本陣を出発して三日。オレたちは孫策の敷いた陣に到着した。
兵糧に関して本当にぎりぎりだったようで、兵士たちの頬が若干こけているように感じる。それにオレたちの到着にその目を輝かせ、援軍の到来に喜んでいるさまは本当に緒戦を優勢に戦い、一騎討ちにて相手の副将を討ち取った軍なのだろうかと思ってしまう。
「袁術はあまり良い待遇を孫家に与えていないようですね。……というより生かさず殺さずといった待遇ですか」
この陣についたときにもらした越ちゃんの言葉が、言い得て妙で軍議のときの袁術の様子を思い浮かべ、この状態を納得してしまった。
「諏訪。本当にやるのか? あれ」
孫策のところに向かう伯珪さんが、横を歩くオレに問う。
伯珪さんはこの軍の様子を見て心痛めているようだ。さすがにここまでとはオレも予想はしていなかったが、寡兵にて関を落とすためには詭計をめぐらせでもしないと無理だと思う。
孫策の兵とうちの兵を合わせても四万に届くか届かないか。対して汜水関を守る華雄の兵は、先の戦いで五千以上減ったとはいえ、まだ五万以上駐屯している。ただでさえ相手より数が少ない上に関に篭られでもしたら、勝つことなど不可能である。なぜなら攻城戦において防御側は城壁という堅固な壁に守られているのに対し、攻める側はその壁をまず越えるなり崩すなりしないといけないため、守備側よりも三倍の数を要すると考えられているからである。
つまり自分たちより多い数の兵士が守る城なり砦なり関を破ることは、実質不可能ということではある。
しかし実際には兵の士気であったり錬度であったり様々な要因で、ここまでの戦力差が無くても落とすことはできるとは思うが、兵士の数は多いにこしたことはない。兵法というものを勉強していなくてもこれくらいのことはわかる。
そして本陣を出発する前に捕まえて、一緒に考えてもらった鳳統ちゃんの作戦を実行するためにも、被害を最小限にするためにもここは心を鬼にして伯珪さんにも事に当たってもらわなくてはならない。
「しかしなぁ……どうにも兵を犠牲にするようなやり方はなぁ」
伯珪さんはいまいち納得していないようだ。たしかに言いたいことはわかる。オレだって他にいい作戦があれば、正直やりたくはない。
「伯珪さん。必死は殺され、必生は虜にされ、忿速は侮られ、廉白は辱められ、愛民は煩さる。孫子の五危を忘れてないかな?」
反対する人がいたら鳳統ちゃんが言うように言った孫子の五危。詳しくは判らないけど軍を統率する将軍が避けなければいけない戒めということだけど、これで納得されるのだろうか?
「……ふぅ。兵を労わり過ぎない事か。耳に痛いな、その言葉は」
しばらく黙ったままだった伯珪さんは、ため息をつくと力を抜いた。やはり孫子の兵法ってすごいんだね。城に戻ったらよく読み込んでみようかな。十三篇とか斉孫子兵法が八九巻とか長そうだけれども、今後のことを考えたら読み込んでおいて損はないだろう。
「よく来てくれた。孫家は白馬長史と白馬義従を歓迎する」
孫策は畏まって伯珪さんを天幕で出迎えた。伯珪さんのほうも畏まってその歓迎を受けていたけれども、これから言うことを考えたら結構憂鬱になるかも。
孫策の隣には周瑜もいることで、利のある戦術的な話ならばたとえ孫家にとって厳しい話だとしてもちゃんと聞いてくれるに違いない。きっとそうだと思いたい。そうだといいなぁ。
なんて弱気になっている場合じゃない。
一通り挨拶が終わったところで、実務的な話を始める。この実務的な話が問題なのだが、ここに来た兵数や糧食の量など当たり障りのないところを孫策と周瑜に話し、孫家の現状と新たに得た情報を逆に聞き出す。
ここまでグダグダと言い辛いことを言ってもらおうと、オレと伯珪さんでお互い牽制している。
「なにやら言い辛いことでもあるのですかな?」
周瑜がお互いを牽制するオレたちに直球で聞いてくる。
オレと伯珪さんはなんとなく顔を見合わせてしまう。
「えぇと……すみません! 孫伯符さんの部隊には餓えてください」
すこし言いよどんだ後、この作戦を持ち込んだ責任を取ってオレが、謝りながら叫ぶように言った。
「私たちに餓えろとはどういうことだ!」
孫策に襟首をつかまれて捩じ上げられ、同時に語気荒く詰め寄られる。綺麗な顔でも細めた鋭い瞳で、唾がかかるほど近くで睨みつけられるとさすがに怖い。いや綺麗な顔だからこそ怒った顔が怖いと言える。
「事と次第によっては、連合の使者とはいえ許しはしない」
本気の怒気と気迫がビシビシと感じられる。孫策の怒りは正当なものだとは思うが、手を腰に佩いた剣に置くのはやめてほしい。
「伯符、抑えろ。私が聞いている公孫賛ならそのようなことを何の訳も無くするような人間ではない」
周瑜が抑えてくれなければ、オレはそのまま首を絞められて良くて気絶、悪ければ死んでいたかもしれない。それくらい孫策の怒気は激しかった。
