研ぎ澄まされた剣とは言えない、刃こぼれした切れ味の悪く錆びた小刀という言葉が似合う
男の濁りきった瞳、それを見て秋蘭の顔は青ざめ、悲しみに染まり走り出そうとするが
射抜かれた足は射られた衝撃で動かない
そんな妻の想いが一切届かず男は黄忠へと走り、間合いを詰めていく
「このっ!そんなものに気圧されるわけにはっ!」
突き刺さる紅蓮の殺気を振り払うように顔を振り、弓を構え男に三本の矢を打ち放つ
男に襲い掛かる矢を見て驚いたのは秋蘭でも黄忠でも無く流琉だった
今まで一度だって見たことも無い光景、急所に襲い掛かる矢を『腕で受けて』いるのだ
何時いかなる時でも男は両腕を傷つけず、庇い、守り、汚れ一つ無い美しい包帯で
指先まで巻かれた両腕を盾にして突き進んでいく、打ち抜かれた両腕の包帯は血で染まり
真紅に染めていくが男は気にする様子も無く、ただ声を上げて突き進む
「死になさいっ!」
更に打ち込まれる矢を身体を捻り急所を外し、盾にした右腕の剣を飛ばされながら身体に受ける
黄忠の弓の威力は秋蘭が動けなくなるほどの衝撃、男は身体を地面に転がし倒れた
だが男の殺気は治まらず、眼の濁りもそのままで血を滴らせガクガクと震えながら身体を起き上がらせた
「な、何この人?その程度の力でこの殺気なんて・・・」
目の前に転がる男のあまりの落差に黄忠は一瞬だけ気を抜いてしまった
その瞬間、男は身体を転がし間合いを詰めて輝く剣を振り上げた
「しまった、でも間に合うっ!」
振り上げられる剣を弓で防ごうと合わせると、黄忠の弓は乾いた金属音と共に真っ二つに切り裂かれる
あまりの切れ味に黄忠の顔が驚愕の色でおおわれた。
更に男の剣が頭上から襲い掛かるが冷静に、間合いを詰めて男の手と柄を押さえつけた
私としたことが、距離をとったまま矢を放ち十分に討ち取れた。この人は武など無いに等しい
あの殺気に騙されてしまったわね・・・
「す、翠ちゃん・・・」
「あ・・・わ、解ったっ!」
男の変貌振りに馬超の動きは止まっていたが、黄忠の声に反応して剣を抑えられ動きの止まる男に
槍を構えて突進する
「させんっ!」
叫び声と共に後方から兵を踏みつけ飛び上がり、上空から紅い衣を纏った女性と共に大剣が馬超に襲い掛かる
咄嗟に避けた馬超がいた場所には大地を切り裂き深い剣撃の爪あとを残す
「昭っ眼を覚ませっ!」
駄目だ、眼が濁りきって心が怒りで縛られてる。抱きしめてやらねば元になど戻らん
あんな戦い方は死兵と変わらんぞ、直ぐに殺されてしまう、お前は死ぬ為に戦うのではないだろうっ
春蘭は昭の濁りきった眼と突き刺す殺気、腕に突き刺さる矢を見るなり、顔を悲しみで染め男を止める為に走った
だがそんな思いはすぐさま攻撃に移る馬超に止められてしまう
「おまえは夏候惇、兄様の義姉様・・・」
「邪魔だっ貴様も義妹なら昭を止めろっ」
「うるさいっ!私は墓前で約束したんだっ、絶対に手を抜かない!」
「ちっ、貴様のようなものが何故昭の義妹にっ」
馬超の槍を受け、弾き、春蘭の脚は完全に止められてしまう。焦りを抱える春蘭の剣は馬超の槍を
防ぐだけに留まってしまっていた
『ゾブリ・・・・・・』
突然現れた春蘭の攻撃で、一瞬視界を馬超のほうに向けた黄忠の耳に聞いたことが無い音が響く
その音は不快な音で、何処か水気を帯びていて、それでいて酷く気持ちの悪い音
音と何故か感じる左腕の違和感に視線を目の前の男に戻すと思わず小さな悲鳴を上げた
「ひっ・・・」
左腕には男の歯が深く突き刺さり、ダラダラと流れ出る血液は男の口を赤く染めていた
噛み付いた場所からぐちゃっと嫌な音を立て、なお男の歯は黄忠の左腕に食い込んでいく
「は、放しなさいっ!」
振りほどこうとするが男の歯は食い込み離れず、己の右手は男の剣を抑えている
そして急所を狙おうと下を見れば脚を前に突き出し、それも出来ない
「う、ううぅ」
身動きを完全に封じ込まれた黄忠に更なる恐怖が襲う、左のわき腹に鈍い痛みが走る
痛みに顔を歪め、目線を移せば己の脇を男の右手が身体に深く食い込み、鷲掴みにして
凄まじい強さで握り締めている。その場所からは血が滲み出し衣装を赤く染めていった
ゆらりと男の鋭く濁った目が黄忠を捕らえ、眼が合ってしまった黄忠は恐怖でついに声を上げてしまう
「い、いやああああぁあぁぁぁぁあっっ!!」
恐怖で絹を切り裂いたような声が響くと、馬岱は震える身体を起こし、涙をボロボロと落としながら
懸命に黄忠を助けようと突きを入れに走る。気がついた流琉もそれを止め様と身体を動かそうと
するが、男の変貌振りと殺気に当てられ満足に手足が動かない
「う、うくっ・・・うわああああああっ」
恐怖で泣き声を上げ目を伏せて突き出した槍は男の腰に帯刀した桜に当り、腹の皮一枚を削るだけにすんだが
男は衝撃で吹き飛ばされ、地面を転がった。そして口から血を吐き出し矢が身体に突き刺さったままフラフラと立ち上がると
腰に挿した鉄刀『桜』を突き刺し、怒号のような声をあげる
「げはっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・戻れっ兵たちよ!俺に剣を、力をよこせぇぇぇぇぇっ!!!!」
その声を聴いた瞬間、春蘭の顔色が変わる。
やめろっ、死ぬつもりかっ!!今兵を戻すなど、全滅してしまうぞ!
