一刀が華琳達に罪を告白し、それを許されてから少しだけ時が過ぎた晩。
『私』は夢を見た。
「……ばかぁ! ばかぁ! ずっと傍にいるって言ったじゃない!
どうしていなくなるのよ! 嘘吐き! ずっといるって言ったじゃない!」
夢の中の私は、川の辺で一人泣いていた。
その泣く姿を見て、私は分かってしまった。
大切な人がいなくなったのだと。もう、会う事が出来ないのだと。
それは、私も経験した事だったから。
一刀が行方不明と知り、私は――この私が脇目も振らずに泣いたのだから。
泣いたのは、私だけではなかった。
春蘭も、秋蘭も泣いていた。
父上も親友を亡くし、静かに泣いていた。
それを見ていたら、唐突に場面が切り替わった。
そこには一人の老女が、似た川の辺に座っていた。
「――。私を残して、皆あなたの傍に行ってしまったわ。早く、私もあなたの傍に行きたいわね。
ふふっ。今頃、あなたは皆に怒られてるのかしら? 私だけに種を残して、いなくなったのだから。
今ではあなたとの子も立派な王になり、次世代の者達の為に頑張っているわ。
覇王たる私と、あなたの血が流れている所為かしら。人に優しく、そして強い子に育ったわ」
夜空に浮かぶ月を見ながら、その老女は語っていた。
その顔は酷く寂しそうで、どこか誇らしげだった。
私は、目の前の老女が自分だと分かった。
自分だからかもしれないし、そう思いたいだけなのかもしれない。私は、それでもよかった。
愛している人と、子を生せたという事実が、何故か嬉しかったから。
「……ねぇ。早く、私も迎えに来なさいよ。
あなたを待ってる間に、お婆ちゃんになってしまったわ。
でも、まさかね。あなたを一番嫌っているって言ってたあの子が、最初にあなたの傍に行くなんてね。
――あの乱世を駆け抜けた友は、もう一人もいないのよ。いい加減、私も寂しいんだけど?
私が寂しがり屋なのは、知ってるでしょ? もう……一人で待ちたくないのよ……」
年老いた私が、涙を流しながら言った瞬間、強い月の光が私を照らし出した。
そして、私は聞きなれた声を聞いた。
『ごめんな、華琳。迎えに来るのが遅くなって』
「本当よ。どれだけ私を待たせれば気が済むの」
『皆に怒られたよ。早く華琳を迎えに行けって。でも、来れなかったんだ』
「あら、どうしてかしら?」
『華琳が、それを望んでいなかったから、かな』
「……そうね。私は、あの子を育てる事を望んでいた。それに、あなたが護った民の笑顔を見ていたかった。
ああ、そうなのね。私が一人で残ったのは、自分が望んだから。自業自得だったのね」
『それは違うよ。俺の願いを。華琳、君は叶えてくれていたんだ。民の、皆の笑顔を護ってくれて、本当にありがとう』
「馬鹿ね。あなただけの願いじゃないわ。私も見ていたかったって言ったでしょ。でも、悪い気はしないわね」
『まったく。素直に受け取ってくれよ。――それで、もう満足したんだろ?』
「ええ。あの子も、立派な王になったわ。もう、私がいなくても、三国の同盟は永遠に続くでしょうね。
だから、私を――皆の所に連れて行ってくれでしょ?」
『ああ、もちろん。さっ、行こうぜ華琳。皆が待ってる』
「ええ、一刀――」
私が天に手を掲げながら、柔らかい笑顔を浮かべて――静かに横たわった。
ああ、私は帰れたのね。
愛する人の傍に。
でも、これは夢。
これが、本当にあった事なのかなど関係ない。
私は、覇王を目指す者。
だから、一刀。――何度も、私の傍から離れる事を許すと思わない事ね。
それと、こんな夢を見せてくれた、どこの誰か知らないけど、感謝するわ。大事な事を、気付かせてくれた事をね。
――これで、一人。
ああ、これは夢だ。
私は目の前の光景を見て、理解する事が出来た。
知らぬ者達が泣いている。
何でも、一人の男が天に還ったかららしい。
ふっ! そんな事で泣くなど、こんなのは私ではない!
