No.165304

忘れない、君と過ごした短い春

haruさん

短い春の出来事をまとめた短編集。
病院で出会ったその少女は、中庭にある一本の咲かない桜を見つめていた。事故で怪我をしていた主人公は、その少女とリハビリの間親しくなる。彼女は魔法で願いがかなうなら、あることを聞いてもらいたいという。春を舞台とした男と少女の別れの物語。

2010-08-12 20:54:19 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:433   閲覧ユーザー数:432

【春一、一輪の花】

1、あやめ

 

 

「あやめ?」

 

花瓶に入っている数輪のあやめが、風でゆらりと揺れた。

春らしい外の涼しい空気が、病室の重い空気を払拭してくれた。

お見舞いの品として持ってきたのだが、彼女が好きな菓子詰めを持ってくる予定だったのを、金欠により取り止めたことは内緒だ。

それなりには、役に立ってくれそうだった。

 

「ああ、好きだろ…あやめ」

 

「ふふっ、確かに私の名前はアヤメだけど、私が好きなのはカスミソウだよ?」

 

笑った顔が、可愛かった。

 

「うぇっ?そうだっけ…」

 

と言って、髪の毛をバリバリかきむしる。

 

「あはは、また出た。

「うぇっ」

、口癖だよね、慎ちゃん」

 

その笑顔に、少しだけ安堵して、俺も笑った。

もう20になると言うのに、まだ彼女は俺を

「慎ちゃん」

と呼ぶ。

腐れ縁だったらあり得るかもしれないが、まだ彼女、イツキアヤメとは出会って一ヶ月しか経っていない。おかしな事かもしれないが、彼女とはこの病院で知り合ったのだ。

俺がバイクで事故って、この病院にかつぎ込まれて。

そして、出会った。よくいう、運命の出会いなんてものではないけど。

 

「まだ、寒いだろ。窓閉めるよ」

 

三月にしては涼しい風を通す窓を閉める。途端、医薬品の臭いが鼻についた。

振り返ると、フリルをあしらった淡いライトピンク色のパジャマがそそった。

なんだかクマのぬいぐるみをいじっている。テディーベアというやつだろうか…

 

「慎ちゃん…大学はいいの?」

 

「……いいんだ。俺は頭が良いから大丈夫なんだよ」

 

なんて、そんな戯れ言を言ってみた。

 

「…………よ」

 

「えっ?」

 

彼女の言葉が耳に届かない。

ただ機嫌を悪くしたように、頬を膨らませている。そんな姿だけを見れば、子供みたいにも見えるのが不思議だ。

ぽいっと、ぬいぐるみを俺に投げつけた。

 

「なんだよ」

 

「……なんでもない」

 

陰が入ったように彼女の表情が暗くなる。

どこか体調が芳(かんば)しくないのかもしれない。

俺は彼女がなぜ、ここに入院しているか分からない。どんな病気なのか、どんな怪我なのかすら俺は知らない。

ただ彼女はここに一年近く入院しているらしいと言うことだけは聞いた。それから判断するに、重い病気なのかもしれない。だが、彼女を見る限りそんなふうには思えなかった。

 

「ねえ、覚えてる?私たちが出会ったときのこと」

 

それは、一ヶ月前の二月十四日のバレンタインデーだった。俺が事故ってから三日経ったバレンタインデー。きっと生涯で最悪のバレンタインデーだった。

彼女と会うまでは。

2、聖バレンタイン、回想

 

 

出会ったのは、俺がこの病院の中庭で歩くリハビリをしていた時のことだった。2月の寒い空気に、マフラーもまだ手放せない陽気だった。

太陽の光は、しっかりと大地に降り注いでいる。でもその暖かさも、まだ感じられない。

ここの付近では2月に雪が降る。

その名残か、まだ溶けきれていない雪が木の枝に残っていた。

目に付いたのはそれだけじゃない。

誰もいない寒い中庭に、古びた木のベンチが一つ。

そして、その近くに車椅子に乗っている女の子がいた。

 

「?」

 

その女の子は泣いていた。

上を見て。泣いていた。

長い髪、流れるような黒髪に、少し顔立ちは幼くも見えたが、整っている方だと思う。

安物か、分からないが桜の髪飾りが、チョコッとつけられていた。

乳白色のコートに、薄いブルーのショールを巻いて、膝には可愛いウサギが描かれた膝掛けがあった。

彼女は寒そうに、白い息を吐いて、上を見つめていた。

その視線を追いかけるように、視線を向ける。

その先には一本の桜のみ。

枯れた、枝だけの、たったそれだけの。

 

