<夢の中>
ザザ・・・ザザザ・・・・・
ぼくは 海辺の道を 歩いている。
さっきまで あたりを照らしていた太陽は 急ぎ足で
今日の幕を 引いてしまった。
薄暗い 夜のとばりにつつまれて
海だけが 眠らない 生き物のように
波音をたてている。
ザザ・・・ザザザ・・・・・
はやく行かなくっちゃ ・・・・・・・
どこへ?
ぼくは どこへ向かっていたんだろう?
たぶん あの入り江の先・・・・・そこに ぼくの家がある。
もうすぐだ。
ヒタヒタと 誰かが あとをついてくる。
濡れた足音。
ぼくは うしろをふりかえらずに ただ歩く。
バシャッ・・・・・ ――――――何かが 波打ちぎわではねた。
ぼくは 振り返る。
女の子だ・・・・・・
いつか見た 女の子・・・・・・・
綺麗な歌声の 女の子・・・・・・
今度こそ 声をかけよう――――ぼくは思う。
「久しぶりだね、きみ」
ぼくは 呼びかけた。
ザン!・・・・・・・・波が 岩でくだける。
緋色のしぶき。
浅瀬に横たわる 干からびた死体。
――――――――――うつろな目
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
シャッ ―――――― メイドの雛乃が、カーテンを開く。
窓から まぶしい朝日がさし込む。
「か・・・海斗さま、お・・・お目覚め・・・ですか?」
雛乃は何度も息継ぎしながら、幼い声で言葉をつなぐ。
「う・・・雛乃・・・」俺はまぶしくて手で顔をおおう。
「お・・・起きて下さいませ・・・。きょう・・今日はいいお天気です・・よ?」
俺の専属メイドの瑠奈と雛乃は、毎朝交代で俺を起こしに来る。
「あ・・ああ・・」俺はまだ眠くて目が開かない。
「もう、・・朝食も・・・できております・・・」雛乃は楽しそうに俺を起こす。
「う・・・もう少し・・・・」俺は頭から布団をかぶる。
「あ・・あっ・・・い・・いつも・・ 海斗さまは、もう少しって・・・・」
雛乃は枕元に顔を近づけて、布団をかぶった俺をゆすって起こそうとする。
「ああ・・はいはい・・」俺はいい加減な返事をした。
まだ眠い。
俺の身の回りの世話し、命じられた用事をする専属メイド。
でも、無邪気であどけなさの残る雛乃を見て、本当に仕事できるのか、と正直思った。
そんな俺の心配をよそに、雛乃はメイドの仕事には慣れていた。
毎朝6時半きっかりに、身だしなみを整えて、起こしに来る。
俺の着がえを準備し、洗面の手伝いからベッドメイクまで、なんでも上手にこなした。
「がっこう・・学校に・・遅刻して・・しまわれますよ?・・・」
「大丈夫だって・・・学校まで歩いて20分だぞ?まだまだ眠れる・・・」
「あ・・あーっ!・・・海斗さま、ま・・・また朝食をきちんと・・・召し上がらない・・・
・・・・・おつもりですか?」
雛乃は布団をひっぱって起こそうとする。
「わ・・分かった・・・起きる・・・起きる…よ・・・・」
そう言いながら、俺は布団をつかんで頭にかぶる。
「あ・・あ・・海斗さま・・起きて・・」雛乃が布団をひっぱる。
俺は取られまいとして、思いっきり布団を引っ張った。
「あっ・・・!」雛乃はその反動でよろめく。
ドサッ・・・・・雛乃が勢いよく、俺の上に倒れこんだ。
「わっ!」俺も驚いて顔をあげる。
雛乃の顔が目の前にあった。
「ご・・ごめん・・・」俺は雛乃の体を支えて起こす。
「わ・・私こそ・・・・も・・申し訳ございません」雛乃もあわてて謝る。
俺は今ので目が覚めてしまった。
布団から もぞもぞと起き上がる。
雛乃もあわてて仕事に取りかかった。
「ふぁ・・ねむ・・・」俺はあくびしながら窓の外を見た。
この屋敷に引っ越してきて、もう1カ月になる。
山奥の屋敷で12年間、無機質な目覚まし時計の音か、そうぞうしいマツさんの声で
