季節はもうすぐ秋。
サードインパクト後、日本には徐々に四季がかえってきていた。
*
夕方の信号待ち。
カッターシャツにネクタイ姿、背広を脇に抱えたシンジは、大きくゆっくりと伸びをした。
休日出勤なんて億劫なだけだと思う。
平日に慌てふためく自分が目に見えているからやるだけのことである。
とはいえ、この仕事は家に持ち帰ってやることもできるものでもあった。それをやらないのは、彼の生来からの生真面目さからである。
私生活は私生活であり仕事は仕事、と割り切っているということである。
あの、サードインパクトから十年。
シンジは、高校の教員になっていた。
高校生のときから綾波家に養子に入り、レイとは兄妹として同居していた。
身長は百七十センチをこえ、筋肉のつきようも成年っぽくなっていた。とはいえ、どこか細い線を持っていて、依然シンジはシンジであった。そこが可愛いと女生徒にも人気があって、その彼女たちの行動力にちょっとした不祥事が起こったほどである。
シンジとしては、このときに解雇されてもかまわないという気持ちではあった。彼女の自分に対する気持ちは単に年上のお兄さんに対する憧れであると理解できていたから、故に彼女を守ることができるのであればそれもかまわないと思ったのだ。中高生であれば、誰だって身近な年上の異性が、憧憬の対象になる。その気持ちを大切にしてあげたかった。それに、プライドをもって選んだ職業で未練はあるが、職を失っても食べていくのに困ることはないと自分を説得も出来た。ネルフの退職金と毎月の恩給があるのだ。贅沢をしなければ、二人で生活していくのに無職であったって問題はないのである。
「子供が産まれるっていうんならともかくさ」
ひとりごちながら、ありえないことに失笑していた。
信号が変わる。
向かいに、男女のアベックを見た。
紺色のスーツにタイトスカートの女性のほうは、燃えるように赤味のかかったブロンドだった。
『まるでアスカみたいだ』
七年前に別れた懐かしい姿が脳裡にうかぶ。
歩き出し、その女生との距離が縮まる。
と、
「!」
それが、みたいではなく本人であると解った。
七年も経っていれば、容姿は変わる。それでも、面影は残るものだ。
横断歩道の上、一歩いっぽまさに確信に近づいていった。
サファイア。
彼女の瞳を、彼女自身の前でそう照れながら形容したことがある。
それは、毫も変わっていなかった。
おどおどして何もできないのに、脚は条件反射のように前に前に進んでいってついにすれ違ってしまう、まさにその時、
「アスカ」
脚の呵責に抗議するように、唇が彼女の名前を放った。
「え?」
彼女はこっちを一瞥したようだったが、ついにシンジの脚は立ち止まることも振り返ることもしなかった。
歩行者信号は、点滅を始めていた。
『meet again』-after the third impact-
横断歩道を渡り、いちばん最初の角を曲がったところでシンジは立ち止まった。
『何なんだ』
シンジは、自責の念を抱きながら道路標識にもたれ掛かる。
今さら、彼女と会って何が出来るというのか。彼女がドイツに帰ると言った時とめなかったのだ。彼女とつきあっていた当時、高校生どうしといっても真剣だった。それは、成人した今となっても馬鹿にできたものではないと思えるものだ。サードインパクトさえなければ、間違いなく結婚していた。今も彼女と一緒にいられたはずなのだ。
「そのサードインパクトを阻止できなかったのは僕じゃないか!」
十年間続き、最近はなりを潜めていた二重の責めがシンジを襲っていた。
*
『横断歩道の向こうに立っていたのは、やっぱりシンジだった』
アスカの疑惑は、確信にかわった。そうでなければ『アスカ』と聞こえたことのタイミングがよすぎる。
日本、第参新東京市にやってきてすぐにシンジに会えたことが幸運だと思えた。たとえ、あんなかたちであっても。