「私、春が好き」

 

「……は?」

 

その濡れた顔で、見つめられた。

一瞬、心臓の鳴る音が、ドクンと高鳴ったのが分かった。

 

「あなたは、どう思う?」

 

そのまま、彼女は笑った。目じりに透き通りそうな悲しみを残しながら。俺に話しかけていると気づくのに数秒。そして我に返った自分があげた第一声は災難だった。

 

「うぇっ?オレ?」

 

「うぇっ??にはは…なにそれ」

 

ぼっと、火が灯(とも)ったように顔が赤くなったのが分かった。

うぇっ、とか、うぁっ、などの口癖は幼少からの癖でなかなか直らない。もちろん、直そうとも思っていない。

 

「あ、いや、その…」

 

急に恥ずかしくなって、顔を背けた。最悪だ。

一回、鼻をすする。

 

「君は、ここで何やってんの」

 

ありふれた言葉しか出てこなかった。

 

「………桜、好き」

 

「は?」

 

足が辛い。

 

「あのピンク色の。花びら。ちらちら。あれが好きなの」

 

でも、まだ2月だ。梅なさいざ知らず、桜が咲くのはずっと咲き。

春は遠い。

そう言うと、彼女は

「しってる」

と愛想笑いを見せた。

そして、ゆっくりと立ち上がって、枝だけの桜の方へ歩き出した。

膝掛けが、はらりと緑の芝生に落ちた。

桜の前まで来ると、空を仰ぐように両手を空にかざす。

 

「もし、魔法が使えたら」

 

と、目を瞑(つむ)って彼女は言った。

次の言葉を溜めている。彼女の心の中で、ぎゅっと深く噛みしめているように。

 

「桜いっぱい……くちん」

 

待っていた言葉の途中で、思いっきり可愛いクシャミをしてくれた。

 

「あはははっ、面白いっ。お前、面白いよっ」

 

さすがに

「くちん」

は可愛すぎる。本当に面白い。

今度は彼女がリンゴみたいに赤くなった。

 

「……ばかっ!」

 

ぷいっと、横を向き、すたすたと自分の車椅子に戻る。

その途中で、べぇーっと舌を出して、悪態をつくのを忘れないのがまた、笑えた。

 

「ククッ…おい、ちょっと待てって」

 

「なによ、このバカちん」

 

バカちん…なんて言葉、久しぶりに聞いた。

笑いを堪えるのにまた、一苦労だった。

 

「イツキさん、もう中に入りましょうか?」

 

振り返ると、すぐ近くに看護婦が立っていた。

きっと彼女の面倒を任せられているのだろう。

柔和な顔が印象的な人だった。

 

「ミユキさん…分かりました。今行きます」

 

ゆっくりした足取りで車椅子に向かう。

俺も彼女に追いつくために松葉杖で急いだ。

追いつくと、彼女は寒いのか、両腕を絡ませて震えているのに気づいた。

 

「ほら、寒いだろ。マフラーやるよ」

 

彼女の首もとに自分がしていた赤いマフラーを巻いてやった。

笑わしてもらったお礼に。

 

「!?」

 

驚いた顔を一瞬見せた後、急に俯(うつむ)かれてしまった。

 

「なんだよ」

 

そう言っても、彼女は面を上げてくれない。

無口のまま、俺の少し前を歩く。

車椅子の所まで来たとき、やっと口を利いてくれた。

 

「……ありがと、じゃあね」

 

口が面白いわりに可愛いことを言ってくれる。

別れの挨拶代わりに、惚れるか。なんて戯言(ざれごと)を言ってみた。

彼女から返された言葉は

「バカ」

だった。

そのまま中庭を後にする。松葉杖を無様について。

まあ、こんなバレンタインもましかな、なんて思いながら自分の病室へ戻る。

背後には、まだ看護婦とあの女の子がにこやかに話している。

面白い女の子だ、と思った。病院にそぐわないおかしな感じで、楽しかった。

彼女がこんな所にいるのが、不思議だった。

だけど、何も知らない自分がそこにはいた。

これが名も知らない少女と俺の出会いだった。

 

後、年を聞いて同い年だと言うことに腰を抜かしたことは秘密だ。

3、バレンタインのアイス、チョコレート味

 

 

