私は神を信じては居ない。居ないはずだ。
私だけでは無い。私のように自らが至高と謳うため、日々研鑽に勤しむ存在は、総じてそうであると断言できる。我々は、己を絶対的な価値観として定めることで、世界を見ているのだから。
しかし、ネクロノミコン。
彼女は違った。
彼女は神を信じると言った。
不死の先に、神の存在を仄めかした。
私がどんな人間よりも優れていることは、私自身が知っている事だ。私の様な存在の中でも、私が特筆すべき存在であることもまた、私自身が認めるところだ。
だが、私よりも遥かに万能であると、私自身が認めざるを得ない彼女は、己を薄弱にしかねない絶対者を信じるのだという。
全く、恐ろしい事だ。
彼女は神を知っている。恐ろしい事だ。
私よりも理想の絶対者に近い存在であるところの彼女は、神を知っていながら、しかし、神を全く信用していないのだ。
それが恐ろしいのだ。
私は内心の動揺を隠して(彼女には全てを見抜かれていただろうが)そう言った。
彼女は非常に詰まらなさそうに、およそ、どれほどに深い洞窟の底でも有り得ないほどの静かな瞳で答えた。
『必要が無ければ信用に値しない。信用に値しなければ存在は無意味ね。絶対者の存在を知っていながら、信用に値しない事なんて有り得ない? それは違うわ』
どんな神よりも、人間は優位に立っているのだと、彼女は言った。
私は神を信じては居ない。しかし、私を含め、私と同じような存在は、やはり人間という存在から逸脱する事は不可能なのかもしれない。
必要であるかそうでないかなど、人間で有るならば、さじ加減1つでどうにでもなってしまうのだから。
しかし、彼女の場合、そうでは無いのだ。
違和感を覚えては居た。
周囲の視線が妙に気になってはいたのだ。場所は、繁華街近くの駅前。人の数を数えようとすれば、次から次へと現れる人の群れに、人生最大級の挫折感を味わうことは間違いないだろう。それほどの人間が居るのだから、仮にその中の1割でもこちらに視線をよこせば、それが気になるのは当然だろう。何よりも、そう、何となくだが、自分自身にすら若干の変化が有る事に、気付かざるを得なかったからだ。
「主様よ、アレが欲しい。アレを買って欲しいのじゃ。食べたいの」
老人口調の、大人びた方のカレンが発する言葉を耳にしながら、リコは空を見上げていた。
朝頃には曇り模様だった空も、午前中のある時間を境にして、晴天へと変化していた。心地良くない、強すぎる直射日光と輻射熱、纏わり付くような湿気が不快指数を積み重ねていた。
雲が晴れたのなら、せめて湿気だけでも連れて行ってくれれば良いものを。
恨めしげに空を見上げるが、同じ空が秋の空気を運んでくるというのも、また事実である。あと30日もすれば、暑さは和らいでくるのだろう。
「主様よ、無視するで無いぞ」
言って、カレンが後ろから跳びかかって来た。首に腕を回して、抱きついてくる。リコは、肩に確かな重みを感じた。鬱陶しくなるくらいの体温もだ。
「……………………」
そこで違和感は確信へと変わった。明らか過ぎて泣きたくなった。1度立ち止まって、言うべきか言わざるべきか迷って、そして、
「もしかして、だけどさ」
「なんじゃ?」
「もしかして…………あんた、私以外の人にも、視得るようになってるんじゃないの?」
「うむ、そうじゃの」
事も無げに、カレンは答えた。
カレンは人間では無い。その、人間らしくないところを列挙すれば、まだ知り合って間もないリコにでも、片手では足りない。普通の人間には見る事は出来無いし、当然の事ながら重さを持たず、体温など感じるはずも無いし、何よりも、これはどう表現するべきか迷うところだが、とにかく、白いのだ。人種的な限界を超えて白いのだ。
なので、肩に乗られても体重も体温も感じる筈が無いのだが、リコの肩はしっかりとそれらを感じ取っていた。
そう、違和感はあった。
朝、ベッドで上の空だったカレンは唐突にその姿を消失させた。若干の不安を感じたものの、どうせすぐに帰ってくるだろうと踏んでいたのだが、放課後、リコの帰宅時に何処からとも無く現れた。リコの思っていたよりもかなり遅い帰還だったが、どうやらそうでは無く、彼女は単に学校の外で待っていただけらしい。
『今日は何処かへ行く予定が有るのだろう、主様よ』
そう。
この言葉からだ。違和感を覚えたのは。
カレンの声は、少しだけ潤っているように感じた。恐ろしく長い白髪や純白のワンピースは空気に従って揺れている様に居る様に感じた。
