白壁の囲いと、青黒い瓦。年月を経たのか黒く、しかし老朽化している訳ではない木造の建物。
竹林に囲まれ、渓流のせせらぎと風が竹林を揺らす音以外は何も聞こえない、静謐なその空間に存在する学院である。
荊州のみならず、中央や他の地方からも学びに来る者が存在する事から、かなり有名な学院と言って良い。
この日は、その学院はお休み。麓から通う学生はおらず、学院に住み込んで内部の仕事をしながら勉強している七と所縁は、襄陽に買い出しのため外出中。
他には同じく学院に住み込みで勉強している4人の若い女性以外は、学院の長である司馬徽の、5人しか居なかったのである。
「ええい! 神聖なる学び舎に土足で押し入るか、この鼠賊共めが!! はあぁッ!!」
腰まで届く程長い薄桃色の髪の毛をポニーテールにしたその女性の右手に握られた片刃の剣が、左から右へ薙ぎ払われ、その一撃で山賊2人の首を切り落とし、一人が腕を斬り飛ばされた。さらに左手に持った同じく片刃の剣が、後ろの護衛対象者を狙っていた山賊の頭を刺し貫く。
鋭い眼光はさらに鋭く、無表情ならば冷たい印象を与えてしまう程、その容姿は整っている。しかし、その目は怒りに燃え、元々つり目気味な彼女の目尻はさらにつり上がり、冷たく斬りつける様な彼女の容姿は返り血と戦闘の影響で紅潮しており、その烈女の姿は100人近い山賊共を怯ませる程であった。
しかし
「構うな! そいつさえやっちまえば後は強い奴は居ねぇ! 此処には金がたんまりあるんだ。一気に畳んじまえ!」
後ろの方にその山賊共の頭が控えており、その檄で怯んで落ちた士気が戻る。
如何にその烈女が優れた武人であっても、流石に数の不利は否めない。しかも、後ろには彼女が師として慕う女性が、自分には無い穏やか暖かく包み込む様な優しさと包容力を持った友達が、自らを姉として慕う2人の可愛い義妹が居るのだ。その4人は戦う力が無いため、自分が後ろに庇いながら戦うしかない。
後ろに4人を庇いながら、それで居て一度に戦う敵の数を減らすため、彼女は壁と壁の角に逃げ込み、其処で剣を振るっていた。
流石に山賊共も、ここに逃げ込まれると一度に彼女の攻撃出るのは3人か4人であるため、力と早さに技量も兼ね備える彼女の剣の錆になるばかりであった。
だがそれが繰り返されると、次第に血糊で剣の切れ味が鈍る上に、躯が積み重なってそれが彼女の動きを制限してしまい、さらに地面に流れた大量の血液によって足場が滑りやすくなってしまう等、確実に追い込まれていたのである。
まさに山賊の頭はそれを狙って怒号を飛ばすが、不意にその声は途絶えてしまった。
ヒュオン・・・
「な、なんだ?」
彼女のその疑問の声は、彼女の後ろに居る4人の女性にとっても、また彼女達に迫ろうとしていた山賊共も動きを止め、その音がした方向に目を向けさせた。
そして、彼女達は見た。山賊共は見た。
残っていた山賊70人余りが、
ヒュオン! と言う風斬り音を伴って、
次から次へと血飛沫を上げて倒れ伏していく光景を、
白刃の煌めきと、それを成した武神の姿を。
「な、なにもっ・・・」
最後に生き残った山賊の言葉は、その山賊の首を飛ばした白刃の煌めきと共に、其処で途絶えて崩れ落ちた。
助かったと言う事実よりも、彼女は視線は最後の山賊の首を狩り取った、美しい白馬に跨がった大男に釘付けであった。僅かな間にあれほどの数の山賊を切り捨てていながら、その衣類には一切の返り血が見られない。
後ろに非戦闘員を4人庇い必死に守ってはいたが、山賊共の数に梃子摺っていた彼女の危機を救った馬上の大男。
その姿に、彼女は見た。
武神・・・神をその身に宿した人間が、存在する事を。
どんなに努力しても、たどり着けるとは限らない、武の神の領域。