オレはなんとか判ってもらえるように一所懸命、鳳統ちゃんと考えた策を説明する。
この策は実は一刀の三国志知識も利用している。
三国志演義同様、この孫策は胡軫を撃破している。ということは華雄は孫策を警戒して関の防備を堅め、野戦に応じる確率は低いと思われる。ならばいかにして華雄を関から誘き出し、野戦に持ち込み奇襲をかけるかということが大事になってくる。
ならば三国志演義にならい孫堅が味方から兵糧攻めを受け、炊飯の煙が上がらないことで夜襲され壊滅したことから、ここでも炊飯の煙が上がらなければ華雄はきっと夜襲をかけてくる可能性が高いと思う。
だから華雄が騙されるように炊飯の煙を上げず、孫家の兵士には飢えたフリをしてもらいたいのである。
細作が調べに来たときに孫家の兵士が餓え、士気が最低な状態であると華雄に報告すればきっと猛将名高き華雄ならば、勝機を見出し関から兵を率いて出てくると思われる。そこを伏兵として隠れていた部隊が奇襲をかけて打撃を与えると同時に孫家の部隊も挟撃として参加して止めをさす。
ここで指揮官たる華雄を討ち取ることができれば、関に残る兵士など烏合の衆も同然。
孫家とともに白馬義従が攻め込めば落とせるとオレと鳳統ちゃんはふんだ。
この策一つで全てがうまくいくとは思ってはいない。そこでオレは周瑜に補佐を願いたいのだ。
「下郎。言いたいことはそれだけか」
そこまで説明が終わったところで孫策が腰に佩いた剣を抜き、オレに突きつけつつ静かに告げた。
「私は呉の民を守らねばならない。そして如何に作戦とはいえ、民を飢えさせるなど許せるはずもない」
ゆっくりと手に持った長剣を振りかぶり、オレの頭めがけて振り下ろす。
アッと思ったときにはオレは周瑜に引き倒されていた。
孫策の長剣は伯珪さんの剣に防がれ、オレに届くことはなかった。
「孫策! 乱心したか。勝つためには仕方ないことだとどうしてわからない!」
伯珪さんも本気で相手をするわけにはいかず、防戦一方になりつつ言葉にて孫策を諌めようとしている。周瑜が一緒に止めてくれればなんとかなるかもしれないけど、作戦の練り直しをしないといけないか。
「孫子の兵法を継ぐ呉の将が五危を弁えないとは情けない」
伯珪さん、それさっきオレが貴方に言った忠告をパクッてるじゃないのさ。何合も剣を合わせているけど、伯珪さんから攻める手は一切ない。孫策の攻撃を伯珪さんが受けている状態が続いている。さすがに防戦に専念しているとはいえ、いつまでも受け切れるものじゃない。早く止めなければただではすまない。
周瑜にも止めてもらおうとオレが顔を向けたとき、周瑜は下に敷かれた絨毯を一部捲って地面を露出させていた。
伯珪さんと孫策の争いを止めることなく、そんなことをしている周瑜にオレが不思議なものを見るような視線を向けてしまうのは仕方がないことだと思う。
そんなオレの視線に気がついた周瑜は少々眉を顰めはするものの、人差し指を口に当ててオレを手招きした。
「そんなものはよく弁えている。それでも許せるものと許せないものがあるというのだ」
まだ伯珪さんと孫策はお互い怒声を浴びせながら、剣での命のやりとりをやりあっている。
躊躇していたオレに業を煮やしたのか、周瑜が首根っこを掴んで強引に彼女の足元、絨毯を捲られ地面が露出したところにオレを引き倒す。
「なにするんですか! あのふた、モガッ」
さすがにこれには頭にきたオレは周瑜に食って掛かるけれども、あっさりと肩の関節を極められ地面に再び引き倒された。背中に膝を乗せられ完全に動きを封じられて口を塞がれる。あまりにも一方的で鮮やかな手並みにぐうの音もでない。
「あんまり騒ぐな。折角伯符が芝居をうっているのだ、邪魔をすることはないだろう?」
オレを押さえた後耳元で囁く周瑜。オレの顔にかかる彼女の艶やかな長い髪から甘いいい匂いがしてちょっとドキドキしてしまうが、囁かれた内容に驚いて目を見開いてしまう。
「公孫賛もわかって芝居に乗っているから安心しろ」
よく見てみれば孫策の剣筋は単純で読みやすい。つまりはただ剣を振っているだけ。
それに合わせるように伯珪さんが剣を当てて、派手な音が鳴るようにしている。一応足運びも使っているように見せるためか、位置をお互いが入れ替わるように動いてはいるけれども、基本的にその場に立ったままでやり取りしている。
「地面での文字のやり取りにて詰めをしようとおもったが、このまま小声でかまわないだろう」
周瑜は肩の関節を決めた手と口を塞ぐ手を離しただけで、オレの背からは降りようともせず乗っかったまま続けるようだ。彼女の大きな武器が背中に当たって気持ちい……などといって言い場面でもないので、体勢を変えようと一言断ってから上体を起こす。
はずだったのだけれども、周瑜がどかずにより体重をかけてオレを潰した。
