その瞳に映りし者
~第22話 選択~
今晩は、いつにも増して静かに感じた…。
暗闇の中、灯りもつけずに一人ジュリアンは、考えていた…。
何故、ノエルなのか…なぜ、神はノエルを選んだのか…
いくら自問しても、その答えは返ってこなかった…。
背後から、ふと人の気配がした…。
「入ってもいいかしら…」
「クロディーヌさん…」
クロディーヌは、ジュリアンの横に静かに座った。
「なぜ、こんなことになってしまったのかしらね…彼には何の罪もないのに…」
「僕が…代わりに病気になればよかったんだ…」
「ジュリアン…それは違うわ…そんなことを言っては駄目よ」
「僕は、役に立たない人間だけど…ノエルは違う…彼は僕よりも周りに愛され、大事に思われてる…彼こそ、もっと生きるべきなんだ…僕の方が代わりに病気になれば…」
自分を責めるジュリアンを見て、クロディーヌはこう諭した。
「この世の中に、役に立たないものなんてないのよ…どんな人間にだって、それ相応の役割があるの…だから、ノエルだけでなくあなただって、平等に生きる権利はあるのよ…だから、そんな投げやりなことを言っては駄目よ」
その言葉を受けて、ジュリアンは思い出したかのようにこう言った。
「確か、以前僕に言ったよね…僕は大切な人を失うって…それは、とても身近にいる人間だろうって…ノエルだってわかっていたの?」
「いいえ…わたしは、人の過去や未来を占うけど…はっきりとしたことが見えてるわけじゃないの…あなたの大切な人だということしか解らなかったわ…」
二人は、しばらく沈黙した…。
「これから、どうすればいいのかな…もう奇跡は起きないのだろうか」
「奇跡が起きるよう、神に祈りましょう…そして、あなたたちのお母様にも…きっと、彼女が守ってくれるはずよ…」
クロディーヌは、沈み込むジュリアンを優しく励ました。
シュテインヴァッハ家に大変なことが起きているということを、まだ知らないソユーズ家では…
屋敷の者たち一同が集まって、ある話し合いが行われていた。
「全員、集まったわね…実は、あなたたちに話しておきたいことがあるの…」
病気をおして、ものものしく話すローズ・マリーの言葉に、人々は固唾を呑んだ…。
「あなた方も、少しは気付いていたかもしれないけれど…ソユーズ家は、現在とても危ない状態です…わが国は、現在不況の嵐が吹き荒れていて…その影響も関係ないとは言っていられなくなりました…代々続いてきたソユーズ家をなくしたくはありません…それで、とうとう屋敷の土地を一部売却することにしました」
人々は、皆一斉にざわめいた…。
「これは、以前から考えていたことなのだけど…なかなか思い出深い土地を他人に譲るということが出来なくて…何度も迷いました…でも、そうも言っていられません…この屋敷に関わる人達の生活がかかっているのですからね…」
「お母様、顔色があまり良くありませんわ…」
ジュディが、心配してそう話しかけた。
すると、弁護士のダルトンが一歩前に出て、こう話しはじめた。
「では…これからのことは、当主のローズ・マリーさまに代わり、わたしが説明いたします…」
弁護士は一息ついて、こう続けた。
「このソユーズ家をバックアップしてくださる候補として、現在シュテインヴァッハ家の当主、ヴィトーさまの名があげられております。今後は、ソユーズ家の相談役としても、この屋敷に深く関わっていかれるかと思います…」
(彼は、何のことを言っているのだろう…)
ずっと話を静かに聞いていたリリアは、心の中でそう思った。
「ヴィトーさまの、ご意見なのですが…土地の一部を売却しただけでは、この屋敷を継続していくためには充分ではないと…つまり、使用人の一部を切る覚悟も必要だと申されておりまして…」
再び、周囲がざわついた…。
「使用人の一部を切るとは…つまり、誰かを首にするということですか…」
カイルが、すかさずそう弁護士に尋ねた。
「つまりは、そういうことです…」
「なぜ、ヴィトーさまからそんな提案が出るのでしょうか…これは、この屋敷の問題ですよ…いくら彼でも、それを決める権限はないのでは…」
カイルの言葉に、他の使用人も同意した。
「カイル…わたしが、ヴィトーさまと話し合って、そのことに同意したのです…本当に無力なわたしが悪いのです…どうか、許してください…」
ローズ・マリーは、深々と頭を下げた…。
「奥様…どうか頭をお上げください…わたしは、奥様を責めているのではありません…ただ、ここの屋敷にいる者たちは古くから携わっている者が多く…突然、解雇と他人から言われても、納得がいかないと言ってるだけなのです…」
弁護士は、カイルの言葉をなかば強引に無視して、更に話を続けた。
「今月いっぱいで、この屋敷を去ってもらう者として…年齢の高い順からということに
決定しました…人数は、3人です…誰なのかは、個々に話がいきます…では、そのつもりで、よろしくお願いします…以上」
あまりにあっさりとした弁護士の説明だった。
何の情も感じられない言葉に、憤りを感じないわけがなかったが、人々は皆沈黙した…。
弁護士の説明が終わり、一同が解散したあと…
リリアは、ローズ・マリーに駆け寄った。
「お母様…なぜ、この屋敷の今後のことにヴィトーさまが口を挿むのです…使用人を首にする権限なんて、彼にはないと思います…どうにかならないのですか」
「リリア…彼はきっとあなたを含め…この屋敷のことを案じているのでしょう…シュテインヴァッハ家は、この国で最も権威のある一族です…それに比べて、うちは没落貴族…格が違い過ぎます…これからのことは、全てヴィトーさまにまかせるしか他に道はないのですよ…悲しい話だけど…」