それから、彼女との再会はすぐにやってきた。

お決まりの数日後に、ではなく一時間後に。

短い。

彼女が、俺の病室に来てくれたのだ。

突然のことに驚いてしまった。

こんな短くて良いのか、と呆れてしまったのも事実である。

こういう再会では、良いシチュエーションで、感動するのがセオリーだ。

それを見事に打ち破ってくれた。

しかも、来た理由を聞いてみると、

 

「返しに来た」

 

そんな戯言(ざれごと)とともに赤いマフラーが投げ返された。

 

「何を? って、うぇぇぇぇぇぇっ?」

 

そんな言葉しか俺には返せない。

しかも今度は車椅子ではなく、普通にすたすたと歩いて、ドアの先からひょっこりと顔を出したのである。そう言えば、自分の車椅子に戻るときも、普通に歩いていたことを思い出す。どうやら、車椅子は疲れないための措置らしい。

ベッドの隣にある一つしかない丸イスにチョコッと申し訳なさそうに座る。

 

「なによ…」

 

そして、睨(にら)まれた。

 

(座っても良いなんて言ってねえよ…)

 

まだ、よく状況が飲み込めていない俺は、ただ混乱するばかりだった。

片足を上から吊られて間抜け顔をしている俺をみて、少し微笑。

 

「なんだよッ!」

 

「何でも」

 

そんなにぶっきらぼうに言われたら、嫌われてるみたいじゃないか。

数秒間、二人とも喋らなかった。気まずいせいもあってか、彼女も口を閉ざしたままだ。

俺は返された赤いマフラーを弄(もてあそ)びながら、彼女の顔を見る。

 

「タケマサシンタロウ……さん」

 

「うぇっ?」

 

目を開わせた瞬間、突然彼女が俺の名をボソッと言った。

 

「あれ?オレ、名前言ったっけ?」

 

記憶の中では、自分の名前を言った覚えはない。

当たり前だ。出会ったのは、たった一時間前なのだから。

名前を言う暇もなかったはず。

彼女は、あれ、と言って、申し訳なさそうに病室の入り口を指す。

 

「病室の入り口に名前、書いてあったから…」

 

病室の前のネームプレートを見て、俺の名前を知ったというのだ。

至って、興味を持っていないのか、言葉のリズムは平淡だ。

恥ずかしいのか、俯(うつむ)き加減に下を向いていると、彼女の表情が長い黒髪に隠されてしまって、よく分からない。

 

「合ってるでしょ?名前…」

 

そのプレートは漢字表記だから、読み方を聞いているらしい。

武政慎太郎。確かに合ってる。

 

「お、まえは?」

 

「え?」

 

照れくさくなって、俺は顔を背けた。

彼女が俺の名前を知っていても、俺は彼女の名前を知らない。

そんなの卑怯だ。俺だけ名前を知らないなんて。

 

「イツキアヤメ」

 

そう透き通った声が聞こえた。

 

「アヤメ?」

 

「そ。アヤメなんて名前だけど、好きな花は霞草(かすみそう)だから」

 

そこまで聞いていない。

ちょっとした溜め息をついて、呆れ顔を見せる。

 

「んで、何の用だよ」

 

まさか、足の吊られた無様な俺の姿を笑いに来たわけではあるまい。

 

「くれたマフラーを返しに来ただけ。それと…」

 

ほら、やっぱり。タダより安いものはないってか。

 

「これ…」

 

俺の前に出されたのは、ビニール袋だった。

身を構えてそれを受け取り、中身を確かめてみる。中にはいくつものアイスが。

それもチョコレート味のみが三つも入っていた。

 

「これは?」

 

「……お礼」

 

次期的に、アイスの季節ではないのは確かだ。三つもあったら、お腹を壊すどころではなく、しかも病院にいるのに、お腹を壊すという、冗談では済まされないことになる。

そんなオチだけは嫌だ。

そんな嫌な事を考えていたら、顔に出てしまっていたらしい。

 

「このバカちん!」

 

「ぐえ」

 

頭を、ゲンコツで一発、コツンとくらわされた。

蛙(かえる)が轢(ひ)かれたような声を出して、情けない顔で頭をさする。

涙目なのはカッコ悪いので秘密。

 

「痛えなッ!」

 

「知らない」

 

可愛い顔をして、やることは本当にツンツンしている女の子だ。はっきり言って、可愛いのに勿体(もったい)ない。その性格と言葉遣いがネック。

しかし、バレンタインに、こんなアイスを貰うとは、思いもしなかった。

 