私は華琳様の傍にいられれば、それで満足なのだからな!
「本当にそうなのか?」
目の前で泣いていた私が、片方しかない目で私を睨んできた。
辺りを見回せば誰もいなく、闇が広がっていた。
「貴様は、本当にそれでいいのか?」
答えない私に、目の前の私が再度問いかけてきた。
『くどい! 私は華琳様がいれば、それで満足だ!』
「……馬鹿者め」
『馬鹿だと! 貴様! 私と言えど、愚弄すると許さんぞ!』
「馬鹿を馬鹿と言って、何が悪い。……確かに、昔の私は華琳様がいれば、それだけでよかった。それは認めよう。
しかし、一人の男の存在が、そんな私を変えてくれた。……お前の傍にも、そんな男がいるだろ?」
『男だと? ……ま、まあ、いない事もないが。だが、あいつよりも、私は華琳様が大事だ!』
「それは、私も変わらん。だが、何時まで自分の気持ちに、蓋をしているつもりだ?
既に分かっているだろ? 想いは伝えねば、相手に伝わる事はない。そして、伝えなかった事を後悔する事を」
『――貴様、誰だ。私ではないな』
私は目の前の私が、私ではない事に気付いた。
言ってはなんだが、私は頭が悪い。
そんな私が、こんな頭の良さそうな事を言えるはずが無い。
その事に私が気付くと、目の前の私は儚げに微笑むと、光へと変わった。
――余りの眩しさに目を瞑ってしまった。
次に目を開くと、先程と違う場所になっていた。
「華琳様。申し訳ありません」
「いいえ。今まで私達の為に、よく頑張ってくれたわね」
「この身は、華琳様の物ですから。当然の事です」
「ふふ、そうね。では、先にあの馬鹿の所に行って休んでいなさい。そのうち、私も行くから」
「……魅力的な提案ですが、まだ行けません。私が行けば、華琳様はお一人になってしまいます」
「何を言ってるのよ。私は一人ではないわ。あの子もいるし、――が護った民達がいるもの」
「ああ、確かにそうですね。――では、申し訳ありません。一足先に、あいつの処に行きます。行って、縄で繋いでおきますね」
「そうしてちょうだい。あなたになら、任せる事が出来るもの」
「ありがとうございます。では、先に……いって……」
「――本当に、今までありがとうね。春蘭」
この皺くちゃな者達が、私と華琳様だと?
目の前の光景を、私は信じたくない。
だが私の心が、これは私と華琳様なのだと言っている。
しかし、眠った私の顔は、なんと安らかな笑みなのだろうか。
私は今まで一度も、この様な笑みを浮かべた事がない。
――そうか。その男の傍に行ける事が、心の底から嬉しいのだな。
ああ、分かった。少しは、私も素直になるとしよう。
死ぬ時に、私もあの様な笑みを浮かべたいからな。
何処の誰か知らんが、一応感謝しておこう。
一刀。もう、貴様を二度と逃がさぬからな。覚悟しておけ!
