番外編・蜀の日常 其の二 ~~桃香の腹ペコ大冒険~~
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「あぅ゛~~。」
この日、執務室で仕事に追われていたのは桃香だった。
その向かいには一刀の姿はない。
一刀は今、街の視察に行っていて今日は夕方まで帰ってこないのだ。
最近少しずつ賑やかになってきた街の様子を一度見ておいた方がいい、という話になったのだが、もちろん仕事は山のようにあるので一刀と桃香が二人して城を開けるわけにもいかない。
そこでどちらが街に行くかを賭けてじゃんけんをした結果、桃香が城に残ることになったのだった。
「・・・ご主人様、今頃楽しんでるんだろうな~。」
もちろん護衛は付いているのだが、視察という名目で仕事から解放され、のんびりしているであろう一刀の姿を想像すると羨ましくなった。
「はぁ~、私も一緒に行きたかったよ・・・」
羨ましいというのは建前で、本音はこっちだ。
別に街に行きたかったというわけではなく、ただ一刀と一緒にいられればそれで楽しいと思っていた。
「・・・落ち込んでたってしょうがないよね。 早くお仕事終わらせなきゃ!」
“ぐっ”と拳を握り、気合を入れる。
その瞬間・・・
“ぐぅ~”
桃香のお腹が小さくなった。
「あぅ・・・」
入れたばかりの気合が、風船がしぼむように一気に抜けた。
「・・・そういえば今朝はごたごたしてたからご飯食べてないもんね・・・」
自分のお腹に手を当てて小さく呟く。
「お仕事の前にお昼ご飯にしよう。」
そう言って席を立とうとした時、“コンコン”と扉が叩かれた。
「桃香様、入ってもよろしいですか?」
「愛紗ちゃん? どうぞ~。」
「失礼します。」
扉を開けて入ってきた愛紗の手には、結構な量の書簡が抱えられていた。
「どうしたの?愛紗ちゃん。」
「桃香様に急ぎ目を通していただきたい書類がいくつかありましたので、お持ちしました。」
そう言って、愛紗は抱えていた書簡を机の上に置いた。
“ドサッ”という鈍い音が、書簡の量の多さを物語っている。
誰がどう見ても『いくつか』で片づけていい量ではない・・・恐らく愛紗以外は。
「え!?こんなに?」
予想以上の量に、桃香は目を丸くする。
「・・・ねぇ、愛紗ちゃん。 これ、今すぐじゃないとダメ・・・かな?」
「申し訳ありませんが、こちらも急ぎですので・・・今はご主人様もおられず大変だとは思いますが、どうかよろしくお願いします。」
「あの・・・でも私、今ちょっとお腹が・・・」
「では、私は失礼します。 お願いしますね、桃香様。」
「あ、愛紗ちゃん!?」
“バタン”
桃香の話を聞く前に、愛紗は部屋を出て行ってしまった。
「えぇ~~~!?」
机に積まれた書簡を見つめて、桃香は泣きそうな声を上げた。
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“ぐぅ゛~~“
鳴りやまないお腹を押さえながら、桃香は廊下を歩いていた。
「はぁ~~・・・やっと終わったよぅ。」
愛紗から渡された書簡をすべて片付けた時には、完全に正午を過ぎていて、もはや遅れ気味の昼食を求めて厨房へと向かっていた。
「あ、桃香様!」
「!・・・朱里ちゃん、雛里ちゃん。」
廊下の角を曲がったところで、朱里と雛里に会った。
「・・・よかった。 ちょうど今桃香様のお部屋に伺うところだったんです。」
「私に何か用?」
「はい。 以前から言っていた隊の編成案がまとまりましたので、お耳に入れておこうかと思いまして。」
「あ、あぁ・・・えっと・・・今から?」
「・・・はい。 桃香様の許可がいただければ、すぐにでも実践に移せますので・・・」
「う~ん・・・でも、その・・・」
仕事熱心な二人には申し訳ないが、この間にも桃香のお腹は小さく音をたてていて、できることなら先に何か食べてからにしたかった。
「もしかして・・・お忙しかったですか・・・?」
「へ?」
朱里と雛里は、泣きそうな顔で上目づかいをしてくる。
そのあまりの破壊力に、ついに桃香は心の中で降伏した。
「い、いやいや・・・そんなことないよ!?」
「・・・本当ですか?」
「うん。 だから二人のお話聞かせて?」
「はい!ありがとうございます♪」
笑顔の二人に連れられて、桃香は再び執務室に戻ることになった。
「(とほほ・・・私、いつになったらご飯食べれるんだろう・・・)」
―――――――――――――――――朱里と雛里との話し合いは、時間にしてだいたい一時間ほどだった。
話し合いと言っても、朱里と雛里の意見を桃香が一方的に聞いているだけのものだ。
二人には気づかれずに済んだが、結局話し合いの間も桃香のお腹はずっと鳴りっぱなしで、そのせいでほとんど内容は頭に入ってこなかった。
最終的に隊の編成案については二つ返事で承諾し、二人は満足そうな顔でお礼を言って去って行った。
“ぐるる~~”
「はぅ~・・・お腹すいたよぉ~。」