其処に踏み込んだ人間が今、目の前にいる。
その存在は、彼女に取って理想であり、そして理想のまま手が届かない事が解っていながら、それでも諦め切れなかった理想像・・・
今も手に持つ雌雄一対の剣を、どれだけ振り込んだのだろうか。
親友二人と10本立ち会えば3本程度しか取れない自分の武の限界を、彼女は知っていた。
知っていながら諦め切れず、必死に修練を繰り返した。
たとえ武才に乏しくとも、修練を繰り返せば、いつかは戦場を支配する武神のごとき存在になれると。
古の中華に君臨した、個の武を奮って味方を勇気づけ、戦を勝利に導いた猛将達の様になれると。
だが、理想は所詮理想。
現実を、これ以上無い形で見せつけられた・・・。
自分では、出来ない。
それを自覚したその時、
彼女の中で何かが断ち切られる音がした・・・
「水鏡先生! 優里! 朱里! 雛里! 香里! ああ、良かった! みんな無事だったんですね!!」
目を潤ませながら思いっきり抱きつきに行ったのは七。しかし、疲弊し切っていた上に、馬上で周辺を見渡していた大男、即ち鷹を見上げて呆然としていた香里と呼ばれた女性は七を受け止め切れず、後ろに倒れ込んで尻餅をついてしまうのだった。
「うわ!? っ~~~、ええい! 七、離れんか!!」
「だって、だって・・・良かったぁ~。」
一気に緊張状態にまで高まってから、七の師と友達の無事を知って、ホッとしたのだろう。香里と言う女性に抱きついたまま、七は安堵の思いを隠し切れなかった。
其処に、荷馬車を走らせて来た所縁も現れた。
「鷹さん!」
「所縁か、もう大丈夫だ。賊共は全て切り捨てたし、学院に残っていた人達も無事な様だ。」
「・・・はぁ~、良かったぁ・・・。」
「幸い、大きな傷も無いな。だが、流石に状況が状況だったせいか、気絶している人も居る(俺がした事も、影響しているかもしれんが)。」
「あ、朱里ちゃんと雛里ちゃんが・・・」
助かったと言う現実に、緊張の糸が切れたのか、所縁が向けた視線の先には二人の女の子が、ぐったりしながらその体を年長の女性に身を預けている。
どうやら意識が無いらしい。
「大丈夫、今は意識が無いだけです。そのうち目を覚ますでしょう。優里、所縁、お願いしますね。」
「はい、先生。」
「ご無事で何よりです。先生、こちらの御仁が、今回護衛を依頼した龐徳さんです。ご存知でしょうが、最近になって荊州牧劉表様の依頼を受けて、山賊征伐を繰り返した将軍です。」
「なんと、彼の名高き義将殿でしたか・・・。」
所縁やもう一人、所縁と同年代と思われる優里と呼ばれた女性の口調から、恐らくはこの水鏡学院の長、司馬徽なのだろう。しかし、これほど高名な先生にまで自分の名が知られているとは驚いた。
(と、なると馬上に居たままでは失礼だな)
跨がっていた白影から降りて右拳を左手で包み、頭を下げる。
「挨拶が遅れ、失礼しました。私の名は龐徳、字を令明と申します。高名な水鏡先生にお会い出来て光栄です。」
「司馬徽、字を徳操と申します。こちらこそ、誇り高き義将殿にお会い出来て光栄に思いますわ。山賊の凶刃より救っていただき、感謝に堪えませぬ。」
朱里、雛里と呼ばれた背の低い女の子達は、緊張状態から解放された事と鷹によって首無し死体となった多数の山賊の首を見てしまったために、衝撃を受けて気絶してしまっていたため、水鏡先生ともう一人居た女性が学院の彼女達の部屋に運び込んで行ったらしい。
状況が状況だったので、挨拶は簡潔に済ませ、学院内の掃除を始めねばならなかった。何しろ山賊100人もの遺体を運び出し、血と臓物にまみれた学院の庭を洗い落とさねばならないのである。幸い、付近の人々に呼びかけたら手伝いに来てくれる人が多数居たので処理にさほど時間はかからなかった。日が暮れるころには全てが終わり、僅かに残った血糊も時が経てば何れ完全に目立たなくなるであろう。
