No.173665

黒春告精と紅吸血鬼

ぬえさん

リリー・ブラック×レミリア・スカーレットの話。
特殊カプ?いえいえ、これこそが真理にして至高なのです(つまり俺得小説ですごめんなさい←

2010-09-20 13:44:44 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:328   閲覧ユーザー数:315

 
 

 

 湖の中にぽつんと浮かぶ小さな島で、禍々しいまでに紅い光沢を放つ紅魔館。

 館の庭に敷き詰められた真っ赤な薔薇が主人の人格を表すかの如く異彩を映し、見る者を圧倒させるかのようにその偏り具合は凄まじく、主人であるレミリアは自らが成した奇行とも取られかねないその情景をゆったりと眺めていた。

 「庭先なんて見つめて、どうかした? レミィ」

 「んー……これはなんて異変なのかしらねぇ」

 そんな、いつも通りとも言える彼女に、テーブルを挟んで対面に座るパチュリーが尋ねる。

 レミリアはそれには答えず、真っ白なテーブルクロスに置かれたバスケットから一輪の薔薇を手に取る。それをパチュリーによく見える角度で斬り落としてみせれば、棘だらけの茎を友人に向かって放り投げた。

 パチュリーの手に収まったそれは僅かな時間を置いて、しかし通常では有り得ない勢いで生長し、また元の美しい花を咲かせる。

 手の中で不気味な程に逞しい生命力を感じさせる花を見つめながら、パチュリーは特に興味も無さそうに聞き返した。

 「それを解決しに、咲夜が出掛けているんじゃないの?」

 「そうなんだけどねぇ」

 気の無い返事を返しては小さく欠伸を漏らす。レミリアは再び視線を窓の外に移すと、頬杖を突いて満開の庭園を見つめ始めた。

 正直、この異変に対する興味は薄かった。誰による異変で何が目的なのか、この異変によってもたらされる損害は何か……そういった、当たり前のように考える事を考える気にもならない、ある意味で呑気な異変。四季を問わずただ花を咲かせる異変に、どんな危険があるというのだろうか。

 そんな様子を醸し出していたのか、手の中で薔薇を弄びながらパチュリーが声を漏らす。

 「今回は割と無関心ね?」

 「まあね。そんな事より、退屈だわぁ」

 そう問うた本人ですら関心が薄いようで、パチュリーは黙ってレミリアのぼやきにすら答えない。

 「咲夜、早く帰って来ないかしら……」

 紅魔の吸血鬼は心底退屈そうに呟いては、味気ない紅茶を口にした。

 

 

 

 「ただいま戻りましたわ、お嬢様」

 そう言って咲夜が二人の前に帰ったのは、正午も過ぎた昼過ぎの事だった。その手には何故か両手一杯の花を抱えており、真っ赤なそれらはまるで血のように輝いている。

 「おかえり。意外と速かったわね。紅茶を淹れてちょうだい、咲夜」

 「はい、お嬢様」

 帰ってきたばかりの咲夜を一瞥するだけで、その大量の花については何も触れなかったレミリアは小さく手を振って見せる。下がっていい、といった所の意味た。

 その意味を知ってか知らずか、咲夜はバスケットに花を押し込むと紅茶を淹れに掛かる。

 「……何かしらね。異変を解決しに行った割には、やけにあっさりしているわね」

 「んー? いいんじゃない、話は後で聞くんだし、その時にでも話してもらえれば」

 それもそうね、と嘆息に近い溜息を漏らして、パチュリーは薔薇を元の位置にそっと戻した。

 咲夜が紅茶を淹れている間、二人は何も語らず目の前に置かれた飲みかけの紅茶を眺める。咲夜がいないので他のメイドに淹れさせてみたのだが、その出来は思った以上に良く無かったらしく、レミリアはともかくパチュリーの方は手付かずですらあった。

 待っている間手持ち無沙汰なのか、パチュリーは咲夜が摘んで帰って来た花束を手に取ってみる。そこで気付く。

 「これ、鈴蘭じゃないの」

 「鈴蘭?」

 博学なる魔女の言葉に、レミリアは鸚鵡返しに呟いた。

 「そう。しかもこれ、ただの鈴蘭じゃないわね……。凄い毒性だわ。こんなものどこから持ってきたのかしら」

 「本人に聞いてみればいいじゃない」

 「咲夜は今給仕中。……幻想郷にこんな危ない物があるなんてね」

 しみじみと言う親友の言葉に、レミリアは首を傾げる。

 「危ない物って、たかが花でしょ?」

 「これはたかが、なんてものじゃないわ。この程度なら私達には問題無いけど、もしこの鈴蘭の花畑が存在するなら、そこは強大な妖怪にとっても脅威となるでしょうね」

 命に関わる程じゃないけど、と付け加えて、パチュリーはしげしげと鈴蘭を眺めた。

 そう言われても相変わらず興味が湧かないレミリアとしては、うんともすんとも言えない。一人鈴蘭を眺めてうんうん唸る彼女を珍しげに見つめ、そこでふと気が付いた。

 「そんな珍しい物を見つけておいて、あの咲夜が使おうとしないなんてね」

 「異変かしら」

 「春だからじゃない?」

 「陽気だものね」

 「春だけにね」

 「暖かい季節は好きよ」

 「薄ら寒い従者はいらないわよ」

 「お二人とも、なんて事を言うのですか」

 軽口を叩き合う二人の会話が聞こえていたのか、紅茶を淹れて来た咲夜が抗議する。

 「まるで人を冷酷人間みたいに。毒があるので調べてから混ぜようと思っていたんですよ。これが私の暖か味です、優しさです」

 「へぇ」

 「ふぅん」

 どうです、と言わんばかりの完全で瀟洒な従者の改まった言葉にも、二人はまるで信じてない様子で適当な返事を返す。咲夜は半ばそれを予想していたかのような動きで会話の流れを無理矢理断ち切ると、何も言わずテーブルの上にあったカップ二つを下げ、自分が淹れたばかりの紅茶を差し出した。

 「お待たせしました。――どうぞ」

 「ありがとう」

 パチュリーは今日初めて、ようやくカップを手に取った。

 「うん、やっぱり咲夜が淹れた紅茶が一番ね」

 「ありがとうございます」

 「……」

 そんなやりとりを分かった上で広げる二人を眺めていたレミリアには、紅茶を淹れてくれた妖精メイドの事を思い出して苦笑しか出なかったが、おおよそ二人が落ち着いた所で短く尋ねた。

 「で?」

 「で、と申されますと?」

 「……」

 その気のなさそうな様子でレミリアが退屈そうに咲夜に聞く。主に質問された従者は、しかしその質問の意図が分からずとも不可解な顔一つ出さない変わらぬ笑顔で答えた。

 予想通りの彼女の反応にレミリアは一つ頷くと、自分より背の高い相手を見上げて面白そうな物を見つけたかのような、はたまた子供が悪戯を企んでいるかのような表情で再び問うた。

 「で、どうだったの?」

 「……そうですねぇ」

 「……」

 長年共に過ごした仲か、レミリアの要領を得ない問い掛けを耳にしてもまるでそれだけで全てが伝わったかのような反応を示す二人。

自慢の従者はどう答えようか情景を思い出している様子で、先程から沈黙を保ったままの親友は毒入り花束を眺めたままでいるも、間違いなくレミリアが何を言わんとしているかは把握している筈だ。

 必要最低限な言葉だけで理解出来る。それこそが紅魔館の時間を超えた絆なのだが、当人たちはそんな些細な事は気にも止めない。それが気にするまでもない、ごくごく自然な事だから。

 咲夜は顎に手を当ててしばらく思案していたが、やがて見下ろすように主人と目を合わせると、短く一言だけ答えた。

 「閻魔様に説教されましたわ」

 「四季・映姫ね」

 「誰よそいつは」

 「閻魔様ですわ」

 「閻魔よ」

 「だから、そいつが誰かって聞いてるの」

 レミリアがやや怒鳴り気味に聞き返した所で二人は互いに目を見合わせる。数瞬の間を置いてから、二人は少しご立腹なレミリアに同時に向き直り、同時に同じ答えを発した。

 「閻魔様ですわ」

 「閻魔よ」

 「……私の言い方が悪かったのね。そいつはどんな奴なの」

 このままでは平行線を辿る一方だと思ったのか、レミリアが折れて二人に言い直す。

そんな事はわかっていたのか、一人は知らないと答え一人は頭を振った。先程会った、と言ったばかりの咲夜にレミリアは不思議そうに尋ねる。

 「パチェはともかく、咲夜も知らないの?」

 「私はお説教されただけですので」

 なるほど。

 閻魔様のありがたいお説教を承るも、いつものように話のわからない相手だったから倒してしまった、と。

 やはり咲夜はいつも通りだったらしい。

 「そんな事より、早く飲んでしまわないと紅茶が冷めてしまいますわ」

 「それもそうね」

 それっきりその話に興味が無くなったのか、咲夜が淹れてくれた紅茶を前に、パチュリーは持っていた花束を咲夜に押し付けて椅子に座る。咲夜は受け取った花束を抱えて自室へと戻って行った。大方珍しい花とやらでも調べるのだろう。

