子龍さんとのやり取りのおかげでグダグダな精神状態で始まったこの汜水関の攻防は、反董卓連合での戦いにおいて規模、被害ともに最大のものとなった。
参加兵数合計一五万三千、被害兵数合計九万八千、合計での損傷率六割以上という凄惨なものだった。
近代軍隊では三割減っただけで全滅、五割減れば壊滅といわれる。これは三割減れば命令系統が破壊され、組織的な戦闘が不可能になり、五割減れば部隊を再建することが、一から部隊編成することと変わらないからだといわれている。
近代軍隊ではないためこの公式は当てはまらないだろうが、それぞれ董卓軍と公孫賛軍が六割、孫策軍五割、曹操軍にいたっては八割という被害状況では近代、古代軍隊関係なく、立て直すのにかかる時間はいかほどのものか、考えたくはないだろう。
オレの命を守るために身を挺して守ってくれた護衛隊所属の顔見知りの兵士。
傍らにいる戦友を守るために目の前の敵兵に槍を突き出す兵士。
自身の命を守るために剣を振り回す兵士。
傷つき死を待つのみの兵士。
致命傷を受けるも自らを捨て力尽きるまで戦友を守る兵士。
命と命がぶつかり合い、削りあい、燃え尽きる。
たとえ数字でしか語られることのない兵士たちではあるが、確かにその数字一つ一つに兵士の命があり、人生があったことは疑いようが無い。
戦場で戦い、散ることだけが彼らの人生であったということは無かったとは思うが、名も無い兵士たちは数字だけで記され、戦場にて槍を突き出し、剣を振るい、弓を射る。
そこに正しいと言えるものは無く、あるのは闘争本能に支配された狂気と、ただ命令を実行するという逃避だけが存在を許されているようにオレには感じられた。
だからこそこの戦いはいかにして始まり、いかにして終わったのか、一人ひとりの兵士のことを詳細に語ることはできなくとも、すこしでもそこで散っていった命があることを、そこにあった勇を一人でも多くの人に伝えて生きたいと思う。
これほどの被害を受けてもなお、この場にて戦わねばならなかった、引くことができなかった将と兵士たちの物語を……。
公孫賛軍の戦いは常の通り、公孫伯珪の鼓舞から始まった。
迫る董卓軍を背にした自らの目の前で槍を携え、弓を持ち己の言葉を待つ兵士に伯珪は腰に佩いた剣を引き抜き、天へと向けて掲げる。
「この汜水関を落としたそのことに、なにかしら思うことが諸君たちにはあるだろうが、この反董卓連合が汜水関を落としたことに違いはない!
諸君らがよく戦い、よく勝ったからこそ、我ら反董卓連合がこの難攻不落といわれる汜水関を落とすことができたことは、疑いを挟む余地はない!
この公孫伯珪、諸君らの奮闘に、諸君らの献身に答えることを誓おう」
華雄率いる董卓軍に勝利したとはいえ、本来の目的であった汜水関を別の軍に落とされたことに、少なからず意気を落としていた兵士たちは、この伯珪の言葉に歓声をあげる。
しばし伯珪は目を瞑り、歓声を聞いた。
「しかし!」
歓声が一瞬途切れた瞬間、目を開き声を張り上げる。
その伯珪の言葉に一瞬で、兵士たちは歓声を止め場に静寂が満ちる。
「今、この汜水関に洛陽の都で暴虐の限りを尽くし、帝を蔑ろにし民を苦しめる董卓の本隊といえる八万もの軍が迫ってきている」
洛陽からの細作の報告にて、董卓の暴虐は否定されたことではあるが、あえてそれを言う必要はない。むしろそのままのほうが、兵士たちに戦わせるのに都合がよい。
故に伯珪は董卓を暴虐の王と兵士に告げる。
「我らのほかに曹操軍三万、孫策軍一万がこの場にいる。連合本隊八万もこの汜水関に向かってきている」
迫りくる董卓軍の数に動揺を隠せず、どよめきを発する兵士たちが落ち着くように、なんでもないことのように振る舞い、自分たちが有利であることだけを兵士たちに伝えていく。
確かにこの場には曹操に孫策の軍がいるが、その軍との連携は取れるような状態ではなく、連合軍本隊八万もいったいいつこの場に着くのかもわからない。
伯珪自身が信じてもいないことを、その顔にあらわすことなく伝え、絶望的な戦いへと兵士たちを向かわせることはいかほどの精神力を彼女に要求しているのか、傍で見ている人間には想像することも難しいだろう。
「我が勇猛なる兵士たちよ。
この戦いに我ら連合の行く末が掛かっている。
我が勇猛なる兵士たちよ。
暴虐の限りを尽くし、畜生にも劣る董卓軍の弱兵たちに我らの武勇を見せ付けてやろうぞ!」
伯珪の言葉に兵士たちは足を踏み鳴らし、手に持つ得物を掲げ、喊声を上げて答える。
高まった興奮そのままに伯珪は、目の前に集まる兵士に号令をかけた。
「我が勇猛なる兵士たちよ。
槍を取れ!