この事件を受けて、学院はしばらく運営を中止し、安全が保たれるまでは授業を再開しない旨を麓の町に伝え、漸く一段落。その頃には夜の帳も落ちていたため、鷹は山道を降りて町に向かう予定を取りやめ、そのまま学院に世話になる事になったのである。鷹としても、流石に夜の山道を歩くのは避けたいので、引き止める学院の厚意に甘えたのである。
と言っても、学院側からすれば学院長や学生を無事に救い出してくれた鷹をこのまま帰らせてしまう訳にはいかない。そんな事になれば高名な水鏡先生の名に瑕がついてしまう、と言うのもあるのだが何よりも司馬徽自身の誇りがそれを許さない。助けて貰っておきながら何も返さない等、恥知らずの所行である、と。
全てが終わり、通常よりも遅い夕食が用意されている頃、鷹は学院の応接室に呼び出され、七と所縁を除いた(二人が夕食の担当)学院に住んでいる司馬徽と他の4人と向かい合っていた。
気絶していた二人の女の子も目覚め、改めて自己紹介とお礼が言いたいとの事だったが、ここで鷹は自分が救った彼女達が、歴史上の偉人達であった事を知る(予想出来た事ではあったが)。
「改めて龐徳殿、私は司馬徽、字を徳操、真名を茴香(ういきょう)と申します。」
「私は諸葛瑾、字を子瑜、真名を優里(ゆり)と申します。山賊の魔手より救っていただき、ありがとうございました。」
「私は徐庶、字を元直、真名を香里(かおり)と言う。龐徳殿の力無くして、師や友を守る事は叶わなかった。感謝に堪えませぬ。」
「は、はわわ・・・しょ、諸葛亮、字を孔明、真名は朱里でし! あう、噛んじゃった・・・。」
「あ、あわわ・・・ほ、ほーとうでし・・・あ、あわ「あー、深呼吸して落ち着いてから今一度聞こう。」「あう・・・ほ、龐統、字を士元、真名は雛里と言いまし・・・。」
「七と所縁は既に紹介を終えているので良しとして私からも改めて。龐徳、字を令明、真名を鷹と言います。」
「今後は皆の者を含めてどうぞ真名で御呼びください。既に七も所縁も真名をあなたに預けたと聞いております。ですが・・・」
にこやかな笑顔が無表情に変わり、続けられた言葉には疑問の色があった。
「あなたが私達に真名を預ける理由はありませんが、よろしいのですか?」
「む? ああ、そう言う事ですか。」
今回は、鷹は七と所縁の護衛に雇われ、学院まで二人を護衛するのが仕事であったため、学院に着いた時点で鷹の仕事は終わっていたのである。
其処から山賊から彼女達を守ったのは完全に鷹の善意であり、鷹が彼女らに真名を預ける理由はどこにも無いのだ。
「いや、真名を預けられる以上はこちらも預けるが礼儀だと思いましたので。それに、真名で呼ばれているのに、こちらが真名で話さないと言うのも、私からすれば違和感がありましてね。今後は鷹と呼んで下さい。」
詰まる所、折角真名で呼ぶ事を許されたのだから、自分も真名で呼ばれたい、と言うのが本音であった。
「ならば、鷹殿? この茴香に出来る事があれば、何なりとご要望くださいな。恩人に何も返さないのでは、この司馬徳操一生の恥になってしまいます。
とは言え、この身は学院の指導者でしかありませんが、出来得る限りの事は力を尽くしてみせましょう。」
本題はこれである。最も、鷹からしたら色々と考え込んでいた事があった。それはこの学院で勉強出来ないか、と言う事である。実の所、七と所縁の護衛を終えた後、この水鏡学院で指導を受けたいと要望するつもりだったのである。それだけに、この茴香の要望は渡りに船であった。
「・・・この学院では様々な兵法書や政治学の書が多数あり、その講義もしていると言う話を聞いたのですが。」
