「千早、眼鏡つけるようになったんだ」
律子がそう声をかけると千早は急にかけていた眼鏡を外してケースに入れてしまった。
「どうしたの?」
「なんでもないわ。ええっと、今日からかけたばかりだから、なんだか言われると恥ずかしくなってしまうのよ。それだけのこと」
本当に恥ずかしかったのか少し頬を赤らめつつ誤魔化すような微笑みとともに律子の目線から目をそらしていった。
千早にしては奇妙だと思うところはあるものの、他にすることがある律子としてはそれ以上追求する気にはならずに自分の席に腰かけた。
書類に目を通していると、誰かの視線がこちらに向いている気がして、周囲を見回してみる。
小鳥は自分の席で書類に向かって唸っている。
プロデューサーは他のアイドルとともに営業に行っているので席にはいない。
あと事務所にいるとしたら、ソファで座っているはずの千早。
律子がそちらに顔を向けると、ちょうど彼女と目が合った。今度は眼鏡をかけている。
「どうかした?」
「ううん、なんでもないの」
眼鏡は千早によく似合っていた。
律子のものと同じ楕円形をしたものでこちらのフレームが黒に対して彼女のは少し青みがかった黒色をしている。
目つきが悪いとは言わないが親しくない人からは冷たく見えてしまうきらいがあるそれを緩める効果は充分あり、穏やかで理知的な女性に見せることに成功していた。
彼女の表情が律子の評価を求めているように見えたので、
「眼鏡、いいじゃない。千早にとても似合っているわ」
素直な評価を口にした。
千早は少し驚くような表情を見せ、すぐに照れた表情に変わり、自分のキャラではないとでも思ったのか真面目な表情を作ろうとして結局失敗して相好を崩した。
「笑った顔もカワイイわよ。なんだかこれじゃあナンパだか口説いてるんだかしているみたいね」
「りつちはと聞いて!」
「黙れ事務員! その書類、今日締め切りなんですよ!」
席から立ち上がった小鳥に律子が厳しい声で言葉を浴びせると萎れるようにまた席へとついて唸り声を上げ始めた。
千早へと視線に戻し、律子は困ったものねという意味で両肩を上げてみせた。
「りつちは?」
千早の口からそんな言葉が聞こえてきて律子はがっくりと机に向かってうなだれてしまう。
気にしなくていいわよ、そう声をかけると彼女が戸惑いながらもうなずいたのを見て、律子もうなずいて机の上の書類へと目を落とした。
そのまま時間が経ち、律子は作業が終わって立ち上がった。
「お茶でも入れてこようかしら」
背筋を軽く伸ばしながら給湯室に向かって歩いていこうとすると、千早が寄ってきた。
「私も手伝うわ」
「そう、ありがと」
給湯室に2人で入り、律子はすぐさまヤカンに水を入れてお湯を沸かす準備をする。千早は今事務所にいる3人分のマグカップを取り出してインスタントコーヒーの粉を入れていっている。
眼鏡を普段かけていないせいか違和感があるのだろう、律子からすると少し忙しない感じで千早は眼鏡の位置を直している。
「そういえば、千早って眼鏡なんてかけるほど目が悪かったっけ?」
尋ねてみると、え?と言った後に答えを考えるように目線を横にそらしてしまう。
視力はそれほど問題があるわけではないと千早は前置きをして、
「眼鏡をかけるとかわいくなるって」
なんとも女の子らしい恥じ入るような表情で彼女は言った。
律子としてはそんな表情をする彼女が微笑ましくて娘でも見る親のみたいに釣られて頬を緩ませてしまう。
「いいこと言うやつもいたもんね」
「律子が」
次の言葉を言おうとして口を開いたが、それが誰を指しているのか気づいて律子は驚く。
「私!?」
千早は小さくうなずく。
「律子みたいに眼鏡をしてみたいと思っていたからなんだかうれしくて、どうせだからと律子と同じものにしようと探したのだけれどちょうど品物がなくて、一番近かったこれにしてみたのよ。あなたが似合っているって言ってくれてうれしかったわ」
律子としてはアゴが落ちてしまうかと思うほど驚いてしまう。
そして彼女の雰囲気がおかしいことにも気づいた。
「カワイイとも言ってくれた」
それを忘れるようでは健忘症か何かだろうというくらい今日の、しかもそれほど前の話ではないので律子としては忘れているはずもない。
「そうなの」
かろうじてその一言だけ声を出す。
千早が歩き出すとそれを追いかけるように手を伸ばそうとして、自分は何をしようとしているのか混乱して動きを止めてしまう。
千早はそんなことに気づいていない様子でヤカンの火を止め、沸いたお湯をマグカップに注ぎ始める。
「あなたは忘れてしまったのね、私は覚えているのに。少し残念、でも今日褒めてくれたからチャラでいいわね」
「あー、それに関しては本当に謝るわよ、千早。ごめんなさい。そのときはきっとそう思って言っただろうし、実際その眼鏡は似合っていてカワイイわ、これは私が保証する」
少し怒っているような声音の千早の言葉になんとか弁明できないかとアレコレ言いながら彼女の傍に近づいていく。
「ありがとう」
急に彼女が振り返り、気がつけばその顔は息がかかるよりも近い、それこそ肌のぬくもりがわかるほどの距離まで迫ってきていた。
かちんと眼鏡同士が当たる音が律子の耳に届き、唇に千早の唇と思しきやわらかさが感じられた。
律子はどう対応すればいいかわからず立ち尽くしたまま千早の表情を見つめた。
「律子のことが好きよ、それが私が出した答え。あなたからの答えは」
またいつかにしましょう。
耳元で言われるとともにマグカップを手渡される。
そして、彼女は2つのマグカップを持ってそのまま給湯室から出て行ってしまったらしい。
何も考えることができないまま律子はマグカップを口まで運ぶ。
「あちっ」
火傷しそうなくらい熱いそれに唇を焼かれてようやく現実に戻ることができた。
それとともに千早にさっき何をされたのか、そして何と言われたのか思い出す。
どうしろっていうのよ。
声には出さずにひとりごちて、今度は気をつけて冷ましてからコーヒーをすする。
苦いはずのコーヒーの味もわからないまま律子はその場に立ち尽くしながらコーヒーをすすり続けた。
コーヒーがなくなる頃にはなんとか自分を取り戻せてきたことが実感できてきた。
「よし」
気合を一つ入れ、
「千早ー、私の答えを聞かせてあげるわよー!」
大声でそう言って給湯室を出た。
-END-
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アイドルマスター二次創作SSになります。
律子と千早というのもめずらしい組み合わせですかね?