『わかった』という言葉がある。これは理解したという意味なのだが、これが以外と深い。
歳を重ねる毎に、このわかったという言葉、ドコまで物事を理解すれば『わかった』と使っていいのか難しいところだ。
喫煙者で、タバコが健康にいいと知っていて喫煙している人はまずいないだろう。
お金もかかるので金銭的にも損をしているのは自覚しているだろう。
依存症という一度タバコを吸うと辞めにくくなるというのも頭に入っているだろう。
これらをまとめると、喫煙者はタバコが身体に悪いとわかっていて、それでいてお金も使うと理解していてそれでも依存症に勝てないとわかっていてタバコを吸っていることになる。
果たして本当にわかっているのか?
答えはNOである。
ここで重要なのは、どこからが分かるということなのか明確なラインが存在しないことである。
まず、健康に悪いという点。
簡単にコレを理解として大きく別けるとすると、二種類。
一つは実体験。
もう一つは知識として。
実体験なら話しは簡単。例えば心臓の鼓動が早くなったり、煙草が原因で癌にかかったりと自分自身被害に遭うのが一番手っ取り早い。タバコを吸い続けることで、こんな症状になったと体験することで"こうなる"ということが明白になるのだ。
さて、ではもう一つの知識。コレは少し話しがおもしろくなる。
例えば禁煙者に比べ、喫煙者の癌のパーセンテージは...等、明確な数字を知っている人間がどれぐらいいるだろうか? これは、まず癌の種類を把握し、その種類の癌の症状も理解しなければ数字だけ知っても意味がない。では、逆にそれらの症状、種類、病に陥る確立を全て頭に入れればわかったと言えるのか?
恐らく、それら全てを理解している人は「知識としてはわかって(認識して)いる」と口にするでしょう。
さあ、皆さんはどう思います?
情報を情報のまま理解して、それをわかった・認識したと判断していいのか。
自分自身身体にどういう影響が出るか知っていても、それがどれだけの苦痛で、どんな感情に陥るのかはその病に陥らなければ分からない。しかし、それでも知識としては全て頭に入っていたとする。それを分かったと言えるのか?
正直、それは人の判断になると思いますが、私は『わからない』と定めます。
しかし、中にはこういう人も実在します。これは煙草に表示されている文章なんですが、『喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます』という言葉。これを見て「へぇ〜、煙草って身体に悪いんだね〜」で終わる人。
その人は、なんとなくタバコが人体に悪いと理解してはいるつもりで、依存症によりタバコをそのまま吸い続ける。
さて、ここで何が言いたいのかというと、情報の理解の定理というものを解いてみたいんです。
1,印象
2,病状例
3,症状に陥るパーセンテージ
4,タバコに含まれる成分とその成分の意味
5,実際に病に陥り体感する病気の症状。
私はこれら全てを理解して、本当にタバコが人体に悪いと理解していると、わかったと初めて言えるのではないかと思います。
ただ、人によっては『なんとなく』だけで軽々しく「わかってるんだけど...」と口にする人もいます。
しかしそれは間違いではないです。
身体に悪そうという印象はあるわけで、確かにそれはわかってると言うことはできます。
よく、ビジネス本等で知っている知識をあえて黙るというようなことが多く書かれていますが、それとは少し違います。
これは、言葉の価値です。
人により、言葉の価値というものが変わってくるということを強く言いたいのです。
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......わかった? おい、何がわかったんだよ?