No.166467

亡き王女の為のパヴァーヌ

まめごさん

恋とピアノと名曲と。



2010-08-18 11:01:46 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:924   閲覧ユーザー数:910

それはほんの偶然だった。

塾へ行く道をいつものコースではなく、ちょっと寄り道してみた。

だいたい真っ直ぐ行って右に曲がれば大通りに出るから、と鼻歌交じりに歩いていた時だった。

一軒の家からピアノの音が聞こえた。

住宅街、夕飯の匂い、夕暮れ時にその音色はとても似合っているように思えた。

切なくて、優しくて、儚い夢を繰り返しているような。

どこかで聞いたことがあるから、きっと有名な曲なんだろう。

つたないメロディーだったけど、ぼくの足を立ち止まらせるには十分だった。

どんな子が弾いているんだろう。

さすがに中を覗くような真似はしなかったが(いっておくがぼくは紳士だ)、きっと弾いている人も可愛くて品のいい女の子なんだろうな。

ちょっとだけくすぐったい気持ちになって、塾への道を急ぐ。

それからぼくは、必ずその道を通るようになった。

「柴崎―。これさあ……おーい、どこいってんの、お前」

「あ……ああ、うん」

休み時間。前の席の辻本がヒラヒラと手を振って、僕は現実に戻った。

「最近、お前、変。どしたの?」

どうしたんだろうか。あのピアノの曲が頭の中を四六時中グルグル回っている。

学校にいる時も、塾の時も、飯を食べている時も、風呂に入っている時も、夢の中でも。

そして誰が弾いているのか、ものすごく気になっていた。

分かったのは表札に出ている「田中」の名字のみ。

思い込みとは怖いもので、その誰かをぼくは、黒髪の美少女で優しくて理想をこれでもかってほど詰め込んだ、そんな可憐な女の子を勝手に作り上げてしまっていた。

あの道を通るたびに、あのピアノが聞こえるたびに、胸がドキドキしてキュウと痛む。

「ふうーん」

むっつり黙ってしまったぼくをみて、辻本は嫌らしく、非常に嫌らしく笑った(鼻の下はこういう時も伸びるらしい)。

「お前さー、もしかして……」

「ぎゃっはっはっはっはー!!」

爆発音のような笑い声が後ろから聞こえて、ぼくの心臓はびくりと飛び上がった。

「ばっかじゃねーの、おめえ!!」

「カール食いすぎて腹一杯どころか喉一杯―!」

「だからやせねえんだよー!」

再びけたたましい爆発音。

騒いでいるのは田中優子と数人の女子グループだ。あいつらいつもそうだ。

机の上に胡坐をかいてぱんつ見えても全然色気がない。むしろ萎える。

「んだよ、柴崎。ジロジロ見んじゃねーよ」

今日び、女子なんてこんな奴ばっかり。大和撫子なんてもう絶滅した。

いや、あの子だけは違う。切ないピアノを奏でる「田中さん」。

同じ名字でもあそこで騒いでいる山猿とは異人種に違いない。

「別に」

今日は塾の日だ。

ああ、早く会いたい。田中さんの奏でる優しいピアノの音に。

 

ところが。

にやけ顔でその「田中さん」家の前を通ろうとした時だった。

「優子―。葱買ってきてー」

「はーい」

ピアノの音がしない。代りに母親らしき声と、少女の声が聞こえた。

優子? 田中優子??

いやいや、まさかまさか、そんなご無体な……。

「あれ、柴崎?」

その家から出てきたのは、山猿田中優子だった。

人間、大きなショックを受けると思考は停止するらしい。口も開くらしい。

「柴崎? こんなとこで何してんの? おーい??」

まぬけ面で突っ立っているぼくの前でヒラヒラ手を振っていた田中だったが

「ご無体すぎるだろおおおお!!」

涙ながらのぼくの叫びにびっくりして後ずさりした。

いやいや、まさかまさか、妹かなにか……田中優子は一人っ子だったはずだ。

じゃあ、お母さんが弾いていたとか……この夕飯前の忙しい時間帯にピアノなんて弾くはずがない。

それとも、お父さん……何を考えているんだ、ぼくは。そこまで行ってしまったらアナザーワールドじゃないか。

「つかぬことをお聞きしますが」

かすれた声で、何故か敬語が出た。

「はい」

つられて田中も敬語で答えた。

「いつもこの時間、ピアノ弾いていた?」

「弾いていた」

なんてことだ。

淡い想いを抱いていたあの「田中さん」の正体がこいつだったなんて。

ぼくはよほどひどい顔をしていたに違いない。

田中は不思議そうにぼくを見ていたが、すっと手を差し出した。

「何があったか良く知らないけど、どこか行く途中だったんじゃないの?」

心配するように、そっと腕を掴んだ。

「あ……、うん、塾に」

余りに真摯な顔に、一瞬ドキッとした。こんな顔、教室で見た事がない。それに話し方も普通の女の子みたいだ。どこいった山猿。

「じゃあ、途中まで一緒にいこう。あたし、スーパーに行かなきゃいけないんだ」

何故か嬉しそうに言うと、掴んでいた腕を離した。ちょっと残念に思った自分に驚いた。

「田中さ」

「んー?」

テクテクと住宅街を歩く。二人並んで。

「学校と全然違う。いつもそんな話し方すればいいのに」

「あっちの方がウケがいいから」

ああ。何となく分かる。

ぼくらは群れないと不安になる。はみ出すのが極端に怖い。

自分の世界を持って一匹狼さながらの奴もいるが、そんなのは特殊な存在だ。世界が確立していないからこそ群れて安心するんだ。

その為なら自分を殺すことも厭わない。

だから。だからだろうか。

横を歩く素の田中が可愛く見えてしまうのは。なんとなく秘密を共有したような気になってしまうのは。

「なあ」

「んー?」

「あの曲、なんて言うの? いつも弾いていたピアノの曲」

「ラヴェルの亡き王女の為のパヴァーヌ。……聞いていたの」

「うん。塾に行く道だから、しょっちゅう」

途端に田中の顔が真っ赤になった。

うわあ、可愛いなあ。もっといじめたくなってしまう。

「そうか、田中が弾いていたんだ。きれいな曲だよね。優しくて、切なくて、儚くて……」

「こっここここの道、曲がらなきゃいけないから!」

お湯でも沸きますか? くらいに赤い顔した田中が立ち止った。鼻のてぺっちょには汗までかいている。

「ああ、うん、じゃあね」

手を上げて、歩きだして十歩目。

「柴崎!!」

振り向くと、決闘にでも挑む様にアスファルトに踏ん張った田中の姿が。

「また聞いてよね!!」

それだけ言うと、くるりと踵を返して今度は猛ダッシュで走って行ってしまった。

「もちろん」

くつくつとぼくは笑う。

幸せな笑いは、しばらく収まらなかった。

 


 
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