No.162635

真・恋姫†無双~三国統一☆ハーレム√演義~ #24-2 夢の終わり ~火~

四方多撲さん

第24話(2/5)を投稿です。
遠く離れていた彼女とツンツンのあの娘がようやくのお目見えです。
話が説教くさくなったり、いちゃいちゃしてなかったり。どうしても納得出来ず、一体幾度書き直したことか……。
どうにかこうにか、納得のいくものになった、と自負しております。
皆様にも楽しんで戴ければこれ幸い。ライトに纏まったと思いますので、リラックスしてお楽しみ下さい。

続きを表示

2010-08-02 01:31:49 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:31730   閲覧ユーザー数:22116

二月某日、気の早い太陽がさっさと山陰に沈もうとしていた時刻。

 

「ぬあぁぁぁぁぁ……!」

 

ごろごろごろ。

 

帝都・洛陽のとある旅館の一室で、一人の女性が悶え転がっていた。

 

「何故だっ! 何故、落ち着かんのだ!?」

 

ごろごろごろ。

 

部屋の端から端まで行ったり来たり。

ひたすらに転げまわるのは、かつて漢王朝の官軍を率いた猛将の一人、華雄その人である。

後漢末にひょんなことから記憶を失ってしまった彼女は、現在では“葉雄(しょうゆう)”と名乗り、傭兵団を率いていた。

 

「そりゃ、北郷様にあんなことを言ってしまったから……」

「!」

「仮にもこれから主君となる方にアレでしたからねぇ……」

「!!」

「まあ、葉雄様らしいと言えば葉雄様らしい対応でしたが」

「!!!」

 

そんな彼女へ次々に突っ込むのは、李粛(しゅく)、胡軫(しん)、趙岑(しん)の三人。

葉雄率いる傭兵団の副団長であり、記憶を失う以前の腹心……華雄配下の副官でもあった男達だ。

 

「おおおおおまえたち! いつからそこに……!?」

「先程来た伝令から聞いた、明日の謁見についてお伝えに来たのですが。扉の前からお声を掛けても全く反応がなかったもので」

「み、見たな!?」

「「「……見てません(ぷい)」」」

「嘘を吐けぇぇぇぇぇ!」

 

剛毅果断――猪突猛進とも言う――で鳴らした彼女が、このような醜態を晒している理由。

それは今日の昼間に起きた事件であった。

 

 

……

 

…………

 

 

葉雄と共に大和帝国を囲む周辺各国を巡った傭兵団は、かつて団長・葉雄が北郷一刀に宣言した通り、各国を渡り歩きながら、賊退治などの仕事をこなし続けた。

一箇所に長く留まることはなく、まるで賞金稼ぎのように各国に燻る騒乱の種を潰していったのだ。

そして、その全てを回り終えた彼女と彼らは、『第三次五胡戦争』終結の折、旧魏王・華琳より賜った『仕官する気になったならば“首都”を訪ねよ』の言葉に従い、数年振りに大和帝国の首都・洛陽を訪れていた。

 

「…………(そわそわ)」

「おぉ。洛陽は久々だが、活気に満ち満ちているな」

「…………(そわそわ)」

「こう言っては何だが、我等が知る洛陽とは比べ物にならんな」

「…………(そわそわ)」

「そうだな。流石は皇帝陛下……北郷様のお膝元、と言ったところか」

「(びくっ)」

「「「…………」」」

 

仕官の為、大和帝国へと帰参することを決めて以来、葉雄は副官三人が見たことのない程に浮かれていた。

ところが、帝国領土へと入った辺りから様子がおかしくなり、洛陽が近づいた頃には明らかに挙動不審になっていたのだった。

 

「(……重症だな)」

「(全く。このような葉雄様を見るのは初めてだ)」

「(喜ばしいことではあるがな……)」

 

傭兵団の団員たちは硬派な体育会系とでも言うべき人柄の人物が多いのだが、流石にこうあからさまだと彼らから見ても、彼女が挙動不審となった原因は明らかであった。

今も、副団長三人の会話に“北郷”の単語が入っていたというだけでびくりと肩を竦める有様だ。

揃って溜息を吐いた三人は更に小声で続ける。

 

「(言い方は悪いが……北郷様は相当な女好きという噂じゃないか。葉雄様にも可能性はあるんじゃないか?)」

「(とは言ってもな……相手は皇帝陛下だぞ?)」

「(だな……葉雄様は元・漢王朝の将軍とは言え、今は官位も無い一傭兵だしな……)」

「(まして今や戦乱は完全に収まった。武勲を立てる機会すら無いと言っていい)」

「(ついでに葉雄様はお世辞にも色気のある方ではない)」

「(聞く褒め言葉は、“男らしい”とか“雄雄しい”とかばかり)」

「(何気に結構年嵩だし)」

「「「(胸も無いしな)」」」

 

「――誰の胸が、何だ?」

 

「「「……いいえ、何でも」」」

「嘘を吐け、馬鹿共が!」

「「「ぎゃあああああ!!」」」

 

叱責一閃、葉雄の『金剛爆斧』が三人を打ち懲らした。

 

「ふん。胸など、でかくとも得物を振りにくいだけだ。あと、私は二十代だ! 年寄りではない!」

「「「申し訳ございませんでした……」」」

「反省しろ……ん?」

 

葉雄が古参の配下とじゃれつきつつ歩いていると、前方が何やら騒がしいことに気付いた。

 

「何事だ?」

「かなりの人だかりですね。――誰ぞ、状況を確認して来い!」

「はっ!」

 

李粛の命令で、傭兵団の何人かが斥候……というか聞き込みに駆けて行く。

大した時間も掛からず、彼らが情報を持ち寄った。

 

「報告! どうやら捕り物のようです。洛陽の警備隊なる部隊が盗賊団を取り押さえている最中とか」

「こんな真っ昼間からか。葉雄様、加勢しますか?」

「……いや、命令系統を混乱させることになってはまずい。まずは様子見だ。李粛、胡軫、趙岑。付いて来い。他はここで待機しろ!」

『ははっ!』

 

結局、団長自ら様子見に出向くことにした葉雄。

人混みを割るように退けつつ進むと、その先では軽装の鎧を纏った兵が野次馬を塞き止める壁になっていた。

 

(どれ……)

 

野次馬の最前列まで進んだ葉雄らが見たのは、見たことも無い得物を手にした警備隊員たちと、刀剣を振り回す男たち――衣服が統一でないあたり、此方が盗賊団だろう――だった。

 

「……変わった武器ですね」

「ああ。見るからに捕獲用だな」

 

警備隊員たちが手にしているのは、長い柄の先にU字型の金具が付けられた長物だった。

これは北郷一刀の『天の知識』から製造された、人間を取り押さえる為の武器。江戸時代に用いられたという『刺又(さすまた)』なる捕具である。

U字の金具で以って、犯罪者の腕や足、首などを地面や壁に押し付け捕らえるのだ。また、中には胴体用の大型の刺又を持つ者もいた。

この刺又は洛陽警備隊で試験運用中であり、有用性が認められれば全国に広める予定のものであった。

 

「……こりゃ、加勢するまでも無いな……」

 

胡軫がぽつりと漏らしたが、葉雄も全く同感だった。

盗賊は街中に潜んでいたこともあり、その武器は携帯性の高い刀剣類ばかり。対して警備隊は長物が殆どだ。まして人数までもが警備隊の方が多い。

たとえ人数が同数だったとしても、集団戦闘においてリーチの差はとてつもなく大きい。それは戦争におけるメインウェポンが刀剣ではなく長物(戟や槍など)であることからも証明されている。警備隊には非殺傷という枷があるとは言え、リーチ差を埋める方法が無い屋外(大通り)に引っ張り出された時点で、結果は火を見るより明らかであった。

 

予想通り、あれよあれよと瞬く間に盗賊たちは取り押さえられていく。

 

「へえ……元々優位だったとは言え、そつが無い采配だな。帝都の警備を担うだけはある」

「どうも裏通りでも同じように包囲しているようだ」

「ま、盗賊なんざ、拠点がばれた時点で終わったようなものだしな」

 

「……ふむ」

 

場の趨勢が決まったと見た葉雄は、この捕り物の指揮官に注意を移した。

鎧に兜、刺又を持ち、腰には刀。警備隊員と同じ、完全武装。背は高いが、細身の男――

 

(戦場の把握。身のこなし。どちらも中々のものだ。だが、寧ろ副官らしき隣の二人こそが真の実力者だな。さてはこの指揮官は、新任なり、昇格を試されているなりしていると見た……ん?)

 

指揮官の実力の程を見定めていた葉雄が認めたのは、指揮官よりも彼を守るように少し後方に待機する二人の女性だった。

一人は身の丈程もある大金槌に身を預けており、もう一人はこれまた巨大な鉄球をまるでお手玉でもするように弄んでいる。

この二人は捕り物中も配下に指示するでもなく全く行動していなかったが、よくよく見れば葉雄にはその片方に見覚えがあった。

 

(あれは……顔良殿ではないか)

 

葉雄が斗詩の存在に気付いた時には、この通りの捕り物はほぼ完了していた。

葉雄は既知の二人に声を掛けるべく、足を踏み出した。

 

「顔良殿!」

「え? あっ、葉雄さん! お久し振りです! ……洛陽に来られたということは、やっと仕官される気になったんですか?」

「いかにも。五胡を含め周辺諸国を回り終えましたので」

「そうですか、文ちゃんも喜びます♪ あ、紹介するね、季衣ちゃん。此方、葉雄さん」

「(へー、この人が葉雄かぁ。……いっちーが言ってた通り、かなり強そうだな) 初めまして、ボクは許緒っていいます」

「お初にお目に掛かる。葉雄と申す。……『虎痴』許仲康殿――噂に違わず、相当な実力者とお見受けした」

「へへっ、そっちこそ♪」

 

自己紹介もそこそこに、にやりと笑う葉雄。

季衣も同じように不敵に笑って返す。

 

「もー、二人ともいきなりそんな話なの?」

「くっくっく、これも武人の性というものだ」

「なんだよー、斗詩ちゃんだって結構負けん気強いクセに。訓練で自分から愛紗に相手頼む奴なんて、そうはいないよ?」

「ええっ!? だ、だって……戦乱の頃にも一蹴されちゃって、悔しかったし……」

「はーっはっはっは! 成る程、確かに顔良殿は負けん気が強いようだな!」

「うぅー……もういいです、それで。そうそう、葉雄さん。ちょっと待っていて下さいね」

「「??」」

 

そう一声掛けて、斗詩は前方で指揮していた指揮官の男の方へと小走りで去った。

 

「そう言えば、今日は文醜殿は居らんのか」

「あはは、そうだよね。いっちーと斗詩ちゃんっていっつも一緒にいる感じだよね」

「……“いっちー”とは文醜殿のことか?」

「そ。“いいしぇ”だから“いっちー”。分かり易いでしょ?」

 

葉雄と季衣が雑談している内に、斗詩は男性に何事か耳打ち。そのまま警備隊員へと命令して、捕縛した盗賊を連行する準備を始める。

逆に男性は斗詩と交代して此方へと歩いて来た。

 

たまたま季衣の方を向いていた葉雄は、男性は視界の端に映る程度だったが……それこそが葉雄の不運だった。

 

「葉雄! よく来て……」

「――気安く私に触るな!!!」

 

バチン!