「んで、いいのか、貰っても」

 

仕方なく、袋を貰う。

 

「ん、今日は特別だから」

 

そう言って、にっこり笑った瞬間、次の言葉がいけなかった。

 

「バレンタインだから?」

 

顔から、本当に煙が出てしまうぐらい赤くなって、彼女は硬直してしまった。

 

「ば、バカ!義理だからね!あ、……」

 

墓穴を自分で掘っていた。

 

「ぷ、あははッ、ははははッ!」

 

大笑いして、本当に小さくなってしまった彼女の肩をバシバシ叩く。

 

「もう知らないっ」

 

俺の顔を見ることなく、ぶっきらぼうにドアの方へ行く。フン、と鼻でつっぱっているようにも見えた。

 

「さんきゅ」

 

ぼそっとお礼を言ってみた。

すると、彼女の歩みが止まった。背中をこちらに向けたまま、微動だにしなかった。

どんな顔をしているか分からなかったが、きっと曖昧な顔をしているのだろう。

 

「勘違いしないでよ、ほんとにマフラーのお礼なんだから」

 

そう言って、出て行った。

そんなに、マフラーのお礼にしたいのか、ちょっとばかり凹(へこ)む。

先頭きって、あそこまで否定されたら、こちらも微妙だ。だけど、うれしかった。

たった一時間前に出会ったばかりで。しかも、マフラーを渡しただけ。

それの見返りが、アイスとは笑える。

まあ、チョコレート味にしたのは、今日がバレンタインだから、というのもあったをだな、なんて自分勝手に決め付けてみた。

 

「春は来ないか…」

 

まあ、当たり前だよな、と一人ごち。

こんな時に入院して、見舞いに来てくれたのは家族だけ。

女の子一人、来やしない。

くそ、と心の中で毒づく。だけど、空しいのには変わりない。

病室の騒がしさも彼女が出て行ってから消えてしまっている。

 

「はあ」

 

ビニール袋を握りしめ、長く息を吐いた。

これは秘密だが、そのアイスにはスプーンが付いていなかったので、自分で売店まで取りに行ったのは、今でもアヤメに言っていない。

4、真実と大切なもの

 

 

それから一ヶ月、もちろん俺が、退院してからも、ちょくちょくとあやめに会いに行き、二人の親交を深めた。

「ねえ、慎ちゃん」

 

この呼び名になったのも、本当につい最近のことだ。それまでは、しんぴー、なんていうあだ名で呼ばれていた。どちらも恥ずかしかったが、これもこれで、嬉しい。

 

「なに?」

 

「あそこ、見て」

 

窓際のほうを指差す。

そこには何もない。

 

「違う…、外。外だよ」

 

三階のこの病室からは中庭が見えた。

患者がまばらに看護師と一緒に歩いているのが見える。

 

「桜、か?」

 

「うん」

 

その窓からは、あの枝だけの、枯れた桜が一本立っているのが見えた。

俺たちが初めて出会った場所。

そしてアヤメが好きな場所でもある。

 

「それが、どうしたんだ」

 

「咲かない」

 

「?」

 

「咲かない」

 

「??」

 

「咲かない」

 

意味が分からなかった。

何度も繰り返す。まるで壊れたレコードのように。

咲かない、と。

 

「あの桜、好き。でも、咲かない」

 

知ってる。

アヤメがどんなに、あの桜が咲くのを心待ちにしているのかを。

だっていつも見ている、ここから。

それか、桜の木の前のベンチで。

 

「咲いて、欲しい?」

 

「…」

 

聞いてはいけない質問だったのかもしれない。彼女は、少し黙って、言った。

 

「知ってる?願いが叶う宝石の事」

 

「え?」

 

返ってきた答えは、質問と違うものだった。

 

「私も、ミユキさんから聞いただけで、よく知らないんだけど。どんな願い事も叶える宝石があるんだって。三つまでだけど。透明の光る玉のような宝石らしいの」

 

聞いたことが、ない戯言(ざれごと)だった。

でも、言っているアヤメ本人の顔は真剣そのものだった。

何か、言いたいことがあるらしい。

 

「なら、お前なら…」

 

「?」

 

「もし、魔法があるとして、お前なら、何を叶えたい?」

 

「慎ちゃん?」

 