目覚めていた俺は、この屋敷の習慣には なかなか慣れない。
この屋敷では、起床から就寝まで何もかもメイドが世話してくれた。
「海斗さま、こちらが・・・今日の着替えで・・ございますよ」
雛乃は俺の方を振り返って言う。
「よくお休みに・・・・なれましたか?」
眠そうな俺を見て、クスクスと笑いながらたずねる。
「う~・・・まだ眠いよ・・・」俺は床に足を下ろす。
「どうぞ」 雛乃がサッとスリッパをそろえて俺の足元に置いた。
「あ・・ああ。ありがとう」俺は真新しいスリッパをはく。
明るい雛乃は、部屋のなかで小鳥みたいに軽やかに動き回って、
着ていく制服の準備や 洗面の準備をしている。
歌うように陽気で無邪気な動作で仕事をする。
雛乃の整ったメイド服の身だしなみにくらべて、
俺は自分のだらしないパジャマ姿が急に恥ずかしくなる。
「あ・・・雛乃、もういいよ。あとは自分でやるから」
俺は雛乃を部屋から退室させようとした。
「えっ?!・・・・」雛乃は驚いて、おびえた顔をする。
「な・・なにか・・か、お・・お気に障りましたか?・・・わ・・・私、何か・・失礼を?」
「い・・いや、そうじゃないんだ。俺、ずっと自分のことは自分でしてきたから、
こういうの慣れなくて」
「わたし・・私、ご迷惑ですか・・?」みるみる涙目になる。
「いや、そんなことは・・」
「でも・・・」雛乃はふるえている。
「あっ・・・・」俺は自分の言った言葉の意味を考えて後悔した。
メイドの雛乃にとってみれば、これが仕事だ。
退室を命じられたら、落ち度があったと責められる可能性もある。
まずいことを言った。
「わ・・・分かった!・・・分かったから 泣くな。ここにいて手伝ってくれ!」
俺は急いで自分の言ったことを取り消す。
雛乃が俺を不安そうに見つめる。
俺が何度もうなずくと、やっとホッとして肩の力を抜いた。
「よか・・良かった・・・・。・・私に・・・至らないところが・・あったら、何でも・・・おっしゃって・・・・・くださいね」ニッコリ笑う。
「あ・・ああ。大丈夫」とりあえず雛乃が笑ったので、俺はホッとする。
雛乃の眼尻が涙で濡れている。
可哀想なことを言ってしまった。
雛乃は、俺の着替えをベッドの横の机に置く。
ズボンやシャツを着替えやすいように、順番に一生懸命 並べていく。
ひとつひとつの動作が一生懸命な子だ。
1人で百面相をしながら 上手くいくと満面の笑顔になり、手こずるとムキになる。
ひとつ作業が終わると、楽しそうに また次のことをする。
ガシャン!――――――― 雛乃が棚の上の花ビンを落とした。
「あ・・あ・・あああああ~」雛乃は慌てて花ビンを拾おうとする。
「あっ!」破片で指を切った。
「雛乃、大丈夫か?!」
「あ・・あ・か・・・花ビンが・・・」
雛乃は自分の血が出ている指より、花ビンを気にする。
「どうし・・・どうしよう・・・・・」
「いいから、そんなこと!」俺は雛乃のケガした手をとった。
指の傷口を吸って消毒する。
「あ・・海斗さま・・・」雛乃はびっくりして、おとなしくなった。
「よし、血も止まってるし、これで大丈夫だ」俺は傷口を確認した。
それを雛乃はボ~ッと赤くなって見ている。
「もう・・・・申し訳・・ありません・・・海斗さま・・・」
「気をつけろよ、雛乃。花ビンなんか、どうでもいいんだぞ」
「は・・はいっ・・・」
雛乃はちょこんと座ったままになった。
びっくりして放心状態みたいだ。
俺は自分の着替えをしながら、雛乃に話しかける。
「雛乃、この屋敷で働いて長いのか?」
「わ・・・私、幼いころ、両親が亡くなって・・・親戚もいなくて、 ほ・・
本当なら施設に入らなければ・・・・いけないところを、旦那さまが、
この屋敷に引き取って下さったのです・・・・・それ以来ずっと、こちらで働かせて・・・