 

男性が葉雄の肩に手を掛けようとしたのを、葉雄が凄い勢いで払い除けた。そして、流れるような動きで戦斧の刃を喉元に突きつける。

 

「何処の馬の骨か知らぬが、この私の名を馴れ馴れしく、呼ぶ、と、は……」

 

『…………』

 

誰もが呆けていた。

 

怒鳴られた上に刃物で脅されている男性も。

すぐ隣にいた季衣も。

少し離れたところで警備隊に指揮していた斗詩も。

葉雄の後ろで控えていた副官三人も。

 

葉雄自身も。

 

「…………(ぱくぱく)」

「あ、その、えっと……」

「……ほん、ごう、さま?」

「あ、はい。北郷一刀、です……。馴れ馴れしくして、ごめんなさい……」

「!!?」

 

そう。警備隊を指揮し、斗詩と入れ替わりで此方にやって来た男性は、北郷一刀であった。

がしゃり、と音を立てて戦斧が地面に落ちる。

 

「ほ、ほんと、ごめんなさい。久々に逢えたから、ちょっと舞い上がっちゃったみたいで……」

「…………」

 

葉雄は固まったまま、微動だにしない。いや、出来ない。

 

「えーっと……し、仕切り直した方がいい、かな?」

「え? え、ええ。それがいいやも……。お許し戴けるなら、この場はこれにて失礼仕ろうかと」

 

一刀自身、相当に困った様子で李粛に尋ねる。

李粛とて聞かれても困ってしまうのだが、このままでは印象が悪くなる一方と判断し、咄嗟にそう答えていた。

 

「うん。じゃあ改めて伝令を送るよ。宿の場所だけ、教えてくれ」

 

一刀はそう言ってくれたものの。

彼の表情には葉雄に拒否された動揺がありありと見て取れたのだった。

 

 

…………

 

……

 

 

「あれはないよな」

「全くだ。北郷様に非がないわけではないが」

「うむ。だからと言って、刃を向けていいはずがない」

 

「ぬああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「ちょっ、やめっ、ぐふっ!?」

「あ、暴れないで下さい、葉雄様!?」

「ご乱心! 葉雄様ごらんしーーーーん!?」

 

翌日。既に時刻は夕方。

葉雄は謁見の為、宮中へと参内していた。

禁兵に武器を預け、謁見の間の大扉へとやってきた葉雄をそこで待っていたのは。

 

「おう! よーやっと来おったか、葉雄!」

「…………久し振り」

 

霞と恋、先の戦争での戦勝の宴にて葉雄に真名を預けた将二人と。

 

「いちおー、歓迎してやるのです。心配して下さった恋殿に感謝するのですぞ!」

「……あの、えっと。久し振り、でいいのかな……」

 

いつも通りに両手を上げる音々音と、出産間近の大きな腹を押さえ、会話しあぐねている様子の詠。

 

そして。

 

「……(ぺこり)」

 

消えた記憶の彼方で、かつて華雄として仕えた主君。月であった。

 

「……一別以来です。張遼殿、呂布殿。陳宮殿も変わらず。……残るお二方は、お初にお目に掛かる。葉雄と申す」

「「!!」」

 

葉雄の口から出た初対面の挨拶に、詠と月には少なからず動揺があった。

記憶喪失であると知ってはいても、知己が自身を忘れているというのは、やはり大きな衝撃だった。

 

「本当に……覚えてないのね。じゃあ改めて名乗るわ。賈駆よ」

「……初めまして、葉雄さん。私は董卓と申します。お元気そうで、何よりです……」

 

「賈駆殿、董卓殿……そうか。“華雄”の頃の知人であられたか。しかし、未だ我が記憶も戻らず。どうか、葉雄とお呼び下され」

 

「……そう。分かったわ、葉雄」

「はい……」

 

どこか物悲しい雰囲気の二人に、葉雄も沈黙する。霞も困ったように頭を掻く。

 

「ぷっ、くくっ……」

 

そんな空気を破ったのは、突然含み笑いし出した音々音だった。

 

「…………ねね。どうかした?」

「だ、だって、恋殿~! あの華雄……いや、葉雄が詠に敬語を使ってるのです! 何だか可笑しくて……あはははは!」

「…………そう?」

「わはははは! 確かにそうやな!」

「言われてみたら……あなたに敬語なんて使われたの、初めてかも……くくっ、はははは!」

「え、詠ちゃんまで! あ、あの、お気を悪くされないで下さいね、葉雄さん」

「ええねん、ええねん、月! おうこら、葉雄!」

「む、むう?」

「まー、過去は過去。今はウチら全員、一刀の部下や。敬語なんぞ使うなっちゅーねん」

「し、しかし。部下以前に、貴殿らは北郷様の正室……皇后にあられるのだ。今の会話とて、寧ろ不十分だろう……」

「アホ言うな。どーせ当の一刀も敬語止めろ言うに決まっとるわ。こないだの戦勝祝いで随分話してたみたいやし、ジブンにも分かるやろ?」

「う……た、確かに……」

「大体、記憶が無いっちゅーても、ジブンの部下に対する偉そうな物言いは変わってへんやん。ウチらにもそれでええ」

「お歴歴も……宜しいのか?」

「……(こくり)」

「折角面白かったですのに……。恋殿が良いというのならば是非も無いのです」

「月にまでタメ口になるのは、ちょっと引っ掛かるけど……」

「もう、詠ちゃん?」

「わ、分かってるよぅ……月だけ除け者になんてしないから。葉雄、ボクたちもそれでいいよ」

 

ニカリと笑う霞。無表情で頷く恋。上から目線の音々音。苦笑いの詠。そして。

 

「葉雄さん。どうか、私達もあなたの『仲間』にお加え下さい。そして、私達の。ご主人様――北郷一刀様の『仲間』になって下さい」

 

そう言って微笑む月。

 

「……流石は北郷様と共にある方々、ということか。――委細承知。口が悪いなどと後で言っても、もう聞かんからな?」

「はい。ふふっ♪ ……葉雄さん」

「何だ?」

「宜しければ、私の真名を預かって下さいませんか?」

「……私は真名を失った身だ。どうも、一方的に預かるというのは……」

「これは私の我儘です。ただ、あなたに私の真名を呼んで欲しい。それだけなんです」

「そ、それは……。しかし、私にはかつての記憶は無い。おぬしの知る“華雄”とは違うかも知れんのだぞ?」

「そう、ですね。それはその通りだと思います。でも、私。葉雄さんがどんな思いで、これまで国外で戦っていたのか。それをご主人様から伺っていたんです」

「ほ、北郷様から?」

「はい。あなたは、私の対極にある方、なんです」

「対、極?」

「そうです。ご主人様と共に在り、その世界を見守ることを『天命』とした私。共に在らずとも、“外”で身を呈して戦い、若かったこの国を守ったあなた」

 

故に、月は葉雄を尊敬するのだと語る。

 

「そしてこれからは、共に在ってご主人様をお助けする『仲間』として。だからこそ、私はあなたから真名で呼んで欲しい。そう、思うんです」

 

真摯に、想いよ届けと。月は真っ直ぐに葉雄の瞳を見詰めた。

その力強さに、知らず緊張していた葉雄は大きく息を吐いた。

 

「……正直言って、これ程“強い”方とは思わなかった。思い出すことは叶わぬが、かつての主だった方なのだ。見縊っていたこと、許してくれ」

「いいえ。昔、この都にいた頃の私は、とてもあなたから真名を預かる程の人間ではありませんでした。もし、私を強いと言って戴けるなら。それは、ご主人様や『仲間』の皆さんのお陰です」

「そう、か。しかし、やはり私だけが真名を口にするのは憚られる。預かるだけ、では駄目か?」

「……分かりました。今は、それで構いません。姓は董、名は卓、字は仲穎。……真名は、月です」

「…………」

 

月の寂しげな儚い笑みに、葉雄は鋭い胸の痛みを覚えたが、持論を崩す気にはならなかった。

 

「ったく、月が呼んで欲しいって言ってるんだから、呼んであげればいいじゃない……」

「詠ちゃん。無理強いは良くないよ」

「月の言いたいことは分かるけど……。葉雄、ボクは預けないから。いつか、アンタが月を真名で呼ぶようになったら。その時、改めて名乗るわ」

「……承知した」

「敬語を使ったり、遠慮したり。何だか“らしく”ないのです」

「…………強情なのは、変わらない」

「けっけっけ♪ その強情もいつまで持つやらな♪ ホレ、さっさと入りや。華琳たちが首を長ーくして待っとる」

「そ、そうだな」

 

霞に促されるも、葉雄は一歩も動かない。

 

「…………?」

「どうしたのです?」

「い、いや……その、心の準備が……」

「はぁ? それこそ似合わな……ははぁ~ん?」

「な、なんだ張遼……」

「くくっ、安心しい。謁見の間にはまだ一刀はおらん」

「そ、そうなのか……ハッ!?」

 

霞の一言にあからさまに緊張を解く葉雄。

霞はそんな葉雄の様子に、にやーっと笑ってみせる。頭に猫の耳が見えた気がした。

 

「なんやなんや~。葉雄、ジブン一刀に逢えるっちゅーて緊張しとんのか~?(にやにや)」

「なっ、そんなことはない!////」

「…………葉雄、顔赤い」

「まさか……おまえまで、ですか……」

「はっ、物好きねぇ……って、ちょっと月! 何を笑ってるんだよぅ!?」

「くすくす……ううん、別に?」

「とっ、兎に角! お待たせしては悪い。さっさと案内しろ!」

「へえへえ♪」

 

恥ずかしさを誤魔化し、強引に叫んだ葉雄に、一同は内心の思いはそれぞれ、苦笑いを返したのだった。

 

その頃。

副官たる李粛、胡軫、趙岑の三人は葉雄を見送ったまま、部屋にも戻らず宿の一階でたむろっていた。

 

「お邪魔しまーす……って、あれ?」

 

そこへ顔を出したのは、謁見される側の筈の北郷一刀だった。背後には護衛役の猪々子、季衣、明命の姿もあった。

一刀の姿は昨日のような警備兵スタイルではなく、袴姿に銀色の肩掛けを羽織った『天の御遣い』スタイルだった。

 

「こ、これは北郷様! 何ゆえ、このようなところに?」

「ああ、所用で街に出ててさ。これから帰るとこなんだけど、ついでだから葉雄を迎えに来たんだ。道すがら、改めて昨日のことを謝ろうかなって。いないのかい?」

「はっ。仕官の件にて宮中へ参内仕っております」

「そうか、ちょっと来るのが遅かったか。それじゃさっさと宮殿に戻るか……」

「――北郷様」

 