とはいえ、今さらシンジに会ってどんな顔をすればいいのだろう。日本に居つづけることができるにもかかわらず、ドイツに帰ることを言い出したのは自分だ。シンジと一緒にいることに負担を感じ、若さの判断で別れを選んだのは自分だ。別れたいとは言わず、ドイツに帰る、理由は訊くなと最低最悪の別れ方を選んだのは自分である。
それをドイツに帰って最初の夜に後悔した。
「明日からなのに、今日からでてきてもらってすまなかったね」
「いえ、人手がたらないって、どこでもいっしょでしょうから」
思考を遮られたが、気にはならなかった。嫌なことに思いをめぐらすのには苦痛しかともなわないから。
「荷物、そろそろマンションに届くんですよ。帰ります」
「ああ。明日から頼むよ」
アスカは、危うく掌をあげてあいさつをするところで頭を軽く下げて背を向けた。
今の男は、日本でのアスカの上司である。彼も休日だというのに出勤してきていた。あのまま彼にくっついていたら、日本にきたばかりのうえに休日出勤した自分に気を使わせるばかりになるであろう。休日出勤に腹を立てていた自分としては夕食をおごらせて、マンションにまで送らせるつもりだったが、気の毒になってやめたのだ。
それに、シンジに会ったあとの自分がどんな情緒でいられるのか自信もなかった。
今日は、人とはもう会わないほうがよさそうだ。
「やあ、アスカ君。久しぶりだねぇ」
そう決めたばかりだというのに、駆け出そうとしたアスカを引き止める声があった。
間の悪い奴もいたもんだと思う。
アスカは精一杯笑顔をつくって振り返ったが、声の主の顔を見た瞬間それは苦笑に変わった。
*
シンジが、マンションに帰宅すると、自分も今帰ってきたばかりというレイが出迎えてくれた。
レイは、近くのスーパーでパートをしているのである。
彼女とて、シンジと同じようにネルフの退職金もあれば毎月の恩給もある身である。しかし、「その恩給のおかげで、他に身寄りのないの僕たちも高校や大学が卒業できたわけだから、それをみんなにも還してあげなくちゃね」というシンジの言葉に従ってさまざまな職場で解雇されながら今のアルバイトに落ち着いたのである。その言葉の意味は、このごろ解ってきたような気がする。
4LDKであれば、二人で生活するのには充分だった。
今の職場に就職が決まった時、旧ネルフの時からの知り合いである冬月に買ってもらったものだ。一度は遠慮したのだが、「君たちに対する私からの贖罪だと思ってくれてもかまわない。碇たちの子供なら、私が何もせずにいることは拷問なのだ」という言葉に、ありがたくいただくことにしたのだ。その冬月は、現在人類進化研究所の名誉所長に就任している。
研究所とはネルフが前身であり、国連が手放し解体させられたところを日本の厚生省が拾ったのだ。日本政府としては、サードインパクト後の復興に、どうしてもネルフの力が必要だった。国連が手放すというのは、まさに渡りに船だったのである。無論、冬月の政治力が働いたのは言うまでもない。
冬月の役職はまさに名誉職であり形骸としているはずなのだが、所長や厚生省とはやり合っているらしい。二週間ほど前、ネルフの同窓会のとき、尊敬半分と呆れ半分で誰もが口をそろえて言っていた。
「夕飯、今日はハンバーグでいい?」
「うん。挽き肉が安かったの?」
「同じパートの林原さんがね、おいしい作り方を教えてくれたから」
「前に言ってた、声のきれいな母さん?」
「そ」
パートを始めるようになってから、レイは素敵な表情をするようになりはじめたと思う。パート先によっては、笑顔を強要するところもあったであろうが、そんなことででてくるようになった表情ではない。笑顔だけでなく、悲しい時の表情、怒った時の表情というものがすべて“自然に”なったのである。
サードインパクト後の、中学校や高校そして大学の間にできた人間関係だけではこうはならなかった。シンジは、彼女が女の子らしい表情をするようになることを期待しつづけていた。でもそうならなかったのは、レイがずっと自分のみにべったりだったからだと思う。