舞とてその剣でやれば直ぐに腕が斬り裂かれ落ちるっ
「起きろ秋蘭、昭を止めろっ」
「はぁっ!」
叫ぶ春蘭に馬超の槍が容赦なく襲い掛かり、そんな馬超を忌々しいといった目で睨みつける
だが馬超も睨み返し、兵を戻すのは好都合、止めさせるかといった気合で押してくる
男は脚で輝く剣と『桜』二振りを宙に回せると何時ものように腕で跳ね上げる。見る間に腕は
赤く染まり、ズタズタに切り裂かれていく
『演舞壱式、戦神ノ舞第二幕、贄捧鬼詠』
腕から血を飛ばし、鬼の形相で睨む姿に黄忠と馬岱は異様さと恐怖を感じ、
流琉は混乱して涙を流す
男が動こうとした瞬間
秋蘭が飛びつき男の身体を押さえつけた、宙を回る剣で身体を傷つけながら
それでも己の夫を止め様と必死でしがみ付いた
「うおおおお、放せっ!殺してやる、殺してやるっ!!貴様にも同じ傷をっ、肩を突き刺し引き裂いてやるっ!」
秋蘭は小さく『馬鹿者』と呟くと男に無理やり口付けをする。唇を咬まれ、血が流れても構う事無く
頭を抑えてしっかりと抱きしめながら
「・・・・・・私は大丈夫だ、安心しろ」
男に馬乗りになったまま、ゆっくり唇を離して優しく、柔らかく笑いかけ、安心させるように暖かい言葉を
口にするその姿は、唇から血を流し、肩には矢が刺さり、身体を宙を舞う剣で傷つけ、
身体を赤く染めているにもかかわらず、日の光が秋蘭の背中から差し、美しく髪と服をキラキラと輝かせた
男の濁りきった眼はゆっくりと元の力強い意志を秘めた優しいものへと変わっていく
ああ・・・・・綺麗だなぁ・・・死んだらこんな美しい顔を悲しみで歪ませてしまうんだ、何をやってるんだ俺は
「ゴメン」
「良いんだ、助けに来てくれたんだろう?」
優しく笑いかけ、男の身体を手を引いて起こすと腕を確認し始める。その姿を見ながら男はまた『ゴメン』と口にした
また心配をかけてしまった。腕は動く、早いうちに止めてくれたお陰だ、腕の皮が切れているだけ肉を削いではいない
指先も動く、痺れも無い、矢を受けた場所も問題ないこれならいける。頭に血が上っていても器用に急所避けてる
なんて我ながら呆れるな。秋蘭も矢を受けて身体は辛いだろうが動きに問題は無いようだ
「腕は大丈夫だな?姉者も着てくれている。敵将を蹴散らし帰るとしよう」
剣を構え馬超と対峙する春蘭を見ると眼が合い、軽く笑ってこちらに微笑み返し、先ほどよりも
強い動きで馬超を押していく
「私は矢が尽きた、あれで行こう」
「あれか、久しぶりだな戦場でやるのは何時ぶりだろう?」
男は腕の包帯を巻きなおし、秋蘭は落ちた青紅の剣と地面に刺さった『桜』を手に取り
男も同じように輝く剣を手に取り、地面に刺さった無刻『桜』を抜き取ると秋蘭と自分の身体に刺さった
矢を短く切り落とし、体の動かなくなった流琉を背後に置き背中合わせになる
俺たちを見て唖然としてる、無理も無いか、俺があれだけ暴れて急に戻れば驚くだろう、好都合だけどな
あれが黄忠か?随分と動きにくそうな格好をしてる・・・・・・いててててっ
「何処を見ている、何処をっ!まったく、あれが黄忠だ、弓は無いしこれでなくともいけそうだが、あいにく
こちらは手負なので許してもらおうではないか」
「つねるなよ、太腿つねるのは痛いんだぞ。動きにくそうだと思っただけだ、秋蘭以外の女性に興味は無い」
「なら良しとしておく、だが帰ったら今回暴れたこと許さんからな」
「・・・・・・お手柔らかに」
そんな良い合いをして笑い合うと、剣を向け構える。黄忠と馬岱は先ほどとは打って変わって豹変した男に
警戒し、恐怖から解き放たれ動くようになった身体で構え始める
「剣は得意ではないのだけれど、この際我儘は言ってられないわね」
「・・・腕は大丈夫?紫苑、危なくなったら後退しようよ」
「大丈夫よ、そうね流石にこの兵力差なら負ける事は無いでしょうけど、私達が負けてしまったら意味が無い、
隙を見てここは私達は後方に下がりましょう」
なんてこと、あれが舞王?聞いていた話とはまったく違う、でも今は翠ちゃんの話にきちんと重なる姿
どっちが本当の姿なの?