――これで二人。
ああ、私は夢を見ているのか。
夢を見るなど、本当に久しぶりの事だな。
一刀が行方不明と聞いてから、夢を見る事がなくなったからな。
それだけ私は一刀を想っていたと、気付く事が出来たのは、良かったがな。
だから、泣いている私の気持ちがよく分かる。
自分ではない私と言えども、私なのだから。
――愛している者と別れる。その事が、どれだけ辛い事なのか……な。
「だが、お前は気付くのが遅かったな」
『ふっ……確かにな。だが、一刀は帰って来た。私達の処に帰ってきてくれた。それだけで十分なのさ』
「本当に、そうなのか? 確かに、お前の愛している男は帰って来た。だが、またいなくなるかもしれないぞ」
『……こんな世の中だ。一刀ではなく、私がこの世を去るかもしれない。だから、それは仕方の無い事だろ?』
「――下手に頭がいいと、自分の気持ちを抑えてしまうんだな」
『いや、これが私さ。それで、お前は誰なんだ?』
「ただのお節介焼きさ。想いだけを伝えた筈が、微かな記憶も伝えてしまったみたいでな。
安心しろ。今の記憶は、夢から覚めれば失っている。見た時の想いは消えないがね」
「そうか。それを聞いて安心した。私のこの気持ちは、どこかの私の想いではない。私自身の想いなのだからな」
目の前に立つ誰かにそう答えると、柔らかい微笑みを浮かべた。
そして、光を放ってきた。
『確かに今の君の気持ちや想いは、誰の物でもない。君自身の物だ。
だから、それを忘れないで。それを忘れなければ、君達が、もう二度と離れる事はないんだから――』
そう言い残して、消えていった。
一つの光景を残して。
「華琳様。お先に、会いに行く事をお許し下さい――」
「秋蘭。先に逝った者達に、宜しくね」
「はい。あいつと一緒に、華琳様が来られるのを、ずっと待っています」
「あなた達だから許してるのよ? 知らない誰かがいたら、私の代わりにお仕置きしておいてね」
「もちろんです。では、また……会える日を楽しみにしています」
「私もよ。何十年も傍にいてくれて、本当にありがとう。達者でね――」
主君たる華琳様が泣かれている。
微笑みながら、長い眠りについた私を見守って。
だけど。だけど、本当に幸せだったんだろう。
私だけが笑っていないのだから。
見た事がない笑みを、華琳様も浮かべているのだから。
どこの誰だか知らんが、心から感謝しよう。
私も、この様な最後を迎えたいと想ったのだから。
一刀も一緒に、な。
どこまでも行くがいい、一刀よ。どこまで行こうとも、私はお前を逃さぬよ。
地の果てまでも、私の矢がお前に届く様にな――。
これで三人――。
まだ、役者は揃っていない。一先ずは、ここまで――。
乙女達よ、夢を諦めるな。
これは、恋姫の物語なのだから――。
華琳、春蘭、秋蘭が夢を見てからの二週間。
その間、一刀は首を傾げるばかりだった。
時間が出来れば、誰かが。日によっては、三人全員が傍を離れない様になった。
不思議な夢を見た。その事を三人は語った。内容は覚えていないが、大切な事を知った気がする。そう一刀に言っていた。
一刀自身も、悪い気はしていなかった。
何よりも大事な三人が傍にいる。その事が、一刀は本当に嬉しかったのだから。
そして、また一人の恋姫が舞台へと上がる。
それから幾日か過ぎたある日、一刀は一人で城の中を歩いていた。
周りに目を向ければ、兵士や文官が忙しそうに動き回っている。それも当然の事。
これから曹操軍は、出没している盗賊の討伐に向かうのだから。城の全員が総出で、その準備に奔走していた。
一刀もその例に漏れず、一人の将軍として準備に動いていた。
今回は華琳から頼まれた事の為に、一人の文官を探し歩いているのだった。
「食料を任せてる文官は、どこにいるんだ? ……仕方ない、あそこの兵士に聞くか。
――忙しいのにごめん。糧食の監督官が、どこにいるか分かるかな?」
「これは華翼将軍! 監督官ですね。それでしたら、馬具の確認をされていましたよ」
「そっか。忙しいのに、ありがとうね」
「いえ! では、私は準備に戻ります」
そう言って、兵士は駆け足で去って行った。それを見送った一刀は、教えてもらった場所へと向かった。
一刀が厩舎に来ると、見覚えのある人が指示を出していた。
(ああ、あの人。無事に来れたのか。
――聞いたら、華琳はあの人を置いて帰ってきたって言ってたからな。心配は心配だったんだよな。
ん? 指示を出してるって事は、あの人が監督官なのか?)
一刀が悩んでいると、猫耳の女性も気付いたのか、一刀の方を見て驚きに目を見開いていた。
「な、なんで! 何であんたがここにいるのよ!」
「何でって言われてもな。俺、華琳の部下だし。……部下? 盟友? ああ、許婚か」
「はぁ? あんた、頭に蛆でも湧いてるんじゃない? あんたなんかが、曹操様の許婚な訳ないでしょ?
