真夏の茹だるような熱から逃れようと、芽衣は何も考えずに本屋に飛びこんだ。
「くーっ! 梅雨が明けたら一気に暑くなりやがって」
忌々しく呟きながら、クーラーの良く効いた店内で伸びをする。額から塩辛い水が垂れる。インドア派で元々白い彼女の肌は、ここ数日の刺さるような陽光で黒くなってきている。
嫌だなぁと思いつつも、日焼けどもの恐ろしい白さに戦慄き、彼女はそれを塗るつもりは毛頭無い。いっそあの白さは毒なのではないかとすら、芽衣は思う。
「ほとぼりが冷めるまで、雑誌でも読むか」
入口付近の折り畳み傘、人気のハードカバーの棚を抜けて、彼女は一直線に雑誌売り場を目指す。もちろん購入する気はない。
アイドルの写真集売り場、検定書、大学受験の赤本。それぞれの売り場に固まる高校生を見て、ふぅん、と意味のないため息を吐く。
四人グループのアイドルの写真集の売り場でわいわいと騒ぐ、そう賢いわけではないお嬢様高校の七谷の生徒。アイドルに興味のない芽衣にとって、何がよいのかは理解不能だ。もっとも、理解できていたのなら彼女が女子の輪からはぐれることはなかっただろう。
検定書の前にいるのは、私立高校の宝凰学園の生徒だ。超有名大に受かる人から地方の国立大に逃れる人もいる、生徒数の多い彼らの学力レベルは幅広い。芽衣の目指す高校だ。
赤本の前には、市立四ツ丘高校。語るも虚しい超ハイレベル。
「我ながら、随分詳しくなった」
とはいえ、進学先を一本に絞ってしまった彼女にはもう関係などない。
「さーて、久々に……」
雑誌コーナーの前に立って仁王立ちし、芽衣は目的の雑誌を探し始めた。
『人気アイドル・エリー(19)に恋人発覚!? お相手は人気若手俳優――』
雑誌の表紙にでかでかと書かれたその字を見て、芽衣は動きを止める。芸能界でエリーと言えば、彼女の叔父が『マイスウィートエンジェル』と言って憚らないあのエリーに他ならないだろう。
「うっわ、清純派アイドルで売っているのに……」
これが真実だろうと偽りだろうと、今をときめく超絶人気アイドルの看板もがた落ちだろう。落ちぶれたアイドルの行く末など、語らずとも誰それが考えれば分かる。
少しだけ胸がすっとした気分になって、芽衣はそんな自分の愚かさに滅入った。
――どうして。エリーが応仁の興味を全て惹いているから?
「けれど、これじゃ応仁が可哀想だなぁ」
あの熱狂的なファンである叔父は、どういう反応を示し、落ち込むのだろうか。
梅雨が明けたというのに、どうしてか気分は土砂降りだった。
気だるい日差しが最も生き生きと照らす昼過ぎ。応仁は黙って垂れ流した汗をハンドタオルで拭いた。職業柄、会社を去るのが早いのはいいことだが、夏場の蒸し暑い中帰宅するのにはほとほと困り果てる。
そんな彼に、周りの主婦たちや誰彼が、いぶかしんだ目を向ける。
彼は決してハローワークに通ったりしているわけではない。本当に主だった仕事が終了したので帰路についているだけだ。
「いっそ会社に居座ったほうがよかった……!」
駅に向かう最中、周りからの視線から逃れるように俯いた応仁は呟いた。
会社で全面的なクールビズを行っているので、ネクタイはない。しかし、それでも長袖のシャツやズボンは暑い。動くたびに、汗を吸ったシャツやズボンがねっとりと肌に張り付くのが気持ち悪くて、彼は思わず顔をしかめた。
脳内でエンジェル・エリーを再生する。若干、気分は爽快。
『続いてのニュースです――』
電気屋のショーウィンドウ、並べられたハイヴィジョンの中でも、一際目を引く大きなテレビが音を響かせる。続いてバックに流れた音楽に、応仁の目が煌めいた。
――これは間違いなく、エリー新曲の!
勢いよくテレビを向くと、テレビの中で彼女が踊っている歌っている笑っている。清涼感の風が応仁の全身を吹き抜ける。
『大人気アイドル、エリーに恋人発覚!』
映像の下に、赤に縁取られた白い文字が踊る。
「またやってるよ、このニュース……」
隣でテレビを見ていた、やけにくたびれた小学生男子児童が周りに言いふらすようにぼやいた。低学年を表す黄色い帽子の下に、ぶーたれたように装ったにやけた顔がある。
ニュースをよく見ているふりをして、少年は賢さをアピールしたいのだろう。芸能ニュースで感心する大人は、そうはいないだろうが。
「なー、これっていつ頃から流れてたんだ?」
「わ、なんだよにーちゃん。こんな昼間にいるなんて、ニートってやつ?」
「お兄さんは立派な社会人だよ。ほら、だからこんな暑い中でも長袖着て頑張ってるだろう」
「ふーん。で、このニュースは三日前くらいからだよ。にーちゃんも、エリーのファンか?」
ふふん、と不遜な態度が鼻につく小学生ではあったが、応仁は特に何も感じなかった。暑さは苛立ちすら抑え込む。
「ファンだよ。そりゃもう、デビューしてからずっとね」
「そー。ざんねんだったな!」
「なんでさ?」
素っ頓狂な声が、応仁の喉から出る。暑さはやはり敵だと、彼は再び認識した。
隣を見れば小学生男子児童がやけに面倒くさそうな、困った顔をしていた。応仁は黙って笑い返してやる。
「好きなアイドルが、幸せならそれでいいさ。自分がどうこうしようだなんて、傲慢だっつーの」
ぽかん、とした表情で、黄色い帽子の下からくりりとした瞳が見つめる。
「にーちゃんは、いわゆる『出来た人』ってやつだな」
「姪っ子にはぼっこぼこに言われるけどなー。俺は召使でも金づるでもないってのに」
「にーちゃんの見た目がヘタレだからだろ」
「それ地味にグサッと来る」
乾いた笑みが零れた。
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梅雨明けて、姪っ子と叔父の小さくて大きな価値観の違い。