「お母様は、わたしにヴィトーさまのもとに嫁げとおっしゃりたいの」
リリアの険しい表情をみて、ジュディが止めに入った。
「お願い、お姉さま…それ以上は言わないで…お母様だって、充分悩んでいるの…これは、苦肉の策なのよ…ね、解ってあげて」
「……」
リリアは、ジュディを振り切って出ていった…。
そんなリリアを、二人はただ見送るしかなかった。
リリアは、その足で牧場に来ていた…。
そよそよと爽やかな風が吹き、リリアの長い髪を揺らした。
思えば、初めてこの屋敷を訪れたとき、一番はじめに飛び込んできた景色がこの広大な牧場だった…。
思い出のいっぱい詰まったこの土地を手放すことは、リリアでなくとも悲しいことだろう…
母は、きっと精一杯この屋敷を守ろうとしてきたのだと思う…
しかし、結果としてこうなってしまった。
やはり、女一人の力ではどうすることも出来ないこともあるのだ。
「わたしは、どうすればいいの…この屋敷を守るために、わたしに出来ることは、ただひとつ…だけど、それだけは…」
「リリアさま…こんなところで何をしておいでなのですか」
「カイル…」
リリアは、突然のカイルの声に驚いて振り返った。
「リリアさまは、よくここがお好きで、以前から寂しいとき悲しいときも来られていましたよね…今も同じですか…」
「そう…とても悲しいわ…自分がいかに無力かがわかって…」
「わたしもです…結局、何も出来ない自分がはがゆくてならない…皆、この屋敷を守ろうという気持ちは同じはずなのに…」
「何か出来ることは、ないのかしら…きっとまだ何かあるはずよ…なんとか、使用人を辞めさせずに済むよう、もう一度直談判してみるわ」
「無理だと思います…ローズ・マリーさまの決意は固いし、この屋敷自体誰かが犠牲にならなければ、とうてい持ちません…これは最終的に出された結論なのです」
カイルは、冷静にそう言った。
「年齢順って言ってたけど…うちの使用人で一番高齢なのはジャックでしょう…それじゃ、ジャックが最初に…」
「おそらくは…」
二人の不安は的中し、ジャックには弁護士を通して解雇通告がなされていた。
期限は、今月限り…あと20日もない…
「こんなことって、あんまりだ…」
沈み込むジャックをみて、ナディアは心配そうに駆け寄った。
「ジャック…どうしてこんなことに…奥様も酷すぎるよね…ジャックは、田舎に帰っても、身寄りもないのに…」
「俺はどうすればいいんだ…せっかく、今までこの屋敷で頑張ってきたのに…」
すると、ジャックとナディアの前に、カイルが現れた。
あのあと、牧場から戻ってきたのだ。
「カイルさま!…俺は、これからどうすればいいんだ…弁護士は、冷たく俺に今月中に荷物まとめて出て行けと言うだけなんだ」
「心配することはないよ…わたしに考えがあるから…」
「えっ……」
カイルは、静かにジャックに微笑んでその場を去っていった。
「カイルさま…」
ナディアはカイルの後ろ姿を不安そうにみつめた。
カイルは、ローズ・マリーの部屋にやってきた。
「奥様…少し、お話があります…よろしいですか」
突然のカイルの申し出に、ローズ・マリーは困惑したが、すぐに承諾した。
「どうぞ、入って…先程の件についてでしょう…」
「はい…先程は、わたしも興奮しておりまして…無礼な発言をし、誠に申し訳ありませんでした…」
「いいのですよ…あなたは、ずっとこの屋敷のことをいつも心配してくれていたのですから、当然です…で、話したいこととは…」
「実は、ジャックについてなのですが…」
…カイルの、話すことにローズ・マリーは絶句した…。
一方リリアは、牧場から戻ってきた後、自分の部屋でジュディと話をしていた。
「久しぶりに、牧場の空気を吸ったらね…とっても気持ちがよくて…やっぱり、わたしはこの景色が好きだなぁって、改めてそう思ったの…この土地を手放すのは忍びないなって…」
「お姉さまは、お母様にヴィトーさまとのことを話すつもりだったの…でも、まさかヴィトーさまの申し出を受けて、嫁ぐなんてことないわよね…ジュリアンさまがいるのに」
「……」
何も答えないリリアに、ジュディは慌てた。
「え…ちょっと待って、お姉さま…それは駄目よ」
そう言ったあと、ドアをノックする音が聞こえた。
「リリアさま、ジュディさま…カイルです…入ってもいいですか」
カイルに救われたと、ジュディは胸をなでおろした。
「どうかしたの、カイル…あらたまって…」
「実は、お二人に話しておきたいことが…」
カイルは、静かに二人にこう言った。
「わたしは、今月限りで、この屋敷を辞めることになりました 今まで、長い間…お世話になり、有難うございました」
「カイル……」
リリアもジュディも一瞬言葉を失った。
突然のカイルの言葉に、頭が真っ白になってしまった。
「ど…どうして、カイルが辞めるの…全然、言ってることの意味がわからない…」
ジュディは、狼狽してカイルに尋ねた。
「以前から、辞めようとは思っていたのです…この屋敷から、誰かを切らなければならないのなら、わたしがと…先程奥様に話してまいりました…奥様も承諾してくれたので…お嬢さまがたに報告しようと…」
「駄目よっ!それは、絶対に私が許しません…辞めたら承知しないから!」
ジュディは、カイルの突然の言葉に、我を忘れて叫んだ…。
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小説「その瞳に映りし者」の第22話です。
シュテインヴァッハ家、ソユーズ家両方に悲劇が訪れます…
人々はその中で、何を選択していくのでしょうか。