踵を返そうとした一刀へ、李粛が意を決して声を掛ける。

 

「うん?」

「お話が、御座います」

 

 

 

宿の裏庭に移動した面々。

口火を切ったのは、一刀に声をかけた李粛。

 

「北郷様。貴方様は、我等が主、葉雄様を如何お思いですか?」

「……それは、彼女を女性としてどう見ているか、ということかい?」

「御意」

 

「(あたいでも分かるくらいだもんな、そりゃ側近にゃバレバレだよな~)」

「(いっちーは余裕だね? まーた兄ちゃんが好きな奴が増えるのに……)」

「(本当です。一刀様はどこまで女性を惹き付けるのでしょうか……)」

 

猪々子、季衣、明命はそれぞれ思うところがあるようだった。

 

対して、問われた一刀は腕を組み、目を閉じる。

思い浮かべるのは、華雄……いや、葉雄の表情。仕種。振る舞い。

 

「……俺は、まだまだ彼女を知らない。彼女が俺をどう思っているのかさえ、まだ理解出来ていない。だから……今はまだ分からない、としか言えない」

 

「(ま、アニキならこう答えるよな。へへっ)」

「(そうだよねぇ)」

「(う~……嬉しいような、複雑な気持ちです……)」

 

相変わらずの一刀に、やれやれと言った感の女性三人だったが。

 

「分から、ない? そんな、そんな曖昧なことでは困る!」

「そうだ! あの方は、確かに貴方に懸想している。一目瞭然ではないか!」

「そんなことすら、貴殿には分からないのか!?」

 

一刀の答えに、李粛、胡軫、趙岑は揃って激昂した。丁寧口調はかろうじて体裁を保っていたが、明らかに態度は崩れ始めている。

その態度を見て、猪々子、季衣、明命もまた口を荒らげた。

 

「ああ? あたいが言えたことじゃねーけどさ……おまえら、アニキに向かっていい度胸してんじゃねーか!」

「そうだそうだ! 兄ちゃんを馬鹿にするのは許さないぞ!」

「一刀様は、誠心誠意答えています! 一体、何が気に入らないというのですか!」

 

しかし。

 

「……猪々子。季衣。明命。今は……俺に任せて、口を出さないでいて欲しい」

 

そんな三人を抑えたのは、他ならぬ一刀自身だった。

 

「一刀、様……?」「兄ちゃん?」

「アニキ、でもさぁ……!」

 

「頼む」

 

唯(ただ)一言そう口にし、一刀が頭を下げた。

その神妙な様子に、三人は沈黙し、しぶしぶと後ろへ下がる。

それを認めて、一刀は葉雄の家臣らに向き直った。

 

「……李粛、胡軫、趙岑。御託はいい。結局、お前達が言いたいことはひとつだろう?」

「何の、ことでしょう?」

「お前達が確かめたいのは、たったひとつだけだ――果たして、俺は葉雄に相応しいのか」

「「「!?」」」

 

一刀の言葉に、三人の身体が強張った。

それは図星であったからでもあろうが、もしかすれば、彼ら自身自覚していなったからこそ、ここまで動揺したのかも知れなかった。

 

「そ、それは……」

「御託はいい、と言った筈だ」

「し、しかし」

「――ごちゃごちゃ煩い! おまえたちは“あの”葉雄、そしてかつての華雄の腹心だろう! なら……口で何を言ったって仕方ない。コレで勝負だ!」

「「「!!」」」

 

一刀は銀色のケープを脱ぎ捨て、拳を突き出した。

 

北郷一刀という男を認める者達で、彼に武勇を求める者は皆無と言っていいだろう。

彼がここまでの信頼を得ているのは、何よりもその心。誰に対しても真っ直ぐに、真摯に向き合う心があればこそ。

 

(しぶとさだけは武官の皆にも褒められてるんだ。武器を使わない殴り合いなら。きっと三人が納得するまで戦える筈だ……いや、戦う!)

 

それ故に。真っ直ぐ、真摯に向き合う為に。

まさに今。宮殿で月が葉雄と向き合うのと同じく。

一刀は、武人として生きる葉雄を信奉する彼らに、拳で語らうことを選んだのだった。

 

「……本当に、宜しいのですね?」

「ああ? 丁寧な言葉なんぞ、使ってんじゃねえぞ! さっさとかかって来やがれ!!」

 

敢えて一刀は、祖父を真似て乱暴な言葉で挑発した。

彼らが、身分など考えず、ただ自身が納得するために拳を振れるように。

 

その心意気を察したか。三人は互いに顔を見合わせ……獰猛な笑みを浮かべた。

 

「――いい度胸だ、若造が!」

「言ってろ、オッサン! まずはテメエだ、李粛!!」

 

一刀が走り出す。技術も何もない。ただ真っ直ぐ。真正面からぶつかる為に。

 

「うらぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「甘いわ、餓鬼がぁぁぁぁっ!」

 

互いの拳が顔面に突き刺さる。

しかしどちらも全く怯まず、ひたすらに拳を突き出し続ける。

 

拳。拳。拳。拳。拳。拳。拳。

拳。拳。拳。拳。拳。拳。拳。

拳。拳。拳。拳。拳。拳。拳。

 

「「おおぉぉぉぉぉぉぉ!!」」

 

 

 

二十分が過ぎた。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……ば、馬鹿な……!?」

「どうした、もうへばったのか!」

 

始めのうちは、明らかに李粛が優勢に進めていた。

李粛の一撃の重みは、一刀を倍するほどであったろう。それは誰の目にも明らかだった。

それでも一刀は、李粛の攻撃には一切頓着せず、まるで全ての攻撃を相打つかのように拳を突き出し続けた。

 

もし、この勝負が武器を用い、真に命を懸けたものであれば、一刀はこの三人には未だ敵うまい。だが、練功によって高められた一刀の内功は、こと耐久力・持久力においては歴戦の戦士をすら凌駕する力を彼に与えていたのだ。

 

人間が全力で運動し続けられる時間というのは、存外に短い。ましてそれが戦闘であるならば尚更である。

例えば、ボクシングでは最長で三十六分戦う訳だが、実際に“殴り合う”時間はその三分の一に満たない。三分につき一分のインターバルが入るにも拘らず、後半にはその三分の殆どが睨み合いに終わることもざらなのだ。

 

だが、一刀は一切休まない。李粛を休ませもしない。

一刀は北郷流の歩法『虎歩』を修めているが、それを使いもしなかった。

ただ、ただ正面から殴り、殴られ続けた。

 

そして。

 

「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

一刀の渾身のアッパーカットが、李粛の顎を打ち抜く。

ダメージで、というよりは疲労困憊のところで支えを失った感で、李粛は倒れた。

 

「ぜぇ、ぜぇ……ま、参った……」

「はぁ、はぁ……よっしゃぁぁぁぁ!!」

 

李粛の降参の言葉に、一刀が快哉を叫ぶ。

 

「な、なんと……李粛が真っ向から打ち合って負けるとは……」

「――何を他人事のように言ってやがる、胡軫!」

「は?」

「次はテメエだ! 準備が出来てねえとは言わせねえぞ!!」

 

半分不意打ちのように、一刀は走りざまに殴り掛かるも、胡軫はその拳を打ち払う。

 

「なっ!? まさか……三人抜きするお積もりですか!?」

 

思わず丁寧語に戻って尋ねた胡軫だったが、一刀の爛々とした眼差しに、心の奥底から沸々と湧き上がるものを感じた。

心のどこかで。一刀と打ち合うことが出来た李粛を羨んでいたのだ。

 

「くっ、くくっ、ははははは! 生意気な! この胡軫が身の程を教えてやろう!!」

「やってみやがれ!!」

 

 

……

 

…………

 

 

「歯ぁ……食いしばれぇぇぇぇぇぇ!!」

 

鈍い音が響く。

体力の限界だった趙岑を沈めたのは、一刀渾身の頭突きだった。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

息も絶え絶え、満身創痍、その身体は土塗れ。

しかし。

一時間以上の時間を掛け、とうとう一刀は李粛、胡軫、趙岑の三人を打ち倒してみせたのだ。

 

「ははっ。完敗、だな」」

「ああ、言い訳の仕様もない。我等の負けだ」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……全く。葉雄様に知られたら、お叱りだけでは済まんな、これは」

 

倒れたままの趙岑のもとへ李粛と胡軫が歩み寄り声を掛けた。趙岑も寝転がったまま息を切らしつつ、答える。

三人の言葉にも表情にも、暗いものなどは欠片もない。そこにあったのは、限界まで戦い、全てをさらけ出した者だけが持つ、潔い笑みだった。

 

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……李粛、胡軫、趙岑」

 

切れ切れの呼吸もそのままに。

 

「――彼女を、受け入れるか、どうかは、まだ、分からない。だけど」

 

一刀は三人を睥睨し、背筋を伸ばし、堂々と宣言する。

 

 

「今と、同じように。おまえたちと、同じように。葉雄の、想いも……真っ向から、受け止める! 問答無用――いいな!」

 

 

一刀の宣言に、三人は互いに目を合わせ、頷き合う。

そして、未だ倒れたままであった趙岑を助け起こすと、揃って跪き、手を打った。

 

「北郷様。どうか、葉雄様をお願い致します」

「如何なる結果になろうとも。我等も全て受け入れましょう」

「貴方様ならば、必ずやあの方の全てを受け止めて下さると信じます」

 

「我、李粛。真名は嵐(らん)!」

「我、胡軫。真名は森(しん)!」

「我、趙岑。真名は燃(しょう)!」

 

「「「この命尽きるまで、御君(おんきみ)に忠誠を奉らん!」」」

 

「……ありがとう。おまえたちの想いと真名、確かに預かった!」

 

放った肩掛けを拾い直し、破顔する一刀。『天の御遣い』の象徴たる銀布の肩掛けが、夕日に輝いていた。

 

決闘もどきを終え、七人は宮殿を目指した。

折角だからと、一刀が李粛、胡軫、趙岑を誘ったのである。

 

猪々子は一刀が拳で語ることを選択したのが気に召したのか、ご機嫌。

季衣は戦い抜いた一刀を褒め称(そや)しつつ、抱きついている。

明命は無茶をし過ぎだとお説教するも、一刀はへらへらと笑うばかり。

 

賑々しく宮殿は謁見の間へとやって来た一同。

謁見の間では、葉雄が華琳、桃香、雪蓮の最高位文官と謁見していた。

また、その後方では月、詠、恋、霞、音々音の元董卓軍らが控えている。

 

彼らに気付き、最初に声を掛けたのは桃香だった。

 

「お帰りなさい、ご主人様……って、どうしたの!? 服は埃だらけだし、お顔に怪我してない!?」

「ははは、まあね。色々あってさ。深くは突っ込まないでくれ」

「そ、そうなの?」

 