 パチュリーが美味しそうに紅茶を飲んでいるのを横目で見ながら、レミリアも席に着く。一人納得いかない彼女は、白いカップを手に取って一口その中身を飲み込んだ。

 

 

 深夜。月が夜空を照らす美しい時。彼岸花が咲き乱れる再思の道を飛び抜け、無縁塚へと行く影があった。真っ赤な花に一瞥くれるだけで止まることのない人影は奥へ奥へと進んでいく。

 結局、あの後好奇心に勝てなかった吸血鬼は、親友の魔女から閻魔の居場所を聞き出し、夜になってから屋敷を出たのだった。

道中、湖で頭の弱い妖精をからかい、以前森で出くわしたチキンを倒し、その後も巫女と魔女やうさぎに天狗、毒人形を無視して、ここ再思の道まで辿り着いた。

 なるほど。咲夜の言うとおり幻想郷のいたるところで季節を関係なく花が咲いている。

 (……これほどの異変を前に、咲夜が何もしない、なんてねぇ……)

 にわかには信じられなかったが、改めてその異変を感じてみれば特に悪意を感じる事もなく、問題のある異変でも無さそうだった。だが、たったそれだけの事であの咲夜が引き下がるだろうか?

 答えは考えるまでもない。なら何故彼女は帰ってきたのか。

 その答えを握っているのが閻魔であり、今回のレミリアの好奇心の対象である。自慢のメイドを納得させたのか丸め込んだのかどうかは知らないが、どちらにせよ気になるのが人情というもの。

 レミリアは期待を込めて、咲夜が閻魔に会ったという無縁塚に向かう。親友が言うには、本来閻魔に会うためには三途の川を渡らなければ会えないそうだが、従者はこの先で会ったと言うし、日蔭の知識よりは完全で瀟洒な体験者である。

 やがて月が厚い雲に覆われる頃、再思の道の終着点が見えてきた。レミリアは飛行する速度をゆっくり落として行くと、入口で停止した。

 紫色の見事な桜が、その空間を囲むように咲いている。何とも綺麗な様だが、その桜にはどこかもの悲しい雰囲気があった。

 無縁塚に咲く桜は、一年に一度しか花を咲かせない珍しい妖怪桜だ。その花びらが全て散る時、死者は迷いを断ち切りあの世に逝けると言われている。

 その紫に染まった花弁が、音も無く無縁塚を舞う。真っ暗な闇に浮かび上がる視界一杯の細やかな薄紫色に思わず見惚れていると、ゆっくりと月が顔を出してきた。

 ……誰かいる?

 レミリアは桜に奪われていた眼を凝らす。まるで気配を感じさせなかったその人物は、一本の大きな妖怪桜の下にいるのだが、花が影になってよく判別出来ない。

 (……リリー・ホワイト?)

 うっすら見える人影に、この異変にはぴったりな春告精の姿を重ねる。しかし、それには違和感があった。あの妖精特有の陽気な気配がしなければ、明るい雰囲気もしない。それは場所のせいでもあるかもしれないが、拭い切れない違和感が確実に存在した。

 月の光が徐々にその後ろ姿を照らし出して行く。背中に映えている羽は鳥の羽毛のようなものの塊に見える。後ろ姿から分かる服装はリリー・ホワイトのそれに酷似していたが、色が違った。リリー・ホワイトの服が純粋さを表すような真っ白であるとすると、彼女の服はそれとは相対的な真っ黒な色をしていた。

 しかし、嫌な感じはしない。その者が持つ謎の雰囲気と相まって、むしろ精練された美しさと知的さを見る者に与える色彩は、レミリアの目を奪う程に見事だった。

 やがて、月光がその全容を暴く。彼女はリリー・ホワイトの移し身であるかのようにそっくりな背丈、恰好をしていた。その彼女が、レミリアがいるのに気付いたかゆっくりと振り向く。レミリアは息を呑み、思わず彼女に見惚れてしまった。この幻想的な紫の桜以上に。

 彼女は、泣いていた。

 理由は分からない。何か悲しい事でもあったのかもしれないし、ただ無縁塚の雰囲気に呑まれてしまっただけなのかもしれない。レミリアに分かることは、名も知らない彼女が泣いている事と。自分がその姿から目を離せなくなったという事だけだった。

 「最近、招かれざる者が多くて困りますね。ここでは無縁塚に遊びに来るのが流行りなのですか?」

 どこからともなく現れた突然の謎の声に、レミリアも彼女もびくっと身体を竦ませて声の方を仰ぎ見る。月を背負って浮かぶのは、咲夜がお説教をされた閻魔様その人だった。

 「貴方は吸血鬼、ですかね。……おや、昼間お会いした冷たいメイドの主人じゃないですか。従者の躾はしっかりするのが主人の努めですよ、あれではまるで猛犬です」

 溜息混じりに一人ごねればゆっくりと二人の中間地点に降り立つ。突然の目的の人物との対面に、さっきまで結果的には覗きをしていたレミリアは動揺する。その反対側で、涙を拭く彼女も焦っていた。自分一人だと思っていたのにまさか見られたくない現場を二人にも見られてしまうとは。しかもその内の一人は知らない相手で、無遠慮に覗きまでしていたのだ。自然、彼女がレミリアを見る目線は鋭くなる。

 何故か、その視線に怯えるようにレミリアは一歩後退りしてしまった。

 レミリアの戸惑う表情と仕種を見て、閻魔はほくそ笑む。

 「……そこの吸血鬼。貴方は本来私に用があったから来たのでしょう? 私の部下はそれには関係無いので、私をもっと意識したらどうですか?」

 からかうように言葉を紡ぐ閻魔。指摘された事が図星であっただけに、レミリアはぐぅの音も出ない。

 「……うるさいわね。そうよ、私は貴方に用があるの。そこのよくわからない妖精なんてどうでもいいの」

 「だ、そうですよ。リリー・ブラック、貴方はもう帰りなさい」

 「……わかりました」

 閻魔に言われ、しぶしぶと言った感じで引き下がるリリー・ブラック。戦闘態勢を解くと、レミリアを睨んで飛んで行ってしまった。

 その先を目で追う事も無く、レミリアは正面の敵を見据えていた。視界の端に映った敵意の視線に、いらだちを含めたよく分からないもやもや感が残っていて、それがさらに彼女をいらだたせる。そのいらだちをぶつけるように、レミリアは閻魔に敵意を込めた視線を投げつける。

 「……それで、貴方は私の事を知っているみたいだけど、私は貴方の事知らないの。まずは名乗ったらどうなのかしら」

 「それもそうですね。私は幻想郷の閻魔を務める最高裁判長、四季・映姫、ヤマザナドゥです、レミリア・スカーレットさん」

 レミリアに対して余裕のある返答をする映姫。それがまたレミリアのいらいらを募らせる。

 「さっきからわざと挑発してるみたいだけど……。うちのメイドが世話になったみたいね。いや、お世話になられたのかしら?」

 そのいらだちをかき消すかのように溜息混じりに言えば、次いで逆に挑発し返す。最後に口元を吊り上げるのも忘れない。

 「おやおや、随分な言い様ですね……。元はと言えば、貴方の監督不届きでしょうに」

 「うちは自由な放任主義なの」

 「自由、ですか。小町は一体何をしていたのやら」

 溜息を深くする映姫。しかしその表情に陰りは見えない。なんだかんだ言っても、たまの来客が嬉しいのだろうか。

 「それで、貴方の要件についてですが、私はただお説教しただけですよ。彼女が勝手に改心しただけのようですね。私は今日はもう非番なので、よかったらお茶でもどうですか?」