拾い上げた兵士の剣を持ち構える黄忠は様になっていていかにもといった感じだな、腕の負傷は
そうでもない、蒲公英の槍もまだ見たことが無い。二人の初撃は秋蘭に任せるか、一合で見極める
そして逃がすわけにはいかない兵が突破するまでは
「さぁ行くぞ」
「応、初幕は悲恋恨剣」
二人で顔を見合わせ、剣を構えると頷き声を合わせる
『『双演舞』』
声が重なり背中合わせに走り出すと秋蘭は突出し剣を真直ぐ突きに行く、その剣を
馬鹿にするなとばかりに弾くと、下から悪寒が走り咄嗟に下を向けばそこには人影が
「なっ!?」
影のように男は秋蘭の後ろから体勢低く地面を滑り前へ飛び出し
剣を腰にひとつ収め秋蘭の脚を掴み片手でなぎ払ってくる
「危ないっ!」
咄嗟に蒲公英は槍を地面に突き刺し男の剣を止めたが、前に出た男の肩に秋蘭が脚を掛け乗り上げて
後ろに引いた黄忠へ切りかかった
「そんな攻撃っ!」
飛び出した秋蘭に合わせ、黄忠は剣を薙ぐとその場所には秋蘭がおらず
男の腰に回された腕で空中に停止した秋蘭は、槍を地面に突き刺し動きの止まった馬岱を蹴り飛ばした
「あうっ」
まともに蹴りが顔に当たり、吹き飛ばされ地面を転がる。しかし二人の動きは止まらない
男の目の前に着地した秋蘭を軸に男は片手で秋蘭の腰をつかみ身体を回転させ、横薙ぎを放つ
黄忠はそれに何とか反応するが手に持っているのは輝く剣、受けた場所が刃こぼれし始めそれを見た
黄忠の顔は驚きに染まる
「まだまだっ!」
秋蘭は自分を軸にし前に出た男の肩を掴み、地面に突き刺さった槍を蹴り飛ばし、そのまま男の首を掴み
一回転して黄忠へも蹴りを見舞う、刃こぼれで驚きに染まった黄忠のわき腹に秋蘭の蹴りが突き刺さり腹を抱えて
崩れ落ちた
「次は氷華散月で行こうか」
「ああ、秋蘭に任せるよ」
背を合わせ顔を見合わせ笑う二人、戦場だと言うのにまるでここが二人だけの舞台であるかのように舞い踊り
連続で剣撃と体術を繰り出してくる。御互いの隙を埋める動きにまったく黄忠と馬岱は着いていくことが出来なかった
「うぅ・・・なんて動きなの、二人でこれほど変わるなんて」
腹を押さえ、地に膝を着く黄忠は顔をゆがめる。己が見てきた今までの男の動きとはまったく違う
それどころか舞うように隙無く攻撃を繰り返す動きに混乱し、驚くことしか出来なかった
いたたたっ、どうしよーお兄様の剣をうけちゃったよ。
お姉様から聞いていたけどあれほどだなんて、槍がこれじゃ持たない
頬を押さえ、落ちた槍を拾い上げる馬岱の表情は焦り一色に染まる
始めに男の剣を受け止めた馬岱の槍は強烈な横なぎで柄の半分までが切られていた
そんな場所を見逃す男ではない、そして手を抜かないと約束をしたのだ
「悪いなたんぽぽ、俺は手を抜く事はしない、全力で討ち取らせてもらう」
不安げに顔を上げる馬岱に男は厳しく言い放つ
男の目に宿る強い覚悟の光は先ほどの殺気とはまったく違うものであったが
討ち取る。殺す。は同じ意味、馬岱は唾を飲み込むと顔を青ざめて
目の前で壁のような気迫を放たれ死を覚悟した
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定軍山編 -二人舞-
何も語る事はありません
読んでくだされば結構です^^
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