学校へ行く海辺の道をのんびりと歩いた。
「まだ時間は十分あるよな。ちょっと海岸の方へより道するか・・・」
俺はいつもの通学路から、わき道にそれた。
この1カ月、とてもあわただしくて、この海辺を散策する時間などなかった。
「まぶしい・・・」朝日が反射する海を見て、俺は目を細めた。
おだやかな海は琴の弦をつまびくように、海面が輝いていた。
幼い頃のかすかな記憶がよみがえってきて、たまらなく なつかしくなった。
この先に20分ほど歩くと、広い砂浜があって、夏になると海水浴をする人で
あふれてくる。
でも、この辺りはゴツゴツした岩肌ばかりで、ふだんは誰も来ない。
「忘れてしまったと思ってたけど・・・意外と覚えてるもんだな」
俺はこの辺りの地形を、少しずつ思い出してきた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
パシャパシャ ――――――――― 岩場の方で水音がする。それに、歌声も。
「誰かいるのか・・・?」
俺は音のする方へ向かった。
歌声は岩場の下の方から聞こえてきた。
波間にただよう旋律。
「この声って・・・・」
聞き覚えのある その声・・・・。
歌声は響くように、風にのって流れてくる。
夢の中にいざなわれるように、俺は惹きよせられた。
「誰が歌ってるんだ・・・?!」
俺は足早になる。
急いでゴツゴツした岩肌を慎重に下りていく。
パシャパシャ。
水音のする辺りをのぞいてみると、海面近くに平たい岩があった。
その岩に座って、誰かが海水に足をひたして、楽しそうに水をはねている。
女の子だ。
「あんなところで・・・・・」俺は身を乗り出してその子を見た。
バシャバシャ水をはね上げて、体をゆらしながら遊んでいる。
「おい、君」俺は声をかける。
女の子は気づかない。
「ヤッ!・・・ターッ!・・・んにゃっ・・・ふんみゅ・・・なーっ!・・・」
バシャバシャと足で水しぶきを上げながら、1人で奇声をあげている。
まるで夢のような旋律だと思ったのは気のせいか。
その子は、にぎやかに叫び声をあげながら、水を蹴り上げている。
水はバシャバシャとはね上がり、体をぬらしている。
元気に体を左右にゆらし、打ちよせる波が体にかかるのもおかまいなしだ。
「んなーっ!!キャッ・・キャー・・・にょ・・・はんにゃ!・・・」
・・・なんか・・・・メチャクチャだ・・・・。
「おーい 君!」俺はもう一度、大きな声で呼びかけた。
「みゅ・・?!」 女の子はハッと驚いて、こっちを振り返った。
俺を見つけると、急いで岩場から立ちあがる。
「だっ・・誰よっ!?」
高い透きとおった声が、強い調子で飛んできた。
「ご・・ごめん、急に声かけて・・」俺は急いで謝る。
女の子は、岩場を軽々と登ってきた。
その跳ぶように軽い足取りは、野原を跳び回るウサギみたいだった。
俺の目の前までやってきて、正面に立ちはだかる。
「え・・・・・?」俺は至近距離までやってきた女の子を見て一瞬止まった。
・・・・・・・ちっこい・・・・・・・・
目の前の女の子は、思ったよりずっと小柄だった。
見おろすと、頭のてっぺんが見える。
・・・しょ・・小学生・・・・・だよな・・・・・・・・
俺は一瞬、その女の子が小柄で華奢な可愛い白ウサギに見えた。
でも、一瞬・・・・それはほんの一瞬だけだ。
その次には、俺は自分の大いなる勘違いに気づく。
俺を にらみつける女の子の目は、どう猛な肉食獣の目だった。
えっ?・・・・・・肉食の・・・・ウサギ?・・・・・・
俺はとまどう。
その目は、今にも俺に襲いかかって、一瞬で息の根を止めてしまいそうだ。