手をひらひらと振って誤魔化す一刀。

桃香に視線を送られても、猪々子と季衣は含み笑い。明命や、直に一刀と殴り合った男三人は苦笑いするしかない。

一刀の怪我は、その強大な内功によって、既に殆どが治癒していた為、桃香は心配しつつも、言われた通り追及を止めた。

 

「ふぅ~ん。随分な格好ね、一刀♪」

「全くだわ。“訓練”なら城の調練場でやりなさい」

「なんや、面白そうなことになってたんやな。ちぇっ、ウチが今日の護衛役ならなー」

 

そんな反応を返す連中に――“喧嘩”の気配を気取ったか――雪蓮と華琳、そして霞は何かに気付きつつも、問い質しはしなかった。

 

「ご主人様、本当に大事ありませんか?」

「何してたんだか。あんまり月に心配掛けるんじゃないわよ?」

「うん、大丈夫だよ。心配しないで。月、詠」

「ボクが心配した訳じゃ……」

「…………詠、素直じゃない」

「れ、恋に突っ込まれるなんて……(がっくり)」

「いい加減、その遣り取りは飽きたのです」

「うっさい!」

 

桃香と同様に心配で声を掛けた月を筆頭に、音々音が言う通り、いつもの遣り取りが繰り広げられていたが。

そこへ……

 

「……ほ、ほ、ほん、北郷様!!」

「うわっ!?」

 

大声を張り上げたのは、葉雄だった。

 

「さっ、昨日は、大変なご無礼を働き、面目次第も御座いませぬ!!」

「へ? あ、ああ。昨日のアレね。あれは俺がぶしつけだったんだ。こっちこそごめんなさい」

「そうは参りませぬ! 忠を尽くすべき御君にあのような暴言! 知らぬことだったなど、いい訳には……」

「ぷっ」

「ほ、北郷様?」

 

詰め寄る葉雄の言葉に噴き出した一刀に、思わず葉雄は呆ける。

 

「い、いや。流石は長年連れ添ってきた将と副官。李粛たちと葉雄の言い様が良く似てるもんだからさ」

「は、はぁ……」

「とにかく。俺の謝罪を受け入れてくれるなら、この件は終わりにしよう。引っ掛かりがあるなら、これからの仕事で返してくれ」

「……御意。必ずや」

 

主君にここまで言われては致し方無し、と葉雄も引き下がった。

 

「……くくっ♪ ほんっとおまえ、アニキの前だと固いな~」

「そうなの、いっちー? 昨日もずっとこんな感じだった気がするけど」

「そうだぜー? コレはアニキの前でカッコ付けてるだけ……」

「文醜! 言いがかりは止めろ!」

「んだよ、“殿”を付けなくなったのはいいけどさ。他人行儀じゃんか、葉雄。真名は預けただろ?」

「猪々子もそう思うやろ? ホンマ融通効かんやっちゃで」

「た、確かにお前達の真名は預かったが……」

 

猪々子が真名の件を持ち出すと、途端に勢いを失う葉雄。

それを見た桃香が口を挟んだ。

 

「……もしかして、葉雄さん」

「はっ、何で御座いましょう、劉備様」

「うっ、堅苦しいよ、葉雄さん……え、ええっと。失礼ですけど、ご自身が真名を預けられないから、敢えて真名で呼ばないようにされてるんですか?」

「…………はい。真名を預かることはこの上ない名誉とは思いまする。しかし、一方のみが真名を口にするのは憚られまする。故に我が配下からも、真名を預かっても互いに姓名で呼ぶことにしておるのです」

「…………」

 

葉雄の言い分に月は口を挟まなかった。それでもどこか悲しげなのは、先刻口にした通り、真名を呼んで欲しいからだろう。

そんな月の様子に、詠や恋、音々音も気まずそうにしていた。

 

「かーっ! おまえも大概強情だなぁ」

 

そんな雰囲気なんのその。指を突きつけ、文句を垂れたのは猪々子。

 

「……文醜」

「桃香だって呼び捨てで良いって言ってくれてんじゃねーの? ……おっ、そうだ! イイこと思いついたぜ!」

 

にかりと笑う猪々子だが、逆に一刀は不安げな表情になった。

 

「猪々子の“イイこと”かぁ……」

「なんだよ、アニキ。その如何にも『期待してませーん』って顔……ヒドくね?」

「あはは、ごめんごめん。で、何を思いついたんだ?」

「簡単な話だって。アニキが葉雄に真名を付けちまえばいいだよ! そうすりゃ、コイツも変な遠慮しなくなるだろ?」

『…………』

 

しーん。

 

「……真名って、勝手に付けていいものなの?」

 

ぽかーんと沈黙してしまった周囲に戸惑いつつも、皆へ尋ねてみる一刀。

すると、一同を代表して華琳が答えた。

 

「……真名は親かそれに類する者が名付けるものよ。人や家によるのだけれど、一般的には物心付く頃までに名付けられる。生まれる前から決まっていることもあるわ。場合によっては占い師などに頼む場合もあるとも聞くわね」

「そっか。他人が名付ける場合もあるなら、この案もアリなのかな」

「そうね、猪々子にしては良案かもしれないわ」

「あたいにしてはってなんだよ、ったく……」

「で、でも。私は名案だと思います!」

「…………(こくり)」

 

珍しく語気強く同意した月に、恋もしっかりと頷いて見せた。

 

「私も賛成! あ、勿論葉雄さんがいいなら、ですけど」

 

桃香の言葉に、皆の視線が葉雄に集まる。

 

「……そう、だな。良い転機、なのかもしれん……」

 

小さく、そう独り言ちた葉雄は、決心を表すように視線を上げた。

 

「北郷様。御君を戴く、この機会にこそ。是非、我が真名を頂戴致したく存じます」

 

はっきりと、そう願いを告げた。

 

「――うん、分かった。……と言っても、すぐには思いつかないな……」

 

葉雄の願いを何としても叶えたいとは思うものの、妙案がすぐに浮かぶ訳でなし。

一刀は顎に手を遣り、悩む。

 

(う~~ん、インスピレーションが降りて来ればいいんだけど、駄目か。となると、何かヒントを……)

 

「真名とは、その者の生き様を内包する、命よりも大切なもの。慌てて考えることはないと思うけれど?」

「ボクも華琳様の言う通りだと思うな、兄ちゃん」

「んー、まあね。でも、こういうのって、ぐだぐだ考えても思考の迷路に迷うだけって気もするんだよね。雪蓮じゃないけど、勘というか、直感が物を言うと思うんだ」

「そうね、それはそうかも。なら、連想する言葉でも考えてみたら? 例えば、葉雄の生き様と言えば――」

 

『突撃』

 

雪蓮の問いかけ(?)に、華雄を知る者全員(月のみは困ったように笑っていただけだった)が一斉に答えた。

 

「……。確かにそうなのだが。ここまで揃って言われると、却って否定したくなるな……」

「だはははは! そりゃ図星だって言ってるようなモンじゃね?」

「ぬぅ……」

 

馬が合うらしい、猪々子と葉雄の遣り取りに、周囲の空気が和む。

その雰囲気に押されるように、副官の一人である李粛が口を開いた。

 

「過去に……過去に囚われることはないと思うのですが。我等の出自では、一文字の名を戴くことが多くあります」

「一文字で、か。そう言われてみると、月や詠、恋や霞……ある意味、ねねも“音”の一文字だし。元董卓軍はみんな一文字だね……ん?」

「は? な、なんでしょう?」

 

ふと。一刀は進言した李粛と、その隣、胡軫、趙岑を見た。

 

(嵐。森。燃……あっ!)

 

「俺の――」

 

一刀が、僅かに天井を仰ぎつつ口を開くと、誰もが自然とその続きを待った。

 

「俺の元いた国に、ある言葉を軍旗に記した武将がいた。俗に『風林火山』って言うんだけど」

 

日本人にとっては、武田信玄が用いたとして有名な言葉だ(実際はそれよりも先に用いた武将がいるのだが)。

 

「疾(と)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如し。自身の軍団の強力さ、有能さを表現してるんだと思う」

 

それを聞いた周囲の者の大半は微妙に怪訝な表情をしたが、一刀は気付かずに続ける。

 

「でさ。葉雄の副官三人の真名。李粛は嵐――風。胡軫は森――林。趙岑は燃――火。だから、葉雄は山……そうだな、『嶺(れい)』なんてどうかな?」

「……『嶺』……」

 

葉雄は噛み締めるように、その名を繰り返した。

 

「この国を守る、高く大きな山と成れ……ちょっと突っ込み癖のある葉雄に、戒めの意味も兼ねて。どう?」

「は、はっ!」

 

少々意地悪げに言う一刀に恐縮しながらも、葉雄はその言葉が心に染み入るのを感じていた。

 

「……はい。我が身、我が武を以って。貴方様を、この国を、この泰平を守る『山』となりましょうぞ!」

「ああ。これからも、よろしく!」

「ははっ!」

 

一刀が差し出した手を、葉雄――嶺は確と握り返した。

 

「へぇ~、響きが格好良いじゃん。よろしくな、嶺!」

「ああ。そのうちに手合わせもお願いしよう。楽しみにしているぞ、猪々子」

「おうよ。へへっ」

 

猪々子とも拳をこつりと打ち合い、笑い合う。

 

「……嶺、さん」

「……月」

「はい。これから、よろしくお願いします。どうか、ご主人様をお守り下さい」

「無論だ。この真名に懸けて、必ずや守ってみせよう」

 

月の微笑みに、今度こそ嶺は頷いて見せた。

元董卓軍の皆々も、その様子に顔を綻ばせている。

 

最後に、副官三人が葉雄の側に並び、同時に手を打った。

 

「「「おめでとうございます、嶺様!」」」

「……嵐」

「はっ!」

「……森」

「はっ!」

「……燃」

「はっ!」

 

先に自身の名をそうしたように。まるで噛み締めるかのように、嶺は忠臣たる三人の真名を呼び。

副官三人は、嶺から真名を呼ばれたことに感涙を流した。

 

「……礼を言うぞ、おまえたち。こうして私が真名を戴けたのも、おまえたちのお陰だ」

「な、何を仰います!」

「礼を言うのは、我々の方です!」

「そうですよ! 我等配下一同、これからも嶺様と共に!」

「おまえたち……っ!」

「「「嶺様!」」」

「おまえたち……っ!!」

「「「嶺様!!」」」

「おまえたちぃ~~~~~~っ!!!」

「「「れ~い~さ~まぁぁぁぁ~~~~!!!」」」

 

と熱く抱き合う嶺とその配下たちを、満足げに見守る一刀。

 

だったのだが。

 

「……一刀。悦に入っているところ悪いけれど。その一文は『孫子』の一節よ……そもそも、二つ足りていないわ」

 

華琳が呆れたように突っ込んだ。

 

「……え? ま、マジで!?」

「一刀ったら、勉強不足じゃないの? 『其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆』。陰(かげ)と雷霆(らいてい)が抜けてるわよ」