妄想もそこまで行くと、ある意味清々しいわね。
それと、一応命を助けてもらったから黙っててあげるけど、あんたなんかが曹操様の真名を口にするなんて、頸を刎ねられても文句を言えないわよ?」
「いや、妄想じゃないんだけどな。それに真名も許してもらってるし。……まあ、それはいいや。で、君が糧食の監督官であってる?」
「それがあんたに、なんの関係があるのよ? あと、私の事は君じゃなくて、荀彧と呼んで頂戴。それが私の名だから」
「いや、華琳に頼まれて帳簿を取りに来たんだけど。分かった、これからは荀彧と呼ばせてもらうよ」
「それでいいのよ。――って、それを早く言いなさいよ! ほら、これが帳簿よ。早くもって行きなさい!」
「ありがとう。――あ、それと陳留まで護衛するって約束を守れなくてごめん」
「何よ。今更謝ってもらっても……って、もういないじゃない……やっぱり、男なんて――あの人達以外は屑ね。
見てて下さい。曹操様の下で、絶対にあなた方の無念を晴らしてみせます」
一刀に文句を言おうとした荀彧だったが、そこにはもう誰もいなかった。
その事を確認した荀彧は、晴れ渡った青空を見上げて呟く。
幼少の頃に、一度だけあった親子の事を思い出しながら。
「ごめん華琳。遅くなった」
「いいえ、そんな事ないわよ。あなたには他の事もお願いしてるし、これでも早いくらいね」
「そうか? それなら、本当によかったよ。って、どうしたんだ?」
一刀から受け取った帳簿を見た華琳は、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
来る途中に中身を確認したが、特に問題はなかった様に思った一刀は、不思議そうに首を傾げていた。
「一刀。あなたは中身を見たかしら?」
「ああ」
「そう……。それで、違和感を感じなかった?」
「ん~……特には、何も感じなかったな」
一刀の答えに華琳は一つため息を吐き出してから、兵士にこの監督官を呼びに行かせる。
その顔は、既に一人の武人の顔になっていた。
「なあ、秋蘭」
「なんだ、姉者」
「華琳様は、何を怒っているんだ?」
「さあな。あの帳簿の中身を知らない私には、何故華琳様がお怒りになられているか分からん」
遠征準備の最終調整を行っていた為、この場に初めからいた春蘭と秋蘭。だが、一刀の姿を見て喜んでいる華琳を優先していた為、口を開かずにいたのだが、急に怒り出した事が気になってしまった。
それは、帳簿を持ってきた一刀も同じだった。
そして三人の疑問は、糧食の監督官である荀彧が玉座に来た事で解決する。
「曹操様。私をお呼びとの事ですが、何でしょうか?」
「何でしょうかですって? では、聞くわ。どうして食料を、私が決めた当初の半分しか用意してないの?
麗羽の紹介状は本当の事と確認が取れたから、文官の末席に置いたけど、これでは間違いだったと言わざるを得ないわね」
「食料を減らした理由は、三つあります。……お話してもよろしいでしょうか?」
「ええ、許すわ。でも、つまらない理由なら、その頸と別れる事を覚悟しなさい」
「分かっております。では、説明させて頂きます。
曹操様は、真に民の事を考えておられます。それならば食料を減らし、軍の進行速度を上げる事をお考えになったはず。
食料が減れば、それだけ苦しんでいる民の許に行けますから。そうすれば、討伐の時間も減るはずです」
「ええ、それは確かに考えたわ。でも情報では、盗賊は当初よりも増えてるらしいのよ。だからこそ、食料をあの量にしていたのだけれど?」
二人のやり取りを黙って聞いていた春蘭は、顎に手を当てて隣に立っている秋蘭に質問した。
「なあ、秋蘭。行軍速度が上がっても、討伐の時間自体は減らないよな?」
「ああ、減らないぞ」
「そうか。良かった良かった。私の頭が悪くなったのかと思ったぞ」
「良かったな、姉者」
「まあまあ。今は黙って二人を見守ろうぜ? それに、きっと面白い事を荀彧は言うと思うからさ」
「面白い事だと?」
二人に近付いた一刀の言葉に秋蘭が聞き返すが、一刀は笑みを深くするだけで何も答えなかった。