剣を抜け!
弓を引け!
己が傍らにいる友を守れ!
それが自分を助けると知れ!
董卓軍の弱兵どもを蹴散らしてくれようぞ!
総員、配置につけ。これより我ら、董卓軍を迎え撃つ!」
伯珪の号令に士気高く兵士たちは自らの役割を果たすべく、それぞれの持ち場に散っていく。騎馬隊は陣の中央に集まり、盾を持った歩兵を中心にして方円陣を敷くべく外側に集まり、それぞれの部隊長の指揮の下、盾を構えて董卓軍に備える。
「趙雲隊は右翼を、公孫越隊は左翼を固めよ。本隊は中央に、護衛隊も中央にて御遣いを守護せよ!」
「まずは盾を前へ、第二陣は槍持ちを固めよ」
それぞれの部隊を指揮する将軍の声に兵は動き、あるものは盾を構え、あるものは槍を、弓を準備する。矢玉が陣中に高く詰まれ、着々と董卓軍を迎え撃つ準備が整っていった。
「告げる。進軍中の董卓軍、軍を三つに分けたことを確認」
陣頭指揮をする伯珪の前に駆け込んできた兵士が、迫り来る董卓軍の詳細を報告を告げる。
「曹操軍に兵四万、鋒矢陣。孫策軍に三万、魚鱗陣。そして我々には一万、方円陣にて進軍」
「……そうだよな。曹操は有力な諸侯だし、孫策は江東の小覇王として有名だもんな。そんな二人と比べれば私なんて……」
伝令の報告とその内容、曹操には四万で張遼率いる本隊が当たり、孫策はたった一万しか兵がいないにも関わらず、副将高順が率いる三万の兵をぶつけてきたこと、そして自分には名のある将が特にいない一万の兵しか送り込まれなかったことに伯珪は肩を落とす。
「こちらに来るのは一万で方円陣か……。張遼の狙いは各個撃破かな?」
「でしょうな。まずは孫策を。それから曹操、そして我らと言ったところでしょうな」
暗い雰囲気で肩を落としている伯珪を無視して晴信と厳綱は、張遼の布陣からその意図を探る。
孫策に三倍の兵力を当てることで撤退を促す。もし撤退しなくとも三倍という兵数で素早く制圧し、その部隊は孫策を撃破した勢いのまま曹操に対して横撃を仕掛ける。これで単純兵力として曹操三万に大して張遼七万という二倍以上の兵数になる。さらに言えば正面と側面からの攻撃という半包囲状態での攻撃で曹操軍の消耗も激しくなる。
一万で公孫賛を抑え続けるのは難しいかもしれないが、曹操に対しての二正面展開が達成されれば、本隊からの増援を一万くらいは振り向けることは容易になり、曹操を打ち倒した後ゆっくりと公孫賛をしとめることが可能となる。
兵数が多いことで可能な、そして単純な正攻法な策であるだけに破ることは難しい。
さらに言うなら横の連携が取れていない連合軍では、その難易度を言う必要はないだろう。
「……なぁ、諏訪に厳綱。私が悪かったから無視するのはやめてくれないか?」
「あ、伯珪さん、おかえり。早速だけど」
「わかってる。子龍に先陣を切ってもらって方円を食い破る」
先ほどまで八の字に下がっていた眉を吊り上げ、気を引き締めたように真剣な表情を見せる伯珪は、控えている伝令に素早く指示を出していく。
伯珪の指示を一言も漏らさぬよう聞いた伝令は、この場にいる人間に一礼をすると駆け出していった。
「目前の一万を叩いた後、反転。董卓軍本隊に横撃を加える!」
董卓軍がいるであろう方向に手を振り下ろし宣言した伯珪の言葉に合わせ、兵士たちから鬨の声があがる。
方円陣を敷き始めていた兵士たちは、子龍隊を先頭とした鋒矢陣へと隊列を変えていった。
「盾は捨て置いてかまわん! 矢玉の積み込みを優先させろ!」
