千年に一度咲く、世界樹の花。
それを用いれば、譬え魂が天へ昇り完全にこの世から消え去った者でも呼び起こすことが出来るという。
その花が、今、青年の手にあった。
そして青年は勇者になる
宿屋の廊下の闇の中で何かが動いた。
人間の男のようなのだが耳にあたるものは人のソレに比べ長く尖っており纏う雰囲気も冷たい。
彼はある部屋の前に立ち止まるとどうしたものかと中を窺った。
その部屋の明かりと楽しそうな談笑とが廊下へ漏れ、男の耳に不快に響く。
だが、ふいに聞こえた少女の声に無意識に頬が緩んだ。
その時部屋の扉が開かれ緑の髪を持つ精悍な顔つきの青年が現れ、緩んでんいた表情もすぐにいつもの険しいものへと変わる。
「なんだピサロか。
部屋に入ればいいのに」
男――ピサロは青年を一瞥するとまた虚空へと視線を戻した。
「・・・・・・あの空気には、慣れぬ」
ピサロの容姿は美しい人間のソレであったが、その正体は闇の血族である魔族の王。
深く昏い寒々とした闇こそが彼の世界。
ピサロに光は眩しすぎる。
そんな彼が、何故人間ごときと共に旅をすることになったのか。
「シエロよ」
青年は廊下の向こうで振り返る。
人間の目であったならその表情を窺うことは不可能あっただろうがピサロにとってはそれは造作もないことだった。
その視線は男の顔を見る、というより睨みつけているという風であった。
そうだ、シエロはピサロを憎んでいる。
「何故貴様は、ロザリーを生き返らせたのだ」
シエロは旅立ちの時にピサロに全てを奪われた。
故郷、両親、友人や知人、そして誰よりも大切な存在をも。
これがピサロは長いこと不思議でしかなかったのである。
もし青年が人間以外の何者かであったとしても、普通なら恐らく自分の大切なものを取り戻すためにその奇跡を使うことだろう。
「貴様には・・・取り戻したい存在があったはずだ」
廊下を静寂が包む。
部屋の中から何やら賑やかな会話が聞こえるだけで、あとは窓の向こうで虫が鳴いているだけだ。
「・・・・・・僕は、お前になりたくなかった」
「何?」
ふいに返された言葉は小さかったが、それでも強い意志が込められていた。
「正直、お前のことは今でも憎い。
共通の敵がいなければ・・・ここでお前を殺すかもな」
「ふん、望むところだ」
鼻で笑うピサロ、だがシエロの表情は変わらないままだ。
「けれどお前が死ねば、ロザリーが泣く」
思いもよらぬ言葉に暗闇に沈むシエロの顔をピサロはまじまじと見る。
「もしも僕が世界樹の花にシンシアの命を願ったとしても、きっと彼女は喜ばない。
シンシアは、僕が世界を救うと信じてあの日死んだんだ」
今でも夢に見る。
カビ臭い地下室の隠し部屋でシンシアが小さく呪文を唱えたあの日を。
外から聞こえる沢山の声、音。
本当は生きていたかったはずなのに、それでもの身代りになったのは――シエロが勇者だったからだ。
「シンシアは自分の願いだとか希望だとか、そういうものを押し殺したのに
僕が世界よりもシンシアや村の皆を選んだら・・・自分の願いを優先したら、裏切りになるとは思わないか」
外では雲の合間から月が出て来たようだ。
ゆっくりと窓辺から覗き込み、シエロを月光が照らす。
「だから、自分のために・・・・・・ロザリーを生き返らせたんだ。
・・・・・・お前の為じゃない」
その時急に部屋の扉が開いた。思わずピサロは眩しさで眼前に手を翳す。
闇に支配されていた廊下が急に明るくなり、空気も一気に氷解した。
部屋から出てきた金糸の長い髪の少女が男を見上げた。
「ピサロ様、そんな所にいらしたんですか?