いただいてます。どれほど・・・お世話になったことか・・・・・」
「へえ、父が・・」ちょっと意外だ。
俺のところには、1度も会いに来てくれなかった父。
父にそんな優しい一面があったんだろうか。
「それで、この屋敷でメイドをやってるのか」
「はい。家のことを・・・・ほんの少しだけです。以前は・・・・旦那様の身の回りのお世話を・・・していました」
「学校は?」
「私…大勢の人の中に入っていくと・・・・具合が悪くなって・・・・
学校には行ってなくて・・・・・。それで、旦那様が・・家庭教師を
つけて下さるようになったんです。・・・昼間は授業を受けて・・・・、それ以外の時間は・・・・屋敷の中で働かせて・・・いただいています」
「そうか・・・」俺は内心、すごく驚いた。
無邪気であどけない雛乃が、両親と死に別れ、大勢の人の中で過せない。
そんな苦労をしてきたなんて、想像もできなかった。
「だ・・・旦那さまは・・・慈悲深い方です。本当に・・・どんなに感謝しても・・・
・・・しきれないくらい、ご恩を感じてます。だから・・・一生懸命・・・仕えてきました。・・・な・・なのに・・・・・」雛乃は元気に話していたが、ふいに、うつむいて肩をふるわせる。
父が亡くなった悲しみを、また思い出してしまったんだろう。
「雛乃・・・」
「か・・海斗さま・・・」雛乃の目に、また涙があふれ出してくる。
「泣くな」
「な・・な・・泣きません」雛乃は俺の言葉を、そのまま命令として受けとめた。
真一文字に口を結んで、必死で涙をこらえようとする。
「いや、そうじゃなくて・・・」
「?・・・」雛乃は心配そうに俺を見上げる。
「いや・・・泣いていいんだ。ありがとう、父のことをそんなに思ってくれて」
「海斗さま・・・」雛乃はまたポロポロと涙を流した。
声も出さずに泣く子だ。
きっと今までも、こうやって1人で泣いてきたんだろう。
俺は雛乃の頬に流れる涙を指でぬぐった。
雛乃は少し落ち着いてきた。
俺に向かって一生懸命笑って見せた。
俺はそんな雛乃の笑顔を見て、少し安心する。
ベランダの窓から心地よい海風が入って来る。
俺は窓辺に歩いて行って、静かに深呼吸した。
目を閉じて、何度もゆっくりと息を吸ったり吐いたりする。
「海斗・・・さま・・・?何をなさって・・・いるのですか?・・・・」
雛乃が不思議そうに俺にたずねる。
「ああ、これね。子供のころからやってる呼吸法なんだ」
「呼吸・・法・・・・でございますか?」雛乃はよく分からないみたいだ。
「こうすることで、気持ちが落ちつくんだ。母さんに教わって、子供の頃から毎日やってる。俺、少しノドが弱くて、ときどき痛むことがあったから、これをやると痛みがおさまる気がしてね。もう習慣だよ」
俺はしばらく深呼吸したあと、顔を洗おうとバスルームの方へ行った。
雛乃はまた仕事を始めた。 ベッドのシーツを取替え始める。
「海斗さま すごい・・汗ですね。・・・寝苦しかった・・・・ですか?」
雛乃がシーツを見て驚いてたずねる。
「ほんとだ・・・」俺は自分でも驚いて、汗で濡れたシーツを見る。
そういえば昨日の夜、変な夢を見た。そのせいでこんな汗を・・・・。
俺は昨夜の夢を思い出した。
真っ暗な夜の海。波の音。何かに追われているような・・・・。
ここに引っ越してきてから、よく夢をみる。
どうしてあんな、妙な夢ばかり見るんだろう・・・・。
でも、昨夜の夢はいつもと少し違っていた。
赤い目をした女の子だった。
幼い頃に見たような・・・でもそれも、夢とも現実ともつかない。
「・・・バカバカしい・・・ただの夢だ」俺は1人ごとのようにつぶやいた。
チリリ・・・・・・・
チリ・・・チリチリ・・・・・ ――――――― ノドのアザがうずく。
