」
すさまじいまでの熱気が、会場を支配する。
「みなさん。今日もこれほど多くの方にお集まりいただき、本当にありがとうございます。では、本日の締めとして、私の新曲をご披露させていただきます。……”酔夢愛歌”。聞いてください」
少女の言葉の終わりとともに、ゆったりとした音楽が流れ始める。
そして、先ほどまであれだけ熱狂していた観客が、いっせいに静まり返る。
少女が、歌いだす。
瞳を閉じれば映る 貴方の笑顔
耳を澄ませば聞こえる 貴方の声
覚えていますか あの日々を
届いていますか この想い
いつか歌った愛の歌
いつも夢見る愛し人
願わくばこの身を鳥と変え
貴方の下へと羽ばたきたい
そして私に囁いて欲しい
夢にまどろむ 愛の言葉を
少女が歌を歌い終わる。
そして、一拍置いて、
「……素敵な歌」
「朔耶さまーーー!素晴らしいですーーー!」
「われらが歌姫、法孝直ーーーー!!」
割れんばかりの歓声。そして、それに対して、両手を大きく振って応える法正。字を孝直であった。
その夜。成都城内。
「今日の舞台も大盛況だったようじゃな、朔耶よ」
「……はい。紅花さまのご支援のおかげです」
昼間の舞台の時とはうって変わり、玉座に座る少女に対して、法正は無感情な返事を返す。
玉座に座る、きらびやかな衣装を身に纏った少女の名は、劉璋。字は季玉という。
ここ益州の主である。当然、その臣下である法正は、彼女を敬わなければいけない立場にある。だが、とてもではないが、劉璋に対してそんな態度をとる気にはなれなかった。なぜなら、
「……紅花さま。そろそろ他の街への巡業を、認めていただけませんか?成都に留まっていては、一部の者たちにしか、私の歌を聞いてもらえませぬゆえ」
そう。法正はここ数ヶ月の間、成都を離れることを許してもらえなかった。その理由は、
「駄目じゃ。そなたがここを離れたら、妾が毎日そなたの歌と舞を見れんではないか」
という、劉璋の個人的願望。つまり、わがままによるものだった。
「それに、別にそなたが成都を離れんでも、向こうからここに来させればよいではないか。そんなにそなたの歌を聞きたいのであれば」
(……やっぱり、全然解っていない)
と、法正は口に出さずに思った。
益州が平穏だった時期は確かにあった。だが、それも劉璋の母である劉焉の代の話である。
旅をしようと思えば、わずかな路銀で着の身着のまま出ることが、確かに当時はできた。
だが、彼女の代になって事情は変わった。
重税と過酷な労役に耐え切れず、賊徒化した者たちがあちこちで暴れており、力を持たない民達は町を出るどころではなかった。
(そのことをまったく知らず、しかも、その責が自分にあるとはかけらも思っていない)
法正は意を決した。臣下として、主君に諫言することを。
「姫様。貴女は知らされていないだけかも知れませんが、民達は今、重い税と必要以上の労役で苦しんでいるのです。その事をどうか、ご理解いただき」
「うそはいかんな、朔耶。主君を甘言で弄してどうする気か?」
その法正の厳をさえぎり、女の声が部屋の中に響く。
「梅花!いつからここに?!」
「つい今しがただよ。姫。ご安心をなされませ。朔耶の言は全て絵空事にございますよ。疲れのせいであらぬ妄想をして、それが現実と区別できなくなっているのでしょう」
劉璋のそばに歩み寄り、そう進言する張任。
「主君を甘言で弄しているのは貴女でしょう!私は」
「朔耶よ。もうよい。妾はもう眠いのじゃ。おぬしも疲れて居るなら早く休めよ」
「紅花さま!」
法正の話を途中で切り上げ、劉璋は席を立って、欠伸をしながら奥へと引っ込んでいく。
「朔耶よ、そういうことだ。おぬしは友の心配だけして居ればよい」
「……どういう意味ですか」
法正は、劉璋を追っていた視線を張任に向け、キッとにらみつける。
「おや?まだ言っていなかったか?巴郡の桔梗、いや、厳顔が謀反をしたのでな。蒔と早矢、美音に討伐を命じたのですよ」
「なっ!?桔梗様が謀反などするわけが」
「主君の命に逆らったのです。これを謀反といわず、なんと言いますか?」
「主君の命?紅花さまは何をお命じになったと」
「それを貴女が知る必要はないですよ。なに。近いうちに解りますよ。いい報せとともにね」