「う、うそーん!? え? もしかして、みんなも知ってた……?」

「う、うん……『孫子』は盧植先生にも教わってたし、愛紗ちゃんにも読んでおけって言われてたから……」

「ボクは桂花に教わったよ」

「私も昔、穏様に……」

 

「お、俺……滅茶苦茶カッコわるぅぅぅぅぅぅぅ!?」

 

ごろごろごろ。

 

恥ずかしさの余り、床を転げまわる一刀。

奇しくもその姿は、先日の夜に葉雄が悩んでいた姿そっくりであったとさ。

 

「ふぅ……まだまだ寒いな~……」

 

二月、また別の夜。一刀は禁苑を散策していた。

それ自体は、風呂上りの単なる気まぐれである。しかし、ふと過ぎったあることが頭から離れなくなってしまい、一刀はふらふらと歩き続けていた。

 

(そろそろ、“現代の夢”を見なくなって一ヶ月か……)

 

一月の中頃、“現代の夢”から突然醒めてしまったあの夜から、一刀はかの夢を見なくなっていた。

 

(突然見始めたんだから、見なくなるのも突然……なのは、まあ理解出来るんだけど)

 

一刀の心に引っ掛かるのは、自身を夢へと送り込んでいた謎の人物の存在と。

 

(……爺ちゃんと婆ちゃんに、ちゃんと挨拶したかった、かもな)

 

かつてこの世界に迷い込んだときと同じく、突然の別れへの寂寥(せきりょう)。

あのときと比べて、じっくりと考える時間がある分、余計に思いが募るのか。

自らの意思で夢を見ることが出来る訳ではない。故に彼が何を想おうと詮無いことではあった。

 

(あー、駄目だ駄目だ。鬱々としてるのなんて俺らしくない! もっとプラスに考えよう。あの夢のお陰で、俺が、この国が得たものは、数え切れないほどあるじゃないか!)

 

深く悩み過ぎないのは、彼の長所と言ってもいいのかも知れない。

 

「うっし! 湯冷めする前に、部屋に帰るか~!」

 

ぱちん、と自らの頬を叩いて背伸びをした一刀。

そんな彼の背後に迫る影があった。

 

「うふふふっ♪ だ~れだ?」

「わっ!?」

 

突如背後から塞がれた両目。そして、背に当たる、これでもかと言うほどの柔らかな感触。

 

「……紫苑?」

「はい♪」

 

名を当てられた紫苑は、目隠ししていた両手を下ろし、一刀の横に並んだ。

 

「よくお分かりになりましたわね♪」

 

彼女はそう言って悪戯っぽく笑うと、身を寄せ一刀の左腕を掻き抱いた。

 

「そりゃ勿論。……ご機嫌だね、紫苑」

「まあ。当然じゃありませんか。これが喜ばずにいられましょうか」

「ふふっ、そうだね。俺も嬉しいよ」

「本当ですか? 何だか、冷静じゃありませんか。拗ねますわよ?」

「ごめんごめん。ちょっと考え事してたからさ」

「許しません。お仕置きです♪」

 

かぷっ。

 

紫苑は、僅かに背伸びして一刀の耳たぶに噛み付いた。

 

「痛だだだ!? 結構痛いよ、ソレ!」

「ぷぁっ。うふふ、お仕置きですから♪」

「おー痛てて……やったな~?」

 

一刀も負けじと同じように(痛くしない様、極力甘噛みで)やり返す。

 

「やん! もう、ご主人様ったら♪」

「参ったか、なーんてな。……調子はどう?」

「ええ。璃々を身籠った時は、食欲が無くなったりしましたが。温泉のお陰でしょうか。今は何ともありませんわ」

「そう、良かった。麗羽には感謝しないとな」

「それは勿論ですけれど。もう、今は他の娘のことは口になさらないで下さいな」

「っと、そうだね。ごめんなさい」

「言葉ではなく、行動でお願い致します♪」

「はいはい、お言葉のままに。――ちゅっ」

「んっ……はい、よく出来ました♪」

 

少女のように笑う紫苑。花が咲いたかのような浮かれた雰囲気であり、言葉尻が常に弾んでいる。

理由は明白。つい先日、彼女も身籠ったことが判明したからだ。年長組では最後の懐妊ということもあり、喜びも一入(ひとしお)であった。

 

「本当に焦らされましたわ。ご主人様ったら、祭さんや桔梗には御子をお授けなさったのに、わたくしだけ除け者になさるんですもの」

「い、いやいや、それを俺に言われてもですね……」

「うふふっ、こうしてわたくしにも御子を戴けたのですから、この件は不問に致しましょう♪」

「ほっ……」

「これでやっと璃々との約束を守れますわ」

「約束?」

「いつか、ご主人様に璃々の妹か弟を戴くわ、と。以前から言っていましたので」

「あー、あははは、そうだね。そう言えば、蜀時代から言ってたっけな」

「ようやく、ようやくです……。どれだけこの日を待ったことか……」

 

紫苑が夜空を見上げる。一刀は腕を抱く力が強くなったのを感じた。

 

「――紫苑」

「はい? あっ」

 

一刀は、正面から紫苑を抱き直し、先程より強く唇を重ねた。

 

「……これからが大変だろうけど。俺の為に。璃々の為に。君自身の為に。そして、お腹の子の為に。――頑張って」

「……はい。勿論ですわ、ご主人様……」

 

その頃、同じく禁苑の別の場所に設置された東屋では。

 

「やぁあぁ~~~ん……もう、もう沙和、可愛くて気が遠くなっちゃうの~~~♪」

「ホンマやわぁ。ウチ、こんな赤子が可愛いやなんて思わへんかったわぁ……」

 

沙和と真桜が(小声気味に)黄色い声を上げている。

その原因は。

 

「沙和。真桜。そう言ってくれるのは嬉しいけど、もう少し声を小さくしてくれ」

「そうだぞ。赤子って奴は、泣き出しちまうと手がつけられないんだからな」

 

凪と翠が胸に抱く赤子らの可愛さ故だった。

翠の娘、馬秋(しゅう)は先月一月に。凪の娘、楽鎮(ちん)はこの二月初頭に、それそれ無事出産されていた。

 

「だってだってぇ~~、可愛すぎるのがいけないの~~~♪」

「そやそや、沙和の言う通りやで~~~♪」

 

これまで、沙和は仲の良い桃香の娘である劉禅(ぜん)を相手に同じような反応をしてはいたし、真桜は沙和と比べればまだ冷静であった。

しかし、双方の親友である凪が出産することで、赤子がより身近な存在になり、凪や先んじて出産していた翠の補助という形で触れ合うようになると、もう二人ともめろめろになってしまったのだ。

 

「……そんな調子で、自分の子が産まれたらどれだけ子煩悩になる気だ?」

「うーん、もう沙和自身でも分からないの~。というか~」

「そやなぁ。ウチらも早よ子供欲しいわぁ~~……」

「そ、それをあたしらに言われても困るって……ご主人様に言ってくれよ」

 

一刀とてそう言われても困るのだが。

三羽烏と翠が、赤子を肴に盛り上がっていると、そこへ璃々がとことことやって来た。

 

「こんばんは~♪ みんなで赤ちゃんのお世話?」

「璃々ちゃん、こんばんはなの~」

「ま、そんなトコや。璃々こそどうしたん?」

「お母さんを探してたの。あっ! ねえねえ、お姉ちゃん達、知ってる?」

 

璃々が喜色満面に問うと、皆、璃々が何を言わんとしているかに気付き、にこやかに微笑む。

 

「んー? 知らんなぁ?」

「あのね、あのね! お母さんに、赤ちゃんが出来たの! 璃々に、弟か妹が産まれるんだよ♪」

 

敢えて真桜がそう答えると、璃々は喜び勇んで“教えて”くれた。

 

「そっかそっか。良かったな、璃々。とうとう璃々もお姉ちゃんになるんだな」

「えへへ~♪ そうなったら翠お姉ちゃんと一緒だね!」

「ん? ああ、そうだな。たんぽぽは正確には従妹だけど、あたしにとっては妹同然だからな」

「妹か弟かはまだ分からないけど。璃々、優しいお姉ちゃんになるの!」

「璃々ちゃんなら、きっと優しいお姉ちゃんになれるの♪」

「しかし、それを言うなら、馬秋も鎮も璃々の義理の妹じゃないか?」

「あ~、そやな。璃々、もう十三人も妹おるで?」

「あ、そっか。わー、璃々、妹いっぱいだ~♪」

「そうだな。けどな、璃々。お姉ちゃんは、優しいだけじゃ駄目だぞ?」

「そうなの?」

 

きょとんとする璃々に、翠が笑みと共に人差し指を立てた。

 

「そうだ。姉は妹の手本にならなきゃいけないし、時には妹を叱らなきゃならないことだってあるんだ。しっかりしたお姉ちゃんにならないとな」

「んなこと言うてええんか~? 意外にたんぽぽの方がしっかりしてることも多いやん」

「なっ!? そ、そんなことあるもんか! あいつ、いつまで経っても悪戯小娘のままだし……!」

「それを言ったら、翠ちゃんこそ、いつまで経っても初心な“ねんね”ちゃんなの~♪」

「うううううっせ!////」

「にゃははは♪ 早速顔赤くなっとるやん」

「ちくしょ~……な、凪~、助けてくれよ~」

「うぅっ。私を巻き込まないでくれ、翠……只でさえ、二人より先んじて御子を授かってからかわれてるんだ……」

 

泣きが入り出した翠が助けを求めるも、凪自身、既に沙和と真桜のからかいにうんざりしているようだ。

 

「うーん? そうしたら、璃々は誰みたいになったら、いいお姉ちゃんになれるかな?」

「ええお姉ちゃん、なぁ」

「姉、と言えば……桃香様とか、愛紗とか?」

「春蘭様もなの。それに天和ちゃんや地和ちゃんもお姉ちゃんなの」

「あと、雪蓮様と蓮華様もだ」

 

首を捻る一同。

 

桃香は、その懐の深さは確かに姉として十分だろう。しかし、姉の威厳という面では少々緩すぎる。

愛紗は、まさしく厳格な姉の姿だろう。とは言え、何だかんだ言って隙が多いのも愛紗である。

春蘭は、姉とか妹とかを超越して、真似すること自体が不可能に思える。

天和は、基本ちゃらんぽらん過ぎて、参考にならない。

地和は、あの積極性は見習う点もあろうが、どちらかと言えば妹タイプだ。

雪蓮は、いざという時の威厳は十分。だが普段は気を抜き過ぎで、サボリ癖がある点からも目標には不適だろう。

蓮華は、愛紗と同じタイプだが、小蓮に振り回されているあたり、いい姉という範疇から外れる感が無きにしも非ず。

 

「「「「う~ん……」」」」

 

当然のことだが誰にも短所があり、『理想の姉像』からは外れるような気がした。

言ってみれば、実在しないからこその理想である、ということかも知れない。

 

「璃々が目指す“いいお姉ちゃん”かぁ……どうも、こう、なんつーか。ぴんと来ないなぁ」

「姉、で考えるのがいけないんじゃないか? 要は、弟妹から尊敬され、目標となるような人物なら……」

「そうかもなの。尚且つ、璃々ちゃんと似てると、目標にし易いと思うの」

「璃々に似てて、誰からも一目置かれるような……って」

 

はたと、皆が気付いた。

 

「「「「紫苑(様/さん)でいいんじゃ(ええんちゃう)?」」」」

 

「お母さん?」

「そうやな。璃々は紫苑の娘やもん。あの妄想癖さえなきゃ、紫苑はかなり理想像に近いと思うで」

「どちらかと言うと“理想のお母さん”という気もするけど……」

「まあそう言うなよ、凪。誰からも一目置かれてるって点では文句無しだろ?」

「璃々ちゃんに一番近しい女の人って言うのも、目標にするにはいいと思うの」

 

「でも~?」「でもな~?」

 

満場一致と思いきや、沙和と真桜が顔を見合わせて含み笑い。

 

「どうした、二人とも。何か思うところでもあるのか?」

「いやいや。ホレ、紫苑っちゅーたらなぁ。なあ、沙和?」

「うん、そうなの~。うふふ」

 

「「歳からして、“お姉さん”って感じじゃないの(やん)」」

 

それを聞いた瞬間、翠と凪は我が子を抱えて机の下へと潜り込んだ。

璃々は如何にも「あ~あ」という表情で、そのまま立っている。

 

「なんや、凪も翠も、ビビリ過ぎやで? 周りにゃ誰も居らんし、璃々に黙ってて貰えばええねん♪」

「そうそう――」

 

ゴゴッゴゴッ!