声が潤っている、というのは表現として正しいかどうかは分からない。より分かりやすく表現するとなれば、生気を感じるような、という事か。より端的に表現すれば、『人間に近くなった様な』だ。
まあ、そんなわけで、本人からの申告もあり、カレンはどうやら万人から『見る事の出来る対象』になっているらしい。
なにあの子可愛い、と近くに居たОLらしき2人組みの囁きが耳に入った。なるほど、素晴らしく出来のよいフランス人形の様なカレンは、注目を集めるに値するころは認めざるを得ない。
「…………なんでそんな事になってるのよ」
額に人差し指の腹を当てて、困惑を隠そうともせずにリコは言った。
「アレを買うてくれたなら、話してやらん事も無いぞ」
リコの問いに対して、答えを焦らして応えた。妙に期待感を持った瞳で訴えてくる。主従関係で言えばイニシアチブを握って然るべきなのはリコなのだが、そんな愛嬌たっぷりの眼で見られれば、買ってやりたくもなる。
カレンが先ほどから執心しているのは(実際はそうでも無いかもしれないが)移動屋台だ。ワッフル&アイスを販売しているようで、甘く香ばしい香りがリコの鼻腔を刺激しては居た。
だが、その前にどうしても確認しておかなければいけない事が1つあった。
「食べるの?」
それは単純にして明快な問いだった。しかし、それ故に重大な事でも有る。事によっては非常に心痛む結果になり得る。
食べ物を買ってくれ。そうお願いされたのだから、それを最終的に口に入れるかどうかなど、考えるまでも無い。普通に考えれば、だ。なので、リコの問いはとても馬鹿馬鹿しいものだ。だが、一概にそうとも言えなくなってきたのが、リコの最近の現状であり、常識だった。
「うむ。主様が何を考えているか、我には分かるぞ。我は人間では無く、そもそも生命体ですら無い。しかるに、どうしてその我が食物を欲するのか。必要が無いのでは無いか。そう考えているのあろう?」
カレンはその場でゆるりと意味も無く一回転し、微笑んだ。
「その通りじゃの。必要など無い。無意味に近いの」
それを聞いて、リコはほっとした。昨日出会ってから、カレンはずっとリコの傍に居た。夕食の時も幼い方の人格で無駄に邪魔してくれたカレンだが、何かを口にした場面を見ては居ない。カレンの様な存在は食事をしないと決めてかかっていたから特に気にもしなかったが、そうで無い可能性だって大いに有りうる、と先ほど気がついたのだ。明確な主従関係が定められている以上、自分から積極的に飯の催促を行わなかっただけなのかもしれないと。今になってワッフルを催促してきたのは、限界が訪れて催促せざるを得なくなっただけかもしれないと。
そうなると、リコは(見た目だけだが)可愛らしい少女に食事を与えなかった外道、あるいは鬼畜と呼ばれても反論の仕様が無い立場に追い込まれるところだった。
「ていうか、無意味に近いのに、なんで欲しがるのよ」
アルバイトもしていない高校生の身なのだから、無用な出費はなるべく抑えたいのだが。
「では逆に訊くが、主様は朝昼晩と3食の飯を食べておるの。それだけでエネルギーの摂取は十分可能であるのに、どうしてデザートを欲する? 無意味に近いのでは無いか?」
「それはあんた、私が太ってるって言いたいの?」
乙女には触れてはならない部分というものがある。咄嗟にカレンの両頬に両手を伸ばした。頬を上下左右に引っ張った。
「ひゃふいへんでふれ」
その状態でも話を止めなかったため、カレンの言葉はその体を成していなかった。仕様がないから手を離した。
「邪推せんでくれ」
ああ、そう言いたかったのか。
「我が言いたいのは、無意味なのはどちらも同じであろうという事なのじゃ。デザートは嗜好品じゃろう。主様はそれを楽しんでおるわけじゃの。我だって同じじゃ。必要は無いが、甘くて美味しい物を食べたいのじゃ」
胸をはって断言されたら、それ以上何も言えなくなってしまう。
なにより、期待感が込められた瞳を裏切れない気持ちが強い、というのもある。なんとなく後ろめたい気持ちにさせられるのだ。
と、いう事で、諦めて買う事にした。もちろん2つ。1つは当然、自分のものだ。
プレーンの生地にチョコアイス。チョコ風味の生地にクリームチーズアイス。お互いに味見しながら食べた。
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そろそろペースアップしていきたい。
ワッフル&アイスを食べる事は必要なのかそうでないのか。
そんなお話です。