 閻魔に非番などあるのだろうか。働いてもいないレミリアは思うが、余計に突っ込まれそうなので止めておく。それよりも。

 「本当、何でもお見通しなのね。パチェの言った通り、浄玻璃の鏡というやつはさぞ便利そうでいいわね、私にも一枚くれないものかしら」

 「駄目です。これは閻魔に与えられた裁きの道具の一つです。貴方のような子供の玩具ではありません」

 自分の懐を見つめ探りを入れてくる、子供のような視線から庇うように閻魔は身体を半身みにする。それを見たレミリアは特に残念そうな様子も無く頭を振った。

 「別に、運命を操れる私には必要ないからいらないわよ。それより、聞きたいことがあるんだけど」

 そう言って、無縁塚で一際大きな妖怪桜に視線を向ける。咲夜の話を聞いて閻魔にはもう興味が無くなったのか、今や彼女の意識は既に別にあった。

 その様子を見越していたかのように、初めから戦闘する気が無かった映姫もレミリアの視線の先を追う。

 「あの大きな妖怪桜がどうかしましたか?」

 「とぼけないで。……さっきの妖精の事よ」

 肩を竦める映姫。初めから分かっているのに相手からの言葉を待つその姿勢に、レミリアも思わず肩の力を抜く。彼女は地に降りると、服が汚れるのも構わず草の上に座り込む。

 「……汚れるわよ」

 「たまにはいいものです。それに、見られたくない現場を目撃された彼女の気持ちを考えると、自分を罰したくなるもので……私にはちょうどいいのですよ」

 そう言われると、自分も座らなくてはいけないような気になるレミリア。調子が狂うように頭を掻きながら、閻魔に倣うようにその場に腰を落とす。

 「さて、彼女……リリー・ブラックの事でしたね。ブラックがどうかしたのですか?」

 変わらぬ雰囲気の映姫に、レミリアは自分でも驚く程素直に質問をし、胸中を語った。

 

 

 「お嬢様、無縁塚に行ったというのは本当ですか?」

 「ん? そうね、行ったけど、どこからそんな話を?」

 日差しが強い午後の一時、いつものようにお茶を楽しんでいると、不意に咲夜からそんな事を聞かれた。

 「どこって、パチュリー様が話してくれましたわ。閻魔様には会えたのですか?」

 お喋りな魔女め、と、レミリアは溜息を漏らす。

 「そうね、会うには会えたけど拍子抜けしたわ。夜は時間外だとかなんとか言っていたけど、閻魔って言う割には威圧感も無いし、働く気があるのかしらね」

 肩を竦めながら昨夜の事を思い出す。その様子に昨夜もさほど心配してなかったのか、主の紅茶のおかわりを淹れながら頷く。

 「私が会った時は、色々とお説教されましたけどね」

 「あいつは咲夜が勝手に改心したとか言っていたけど」

 「改心したではありませんか。私ほど暖かい人間が他にどこに」

 「ああ、だからそんな事言っていたのね。ところでこの紅茶、変わった味がするんだけど」

 「鈴蘭を混ぜてみました」

 「人って簡単には変われないわよねぇ」

 淹れて貰った紅茶を手に、レミリアは分かっていたように苦笑した。

 結局、昨日は雑談もほどほどに引き上げた。閻魔への興味はすっかり無くなっていたし、咲夜の変わり様もこの調子だとすぐ直りそうだ。ただ、一つだけレミリアの心に引っかかっている事がある。

 (……リリー・ブラック、ねぇ)

 彼女の事を聞こうとしたら、直接本人に聞けばいいとはぐらかされてしまった。食ってかかろうとするも、悪いのが此方だと分かっているだけに強く出れないまま、また日を改めて挨拶にくればいい、と閻魔に言われ落ち着いてしまった。あの時の閻魔の表情を思い出す。どこか嬉しげな笑みだった気がするのは、自分の気のせいなのだろうか。

 「お嬢様、お味の方はどうですか?」

 「ん。鈴蘭の毒が強すぎるんじゃないかしら」

 「分かりました。次はもっと薄めてみますね」

 「普通に淹れるという発想は無いのかしらね」

 この従者といい、お喋りな魔女といい、あの閻魔といい、少しはまともな奴がいないものか。

レミリアは癖の強すぎる紅茶を口に運び、再び溜息を漏らした。

 

 

 

 「四季様」

 「何ですか。今は仕事中でしょう」

 三途の河の向こう岸、一切の音がしない彼岸の地。閻魔の罰を受ける為に多くの魂がそこかしこに溢れている。食事も睡眠も出来ない、会話も出来ない。生き地獄のような所で自分の死を自覚するためのここには、魂達を裁く最高裁判長が部下を従えて住んでいる。是非曲直庁という組織の中の一つである日本風の建物があり、そこで裁判が行われる為魂の行列がいつまで経っても途切れない。

 その建物の主であり、幻想郷の最高裁判長である四季・映姫は正に裁きの真っ最中だったのだが、それを無視して映姫の姿を見つけたリリー・ブラックが話しかけていた。

 「昨日の、無縁塚での事なのですが……」

 「ああ、それでしたら心配はいりませんよ。私は他言しませんし追求もするつもりはありません」

 リリーを想う言葉をかける映姫であるが、その言葉を予想していたリリーは表情を変える事無く続きの言葉を紡ぐ。

 「それは四季様の性格上知っています。問題なのは、あの時いた『紅いの』の事です」

 「『紅いの』、ですか……。彼女が聞いたらどんな顔するか」 その言葉から、リリーの彼女に対する印象が相当悪い事が分かった映姫は苦笑交じりに頷き、目の前の魂に断りを入れて席を立つ。

 「本当はこうゆう事をしては駄目なんですがね。貴方には時間がありませんし、少し彼女の事を話しましょうか」

 「ありがとうございます」

 二人は裁かれるのを待つ魂が溢れる部屋から出て行く。魂達は言葉を発せないし聞かれたところで特に問題はないのだが、その場に映姫の部下も数人いた事と、気分の問題もあって場所を移動する。

 飛べるにも関わらず歩いて移動する二人の足音だけが言葉を発し、映姫は静かな時間の中に身を浸す。

 「……この辺でいいです」

 裁判が行われる部屋から少し離れただけの、こじんまりとした小さな部屋でリリーが足を止める。本人は時間がたくさんあると思っていたが、映姫に時間がないと言われ内心首を傾げながらも手早く済ませる為にここを選んだ。

 そんな様子もお見通しなのか、映姫は笑みを浮かべながら彼女に正対する。リリーの、そういった素直な性格が彼女は好きだった。

 「さて、昨日の『紅いの』の事ですが……」

 思わず、そこで笑いが零れる。リリーがムッとした表情をした事に気付いて、すぐに話を続けた。

 「失礼しました。彼女の名前はレミリア・スカーレットです。確かに紅は彼女の象徴の色でもありますが、よく分かりましたね? 外面しか見なかったら白いだけだというのに」

 「雰囲気で」

 「そうですか。まぁ言葉に出来ない感覚は誰しもにありますからね」

 映姫はリリーに椅子を勧める。手振りだけでそれを断るリリーに映姫も頷きだけで返した。

 「昨日、四季様は私が無縁塚にいる事も、『紅いの』があそこに来る事も分かっていたんですか?」

 名前が分かっていても、結局印象が変わらないなら答えは一緒か、と映姫は苦笑しながら答える。

 「いえ、貴方があそこにいたのは知りませんでした。私は部下の報告を受けて彼女を迎える為に行ってみただけですよ」

 「だけ、ですか。『紅いの』は四季様に用があったのでは?」

 「そうみたいですね」

 「……返り討ちにしてやれば良かったのに」

 「時間外でしたので」

 「真面目に不真面目しないで下さい」

 「性分ですからね」

 肩を竦める映姫に、諦めたように溜息を漏らすリリー。上司の性分の事は、部下である彼女自身がよく知っていた。

 「貴重なお時間、ありがとうございました。仕事に戻られて下さい」

 「そうですね。……ああ、それと一つだけ」

 踵を返した映姫は、しかし背中越しに面白そうに笑いながら言った。リリーは首を傾げる。

 「彼女、今夜も行くつもりみたいですよ。貴方に会いに」

 「……」

 リリーが動揺した事を空気で感じ取れば、映姫はそのまま笑いを堪えながら自分の仕事に戻ろうとする。からかおうとする彼女に、リリーが最初の言葉を思い出して問いかけた。

 「……まさか、時間がない、と言っていたのは」

 「そう、貴方はこれから、貴方を待つ彼女への対応を決めないといけませんからね」

 そこまで聞いて、映姫が昨日「紅いの」に何を言ったのか予想が着いた彼女は、再び溜息を漏らしながら上司の背中を見送る。

 「……だいたい話は分かりました。どうなっても知りませんからね」

 それに返事を返す事もなく、映姫の姿は魂の群れの中に消えていった。

 