今にしてみればそれがいけなかったとわかる。彼女の世界が“碇君”だけだったのである。アスカがドイツに帰ってからは、なおさらシンジとレイの距離は縮まっていく。それが、ネルフにいた頃のゲンドウとレイの関係を繰り返すこととなったのだ。
人間というものは環境によって生成されていくものだ。
彼女を人形のようにさせていた直接の要因がなんだったのか、ついにつまびらかにすることはできなかった。それでも、今のようにレイが変わってくれたのだからすべてがよかったのだと思えてくる。
今朝などは、シンジに持たせる弁当を作りながら鼻歌をするようにすらなってくれていたのだから。。
『もう、心配することもない』
ネルフにいた頃のレイを父ゲンドウが作り出したと意識すれば、亡き今、息子である自分がその責任を取らなければいけないと思っていたから、肩の荷がおりたような気がした。
*
「何かあったの?」
形のいいハンバーグとレタスやオニオンのサラダをテーブルに並べながら、レイがシンジの顔を覗き込んだ。
「いや、なんでさ」
「今はそうでもないけど。帰ってきた時、死にそうな顔してたから。食事の時に訊けばいいって思ってたんだけど」
「なんでもないよ。今日も仕事で、明日も通常勤務ってなれば死にそうにもなるって」
「ならいいんだけど?」
鋭いのにはさらに磨きがかっていた。女生徒にラブレターをもらえば十中八九ばれてしまっている。単に、シンジが隠すことが下手だということもあるのだろうけど。
刹那、電話がなった。
テレビのところにあった子機を、まさに助け船とばかりにシンジはとった。
“綾波さんのお宅ですか”
「は、い」
しかし、その電話は助け船でも何でもなかった。電話の主はアスカだったのである。
“じゃ、シンジね?”
「あ、うん」
“さっきからはっきりしない返事ばかり。取り込み中だった?”
君の所為だとは言えず、食事中とだけ伝える。
「それに、こんなにいきなりなら驚きもするって」
レイが自分の狼狽ぶりに反応したと思えて、努めて明るい声を発した。
“今さ、第参新東京市に居るのよ。あたし、来週は夕方六時にはひけるんだ。あんたの用事に合わせて、どこかで会わない?”
「あ、うん」
アスカのさばさばしたものの言いように、シンジは安心できた。だから、会うという約束も承諾できた。
どうやってこの電話番号を知ったのだろうという疑問はありはしたが、碇、綾波という名前は珍しいから検索は容易だったのだろうとも思える。自分とヨリを戻したくて電話をしてきてくれたのかも知れないというスケベ心もありはするが、映画ではあるまいし、とも思う。同じことの繰り返しになることこそアスカだって望んではいまい。
それでも、今もアスカのことは好きだ。自分だけのものにしたい。きっと死ぬまでこの気持ちは変わらない。しかし、もう今の生活があるのだ。
「学校の人?」
シンジが受話器を置くと、レイがテーブルのむこうに着いた。食事の準備はしっかりできていた。
「うん。資料用意しておけって。明日、職員会議だから帰り遅くなるよ。ご飯いいから」
シンジは、「いただきます」と言ってからそう続けた。
浮気っていうのはこういう心境なんだろうか。職場の同僚が話しているのを聞いて、自分には関係なさそうだと思っていたが、胃が痛くなるような気がした。
*
アスカは、電話ボックスの中で嘆息した。
どうも、公衆電話の密閉感は性に合わないと思う。
明日の正午からの休憩時間にでも携帯電話の契約をしてこようと思った。
シンジの声を聞いた途端、泣きたくなった。情けないほどに彼に甘えたくなっている自分に気づきもする。それでも、心配をかけたくないと思うから、彼の中にあるであろう惣流・アスカ・ラングレーのままで話すことに必死になった。
「シンジ君とは。......アポは取れたのかい?」
その、そよ風のような喋り方が気に障って、アスカは視線を尖らせた。