「何ブツクサ言ってんのよ!?」
まるで、俺など口をひらく権利もないと言いたげな口調。
高圧的な態度。視線。
その“肉食ウサギ”は、腰まで伸びた長い髪をしている。
小柄で華奢な体。
白い肌に光が乱反射してる。
水遊びしてたせいで、服が濡れて体に張りついてる。
お人形みたいに可愛い顔だ。
小さな顔、赤い唇。
なのに、その澄んだ大きな瞳は、俺をにらみつけている。
今までに見た、どんな獣よりも鋭い視線。
「あ・・あの・・・俺は・・・・」言葉がうまく出てこない。
「何やってるのよ!ここで」
愛らしい容姿からは想像もできないような、戦闘的な言葉を俺にあびせる。
威圧的で、相手を一瞬でひるませてしまうような覇気。
俺よりずっと背が低い。
肩を軽く突けば、倒れてしまうんじゃないだろうか。
なのにその“肉食ウサギ”は、ひるむどころか、俺の真下まで急接近して
まっすぐ俺を見上げて にらみつける。
「え・・えっと・・」
俺はすぐ真下にある肉食ウサギの顔を、少し体をそらして見下ろす。
「え・・いや・・俺は・・・・・」俺は一歩うしろに下がろうとして、
岩から滑り落ちそうになった。
「あ・・わあああっ!!」よろめいて岩に尻もちをつく。
「イッテ・・・・・」俺は立ち上がろうとした。
「怪しいわ・・・・・こんなにあわてて・・・」
大きな可愛い瞳が、俺を見下ろして、その場に射すくめる。
「いや・・俺は別に、ここを通りかかっただけで・・そしたら君が・・・・」
俺は何とか説明しようとする。
肉食ウサギの眼光は、指1本自由に動かすことを許さない呪縛力を持っている。
風になびく柔らかそうな長い髪が、今にも俺の首に巻きついてきて、
絞め殺しそうな気がする。
「え・・えっと・・君が・・」俺はやましくもないのに、しどろもどろになる。
「私が 何よ?!」
こっ・・・こわいぜ。下手なこと言って怒らせるのはマズイ。
俺はゴクッとツバを飲みこんだ。
しかし、何で俺がこんな女の子に怒られなきゃならないんだ??
そ・・それにこの子、さっき水遊びしたせいで服がびしょ濡れだ。
濡れた服が体に張りついて、肌が透けて見える。
し・・しかも、この子・・下着をつけてない・・・??!
「う・・・勘弁してくれ・・・」俺は目のやり場にこまって、顔をそむけた。
「ちょっと! 人が話してるのに、どこ見てるのよ?」
俺が目をそらしたのが気に入らないらしく、肉食ウサギは厳しく抗議する。
「い・・いや・・・君の服がね、透けて・・・その・・見えちゃってるからさ・・」
俺は言いにくそうに説明する。
「えっ?・・・」肉食ウサギは、急いで自分の服を見下ろす。
「んにゃ・・・・にゃあああああああああ!!!!!」
肉食ウサギは両手で胸のあたりを押さえて、その場にしゃがみ込んだ。
「にゃ・・・・やぁ・・きゃっ・・・・」
近くにあった石や貝殻を、俺に投げつける。
「い・・イテ・・・痛い・・やめろっ!・・・こら・・・」
俺は腕で顔をかくしながら、制止しようとする。
カンベンしてくれよ・・・・。
「みっ・・・・みっ・・・見た!・・・・見たーっ!!も・・もう・・許さないからー!!」
肉食ウサギは怒りと恥ずかしさで真っ赤になって、ふるえながら叫ぶ。
許さないって・・・俺が悪者か??
「い・・いや…君が勝手に・・・俺は何も・・・・」言いかけたが、問答無用のようだ。
肉食ウサギは怒りに震えながら、近くにあった岩をガシッ!とつかんだ。
「ふぅっ!!」肉食ウサギは息を吸いこんだ。
その大岩を持ち上げて、俺に投げつける気らしい。
「お・・おいっ!・・やめろっ!!・・・・」俺はあとずさりした。
あんな岩を投げつけられたら・・・・俺、死んじまう・・!