 

 時間は移り、再び深夜。レミリアは桜の花びらが舞う無縁塚に来ていた。時間が早いからか、まだ例の妖精は姿を見せない。ひょっとして、自分が昨日覗き見をしていたせいでもう来なくなったのだろうか。

 昨日の閻魔の話だと、妖精がここに来ることは滅多にないらしい。ついでに言えば、レミリアは嫌われている可能性があるので無縁塚に会いに来ても会えるかどうかわからない。しかし、同時に閻魔はこうも言っていた。通い続ければ、ひょっとしたら会えるかもしれませんね、と。

 僅かな可能性でもあるならそれに賭けるのが妖怪の誉れと言うもの。つまらない人間のように諦めがよくては妖怪の名が廃るというものだ。

 (……まぁ、今日はハズレだったみたいだけど)

 無縁塚で一番の存在感を放つ妖怪桜の前には誰もいなかった。それどころか、何者かが妖気を纏って近づいてくる始末。閻魔に謀られたか、たまたまか、それとも。

 レミリアの中で一番可能性の高い予測が持ち上がるが、あえてそれを無視する。きっとどれが正しいかはこれから訪れる妖怪が勝手に答えてくれるはずだ。

 緩やかな桜吹雪の中をゆっくり進んでいく。一際大きな妖怪桜の前で立ち止まれば、スッと後ろを振り返る。その瞳は愉快そうに歪んでいた。

 「……こんばんは」

 誰も見えない空間に、そっと声を掛ける。姿は見えはしないが、確かにその妖気を感じる事が出来た。どこの誰かは知らないが、自分の前で姿を隠すとはいい度胸だ。要件次第では八つ裂きにしてやる。

 レミリアが内心穏やかじゃない事を考えていれば、気の抜けるような声が闇の中から返ってきた。

 「おやおや、随分と物騒な気の持ち主じゃないか。気軽に引き受けたはいいが、まさかハズレクジじゃないだろうね」

 その妖怪の声に呼応するように、妖怪を包んでいた闇が溶けるように霧散していく。

 レミリアはその姿に目を凝らす。頭の天辺に赤い髪を二つ結い、どことなく鬼を彷彿とさせるような髪型。青と白の二色で出来た単調な色遣いの装束に、身の丈の倍はあろうかと思われる大鎌を手にした井出達。見た事のない妖怪だった。

 「ハズレクジはこっちの方よ……。単刀直入に聞くわ。誰、貴方?」

 「それはこっちの台詞さね。あたいはある人に頼まれてここらを見回りしているだけの、しがない下っ端さ」

 「下っ端っていうのは、もっとおどおどしているものよ」

 飄々さが全身から溢れんばかりに出ている相手の態度を見て、レミリアのいらいらが募る。ただでさえ目当ての人物には会えなかったのだ。しかも代わりに出て来たのが、此方を嘗めくさった頭の悪そうな妖怪が一匹では憤りを抑えられないというもの。

 自然、その右手に魔力が集中する。大人しかった桜吹雪が、狂ったように乱れ始める。

 レミリアの気が短い事を一瞬で悟った妖怪の方は、弁解するように慌てて両手を振った。

 「おっと。待った待った、あたいはあんたと争う気はないよ。さっき言った通り、あたいはある人に頼まれて見回りしているだけなんだ。見た所あんたはそこの妖怪桜を眺めているだけのようだし、あたいがあんたと弾幕ごっこする言われはないよ」

 まくし立てるように厄介事から逃げようとする相手。そんな態度が表に出ているのがよく分かったのか、レミリアは右手を妖怪に突きだし魔力で形成した蝙蝠型の弾幕を放った。

 「っ、話を聞く気無し、ってことかい……?」

 予期せぬ先手に、足元でレミリアの放った弾幕が爆ぜる。わざと外した所を見ると、相手もまともに喧嘩する気は……

 「ごちゃごちゃ言ってないで、まずは名乗りなさい。そしてあんたに見回りを命じた奴の名前を言ったあと、私のイライラを解消する玩具になって壊れて死ね」

 甘かったらしい。気が付けば隠しきれない殺気を放つ小さな妖怪を前にして、妖怪の顔に嫌な汗が流れる。魔力の差からしても力の差は絶大、何故こんな強大な妖怪に殺されそうになっているのか自分でも理解出来なかった。

 妖怪が黙っていると、レミリアが殺気立った面持ちで足を前に出す。同じ分だけ後退すると、その妖怪はようやく口を開いた。

 「……あたいは、小町。小野塚小町。三途の水先案内人をしている、ただの死神だよ。見回りの事は、う~ん……特に口止めもされなかったけどなぁ」

 小町と名乗った死神の足元に穴が穿たれる。

 「リリー・ブラック、という妖精さね」

 「……ふぅん」

 やっぱり、という確信を得て、幾分か憤りが鎮まるレミリア。知りたい答えを得て小町に興味が無くなったのか、考え込むようにその場で黙り込む。

 予想通り、リリー・ブラックの仕業だったらしい。自分がここにまた来ると予想しての措置だとは思うが、だとしたら随分嘗めた真似をしてくれるものだ。昨日の事を素直に謝りに来たレミリアとしては、まるで美味しい紅茶を淹れたというから呑んでみたらとても苦かった時のように裏切られた気分。そういえば以前親友にそんな事をされた気がする。帰ったらパチュリーを叩いておこう。

 一方の小町は、目の前の危機が去ったかと、再び機嫌を損ねない内に帰ろうとその場を離れ始めていた。が、すんでのところでレミリアに呼び止められる。

 「小町、だったかしら」

 「……はいはい、何でしょう」

 返事をしようか迷った末、逃げられないと判断してか諦めたようにレミリアに振り向く小町。大鎌を肩に担いで歩み寄るその姿は、魂を運ぶ死神の姿。なのだが、その緩慢な動作には死神が持つ脅威というものが感じ取られなかった。目立った抵抗も見せず、大人しくレミリアの前まで進み出る。

 「……随分大人しいのね? 死神は閻魔の部下じゃないの?」

 思わず不可解そうに尋ねるレミリアに対し、小町は欠伸を噛み殺したような表情で返事をする。

 「こうゆう性分なので」

 「なるほど、上司が上司なら部下も部下、って事ね」

 俄然納得した反応を示すレミリアに、今度は小町が不可解な顔をする。さっきまでの殺気はどこに隠してしまったのか、と言いたくなるほど小さな身体からは剣呑な雰囲気がしなくなっていた。それどころかどこか親しみやすさまで感じる。

 「……変わった御仁だねぇ」

 「ん? ああ……気にしないで、ちょっとイライラしてただけだから」

 レミリアがいらいらしていたのは、答えが分からない、真意が読めないからだった。リリー・ブラックがなぜここに来ていないのか、閻魔に謀られたのか、全てが不確定な状況では判断のしようがなく、自分をどう捉えられているのか理解出来ないから。騙されると誰でもいらいらが募るものだが、レミリアはプライドが高いだけにそれが人一倍気に喰わなかった。そんな事を知る由もない小町としては、温度差の激しい御仁に付いていけれないのは仕方ないことだったが。

 「さて、自己紹介が遅れたわね。私はレミリア・スカーレット。紅魔館の主にして、幻想郷最強の吸血鬼よ」

 気を取り直すように、小町を見上げる形でレミリアが名乗りを上げる。幻想郷最強と言っても吸血鬼はレミリアを含めて二人しかいなかったが、自身が幻想郷で一番強いと自負しているだけに、妖怪の中でも一番強い事を声高々に宣言した。つい先刻その脅威を直に当てられた小町は、満更でもないと思って言葉通りに吸血鬼の「中で」最強、と受け取ってしまったが。