「あんた、こんなことであたしに恩を売ったつもりなわけ?」
電話ボックスを出たアスカは、外で待っていたタキシード姿の渚カヲルに悪態をついた。この男の、サードインパクトの時の印象が払拭しきれていない。つい、乱暴な口調になってしまう。
「恐いなぁ。恩を売ったつもりなんてないよ。ただ、僕はシンジ君が好きなだけさ。だから、彼が愛した君のことを放っておけないってことだし、綾波レイもね」
カヲルは、ポケットから掌を出して肩を竦めてみせた。
「綾波レイを奪い返すためのダシにするって言うんなら、理解しやすいけど?」
「そうすることでみんなが幸せになれるならそれもするけど、それを何より彼女が望んではいないよ」
「それが、リアリティに欠けるのよ。シンジが好きだから、彼やあたしのように歳をとってみせて、何をたくらんでるの」
カヲルの達観したような物の言い様が癇に障る。
シンジが、産まれて初めて好きだと意識できた肉親いがいの存在がこの渚カヲルという男だ。同性だから、変な心配はしていないが、この男に対してライバル意識というものがおこっていないと言えば嘘だ。やはり嫉妬している。綾波レイに対するものと全く同じ心境だ。
「七年前に止まってしまった時計の針を進めたいってことだよ。このままではフォースインパクトがおこるから」
「何でもかんでも解っているつもりで!」
七年という数字を持ち出されれば、なおさらアスカが冷静でいられるはずもなかった。あの時ドイツに帰ることを頑固に主張したことは、女の人生の中で一番の汚点だと意識しているからである。責められているというふうにしか捉えられなかった。
「自虐的なのは良くないね。若い時はいろいろあって、潔癖になれる。それだって素晴らしいことだよ。君には実行力があって、ドイツへの切符を持っていただけのことでしかない」
「サードインパクトの所為じゃない。シンジに抱いてもらっていれば気持ち良くって安心できて、それだけじゃいけないって思うことがあの時は精一杯で」
「それをシンジ君に言えばいい。シンジ君を助けてくれないか。それができるのは、どうやら僕や綾波レイではないんだ」
それまでの達観したようなものから切実なもの言いに急に切りかえ、渚カヲルはアスカの細い方をゆすった。
この七年間、カヲルは遠くからシンジや綾波レイを見守ってきたに違いない。そしてそれに限界を感じはじめているのだろうとアスカは漠然と思った。
サードインパクトは、
地球上の総ての人間からATフィールドを強制的に奪い取った。人々は形を失い、総てがLCL液に還元された。人が他人をよりよく理解できると言われるこの状況で、当然のようにシンジとアスカは惹かれあった。子孫を産み出す必要のないこの状況。エロスではなくアガペーのみで抱き合う二人。
それは、お互いの過去を晒しお互いの未来を晒すという状況でもあった。
そんな中で、ATフィールドを失った状況がやはり不自然だと解る者があらわれはじめた。彼らは次々と元に戻ってゆく。そんな中に、やはりシンジとアスカもいた。
「気持ち悪い!」
ATフィールドを取り戻したとき、シンジに総てを晒してしまっていたそれまでのことに対するアスカの素直な感想だった。
それでも、だからこそ復興の中で二人は自然に同居を始めていた。
エヴァンゲリオンがなくても、アスカにはシンジがいた。
父母がいなくても、シンジはアスカがいた。
二人は自然にひとつになっていた。
「傷を嘗めあう恋人っていうことなのかしら」
お互いの総てを知ってしまえば、若いアスカからそんな言葉がでてきても不思議ではない。まして、一度アガペーのみで接っしてしまった二人が、エロスをもって求めあうことに不実さを感じた。シンジの腕の中で、快楽に身をゆだねている自分が汚いと思った。それが、ドイツに帰る動機になった。
シンジは止めてくれなかった。
もとより止めてほしいなどとは思っていないつもりだった。
しかし、ドイツに着いた夜にアスカはすでに後悔していた。