しかし・・・・・・ねらった岩がデカすぎた。
肉食ウサギには持ち上げられない。
「う・・・ぐぐ・・・ふんぎゅっ・・・くっ・・・」
真っ赤になって、全身の力をふりしぼる。
ゴトッ・・・少しだけ岩が持ち上がった。
すごいバカ力だ。
しかし、持ち上げた岩の重さでバランスを崩し、肉食ウサギはよろめいた。
「あっ・・・・あああーっっ!!!」スッテーンと転んで、その場に座りこむ。
「はんぎゃっ!!」妙な奇声。
「わ・・わああああ・・・・」
俺は青ざめながら、目の前で繰り広げられる肉食ウサギの惨状を、なすすべもなく
見守る。
「ふ・・うう・・う・・むぅ・・」
肉食ウサギは怒りで震えながら、足元の強情な大岩をにらみつけている。
その怒りのはけ口が、俺の方へ向かってくるのは必至だ。
「だ・・・大丈夫か?・・・」俺は恐る恐る声をかける。
「許さない・・・・」キッ!とふりかえって俺をにらみつけた。
なんでそうなるんだーっ!!
肉食ウサギは今度は立ち上がって、素手で俺に立ち向かおうとしている。
「・・やめろ・・・落ち着け・・・・・」俺はあせる。
ビリッ・・・・・・ビリリリリッ・・・・・・・・
布が引き裂かれる音がした。
立ち上がった瞬間、今度は肉食ウサギのスカートが思いっきり破れた。
綺麗な足があらわになる。
「きゃあああああああっ!!!んぎゃーっ!!にゃーっ!!」
肉食ウサギは悲鳴をあげて、その場にしゃがみこむ。
さっき、少しだけ持ち上げた大岩を下ろしたときに、スカートのすそを
踏んでいたらしい。
勢いよく立ちあがった瞬間、スカートは悲鳴のような音を立てて見事に裂けた。
「あわ・・わあああ・・・・」顔面蒼白で俺もおののく。
次々と容赦なくふりかかる衝撃映像に、立ちあがることもできず、俺は岩にはりついた
貝殻のように微動だにできずにいた。
肉食ウサギは裂けたスカートを押さえながら、うずくまって震えている。
「うぅ・・・ぐぅっ・・・むぎゅ・・」つぶれたような声で、小さくうなって途絶えた。
「あ・・あの・・・だ・・大丈夫・・・じゃ・・ないよな…・」
俺は遠慮がちに話しかける。
「あんたのせいよ・・・」肉食ウサギは言う。
断じて違う!!・・・・俺は心の中で、むなしく抗議する。
「もう・・ぜったい・・許さないからっ・・・・」
うつむいたまま、肉食ウサギは すご味のある声でボソリと言う。
「な・・・なんで・・なんでそうなるんだよ・・・・」
俺は必死で理不尽な逆恨みを訂正しようとする。
なんなんだ、この女は。
勝手に怒って、勝手に失敗して、それを俺のせいにしている。
肉食ウサギは破れたスカートを引っ張るが、岩にはさまれて抜けない。
「くっ!・・ふんぎゅっ!!・・・キーッ!!」
思い通りにいかず、カンシャクを起こしている。
「ふみゅ・・・・・ふ・・ん・・・うぅ・・」岩はびくともしない。
どうしていいか分からず、ちょっと困ったような顔をして、ベソをかきはじめた。
「うぅ・・・・もう・・・もうっ!!・・・んぎゃっ!・・・」
岩に向かってカンシャクをおこしてる。
大きな目が怒りと悔しさで、うるうるしてくる。
「わっ・・・わかった・・・・わかったよ。俺が悪かった。この通り」