 「はぁ。それで、そのレミリアさんは、まだあたいに何か用が?」

 正直厄介事はごめんなので直ぐに帰りたいです、と言っているようなものだが、さん付けされたレミリアは特に気を悪くする事もなく、話の本題に入る。

 「リリー・ブラックの話が終わってないでしょう。彼女が貴方にこの近辺の見回りを頼んだのよね? その時、他に何か言ってなかった?」

 それと、私の事は呼び捨てで構わないわ、と言ってレミリアは腰を下ろす。話し込むつもりの様子に小町は観念したのか、自らも腰を下ろしてレミリアと視線を合わせた。

 「他に、ねぇ……特に言ってなかった気がするけどね。ただ、暫くの間、深夜に見回りをしてくれないか、としか」

 自分を頼ってくれた妖精を軽く裏切る真似をしているのだが、そんな事にはまるで気付かない小町は聞かれるがままに答える。

 「ふぅん……。貴方が見回りしてるって分かったら、もう来ないとでも思ったのかしら。それで、この事を閻魔は知っているの?」

 「四季様? 知っていると思うよ、あの人が知らない事なんてそうそうないからね。それも自分の部下の事なら尚更。浄玻璃の鏡なんて持っているからか、プライバシーって物を知らないんじゃないかね」

 小町は意識していなかったが、傍から見ると閻魔の事を好いているのがよく分かった。こんなに楽しそうに自分の上司の事を話す奴もそうそういないんじゃないだろうか。

 「そうゆう意味じゃないんだけど、まぁいいわ。自分から話さなくても勝手に理解してくれる上司はさぞ便利でしょうね。それじゃあ……」

 そこで話を区切るレミリア。予想以上に早く話が終わりそうな雰囲気に、ついつい期待してしまう小町。

 「リリー・ブラックに伝えておいてくれないかしら。昨晩は誰も……いや、何も異常は無かった、と」

 「何も異常は無かった、だね。了解だよ」

 これで話は終わったと言わんばかりにその場で腰を上げようとする小町。それを見て、レミリアはまるで理解出来ないとばかりに不思議そうに尋ねる。

 「どこ行くのよ? 夜はこれからでしょ?」

 「まだ何か……って、冗談だろ?」

 さっきから何度も同じ目に会っているというのに、つくづく甘かった。

 レミリアは楽しそうな笑みで魔力を溜め込んでいる。明らかに戦闘をしたい者の顔だ。

 「……殺すのは、勘弁してくれるんじゃなかったのかい?」

 冷や汗も程々に、たじろぎながら小町が尋ねる。

 「殺すとは言ってないわ。退屈しのぎに、ちょっと遊んで行きなさいな」

 言われてみれば、確かに殺気立った様子も無いし魔力も強くない。小町は諦めたように、何度目か分からない溜息を漏らす。今まで聞こえないように漏らしていた溜息だったが、とうとうレミリアにも聞こえるように、しかし決して悪い意味ではない溜息をはっきりと。

 レミリアが両手を胸の前に、指を広げて構える。小町が大鎌を肩から下ろし、自分と目が合ったのを確認した瞬間に、両手に込められた魔力を放出する。レミリアの両手から紅く光を発する蝙蝠が飛びだし、小町を襲う。

 大鎌を構え直し、その弾道とレミリアの動きを目に捉えながら後ろに跳躍する。地に降りる事なく手にした大鎌を大きく振ると、小町とレミリア、互いを隠すように桜吹雪が舞う。

 楽しくなってきた、と表情を歪めるレミリアとの遊びに付き合い、小町もだんだんと燃えてくるのだが、その結果翌朝小町が閻魔に怒られたのは、レミリアの知らない話。

 

 

 紅魔館の地下に存在する、十六夜咲夜の能力によって内部を拡大された大図書館。前を見ても後ろを振り返っても、左右に視線を移そうと頭上を見上げようと、その視界に入るのは本棚とそこに納められた大量の書物の数々。これほどの物量を一体誰が読むのかと疑問に思う程にたくさんの本に囲まれた中、まるで書籍に埋まるようにそこで一日の殆どを生活するパチュリー・ノーレッジが読書をしていた。

 彼女はレミリアが大図書館に入っても、自分のすぐ後ろにいる事にも気付いていない。よほど本に御熱心なのだろうか。はたまた親友だけあって警戒心が薄いからか。

 「パチェ」

 「ん? どうかしたの、レミ……っ!」

 そんな、完全に無防備だった友人に、遠慮なく平手打ちをかます。静かな大図書館に鋭い音が響く。加減はしたからそこまで痛くはない筈だ。平手は痛覚の痛みではなく、友情間での痛みをもたらす事が目的だとレミリアは思っている。

 ぶたれた頬を押さえながら、何事かとレミリアを見つめるパチュリー。

 「……いきなり、何を」

 「いつかの紅茶のお返しよ。美味しいって言ったから飲んだのに、苦かったじゃないの」

 激昂した様子で喋るレミリアに、パチュリーの顔がどんどん訝しげな色で染められていく。

 「……ああ、あの時、かしら?」

 「そうそう、あの時よあの時」

 首を傾げて思い出した様子のパチュリーに合いの手を打つレミリアだが、対照にパチュリーの目は細められていく。

 「……あの時も、そんなこと言ってレミィに打たれた気がするんだけど」

 「覚えてないわ」

 「……」

 きっぱりと言ってのけるレミリアに、音も無く溜息を吐く。自分が覚えてないならそれはつまり無かった事なのだと暗に言ってのける親友に、開いていた本を両手で閉じるパチュリー。

 「それで、どうかしたの?」

 そのまま本題に入る。彼女のミスで起こった事を、貴方のミスだと言っても取り合わない性格なのは重々承知している為か、特に叩かれた事にも文句はないらしい。

 「閻魔には会えたんじゃなかったかしら」

 「会うには会ったわよ。昨日も言ったでしょ」

 机の傍にあった椅子を引いて、パチュリーの隣に座る。昨日その話をした覚えはないが、きっと咲夜伝てで伝わっているだろうと予想していた。案の定、パチュリーの様子だと既に知るところだったらしい。

 「その閻魔にはもう興味無さそうに見えるけど……今度は何を見つけたのよ」

 伊達に数百年親友をやっていないだけあって、察しがいい。

 「リリー・ブラックという妖精の事なんだけど」

 「……リリー・ブラック?」

 「そう。やっぱり知らない?」

 「ホワイトとは何か違うの?」

 やはり、パチュリーも知らないようだ。動かない大図書館にも分からない事があったのか、と思うと同時に、動かないから知らないのか? とも思ってしまった。

 レミリアは一昨日の夜の事を思い出しながら、ホワイトとの違いについて語ってみる。

 「えーっと……見た目で違うのは服装、恰好は同じなんだけど、ホワイトみたいに白いんじゃなくて、真っ黒だった。それと雰囲気が、陽気な感じもしないし無駄に明るくなくて、どっちかって言うと堅そうな空気で……クールな感じだった。あと生意気」

 昨日の小町とのやりとりを思い出して、話した事もないのに植え付けられたイメージを述べる。

 「生意気? 会った事があるの?」

 「閻魔に会いに行った時にね。なぜかいたのよ」

 その時の様子までは語らない。さすがに無礼だと思ったし、他人の泣いている所を覗き見していた、なんて吸血鬼としてのプライドが許さない。

 パチュリーは首を傾げる。

 「……陽気じゃない妖精、ねぇ。突然変異?」

 「流行りの核融合?」

 「ウイルスとか」

 「イメチェンとか」

 「心境の変化?」

 「実は双子だった」

 「今明かされる驚愕の真実?」

 「幼くして生き分かれた二人は突然の再会を……」

 「そしてどっちが本物かで争うのね」

 「最終的には二人仲良く仲直り」

 「何のB級物語ですか?」

 「あら、咲夜。いつからそこに?」

 「咲夜はどう思う?」

 だんだん話が脱線していた所に、紅茶を淹れに来た咲夜が割って入る。パチュリーは答えが分からないから遊びで言っていただけなのだが、レミリアに関しては割と本気で言ってそうだから怖い。

 レミリアにどう、と聞かれるも、いきなり話を振られて訳が分からない従者は返答に困る。そもそも何の話をしていたのかが分からない。

 「そうですね、姉が妹の為に奮闘する姉妹愛とか」

 とりあえず双子の話に乗った咲夜。そこでパチュリーとレミリアは互いに顔を見合わせて、同時に咲夜に向き直る。

 「「何の話?」」

 「それはこちらの台詞ですわ」

 三人分の紅茶を淹れさせられた咲夜が机に座ると、レミリアは同じ事を咲夜にも語って聞かせた。

 「はぁ……。リリー・ブラック、ですか」

 咲夜はリリー・ホワイトとリリー・ブラック、共に弾幕を交わした仲ではあったが、特に気にした事も無かったのか皆目見当が付かなかった。

 「咲夜も知らないのかぁ。まぁ、元々リリー・ブラックの話なんて聞いた事無かったしね」

 諦めたように溜息を吐くレミリア。

 「直接本人に聞いてみればいいじゃない」

 「そうだけど、閻魔が言うには会える時と会えない時があるみたいで」

 「最初に会ったのは運が良かったのかしらね」

 「みたいね。うーん……リリー・ブラックを誘い出す何かがあればいいんだけどなぁ」

 「まるで珍獣のような扱いですね」

 咲夜が突っ込みをいれるが、レミリアは真剣な様子で悩んでいる。いつの間にか紅茶が空いていた主人のカップを手に取り、お代わりを淹れる咲夜。淹れて貰った紅茶を一口飲むと、また思考に耽る。その様子を見ていたパチュリーが、ぽつりと疑問を漏らした。