 

「んきゃ!?(ばたり)」

「さ、沙和ぁぁぁぁぁぁ!?」

 

真桜の軽口に相槌を打とうとした沙和に、一瞬で四本もの矢(鏃は潰されていた)が突き刺さった。

 

「……頭部に二本、心臓に二本、か。微塵も容赦無し。流石は紫苑様……」

「馬鹿だな……こんな静かな夜に、暴言を吐くから……」

 

「ひ、ひぃぃっ! お、お助け~~~~~!?」

 

沙和の惨状に泡を食って走り出した真桜だったが……

 

ゴゴッゴゴッ!

 

「へぐっ!?(ばたり)」

 

沙和同様(背後からではあったが)、四本の矢を喰らい、昏倒した。

 

「もう、お母さんったら。折角お姉ちゃんたちが褒めてくれてたのに……」

「自業自得だ、璃々は気にしなくていい。それより、立ったままだと危なかったんじゃないか?」

「大丈夫だよ。お母さんが動かない相手に誤射するなんてありえないもん。赤ちゃんがいるのが分かってたから、矢も爆発しなかったでしょ?」

「……確かに、矢には氣が籠められていなかったが……凄い信頼感だ。……私も、鎮にそんな風に信頼される母親に、なれるかな……」

「なんか違う気もするぞ、凪……。はぁ~、ホント紫苑ってこういうとき容赦無いよな。……璃々は、璃々らしく“お姉ちゃん”になるのが一番いいのかも……」

 

翠は、沙和と真桜の死体(のようにピクリともしない体)から目を逸らすように、禁苑の池を見遣る。

 

水面を揺らす冷たい風に紛れて、紫苑の怪しい含み笑いが聞こえた気がした……

 

「北郷一刀ぉぉぉっ!!」

 

暦は三月も中旬。次第に暖かな日も増え始めた頃。

けたたましい声と共にばたんと音を立てて、天子の政務室の扉が開け放たれた。

 

「どうかした、桂花?」

「どうかした、じゃないわよ! なんなの、この無茶な提案は!」

 

驚く政務室の面々を無視し、ずかずかと一刀の執務机へと歩み寄った桂花は書類の束を叩きつけた。

 

「ようやく! よ~~やく洛陽の拡張がひと段落したと思ったら! 今度は何? 大運河ですって!?」

「そうなんだよ」

「そうなんだよ、じゃないわって言ってるでしょ!? 一体どれ程の予算が必要なのか、見当もつかないわ!」

 

土木を司る三公である『司空』たる桂花に一刀が立案を依頼した計画。それは現在において『京杭大運河(或いは単に『大運河』)』と称される、中国は北京から南方へ遠く二千五百キロメートルにも及ぶ大運河の再現であった。

と言っても、いきなりその全てを開削しようという訳ではない。

今回、一刀が提案したのは、黄河と淮水(ワイスイ)を、既存の河川を利用しつつ繋ぐことだった。

最終的には、中国二大河川である北の黄河と南の長江を淮水を経由し繋ぐことを目標としている。

 

現状の帝国は南北が断裂的に発展している。

『南船北馬』などと謂われるように、中国大陸は南北で文化すら大きく違う。それは単に広大な大地に各々の特徴付いた文明が発達した、というだけでなく、南北を容易には移動することが出来ないという点が大きい。

交易の困難性が互いの文化を混じらせることを阻害している、と言うわけだ。

 

この時代の輸送には多大な労力が掛かる。大量の物資を運ぶには、人、馬、車といった相応の物資がまた必要となる為だ。

しかし、河川を利用する船は、陸上輸送よりも大型化が容易であり、大量の物資を運ぶ場合において、その労力を大幅に減ずることが可能となる。

 

一刀の狙いは、輸送の容易化により断裂的な北部と南部を連結し、国全体の流通の円滑化を図ろうというものであった。

 

「理屈は分かるわ。でも……」

「多少の無茶は承知の上だよ。確かに俺の知る“歴史”でも、この大運河の開削は強引に進め過ぎて、王朝の短命化に繋がってしまったような大工事だ。だから、十年を掛ける長期的政策として、桂花に計画をお願いしたいんだ」

 

史実においては、この大運河の開削は隋王朝時代に行われたが、余りの突貫工事(嘘か誠か、なんと五ヶ月!)で民に負担を強いた為、隋滅亡の一因となったとも謂われる。

 

「……簡単に言ってくれるわね」

「悪い。でも、今の帝国は都市部ばかりが発展していて、地方の発展はまだまだなのが実情だ。地方への交通手段の確保が狙いのコレなら、都市部以外に工事による雇用の提供も出来る。時間さえ掛ければ、今の国力なら可能だと思うんだ。首都が落ち着いた今だからこそ」

「なっ!?」

 

一刀は桂花の手を取り、じっとその瞳を見詰める。

 

「――頼む。桂花」

「あ、う、うぅぅぅ……わ、分かったわよ! だから、手を放しなさい!」

「あ、ごめん」

「ぐうの音も出ない、完璧な計画にしてやるわ!」

 

桂花は悪口にもならない言葉を言い捨てて、政務室を退室して行った。

 

「……ご主人様?」

「何? ……って、みんなして、どうして俺を睨むの!?」

 

出て行った桂花の背中を見ていた一刀だったが、桃香の呼びかけに振り向くと。

中書の桃香と蓮華(復帰したばかり)。それに侍中の穏、風、音々音、合わせて五人がじっとりとした目線を一刀に送っていた。

なお、侍中の一人である詠は、つい先日、一刀にとって第十四子となる賈訪(ほう)の出産を無事済ませ、現在も引き続き産休中である。

 

「はぁ……ホントに、ご主人様って鈍いんだから#」

「一刀。あそこで手を握る必要はあったのかしら?#」

「あらあら~。いよいよ桂花ちゃんもかなー? 旦那様ぁ、穏のことも忘れちゃ駄目ですからね~?」

「全く。我等が皇帝種馬さんには困ったものですねー#」

「懲りない男なのです……#」

 

「あの、ご不快でしたらごめんなさい……」

 

女性陣の迫力に、一刀が縮こまる。

とてもたった今、不世出の政治家・荀文若を情熱で説き伏せた男とは思えない卑屈さであった。

 

「……それにしても。お桂の態度が随分変わったのです」

「そうだねぇ。一時はご主人様と全然話さなかったもん。あれはちょっと怖かったよぉ……」

「華琳が出産した辺りから、段々と軟化した感じかしら?」

「ふーむ。聞くところによると、華琳様から『言いたい文句ははっきり口に出して言え』と忠言を受けたとかー?」

「あははっ、華琳さんらしい忠言だね~♪」

「それに……か、一刀なら、どんな気持ちも受け止めてくれるもの、ね?////」

「そ、そう? 蓮華にそう言って貰えると、俺も嬉しいよ」

「えぇー? 蓮華はこのへぼを過大評価し過ぎだと思うのです」

「うぅ~~ん……」

「どうしたの、穏? あなたまで一刀をへぼだと言うの?」

「ええっ!?」

「あはは、違いますよぉ~。さっきの桂花ちゃん、旦那様に手を握られても咄嗟には拒否しなかったじゃないですか。ちょっとおかしくないですか~?」

「(ぎくっ)」

『…………』

「お兄さん。今、肩がびくりとしましたね? 何か、心当たりがあるんじゃないですかー?」

「ナ、ナンノコトデショウカ?」

『…………#』

「痛い! 視線が痛い!」

 

 

 

一刀が針の筵(むしろ)の心地を味わっていたその頃。

 

「くぅぅぅっ……本当に腹立たしい男ッ!」

 

桂花は宮廷の廊下を乱暴な足取りで歩いていたが、ふと立ち止まり、自身の右手を見詰める。

それは、つい先刻、一刀に握られた手。同時に、彼の強い眼差しが思い出される。

 

「(……気安く触るんじゃないわよ……)」

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

それは先々月、新年が明けてすぐ。

昨年十月の出産によって伽を禁止されていた華琳が、ようやくの解禁となり、桂花は早速呼び出されていた。

 

しかし、桂花が華琳の私室に入ると、そこにはもう一人。桂花にとって、いてはならない男がいたのだ。

 

「な、なんで!? どうして、どうしてアンタがいるの!!?」

 

「なんでと言われても……」

 

困った顔で頭を掻く北郷一刀と、その様子をくすくすと笑いながら見ている華琳。

それを見た桂花の中で、何かがぶちりと切れた。

 

「――冗談じゃないわ! 華琳様こそはこの世を治めるに足る英雄……いいえ、天上天下、森羅万象、大陸の全てが華琳様の為にあるのよ! 端整にして端麗、優艶にして妖艶、華麗にして可憐、気高くもお美しい華琳様のものである以上、所有される側にも相応の美が必要! 下品で不潔で愚劣で下劣、馬鹿で愚鈍で無能な存在は要らないの! そう、華琳様の僕(しもべ)は私一人で十分! 他の誰も要らない! それが春蘭や秋蘭ならまだしも、あんたみたいな……そうよ、あんたみたいな汚らわしくておぞましくていかがわしくて恥知らず――男なんか不要、不要なのよ! 死ね! くたばれ! 失せろ! 消えろ! あんたを見てると苛々するの! ムカツクの! 腹が立つの! 汚らしい男のクセに華琳様に気に入られるし! 弱っちいクセに体を張るし! 馬鹿のクセに『天の知識』とか言い出すし! 大体、なんであんたが華琳様をさて置いて皇帝になるのよ! おまけに華琳様を娶るし、挙句に孕ませるとか、ホント冗談じゃないわ!!」