「騎馬を集めろ。先陣の栄誉は我らが賜った。皆のもの、我が槍に続け!」
騎馬にまたがり槍を天高く掲げる子龍の元に集う子龍隊の兵士たちが、隊列を組みなおし次々と出陣していく。
それに続くように公孫越の部隊が、そして本隊、護衛隊と続いて董卓軍一万を素早く倒すべく出陣していった。
「さて、どうする?」
胸元の大きく開いた服を着た褐色の肌の美丈夫が、傍らに立つ桃色の長髪を風に靡かせ、迫り来る董卓軍三万を見つめる精気に満ち溢れた女性に問いかけた。
「どうすると言われてもね。さすがに三倍の兵数でしょ」
問われた女性、孫策は周瑜に答えながら肩をすくめるも、表情は明るく微笑み、迫り来る戦いの雰囲気を肌で感じて、実にワクワクと楽しそうにしている。
「言葉と態度、表情が一致していないぞ。雪蓮」
「だって面白いじゃない。私達がこの戦の鍵をある意味握っているのよ」
目を輝かせる孫策にため息と共に一言注意しても、暖簾に腕押し、ぬかに釘とあまり効果はありはしない。逆に自分の言葉に興奮が高まったようで、さらに目を輝かせて遠足を待つ小さな子供のように、そわそわと忙しない。
「雪蓮、わかっているのか? 私達は」
「わかっているわよ、冥琳。袁術ちゃんから独立するまで、下手に勢力を減らせない」
あまりにも子供染みた様子の孫策を諌める周瑜の言葉をさえぎり、ニヤリと酷薄な笑みを浮かべた孫策は周瑜の言葉を引き取る。
「でも……。それは私達が名声を充分得た上で、ということもわかっているわよ」
目を細め、より獰猛な肉食獣を思わせる笑みを貼り付ける孫策は、しっとりと濡れる唇を赤く滑る舌でなめた。
「ハァ……。やはり猛将華雄を打ち破ったくらいでは満足しないか。……厳しいぞ」
「そうね。単純で正攻法だから、それを打ち破るのは難しい……か」
「雪蓮、何を勘違いしている? 軍師というものは勝てる戦をするのではなく、勝てる戦をする場を用意する者のことをいうのだぞ。勝てる戦をするのは将の仕事だ」
顎に手を当て考える孫策に、あきれたようにため息をつく周瑜も孫策に負けず劣らずの酷薄な笑みを浮かべている。
「ふぅん……。なら、この場は勝てる戦?」
周瑜の様子をしばらく見た後、孫策は面白そうにニヤニヤと笑いながら周瑜に確認をとった。
「もちろん連合は勝てるわよ」
「そうでしょうよ、もう」
しれっとなんでもないことのように勝利を肯定するけれど、その肯定はこの場の孫策軍の勝利ではなく、全体の勝利であったことに、孫策はあきれてしまう。けれども内からこみ上がる笑いを我慢することなく、その顔に浮かべる。
「雪蓮。貴方の指揮が重要になってくるけれど、大丈夫?」
楽しそうに顔に獰猛な笑みを貼り付ける孫策に、周瑜は挑発するようにいたずらっ気がたっぷりと乗った笑みを浮かべて、孫策の顔を覗き込むように見る。
「冥琳……。それは愚問というものよ。私は江東に名を馳せる……」
孫策は腰に佩いた南海覇王を天高く抜き去り、風を切り裂くように勢いよく振り下ろした。
そして周瑜に向かってニヤリと笑ってみせる。
「江東の小覇王なのだから」
兵士の出入りの激しい天幕から、鋭い叱責の声が陣中に響き渡る。
「なんでその報告が遅れるの! これでは一から考え直さないといけないじゃない、もう! これだから男なんて使いたくないのよ。だいたいどこぞの精〇袋が大きな顔して……」
猫の耳のような飾りのついた頭巾を被った小柄な目つきのきつい女性が、跪き項垂れる兵士にむけて叱責の声をあげる。その叱責はだんだんと目の前の兵士から、別の人物への罵詈雑言へと変わっていく。