その笑みを見て春蘭は頬を染めていたが、秋蘭は考え込み、答えに行き着いた。
(なるほどな。だが、華琳様は甘くないぞ。荀彧とやら)
そう。実際、一刀は糧食が少ないとは感じていた。だが、これはこれで正解だと思ったのだ。
華琳ならば、最後に自分で確認するのは、少しでも華琳を知っていれば分かる。
ならば、監督官が呼ばれるだろう。そして、怒りを感じる事も。
糧食不足で討伐出来ませんでした。等となれば、民の信頼は地に落ちてしまうのだから。
そして呼ばれた時に、満足いく答えを返す事が出来れば――。と、荀彧は考えたのだろう。
それが来る途中に帳簿を見た、一刀の答えだった。
「盗賊の人数が増えた事は、私も聞いております。二つ目の答えですが、私の提案する作戦を採って頂ければ、更に速さは増します。
ですので、糧食の量はこれで十分だと判断したのです!」
「何ですって? 何故、よくも知らないあなたの作戦を、私が採用せねばならないのかしら?」
「それは――曹操様が、北家の皆様と懇意の仲だからです」
「――どういう事? この場でその名を口にする事が、どういう事か分かっているのよね?」
華琳は、荀彧の口から北家が出た事に驚いていた。
それは華琳だけでなく、春蘭や秋蘭。そして一刀も同じだった。
「……我が荀家は、まだ私が幼少の頃に北家党首北狼様と、その嫡男である郷様に助けて頂きました。
いつか、あの方達の為に働く。そう、私は決めていたのです。ですが、四年前に――。しかし、北家の方が謀反を企てるなど、絶対にありえないのです!
それは曹操様もご存知の筈! そして、麗羽様に教えて頂きました! 曹操様が、行方不明の郷様をお探しだと!
未だ見つかっていないそうですが、きっと郷様は生きておられるます! その捜索にも、私の知を生かしたいのです! ですから、どうかお願いします!
私を! この荀文若を軍師として登用して下さい!」
「……そう、北おじ様と郷に。いいでしょう。今回の行軍に、あなたの策を採用します」
「なっ!」
「なんと!」
「そ、曹操様!」
「ただし! 私を試した事を、この場で許す事は出来ないわ。私は、人に試される事が嫌いなの。
だから……!」
そう言って華琳は絶を構え――振り下ろした。
それを誰も止めず、荀彧は少しも動く事無く、その場で目を瞑った。
しかし、絶が荀彧の頸を飛ばす事はなく、荀彧の髪を数本飛ばしただけだった。
「何故、動かぬ」
「曹操様は自分が試されたのなら、試し返すと思ったからです。それに、私は文官で武官ではありません。
ならば、曹操様の一撃を避ける事は出来ません。仮に、本当に斬られたのなら、天は私を北家の敵討ちを望んでいないと言う事でしょうから」
「……ふふっ、あははは! あなた、最高よ! いいでしょう、私の真名を預けるわ。同じ志を持つ同士としてね! あなたの真名は、何と言うのかしら?」
「あ、ありがとうございます! 私の真名は、桂花と申します! この知、華琳様の為に振るわして頂きます!」
「ええ、これから宜しくね、桂花。――華翼。桂花になら、話す事を許すわ。この子の想い、本物よ」
「分かってるよ……。それに、思い出したからね」
「ふふ。ならいいわ。行くわよ春蘭、秋蘭。まだ準備は終わってないのだから」
『はっ!』
桂花は目の前のやり取りを見聞きし、驚きに目を見開いていた。
この場で、話してもいいと言うのなら、それは一つしかないのだから。
そして、華翼と呼ばれた男の”思い出した”という一言が決めてだった。
困った様に頭を書く一刀と、未だに固まっている桂花を残して、三人は準備の為に去った。
そして一刀は、未だに固まっている桂花の手を握り城壁に来た。
眼下では、準備の為に兵士が走り回っている。その光景を、城壁に手を置いて一刀は黙って見ていた。
兵士達の声と風の音だけが彩る城壁で、一刀の背中を桂花はただ見つめていた。
しかし桂花の心中は、混乱の境地だった。
(本当に、この男が北郷様なの? 十年前に一度だけ会った時と、雰囲気が全然違うじゃない。
そうよ。きっと華琳様は、私を試しているのよ。本当に郷様の事を考えているのなら、見抜けと言ってるのよ!