話をはぐらかし、張任はそのまま玉座の間を出て行く。
(……蒔、早矢、美音。桔梗様、焔耶、由。みな、どうか無事で……)
何もできない自身を呪いながらも、法正は玉座の間で一人そう願う。それしか、今の彼女に出来る事は無いのだから。
場面は再び巴郡。
「私達に、先に成都へ戻れと?」
「うん。ただし、連れて戻る兵隊さんは、半分だけね」
徐庶がそう呈した策に、張翼らは首をかしげる。
「それからその際、桔梗さんと由さんを”捕縛”して連れて行ってくださいね」
満面の笑みを浮かべて、張翼にそう指示する徐庶。
「桔梗さまをと由を捕縛だと?!輝里!一体どういうつもりだ!」
その徐庶に対して、憤怒の表情で詰め寄る魏延。
「落ち着け、焔耶!……わしは証と囮。そして由は潜入役。……そんなところじゃろ、輝里よ?」
魏延を制し、厳顔が笑顔で徐庶に問う。
「うん。桔梗さんの言うとおりだよ。で、もひとつ仕込んでおきたいんだけど。……ムフ」
小悪魔のような笑みを、ちらりと一刀に向ける。
「……おい。まさかとは思うけど、また、か?」
「駄目~?綺麗だけどな~。カズ君のじょ・そ・う」
「か!一刀さまが、じょ、女装!?」
徐庶の台詞を聞き、魏延が顔を真っ赤にする。
「え~んやちゃん。何を想像したのかな~?」
にやにやと。魏延の顔を覗き込む劉備。
「にゃっ!?べ、別に何も想像しては……」
「ほ~う。べつになにも、な。頭の中で一刀に何を着せたのやら」
「せ、先生まで!何も想像などしておりません!!」
魏延のいう先生、とは華雄のこと。巴郡に入って以降、毎日のように、(いろんな)教育を受けているため、このような呼び方をするようになっていた。
「二人とも、それぐらいにしておいてやれ。で、出立はいつにする?」
魏延をからかう劉備と華雄をたしなめつつ、公孫瓚が徐庶に問う。
「まずは二日後に、蒔さん達に出てもらいます。それだけあれば、兵士さん達の”偽装”をするのに間に合うからね。カズ君もそれまでに準備のほう、よろしくね?」
「……わかったよ」
大きくため息をつきながら、一刀が不承不承頷く。
「われわれはその更に三日後に発つのです。恋殿と鈴々に、それぞれ先鋒を務めてもらうのです」
「ボク達は軍を二手に分けます。一方は正面から成都へ。もう一方は培城から綿竹関を通って、成都を目指してもらいます。正面から成都を目指すのは、恋さんを先鋒に、桃香さまと愛紗さん、ねね。蘭さん、蒼華さん」
「培城方面は鈴々ちゃんを先鋒に、拓海ちゃん、白蓮姉と水蓮さん。それからあたし」
全員にそれぞれの陣容を説明する、徐庶、馬謖、陳宮の参謀三人組。
「あ、そうなう。鈴々どの、綿竹関では気をつけるなう。名前までは判らないけど、相当強いやつが新たに配置されたそうなう」
張飛に対し、噂で仕入れた情報を雷同が伝える。
「だいじょーぶなのだ、早矢!鈴々に勝てるような奴なんか、そうは居ないのだ」
「……過信は禁物だよ、鈴々。俺や恋に匹敵、もしくはそれ以上の奴が居ないとは限らないからね。例の連中のような、さ」
自信満々に胸を張って言う張飛を、一刀が優しくたしなめる。
「うにゃ。確かにそうなのだ。わかったのだ。お義兄ちゃんの言うとおり、油断は絶対にしないのだ!」
「途上にある培城は特に問題ないやろ。何せ本来なら、うちがおらなあかん城やし」
「そうだな。今留守を守って居るのは、沙霧だったか」
「せや。鄧芝、字は伯苗。あれは頭の回る奴やさかい、うちが一筆書けば、敵対はせえへんやろ」
李厳と張翼がそんな会話を交わす。
「よし。それじゃあ、みんな。それぞれ行動に移ってくれ。……無事に、成都で会おう。みんなで、だ。いいね?」
『御意!』
そして二日後。
まずは張翼たちが、一万五千の負傷兵(偽装)を連れ、厳顔と孟達を”捕虜”として出立。
その三日後。
今度は張飛と呂布、それぞれを先鋒として、荊州軍が巴の街を出立した。
それぞれに、戦いの地を目指して。
時に漢の献甲元年。
暑い夏が終わりを告げ、秋の訪れが近づいていた。
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刀香譚、四十三話です。
視点を再び一刀たちに戻します。
それでは、どうぞ。