俺は手を合わせて謝る。
肉食ウサギは体を腕で隠すようにしながら、俺をにらんでる。
服は濡れて透けてる上に、スカートまで破れたんじゃ、身動きできないだろう。
弱ったな、どうすりゃいいんだ・・・。
俺は自分の着ているシャツを見る。
「あっ、そうだ! これ貸すからさ」
着ていた制服の白シャツを脱いで手渡した。
俺はその下のTシャツだけになる。
「にゅ・・むにゅ・・」
肉食ウサギはシャツを着ようとするが、岩にスカートがはさまれていて
自由に動けないらしい。
「あ・・・ああ、着られないのか。ちょっと待てよ」
しょうがない、俺が着せてやる。
不満そうにしながらも、俺の手を借りるしかない肉食ウサギは、大人しくシャツに
袖を通す。
「ほら、どうだ?」
着てみると、小さな体にシャツは大きすぎる。
袖が長すぎて手が出てない。
「そで!」肉食ウサギはヤサグレたように、腕を俺に突き出した。
袖を折れと言っているらしい。
頼むというより命令している。
「あ・・ああ」いったいどこの幼稚園児だ。
袖を折って、手を出してやる。
手が自由に使えるようになると、やっと少し機嫌が直ったのか、満足そうに笑った。
笑った顔は天使だ。
パッとまわりが明るくなって、さっきまでの威圧感がウソみたいに可愛い。
「これ!ふんっ!」自分を拘束している岩を指差して俺を見る。
「ああ。どければいいんだな」
俺はスカートがはさまれた岩をどけてやる。
肉食ウサギは立ち上がって、その場でピョンピョンと2回跳ねた。
うれしさが顔や体からあふれ出してきて、空気まで軽くする。
「ん・・うん・・・ふぉ・・おぉぉ~っ!・・・」
妙な歓喜の声をあげながら、嬉しそうに飛びあがる。
それから、俺なんか最初からいなかったみたいに、1人でヒョイヒョイと岩場を上がって、海岸沿いの道を楽しそうに歩き始めた。
見ると裸足だ。
クツはどこだろう。
まわりを探したけど、見当たらなかった。
「おーい、クツはどこだ?」俺は呼びかけた。
「みゅ・・・?」肉食ウサギは振り返って、不思議そうな顔をする。
「クツだよ。裸足で歩いたらケガするぞ」
「ク・・ツ・・・?」肉食ウサギは首をかしげる。
「クツだよ、これ」俺は自分の足元のクツを指差す。
肉食ウサギは、冷めた視線を俺の足元に注ぐ。
「クツ、持ってない」ウサギはそう言って、俺のクツをじっと見た。
俺はギクッとする。
「あ・・え・・ク・・クツも・・貸してほしいのか?」
俺はヘビににらまれたカエルの気持ちで、要求されれば逆らえないと観念してたずねる。
「いらない・・・」そう言って、ウサギはまた裸足でピョンピョン歩き出した。
「い・・いらないって・・お前・・裸足で歩くヤツがいるか・・・」
「窮屈だもん。 裸足の方が楽しいよー」
笑いながらクルクルまわって歩き出す。
「おーい、足元・・気をつけろよ」俺は追いかけた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
肉食ウサギは、自由気ままに裸足で歩き回る。
堤防につながれた漁船や、網やイカリを、めずらしそうに見る。
それから肉食ウサギはピタッと立ち止まった。
「ふぉぉ~」また奇声をあげる。
今度はなんだ?