 

怒涛の罵詈雑言。それだけに飽き足らず、周囲にある物を手当たり次第に一刀へと投げつける。

 

「うわっ、ちょっ、桂花! 待てって! か、華琳、何とか……」

「…………」

 

一刀が仕方なしに華琳に救援を求めたが、華琳は避難しただけで、何も口にしなかった。ただ、一刀と桂花をじっと見るのみ。

それを見て、一刀はこの桂花の爆発が、今の桂花に必要なものであることに思い至った。

 

三国の旧臣で北郷一刀へ最も不満を抱いていたのは、明らかに桂花だった。

思春同様、主君を一刀に“奪われた”形であり、まして桂花は元より極度の男嫌いかつ潔癖症。また思い込みの強さも口の悪さも一級品。

 

華琳の助言で、ある程度は内に溜め込むことを止めたとは言え、彼女の精神には強いストレスが溜まり続けていたのだ。

 

また、それだけではなく。

 

(桂花が、思春のように自分の心と向き合うには、何かしらの切っ掛けが必要だわ。なら、これは……)

 

華琳はかつて助言した時から、桂花が心の奥底に秘めた、もうひとつの真実に気付いていた。

そして、この逆上こそがその切っ掛けになると確信していた。

故に彼女は一言も発さず、一刀を庇うこともせず、桂花が心の内に溜め込んだものを全て吐き出すのを聞き続けたのだ。

 

一刀もそれに思い至り、極力回避もせず、じっと桂花の言葉に耳を傾けた。

 

 

……

 

…………

 

 

「どうして、あんたなの……? どうして、華琳様の隣にいるのが、あんたなの? 後から来たクセに、私から華琳様を取らないで……。私は、私は……っ!」

「……そうだな。ごめんな……」

「謝らないでよ! そんなの、余計に惨めじゃない……!」

 

少女の両の手が弱弱しく一刀の胸を叩く。

桂花は、いつしか語調も弱くなり、一刀の言葉にも反応するようになっていた。

 

「華琳様が幸せそうにお笑いになるのも。曹丕様がお生まれになったのも。どちらもあんたがいたからだって、それが分かるから! だから余計に憎らしいのよ……!」

「うん……いいんだぞ、俺を恨んでくれても」

「そういう物言いもムカツクのよ! 恨んだって、憎んだって、呪ったって、現実は変わりはしないんだから……」

「……そっか。俺に出来ること、ない?」

「……私が華琳様に捨てられたら、全部あんたのせいなんだから……! 責任取りなさいよ……!」

 

「――桂花」

 

とうとう俯いた桂花を後ろから抱き締め。華琳がそっとその名を呼ぶ。

髪を、頬を撫でる優しい手のひらに、桂花は目を瞑った。

 

「か、りんさま……」

「そうね。一刀のせいで桂花は今までずっと苦しんできたのですもの。一刀はその責任を取るべきだわ」

「桂花の苦悩が俺のせいなら、勿論責任は取るよ。でも、どうしたらいい?」

「一刀がはっきりすればいいだけでしょう。あなたから告白なさい」

「……何を?」

「まさか、あなたまで気付いていないとでも……いや、それこそ一刀なら有り得る話ね……」

「どゆこと?」

「(はぁ……本当に世話が焼けるわね……。それとも、私が関係を一足飛びさせてしまったのが良くなかったのかしら……)」

 

呆れたように溜息を吐いた華琳は、きっと表情を改め、一刀をびしりと指差す。

 

「一刀。あなたは桂花のことを、どう思っているのかしら?」

「俺が、桂花を……?」

 

戸惑うように、どこか呆然と桂花を見遣る。桂花もまた、同じような表情で一刀の顔を見上げていた。

 

常に自信に満ちた小柄な身体。面食いの華琳も愛する容貌。『王佐の才』と謳われた才人の一人。

華琳を崇拝する、男嫌いの潔癖症。策は冷静なるも激し易く、きいきいと騒ぐ姿は小動物っぽくもある。

しばしば口汚く罵られるが、それは華琳を取られまいとする威嚇であり、逆を言えば、それだけ自分の力を認めてくれているのだろうと一刀は考えていた。

 

だからこそ、男が華琳と付き合う(色々な意味で)なら桂花に目を付けられるのは仕方ないことだと、一刀は騒ぐ桂花にツッコミ入れたり、罠を回避したり、適当にあしらったり、スルーしたりしながら付き合ってきた。

散々酷いことも言われたが、腹を立てることはあっても一刀が彼女を忌み嫌うことは無かった。

結局のところ、一刀の無節操さが桂花の狭量さに勝った、ということなのだろう。

 

これまで、一刀は桂花を大事な『仲間』の一人として触れ合ってきた。

だが、それだけで彼女を抱くことは出来なかった筈だ。

華琳の策略に嵌まったとは言え、自分の意思で桂花を抱いたのは。

自身の慕情と。自分を受け入れようとした、桂花の雰囲気があってこそ。

 

「ああ、そうか。そうだったんだな……。」

 

そう、あの時から、もう一刀の心は定まっていたのだ。

 

「桂花。俺――おまえが好きだ。華琳に言われたから、とかじゃない。気付いてなかっただけで、もうずっとずっと前から。俺は桂花が好きだったんだ」

「――……」

 

普段ならばすぐにでも噛み付くだろう桂花は、茫然自失として一刀の顔を見上げ続けていた。

その表情は、信じられないものを見ているようで、桂花をより幼くさえ見せていた。

 

だが、その瞳は確かに潤んでいて。

 

一刀が手のひらを、桂花の頬に当てても、微動だにせず。

 

そのまま、一刀の唇を受け入れた。

 

 

 

「ぶぁ……」

 

暫くして一刀から唇を離した桂花を、華琳が背後から抱き締める。

 

「華琳さ、ま?」

 

華琳は優しげに桂花へ微笑みかけ。

 

 

「桂花。やっとあなたも“心から”一刀が好きになったのね――」

 

 

小さく、そう呟いた。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

あの後。正気に返った桂花は、今更のように言い訳を口にしたが、当然華琳も一刀もそれを額面通りに受け取る筈もなく。羞恥に身悶えする桂花を、一刀と華琳で散々弄り倒したのだった。

あの出来事からはや二ヶ月。ようやく桂花も自身の心の整理が出来つつあった。

 

(私の至上命題は、私が華琳様にとって第一の僕であること。その為にあいつが必要なら、それは仕方ないことよ。他の男よりは、断然マシだし……)

 

この期に及んで、素直ではなかったが。

邪念を振り払うように、頭(こうべ)を振った桂花は、僅かにふらついた。

 

「め、眩暈が……貧血かしら? それもこれも、全部アイツのせいだわ……!」

「どうしたんだ、荀彧?」

 

身を持ち直そうと壁に寄り掛かった桂花に声を掛けたのは、御殿医の華佗だった。

 

「……あんたこそ、どうして此処に?」

「相変わらず警戒心剥き出しだな……。俺は賈駆の検診に向かうところだ」

「詠の……そう。で、どうなの?」

「今のところ、これといった問題は無いな。健康そのものだ。それで、君はどうして壁に寄り掛かっている?」

「……何でもないわ。放っておいて」

「そうはいかない。五斗米道の医者として。皆の『仲間』として。見過ごすわけには……」

「――触らないでっ!」

「心配するな。五斗米道には、見るだけで相手を診断する技もある!」

「男に見られるだけでもイヤなのよ!」

「うぐっ。そ、そこまで拒否されてしまうと困る……。五拍だけ我慢してくれないか?」

「拍?」

「心の臓が脈打つ時間だ。五回脈打つ間だけ、我慢してくれればいい」

「…………。それくらいなら、なんとか我慢してもいいわ」

「君の男嫌いも筋金入りだな……。よし、ならば……」

「但し!」

「……但し?」

「暑っ苦しいから、叫ぶのは禁止」

「ええっ!? そ、そんな無茶な!」

「何が無茶……うぅっ」

 

叫ぼうとしたのがいけなかったのか。桂花は額を押さえて、ずるずると床に座り込んでしまった。

 

「これはいかん! はぁぁぁぁぁっ! ――見えたっ! こ、これは!?」

「うぅ、くらくらする……で、何よ。まさか、病気でも見つかったの?」

「いいや。おめでとう、荀彧」

「はぁ?」

「君は妊娠している。経過にしては悪阻が出るのが随分早いが、異常という訳でもないから、心配は無用だ」

「(ぽかーん)」

 

あんぐりと口を開けたまま、言葉も無い桂花。

そこへ、先程の華佗の雄叫びを聞いた一刀が様子を見に来た。

 

「やっぱり華佗か。さっきの声って、診察かい? って、何で桂花は座り込んでるんだ?」

「ああ、一刀殿。心配は要らないぞ」

「そうなの? 華佗がそう言うなら……って、“殿”はもう要らないって言っただろ? 友達なんだから、呼び捨てでいいって」

「おっと、そうだったな。……ごほん、では改めて。一刀、おめでとう」

「え? 何が?」

「荀彧の妊娠を確認した。うんうん、喜ばしいことだ!」

「マジでっ!? やった! やったな、桂花!!」

「あ、う、え、ええ……こ、ども……私の、子……」

 

呆然としていた桂花は、ぽつりと呟いて自分の腹を見詰め、大きく息を吐いた。

 

「……そう。とうとう私、あんたに孕まされたって訳ね……。ふふっ、いよいよ私も母親、か……。……。…………。え!?」

 

一刀が見たことの無い程、穏やかな様子で独り言つ桂花だったが、はっとして突如声を上げた。

 

「ど、どうしたの、桂花?」

「どうしたの、じゃないでしょう! 私が産休したら、誰が『大運河』の開削計画立てるのよ!?」

「……あー」

「“あー”じゃないわよ、この無計画種馬野郎がぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「入るよ、桂花」

 

一刀は一声掛けてから、彼女の私室の扉を開く。

室内は灯の光で薄暗く照らされている。正面にはカーテンのように天井から幕が掛かっており、私物を隠している。右手奥の寝台の手前には、この明度でも分かる程に煌びやかな衣装が衣文掛けに掛けられていた。

そして、部屋の中央に立つ桂花。

 

(……私服、か……)

 

皇帝としての正装姿の一刀は、桂花の服装を見て、こっそりと溜息を漏らした。

 

妊娠と診断され、ようやっと覚悟を決めた桂花が、一刀との結婚を承諾したのが数日前。それを受けた、中常侍や宮廷儀式を司る九卿『太常』以下の侍従による突貫準備を経て、本日の夕刻から婚礼の挙行と相成ったのだ。

 

だが、眼前の花嫁は、その衣装を纏わず普段着のまま。

 

