沙耶の足が、校庭に立つ一本の木立の前で止まった。
木の根本には、美魚が座り込み、分厚いハードカバーを開いていた。この学校の生徒なら見慣れた光景のはずだが、沙耶の脳裏には、閃くものがあった。
(あの本は確か……この女、闇の執行部か)
背中に愛用のコルトを握り締め、踵を浮かしたまま、美魚の正面に立つ。
美魚は、右手で本の背を支えていた。沙耶が集めたデータによれば、美魚は右利きのはずである。あの体制からなら、反撃はない。
「ちょっと、お話しても良いかしら」
沙耶は、正攻法に出た。
「何かしら?」
美魚は、読んでいたページに栞を挟む。
沙耶は、見つけた。
栞は、別の箇所にもう一枚、挟まれていた。
(劇鉄を起こすか。いや、まだよ。この女に殺意はない)
話をするには、やや遠かったかもしれない。
沙耶は、間合いを計った。
美魚の態度が挑戦的とも思えた。こちらから仕掛けるのを待っているのか。だが、立っている相手に座ったままというだけで、不利は否めないはずだ。
何か、特別な仕掛けでも……
「それ、ツルゲーネフの『初恋』よね」
探りを入れる沙耶に、美魚は無言で背表紙を見せた。若山牧水の短歌集だった。
(勘違い……?)
だが、あのふてぶてしい態度はなんだ。
対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースでもあるまいし、本のタイトルくらい、口に出して言えば良いではないか。
沙耶は、切れかかっていた。
「でも、その本、上げ底でしょ」
言わなくても良い一言だったかもしれない。美魚が闇の執行部と関わりがあるのか、ないのか。正直、どうでもよくなっていた。
「うぐぐっ」
美魚の様子がおかしい。パタンと本を閉じ、口を横に結んだまま、沙耶を睨み付けている。
「どうしてわかったの?」
美魚の言葉に、動揺の色が見えた。沙耶は返事の代わりに、
「今日のところは、確認ができただけでよしとするわ。ターゲットが被らない限り、もう声もかけないつもり」
木立の下を、静寂が包んだ。
見つめ合う沙耶と美魚の間に、どれだけ多くの駆け引きがなされたのか。
口を開いたのは、美魚だった。
「そうして頂けると、うれしいわ」
美魚は表情を消し、一枚目の栞のページを開いて、目を落した。
(賢明な判断ね。投げナイフが飛んで来たら、命を頂いていたところだわ)
沙耶は、踵を返した。
どうにか、事なきを得たようだ。
美魚は、内心、ヒヤヒヤものだった。どうして本の上げ底がばれたのか。入学以来、誰も疑問に思ったことがなかったのに。
それにしても、沙耶という子は、自分よりもきまじめらしい。ターゲットが被るのを、そこまで嫌うなんて。
美魚は、こだわっていなかった。どうせ妄想するだけ、なのだから
「別の隠し場所が考えなければ」
美魚は、二枚目の栞を挟んだページで、ハードカバーを開いた。ページの真ん中をくり貫いてあった。携帯用ゲーム機を隠すためだ。
周囲に気を配りながら、美魚は、ゲーム機を、制服の裏側に潜り込ませる。
それは、BL版・恋愛シミュレーションゲームだった。
(おわり)
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木立の下で読書する美魚を見つけた沙耶。既視感が疑惑を呼び起こす。やりとりの中で、動揺を見せる美魚。その結末は……