気づかずに通り過ぎるのを許さないと言うように。
「・・・ここ何年かおさまってたのに・・・」俺はイラ立って、ノドを押さえた。
ザザ・・ザザザ・・・・・・
こんなとき波の音を聞くと、なんだか胸さわぎがする。
俺は不安を打ち消すように窓を閉めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「海斗さま、こうちゃ・・ 紅茶は何に・・・なさいますか? ミルクと・・・
レモン、どちらが・・・よろしいですか?」雛乃がたずねる。
広いダイニングルームの中央に長いテーブルがある。
俺はそこに1人座って食事をする。
雛乃と瑠奈が給仕をしてくれる。
「あーあ、もう 雛乃ったら気が利かない! 海斗さまは、朝はダージリン紅茶を
ミルクでって決まってるでしょ? やっぱ雛乃に専属メイドなんてムリよ。
私が1人でやるわ!」瑠奈は雛乃に挑戦的に言う。
「そ・・・そんな・・・ダメ・・ダメです・・・・海斗さまの、おせわ・・
・・・・お世話は・・・私が・・・・」
雛乃は必死に抗議する。
「海斗さまも、こんな気の利かない雛乃より、瑠奈の方がいいですよねぇ?」
瑠奈は体を近づけて俺を誘惑する。
「え・・う・・・」俺は言葉につまる。
「ほ~ら、海斗さまも私がいいって言ってるわ。雛乃は役に立たないんですって」
瑠奈は俺の言葉を待たずに、決めつけて雛乃に言う。
「そ・・そんな・・こと・・・ない・・ですっ・・・・」
雛乃は反論しようとするが、いかんせん口調がもどかしい。
「おだまり!」瑠奈が威圧する。
「きゃっ・・・」雛乃はビクンと肩をすくめて目を閉じた。
瑠奈の気迫の前には 雛乃は吹けば飛ぶような弱々しい存在だ。
「さあ、ダージリンをいれましょう」
瑠奈は雛乃にかまわず、楽しそうに紅茶の準備をはじめる。
ぷるぷると震えながら、何も言い返せずに雛乃は瑠奈を見る。
この2人、仲が悪いんだろうか?
どう見ても雛乃の分が悪い。
「雛乃、大丈夫か? お前、いじめられてるのか?」
俺はちょっと心配になって、小声で雛乃にたずねた。
「あ・・いえ・・・」雛乃はハッとして、俺の方を振り返った。
「ち・・違うんです。瑠奈さんはいつも・・・・あんなふうに話すのですよ。
でも・・いつも私を助けて下さっています。 私・・・おっちょこちょいで・・・
失敗ばかりしてるから・・・。瑠奈さんがいてくれて・・・とても感謝してます」
「そうか?だったらいいけどな」
表面的にはケンカしてるように見えるけど、本当は仲がいいのか。
「はい。大丈夫です。 瑠奈さんは・・ちょっと・・・お口が悪いんですね」
雛乃はイタズラっぽく言った。
「確かにな」俺もうなずく。
「お気づかい・・・ありがとうございます・・・海斗さま」雛乃はにっこり笑った。
「誰が口が悪いですって? 雛乃」 瑠奈の声が飛んできた。
「あっ、はいっ! あの・・・いえ・・・」雛乃はあわてて、手を口にあてる。
「ほら、雛乃、サボってないで。 紅茶がはいったわよ。」
瑠奈が雛乃にポットを差し出す。
「はいっ」雛乃は、瑠奈がいれた紅茶のポットを受けとる。
瑠奈は、雛乃の手元に気をくばりながら、ポットを慎重に渡す。
「カップに円を描くように注ぐのよ」瑠奈は手ぶりをまじえて雛乃に教える。
「はい。ありがとう・・・瑠奈さん」雛乃はその手ぶりを真似しながら確認し、
瑠奈を見て嬉しそうにうなずく。
「ちゃんと・・・いれますからっ!」雛乃は一生懸命うなずいてみせる。
「よし!」瑠奈も わざと威張って言う。
「海斗さま、どうぞ」雛乃がティーカップを俺の前に置いて、ゆっくりと紅茶を注ぐ。
やわらかい湯気がのぼる。
瑠奈は心配そうに、雛乃をのぞき込んで見ている。
確かに、瑠奈は口が悪いけど、それは表面的なことで、雛乃をちゃんとフォローしてるみたいだ。