お腹の音は昼間よりも大きくなっていて、右手でお腹を押さえる桃香の顔にいつもの笑顔はなかった。
「あ!桃香おねえちゃ~んっ!」
「!・・・鈴々ちゃん?」
再び厨房へと向かう途中で、中庭にいた鈴々に呼びとめられた。
今までの経験から、桃香はどことなくいやな予感がしたが、呼ばれたのに無視するわけにはいかない。
重い足取りで、中庭で元気に手を振る鈴々のところへ歩いていく。
「どうしたの?こんなところで。」
「うん、ちょっとお願いがあるのだ。」
「な、何・・・?」
いやな予感が当たったと内心後悔しつつ、恐る恐る聞いてみる。
「今日は暇だったから、侍女のお姉ちゃんに保存用の干し肉が猫に食べられないように見張っててくれって頼まれたんだけど・・・」
そう言って鈴々が指さす先には、確かに干し途中の肉が並べられていた。
「ちょっと用事を思い出したから、その間代わりに見張っててほしいのだ。」
「えぇ!私が!?」
「すぐに戻るから、じゃあ頼んだのだ!」
「あ、ちょっと・・・鈴々ちゃん!?」
桃香の呼びかけには答えず、鈴々はそのまま走り去ってしまった。
愛紗の時といい、仮にも姉妹の契りを結んだ姉である自分に対しての二人の扱いに、少し悲しくなってきた。
「ふえぇ~~ん、私のご飯は~~!?」
―――――――――――――――――すぐに戻ると言った鈴々が帰ってきたのは、空が赤く染まりはじめた頃だった。
もちろん、干し肉の見張りをしていたのだから目の前に食料はいくらでもあったのだが、仮にも当主である自分が保存用の食料をつまみ食いするわけにはいかない。
結局、見張りをしている間中お預けにされた犬状態で、空腹はさらに増すばかりだった。
“ぎゅるる~~”
「は・・・早くなにか食べないと・・・」
再び厨房に向かって歩いていると、今度は反対側から星が歩いてきた。
「おぉ、桃香様。」
「せ、星ちゃん!?」
「ちょうどよかった。 実は・・・」
「ご・・・ごめん!!」
“ダーーーーッ!!”
もはや誰かに会うと条件反射的に何か頼みごとをされると感じていた桃香は、どこにそんな体力が残っていたのか、星が何かを言う前に全力で走り去ってしまった。
星はあっけにとられながら、桃香が走って行った方を見つめ首をかしげる。
「・・・はて?せっかく珍しい酒が手に入ったのでたまには一緒にどうかと思ったのだが・・・振られてしまったか。」
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「はぁ・・・はぁ・・・や、やっと着いた・・・」
星には悪いことをしたと思いながらも、桃香はやっとの思いで厨房にたどり着いた。
執務室から厨房までは、普通に歩けばものの数分もあればつくはずなのだが、今日の桃香にはとてつもなく遠い道のりに思えた。
「すいませ~ん・・・何か食べるものないですかぁ?」
力のない声で、厨房で働く娘たちに声をかける。
空腹の上に、先ほどの慣れない全力疾走で桃香の体力はすでに限界だった。
「こ、これは劉備様!?食べるものですか?・・・そ、それがですね・・・その・・・」
「・・・どうかしたんですか?」
娘は困った表情を浮かべ、言いにくそうに言葉をつづけた。
「実は・・・かまどが壊れてしまいまして・・・何も作ることができないのです・・・」
「えぇ゛ ~~~~~~~~~!?」
予想外の事態に、桃香は今日一番の声を上げた。
「も、申し訳ありません!夕餉の時間までには何とかいたしますので!」
「うぅ゛・・・はい。」
娘は何度も頭を下げて謝罪する。
ここまで来ると、誰かが自分に食事をさせないために裏で糸を引いているのではないかと疑いたくなってくる。
だがここで我がままを言ったところでどうにもならないことは分かっているので、桃香は目の端に涙を浮かべながらも大人しく頷いて厨房を後にした。
―――――――――――――――――桃香は壁に手をつきながら執務室へと向かっていた。
“ぐぅ~ぎゅるる~”
「も、もうダメ・・・かも・・・。」
もはや腹の虫が鳴いているという次元ではない。
さながら胃袋の中で虫たちが大合唱していた。
「私・・・このまま死んじゃうのかな・・・。」
普通に考えれば、一日何も食べなかったぐらいで死ぬことなどないのだが、桃香は本気でこのまま死んでしまう気がした。
いっそのこと街に行って何か食べようかとも思ったが、もはやそんな体力など残っていない。
「・・・桃香?」
「・・・へ?」
ふと聞こえた声に、うなだれていた頭を上げる。
「何してんだ?こんなとこでろで。」
「・・・ご主人様・・・?」
そこに立っていたのは、視察から戻ったばかりの一刀だった。
一刀はフラフラと歩いていた桃香を不思議そうに見つめている。
「どうしたんだよ、元気ないぞ?・・・あ、そうだ!」
一刀は何かを思い出したように、手に抱えていた紙袋を前に差しだした。
「おいしそうな肉まんがあったからお土産に買って来たんだけど、食べる?」
「・・・・・・・・・・」