お部屋にいらっしゃれば良かったのに」
「・・・もう終わったのか?ロザリー」
先ほどよりも幾分か柔らかい表情でピサロが問いかけるとロザリーは笑顔で頷いた。
「はい、もう遅いからって・・・・・・ピサロ様はシエロさんとお話ですか」
珍しいと思いながら周りを見回すとロザリーとシエロの視線がつ、とぶつかり彼はわざと視線を外した。
「あー、話はもう終わったから。じゃおやすみ」
わざとらしく欠伸をしながらいそいそとシエロは自室へと戻って行く、それを見ながらロザリーは不思議そうに目を数回瞬かせる。
そしてシエロが見えなくなってから、今度はアリーナ続いてクリフトが姿を現した。
「あれ、ピサロそんなとこにいたの?
入れば良かったのに。
いけないんだー、そんな無愛想で」
「私が人間と慣れ合うと思うか」
その言葉にロザリーの顔はほんの少しだけ翳り、けれどもその変化ほんの些細なものだ。
だがクリフトは暗い中その微かな変化に気付き思わず声を上げた。
「あなたは、今でも人間が憎いのですか?」
幾ばくかの沈黙ののちピサロはロザリーの手を取り、踵を返した。
「わからぬ、ただ・・・この世界は私が見ていたものだけではないらしい」
人間はただ、醜いだけの存在ではない。
俄かには信じ難かった事実が今なら受け入れられるような気がした。
そう幾分かは思えるようになったはロザリーが生き返ってからだ。
「アリーナさんクリフトさんおやすみなさい!」
「うんおやすみ」
「おやすみなさい」
手を引かれて闇に沈んでいくロザリーたちを見送ってから、アリーナが窓の向こうを見て小さく声を上げた。
「見て!クリフト。
星と月ががとっても綺麗・・・」
サントハイムの皆からは、この綺麗な月は見えるのかしら。
ふと彼女はそう思った。
シエロは自室に戻るとそのままランプに火も灯さず寝台に倒れ込んだ。
そのまましばらくゴロゴロして、それから暗い天井の一点を見つめる。
「・・・・・・僕が、勇者じゃなかったら・・・皆とまだ楽しく暮らせていたのだろうか」
だが、自分は勇者だった。
今ならわかる。あの村はシエロが勇者として育つ為に在ったのだ。
勇者でない自分を望むということは、故郷や今まで全ての出会いを否定すること。
だから――彼は誰よりも勇者でなければならない。
世界を救うために、そしてその世界に宿敵も含まれるのだとしたら。
「シンシア」
青年が虚空に手を伸ばす。
最後に触れあった手の温もりが微かに、蘇る。
「僕は、勇者になる」
世界をまるごと救い、他種族とも共存するなんてこと、理想論かもしれない。
けれども、知っている。
山奥に人々と一人のエルフが幼い勇者を守る里があったこと。
ホビットとエルフと・・・魔族が暮らした小さな村があったこと。
共通の敵が出来たからとはいえ、勇者と魔王が共闘していること。
「多分、それが君の望んだことだと思うから」
偽善だとは、わかっている。
それでも皆の最期の願いを、叶えたい。
そして、ロザリーの願いも。
初めて夢で彼女と会った時に、似ていると思ったのだ。記憶の中の少女に。
愛した少女と似ていたから。
結局理由なんてそんなものだったのだ。
けれどもこれで運命は大きく変わったように思う。変えることができるかもしれない、魔物も。
「・・・エゴだって言われても、助けるよ。世界」
だから星になって、せめて空から見守っていて欲しい。
彼は強くそう願った。
「ピサロ様」
ロザリーの声にピサロは振り返る。彼女にだけ見せる柔らかな顔だ。
「なんだ」
「まだ、人を滅ぼそうとお考えですか?」
その真摯な眼に彼は逡巡し、答えた。
「今のところはな。
人間にも幾分かマシな輩がいるようだし今まではあまりに人間というものを知らな過ぎたのかもしれない。
だが・・・・・・それも見極める」
あの偽善を振りかざす勇者がどこまでできるのか。見届けてやろう。
本当にこの世界に人間が必要かどうか。
「・・・大丈夫ですわ、きっとシエロさんなら世界を救えます。
だって」
彼女の目は天井をすり抜け、まるで大空を見上げるかのように。
「だって、皆シエロさんたちのことを・・・信じてますもの」
月と星が見守った夜はこうして更けて行った。
いつか昇るだろう朝日を信じて。
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過去の作品より。6章を前提としています。シエロ=4主