しっかりしなさい、荀分若!)
一刀の背中を、騙されないと言わんばかりに睨む桂花。
その事に気付いている一刀は、苦笑を浮かべて振り向いて口を開く。
「本当に久しぶりだね。あの森で会った時も、今の今まで忘れてたよ。本当にごめん」
「……」
「どれだけ言い訳を重ねても、忘れていた事の罪は消えないよな」
「……」
「でも、今は謝る事しか出来ない。本当にごめんな、桂」
「……え? ど、どうして。どうしてあんたがそれで、私を呼ぶのよ!」
「どうしてって、桂が俺に許してくれた呼び方だろ? もしかして、まだ疑ってたのか?」
「じゃ、じゃあ。これは華琳様が私を試してるんじゃなくて、本当に郷様なの?」
「あー……。知らなかったか? 華琳は、嘘が嫌いなんだ。それと、今は”北”って名は禁忌の扱いだろ?
だから、俺も華琳達の三人以外には、華翼って呼んでもらってるからな。それで気付かなかったんだな」
そう言っ、一刀は優しい、昔から変わらない笑みを浮かべて桂花を見る。
その笑みに、桂花は確信した。
偽者に、この笑みを浮かべる事は出来ない。そして、自分と郷の二人しか知らない呼び方で呼んだ。
頭と心で理解した桂花の行動は、一つしかなかった。
「ご、郷様ぁぁぁぁ!」
「おっと」
「北狼様が謀反を企てたと処刑され、郷様が行方不明と聞き、私は本当に死ぬ想いをしたのよ!
どうして生きていたのなら、私の家を頼ってくれなかったのよ!」
「それは華琳にも言われたよ。だから、同じ言葉を返す。
君達に、俺の事で迷惑をかけたくなかった。だけど、それで余計に心配させていたのなら、本末転倒だよな。
桂、本当にごめん。これからは一緒に、華琳を助けて行こうな?」
「もちろんよ! 北狼様は天に召されたけど、郷様はこうして生きてるんだもの。私の知をもってして、絶対にお家を再興させて見せるわ!」
「ああ、頼むよ。父上と母上。峰さんの敵、皆で一緒にとろうな」
「ええ!」
桂花は笑顔で一刀に答えて胸に顔を埋め、一刀はそんな桂花の頭を撫でる。
優しく、静かに。
そんな二人を、何時の間にか夕焼けに変わっていた太陽が、優しく包み込んでいた。
太陽が沈み月が照らすまで、二人は静かに抱き合っていた。
一刀と桂花が、再会の抱擁をしている時。華琳達は準備を終わらせ、酒を口にしていた。
「華琳様、よろしかったのですか?」
「何がかしら? 秋蘭」
「荀彧と一刀を二人っきりになどして」
「そうです! どうして、私達があの場を去らねばならなかったのですか!」
「はぁ……いい、二人共。確かに、私達は一刀を愛してるわ。でも、それは桂花も同じなのよ。
ならば、同じ場所で戦うのが筋というものでしょ?」
「それは分かりますが……」
華琳の答えに、渋々頷く春蘭。俯く春蘭を慰める様に、華琳は更に口を開く。
「それに、安心しなさい。麗羽の手紙に書かれていたわ。桂花は、極度の男嫌いらしいわ。
ならば、一刀が生きている事を知っても、そう素直にはなれないはずよ」
「……ですが、一刀ですよ?」
安心させようと口にした事に、秋蘭がもっともな言葉を返す。その言葉に、思わず華琳は口に近づけていた杯を止めてしまう。
「――だ、大丈夫よ! いくら一刀でも……危険ね」
「はい、危険です。」
不安を振り払う様に、大きな声で言った華琳だったが、よくよく考えると、危険だと分かった。
四年間会えなかった自分達でこれだ。最近、自分達の想いにしっかりと気付いたとは言え、だ。
そんな自分達の、倍の月日を過ごした桂花は……危険過ぎる相手だった。
それに、北家の事を話す時の様子を見れば、男嫌いは男嫌いでも、北家は別なのだろう。