「・・・桃香?」
一刀の言葉を聞いたとたん、桃香はじっと一刀の持っている紙袋を見つめたまま固まった。
一刀は少し心配になって桃香に歩み寄る。
「桃香・・・」
「・・・うぅ゛」
「へ?」
一刀が桃香の肩に手を伸ばそうとすると、桃香の目にじわりと涙が滲んだ。
「うわ~~~~ん!ごしゅじんさまぁ゛~~~~~っ!」
「うわっ!ちょっ・・・桃香!?」
桃香は突然泣き出して、一刀に抱きついた。
不意に抱きつかれた一刀は、倒れないように桃香を支えながら何とかバランスをとる。
「・・・どうしたんだよ、いったい。」
「う゛~~・・・ぐすっ・・・」
戸惑いながらも泣いている桃香の頭を優しく撫でながら尋ねる一刀だが、桃香は質問には答えずしばらくそのまま泣いていた。
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「あっははははっ。 そりゃあ大変だったね。」
「モグモグ・・・ゴクン!・・・もぉ~~、笑い事じゃないよぉ。 本当に死んじゃうかと思ったんだから!」
中庭の木に持たれて座って笑う一刀の横では、桃香がハムスターのように頬をパンパンに膨らまして肉まんを頬張っていた。
「ごめんごめん。 ほら、たくさんあるからどんどん食べな。」
「うん・・・あ、でもご主人様は?」
もういくつ目かになる肉まんを手にとって口に入れようとしたところで、思いついたように手を止めた。
「俺はいいよ。 街で食べて来たから。」
「でも・・・」
「お腹空いてるんだろ?だったら桃香が全部食べなって。」
本当は城のみんなで分けようと思って買って来たのだが、桃香の話を聞いて全部あげてしまおうと決めた。
もちろん他の皆には内緒だ。
特に鈴々あたりにバレたら大変なことになる。
「・・・ほんとにいいの?」
「もちろん。」
「ありがとう!ご主人様♪」
一刀が笑顔で頷くと、手に持っていた肉まんを“ばくり”。
桃香がこんなに食べるのは珍しいので、見ている一刀もなんだか嬉しかった。
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「はぁ~・・・おなかいっぱい♪」
「そりゃよかった。」
しばらくして、桃香は見事に紙袋の肉まんを平らげていた。
満足そうにお腹をさすって満面の笑みだ。
桃香は隣に座る一刀の肩に“コテン”と自分の頭をのせた。
「・・・桃香?」
「ふぁ゛~・・・食べたらなんだか眠くなってきちゃった・・・。」
目をこすりながら、小さなあくび。
「はは、ならこのまま寝てもいいよ。 少ししたら起こしてあげるから。」
「ホント? じゃあお言葉に甘えちゃおうかな~~。」
一刀の肩に頬を擦り寄せ、桃香は気持ちよさそうに目を細める。
「・・・ねぇ、ご主人様。」
「ん?」
「・・・ありがとう♪」
そう言った桃香の顔が赤く見えたのは、恐らく夕陽のせいだけではないだろう。
そのままゆっくりと目を閉じると、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。
「ありがとう・・・か。 まったく・・・それはこっちの台詞だよ。」
自分の肩で眠る桃香の顔を見つめながら、一刀は小さく呟いた。
この世界に来て数カ月、桃香たちには本当に助けられてばかりだ。
見知らぬ世界に飛ばされてわけも分からずにいた自分を招き入れてくれたばかりか、自分を主人と慕い、どこまでも付いていくと言ってくれた。
そんな彼女たちの恩に、自分はまだ少しも報いていない。
だからこそ、これから戦い抜かなくてはいけない。
目の前で眠る優しい少女が、いつまでも笑顔でいられるように・・・
「ありがとう、桃香。」
甘い香りのする桃色の髪をなでながら言ったその言葉は、夢の中の彼女に届いただろうか・・・
そんな事を考えながら、一刀は遠い空に沈んでいく夕陽を眺めていた。―――――――――
―――――――――――――――――――桃香はすっかり忘れていたが、この日は一日中城をさまよっていたため当然仕事は終わっておらず、後で愛紗にこってりと説教されたことは言うまでもない。
だが愛紗の説教を苦笑しながら聞く桃香の胸の内は少しだけ温かく、夢の中で聞いた誰かの優しい声がずっと響いていた。――――――――――――――――――――――
~~一応あとがき~~
えぇ~、いかがだったでしょうか?
桃香ってあんまり食べるイメージなかったんでどうかなぁとは思ったんですが、自分ではまぁいいかなと満足しておりますww
さて、次回は本編に戻りますが、次は原作をほとんど無視したストーリーに入ります。
そして、あの二人が登場! どうかお楽しみにww
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ここで拠点話、蜀の日常第二弾!
前回書いたとおり、今回の主役は桃香です。
ちょっと桃香のイメージと違う部分があるかもしれませんが、お許しください (汗