 「……リリー・ブラックに会わないといけない理由でもあるの?」

 「? だから聞いているんじゃない」

 当然のように答えるレミリアだが、パチュリーはじっと見つめている。首を傾げるレミリアだが、咲夜に向き直ると一つ提案を出す。

 「咲夜。今夜暇?」

 「私は毎日忙しいですから、大丈夫ですよ」

 毎日忙しいのにお嬢様の我儘に付き合っているんですよ、とも聞こえなくはないが、気にした風もなくレミリアは頷く。

 「それじゃあ、今夜一緒に無縁塚まで来てちょうだい。何も変わらないとは思うけど、また一人で行くよりはマシだろうし」

 「わかりました。では、仕事の方を済ましておきますわ」

 お願いね、と言われて姿を消す従者。一々時を止める必要があるのだろうか、とレミリアはたまに思う。

 考えても分からない時は、とりあえず行動してみる。ひとまず今日の行動が決まり、紅茶を口に運ぶ。さっさと謝って終わりにしたいが、考えている内にリリー・ブラックに興味が出てきているのだろうか。謝った後で話でもしたいと考えている自分に、そっと苦笑を漏らす。

 「レミィ」

 黙ってその様子を眺めていたパチュリーが、レミリアに話しかける。

 「貴方がその妖精に会ってどうするつもりなのかは知らないけど、あまり無茶しないようにね。相手に対しても」

 真剣な面持ちで語る親友に、面食らったように頷くレミリア。

 「うん……? まぁ無茶はしないけど」

 「ならいいの」

 それだけ言って、自分も紅茶に手を付ける。訝しげなレミリアを置いて、そっとパチュリーは目を閉じた。

 

 

 ここの桜はいつまで咲き続けるのだろう。無縁塚に咲夜と二人で訪れたレミリアは、毎夜毎夜見事なまでに舞う花弁を眺めながら地に降りた。

 真っ先に一番大きな妖怪桜を見る。予想通り、リリー・ブラックの影は見えなかった。特に残念そうな様子もなく、レミリアは改めて回りを見渡す。

 桜に囲まれた狭い地だ。物悲しい雰囲気が漂っていて、不意に寒気が訪れる時がある。しかし直接肌にくるような寒さではなく、心の奥からじわっと来るような、耐えがたい寒さ。彼女が泣いていた原因もそれなのだろうか。

 咲夜はどうなのだろう。無縁塚に来るのが初めてではないと言え、ここでのんびりとした事はないと思う。改めてその地に立ってみると違う物を感じるものだ。レミリアは、ずっと隣で黙っていた従者と視線を合わせる。

 「咲夜。改めてここに来た感想はどう?」

 咲夜も主人と視線を合わせ、問われた事に忠実に答える。

 「綺麗ですが……少し、寂しい感じがしますわ」

 「そう。貴方がそう感じるなら間違いないわね」

 「どうゆう意味ですか」

 言葉通りの意味よ、と笑ってみせる。それに苦笑を交えて答えてみせた咲夜から気を逸らし、辺りに小町が来ていないか気だけで探ってみる。

 (……今日はまだ来てないみたいね)

 それらしき妖気は感じなかった。昨日とだいたい同じ時間に来たので、もう少ししたら向こうも来るだろう。特に待ち合わせていたわけではないが、見回りを頼まれているのだ。暫くはここに顔を出して、異常がないか見に来るはず。

 その間突っ立って待ちぼうけするのもつまらないので、いつもの妖怪桜の下に移動する。高く、広く花を付けた枝が影になって空を仰ぐ事が出来ないが、代わりに紫色の空が視界を覆う。

 「ここでおかしな死神を待つの。付き合ってくれる?」

 「もちろんですわ」

 不満も文句も、理由さえ聞かずに頷く咲夜。くすりと笑みを浮かべると、レミリアは慣れた所作で地に腰を下ろした。足を延ばして寛ぐ。

 「お嬢様、御召物が汚れてしまいますわ」

 「いいのよ。ここではこれが普通なの」

 そう言って、自分を見上げるレミリアの笑顔を見て、昨夜も静かに腰を下ろす。汚れないように気遣う事はしない。主人がそう言うのであるならば、きっと気にするのも野暮だと言うものなのだろう。

 座った状態だと、立って眺める時とはまた違った景観が楽しめた。地に沈むように落ちた花弁が重なり合いながらも風に吹かれる様子が見て取れ、枝から離れてから地に落ちてからも翻弄される花びら達を愛しく見せた。

 「ところで、死神というのはまさか、小野塚小町、という死神の事ですか?」

 「あら、やっぱり知り合いだったんだ。そうよ、その死神」

 二人の頭に、のんびりとした死神の姿が浮かび上がる。

 「小町はサボタージュの常習犯ですからね。約束しているならここには来ないかもしれませんよ」

 「自分で性分とか言っていたわね。まぁ私と約束しているわけじゃないし、自分の仕事でもあるし来るんじゃないかしら」

 冗談交じりに言う咲夜に、レミリアが昨日の事を思い出しながら頷く。自分で小町の事を信用するような言葉を言いながらも、どこかその言葉に疑いの色があるのは否めない。

 「どうですかねぇ。賭けてみます?」

 「じゃあ私は来ない方に」

 「それじゃあ賭けにならないじゃないですか」

 「ふふ、これも小町の人徳かしらねぇ」

 他愛の無い会話をしている内に、身体の奥から溢れるような寂しさが薄くなっていた。元々寂しさは独りでいる時に感じるもの、誰かと一緒にいればその気持ちも自然と和らぐというものだ。

 「お嬢様が探しているリリー・ブラックの事、小町は何か知っているんですか?」

 「んー。そのリリー・ブラックが、小町に無縁塚を見回りするよう頼んだらしいのよ」

 「なるほど。それで小町に会いに来たんですね」

 「問題なのは、どうやってリリー・ブラックをここに連れて来させるか、なのよねぇ」

 理解が早い相手だと、余計な説明の手間が省けて助かる。

 難解な問題だ、と顰め面するレミリアの顔の前に、見慣れたいつものティーカップが差し出された。それを持つ白い手を追っていくと、案の定咲夜が薄く笑ってこちらを見つめていた。レミリアは呆れたようにそれを受け取る。

 「毎度毎度、どこから出してくるんだか」

 「それは秘密です」

 人差し指を唇に当て、怪しく微笑んで見せる咲夜。

 「『あにめ』には詳しくないのよ」

 「『アニメ』だって分かっているじゃないですか」

 「あらあら、何の話かしらねー」

 「フラン様と見てらしたじゃありませんか」

 淹れて貰った紅茶を、一口含む。こんな辺境にまで来ても、咲夜の腕は鈍らないらしい。

 「フランにせがまれるんだから、しょうがないじゃない」

 「あ、認めましたね?」

 「小町はまだ来ないのかしらねぇ」

 「話を逸らさないで下さい」

 「あたいを呼んだかい? 小さな吸血鬼様」

 レミリアと咲夜が口論し始めた所、ちょうどいいタイミングで死神はやってきた。

 レミリアと咲夜は同時に声のした方に目線を持っていく。無縁塚の中央、レミリア達から少し離れた所に小町は立っていた。桜吹雪でよく見えないが、声の雰囲気からして間違いないだろう。

 「それと、そっちにいるのはいつかの自殺志願者かな?」

 「だから、そんな勿体無い事しないわよ」

 思わず笑みを溢す咲夜に、小町も気を良くしたように二人に歩み寄る。互いの声がはっきりと聞こえ、姿も視認出来る距離まで来た所で足を止めた。

 三人共面識があるため、余計な雑談は必要ないだろうと判断したレミリアが、挨拶も程々に本題を切り出す。

 「それで、リリー・ブラックの事なんだけど」

 「……私が、何か?」

 レミリアの言葉に反応するように、小町の背後からひょっこりと顔を出すリリー・ブラック。突然の不意打ちに固まるレミリアと咲夜。小町に気を取られていたとはいえ、ここまで気配を感じさせない妖精に対して警戒心を露わにする咲夜と、あまりに意外だったのか固まったまま動かないレミリアの二人に、苦笑いするように小町が説明役を買って出た。