思い至った後の三人の行動は、迅速なものだった。
道行く臣下の者に華翼と荀彧を見なかった聞き、少しずつその距離を短くしていった。
「なあ、桂」
「何よ?」
「お前、男は嫌いだって言ってなかったか? だから、あの平原で、自分を護ってくれた兵士に対して」
「覚えてたのね……。ええ、私は男が嫌いよ。それに癪だったけど、あの時に郷様に言われた言葉を、陳留に着くまで考えてたの。
あの時は、知らないと思ってた男に言われて、本当にむかついていたんだけどね。でも、それで気付いた事があるのよ」
「……」
「確かに、あの兵士は私を護る事が仕事だった。それは間違いないわ。でもあの時、私が焦らずに指示を出していれば、少なくとも全員が死ぬ事はなかった。
それに、どれだけ嫌いな生物でも、あの時の私の言葉は許される事じゃないわ。墓を作る事は出来なかったけど、それに気付いた私は冥福を祈ったのよ。
そして感謝もね。それで一番大事な事も気付かせてくれた。
私の命令で、死ぬ者達がいる。私を助ける為に死ぬ者がいる。その者達の事を忘れないって事をね」
「そっか。気付いてくれたのか。だけど、偉そうな事を言ってた俺も、華琳達のおかげで、受け止め切る事が出来たんだけどな」
「それは仕方ないわよ。だって、郷様は自らの手で命を絶つのだから」
「そうかもしれないな……。で、最初の質問だけど、俺と抱き合ってて平気なのか? いや、俺は嬉しいんだけどな?」
「ご、郷様はいいのよ! 他の男と違うから!」
「そ、そうか……」
「そ、それでね。郷様に会えたら、言おうと思ってた事があるのよ」
「ん? なんだ?」
「あ、あのね!」
顔を赤らめて言いよどむ桂花の姿に、一刀は首を傾げる。だが、黙って待っていた。
そして、意を決した桂花が口を開こうとした瞬間。
「だっしゃぁぁぁぁ!」
「な、なんだぁぁぁ!」
「よくやったわ、春蘭!」
「最高の仕事だ、姉者!」
「お、俺が何をしたって言うんだ……」
猛烈な速度で駆け寄った春蘭が、一刀を蹴り飛ばしていた。
その行動に賞賛を与える華琳と秋蘭。突然の出来事に、呆然とする桂花という不思議な空間が出来ていた。
「はぁはぁはぁ……。桂花、大事な事を言い忘れていたわ」
「は、はい! なんでしょうか!」
「一刀から告白されるまで、私達から言うのは禁止なの」
「は?」
「だから、一刀を慕っているのは、あなただけじゃないって事よ」
「うむ、抜け駆けは許さんぞ!」
「もし抜け駆けをしたら……闇夜の矢に気をつける事だ」
「わ、分かりました! えっと……では、私はまだ準備が残っているので、これで失礼します!」
「あら、話は終わってないわよ。それに準備は全て終わってるわ。だから……私の閨に一緒に来なさい。
きちんと、その体に教えてあげるわ」
「え? か、華琳様ぁぁぁ!」
華琳に引きずられていく桂花は、どこか嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか?
二人を見送った春蘭と秋蘭は、倒れて気絶している一刀を左右から支えて、その場を後にした。
その夜、華琳の閨から、桂花の嬉しそうな叫び声が朝方まで聞こえていたとか、いなかったとか。
Tweet |
|
|
121
|
11
|
追加するフォルダを選択
大変遅くなりました!本当に申し訳ありません!
先週から、仕事が修羅場っておりまして、書く時間が取れませんでした。
なので、前回の投稿から一週間以上も時間が空いてしまいました。
この場をお借りして、心からのお詫びを申し上げます。
続きを表示