どうやら、こうやって冗談を言ったり、瑠奈が雛乃をからかうのが2人の会話のパターンみたいだ。
雛乃は瑠奈を頼りにしてるようだし、瑠奈も雛乃をからかいながらも、親身になって助けている。
俺は さわがしいけど仲のいい2人を見てホッとする。
「海斗さま スープです」
由果が瑠奈と雛乃の間を割って、俺の前に静かにスープを置く。
その顔は相変わらず無表情だ。
さわがしい瑠奈と雛乃を冷やかな目で見つめる。
「や・・やあね~ 由果。朝からなに怒ってるのよっ・・」
瑠奈が少し引きつった表情で、由果を見る。
「私はこれが普通よ、瑠奈」由果は表情を変えずに答える。
「も・・もうちょっと笑うとかしたらどうなのよ。怒ってるように見えるんだってば」
瑠奈はひるみがちに言う。
「怒って見えるのは、貴方にやましいところがあるからでは?」
「ぐっ・・・」瑠奈は言葉につまる。
瑠奈は由果には頭が上がらないみたいだ。
「海斗さま、スープのお味はいかがですか?」由果が俺に向き直ってたずねる。
「ああ、美味しいよ。ありがとう」俺はスープをひと口すすって答えた。
由果は俺の食べ物や味つけの好みをさっして、コック長に指示して料理を作らせる。
俺は食べ物の好き嫌いはないが、酸っぱいものが少し苦手だ。
ほんの少し残しただけで、由果はそれを1度で気づいて、二度と食卓にはあげない。
「海斗さま、この2人うるそうございますね」由果は俺に言う。
「な・・何言ってんのよ、由果!自分だけ海斗さまに取り入ろうってんの?!」
瑠奈が血相を変えて怒る。
「わ・・・わ・・私、う・・うるさく・・・なんか・・・」雛乃も抗議する。
「騒々しいわ。今すでに」由果は静かに言う。
「なんですってー?!」瑠奈が更に息まく。
3人は向き合って、それぞれ自分の主張を始めた。
毎朝こんな感じだな・・・・。
俺はケンカしている3人を見て笑う。
さわがしいけど、明るいこの子達を見ていると気がまぎれる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おはようございます 海斗さま」サラが部屋に入ってきた。
「おはよう、サラ」
「お食事中すみません。今後の予定を申し上げます」
サラが俺の横で、スケジュール帳を開いて話し始めた。
「ああ」俺は食事しながら、それを聞く。
スケジュールとは言っても、大した用事じゃない。
地元の自治会など、千崎家が関わっている街の行事についての報告だった。
俺に直接関係のあることではないが、一応当主として知っておくべきことを、
サラが報せてくれる。
この1カ月間で分かったことは、サラがとても有能なこと。
千崎家の屋敷の中の細々した家事全般と、使用人の采配を手際よくこなしている。
千崎家の親族が経営する会社から上がってくる書類を受け取り、俺に渡す。
俺はそれにサインをすればいい。
療養中の吉田の代行として、サラはそれらを適確に処理してくれる。
「それでは、こちらにサインを」いつものようにサラは俺の前に書類を置いた。
「ああ」俺は一応書類に目を通す。
「ほんと、頼りになるんだよなあ、サラって」
俺は書類にサインをしながら、自然とそんな言葉がもれる。
「秘書として当然の勤めです。それに、会社から来る書類を、海斗さまにお渡しするだけでございます。至ってシンプルな作業でございますよ」
サラは俺を見てニコリと笑った。
確かにそうかもしれない。
会社の経営は、叔父や叔母がやっている。
サラがやっているのは、千崎家の屋敷の中の家事や雑務がほとんどだ。
でも、それらのことをサラがやってくれることで、俺は何も心配することなく学校へ行っていられる。
「サラがいて助かってるよ」俺は感謝を込めて言った。
「ご満足いただけて光栄です」
サラは一礼する。