 「あー……なんだ、実は昨日、レミリアと軽い弾幕ごっこみたいなものをしたじゃないか。あれが四季様にばれちゃってねぇ」

 「ばれない筈がないじゃない。無縁塚でそんな事するなんて、罰あたりもいいところだわ」

 溜息を吐いて、呆れた様子のリリー・ブラックにレミリアは後ろめたい事が一つ増えた予感がして苦笑せざるを得ない。

 「まぁまぁ。今はあたいが説明しているんだからさ……。それで、まぁあんた達は知らないかもしれないが、この無縁塚は墓地なんだ。なんとなく、肌寒い空気を感じないかい? ここには綺麗な妖怪桜が咲くが、誰も来やしないだろ? それはここが幻想郷の墓地であり、あの世とこの世、冥界と幻想郷を繋ぐ結界が張られた場所でもあるからなのさ」

 そこまで一息に説明して、小町は息を吐く。二人の顔を見て話を聞いている事を確認して、背後のリリー・ブラックが変わらず不機嫌そうな顔をしいてる事もついでに確認して、また説明に戻る。ブラックはどうせ、そんな事も知らないで無縁塚に来るなんて、とでも思っているんだろう。 「ところが最近、その結界が混じり合い始めてる。結界と結界が干渉し合い、それぞれの世界が無縁塚を浸食しようとしている。だからここは、おそらく幻想郷で最も危険な場所になりつつあるのさ。柔な妖怪や人間なら、それこそ自分の存在が揺らいじまうくらいにね。まぁあんた達はそんな事もないから、この異常に気付かないみたいだけど……」

 レミリアと咲夜は小町の説明を大人しく聞いていた。要するに、そんな不安定な場所で暴れたから結界がどうのこうの、という話なんだろうか、くらいにレミリアは考えていた。それなら多少なりとも自分が悪い気がしない事も無い。正直今現在、目の前でなんともない無縁塚を見ていると「ふぅん」程度にしか思えないレミリアとしては、関心の薄い話だった。

 「で、そんな不安定な所で弾幕ごっこなんてしたせいで、増々無縁塚の地場が乱れたから、今後一切そんな事はしないように、と四季様に怒られたわけさ」

 「四季という閻魔なら、ちょうど私と此処で弾幕ごっこしましたけどね」

 咲夜が鋭く突っ込むが、小町は知った事ではないという風に肩を竦める。

 「上司っていうのはだいたい理不尽なものさね」

 なるほど、と心中激しく首を縦に振る咲夜。もちろん主に悟られないように実際に頷いたりはしない。

 「……貴方が怒られた理由は分かったけど」

 お互いに苦労しているんだな、と雰囲気を出す部下二人を横目に、レミリアは小町の背後を窺い見る。レミリアの発言に、相変わらず機嫌悪そうなブラックはめんどうくさそうに見つめ返すのだが、レミリアからは花弁が影となってそれを知る術はない。

 「ああ、リリー・ブラックの事かい? 彼女は無縁塚の管理人なのさ」

 なるほど、と今度は素直に首を縦に振る咲夜。この従者は、主がこんなにも気まずい空気を出しているというのになんて呑気なんだ、とレミリアは呆れたように立ち上がる。

 スカートに付いた汚れを軽く掃い、ブラックに対して真っ直ぐ向き直る。まずは謝らなければならない。そうしなければ自分は吸血鬼としても一妖怪としてもここにはいられない。女の子がひっそりと涙を流す独りの時間を邪魔したのだ。それも、覗きという醜悪な形で。

 リリー・ブラックに向かって、一歩足を踏み出す。突然の緊張した空気に、着いていけずに戸惑っている咲夜と小町はこの際無視する。自分でも意外な程に鼓動が激しい。いつの間にか汗ばんでいた掌を、自らを鼓舞するように握りしめた。目の前に謝らなければならない相手がいるというのに、まだ一度も話した事がない。その事実がもつ圧力は思いの外に強く、ともすればまた今度でいいかな、と引き下がってしまいそうにさえなる。その弱気を振り切るように、小町の隣に立つ。やっとお互いに表情が読める所まで来た。

 「……小町」

 咲夜が主の意を汲み取ったのか、小町を手招きする。レミリアの邪魔をしないようにと、小町もそれに大人しく従い、咲夜の元まで歩いて行く。

 一方のブラックは、レミリアの顔をすぐ傍で見て意外そうに眉を上げる。レミリアの顔は強張っていた。隠せない緊張感が全身から滲み出るかのような態度が、怒られた子供のように震えているようにさえ見えた。

 そこからは噂で聞いていた、傍若無人天上天下唯我独尊な振る舞いとは大きく逸脱した、繊細な感情が容易に汲み取れた。無言のまま、ブラックは自らレミリアと向かい合う。

 レミリアは初めてだった。誰かに対して後ろめたい感情を抱いたのも、面と向かって誠意を持って謝る体験などした事がない。それ故に、あからさまに不機嫌な態度を取る、謝らなければならない相手というのは恐ろしく大きく見える。

 黙って自分の方を向いたリリー・ブラックに、レミリアは背中にかいた大量の汗を意識する。謝らなければ、謝らなければ。それだけが思考を覆い、肝心な事を彼女は忘れていた。

 「っ……その」

 「こんばんは」

 レミリアが言い辛そうに、顔を上げたり下げたり視線を四方に彷徨わせながら切り出そうとした時、ブラックはそれを遮って挨拶した。

 「……へ?」

 レミリアは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。呆けた顔で相手の顔を仰ぎ見る。ブラックは変わらぬ表情で、もう一度同じ言葉を繰り返した。

 「こんばんは」

 「え……あ、こんばんは」

 思わず頭を軽く下げてしまった。ここにきて、ようやくレミリアも悟る。初対面の相手にしなくてはならない挨拶。しなければ礼儀に反する挨拶。

 リリー・ブラックは何故挨拶をしたのだろうか? 挨拶もせずに話を切り出そうとした自分の態度が気に障ったから? 自分が挨拶をしたかっただけだから? 何が理由なのかレミリアには分からなかったが、しかし挨拶をした事で、二人の間の空気が弛緩したような気がしていた。

 レミリアは僅かに取り戻した自信を持って、真っ直ぐ視線を合わせてブラックと対面する。不思議と、今は気持ちが揺らぐような事はなかった。

 「初めまして、リリー・ブラック。この間の夜の事、覚えているかしら?」

 「初めまして。ええ、覚えているわよ」

 普通に話し始めたレミリアに対して、ブラックの方も普通に返事を返す。厳密には初めましてではない二人は、互いに違う想いで相手の事を考えていたからか、今ではあまり初対面という気がしない。

 しかし、謝ることばかり考えていた彼女は、落ち着いて思考できる余裕が生まれたが、ここにきてその謝り方を考えていなかった事に気付き、その内容を黙考していた。先の態度で要件が分かっているブラックは、自分から話題を振る事なくただレミリアの言葉を待っている。それがレミリアにはありがたかった。

 素直に一言、謝った方がいいのだろうか。それとも、自分がいかにその事で悩んだかを伝えた方が、申し訳ない、という気持ちがより伝わるのだろうか。何かお詫びをしたい旨を伝えた方が。謝罪の程度は。謝ってどうしたいのか。

 思考は、思考すればするほど選択肢が増えるものである。その中から少しずつ余計な物を排除していき、自分の正確な答えを出す。しかし今はそんな状況にはなく、現にリリー・ブラックも心なしか訝しげにレミリアを見つつある。

 レミリアは深呼吸する。答えは定まっていないが、きっとこれが一番いい、と思った答えを選択する。

 「……あの時は、勝手に覗きをしてしまって、ごめんなさい。弁解はしないわ、許してくれとも言わない」

 「……」

 一言一句、ゆっくりと、言葉を選ぶように紡いでいく。

 「ただ、私が悪いのは確かだから。貴方を傷つけた事、申し訳なく思ってる。ごめんなさい」

 「……」

 頭を下げる。初めて見る主人の殊勝な態度と、相手を思い遣る気持ちに咲夜は目を丸くして見守る。隣にいた小町も意外そうに眺めていた。一応気を遣って二人から離れていたのだが、距離が距離なのでレミリアの謝罪は死神とメイドにもしっかり聞こえていた。