ウサギの視線の先は、浜辺の売店だった。
ソフトクリームを売っている。
売店のおばさんが、器用にソフトクリームの渦を巻いていく。
それを、めずらしそうにまじまじと見る。
「うぉ・・ぉう・・むみょ~・・・ふぉー」
肉食ウサギは、まるで言葉を知らない野性動物のような雄たけびを上げる。
あまりにもジッと見つめられて、売店のおばさんが居心地悪そうにする。
「欲しいのか?」俺はたずねた。答えは聞かなくてもわかってるけど。
「ふぉ・・・」肉食ウサギは俺の方をサッと振り返る。
その目は、思いがけない願いが叶ったときのように、期待と興奮でキラキラしてる。
「フン、フン!」肉食ウサギは目まいがするんじゃないかと思うほど、
大きく何度も頭をタテにふった。
俺はポケットの中の小銭をさぐる。
売店のおばさんに1個注文する。
「ほら」
ソフトクリームを渡すと、すっごい宝物でももらったみたいに
両手で大事そうに受け取って、キラキラした瞳でそれを見た。
ジィィィッ・・・・といつまでも それを見つめている。
「お・・おい、早く食えよ。とけるぞ」
「う・・うん!・・ハグッ・・・」
思い切ったように口を開け、勢いよくソフトクリームにかみついた。
ビシャッ!
「あっ…! お・・・おま・・え・・・・」俺はまた真っ青になる。
肉食ウサギの口と鼻がソフトクリームにうもれて、顔中クリームまみれだ。
ま・・・また怒り出すのか!?・・・ 俺は身がまえる。
しかし予想は外れた。
肉食ウサギは驚いたように顔を上げ、大きな瞳をキョロキョロさせながら、
口の周りについたクリームをなめた。
子猫みたいに赤い小さな舌。
「美味し―――い!!にょーっ!!」歓喜の雄たけび。
顔が汚れるのもおかまいなしに、ソフトクリームをかじる。
「ハグ・・ハグ・・・」夢中でかじっている。
「おい・・それ・・なめるもんなんだけど・・・」
「え・・・っ・・・」
肉食ウサギはそれを聞くと、ハッとして一瞬動きがとまった。
「な・・なめる・・・そっ、そうよね!」あわてたように言う。
それから、赤い小さな舌を出して、そっと慎重にそれを なめ始めた。
・・・・この子・・・まさか、ソフトクリームはじめて食べたんじゃ?・・・・・・
ぎこちない動きで、そっと食べている。
でも、その顔は上機嫌でうれしそうだ。
むさぼるように食べて、あっという間にたいらげた。
「ソフトクリーム、美味し~い!」
食べ終わると無邪気に笑った。
満面の笑み。
見ると、肉食ウサギが着ている俺のシャツが、ソフトクリームまみれになってる。
幼稚園児じゃあるまいし、どうしてここまで汚れるんだ??
本人はそんなことはおかまいなしで、ご機嫌だ。
好物のハチミツを思いっきり食べて、幸せそうなクマってところか。
俺はその幸せそうな顔を見ると、文句を言う気も失せて一緒に笑った。
「お前、なんて名前?」
「は?」ウサギはききかえす。
「え・・・だから、名前・・・」俺はもう1度言う。
ウサギの目がさっきの上機嫌から、あっという間に怪しい雲ゆきになる。
威圧するように俺をにらむ。
「何でそんなこと、あんたに言わなきゃなんないのよ!?」挑戦的に言い放つ。
「あ、いや、別に無理にとは言わないよ」俺はそそくさと質問をひっこめようとした。
くだらん質問して こいつを怒らせて俺に何の得がある。
「悪かったな。はは・・」俺は意味のない愛想笑いをした。
俺の態度をしばらく見定めていた肉食ウサギは、今度は自分から口を開いた。
「人に名前をたずねるときは、自分から名乗ったらどうなのよ」
「あ・・ああ、俺? 俺は海斗だ」 俺は命じられるままに名乗ってみた。
「ふうん・・・」美羽はしばらく俺を見た。
「か・・海斗。千崎海斗(せんざきかいと)だ。この近くに住んでるんだ」