シンジにとってはアスカが総てだった。
止める義務があるとトウジやケンスケやヒカリ、カヲルは言ったがそれはしなかった。拒絶される恐怖はなかった。拒絶されるようなこともないと解ってもいた。止めなければ後悔することまで解っていた。
それでも、シンジはアスカを止められなかった。
「サードインパクトは君たちの所為じゃないんだよ。真実を知らされていなかった君たちには、どのみち何もできなかった。責任があるとすれば、ゼーレやそれを容認した連中にある。エヴァンゲリオンを強引に量産し、使徒に仕立て上げたのは彼らなんだから」
「違うよカヲルくん。サードインパクトがあってもなくっても僕はアスカが好きになっていた。彼女がドイツに行ったのだって、考えがあってのことなんだよ」
高校生になる春、シンジとアスカは別れた。
それは、ネルフが国連統治下からはずされ、名前を改めて日本の厚生省の傘下に入った年でもあった。
レイが冬月の意向でシンジと同居を始めることとなった。シンジの意志で、碇姓を棄て、綾波シンジとなってレイとは兄妹となった。
シンジは、レイという身内を得ることでアスカを忘れようとした。
レイを恋人にはできなかった。恋人にしたら、本当にアスカを忘れられなくなる。それに、レイに対して申し訳のないことだ。
*
その夜、シンジはレイのベッドに潜り込んでいた。
「碇君?」
シンジは後ろからレイの細い腰に手を回して引き寄せる。
「このままいさせてくれないか」
そう言ってレイのうなじに接吻をした。
「碇君、泣いているのね」
レイは、シンジの接吻に体を震わせながらも身体の向きを変えた。そして、シンジの頭を優しく包み込むように胸に引き寄せていた。
「綾波」
「おそれることはないわ。貴方の選んだ道はいつも正しいのよ。私はいつも、見守っているから」
シンジのその嗚咽をいとおしいとレイは思う。今、碇君は岐路に立たされているに違いない。この懊悩を乗り越えてほしいが、自分ができることはここまでなのだ。この地上でたった二人の家族。抱きしめてあげることしかできないが、同時に抱きしめてあげることができるのも自分だけだと意識すると、このまま朝までいるべきだろうと思った。
シンジはレイの胸で泣き疲れて眠った。
*
夕方六時に二人が待ち合わせをしたのは、アスカが予約したレストランだった。
生徒の質問責めにあい、その対応でシンジの方が五分ほど遅刻してしまった。
背広姿のシンジは、いかにも職場から直行という出で立ちであった。対するアスカの方は真っ赤なワンピースで、そのうえ真っ赤なルージュが眩しい。
シンジが席に着くと、ウェイトレスがメニューを差し出してきたので、アスカと同じにハンバーグステーキを頼んだ。
「レイと結婚したんなら、連絡くらいほしかったな。所長に、住所くらいはきいてたんでしょ?」
ウェイトレスが下がって、アスカの開口一番は誰もがしてきた誤解だった。
「違うよ。レイは妹で同居人ってだけで。僕、綾波家に養子に入ったんだ。アスカこそ。昨日の交差点の人ってそうじゃないの」
「あの人は、こっちでの上司。妻子持ちよ。あたし、むこうで商社勤めやってるの。主にコンピュータの部品を扱っててさ。シンジは?」
「僕は、これでも高校教師なんだ。専門は音楽。新米だけど担任も任されちゃってさ、結構大変だよ」
アスカは、先にやってきた食前酒を一口飲んでから、
「女生徒に言い寄られてたりして? シンジ、押しに弱いから」
シンジも、一口飲む。
「一口で酔わなくてもさ。そんなことあるわけないじゃない」
本当は一度ある。今年の夏休みにおこったことで、シンジが解雇を覚悟した事件のことだ。とっさにアスカのことが頭を巡れば、どんな女の子に迫られたって萎えてしまうにきまってる。
「あたしはねぇ。これでも、向こうじゃもてたのよ。中学の時のが、そのままドイツに移行したって感じで。でもさ、あたしに釣り合ういい男なんてそうやざらにいないのよ。思い知らされてさ」