見ているこっちが苦しくなってしまった。

いつものアヤメと違う。いつもの覇気がない。

まるで、そう。あっけなく散っていく桜の花びらみたいな感じがした。

なら、俺に出きることは何だろう。

 

「明日は、誕生日だよな?」

 

「え」

 

「叶えてやるよ。魔法使いみたいに。その願いが叶う宝石のようにさ」

 

驚いたようだ。

自分自身も、驚いている。こんなことを言える、なんて思っていなかった。口から勝手に出てしまっていた。恥ずかしい。

きっと彼女も、ふざけていると、分かっていて笑い飛ばすだろう。

そんなこと、俺には出来ないことも知って。

 

「ほんと?」

 

「うぇっ?」

 

だが、本気にしていた。

 

「あ、いや、その」

 

「ほんとのほんと?」

 

口から出た錆だけど、彼女のためなら、やってもいいと思う。

それに、そんな風に叶えて欲しいなんて、子供みたいで可愛い。

 

「ああ、わかった。でも…」

 

「それなら、宝くじ一等!それと、私の好きなお菓子いっぱい!あと…」

 

それと、俺が出来る範囲内でなら、と言おうとしたが、聞いていなかった。

そんなの無理だ、と心の中でぼやく。

 

「あと、あの桜を咲かせて。花咲かお爺さんみたいに!」

 

「!」

 

「いっぱい、さくら!は……くちんッ」

 

可愛いクシャミをまたしてくれた。

 

「ぷ…、はははッ」

 

「慎ちゃんのバカちん!」

 

顔を真っ赤にして、怒るが俺の笑いは止まらない。

 

「あは、ごめ…。だってお前、はは。だけど、今言ったのは無理だよ、はは」

 

「だって、何だって良いって、慎ちゃんが言ったじゃない」

 

「だからオレの出来る範囲で、考えてくれよ」

 

言う前に、お前が暴走したんだよ、なんて言えない。心の中に、押し込んで封印。彼女は、うーんと悩む仕草をする。そして言った言葉は、

 

「無理」

 

「即答すんな!」

 

「だって…」

 

「んなら一つ目は、当たりくじなんて無理だから、宝くじを買ってきてやるよ(アヤメの金で)。今なら、ほら。確かグリーンジャンボだろ?間に合うはずだ」

 

「それって…」

 

「そう、当たるかはずれるかは運次第。オレだってエスパーじゃないんだから、当たらせるなんてのは無理だ」

 

そんな事が出来れば、俺だってもう億万長者になっている。

 

「…逃げてない?」

 

「無理言うな。出来ないものは出来ない」

 

そう言うと、彼女は頬を膨らませ、苦い顔をする。

俺だって引かない。引けない。

 

「なら、いい」

 

ツン、と顔を背け、彼女はひねくれモードへ突入。

 

「しょうがないだろ。それは無理だよ」

 

「……」

 

口を閉ざしたまま、こっちの顔を見もしない。

完全に拗(す)ねている。

 

「アヤメ…」

 

「それなら、二つ目は大丈夫だよね。私の好きなお菓子を買ってきて。杏子屋の菓子詰め。これからそんなに高くないし、大丈夫だよね?」

 

そうだな、と言いたい。だが、それは言えない。

今日買ってきたあやめの花束で、お金が底をついてしまった。ただでさえ、お金が無くそのお菓子の菓子詰めを取り止めたのだから。

しかも、その文無しの理由は、自業自得で遊ぶお金に消えてしまった。

そのまま、脱兎(だっと)の勢いで、俺は平謝りの姿勢に。ぺこり。

 

「ごめんなさい」

 

「……ダメ慎ちゃん。……それなら、マフラーがいい」

 

「まふらー?」

 

それは考えていなかった。

しかも、慎ちゃんの赤いマフラーがいい、というのだ。

 

「オレの?」

 

「うん。……だめ?」

 

甘えるような声で聞く、と思う。そんなんじゃ、断りきれない。

考えれば、菓子詰めと比べ、お金も掛からないだろうし。

それに、自分のマフラーとなれば、自分の経費は0。

これほど、楽なものはなかなか無い。

 

「そんなんでいいのか?」

 

でも、お金が無いといっても、そんな物じゃ、男として恥ずかしいと思う。

自分の使い古しより、店で買った方がいいのも確かだ。それぐらいのお金はある。

それに、女の子の前だから良いカッコしたいというのもある。

でも、アヤメはその問いにも、ふるふる、と首を振り、受け付けなかった。

 

