一人はトゲの付いた巨大な鉄球を持ち、もう一人は身の丈ほどある丸い円盤のようなものを持っている。どちらも鎖や縄で繋がった武器だ。その長さが、間合いの広さを物語っている。大剣を得物とする春蘭には、不利な相手だった。
(通常の者ならば……な)
ピリピリと肌を刺すような緊張感に、春蘭は心が躍った。死ぬかも知れないという極限の中でこそ、生きているという実感が強く得られる。春蘭は、それが好きだった。
「我が名は夏侯惇! 名告る名があるなら応えよ!」
その声に、二人の少女が生気のない目を向ける。
「……許緒」
「……典韋」
感情の籠もらない、静かな声だった。きっと笑えば可愛いだろうその面にも、表情はまったくといっていいほど見られない。
「行くぞ……」
先手必勝とばかりに、春蘭は大地を蹴って一気に間合いを詰めた。そして叩きつけるように、大剣を垂直に振り下ろす。二人は左右に分かれるように飛び、春蘭の大剣は地面を大きく抉った。
「はあっ!」
「たあっ!」
許緒と典韋は、ほぼ同時に攻撃を仕掛けて来る。それぞれの得物である鉄球と円盤が、左右から春蘭に襲いかかった。
(避けきれない!)
咄嗟にそう悟った春蘭は、大剣で円盤の軌道を変え、すれ違う鉄球との間に身を滑り込ませた。鉄球に付いたトゲがわずかに腕をかするが、たいした傷にはならなかった。
「さすがに二人を相手にするには、少し厳しいな」
許緒と典韋に挟まれ、春蘭は薄く笑った。手加減をして勝てるような相手ではない。
「いいだろう。魔獣と呼ばれた我が力、見せてやる」
そう言った春蘭は、大剣を地面に突き立てた。
春蘭は拳を握り、力を込めた。
「ぐうぅぅぅ!」
歯を剥き、低く唸るような声を上げる。すると、黒髪がたてがみのように逆立ち、まるで放電するように黒い光が撥ねた。春蘭の目は血走り、手足に血管が浮き出る。
「ぐああああぁぁぁーーーー!!!!」
咆哮とともに、春蘭の肉体が疾風と化した。黒いうねりは、突き上げるような拳で許緒を吹き飛ばす。
「うぁっ!」
「でりゃああああーーー!」
宙に舞い上がった許緒の体は、すぐさま飛び上がった春蘭により地面に叩きつけられる。
渾身の一撃により、許緒は何度も地面を跳ねて転がった。空中で身をひねって回転した春蘭は、典韋の背後に両手を付いて着地する。その姿は、まさに獣だった。
感情が無かった典韋の目に、わずかな恐れが滲む。
「シュッ!」
短く吐いた息と共に、春蘭が地面を蹴る。矢のように真っ直ぐ、典韋に正面から激突した。吹き飛ばされた典韋の体は、周囲で戦っていた兵士にぶつかり地面を転がった。
その場で仁王立ちになった春蘭は、よろめきながらも起き上がろうとする二人の少女を見ながら、再び攻撃を仕掛けるべく腰を落としてゆく。しかしその時、黄巾党の本拠地からドラが鳴り響いた。
「……姉者」
いつの間にか、春蘭の後ろから秋蘭が近付いて来ていた。どうやら曹操軍の本隊が到着したため、黄巾党は一時退却のドラを鳴らしたようだ。許緒と典韋も、春蘭を気にしながらジリジリと後退している。
「ふう……」
一息つき力を抜くと、春蘭の逆立っていた髪が元に戻った。
「行け……」
二人にそう声を掛け、春蘭は踵を返し、秋蘭の元に歩きだした。
「撤退だ! 全員、戦いを止めて撤退しろ!」
まだ戦闘を続けている者たちにそう呼びかけ、春蘭は地面に突き立てた大剣を抜いた。そして秋蘭と共に並んで、殿を務めた。もっとも、相手もすでに撤退を始めており、追撃を仕掛けてくる心配はない。
「姉者のあの姿、久々に見たな」
「あの二人は、それほどの使い手だ。だが……」
「ん?」