「来たわね、北郷一刀」

「うん」

「改めて言っておくわ。私、荀文若が真に仕えるのは曹猛徳様――華琳様、唯お一人」

「そうだね」

「……。同じく、私が真に愛するのも……華琳様だけよ」

「そう、だね」

「……っ」

 

婚礼での言葉とは思えぬ桂花の発言にも、素直に同意する一刀。しかし、その淡白な返答に反するように、彼の表情は寂しげで。桂花は僅かに動揺し、ぷいと顔を逸らした。

 

「とっ、兎に角! 私がアンタと……け、けっ、結婚するのは、飽く迄もこの子の為――分かってるんでしょうね!?」

 

自らの腹部に手を当て、突き放すように言い放つ桂花だったが、その言い様は、余りにも普段の桂花そのもので、却って一刀は安心してしまった。

 

「ははっ、はいはい、分かってるよ。……分かってるから、出来たら花嫁衣裳、着てくれない?」

「いやよ」

「即答っすかー」

「当たり前でしょ! ……ほら、さっさと指輪出しなさいよ!」

「カツアゲかよ……」

 

一刀が懐から指輪の入った小箱を取り出し、そこから純金製の結婚指輪を手に取る。すると。

 

「てぇい!」

「おっと」

 

軽い音を立てて、木製の小箱が床に落ちた。

桂花が一刀の右手に摘まれた指輪を奪い取ろうと、両手を前に身を乗り出したのだ。

だが、一刀も相応に修錬を積んだ人間である。軽々とそれを回避し、突き出された桂花の左手を逆に捕らえた。

 

「なにすんの」

「う、うるさい! 放しなさいよ!」

「雰囲気も何もあったもんじゃないよ、もう。桂花らしいっちゃらしいけどさ」

「あっ!?」

 

困ったような、微笑ましいような。薄く笑みを浮かべた一刀は、そのまま桂花の左手、その薬指に指輪を嵌めてやった。

 

「手順が違っちゃったけど……受け取ってくれ、桂花」

「…………」

 

桂花は半ば呆然と自身の指に嵌められた指輪を見詰める。ゆっくりとその事実を受け入れた桂花は、不意にその表情を緩めた。

 

「あ」

「っ! な、なによ?」

「桂花、今笑った?」

「わ、笑ってないわよ! そんな筈ないでしょ!?////」

「えー、そう? まぁいいか。えーっと、手順が狂っちゃって、次どうすりゃいいんだろ……本当なら指輪の前に部屋の移動だったんだよなぁ」

「このっ、無視ばっかり上手くなって……! 言っておくけど、アンタの閨になんか行かないわよ!」

「花嫁衣裳も着てないもんな……。となると、あとは……」

 

一刀の視線が桂花の唇に注がれる。残る手順は、誓いの口付けのみ。

視線の意味を悟った桂花は、一度大きく深呼吸してから、何かを覚悟するように、全身を緊張させながら口を開いた。

 

「……北郷一刀。こっちへ来て。目を、瞑りなさい」

 

桂花の言わんとすることを察した一刀は、彼女の言う通りに寝台とは逆側、入り口側の壁沿いへと移動し、目を瞑った。

 

「……下を向いて。少し、屈んで」

「うん」

「じゃあ……」

 

桂花の接吻を待つ一刀に、桂花は勢い良く駆け寄り……

 

「悶絶しろッ!!」

 

ごす。

 

「ふぐぅ!??」

 

桂花の気合の籠もった掛け声と共に。彼女の右足が、一刀の股間にめり込んでいた。

 

「お、お、お、おぉぉぉ……お、まえ、なん、て、こと、をぉぉぉ……」

 

絶え間ない激痛に顔は真っ青。口から漏れる細い悲鳴は、痛みを紛らわすように高音と低音を行ったり来たり。

一刀は堪らず、股間を両手で押さえながら膝から崩れ落ちた。

 

「――北郷、一刀っ」

 

そんな一刀の顔を両手で無理矢理上を向かせ。

 

「んっ――」

「!?」

 

桂花の唇が、一刀のそれに押し付けられていた。

 

(な、に、が――)

 

下腹部の特異な激痛。小さな手に押さえられた頭。全く力の入らない足。柔らかい感触が心地良い唇。背筋を走る悪寒。鼻腔を擽(くすぐ)る年若い女性特有の香り。ちかちかと星瞬く視界。触れ合う唇から伝わる体温……

 

(あの、桂花が、自分から、俺に――)

 

一刀は、桂花に口付けされていることを理解し、全身の不調すら一時忘れ、思わず瞳を潤ませた。

 

のだが。

一刀が自分も桂花の身体を抱き締めようと身を起こそうとすると、桂花はばっと身を離してしまった。

 

「……桂花?」

 

部屋の奥へと走った彼女が視界を遮っていた幕を引っ張る。すると、幕は容易く天井の固定具から解かれ、ぱさりと床に落ちた。

そして、その向こうから姿を現したのは。

 

「無様ですのー、へぼ皇帝」

 

燭台を手にした音々音と、跪いた一刀へと暗い口を向ける大きな筒――打ち上げ花火用の打ち上げ筒――だった。

 

「ねね……? な、何を……」

「まあお前に恨みは……無い訳ではないですが。お桂の頼みとあっては仕方ないのです。花火と共に散るが良いのです」

 

色んな意味で顔面蒼白の一刀。

どこか楽しげな音々音。

そして。

 

「北郷一刀! ふっとんで……記憶を、失えぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

ヒステリックに叫ぶ、顔を真っ赤に染めた桂花。

 

「あ、ま、待って……」

「誰が待つものですか! やりなさい、ねね!」

「了解なのです。では……点火~~!」

 

ドオォォォォォォン!!

 

轟く爆発音。破壊された扉から、もうもうと煙を吐く桂花の私室。

十キログラム以上の土の塊に吹き飛ばされた一刀は、その身で扉を打ち破り、庭で倒れていた。

……流石の音々音も、本物の花火を使用することは止めたらしい。

 

「照れ隠しにも、程があるだろ……(がくり)」

 

 

一刀は気絶こそしたものの、次の日にはけろり。無茶をした二人には軽い拳骨ひとつで済ませた。

桂花と音々音は、室内で花火を使用した罰として、三日間の謹慎及び向こう三ヶ月の減俸処分となった。

最後に。

お仕置きと称されて華琳の寝間に呼ばれた桂花は、ここ暫く見たことがない程に――まるで何かから解放されたような――それはそれは良い笑顔だったそうな。

 

そこは余りに広い空間だった。

前後左右どこを見ても、目に映るのは高い高い天井を支える、一定間隔に配置された無数の柱と、どこまでも続く闇。

一見、神殿のような建物の内部は、荘厳ではあるがどこか寒々しい。

 

その一角に、光があった。

それは床にスクリーンのように映された映像だった。

映像の中では、青年が少女に股間を蹴り上げられている。

 

「あらぁん、荀彧ちゃんったら素直じゃないわねぇ。ご主人様も災難なこと。ぬふふふふ♪」

 

その映像を見て、不気味な笑い声を上げるのは、声と同様、不気味な巨漢。

鍛えに鍛えられた、見事な肉体。元からなのか剃っているのか、これまた見事な禿頭。なのに何故か三つ編みにされた揉み上げ(リボン付き)。きっちりと整えられた顎鬚(あごひげ)。身に付けているのは、ピンクの紐パンとサンダルのみ。

にも拘らず、その仕種はいちいち女性っぽいというアンバランスさ。

……ぶっちゃけ、カマっぽい。

 

「貂蝉! 貴様、また『外史』を見ているのか!」

 

カマくさい男を貂蝉と呼ぶのは、これまた不気味な巨漢であった。

貂蝉にも劣らぬ肉体。美豆良(みずら)に纏められた白髪。ぴんと屹立した口髭。襟の立った燕尾服の上着は、はちきれんばかりの筋肉によってぴちぴちに張っており、腕と背中以外を隠せていない。その上で白のマイクロビキニとハイソックス、そしてローファーの革靴。

やはり女性的な所作がカマくさい。

 

「もう、卑弥呼ったらぁ。カタイことは言いっこなしよぉん♪」

「『遠見の水鏡(みずかがみ)』は彼奴等に隙を見せることになると言ったではないか!」

「だぁってぇん。ここ暫く、ご主人様と“夢”で逢えてないんですもの。貂蝉寂しいっ」

「気持ちは分かるがな。もう少しの辛抱ではないか。ようやく奴と連絡も取れたのだ」

「うーん……正直、あのひょろっ子ちゃんに頼み事はしたくなかったわぁ……」

「背に腹はかえられまい。“中立”の奴めがこの『外史』に居たこと自体、僥倖であったわ」

「そうなのよねぇ……」

「そもそも、この『外史』は大きくなり過ぎたのだ。我が呪力を以ってしてもカバーしきれぬとは……。しかもまだまだ膨れ上がるのは目に見えておる」

「ぬぅふん♪ さっすがはあたしのご主人様♪ ああっ、早くお逢いしたいわぁん(くねくね)」

「ふん。儂とて、早くだぁりんに逢いたいのだ。余計な呪力を使うでないぞ?」

「分かったわよぉ。……まずは、また“夢”で逢いましょう。ご主人様――」

 

キモ過ぎる投げキスで、光は消える。

残ったのは、水に濡れた床と、佇む闇だけ。

巨漢二人の姿もまた、この場から消え失せていた――

 

 

 

(~土~に続く)

 

【アトガキならぬナカガキ ~火~】

ご無沙汰しております、皆々様。茹だる様な暑さで体調を崩されてはいませんか。四方多撲でございます。

 

二ヶ月という間隙を作ってしまいました……が、ようやく第24話の火編をお送り致します。

 

 

早速ですが、補足をば。

 

●真名命名の設定

これはこの外史のオリジナル設定となります。さて、何故このような設定になったかと言いますと。

第4話あとがき演義にて『子供達には真名を設定しない方向で考えている』と書きましたが、これを撤回するやも知れない為です。

実は既に全員分の真名を考えてあるのですが、ここで問題が。

 

それは“璃々”が真名でない可能性があることです。

子供には真名の設定が重過ぎること、公式において真名とは一度も明記されていないこと、などからこれは『幼名』ではないか、と筆者は考えています。

 

ところがですね。“璃々”が『幼名』だとすると、真名の命名時期やら(本作では既に璃々は八歳)、それに満たない子の『幼名』の設定やら。状況的にしっくりきて、かつ分かり易いという設定は難しい。

 

という訳で、この外史では『“璃々”は真名』とした上で、本文のような命名設定と致しました。

 

なお、子供らの真名を採用するかどうかはまだ未定です。加えて、採用するとしてもそれは子供編からであり、この本編では一切使用致しません。

 

 

 

正直言って、企業の対応含め残念な出来だった萌将伝ですが、ワイワイ成分は補充出来たから良し!

イチャイチャ成分が足りなかったという人が満足できるよう、これからも甘々な話を書き続けたいと思います^^

それではまた次回、「~土~」編でお逢い致しましょう!

 

四方多撲 拝

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
131
30

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択