「柱花。それくらいにしなさい。今、その報が聞けたのだからまだ修正できるわ」
「しかし華琳様。今から考え直すとなると被害も大きく」
「考え直さなければ、勝つことも難しくなるわ」
「それはそうなのですが……」
猫耳頭巾、荀彧は曹操の言葉に一度は反論するものの、言葉を続けるうちに尻すぼみになっていく。曹操はそんなだんだんとうつむき、弱弱しくなっていく荀彧を愛でるように目を細めて見つめる。
「どうするんだ? 一応予想通りの布陣できたんだろ?」
曹操の傍らに立つ白い学生服を着た男性、北郷一刀がこの場の主旨が変わりそうなところを修正する。片眉を少々吊り上げて、微妙に不機嫌な様子をあらわにするも、曹操は一刀を叱責することはなかった。
「確かに予想通りの布陣よ。董卓軍に限って言えばね。孫策に公孫賛の動きは全くの予想外だわ」
曹操はその不機嫌を軍議にぶつけることにしたのか、不機嫌そうな声を隠そうともせず吐き捨てるように言った。
「保守的な公孫賛が初手から攻めに入るとは思いませんでしたし、まさか孫策が三倍の兵力に、撤退ではなく攻勢を選ぶとは……」
「うむ、さすがではないか。圧倒的不利にもかかわらず立ち向かう。実に武人らしい」
一刀とは反対に立つ紅と蒼の姉妹が、曹操の言葉に紅の姉はいかにも武人らしい言葉とともに高らかに笑い、蒼の妹は冷静に状況を報告している。
「そう、秋蘭の言うとおりこの二つの勢力の動きは、こちらの予想にはないことよ。柱花は即座に対策を練りなさい。秋蘭はその補佐を。そして、一刀は……。そうね、幽州の御遣いがやりそうなことを考えて、柱花に報告しなさい」
曹操の命令に荀彧と夏候淵は短く“御意”と答えると天幕を辞し、与えられた命を果たすべく行動を開始する。
「晴信かぁ……。正攻法が好きな癖していざとなると突拍子もないことをやるからなぁ、あいつ」
一刀は少し前にあった級友の顔を思い出す。
そして懐かしむように元の世界での彼の事を思い返し、もう一人の友人とともに三人で行った数々の出来事を思い出して苦笑いを浮かべた。
「だからこそ警戒するのよ。天の知識を利用して、逆転の一手が思い浮かぶかもしれない……そう考えることもできるのよ」
頬を掻き苦笑して動かない一刀を睨みながら曹操は、一刀の言葉を受けて仕事をするよう促した。そこでようやく一刀は“はいはい”とやる気の無さそうな返事をして天幕を出て行く。
「えぇと華琳様、私はなにをすれば……」
「ふふふ。本当に笑いが止まらないわね。この筋書きを書いた人間は、よほど私を飽きさせてくれないよね」
人気の少なくなった天幕に曹操の含み笑いが静かに響き、消えていった。
「あのぉ、華琳様? 無視しないでくださいよ、華琳様ぁぁぁ」
Tweet |
|
|
9
|
0
|
追加するフォルダを選択
双天第二十六話 その一です。
えぇと……前中後編と三つで終わりそうもないので、その一と表記しました。ある程度大雑把にこの汜水関の戦いの流れを作ってみたところ“あれ? これ全部やるとまずいな。ある程度カットしよう。”となり、カットしたものを見ても“あぁぁぁ、前中後編でまとまりきらねぇ”となってしまいました。
私の好きな雪蓮と冥琳。頭の中の彼女たちのやり取りを十分の一でも再現できていればいいのだけれど、読者視点で見るともうチョイかな……。でも今の私には、これが限界。精進せねば……。