「あの目……まるで意識がないようだった。それなのに、悲しそうにも見えたのだ」
そう言った春蘭は、気に掛けるように黄巾党の本拠地に視線を向けた。
「確かに、ほんのわずか見ただけだが、何か他の者たちとは違う雰囲気だった」
「他の連中は、これまでも戦ってきた盗賊どもと変わらない。黄巾党だろうとなかろうと、欲望のままに民を殺し、奪う輩だ。だがあの二人は、自分の意志で戦っているようではない」
「……操られている可能性があると?」
「わからん」
「ふむ……その事は、私から華琳様に話しておこう」
「頼む。私では、うまく伝えられないだろうからな」
周囲を見渡し、もう残っている兵士の姿がないことを確認すると、春蘭たちも撤退を始めた。
「華琳様は?」
「先程、孫策の部隊が合流したので、義勇軍を率いてきた劉備も交えて会議を行うそうだ。私はそれで、姉者を呼びに来た」
「そうか……。だが、いつの間に義勇軍が?」
「行軍の途中でやって来たのだ。どれほど使えるかは、まだわからないがな」
「まあいい。華琳様を待たせるわけにはいかないからな、急ぐぞ秋蘭」
「ああ――」
楽観していたわけではない。だが、思っていたよりも苦戦しそうな予感に、秋蘭は溜息を吐いて姉の後を追った。
華琳は、集まった将たちを見回した。すでに春蘭と秋蘭も戻り、桂花とともにそばに控えている。
右手には義勇軍の劉備、関羽、張飛、趙雲が並び、左手には孫策、周瑜、黄蓋が並んだ。
「まずは、孫策。こちらの提案を快く受けてもらって、感謝するわ」
「別に気にしなくてもいいわよ。お互い様だしね」
「そう。ならこちらも、約束を果たした後は遠慮する必要はないわね」
「もちろん」
華琳の視線を正面から受け止め、怯むことなく孫策は笑った。それに満足そうに頷いた華琳は、次に劉備に目を向ける。
「あなたは確か、噂になっている治癒術師の劉備と同一人物でいいのよね?」
「えっと、たぶんそうです」
「だとするなら、義勇軍を率いて戦いに赴くなんて少し場違いな気がするけれど?」
「それは――!」
華琳の言葉に、関羽が口を挟もうとする。
「関羽と言ったわね? あなたが義勇軍を率いているの? 私は報告で、劉備と聞いていたのだけれど?」
「いや、それは……」
「違うのなら黙っていなさい!」
一喝され、関羽は仕方なく引き下がった。代わりに劉備が進み出て、少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「曹操さんの言う通り、私が軍を率いるのは場違いかも知れません。戦うことが出来ないので、結局は他のみんなに任せるだけです。でもだからこそ、意味があると思うんです。私は治癒術で、みんなを助けることが出来ます。私に出来るのは、みんなを助けて一人でも多く、連れて帰ることだと思っています。率いてきたからこそ、私にはその責任があるんです」
堂々と胸を張る劉備の姿に、華琳は笑みを浮かべて目を細めた。
「ふふ。覚悟があるのなら結構よ。私や孫策の兵士たちも、治療してもらえると助かるわ」
「もちろんです!」
頷いて、華琳は改めて作戦についての話し合いを始めた。だが、天然の要害は通常の攻城戦のようにはいかず、様子を見ながら今後の方針は決めるということになった。
奇しくも、未来の王たちが揃った戦いは、ゆっくりと始まっていったのである。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
文章で躍動感を表現するのは、とても難しいと思います。それなのに、戦闘が続くという悪夢なわけです。
楽しんでもらえれば、幸いです。