「はい、それが何か?」
「叶うのであれば学院の停止中、余裕があれば私に講義していただきたい。恥ずかしながら、これまでは故郷涼州で独学で勉強して来たのですが、荊州に来て自分の見識が相当浅いと痛感しました。一から勉強し直したいと思うのです。」
「まあ、それでしたら学院停止中とは言わず鷹殿が望む間、この学院をご利用ください。私だけでなく、七や所縁もそうですがこの学院に住み込んでいる彼女達は皆、学生ではありますが講義する立場でもあります。彼女達と共に書を読み、語り合うと良いかと思います。」
「感謝します。香里殿、優里殿、朱里殿、雛里殿。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしく・・・。」
「まあご丁寧に。こちらこそよろしくお願いしますわ。特に、鷹様の西北の涼州の事にも興味がありますわ。よろしければ、妹達共々お話しさせて下さいね。ねえ、朱里、雛里。」
「は、はい! 是非よろしくおねがいしまっしゅ!」
「あ、あわわ。よ、よろしくお願いしまっしゅ!」
優里はにこやかに、朱里と雛里はカミカミながらすぐに鷹に返事したが一人、香里だけは返答こそしたものの、何やら含む所がある様だ。怪訝そうな表情になった鷹を見て、香里は何かを喋ろうとした、が
「「失礼します、夕食の準備が整いました。」」
「七、所縁、ご苦労様。それでは鷹殿。ご一緒によろしいですか?」
「一人で食べるのは味気ないですし、美女達と一緒に食事出来るのは光栄の極み。是非相伴に預かりたく。」
「・・・鷹さ」
くぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜×2
「「「「「「・・・・・・・・」」」」」」
「〜〜〜〜〜〜〜/////////////////////×2」
そして時は動き出す。
「さあ、一緒に戴きましょうか。」
「うむ、冷める前に。」
「朱里、雛里。配膳を手伝いましょう。」
「はい、この羹(スープの事)は先によそっちゃいますね。」
「あ、あの、鷹さんは主賓なのでそちらの席に。」
「ありがとう、ふむ。やはり大所帯だと食事がより楽しみだな。」
七と所縁の腹の虫には触れない、一同の優しさであった。
はい、短い上にメッチャ遅くなりまして申し訳ございません。
今回の話はなかなか筆が進まず苦しい思いをしました。
リアルの方でも、仕事で様々な事(良い意味でも悪い意味でも)がありましたので、お話がなかなか浮かばず、結局かなり間が開いてしまいました。
むう、GW中にもう一本、投稿は出来なくてもお話をなるたけ進める様努力します。
さて、水鏡学院でお勉強の鷹君。
一方、自らの武の限界を知りながらも必死に鍛えに鍛えて来たが、自らの目指す先を体現している鷹に出会った事で、未練が断ち切られてしまった香里。
殆ど出会った事の無い、大柄な男性を見て驚きを隠せないのは朱里と雛里。自らには絶対に無い、他者を圧するその威容。
朱里や雛里と同じく、男性を接する機会が非常に少なかった優里。やはり自らには無いものを持った鷹に興味を隠せない様子。
恩返しの形ではあるものの、新しい学生の参入が嬉しい茴香。
そして、腹ぺこ女戦士二人組。
とりあえず、現状はこんな感じです。
それでは次回でまたお会いしましょう!
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白馬将軍龐徳伝の第4話です。
前回からかなり間が開いてしまいまして申し訳ありません。
リアルの方で仕事が忙しい上に、なかなか筆が進まない、おまけにデータが吹っ飛ぶと言うトリプルパンチを喰らいまして。