何を思い知らされたのかと思いながら、お酒の進みようが可成りハイペースなので止めようと思った。いがいと弱いようだ。これでも、酒を武器に男に落とされたということが全く想像できないから、やっぱりアスカなのである。
「アスカ、メインディッシュはこれからだって。何でこの店も、食前酒をボトルで出すかなぁ」
「今度、うちの会社は飛行機製造業務に手を出すことになってね。日本の部品メーカーっていうか町工場と直接取り引きすることになってさ。日本語の堪能なお前、行けって。第参新東京市に支社があるからっていうのよ」
そこで、注文していたメニューが登場した。
一度お酒をやめさせようと、シンジはアスカが取ろうとしたボトルをそのウェイトレスに渡し、右手に残っているグラスをテーブルの上に置かせた。
「あ、うん」
「今度は、食べながら喋ってよ」
怒るかなと思っていたが、実際お酒に執着しているわけでもなかったようだ。
アスカはナイフとフォークを取ると、ハンバーグに手をつける前にまた喋りだした。
「他にも、日本語の喋れるスタッフっているわけでさ。何で女のあたしなんだろうって思ったんだけど......」
そこでアスカの声が小さくなって、俯いてしまった。
やはり飲み過ぎたんだと、シンジは席を立つとアスカの側に回り込んだ。トイレに連れて行かなくっちゃなるまい。
「!......アスカ」
違った。アスカは泣いていたのだ。涙が膝の上に音を立てて落ちている。
「でね、ちょっと考えてみたんだ。そしたらね、あたし、......ドイツにいる間も、考えるとき日本語で考えてるのよ。ドイツ語も、あたしの中で一度日本語になっちゃうの。感情的になって叫ぶときなんか“あんたバカぁ”......って」
「アスカ!」
アスカがフォークとナイフを投げ出すのと、シンジがアスカを抱きしめるのは同時だった。
「しんじぃ」
「泣かないでアスカ。僕は、君にいっぱい謝らなくっちゃいけなくって。そんなふうに泣かれたら、僕まで泣きたくなっちゃうよ」
シンジは、胸の中にあるアスカのブロンドを何度も撫でた。
「ごめんね。あたしこそ謝らなくっちゃいけないの。あたし、もうドイツに行きたくないよ。あたし達、!」
シンジは、アスカの言葉を接吻で遮っていた。
アスカの腕にも力がこもる。お互いのいなかった時間を必死で埋めあわせるかのようだった。
「そこから先は、僕が言わなくっちゃいけないんだ。
アスカ、やり直したいんだ。この七年分をこれから。それにつきあってほしいんだ」
「!」
アスカは、シンジの顔中に接吻の雨を降らせていた。
レストランの一部ではシンジたちをみとめた人たちが喝采をあげていた。
*
チャペルの鐘が鳴る中、
アスカは、ウェディングドレスまで真っ赤だった。
旧ネルフの主だった人たち、そしてシンジの教え子たちに祝福されながら、二人は神の前で誓った。
“お互いに慈しみ合い守り合い、決して偽らないこと”
特に、冬月の泣きようといったらひどかった。「おめでたい門出に、涙なんていけませんよ」と部下の伊吹マヤがハンカチを差し出す。「これで、ユイ君に叱られずにすみそうだよ」と言っていたらしい。
「さぁ。次に幸せが訪れるのは誰かな!」
アスカは、思いっきり振りかぶってブーケを投げた。
女性たちの歓声が上がる。
その中、はるか頭上を飛んでいくブーケを、あろう事か渚カヲルがダイビングキャッチした。
彼は、それを着地と同時に接吻と一緒に綾波レイに押しつけた。
END
あとがき
これは、その昔hikaru名義でどこかのサイトに投稿させてもらったものを加筆修正しました。
十年近く前の作品ですと、アラがあちこちに見えてきてひとりで悶絶してしまいましたよ。
感想など聞かせてもらえれば幸いです。
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hikaru名義でその昔どこかのサイトに投稿したものを、加筆修正しました。