「私は、慎ちゃんのがいいの。あの赤いマフラーが欲しい」

 

「分かったよ。明日にでも持ってくるよ」

 

確か、タンスの中にしまいっぱなしのはず。家に帰ったら、速攻に探さなくてはいけない。

 

「じゃあ、三つ目のお願いは、桜を咲か―」

 

「無理」

 

少しからかって、間髪を入れずに断ってみた。今度の彼女は、呆れモードに変化。

 

「はぁ、慎ちゃん…何も出来ないんだね」

 

「当たり前だ。そんなん出来たら、オレ、歴史に名を刻んでる」

 

「じゃあ、それならせめて、私と行って。あの桜が咲いたら、一緒に見てくれる?」

 

グレードがいきなり落ちた。

俺って、本当に甲斐性無しなんだと初めて思い知る。そんな自分に少し落ち込んだ。

 

「分かった。あの桜が咲いたら、アヤメと一緒に見に行こう」

 

「約束だよ」

 

そう言って、俺が持ってきたあやめの花を一輪、俺に差し出す。

紫色の花が付いた植物を、一輪差し出す。

 

「?」

 

「私との約束」

 

だから、受け取って、と言いたいらしい。

意味も分からぬまま、約束をした証明として、俺は手を伸ばした。

紫の花が、アヤメの手から、俺の手に渡される。

 

「私の気持ちだから」

 

「え?」

 

「慎ちゃんは優しすぎるよ。私の為に、何度もお見舞いに来てくれて。そしてこうやって私と話してくれる。それだけって言ったら、それだけかもしれないけど。でも私にとって本当に幸せ。幸せなの」

 

心の寂しさを、彼女は吐き出した。その顔は、苦しいものではなく、安らかな表情だ。

俺はアヤメのその姿に、目を奪われていた。それは確かだ。

 

「だから、慎ちゃんも。私と約束して。どんなことも嫌にならないで」

 

「………」

 

貰ったあやめをぎゅっと握りしめた。

 

「私はアヤメ。だからそのあやめは、私と同じ。お守り………は、くちんッ」

 

 

「………」

「………」

「ぷ、ははは」

「はははは」

 

 

二人して、笑った。今度は。少しの間、一緒に笑いあう。

ひとしきり、笑った後、アヤメがコホコホと咳(せき)をした。

少し調子に乗りすぎたらしい。

 

「もう、寝ろよ。オレ、もう行くから」

 

「うん。明日忘れないでね」

 

「分かってる、じゃあな」

 

「約束だよ、慎ちゃん。バイバイ」

 

俺も、片手で手を振り返す。そして、病室を後にした。

それが、最後の言葉となった。

俺がアヤメと最後に言葉を交わした瞬間となった。

俺がアヤメの笑顔を見た最後の瞬間となった。

 

 

それを、俺は知らない。

 

 

0、春の一日は終わり、桜は咲く前に散った

 

 

次の日の病院。つまり、彼女の誕生日。

昨日約束したマフラーを手に持ちながら、気分はうきうきしていた。

あのマフラーが欲しいなんて、可愛いよな、なんて思いながら、アヤメの病室の前で深呼吸。

喜んでくれるのか、と疑問に思う。

まずは、彼女の顔を見るのが先決だ。

そう思い、勢いよく引き戸を引く。ノックをしないのはブラックジョークを織り交ぜた俺なりの意地悪だ。

彼女の怒った顔を想像し、少し顔がにやけてしまった。

 

「ウソだろ」

 

だが、彼女はいなかった。

約束した、赤いマフラーをぽろりと地面に落とす。

彼女の病室はもぬけの殻。無機質な、ベッドがあるだけ。

そこに、彼女がいた痕跡は見られない。

まるで最初からいなかったような、幻を見ているような衝動に駆られた。

分からない。

 

「なんだよ、これ」

 

まるで意味が、分からない。

昨日までは、確かにここにいた。

彼女が、ここに。

だって、昨日、ここで、俺に…あやめを一輪…

 

「くれたじゃないか…」

 

窓際の花瓶には、わざと残されたかのように、枯れたあやめが一輪だけ挿してあった。

茶色になった、それが。

 

「どこに…」

 

約束した。桜が咲いたら、一緒に見ようって。

それで、くちん、って笑った。

そんな思い出すら、完全に否定されたかのように、真っ白だった。

 

「タケマサさん…」

 

後ろに、ミユキさんがいた。

その姿を見て、俺は我慢できずに泣いていた。

 

「み、ミユキさん…アヤメ、どこに…っ…」

 

泣き縋(すが)った。

汚く、惨めに、訳が分からなくて、縋(すが)った。

 

「イツキさんは…もう、いません…」

 

「うぁっ?」

 

一瞬、何を言っているか、分からなかった。

 

「いないんです」

 

もう一度、最後の宣告を、俺に聞こえるように、はっきりと…

 

「う、そだ…」

 

死んだ?

