No.152551

ハヰドランジア・ロマネスク

袿つひろさん

うやむやで、気持ちが悪いです。     テーマ「あじさい」

2010-06-22 21:58:15 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:456   閲覧ユーザー数:447

 

 夢を見た。

 私はあじさいの中に立ちつくしている。一面どこを見ても目に映るのは、鮮やかで、色とりどりのあじさいばかりで、それを、私は美しいと思った。

 そうだ、絵を描こう。気が付けば私の目の前には真っ白なカンバスがあった。そして私には絵筆が、パレットが。ふと目を向けると、絵の具までもが揃っている。

 そう、全てが揃っている。

 私は夢中でカンバスを塗り潰していく。白から、青や、ピンクや、紫に。

 幸せだ。そう思った時に。

 

 目が覚めた。とても気分の良い夢だった。夢の中のあの感覚を忘れぬうちに。白いカンバスを探す。

 見つけた。

 

「最近はとても調子が良い様で、何よりです」

 彼女が朝食を作りながら、話す。トントントントン。リズミカルに包丁がまな板を打っている。味噌汁だろうか、葱だろうか。なんか、お嫁さんが来たみたいで、つい口元がにやける。

 おっと、いけない。いけない。変な妄想をしては彼女に嫌われてしまう。彼女はいわゆる家政婦さんだ。絵を描くことしか脳の無い私は、彼女にいつもお世話になっている。

 いつもいつも、ありがとう。

 そういうと、彼女ははにかみながら笑った。

 

 それから、何日も何日もあじさいの絵ばかりを書き続けた。何度も、何度も。部屋があじさいで溢れる。それでも、描き続けた。久しぶりに描きたいものができたのが、嬉しくて、嬉しくて。

 

「本当に描くことがお好きなんですね」

 彼女が感心したように言う。

 そうだよ。好きだよ。

「一日中、ずっと描いていられるなんて、いくら好きでもなかなかできないことだと思いますよ」

 そして、こう続ける。

「あじさいばかり描いていないで、たまには、私のことも描いてくださいな」

 彼女が、冗談にしてはすこし寂しそうにそう言った。

 

 また、夢を見た。

 今日も私は、あじさいを描いている。無心に、夢中に。その時、誰かに肩を叩かれた。振り向く。そして目が覚めた。全身に汗をかいている。

 急に、怖くなった。

 

「うなされていたようでしたけど、大丈夫ですか?」

 彼女が心配そうにしていた。

 私は、作り笑いで誤摩化すことしかできなかった。

 恐怖で、全身が、震えていた。

 

 また、夢か。

 あじさいに囲まれて、私は震えながら踞っている。声が、聞こえる。

 ねぇねぇねぇねぇ……。

 今度は私を描いて、私を、私よ。私。私。私わたしワタシィッッ!!

 うるさい。頼む、頼む、頼む、頼むだから、やめてくれ!私にはもう描けないんだ!!

 

 自分の絶叫で目が覚めた。部屋には散らばった無数のあじさいが、私を見ている。

 それを、全部引き裂いて床に叩き付ける。

 刹那、吐き気が襲う。

 っく……。

 肩を上下させながら、私は呟いた。

 彼女が、とても不安そうに、こちらを見ていた。無理も無い。

 

 どうして描けなくなったんだ。どうして、どうして、どうしてどうしてどうして。描かなければ、描かなければ、と思い詰める度に、呼吸が浅くなり、吐き気に襲われて、嘔吐して、全身が震えて。

 描けない。

 

「少し神経質になってしまっているんじゃないですか?」

 彼女が、言う。少し悲しそうに微笑んで、言う。

「辛いのも、今だけ。きっとまたすぐに描けるようになりますよ」

 彼女は私を安心させようとしてくれているのだろう。だけど。

 辛い、なんて。そんなものじゃないんだ。

 ただ、もう。

 死にたい。

 

 頬を雨粒が打っている。……雨?ああ、そうか。私は夢を見ているんだ。また、あの、嫌な、夢。

 ふと、気が付いた。

 雨音に混じって聞こえて来る別の音。しとしとぱしゃん、しとしとぱしゃん。ゆっくりと確実に近づく、複数の足音。

 ぱしゃん、ぱしゃん、ぱしゃぱしゃ。

 振り返って、戦慄した。

 うあぁあああああああっつ!!!!

 来るな!来るな!来るなよ!来るなぁぁあっっ!!!!

 バシャバシャバシャバシャバシャ。

 一体誰が耐えられるというのか。あじさいに追いかけられるという、シュールな現実に。突然、奇妙な浮遊感。その直後に衝撃が走る。ワンテンポ遅れてから気付く。足が滑ったのだ。あっけなく、転んだのだ。雨でぬかるんだ地面は、冷たい。必死になって立ち上がろうとして、動けなくなる。鉛色の空を遮って、あじさいたちが、私を見下ろしている。ゆっくりと、一朶のあじさいが、その萼の固まりを近づけてくる。薄い葉が俺の首に張りつく。あじさいが、馬乗りになって、私の首を絞めている。喉に張りつく葉の葉脈が、その葉ずれの音が、鼻先をはいずる蝸牛が、雨の冷たさが泥のぬめりが全てが私に死を連想させて、私の頭はその恐怖を目前にして崩壊して女みたいに甲高い絶叫が私の喉から漏れる。なんで私はあじさいに追いかけなければならないなんで私はあじあさいに殺されなければならないなぜだなぜだなぜだなんでわたしはあじさいにおいかけなければならないなんでわたしはあじあさいにころされなければならないなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ。

 

 その時、私の耳に落ちてきた、呪詛。が、

 私は、あなタに描ィテ欲シィダケナノニ……。

 その声に、聞き覚えが、あるような気がして。けれども意識はだんだん遠のいて、夢の中で私は死んで、

 目が覚めた。

 ゆっくりと、ゆっくりと考える。

 

「ねぇ……」

 ゆっくりと、彼女に、話しかける。

「何でしょう?」

 トントントントン。

「なにを、切っているんだい」

「紫蘇ですよ。今日は紫蘇のお味噌汁です」

 にっこりと、微笑んだ彼女の笑顔が、凍り付いた。

「……」

 やっぱり、そうなのか……。

 わかって、いたのだ。

 あの夢の後、調べた。

 あじさいの毒性について。

 ゆっくりと、問いつめる。

 どうして、という表情をした後、彼女は、静かに泣き始めた。

 

 彼女が残していった、作りかけの朝食。

 まな板には、切りかけになった濃緑色の葉が、残っていた。

 

 
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