こんなに有能で、何でもテキパキこなすのに、少しもトゲトゲした部分がない。
優しくて 聡明で、気品があって、しかも女らしい。
こんな姉貴いたらなあ・・・・・俺は心の中で妄想する。
サラが姉貴だったら、俺は間違いなくシスコンだ。
パンをかじりながら、俺はサラの綺麗な横顔を盗み見た。
「・・・・・・それから」連絡事項を言い終わると、サラは急に暗い表情になり、
重い口調で話し始めた。
「どうしたんだ?」俺はたずねる。
「昨夜・・・また 例の怪奇殺人がありました」
「ま・・またなのか?」俺はペンを置いて、サラの方を見る。
「はい・・・・ 今月に入って、もう3件目です」
怪奇殺人とは、最近この近隣の町で連続して起こっている事件のことだ。
人がまるでミイラのように干からびて死んでいることから
「ミイラ殺人事件」と呼ばれている。
不可解な状態で見つかる死体は、町中の人々を恐怖でふるえ上がらせていた。
父を殺した犯人も、おそらく同一犯ではないかと言われている。
ただ1つ、他のミイラ殺人事件と父の事件の違うところは、父はミイラ化した上に、
全身を散弾銃で撃たれ、本人確認が困難なほどの状態で見つかったことだ。
その凶行は明らかに、他の事件とは違っていた。
動機も特定されないまま、事件を更に複雑にし、捜査の範囲を広げていた。
俺はふと、昨夜見た夢を思い出した。
あの妙な夢を見たと思ったら、また事件が起こっている。
これって、ただの偶然なのか・・・・?
俺は妙な感覚につつまれて黙りこむ。
ドクン―――――― 心臓の鼓動が勝手に速くなる。
ドクン・・・・ドクン・・・・・・
胸騒ぎがする。
正体すらつかめない猟奇的な事件に対する恐怖。
俺は無意識のうちに、こぶしを握りしめていた。
その手に汗がにじんでいる。
「海斗さま? 大丈夫でございますか?」サラが心配そうにたずねる。
「あ・・ああ。大丈夫だ」俺は我にかえって答える。
「どうか、くれぐれも外出には お気をつけ下さい」サラが俺を気づかう。
「ああ、ありがとう。気をつけるよ。みんなも気をつけてくれ」
食事が冷めてしまった。
どちらにしろ、もう食欲がない。
「か・・海斗・・さま。・・・紅茶・・・お飲みになります・・か?」
雛乃が心配そうにたずねる。
「ああ。それじゃ、もらうよ」俺は雛乃を見て笑顔を作った。
雛乃もあどけない笑顔を俺にむける。
俺の前に温めた新しい紅茶のカップを置き、丁寧に紅茶をそそぐ。
俺は立ち昇る湯気を見ていた。
雛乃は俺の手が止まっているのを気づかって 砂糖を入れてスプーンでまぜる。
そこにミルクをたらすと白い渦が巻かれていく。
俺はその渦を見つめながら、事件のことを考えていた。
猟奇的な事件。そしてとりわけ、父の殺され方はむごい・・・・。
凶行に及んだ者の、父に対する激しい怨恨のようなものを感じた。
ブルッと俺は身ぶるいした。
見上げると雛乃が心配そうに俺を見ている。
「海斗さま・・・」雛乃も事件を聞いて、不安や恐怖は同じだろう。
「すまない・・・ぼんやりして。・・・ありがとう、雛乃」俺は紅茶を口にした。
気分が落ち着いてくる。
紅茶を飲み干して、俺は席を立った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「いってらっしゃいませ、海斗さま」
瑠奈が玄関でカバンを手渡してくれる。
雛乃と由果も入口の外にならんで、俺を見送る。
「お車をお使いください、海斗さま」サラが言う。
「いいよ、車なんて。学校まで歩いて20分だぞ?」
「でも・・・」サラがまだ何か言おうとした。
「じゃ、行ってくるよ」俺は軽く手をふって門を出た。
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