俺はもう1度、あやしい者ではないと理解を求めるように、ゆっくりと説明する。
「カイ・・・ト・・・・・かいと・・・海斗・・海斗・・・」
美羽は初めて聞く言葉のように、俺の名前を何度も復唱した。
「そうそう」俺はうなずく。
こいつに気に入ってもらわないと、名前すら奪われかねん。
「ふうん・・・」美羽はどうでもよさそうな返事をした。
実際、俺の名前なんぞ興味もなさそうだ。
「で? お前の名前は?」俺はもう1度たずねた。
美羽はしばらく俺を見た。
それから、有難く拝聴しろとでもいうように、ゆっくり口を開いた。
「私は、美羽(みう)よ」
「みう・・・美羽・・か」俺はその名前を有難く復唱した。
俺は、さっき気になっていたことを思い切って聞いてみた。
「あのさ、お前さっき歌ってたろ?」
「え?」
「あの岩場で、なにか綺麗な歌、歌ってたろ?」
「・・・・・・」美羽は不思議そうに俺を見た。
「俺が声をかける少し前、すごい綺麗な歌で。俺、歩いてたら聞こえてきて・・
それで岩場のほうに歩いて行ったんだ」俺は説明した。
「知らない。私、歌ってないよ?」
「えっ?」俺は美羽の返事に驚く。
「岩場で、1人で歌ってたろ?」
「・・・・・・・」美羽はいぶかしそうに眉をよせて、俺を見る。
聞き間違いだったのか・・・。確かに聞こえた気がしたのに。
「どんな歌なの?」美羽がたずねる。
「分かんない・・・俺には歌えないような・・綺麗な歌と、歌声・・・。
ずっと昔、聞いたような気がするんだ・・・」
俺は、ときどき夢の中にでてくる情景を思い浮かべた。
夢の中で俺はいつも、歌声に惹きつけられるように、歩いていった。
そして、美羽のような女の子に会っている気がした。
俺は思い切ってたずねてみた。
「俺たち昔 会ったことないか?この海辺で・・・」
「えっ?・・・」
美羽はしばらく黙って俺を見た。
俺に顔を近づけて、じっと瞳をのぞきこむ。
俺も美羽のきれいな瞳を見た。
澄んだ瞳が、俺の瞳の奥をのぞいている。
顔に甘い息がかかる。
俺は夢見心地で、美羽の答えを待った。
「あんたやっぱり、そういう下心があって近づいたのね!」
その言葉は、眠っているところをゲンコツで叩き起されたような衝撃だった。
「え・・・ええ?!」俺は驚く。
美羽の視線がまた警戒色をおびて、俺を射すくめる。
「あんたバカじゃない?!私がそんな言葉にひっかかると思う?」
「なっ・・・なんで俺が・・・」俺はカッとなって赤くなった。
誰がお前みたいな野獣をひっかけたいもんか。
「フン・・だ」美羽は軽蔑したように俺を見てから、また歩き始めた。
「おい、待てよ」俺は追いかける。
「ついて来ないでよ!」
ちがう、シャツ返せっ!
俺は少し離れて後を追った。
美羽は笑って、クルクル回りながら歩く。
さっきまで濡れていたスカートが乾いて、花びらのように広がる。
長い髪を海風がゆらす。
「お・・・おいっ!」俺はどんどん歩いていく美羽を追いかけた。
なんてやつだ。どこまで行くつもりだ?
ひっかけるだって??・・・・・こんな狂暴な女を相手にするくらいなら、
野生のライオンの方がマシだ。
「もう・・・近よらないで! ヘンタイ」
「ヘ・・ヘンタイ?!・・誰がっ・・・」
頼むよ、人聞きの悪いこと言わないでくれ・・・。
俺は思わず周囲を見回した。
お前こそ、人の服かっぱらって逃げようってんじゃないだろな。
おい、ドロボー!!
「待てよ、おい!」
俺は追いかけながら、さっきの歌声を思い出した。
やっぱり勘違いか・・・。
そうだよな。
あれは ただの夢だ・・・・・。
俺は美羽の答えを聞いて、逆になんだかホッとした。
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