「私達を餓えさせようなんて作戦を立てる人間に、多少なりとも仕返しすることは許されると思わないか?」
横目でそう言った周瑜の確認をしてみれば、ニヤリと楽しそうに笑っていた。
打ち合わせの通りというのも変だが、孫策と伯珪さんの仲違いが原因ということにして伯珪さんは軍を孫策の陣から引き上げさせた。
もちろんこれは華雄側に見せるだけの擬似的なものだけれども、ある程度は本陣に向かって戻らなければならない。そして夜陰に乗じるなりなんなりして黄河の傍で水が確保できる森にでも隠れておかなければならない。場所に関してはここに来るまでに越ちゃんに話しておいたから、きっといい場所を探しておいてくれるはず。
それに厳綱さんが、しっかりとオレの要求どおりの事をやってくれていたので仕事がやりやすい。
できる限り孫策の陣の傍で、華雄の細作に目をつけられることのない場所。
そんな場所を見つけて、オレが用意してもらった兵糧を備蓄しておいてもらった。凧と一緒にいろいろと作っておいたものの一部なんだけれども、こんなことに使えるとは思わなかった。
「で、これが私達に提供してもらえるという兵糧か?」
孫策の陣からオレについてきた、紫の髪をお団子にして一つにまとめた髪型の目付きの鋭い女性が山と積んである兵糧の袋を見て話しかけてくる。彼女がかの甘興覇、鈴の甘寧というのだから驚きだよな。
「そうです。一応一日三食、一万五千人の兵士が規定量だけ食べるのなら六日分用意してあります」
彼女の下半身は目の毒なのでなるだけ見ないように、兵糧の山に視線を向けて質問に答える。しかしこの人はこのような格好をして恥ずかしくはないのだろうか……露出狂の気があるのかもしれない。孫策も周瑜も結構露出度高かったし、呉の人間はきっとそうなんだろう。褌、隠す努力しているとは到底思えないしな……。
「ふむ。それで本当に火を使わずに食すことができるのか? 作戦を聞く限り火を焚くことが可能とはおもえんが」
「その心配は大丈夫です。とりあえずこれを持って……」
顔見知りの兵士に持ってきてもらった茶碗を甘寧に持たせる。そこに兵糧袋の中身たる白い粒を一握り入れて、竹筒の水筒から水を茶碗に注ぎいれた。
しばらくすると白い粒は水を吸い、ふやけて粥状になっていく。
「これは……米か?」
そこに干し肉を一切れ、干し杏を一個載せてオレが用意した保存食の出来上がり。これを二杯で一食と計算して用意してある。
「お米です。正確にはたいた米を乾燥させたものに、塩を少しふって味付けしたものですね。この一揃いを二杯で一食と考えています」
この米を干したものは実際にいつからあったのかは知らないけれど、鎌倉時代には糒という字を当てられ伊勢物語にも登場する食べ物だし、それ以前には干し飯とも呼ばれていた。
オレはこれの再現をしようと思い作ってもらったものが、今回丁度役に立ったというわけだ。
本来は自軍の兵糧に用いるつもりだったのだけど、それを全て孫策の軍に提供している。さすがにそれほど量は作っていなかったため、糒がまったく足りないのです。干し肉と干し杏はポピュラーに保存食として用意してあったので十分賄えるけれども、糒に関してはオレの我侭からの品なので現在も急ピッチで本陣傍に展開させた一部隊が作成中という有様だ。
「ふむ……食べれなくはない。塩もかなり効いているな。これなら多少の日数なら不満も出まい」
甘寧の言葉に一安心。
後は夜陰に乗じて陣まで運んでもらうだけだけれども、そこも問題だとは思う。
「何、細作が数人帰らなくとも、それは見つかったと思うだけで気にも留めまい。すでに幼平が動いている。心配はするな」
甘寧の言葉どおり、夜陰に乗じてこの兵糧は孫策の陣にちゃんと運び込まれた。通った後には数人の華雄の細作がいたようだけれども、その全てが静かに処理されたらしい。なんとも隠密行動に長けた人がいたものだ。
なにはともあれ、汜水関を落とす前哨戦の準備は整った。後は獲物がこの罠にかかるのをジッと待つだけだ。
オレは遠くにそびえる汜水関を甘寧について入った孫策の陣の中で見つめ続けた。
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双天第十九話です。
下準備が終わりません。これは戦争は戦いが始まったときにはほぼ勝敗が決まっている。戦う前の準備が戦いそのものより大事という私の個人的考えによるものなので、申し訳ありませんがまったりと流してください。(>w<;
最近頓に思うのですが……親父成分が足りない! かっこいい、渋い親父がキャラとして欲しい! 皆川作品に出てくるような親父を出したい! はい、一過性の病気です。いつか出てくると思いますが出てきたら病気が出たと思ってください。
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