No.165677

光の浮き橋 一章 和泉式部の子(3)

小市民さん

一条大宮院の渡殿で、小式部は雰囲気を盛り上げようと、気の利いた話題を取り上げます。
しかし、そうした配慮を藤原定頼がぶち壊してしまいます。怒った小式部は……平安時代の時代恋愛小説第3回、どうぞ、お楽しみ下さい。

2010-08-14 16:02:13 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:592   閲覧ユーザー数:575

 道長を彰子が用いている東対にとおすと、この日は来客も少なく、小式部ら太皇太后つきの女房たちは手が空き、渡殿を区切った御簾(みす)を開けると、外の空気を入れ、とりとめもない会話を楽しんだ。小式部は声を潜め、

「……それで、わたし、小さいときは、いえ、今も年末に行われる仏名会に参加するのが怖くて仕方ないのですよ。でも、太皇太后はあのとおり、ご熱心にさまざまな法会に参加されるので、年の瀬がつらくて……」

 打ち明けるように言った。奈良時代から行われている仏名会とは、仏名懺悔(ざんげ)、御仏名とも呼ばれ、年の暮に過去現在未来三千の仏名を唱え、その年のうちに作った罪業を懺悔し、仏の加護を祈る法会であった。毎年十二月十五日から十七日までの三日間にわたって行われるのが通例となっている。一年間の罪障を消去する、という点で、貴族社会でも多くの関心を集めていたが、この法会が人々の興味を引き、貴族社会の話題となったのは、法会に用いられる地獄変相を描いた不気味な屏風絵に由来している。

 仏名会の本尊は、内裏では仁寿殿に、里内裏においては寝殿に天皇の護持仏として安置された聖観音像であるが、その左右に一万三千の仏を描いた仏画二幅を掛け、それに相対する形で庇の間に、地獄のありさまを描いた屏風が立て並べられた。

 こうした舞台装置の中で導師三口、次第僧三口が荘重に諸仏を礼拝し、仏を讃える韻文を唱え、読経と仏名の作法を続けていく。この法会に参加する者たちは、まず七ヶ帖七ヶ間に立て巡らせた生々しい地獄絵の大画面に圧倒され、一年間に積み重ねてきてきた自らの罪業におののくのであった。

「いえいえ、あのように大きな地獄絵に取り囲まれての法会を恐れぬ者など、いはしませんよ」

 大輔命婦が小式部の話題に追従するように言うと、どっと渡殿が沸いた。このとき、不意に男の声で、

「おやおや、丹後に下った女性(ひと)がお帰りになられたのですか?」

 渡殿の雰囲気を巧みに盛り上げた小式部の気配りを、まるで和泉式部の手柄であるかのような嫌みを言った。女房たちが男の声の方を振り返ると、藤原定頼がにやにやと下品な薄笑いを浮かべ、御簾を開け放していたとはいえ、女ばかりの台盤所とも呼ばれる控えの間を物珍しげに身を乗り出してのぞき込んでいた。女房たちはむっと不機嫌になり、険悪な雰囲気が辺りに漂った。

 定頼は、四条中納言と呼ばれ、父は藤原公任(きんとう)、母は村上天皇第九皇子昭平親王女で、小式部よりも二歳年上の二十一歳になる。彰子が催す菊合に出詠するなど、歌人として優れているが、音楽にも長じ、能書家としても知られている。こうした才に恵まれながら、四条大納言と称される父が参内するたびに、今朝方のように大路をふさぐほどの従者を引き連れ、父の謁見の間、女房たちが控える渡殿をのぞき込んでは、下品な冗談を言っていくのだった。

 小式部はかっと腹を立て、手近にあった余り物の料紙と使い古した筆を手に取ると、墨を含ませ、

 

 大江山いくのゝ道の遠ければ まだふみもみずあまのはしだて

 

 一気に認(したた)め、料紙を定頼に押しつけるように渡した。

 定頼はまだ墨も乾ききらない小式部の歌を詠んだ。行くに生野をかけ、踏みに文をかけ、丹後ゆかりの名所まで詠み込んで、なお母への思いも伝わる 見事な作品であった。定頼の額にじわりと汗がにじんだそのとき、

「あーっはっはっはっは!」

 渡殿を偶然とおりかかった藤原教通(のりみち)が、定頼が持つ料紙をのぞき込んで大笑いをし、

「母の文などは見ておりません

 代作などしてもらったことはございません

 うん、よい歌だ。小式部ははっきりとものを言う。中納言さま、さあ、急ぎお返しを」

 馴れ馴れしく定頼の肩を叩いて返歌を求めた。定頼はまだ小式部のぬくもりが残る料紙を教通に投げるように手渡し、

「……これは……これは、何としたこと……」

 渡殿を逃げるように立ち去った。教通はすっかり動揺して去っていく定頼の後ろ姿にもう一度、大笑いをした。教通は道長の三男で、彰子の実弟である。また、公任の長女が教通に嫁いでいることから、定頼から見れば、一歳年下の義理の弟に当たる。

 女房たちは、小式部が歌を詠んだ料紙を回し読みしながら、定頼を追い払った小式部と教通を交互に見た。ある者は快さそうに笑い、ある者は驚嘆して目を見張り、息を呑んだ。

 そうした中で、大輔命婦もしばし目を細めたが、おやっと怪訝そうな顔をすると、小式部の目の奥を見つめた。

 小式部は射貫くような大輔命婦の瞳と目が合うと、教通と既に深い関係になっていることを知られたことが、瞬時に理解でき、慌てて目をそらせた。


 
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