 

「うそだ!だって、アヤメはあんなに元気で、昨日までも、俺にあんな笑顔見せて…」

 

生きていたのだ。

ありえない。そんな、だって、ほんとに…

 

「ごめんなさい、詳しいことは言えないの。まだ、時間も経っていないから」

 

最後の砦を、その言葉が簡単に壊した。

信じられないのではなく、これが真実なのだ。

受け入れた途端、出てきたのは耐えられないほどの後悔だった。

 

「お、オレ…何も、して、やれな…かった!」

 

大粒の涙が、止めようとしても止まらない。

どんなに堪えようとも、涙が勝手に、溢れてきた。

 

「タケマサさん…」

 

桜を、一緒に見てやることすら出来なくなった。

何一つ、アヤメにしてやれなかった。

金がないから、彼女の好きな菓子詰めを買わなかった。

言い訳して、アヤメの好きなものを買ってやれなかった。

それが、ただの、オレの、赤いマフラーで。

何より、誕生日おめでとうすら、言ってない。

何も、出来なかった。

 

「オレ、バカだ…」

 

とてつもないバカだ。

 

「こんな事になるなら、アヤメに言うんだった…」

 

素直に。好き、と。

ただそれだけの、たった一言を。

 

「…知っていますか?タケマサさん。昨日、イツキさんがあげた一輪のあやめの意味を」

 

鼻をすする。

 

「?」

 

「あやめの花言葉、あなたに、託した言葉です」

 

男の俺が花言葉など知るわけもなく、ただフルフルと首を横に振った。

ミユキさんの言葉を理解するのに精一杯だった。

 

「真実の愛、です」

 

そう、言った。

 

「聞こえません」

 

「………タケマサさん」

 

聞こえねぇ、ともう一度大きな声で、怒鳴る。

頭で理解するのが怖い。ミユキさんの言葉を聴きたくもなかった。

 

「彼女は、あなたが好きだったのですよ」

 

「違う!」

 

妙に早く反論できた自分に、自分自身驚いた。

彼女は、俺を好きになるわけがない。好きになったはずがない。

それだけは違う。

 

なぜなら、俺が、彼女を好きになっていたのだから。

 

だから、好きだったのは俺だ。

 

「オレなんだ…」

 

「?」

 

「好きだったのは!オレの方だったんだッ!!」

 

空しく、病室に怒鳴り声が、響きわたった。

その思いすらも、残らず、消えていく。

 

「でも!オレは、何もしてやれなかった!桜を一緒に見ることも!彼女の好きなものすらあげられなかった!まだ、誕生日おめでとうも言ってない!」

 

「………」

 

「…何より、好きって言ってやる事も出来なかったッ!!」

 

出来るなら、最後に、逢いたかった。

最後に別れの言葉を言わせて欲しかった。

たった一言でも良いから。

もし、魔法が使えるなら、今すぐ時間を戻してしまいたい。

もし、願い事が叶うなら、サヨナラを言いたい。

でも、出来ない。そんな夢みたいな事は出来ないのだ。

それを見てか、ミユキさんはポケットから何かを取り出して見せた。

 

「これを」

 

差し出されたのは、茶色の封筒だった。

涙を拭って、その封筒を確かめる。

表書きには、慎ちゃんへ、と書かれてあった。

 

「こ、れは?」

 

「彼女から、預かったあなたへの手紙です。開けてみてください」

 

 

封筒の中には、一枚の紙が入っていた。

そこには、たった一行だけ、彼女の字で書いてあった。

 

『忘れない、あなたと過ごした短い春。好きだよ、慎ちゃん』

と。

 

それだけ書いてあった。

俺はそれを見て、自分の思いを抱いて、無様に泣いた。

 

 

「俺も、忘れ…ない…」

と、それだけ言うのが精一杯だった。

 

 

 

END

 

 

 


 
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