 ブラックは頭を下げたまま動かないレミリアの帽子を、黙って見つめている。謝罪の最中にも言葉を発する事はなく、頷く事もしなければじっと真剣に聞いていた。それはレミリアにとっては喜ばしいことであり、同時に少し不安でもあった。

 レミリアはブラックが言葉を発するのをひたすら待つつもりだった。例え謝罪の結果叩かれたとしても、例えその結果口汚く罵られようとも、その全てを受け入れる覚悟で頭を下げているのだ。今更無言程度で怯んだりはしないが、それでも不安なものは不安なものだ。

 いくばくかの時間が経過しただろうか、頭を下げたままのレミリアの帽子に桜の花弁が落ちていた。ブラックはそれを確認すると、そっと指先で摘まみ取る。目の前に持ってきてひらひらと弄んでみて、そっとそれを手離すと、改めて吸血鬼を見下ろした。

 「……頭を、上げて貰えないかしら」

 言われて、レミリアは顔を上げる。ブラックはその顔をまじまじと見つめてから、レミリアに聞こえないように、溜息混じりに呟いた。

 「……顔が見えないとちゃんと話が出来ないじゃない……」

 「……?」

 ぼそりと聞こえた、聞き取れなかった台詞に僅かに首を傾げるレミリア。なんでもない、という風にブラックは手を振ってから、レミリアと視線を合わせる。かちりと合う視線に、レミリアは思わず身体を竦ませた。

 「……確かに私は、不謹慎極まる貴方の行為に、貴方を疎ましく思っていた。貴方の噂はろくなものじゃなかったし、正直最悪な気分だったわ」

 「……」

 レミリアはぐぅの音も出ない。心なしか縮こまっているように見えなくもない。

 「本当は貴方に会うつもりなんてなかったんだけど、四季様が昨日の件で半分無理矢理私に行くよう命じたからね。誰かさん達のおかげで」

 うぐ、と今度は二人が唸る。咲夜は呆れた溜息しか出ない。

 「でも、来て良かったわ」

 それまでの感情の籠らない言葉から一転、清々しさを感じるブラックの台詞に、レミリアは驚いたように顔を上げる。ブラックはその顔に苦笑を一つよこすと、大きな妖怪桜に顔を向ける。

 「人を噂で判断してはいけない、とは四季様の言だけど……見られたくない現場を見られたら相手の人柄なんて無関係に好きにはなれない。そう思っていたわ」

 「あー、そういえばなんかそんな事も言ってましたね」

 「……貴方程の主泣かせはそうそういないんじゃないかしら」

 妖怪桜を共に見上げた小町が、ブラックの言葉に頷くようにぽつりと呟く。隣にいた咲夜はその発言に呆れたような視線を送るが、すぐに主人達の方に意識を戻す。

 「貴方、自分がどんな風に言われているか知ってる?」

 妖怪桜を見上げたまま、ブラックがレミリアに問いかける。レミリアはリリー・ブラックを見つめたまま、変わらぬ瞳でそれに答えた。

 「私の評価は私が決めるの。誰かが勝手に言っている事なんて気にした事がないわ」

 「そうそう、てっきりそんな感じで物を言ってくると思っていたんだけどね」

 「……さすがにそこまで傍若無人じゃないわよ」

 「あら、これは失礼しました」

 くすくす笑いながらレミリアを見るブラックに、レミリアも思わず笑みが零れる。距離を置いた会話が心地良い。

 一方の従者達は何がどうなってそうなったのか分からない様子で顔を見合わせる。咲夜はまだ不可思議な面持ちだったか、元が適当なのかあまり心配はしてなかった小町の方は笑っていた。

 「お前さん、そんなに不思議がらなくてもいいじゃないか。要は二人とも仲直り? したんだろ?」

 「そう……なのかしら。そもそも仲違いしていたの? 初対面なのよね?」

 「んー……」

 小町は唸りながら、ここに来る事を渋っていたリリー・ブラックの事を思い出す。映姫に言われて仕方なくといった様子。「紅いの」呼ばわりのレミリア。そしてレミリアに謝られるまでの不機嫌さ。

 「うん、一方的にブラックが嫌っていた感じ、じゃないかな?」

 「なにそれ」

 溜息を吐く咲夜も気にせず、小町は軽快に笑って言う。

 「いいじゃないか。もう誤解? は解けたみたいだし」

 「さっきから疑問形が多いことね」

 「人の考えている事なんて分かる筈がないじゃないか」

 それもそうね、とやっと笑みを見せる咲夜に、小町もにかりと口の端を釣り上げて笑い返した。

 「……小町はなんだか楽しそうね。自分の仕事が何なのか分かっているのかしら」

 「ん? あいつ、今日も仕事で来ているの?」

 ふぅ、と息を吐いて呆れるブラックに意外そうに尋ねるレミリア。 「私の護衛、みたいなものかしら。道中、妖怪に出くわした時とか、万が一吸血鬼に襲われた時とか」

 「妖精を襲う吸血鬼なんて聞いた事ないわねぇ」

 「なんでもその吸血鬼は一部で『紅いの』、と呼ばれているそうよ」

 「紅くない吸血鬼もどうかと思うけどねぇ」

 「我儘で人の話を聞かなくて自己中心的な行動と唯我独尊な言葉に子供っぽい中身だから、周りの妖怪も手を焼くとか」

 「吸血鬼は地上最強の生物だもの、そのくらいでちょうどいいのよ」

 「まぁ貴方の事なんだけどね」

 「まぁ分かってるんだけどね」

 二人の視線は終始妖怪桜と、その下で談笑する二人に注がれていたが行き交う会話に淀みは感じられない。胸に訪れる安心感に包まれそうになるレミリアだが、肝心の事をまだ済ましていない彼女は視線をそのままに背後の妖精に尋ねる。

 「……ねぇ。それで、さっきの話なんだけど」

 「その話はもう終わったわ。貴方は私に許されようと思って謝罪したわけじゃないと言った、だから私がその謝罪に対して何かを言う必要は無い。そうでしょ?」

 レミリアの言葉を予め予想していたかのように答えると、ゆっくりと見下ろすように視線を動かし小さな頭をぼんやりと眺める。レミリアはその視線を感じてか気付かないからか、目線は相変わらず妖怪桜を眺めたままで頷く事もなくしばらく考え込む。

 確かに自分はそのような事を言ったかもしれない。しかし、それはそうゆう意味で言ったのだろうか、謝罪に対する何かしらの言葉が欲しかったような気もする。いや、現にそう感じている。だが、果たしてその感情は謝罪した側として真っ当な思考なのだろうか。

 謝っても許して貰えないと不安になる、それは当然の事だ。だから、相手から何かしらの言葉をかけて貰いたくなる。そうでなければただの自己満足でしかないではないか。けれど、謝罪をされた相手はどうなのだろう。

 謝られたら許さなければならない、そんな強迫観念に捕らわれる事だってある。そうでなくても、謝罪というのはされ慣れてないとどう反応していいのか分からない。リリー・ブラックはどう感じたのだろう……いや、彼女は言っていた、もう終わった、と。ならばそれが彼女の答えなのだ。

 レミリアはブラックに向き直る。既にレミリアを見ていた彼女と視線が克ち合いわずかにたじろぐも、気を取り直してしっかりと見据え、言った。

 「そうね。この話は終わった事だったわ」

 さっぱりとした表情で笑う吸血鬼の顔に、紫色の花弁が舞う。

 ブラックはその顔を和ませると、再び妖怪桜に目を向けた。

 「……綺麗ね」

 「ええ……なんで此処の桜はこんなに美しいのかしら」

 「くす……なんでだと思う?」

 「んー……あの世とこの世を繋ぐ場所、つまり生者と死者の境目で、人魂が集まる所だから……きっと、見送るからよ」

 その回答に、ブラックが静かにレミリアを見つめる。

 「……そう。素敵な答えね」

 「ふふ、ありがとう。それで、本当は?」

 「……さぁ、なんだと思う?」

 「あ、こら。私が答えたんだから教えなさいよ」

 くすくすと笑ってレミリアから離れるブラック。

「命令口調の人には教えないわよ」

 「こんな時だけ……ずるい」

 

 

 

 無縁塚で出会った二人の縁は、そのまま切れる事無く繋がった。物寂しい雰囲気が漂う此処にも、今だけは豊かな感情に包まれて妖怪桜を咲かせていた。

 

 

 

 

 

 

                                          了

 
 

 
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